海側生活

「今さら」ではなく「今から」

酒のサカナだった

2011年06月01日 | 東海道五十三次を歩く

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『吾妻鏡』を三年近く受講している自分は、源頼朝の出生地を見たかった。

東海道五十三次の41番目の宮宿に着き『七里の渡し』跡に腰を下ろし感慨を新たにした後、足を延ばし熱田神宮にお参りし、その西側に位置する誓願寺を詣でた。母は熱田神宮大宮司藤原季範の娘の由良御前。
頼朝は相模川に橋をかけ、その橋の落成供養に出席した帰りの道中に落馬し、17日後に亡くなったという事が『吾妻鏡』に記されている。51歳だった。謎が多い。また一つ研究材料が増えてしまった。

寄り道を重ねながら20km歩いた汗と埃を、急ぎシャワーで洗い落とし、今晩の皆との会合場所に向かった。
自分が東海道を歩いていて、今日は名古屋に到着するとの事で、その激励会だと言う。有り難く受けた。宿泊場所もシティホテルを取ってあった。S、KさんとK、Uさんからのプレゼントだと言う。心遣いに感謝する。

彼等との付き合いの始まりは四半期以上も前になる。
自分が前職で支店長として赴任した折り、会社は株式の上場計画があり、皆があらゆる事に上昇志向をもちながらも、全ての業務をあるべき姿と信じる業態に移行させるために、必死にもがき努力をした時期であった。実態は様々な矛盾を抱えながらの、今思えばかなりハードな毎日を共に過ごした時期でもあった。

小料理店の二階の座敷で、酒が回るにつけ、四時間も自分は酒の肴にされっ放しだった。でもこの上ない楽しい時間だ。 
自分の一挙手一投足を真似しては、皆で大笑いもした。

10人の皆にはお世話になった。さらにその後の二次会費用までもM、NさんとS、Oさんには負担を掛けてしまった。些か飲みすぎたようだ。明朝はいつもの様に6時に起きられるかと途中気になったが、その時の楽しさのあまり、その思いはいつしかどこかへ消えてしまった。

自分は友を選ぶ場合、涙と共にご飯を食べてきた人か、慟哭を胸に秘め、それとの戦いを続けた人でなければ、馴染めない体質を持っているらしい。