棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

作品の初デビュー

2012-03-18 06:41:22 | 山郷の暮し
今日は作品の初デビューです。とはいっても特別な展示会場ではありません。
地元の新聞・市民タイムスに「地元で続ける支援模索」のタイトルで、松本大学の学生さん達の活動が報じられていました。
高校生と大学生が被災地の支援について交流するという「交流フェスタ」が計画されていたのです。
私の作品「天災・人災・人間ドラマ・3-11東日本大震災を描く」をお役立ていただければと、事務方に申し入れ快い返事をいただきました。
たった一日の展示で、場所も廊下だといいますが「かまいません」若い方々の反応が読みたいし、なにより、皆様方で同じような計画があれば、お役にたって欲しいと思っております。

不思議な氷

2012-03-17 08:22:40 | 山郷の暮し

今朝は昨日のマイナス5-6度の朝よりも10度も高い。ただし雨模様ですが・・。
日中は春の香りが感じるようになりましたが、まだまだ油断はできません。

ところで、昨朝は写真のごとく不思議な形の氷が、外のバケツにできていました。
水が滴り落ちる場所でもなく、特別冷え込むところでもない。たんにワンチャンの水のみオケだ。
高さ3cm ほどの三角錐のグラスが、突き刺さっているように見える。
内部には水がたまっており、底には米粒以下の小さな穴があった。
思うに毛管現象で吸い上がり、叙々に逆三角錐に成長したのでしょうか。横縞が重なっていた。
それにしても、きっちりとした三角錐でした。
そうそう、バケツの氷の厚さは5mmと、ひところに比べたら紙ッペラみたいなものだったが・・・。

関東味VS関西味

2012-03-16 08:14:43 | 山郷の暮し
私の大好きな作家 井上ひさし氏は平成22に亡くなられてしまい、残念でならない。
東日本大震災の不幸に合わなくて幸いだったかも知れないが、復興に向かっての彼の行動をみたいというおもいもある。
それはともかく、氏の作品には料理のレシピーが事細かく書かれていることがある。
試して美味かったのは「焼き鳥のタレ」だった。今回は未完の「黄金の騎士団」に書かれている蕎麦のつゆのことだ。
レシピーというより、江戸前の蕎麦つゆは「関東勢の誇りにかけてタレは辛くなくっちゃーいけねー」とある。
腰のある手打ち蕎麦は味がゴツイ。かつおぶしのだしをきかせた辛口のタレでなくては、蕎麦の味に負けてしまう。
というのだ。 
 関西の昆布出汁味の薄味は私も好きですが、確かに田舎そばなどは昆布だしのつゆでは物足りないことがある。
ただし、蕎麦の味そのものがわかり、辛いつゆとは違った蕎麦がたのしめる。
どちらがいいというより好みとしか言えないが、味はむずかしいですねーー。
子供の頃に染み込んだ味が一生続くのでしょうか・・、となると、ファストフード店で慣らされた舌では本物は・・。
 ついでですが小説の中の一節から・・
客は、タレをほんのちょっとだけつけただけで、ゾーーッと口へ吸い込んだ。
蕎麦を食べ終えた客は、たっぷり残したタレの中に、小皿のネギとワサビいそいそと掻き落とし、そこへ湯桶のそば湯を注ぐと、
いかにも美味しそうに飲み始めた。
 タレの付け方によって4つの味を楽しんでいる、というのだ。それには、辛いタレでなくてはいけねー。というわけだ。
ときに、私は蕎麦つゆ といっているが、たれと言っている。

ネズミの動き 3-15

2012-03-15 08:17:50 | 山郷の暮し
今朝は、ようやく早春の朝と感じられる。
ワンチャンたちが「散歩だ・散歩だ。早く行こう」と騒ぎ出すのも、一日一日と早くなっていきます。
そんなに早く起きても、早々にしなくてはんらぬことはナイのですが・・・。(ここまで早の文字を6つ)
 昨日に続き、ネズミのはなし。
窓辺の机から外にいるネズミの動きが観察できた。
よくネズミは隅っこを伝わりながら行動する、と聞いたがそんなことはない。
2mほど離れたところへ一直線に移動をする。
早い。まさに一目散だ。
危険なことは承知なのであろう。曲がるなどの無駄な動きはない。
目的地点に着くと、短い首を伸ばしお目目キョロキョロ。
チョロチョロというよりも、チョコマカと絶えず動いている。
実に可愛い仕草だが、人間にとってはあまり歓迎できない。
そんなさまを、ハナはガラス越しにジーーーと見ていた。

ねずみチョロチョロ

2012-03-14 07:55:05 | 山郷の暮し
子犬のハナが来てから猫のチビクマの登場がめっきり減ってしまいました。
新参者のハナのはしゃぎように圧倒され、お隣の物置に居を構え、ときどき「ニャーーー」とやってくる程度。
それも、ハナを見ると逃げてしまう。
チビクマがゴロニャンをしているときには、ネズミの心配はなかったのですが、今年の冬はゴソゴソとする。
今日は窓辺でハナが震えながら外をじっと観ている。
「ウ!!? リスかな??(以前にアトリエにカップルが住み着いたことがあった)」
なんとネズミがワンコウの食べ残しを漁っている。
まだブルブルのハナだが、そのうちにサクラバーちゃんのごとく、バクッってことになる可能性はある。
大いに期待しよう。

東日本大震災を描く

2012-03-13 08:12:49 | 山郷の暮し
鬼怒鳴門 ドナルド・キーンさん 3-13
先日20cnほど積もった雪は、翌日には道から消えましたが、寒い日が続いています。
昨年震災地では、衣食住すべてが混乱し、凍える日々でしたね。
マイナス5-6度の今朝の低温に、足りていることのありがたさ、射しこんできたお天道様に感謝です。
先日のにゅーすで、ドナルド・キーンさんが80歳を過ぎてから・・いやいや89歳だ。
生まれ故郷の米国より、異国日本に永住権を取得する。
いくら日本が大好きだといっても、とてもとてもできるものではない。
年を得たから、生国へ戻る、ということはいくらでもあるが、其の逆である。
朝日新聞のコラムに「偽れぬ思いがあってこそで、打算や好き嫌いで踏み切れるものではない。」
強靭な精神性にはただただ脱帽、農耕民族にはない、ボヘミアンの本質を觀る気がする。

天災・人災・人間ドラマ・3-11 東日本大震災を描く

2012-03-12 09:09:41 | 山郷の暮し
地元新聞・・市民タイムス3-10の記事より

松本市の画家・岩淵龍王丸さんが東日本大震災から一年目の節目の前に、人々の被災から再起までを表現した巨大画面を描いた。
人の力を超えた地震や津波の威力、原子力発電所の事故を経験しながらも、力強く支えあう人々の姿を、
「絵巻物のように」一つの作品に表している。(有賀文香 記者)

 9枚のキャンバスを並べて高さ1.6メートル、横8.3メートルの作品にし、水彩と油彩を併用した。
昨年3月11日以降の東北の時の流れを、右から左に向かって表現し、前半は街を飲み込み生活を破壊する真っ黒な波や、逃げ惑う人々、救出活動などを描いている。
中央には生と死を象徴した「光」と原発事故の光を対照的に描き、後半を復興と向きあう人々の姿、東北の豊かな自然と伝統伝統芸能で締めくくった。
 製作を決意したのは昨年9月。それまで「震災を現地で体験をしていない自分が絵空事に表現をしていいのか」と葛藤があったが、東北でボランティアを続けている知人から「芸術家の目で表現をしてほしい」といわれて踏ん切りがついた。
さらに三ヶ月をかけて構想を練ったが定まらず、「希望や人間愛を描きたい」という強い意思の下、12月に筆を執った。
 製作には現地の地方紙を活用し「記者の目を通じてつづられた客観的な描写」を読みあさったという。思いを巡らせ、涙を流しながらの日もあった。
 どの段階を完成とするのは難しいが、発生から一年目を節目に、3月中には最終的な仕上げをする予定だ。
機会があれば、一般公開もしたいといい「作品が奮起と自信を取り戻すきっかけとなれば」と願っている。

天災・人災・人間ドラマ・3-11 東日本大震災を描く

2012-03-11 08:19:51 | 山郷の暮し
3-11
昨年のあの日は春の暖かさに誘われて、いつものコースを伸ばし、福寿草の群生地まで行った。
三時すぎに帰宅すれば、つけっぱなしのラジオがやけに騒がしい。
大地震だと言っているが、散歩中には全く感じなかった。
TV をつければ[この世の地獄だ]と、あのすざましい光景に全身が固まってしまった。
正直、想像を絶する光景に「絵にしたい!!」という思いが湧き上がったが、直ちに筆が持てるわけがない。
迷い、葛藤しながら構想を練り、制作意図を固め、大画面のキャンバス(8.3X1.6m)対峙したのが昨年12月。
ひたすら描き通し、ようやく筆を収めんと思っている。
今日は被災地の人々・亡くなられた方々・絵の中に描き込んだ人々を思い、一人「開眼法要」をします。
合掌

雪降りの朝

2012-03-10 07:17:00 | 山郷の暮し
昨夜から細雪が静かに降りつつき、いまは雨が含み始めています。
10センチ以上は積もったでしょうか。谷は真っ白な冬世界に戻ってしまった。
この時期のほうが大雪になり、二年前のブログは同じような風景になっている。
製作中の「天災・人災・人間ドラマ 3-11 東日本大震災」は、色彩のバランスなどの調整でき、ほぼ完成に近い。
どちらかといえば、創作に燃え上がっていた面白さはなく、淡々と筆をとる。
さて・・・いつ「完成だ!!」とするかソレが問題ですが、次の構想が体内に芽生え始めています。

天災・人災・人間ドラマ 3-11 東日本大震災 を描く

2012-03-09 08:29:20 | 山郷の暮し
「忍」を超えると「怒」となる
この度の大災害が東北であったことが幾分助かる・・・というようなことを復興関係者がいっていた。
とんでもない発言ではあるが、TVの視聴からしても、東北の人々の「忍」の力は並大抵のことではない。
「静寂志向」のかたがたが多いと感じる。
正直、私も「東北の方々で関係者も幾分はたすかっているのだろうなーー」
と思っている。
しかし、「忍」が切れると「怒」に変わる。
このパワーはダイナミックな動きとなり、行政の制御がきかない状態になると思う。
「怒」のプラカードで思い出すのが、鳩山由紀夫が沖縄を訪問したときの光景だ。
消極的にせよ、積極的にせよ「怒り」はエネルギーである。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本