棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

人災・天災・人間ドラマ 3-11 東日本大震災 を描く

2012-03-06 08:44:12 | 山郷の暮し
3-11 東日本大震災のあのすざましい光景ををTVで視聴したおり、正直なところ「現代の地獄図」が描けると思った。
あの日より、新聞・写真集・ビデオ等を何度も見なおし構想を練た。
しかし、「現場に行ったわけではなく、描いてはなるまい。芸術的創作とは異なる」という、妙な遠慮というかヒキ目があった。
 次々と報じられるその後の様子に、人様の目ではなく「スケッチ取材に行こうか」と思いもしたが、本質的に描きだす、絵にするということに迷いに迷い、獏とした構想だけであった。
 
 9月下旬に私の創作活動をよく知る青年からの一言が、制作をしようという気にさせた。
その青年は、大震災早々にボランティア活動に参加し続け、想像を絶する光景と、彼の地の人々の心の暖かさに感動したという。
さらに「芸術家の目であの光景と、人々を描き出してほしい。龍さんだからこそ表現する世界が観たい!!」と。
その一言から突き動かされ「描き出す」という目的で、可能な限りの報道資料に目を通す。
 

佛の顔 つづき

2012-03-05 09:00:55 | 山郷の暮し
夜中に雪が降ったのでしょう。4-5cmのベタ雪に、未明から雨にかわり、今も降っています。
春は一気にはやってきませんが、確実に暖かくなっています。
 昨日は父の命日で特にナニカをしたわけではありませんが、毎朝の散歩時の「般若心経」の読経を、より気を入れて行いました。
佛の顔について記してきましたが、私にはまだ「私自身の佛の顔」を描き出せていません。
どうしても、優れた仏像などを参考にしてしまう。(仏画などの模写的な製作はしない)
言い換えれば、石膏像やモデルを写しとるようなもので、
それはそれでいいと思うのですが、それらから力を得なくとも、沸き上がってくる尊顔がまだ描けていないと思っています。
作日、亡父の描く佛は画家では描けない佛の顔だといいました。
デッサンとか、バランスなどと絵画的なことは全く関係なく、真の生みでた尊顔で、私が目標とするものです。

弥生3月

2012-03-04 09:32:29 | 山郷の暮し
「寒い時には死にたくないなーー」と35年前に、死という言葉を初めてもらした父の命日です。
85歳で大した病もなく、自宅でスーーーと亡くなって行きました。
仏教哲学を研究し続け、特に仏様のスタイル(印)と心の関係に注目をしていました。
仏画も多く描き、70歳過ぎてから制作した「世紀姿勢曼荼羅」は全福8m近くあり、肉体と精神・主体と客体などなどの関係を
佛の世界で描いたものです。
画家とはちがう、というよりも画家では描けない佛の姿や世界が展開しています。
そんな父の遺言とも言える言葉は、「君は絵描ごときになってはいけない」
真意は今もってとてもとても理解できませんが、我が作品を観るたびに父の言葉がよみがえります。



3-3 マイブログの編集画面に進めなかった

2012-03-03 14:44:29 | 山郷の暮し
いやーーなんだかわかりませんが、エライメになっていました。
ブログの編集画面に、なんとしても切り替わってくれません。
アチラコチラ検索をして、対策をしてみましたがことごとくダメ。
gooにも問うてみましたが、よくわからない。
ふっと・・ずっと以前のシステムにしたら・・・と思いつき、ようやく投稿できました。
どうしても投稿しなくては、ということはなかったのですが、投稿できないとなるとなんともシャクなもの。
全くネットの知識などありませんが、なんとか・・・。
あーーーしんどかった。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本