棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

カリマンタンー石油の町バリクパパン

2008-05-01 17:41:16 | 海外紀行文
カリマンタン島の空の玄関バリクパパン市は、人口30万ほどだが、商店街は気が抜けるほど静かで、灼熱の光と、潮風が吹きぬける。
インドネシアの町特有の、車・リキシャ・人・屋台がグチャグチャなことがない。
しかし、幾分涼しくなる夕方から、町は一変した。
チカチカとネオンがまたたき、お美しきネーちゃんたちが、そこここに。
デパートは人が溢れ、高級車が走り抜ける。
海岸はズラーーと屋台が並び、真っ黒な海の先に、コンビナートの明かりや、石油ガス抜きの赤い火が美しい。

映画館広場の屋台で、開館待ちの兄ちゃん連に囲まれながら一杯やっていると、「コーレア ?タイペイ?」
内心、日本人とどうしていわないのか不思議だった。
というのは、木材・石油・いろいろな物資と、日本人商社マンが溢れていても不思議でわないと思ったからだ。
タクシーの運ちゃんがしきりと、いいところへ誘う。
 翌日、銀行に行くと20歳くらいの女性が、日本札2万円の両替に来ていた。
目が会うと「コーレア?」 
オレはコーレアの人たちと、かなり顔つきが違うと思うのだが・・・。
後日わかってきたことは、当時屋台で飲んだり、作業服(私の旅姿)は、コーレアの人たちで、日本人はほとんどが商社マンらしかった。

昼間みたもスリムの祈りの場が、夜は女の子もいる食堂となり、当然酒も飲めた。
臨機応変、変化自在のインドネシアでした。


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