『日本国憲法は立憲主義に基づいてできたのではない。アメリカが作ったからだ。』について
一例、こんな、近代史家の文献があります。笠原十九司著『増補 南京事件論争史』、平凡社ライブラリー、2019年3月22日 初版第三冊359ページですが。
『 日本国憲法草案を審議、作成した時の首相の幣原喜重郎がマッカーサー連合国軍最高司令官に直訴の形で憲法9条を発案し、それにマッカーサーが共感したことが「事実」であることは、以下の三つの史料から十分に証明することができる。いずれも国会図書館の憲政資料室の所蔵されている史料である。
①「平野文書」幣原喜重郎の議員秘書の平野三郎が「戦争放棄条項が生まれた事情」について幣原喜重郎から聞き取りをした記録。②「羽室メモ」幣原喜重郎と生涯親友だった大平駒槌の三女羽室ミチ子が、幣原喜重郎と大平駒槌から直接聞いた憲法草案作成に関連した話を詳細に大学ノートに記録。③マッカーサーの演説、回想録など数種類の記録資料に、幣原喜重郎がマッカーサーに「直訴」の形で憲法9条を発案した経緯が記録されている』
なおこの本のこの直後には、こんなことも書いてありました。朝鮮戦争直後の1953年にアメリカから日本に軍隊設立、18万人の陸上部隊創設が要求されて、そこから「自由党憲法調査会」が発足し、翌年に「日本国憲法改正要綱」が発表された、と。軍隊を作りたいと言うのが占領軍の希望だったのだが、「また、軍部独走が始まる」と恐れた幣原が、これを止めたというのが9条成立の真実なのでしょう。
次いで、『(日本国憲法が無効とすれば、大日本帝国憲法だけが残っているわけだが)この帝国憲法は結構良いものだ。途中からは普通選挙も認められたわけだし、当時としては世界に誇るべき偉大な日本の功績です』、について。
まず、貴方は、普通選挙の本家本元イギリスを忘れていると言いたい。英仏米の運動があったから以下の全てが起こっているとも僕は見ています。イギリスの選挙制度運動に関わる長い歴史を一度調べて下さい。その上で、何よりもオーストラリア、ニュージーランドの女性選挙権から以下次のような国もお調べ下さい。
ドイツ、アメリカ、フランス、ブルガリア。西欧諸国以外でも日本より早い所は無数ですが、女性選挙権については、日本は特に遅れている。女性選挙権について、以下をお調べ下さい。オセアニア諸国、北欧三国やソ連。中南米では、ウルグアイ、エクアドル、キューバ、ブラジル、他にもトルコ、タイなどもね。
さらに、大日本帝国憲法第一、三条を復唱した上で、大元帥としての天皇の統帥権というものを調べてみて下さい。その上で、この憲法に国民という言葉がどこにも出てこず、これの代わりが全て臣民になっている意味を考えてみて下さい。
あなたはやはり、大日本帝国憲法を美化しすぎていると考えます。
今回の最後です。大日本帝国憲法成立時に普通選挙がなかった以上、立憲主義と天皇との間には、何の契約関係もなかったことになる。もし貴方が日本国憲法を否定するなら、象徴でさえ契約関係はない事になりますね。天皇と国民との憲法で認められた関係とは、貴方にとっては一体どういうものになるのですか? そして、今後に向けてどうあれというのですか。