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「天皇=国民」という日本史観・政治論議  文科系

2020年08月08日 13時00分59秒 | Weblog

  シンという人とずっと討論してきて、1人の熱烈な右論者の日本政治論議の出発点、その公理のようなものを、大変苦労しつつやっと掴めたように思う。それを以下にご披露してみたい。普通の政治論議とは全く違うものであって、彼はこれでもって日本国憲法とその国民主権を一種「否定」しているし、そういう公理を証明するような形の日本史観をも持っているところは、世界史の普通の民主主義論議も通用しないことに繋がっていく。西欧の例を上げたりすると簡単にこう語るのである。
「日本は特別な国。西欧諸国とは違う」

 ごく短く、彼の政治論議の公理を彼の言葉でもって表現してみる。

①日本史の「天皇=国民」をこうまとめる。
「日本では、西欧と違い、天皇と国民が敵対関係になったことはありません。国民あっての天皇、天皇あっての国民という考え方なので、日本においては、天皇に対する、革命権や抵抗権はあり得ない」  
 この信念の強烈さは、これほどのものだ。これをなんらか否定すると即座に「反日」と規定して、仇敵のように観るのである。彼によるその仇敵表現はここまでの激烈さである。『反日というのは、そもそも侵略者か売国奴か、敵国かのどれかに分類されますし、反日のものは皆、反天皇になります。どこの国にも裏切り者はいます。しかし、裏切り者が多数を占めることはありえません』
 右の方々がすぐに「反日」とレッテルを貼る相手はこうして、「僕は天皇制には反対だ」という「売国奴」「裏切り者」なのである。「民が主人公だ」という日本の民の中には、天皇に反対する人は含まれないという勢いである。こういう説の否定に繋がるものをすぐに嗅ぎ分ける臭覚も含めて。堂々たるこんな主張が、全体主義でなくてなんであろうか。

②だからこそ、①が揺らいだようにも見える終戦時や、その時出来た憲法を、こう観ることになる。それどころか、あの時代が憎くて仕方ないのかも知れない。こんな「恐怖政治」という表現まで持ってくるのだから。
「日本国憲法が、日本国民の意思を無視して、アメリカに銃を突きつけられて生まれた憲法である事は、歴史的事実である。立憲主義というなら、国民の手でつくられるべきあり、日本国憲法を立憲主義というのはおかしい。日本国憲法は、恐怖政治そのものであることは、明白であると思う。」

 こんな書き方は「象徴天皇にも僕は反対だ」という人間をそのまま、フランス革命のギロチン組と観ているように感じられてならなかった。 

③こういう日本史観、日本政治論議の最大特徴は、「天皇=国民」において他の立憲主義国とは全く違う国だと自覚していることだろう。他国の例は日本に通用しないと確信しているほどに強烈なものである。一例だが彼にとっては「天皇=臣民」が今も続いているのだそうだ。臣民の定義をこのようにすることによって。

『民とは被支配層の事。民とは奪われる人の事です。あなたや私の意思とは無関係に、我々は皇室に奪われ、皇室は我々の税金で優雅にくらしているのです。戦前も戦後も皇室の民であることは、明白です。』

 広辞苑によれば、全体主義とは、『個人に対する全体(国家、民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想及び体制』とある。「天皇=臣民」を否定する個人を「反国家」、「裏切り者」と観るこの主張は、全体主義でなくてなんであろうか。この思想によれば、個人の基本的人権だけを基礎とする国家論が憎まれるわけである。人権に制限を与えて良いとされる「公の秩序」の中に天皇が入ってこざるを得ないからだ。名古屋市河村市長が「日本人の心」から「天皇冒涜表現が許せん」と動いたのも、こういう全体主義思想からなのである。

 

 

 

 

 

 

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アメリカの悲劇と身勝手  文科系

2020年08月08日 02時56分42秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 世界新自由主義経済が、失業者・不安定労働者問題などでこれだけ行き詰まったのは、冷戦終結前後から「供給サイド経済」を世界に押しつけて、株主資本主義に邁進してきたからだ。資本主義がただでさえ供給の方が需要よりも大きくなって、必ず不況、恐慌(消費不況、売れない、首切り。今で言えば力尽くで無理無理バブルを形成して、その爆発恐慌)が訪れる必然性があるのに、1980年代から株主資本主義を標榜して、長期開発事業を顧みず、首切りに励んで原価を下げるというような短期に株価を上げることだけに邁進してきたからである。この現状は、本当にカール・マルクス最大の警告のとおりのものではないか。マルクスどころか、資本主義の範囲内で需要を増やすことを骨子としたケインズ理論(需要サイド経済学と言われる)でさえも、新自由主義経済学は「福祉国家論の幻想」として退けてきたのであった。

 今アメリカで「株主資本主義は誤りであった」と全米経営者団体が反省声明を出しているが、アメリカで今更これを直せるわけなどない。としたら、アメリカは中国に戦争を仕掛けるしかないのかも知れない。トゥキディデスの罠よろしく、自らが歴史の前面から退いていく覚悟をしないのであれば。
 
 
『アメリカは中国に戦争を仕掛けるしかないのかも知れない』
 こういう策の前にアメリカが既にある暴力を行使している。貿易で強引に保護主義に転じたのは、新自由主義競争の負けを認め、経済の「自由と民主主義」をかなぐり捨てたということだ。これでもって国内企業に内需を与えて当面の時間稼ぎをするというのだろう。が、これは当然、基本解決にはならない。中国で生産されてきた米資本の多数有名ブランドが大変な傷を負うことにもなるのだから。
 
 というようなことを日本マスコミがちっとも扱わないのは、一体どうしたことか。「経済の空洞化」が、一時の日本等問題にならぬほど急激かつ悲劇的に進んだアメリカなのであるが。

 こんな理由からトランプ政権によって強引に起こされた「米中対立」を日本マスコミは政治問題としてだけ扱っているわけだ。香港、南シナ海、ウイグル・・・。これらは全部言うなれば、自ら唱え、実行してきた世界経済における大敗北から出て来た言い掛かりとも言えるのである。まるでヤクザのやり口ではないか。そのヤクザ行為を、日本マスコミが懸命に助けている構図である。日本も、その経済空洞化から自らの国民1人当たり購買力平価GDPが世界5位あたりから31位にまで落ちてしまって起こったこの少子化現象をこそ、真に反省する時期ではないのか。50歳まで結婚できない男性が4人に1人に近づいているのである。結婚と子どもを諦めている男性群・・・。経世済民がこれでは、「自由と民主主義」が大泣きしているというものだ。
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