棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

サブーーーイ

2014-01-14 11:55:59 | 山郷の暮し
お昼で薄日が射していますがマイナス3度と、サブーーイ松本で一番の冷え込み。
窓ガラスに 氷の華 が咲きましたが、それほどではなく蕾とでもいいますか。
散歩道で見た厳寒の写真です。
 
氷が割れよどみに溜まっていきます。

銭湯に行く

2014-01-13 08:32:49 | 山郷の暮し
我が家の「曖昧屋温泉」にも、近くの「浅間温泉(これは本物です)」にも飽きた・。
車で30分も行けば小さな温泉場か点在しているが、連休で混んでいるのは必定。
久しぶりに市内の銭湯に・・・、思い浮かんだのはわずかに3件。
デッカイ富士山が描かれ、ちょっと古めかしいが落ち着く、そんな昔ながらの銭湯は廃業してしまった。

腹がボカッと出たおっちゃん連を見て「俺はそンなんじゃねー」と腹に力を入れる。
息が切れ、ポコッと突き出る我が腹だ・・。

泡風呂を眺めているとフット、温泉場と銭湯の違いは湯船の淵がかさ上げされているか否か。
つまり、温泉場は淵も低く、流れでた湯が床を温めているのだ。
また、銭湯にはデッカ壁画があるのだとサトル。

今日の銭湯は、葛飾北斎の有名な波間の富士山のタイルモザイク。
幅は三間以上はある大きなものだが、受ける印象は本物の浮世絵より小さな風景に見えた。
優れた作品はサイズではないとあらためて、これも悟。
と、まーーらちもないことを思いながら「ガキどもが遊んでいたら・・・・。銭湯はいいなーー」。

以前、銭湯の並びに焼き鳥屋があり、湯上りに一杯 とご機嫌でしたが、今はそれもままなりません。

写真は湯沢温泉にて・・・人間用の露天風呂にやってきました。一緒に浸かるとまではいきません。
いつの間にか彼らに占領されました。 

真冬日

2014-01-11 09:25:38 | 山郷の暮し
マイナス10度程度で驚きもしないと昨日は書きましたが、昼日向はポカポカであって欲しい。
日本中かなり寒い一日のようでしたが、ここ花の谷も日差しは強かったのですが氷漬のような一日。
写真はおひる頃の、谷の東を塞ぐ戸谷峰(国道254 三才山トンネル)
美しいがゾッとする色合いです。

陽射で溶けた雪も凍てついてしまった。
今日もお天道様が出ていますが、まだ寒い。

コタツから遊郭の話

2014-01-10 09:01:31 | 山郷の暮し
今朝はマイナス10度くらい冷え込んだかもしれないが、もーー驚きもしない。
ガチガチに凍てついた雪道。顔がピリピリしてくる。

こたつの話からいつしか遊郭のことになってしまいましたが、現実にお女郎さんをあげたこともないくせに解ったようなことを、と言われてしまいますね。(そう言う年配の方も少なくなってしまいましたが)
実は遊郭に大きな店を構えている親戚がありました。
店と書いていますが、ずばり政府公認 公娼 の売春業なのですが・・・。

私が可愛らしい坊ちゃんのころ、時々そのでかくて立派なお宅(店)にいきました。
母とも違う香りがするオネーサンたちに「坊ちゃん・ぼっちゃん」と可愛がられました。

二間はあったであろう入口はガラス戸になっていましたが、元は大戸が下りるようになっていました。
正面にはこれまた幅の広い階段があり、2階廊下にいたるとまた階段がありました。
当時はどうして二つも階段があるのか不思議でしたが、それは、お客どうしとが見られないしくみだったのです。
(店の方や階段に昇ってはいけないと言われていました )

また、遊郭独特の作りは、入口と並んでいる格子戸の部屋です。
今で言ったらショーウインドウで、お女郎さんが指名をまっていたのです。
では、お仕事の部屋の様子は・・・・・、残念ながら当時のことは現実には知りません。
しかし・・・私が成人後、その屋敷を取り壊すことになり、初めて観ることができたのです。
6畳程度の小部屋が長屋式に並び、廊下に面した障子戸だけでした。
もっと豪華な部屋があったはずですが、残念ながら永久に見ることができません。
寺社は歴史遺構と大切にされてきましたが、遊郭が保存されている所は無いでしょうねーー。

こたつの話

2014-01-09 08:46:26 | 山郷の暮し
積雪5cmくらいを踏みしめながらの散歩。
雪質はかなり重く、気温も高い。しかし、お天道さまは顔をだしていません。

昨日に続き、こたつ について・・。

現在はこたつ といえば電気こたつですが、ホームセンターなどで「豆炭こたつ」が今なお売られています。
私も「豆炭あんか」を15年ほど前までは使っていた気がします。
これもぬくぬくと暖かく、まめたん 一個が一日もつというスグレモノ。
また、豆炭こたつはかなり暖かく、たっぷりと一日もちます。
今も売られているということは、電気よりも安く済むのでしょうかねーー。
ただし、毎回灰がでることになり、我が家のように捨てるところがあれば問題がないのですが、町場ではどうしているのでしょう。

さて、こたつの話ついでに思い出すことがあります。
赤線がまだ公認されているころ、遊郭の近くに引っ越したことがあります
古式ある遊郭の立派な入口。大扉そとて格子戸。
などなど御殿のごとき構えが目に浮かびます。
また、立派な木造作りばかりではなく、当時としてはモダンな模様タイル張りの店があったり。
しかし、そんな立派な構えばかりの店ばかりではありませんでしたが。
いずれも、入口を全開し入りやすくなっていた気がします。
寒くなると入口隅に置かれた何と呼んだかはわかりませんが、椅子に座って入れる高いこたつ がありました。(最近 売られているようになりましたね。)
座り込むと動きが鈍くなってしまいますが、椅子だと動きが早い。

やり手ババアがちょこんとそのこたつに入っているさまは、立派な造作の入口になんとなくそぐわない光景でした。
そんな不釣合いな光景が、私の脳裏に焼き付かれているのでしょうか。

遊郭には やりてはばあ と呼ばれる呼び込みのおばちゃんがいて、まずこの人を通して算段されたようです。
またまた蛇足ながら、私は堂々と遊郭に遊びにいける年でもなく、兄貴達に「お前はまだガキだから」と言われていまし。
公認の赤線が廃止になったのが昭和33年。私はまだ中学生のガキでした。
いまなお悔しい思いがあります。


こたつ

2014-01-07 08:53:52 | 山郷の暮し
パジャマを着替える時、ちょっと冷たい下着にフット幼きころを思い出しました。
「さーこれに着替えなさい」と母がさしだした下着は、こたつで温められたほんのりとしたものだった。
そんな下着を着たのは、いつごろまでだったのかなーと・・・。

その頃のこたつはもっぱら炭火の堀こたつです。
居間の真ん中あたりに、ほとんどが45cm真角に掘られた「火鉢」のようなものがありました。
ちょうど茶室の かまど のようなもので、古い家などは見られます。
(普段は畳がハメられている)

こたつやぐら と呼ばれる台があり、これが壊れたなどしたものでした。
今は電気こたつで、据え付けることなど全く気もせずに済みますが、こたつやぐらは今ほど簡単ではありません。
暖房はこの堀こたつが主で、よくて火鉢があった。
こたつ布団を肩までかけると「寒いからよしなさい」としかられた。
つまり、隙間ができてしまうわけだ。
なにか ものすごーく 日本的な家庭風景ですね。

ぬくぬくと、体の芯から温まる炭火こたつに、いつしか うたた寝をしてしまったものだった。

お正月

2014-01-04 09:56:44 | 山郷の暮し
天候はお正月の間はおだやかです。
全国の天気予報では長野県は雪降りマークになっておりますが、それは県庁所在地の長野市のことで、松本市内は寒いですが雪はまったくありません。
今(10時)雪が舞ってきましたが、一時的なことかと思います。
写真は市内から東山を見たもので、王ガ頭と呼ばれ、各局のテレビアンテナ基地です。
標高2000mほどの美ヶ原高原が広がり、ここに雪がつくと松本平はサブーークなるのです。(今年は早かった)
アルプスが連なる西山からの寒風がもろに吹き付けるので、ものすごーーく寒くなる。
経験ではウイスキーがスーーと凍てついたことがありました。
ずっと以前に遭難死者が出たことがあったとか。
私のところから夏は車で一時間とかからないところですが、霧が濃く決して侮ってはいけません。
以前はスキーをかついで出かける元気がありましたが、今はこたつで背を丸めながら泡盛です・・・。

2014お正月

2014-01-01 17:13:05 | 山郷の暮し
いつもお正月 気分ですが、やっぱり本当の正月は空気がゆったりしていていいですね。

昨年10月から、今までの絵画活動の集成として描いた「連続する生命・・かくして私は今ある・130X160cm 油彩」を宴会居間に飾る。
この作品の創意は 現世があってこそ全てが存在する、と認識すること。
今ある自分は偉大(おおい)なる流れの中に存在をしている。
生命の尊厳を描き出しています

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本