日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

日本語を理解する為に(その10)

2007-02-24 17:39:22 | Weblog
 インドの東に、スリランカと言う国がある。そこで使用されているシンハラ語。文字が、何か、蝶々みたいだし、お尻にも見える。(タイ語のタイ文字や、カンボジアのックメール文字は、蚊取り線香に見えるが?!)
 スリランカは、仏教国。当然、僧侶に対しての敬う言い方が存在する。話し言葉と書き言葉がある。有気音、無気音がはっきりと区別され、有声音と無声音の区別も、ヒンディ一語並に、区別されている。
 順番は、日本語とほぼ同じ。母音の発音も、アイウエオと日本語とほぼ同じ。但し、英語のエの口をしてアと言う難しい言い方(英語のBAGのAの発音)が一つある。子音字+母音字の組み合わせが多く、単語の最後が母音で終わるのも、日本語と似ている。声調は、ない。しかし、LとRの区別がある。かし、声調はない。
 シンハラ語は、シンハラ語で、「シンハラ ブハ一シャワ位一」と言う。「ア一ユ一ボ一ワン」は、朝昼晩いつでも挨拶言葉として使え、さようならの意味でも使用できる。しかし、「コホマダ」の方が、親しみを覚えるだろう。「ア一ユ一ボワン」は、ヒンディ一語の「ナマステ」と同じ感じである(丁寧な言い方は、ナマステジ一と言う)。
 ありがとうは、「ステゥティイ」と言う。「私の名前は、田原です」は、「マゲ一 ナマ タハラ」と言う。「これは何ですか?」は、「メ一カ モカクダ」と言う。「どこ?」は、「コヘダ?」と言い、「トイレはどこですか?」は、「カックシャヤ コヘダ?」と言う。
 英語のIを「ママ」と言い、英語のYouを「オバ」と言う。
 1~10までを、「エカ、デカ、トゥナ、ハタラ、パハ、ハヤ、ハタ、アタ、ナマヤ、ダハヤ」と言い、11~20までを、「エコラハ、ドラハ、ダハトゥナ、ダハハタラ、パハロハ、ダハサヤ、ダハハタ、ダハアタ、ダハナマヤ、ウィッサ」と言う。


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為になるかも知れない本(その10)

2007-02-24 06:24:37 | Weblog
 昭和44年9月24日(水)曇。
 ジンクスを破った。夏休み明けの成績は、いつも悪いと言うジンクスを(暑いのは、苦手であった)。9月2、3、4日の3日間に渡って実施された第3回模試は、修猷館と修猷学館合わせて、(修猷館の生徒だとすると)9番で、数学は、91点で、3番だった。嬉しかった。例え又来年落ちたとしても、この思い出は、いつまでも残るだろう。前進、常に若者らしく希望を持って生きよう。この経験を大学で生かす。今年で浪人生活に終わりを告げる。大学生になれば、大学生としての悔いなき生活をする。医者になれば、人間味のある医者になる為に、人知れずに努力する。大学に入れば、この2年間を取り戻す為に、頑張る。自己に克った時に、初めて道が開かれる。悔いなく1日1日を過ごすことだ。努力は必ず報われる。それを信じて、俺は進む!
 
 11月22日(水)晴。
 真面目でコツコツ型の人間が大成する。俺は、俺なりの個性ある生き方をする。常に生き甲斐を感じながら過ごしたい。それには、第一に、「苦しみに耐えること」だ。苦しくても、それに負けてはいけない。まだ、希望があるはずだ。苦しいことから逃避せずに、真正面から立ち向かうことだ。第二に、「与えること」だ。世の中の為、他人の為に自分の能力を捧げることだ。自分の大切にしているものを惜しみなく他人に与えることだ。第三に、「味わうこと」だ。音楽を聴いては、絵を見ては、感動することだ。人間性を追求して、ああいい人生だと感じることだ。俺には、明日がある。明日は明るい。後4カ月足らず、最後の最後まで、力を抜かずに、コツコツやることだ。努力しても先が見えている感じのこの世の中で、俺の未来は、バラ色ではないか。無言実行。一日一日を有意義に。

 1月29日(木)午後4時20分記。
 修猷学館での授業もあますところ後わずか2日間となった。何もかも知り過ぎた時には、もう遅い時だ。勉強の方法がわかった時、俺は、二浪して、ギリギリの所に来ていた。やってみて初めてわかる。失敗して初めてわかる。それが人生なのかも知れない。

 1月31日(土)雨のち曇。
 修猷学館の授業が終了した。国語小枝・藪・柴田、英語引野・吉村・中山、数学堺・安東・内田、世界史伊東、化学田河、物理石田、いい教師(半分以上が修猷館高校の現役の先生)といい生徒(修猷学館の生徒の約4分の1が、九大合格)に囲まれて修猷学館での授業が終了した。素晴らしかった。実に素晴らしかった。無駄はなかった。幸せだった。やっと土台が出来上がった感じだ。又、落ちれば、今の方法でするだけの話だ。しかし、今度は合格する。実力が8割発揮できれば必ず合格する。4月の佐伯の春祭りには、本当の桜の花が見たい。目の前が何だか明るくなった様な気がする。


(以下は、原文には、ない。当時のことを思い出して、以下の内容を本日付記)
 素晴らしい高校と言うのは、まず、先生が素晴らしい。何よりも、生徒が先生を尊敬している。修猷館の生徒を見ていて、そう思った。しかし、生徒からの反感をかうと、教師にとっては、極めて深刻な事態となる。修猷館では、ある出来の悪い先生の場合は、生徒から完全に無視されて、生徒が、全て反対の方を向いて授業が進められるとのこと。つまり、そんな先生は、辞めざるを得ないのである。英数学館の東大クラスでは、九大の教養部の数学の先生が教えに来ていた。突飛な解き方を説明して、それで終わりだった。自分の高校の時の数学の先生の方が、遙かに上手に教えていると思った。その東大クラスで一番人気のあった先生は、修猷学館から教えに来ていた堺弥一郎先生だった。先生は、いろんな解き方を解説して、その中で、一番簡単な方法を勧めていた。この先生は、皆の勧めに反して校長になることを堅くなに拒み、教壇で最後まで教えることに情熱を燃やしていた。そんなことを知ったのは、修猷学館に来てから。残念なことに、堺先生は、肝臓癌の為に、1学期で授業を終えて、他界されてしまわれた。手術に立ち会った外科医師は、先生の教え子で、開腹した時に、こんなに悪い状態で直前まで教壇に立って教えることがどうして出来ていたのか、と周囲の人にもらしたとのこと。先生の葬儀には、実に多くの生徒が参列し、実に長い列が出来て、多くの教え子が涙した。鹿児島の私立の名門ラ・サ一ル卒の人に、ラ・サ一ルの先生のことを尋ねると、自慢げに延々と話す。当たり前だが、いい教師がいい生徒を育む。

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