日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

子どもの教育

2021-01-27 10:31:59 | 教育
 時代がどんどん変化していて、親の価値観も、変わらざるを得ない感じですが・・・。
 そんな中で、子どもの教育は、とても大切ですね。人生、100年時代となると、親にとっても子どもにとっても、子育ての結果が後から大きく響いてきますね。
 仕事で報われなくても、子育ては、報われます。いい教育をすれば、それ相応に。
 その時、「躾、しつけ」と「押付け、おしつけ」の違い、親は、自覚しておくべきだと思います。
 躾は、身を美しくすると書いて、字の如く、親が子に、生きる上での基本的なことを教えること。挨拶をすることや箸の持ち方などは、躾ですね。
 押付けとは、字の如く、教えられる方は迷惑に思っているのに、周囲から押しつけられることですね。子どもに小さい時から、いやいやながら英才教育をさせるのは、おしつけではないでしょうか。正に、しつけにおがついたものは、不必要なおしつけでは。
 今の時代は、「しつけ」と「おしつけ」を混同している感じがします。昔の様に、三世代が同居していると、いい躾が出来ることが多いと思うのですが、核家族では、それは、難しいですね。
 核家族で、親が仕事に出ているとなると、尚更難しいですね。それに、飽食の時代で、モノが豊富になっていると。
 貧困だと大変ですが、大金持ちでも、それなりに、(贅沢をさせるので)躾が難しいですね。
 大人になっても、挨拶出来ない人、時にいます。本人にその自覚があるのかないのか、定かでないですが、朝、夫婦でも、「おはようございます!」と元気よく言えば、お互いに気持ちのいい1日の始まりになると思うのですが。
 職場から帰る時には、誰にも差別なく、「お疲れ様でした。」「先に失礼します。」との言葉、大切と思うのですが。
 これって、職種や地位に関係ないですね。
 その基本は、やはり、小さい時からの家庭教育ですね。
 高学歴なのに、基本的な挨拶が出来ない人、時にいます。で、誤解を受けていること、少なからずあり、本人も、それで損をしていると思うのですが・・・。
 オウム真理教が世間を騒がせました。高学歴の人、多かったですね。学歴と社会的常識は、関係ないと言うことでしょうか。
 私が思うに、オカルト宗教に入る人、素直な人が多い感じがしています。異端視されている宗教を信じている人と直に話すと、ホント、素直なんですね。客観的に見る知恵が生きる上では、必要ですね。ちょっと退いて、自分を客観的に見る目が必要ですね。
 宗教でなくても、いろんな領域で、不合理なことをしているケース、あるのではないでしょうか?!中にいると、分からなくなること、確かにあると思います。政治の世界でも、経済の世界でも、医療の世界でも、教育の世界でも・・・。

*写真と上の内容、関係ありません。置炉で、お点前の稽古をしている次女です。20年以上前に私が撮った写真ですが。
 (1月27日、一部修正して再掲)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンガーマネジメント

2021-01-25 10:34:31 | 教育
 アンガーマネジメント、コロナ禍の中で、この「アンガーマネジメント」なるもの、大切かも知れません。
 時々、立て続けに叱っている人を見かけます。これって、言われている方、素直に聞いているかどうか、はなはだ、疑問ですね。
 あるアメリカ人が、日本の中学生のクラブ活動を見て、「これ、軍隊?!」って感じで、驚いていましたが・・・。
 教師が生徒を頭ごなしに叱る光景、しばしば、見てきました。私なりには、これ、良くないと思ってきています。
 「6秒ルール」と言うのがあって、6秒間、言うのを止めてみること、大切だと思います。
 子どもに茶道を教えたり、太鼓を教えたり、篠笛を教えたり、医学生や看護学生に教えたりと、教える立場になって、いろいろしてきましたが、一貫して、生徒のプライドを傷つけない様に、気を付けてきました。生徒の身になって、教えてきました。生徒の皆さん、幸いに、私に付いて来てくれました。
 職場の上司と職員の関係も、親と子の関係も、同じだと思います。

以下は、再掲ですが・・・→
 平成12年、大川市の教育委員会から特別非常勤講師に任命されて、1年間大川市立道海島小学校の小学4年生~6年生全員に、「篠笛と和太鼓(盆踊りを含む)」を教えました。
 そこで、私は多くのことを学びました。又、そこの学校の先生方も多くのことを学び、そのことで研究発表までしています。つまり、太鼓で学校全体の雰囲気が明るくなり、はっきりと変わったのです。
 具体的には、一人一人が積極的になり、授業中によく発表する様になったのです。よく挨拶する様になり、礼儀正しくなり、又、チームワークを大切にして、相手の立場になって考えることが出来る様になったのです。
 そして、何よりも各児童が自信を持ち、アチコチで演奏したくて仕方ない状態にまでなったのです。
 学校の体育館で、平成12年4月から始めました。6月頃に生徒にアンケートを取ってみました。それによれば、「楽しくて続けたい」と「きついから、出来たら止めたい」の意見がほぼ半々でした。学校での総合学習では、生徒は好き嫌いに関係なく、全て受けざるを得ませんでした。しかし、時間外の(大人も募集して)道海太鼓チームとしての練習は、自由参加でした。兎に角、夏の大川市民総盆踊り大会に間に合わせる為に頻回に練習を重ねました。
 そして、その市民総盆踊り大会の時、夏に一生懸命に練習してきた子ども達が、自分と一緒にカッコ良く打てたのです。大人から絶賛されたのです。練習をあまりして来なかった子ども達の前で。
 それからです、太鼓がいやで乗り気に打って来なくて市民総盆踊り太鼓に参加できなかった子ども達が、目の色を変えて練習に励む様になったのは(校長先生の談話)。二学期からは太鼓演奏で誰一人、嫌がる子はいなくなりました。
 市民総盆踊り大会だけでなく、老人施設への慰問や秋の体育際や大川市最大の祭りである「大川木工祭」や卒業式など、子ども達は大いに活躍し、大拍手をどこでも受けました。お年寄りが涙を流して喜んでくれたことで、子ども達も大いに燃えました。秋の体育際や木工祭りでは、子ども達と一緒になって、私も楽しく演奏しました。
 今でも、まだ、私の創った「個性と調和」の太鼓の曲を道海島小学校の子ども達はそのまま演奏し、又、市民総盆踊り大会の時にも毎年、盆踊り太鼓を打っているかどうか、定かでありませんが・・・。
 学校までの送り迎えを、そこの学校の先生方からよくして頂いてましたが、その時、担当の男の先生が、深刻そうな顔をして、私に、次の様に言ったことがありました。
「田原先生、一つだけ心配なことがあるんですが」と言う。「何ですか?」と聞きますと、「生徒から馬鹿にされてないかとヒヤヒヤしています。生徒の方が覚えがいいので・・・」と言われました。その時、私は、「子どもが覚えがいいのは当たり前です。子どもは天才ですから」と言いました。
 又、別の担当の女の先生から次の様に言われました、「私達が注意してもなかなか聞かない。しかし、田原先生が話す時、皆、真剣に聞いている。どうしてですかネエ」。私は言いました、「小学校4年生になると、自分よりも出来る人を尊敬する傾向にあるんですヨ。それまでは一緒に遊んでいれば、それだけで充分だったんですが。小学校4年生になると生徒以上にはっきり出来ることをしばしば見せる事が必要と思います」と言いました。
 私は、生徒の前で決して叱りませんでした。「素晴らしい、覚えがいい」、そして訂正すべき時は、「それでもいいけどこうした方がもっといいかな」。何度しても出来ない時は、「簡単に出来そうで出来ないのが太鼓。練習すれば必ず出来る様になる」。そして、時々言いいました、「練習は本番、本番は練習」。「上手になる人と下手な人の違いは一つしかない、それは、出来る人は皆の見てない所で一生懸命に練習している。ここでの練習時間は、限られているから、たいしたことない」と。
 教師たる者の教えるコツは、その楽しさと、努力すればどんな子も、必ず上手になることを、出来るだけ早めに気付かせることが大切だと、今でも、思っています。
 子どもは、どの子も、天才ですから。

*https://mynavi-agent.jp/dainishinsotsu/canvas/2021/01/post-38.html(←アンガーマネジメント)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校を作る

2021-01-21 10:20:05 | 教育
 ニュージーランドのオークランドに行った時、いろんな話を聞きました。
 生徒が集まらないと、学校が潰れる・・・生徒は、学校が自由に選べるので、人気がないと、その内、無くなってしまう・・・そんな学校が多いって話。語学学校にしても、再び、その学校に行こうとしても、なくなっていること、少なくないって話でしたが・・・。
 それで、生徒も、父兄も、学校も、皆、一生懸命で、そこには、自由と共に、実績を重んじている感じがしました。
 その点、日本は、確かに、非識字率は0ですが、先進国にふさわしい教育が行われているかと言われれば、どうでしょうか・・・?!
 入学する為の勉強となっていてケースもあって、与えられたものを短時間で素早くこなすことが最優先され・・・生きる上で大切な、自分の頭で考え、多くのことに疑問を抱き、回答のないものを自分なりに結論を出す訓練が後回しにされている感じがしてなりません。
 小学校、中学校、高校と上がる時に、例えば、歴史の内容、同じ内容が繰り返されるのを経験して来ました。そうでなく、生徒の要望に応じて、いろんな勉強がされてもいいのでは・・・もっと勉強したい子も、付いて来れない子も、不幸な気がしてなりません。
 短い時間で、教師が全てを教えることは土台無理で、その教科の面白さを生徒に伝えることが一番大切だと常々思っていますが・・・更には、学校は、自分でしたことを確かめる場にしては・・・受け身では、興味があまりわかない感じですね、それに、受験となると、面白さが半減します。
 ・・・で、行き着く最終の考え方として、学校を新しく作るって発想になるかと思いますが・・・国公立では期待できない感じで・・・今からの時代、私立の中に、ユニークな学校がどんどん出来てもいいと思ってはいるのですが・・・。
 ↓↓今の時代、凄い学生さんもいるんですね!
https://toyokeizai.net/articles/-/367260(←中学生が学校を作る!)

*2008年9月12日、アメリカの「CNN」で、撮っています。

(1月21日、記載)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもは天才!

2020-10-08 10:36:16 | 教育
 私の経験からですが→大川のある小学校で、4年生から6年生まで、全員に、篠笛と和太鼓を、そこの教育委員会から、非常勤講師と任命して頂いて、教えました。大人も教えましたが、大人のトップが、子どもの最下位と同じレベルでした。
 4年生から6年生って、覚えがホントいいですね。驚きました。50人いると、1~2人ぐらい、とても覚えのいい子がいますね。1を知って10を知るって感じの子が。聞くと、この子たち、成績も、良くて、何にでも、積極的だとか。
 茶道も、近所の子どもに10人ほど、自分の子も含めて教えましたが(子ども茶会も何度もしましたが)、皆が出来ると、遅れまいとして、一生懸命になっていましたね。小学生で、茶箱も上手に出来ていました。正に、子どもは天才ですね。
 教師やそして親は、面白さを教え(これだけでも、充分かな)、出来たら褒めて自信を持たせること、それに、いい機会を作ってあげること、それに、子どものやる気をなくさない様にすることが大切ですね。

*写真は、2014年2月に(家内と一緒に行った)ドバイで有名な建物から撮ったものです。下に、囲まれた細くて長い通り道が写っています。ここを通って、「ブルジュ・ハリファ( برج خليفة‎ ブルジュ・ハリーファ)に行くので、暑い時も、大丈夫です。夏は、40~50度にもなります。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学の在り方・・・

2020-09-25 09:52:54 | 教育
 大学の在り方ですが・・・→
 まず、チャンスを、春と秋の年2回にしては、如何でしょうか?
 大分県別府市にあるAPU(アジア太平洋大学)では、開校してから、ずっとそのパターンを採用していて、就職率もほぼ100%で、注目を浴びていますが・・・(←生徒の4割が、海外からの留学生で、英語で講義が行われていますが・・・)。
 大学入試は、どうあるべきか、やはり、落とす為の試験でなく、大学に入っても、付いていけるかどうかを問う試験であるべきで、大学に入っても、基礎学力が出来てなくて、補習をしている大学もある何て、本末転倒ですね。
 今の大学入試では、受験テクニックが問われるウェートが大きく、他人と差が付く問題がしっかり解けて、答えのある問題を如何に短時間で解くことが出来るかの(それも、難関校となると、全科まんべんなくって感じの)能力を試す試験になっていますが・・・それに費やすエネルギーは、その子どもの将来にとっては、無駄を含めて膨大で、そんなエネルギーをもっと有意義に使った方がいいのではと、私自身は、思っているのですが・・・。
 若い時から、海外でホームステイをして異文化に接触したり、自然と一体になった感じの体験学習をしたり、新しいことへの挑戦をしたりと、受験勉強以外にするべきことは、若い時であればある程、沢山あると思うのですが・・・。
 APUの学生さんに聞いても、自治医大出身の人に聞いても、同級生がアチコチから来ているので、とても面白い(楽しい)と言われていました・・・中高一貫教育を受け、又、入った大学に同じ卒業生が沢山いるとなると、少し問題ではないかと思っているのですが・・・?!
 ドイツの様に、大学のレベルに、殆ど差がない感じにしては如何でしょうか?大学に入っても、国内留学が簡単に出来て、そこでもしっかりと単位が取れ、更には、入った大学と卒業した大学が違っていてもいいとしては如何でしょうか?
 つまり、旧帝大の大学を全て、大学院大学(大学卒業後に入学)にして、高度研究中心の大学にしては如何でしょうか。
 例えば、九州で言えば、国立大学に関しては、九大以外では、同じ学部や学科では、N大が上とかK大が上とか、言わない傾向にあります。小児科や産科の集約化と同じで、研究は、大学院大学に集める感じにして・・・他の大学では、例えば、医学部では、研究よりも教育と臨床、特に教育に、専念してもらった方がいいのではと思っているのですが・・・(←全ての医学部に、研究・臨床・教育の3つを同時に求めるは、無理な感じがしていますが・・・)。  
 以上は、大学の在り方に関して、以前から抱いている私の提案です。
*写真は、2005年07月14日、カナダの(私が1ヵ月通った)トロント大学で撮ったものです。
javascript:void(0)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

30人クラス・・・

2020-09-24 10:17:44 | 教育
 菅内閣になって、教育改革の中で、40人クラスを30人クラスにしようとの動きが出ています。大歓迎です。30人でも少し多いくらいに思っていますが・・・。
 イタリアのフィレンツェで、イタリア語の研修を受けた時、カナダのバンクーバーやトロントで、英語の研修を受けた時、クラスの人数、20人越えなくて、それ以上だと、又、1クラス作る感じになっていました。
 「コ」の字型に生徒が座って、先生から、常に、全員の顔が見える感じで講義が行われて行きました。もちろん、居眠りする人なんか、誰もいませんし、出来ません。先生は、一人一人の顔色を見ながら話し、正に、マンツーマンの講義でした。
 ある看護学校では、1クラス40人でしたが、そこでも、30人だといいなあと教育関係者の間で言われていました。
 学校教育では、塾に頼らず、学校中心に教科の勉強を進めてもらいたいものです。学校のことをしっかりしていれば、学校での定期試験に合格出来、又、その延長上の資格試験にも、合格できるべきです。
 日本では、学校のことだけでは、入学が難しく、学校に入学しても、卒後、資格試験に合格する為には、又、それなりの試験勉強をしないといけないなんて、おかしいですね。それが、延々と続いているのが、日本の現状です。
 医学教育に関して言えば、厚労省と文科省がもっと縦割りを改善して、資格試験の在り方を改善して欲しいと思います(←今は、資格試験でなく、一定の割合を落とす為の試験では?!)。

*https://news.yahoo.co.jp/articles/9a9cc30d1b68b29dc69c93da8de9d9510e56485b(←30人クラス)
*https://www2.tecomgroup.jp/igaku/topics/kokushi/114result/(←毎年、1割ほどが、不合格になっています・・・)
*写真は、茶箱「月点前」で、内容とは関係ありません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏休みの課題・・・

2020-08-26 09:07:02 | 教育
 今年の夏休み、コロナ禍で、短縮されているのに、塾に行ったり、宿題が沢山あったりと、子どもによっては、スケジュール一杯で、時間に追われているケースもあるかと思いますが・・・
 「自問自答」の課題もいいと思うのですが・・・。
 藤井棋聖が、夏休み、詰め将棋の問題を作って、宿題をごまかした、何て、言われていましたが・・・?
 テレビの放映内容で、小学生が、自宅の庭の雑草を如何にして育たない様にするかの難題に取り組んでいました。それも、今年で3年目で、ずっと試行錯誤をしていて・・・
 →で、結局、塩をまいたりして、いろいろ試みるも、何をしても、自然の力にはかなわないと言うことを学び、踏みつけるのがいいのでは?と言うことで、毎日、足で踏みつけていましたが・・・その間、いろんな事を勉強して、雑草のことなら何でも聞いてって感じになっていました・・・凄いなあ!
 そうですよね、与えられてするよりも、自分で問題を作って、それを解いて行く方が、数段、楽しいに決まってますね。今は、インターネットを調べれば、簡単に知識がどんどん増えるし、いろんな事が学べるし、いい時代ですね。
 子どもの時から、自分なりに問題が作れて、それを解決しようと努力する姿勢、メチャ、大切だと思います。
 教育なんて、長い長い目で見る必要がありますね。今は、グローバル化の時代、人生100年の時代ですから。

*写真は、令和元年8月16日に撮ったものです。私が孫二人に教えています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

専門〇〇・・・

2020-07-14 09:13:42 | 教育
 専門〇〇って言う人、います。特に医師に多い感じがします・・・(←私も、その中の一人ですが・・・)。まあ、それだけ専念している専門家と言うことで、見方によっては、素晴らしいことかも知れませんが・・・。
 スナックのママさんが私に言いました、「〇〇の院長先生、ホント、話していると、医学以外のこと、何も知らないって感じで、驚きますね。素直で、人を疑うことなくて、世間の事、何も知らない感じで・・・医学に関しては、詳しいんでしょうが・・・」。
 開業医の〇〇先生、仕事以外に趣味はなく、花の名前は、バラしか知らなくて(?)、朝から晩まで、仕事で仕事で(勉強勉強で)、日曜も、そんな感じで・・・。奥さんと海外旅行なんて、聞いたことない。(←そこに勤めていたナースが、私に言った内容ですが)
 クラブのママさんが私に言いました、「女癖の悪いのは、次の3つ、医者と学校の先生と警察官!」普段、真面目な顔をしていないといけないので、その反動でしょうか・・・?!
 医学部の教授に付いて、K1大学卒のあるドクターが私に、「K1大学の教授で、まあ、皆、研究で上に立っているだけで、臨床は、別で・・・人間的に尊敬できる教授、一人だったかなあ・・・」と。(私としても、他の人の意見を入れても、K2大学医学部に一人、M大学に、一人、立派過ぎて、傍にいるだけでも、緊張してしまう程の尊敬できる教授がいましたが・・・その教授のエピソードが、医学生の間で、語り継がれていましたが・・・。)
 私の知る限り、〇〇科の教授で、いい趣味を持って、いい人間関係を持って、余生を生き生きと過ごしている人、いません・・・?!
 資産運用などで勧誘する時、学校の先生と医者が、一番、騙しやすいとのことらしいのですが・・・?!
 そうですね、医師を例にして、医師になるまでの現実の今の姿を見てみると・・・
 →小さい時から勉強、勉強で(競争競争で)、塾などに通って、受験勉強中心の生活で、難関の医学部に入学しても、浪人して入学することも多く・・・それに、入った大学、同じ高校出身の人が沢山入学しているケースが多いですね。
 九州の医学部だけを例に取ると、今年(!)、九州大学では、久留米大学附設高校が、熊本大学では、熊本高校が、鹿児島大学では、鶴丸高校が、大分大学では、上野丘高校が、長崎大学では、青雲高校が、琉球大学では、昭和薬科大学附属が、それぞれ、全体の20%以上(!)も占めていますね!他の全国の大学でも、医学部では、数少ない高校が大半を占めている所が多くなっていますが・・・。
 一方、自治医大出身のドクターが言っていましたが、「全国からくまなく来ているので、いろんな話が聞けて、実に、面白かった。でも、同級生の結婚式に出席するのに、遠くて・・・」と。
 (医師国家試験が難しくなった為)大学入学当初から、予備校の延長みたいな感じで、国家試験を意識して、勉強勉強で、それでも、留年も多く・・・(厚労省の方針で、医師国家試験、2割ほど意図的に落として?!)晴れて、医師免許を手に出来ても、初めの2年間は、前期研修期間で、思いと違って、しっかりとした教育制度が出来てない所が多く、それに、医学は日進月歩で、覚える内容も、昔と比べると、凄い量になっていて・・・真面目に考えると、落ち込んでしまいます(←事実、研修医に鬱の人が少なからずいるみたいで)。
 それで、患者の気持ちが理解できる、いい医師になるのって、難しい感じですが・・?!
 私の同級生が、医者にかかっても、こちら見てなくて、パソコンやレントゲンばかり見ていた・・・何て、不満を言っていましたが・・・。
 文科省と厚労省が一緒になって、今の現実を深く反省して、今の時代に合う教育制度に、早急に、変えて欲しいと思います。純粋な気持ちで、患者さんの為のいい医師になろうとしている若者の期待を裏切らない為に。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育雑感・・・

2020-07-09 09:05:01 | 教育
 教育って、本来は、どうあるべきでしょうか?
 改めて、考えて見ると、奥が深いですね・・・学校の先生に尋ねてみると・・・→中学3年生の時、英語のK先生が、「教育の目的とは、人格形成の為」と言われたのが印象的で、ずっと、教育とは、人格形成の為なんだと、思って来ていましたが・・・→
 しかし、当時は、団塊世代、競争競争で、試験が終わると、1学年500人以上いるマンモス校で、100番まで、成績をずらっと張り出していましたが・・・内心、こんなことで、人格形成が出来るのかなあと思ってはいましたが・・・。土台、入試なんて、どんなに頑張っても、合格する数は決まっている訳だから(→落とすための試験)。
 高校に入ると、それが更に加速してきて、補習が多く、夏休みや冬休みもかなり削られ、勉強とは、我慢するもの、競争は避けられないものって感じになっていました。
 で、そんなに理不尽な高校生活をしてきたのに、高校3年の時のクラスの約半分もが浪人し、大学にストレートで入った人達も、学生運動に少なからず加わったりして、留年多く、これって、教育、一体、何なんだろうか・・・と考え込んでいましたが・・・。
 日本の教育は、皆で渡れば怖くないって感じで、家庭も学校も、周りに流されて行くのが主流になっている感じがしてなりません。
 反抗期もない感じで、自分の進みたい道を断念して、親の進めるままに進路を決め、学校の先生の勧めるままに学校を受験し、何も疑問を持たずに(何を学びたいかではなく、如何に楽をして、留年しないで卒業出来るかを考えて)学校を卒業して、社会人となり、そこで、初めて、これで良かったのか、何て考えても、遅いのでは、いや、それに気が付くだけでも、いいのかも知れないかな・・・?!

https://www.youtube.com/watch?v=ifzuf3lUgco(←教育とは)

*写真は、佐伯市の茶室「汲心亭」で、茶箱のお点前をする次女。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする