棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

こたつの話

2014-01-09 08:46:26 | 山郷の暮し
積雪5cmくらいを踏みしめながらの散歩。
雪質はかなり重く、気温も高い。しかし、お天道さまは顔をだしていません。

昨日に続き、こたつ について・・。

現在はこたつ といえば電気こたつですが、ホームセンターなどで「豆炭こたつ」が今なお売られています。
私も「豆炭あんか」を15年ほど前までは使っていた気がします。
これもぬくぬくと暖かく、まめたん 一個が一日もつというスグレモノ。
また、豆炭こたつはかなり暖かく、たっぷりと一日もちます。
今も売られているということは、電気よりも安く済むのでしょうかねーー。
ただし、毎回灰がでることになり、我が家のように捨てるところがあれば問題がないのですが、町場ではどうしているのでしょう。

さて、こたつの話ついでに思い出すことがあります。
赤線がまだ公認されているころ、遊郭の近くに引っ越したことがあります
古式ある遊郭の立派な入口。大扉そとて格子戸。
などなど御殿のごとき構えが目に浮かびます。
また、立派な木造作りばかりではなく、当時としてはモダンな模様タイル張りの店があったり。
しかし、そんな立派な構えばかりの店ばかりではありませんでしたが。
いずれも、入口を全開し入りやすくなっていた気がします。
寒くなると入口隅に置かれた何と呼んだかはわかりませんが、椅子に座って入れる高いこたつ がありました。(最近 売られているようになりましたね。)
座り込むと動きが鈍くなってしまいますが、椅子だと動きが早い。

やり手ババアがちょこんとそのこたつに入っているさまは、立派な造作の入口になんとなくそぐわない光景でした。
そんな不釣合いな光景が、私の脳裏に焼き付かれているのでしょうか。

遊郭には やりてはばあ と呼ばれる呼び込みのおばちゃんがいて、まずこの人を通して算段されたようです。
またまた蛇足ながら、私は堂々と遊郭に遊びにいける年でもなく、兄貴達に「お前はまだガキだから」と言われていまし。
公認の赤線が廃止になったのが昭和33年。私はまだ中学生のガキでした。
いまなお悔しい思いがあります。


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