日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

人生は、カキクケコ

2006-08-31 07:37:10 | Weblog

人生は、歳をとっても、カキクコケでありたい
「カ」は、感動
「キ」は、緊張
「ク」は、くつろぎ
「ケ」は、継続
「コ」は、好奇心
子どもで一番大切なのは、好奇心

私の理想とする社会人は、
「カ」は、感謝の気持ちを常に持っている
「キ」は、気配りの精神を持っている
「ク」は、苦しいことから直ぐに逃げない
「ケ」は、謙虚である(自分に厳しく、他人に寛容)
「コ」は、個性的な生き方をしている
ある僧侶が言っていました、
生きる上で一番大切なことは、
「思いやり」と「実践」だと。

勉強の仕方は、
「カ」は、家庭学習(予習を含む)
「キ」は、教室(教科書も大切)(授業中、集中して聴く)
「ク」は、工夫(自分なりに、いろいろと工夫して楽しむ)
「ケ」は、継続(強い気を持ち続けることも大切)
「コ」は、志を立てる(崇高な目的を持つべし)
世の中に出れば、自分で問題を作って解くしかない。
自分にいい問題を作る練習を小さい時からしておくべし。

小児の救急医療では、
「カ」は、仮死
「キ」は、気管支喘息
「ク」は、クループ
「ケ」は、けいれん
「コ」は、呼吸窮迫症候群
それに、熱があれば、髄膜炎、不機嫌であれば、腸重積症

いい病院とは、
「カ」は、金儲け手技でない
「キ」は、気配りがうかがえる
「ク」は、車を置く所が充分にある
「ケ」は、検査が、必要以上に多くない
「コ」は、混まない(待ち時間が少ない)

患者さんから見て、いい医師とは、
「カ」は、看護師さんに、人気がある
「キ」は、気さくである
「ク」は、苦しみをよく理解してくれる
「ケ」は、謙虚である
「コ」は、個人個人を一人一人大切にしてもらえる
    (話をよく聴いてくれる)

いい病院食とは、
「カ」は、その人に応じて、カロリーがきめ細かくされている
「キ」は、(見た目が)きれい
「ク」は、口に合う(おいしい)
「ケ」は、計画的(ワンパターンでない)
「コ」は、心遣いが感じられる
    (食事が選らべたり、時々、メッセージあり)

いいスナックとは、
「カ」は、金をぼらない
「キ」は、客筋がいい
「ク」は、口が堅い
「ケ」は、謙虚(客の話をよく聞いてくれる)
「コ」は、恋人がいないらしい(後ろに男がいると、客は逃げます)
精神科医(心療内科医)の最大のライバルは、
飲み屋(居酒屋)のおばちゃん(熟女)とか?!

私の考えるいい妻とは、
「カ」は、金遣いが荒くなくて
「キ」は、近所付き合いが上手で
「ク」は、苦労を喜んで共にしてくれて
「ケ」は、健康で
「コ」は、子育てが上手

私にとっては、こんな部下(女性)がいいけど、
「カ」は、かれんで
「キ」は、気が利いて
「ク」は、口数が少なくて
「ケ」は、謙虚で
「コ」は、それでいて個性的
仕事の出来る人は、気が強い人が多いですネ・・・?!

地域を活性化するには、
「カ」は、観光に力を入れる
「キ」は、企業を誘致する
「ク」は、組合と理解し合う
「ケ」は、(皆が)結束し、計画的に
「コ」は、交通の便を整える(子育てが上手く出来る様に)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

整形外科医との会話

2006-08-30 18:21:31 | Weblog
(ある整形外科の若い先生との話)初め、骨に(鋼線を)通すのを見て、こんな残酷なこと、自分には、とても出来ない感じで、先輩のを見ていた。それが、しばらくすると、不思議に、出来るんですよ。骨折で来ると、「ごめんね、痛いけど我慢して」なんて言って、時々、方向を間違えて又し直しをしたりして、「ごめんね、今度うまくいくから」なんて言って、やり直すことがある。今は、すごいスピ一ドで、サッサッサッと通してしまっている。麻酔しても効かないんで、急ぐ時は、しないこともあります。骨折で、強引に引っ張っても、初めからうまくつながらなくて、何回か引くこと、結構あります。「ごめんね、痛いね」って言いながら、すごい力で引っ張っている。人間も、ほんと、残酷になれるもんですネ。自分でも驚いています。3カ月で、慣れてしまった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望を語る言葉

2006-08-30 17:56:02 | Weblog
  ある落語家の「希望を語る言葉」より(一部引用)、・・・東京で2部上場に上がった大きな会社の社長さんとの話。

「従業員3000人、素晴らしいですネ、これを一人で築くとは。立派の一言です」。
 「いやいや、恥ずかしい。ちっともそんなことはありません。社員の皆さんが、私の3倍、働いてくれたおかげです。そして、応援をしてくれた多くのお客様のおかげだと思っています。私の力ではありません」。
「大学は、どちらを出られましたか?」。
 「出てないです」。
「高卒ですか?」。
 「人生は、学歴ではないと思う。情熱だよ、やる気だよ」。
「社長は、普通の高校ではなかったでしょ」。
 「普通の高校です」。
「いや、社長は、いつ会っても、腰が低いじゃないですか。低姿勢高校(定時制高校)でしょう」。
 彼は、高校3年間、勉強など、殆どしていない。毎日、喧嘩、喧嘩に明け暮れている。今でも、骨太の83Kgと言う、立派な体。負け知らずだった。カバンを持って高校に行った記憶がないと言う。毎朝、弟分が家まで来て、カバンを持って行ってくれたとのこと。3年間で、4回も、停学をくらっている。その社長さんが、50歳になって、同級生を集めて同窓会を開いた。発起人がその社長さんだった。

 ・・・これから、恩師の先生方がぞくぞくと入場する。その前に、発起人だから、一言だけ、この話をさせてもらいたい。私は、高校時代、喧嘩しかやらなかった男だった。今日は、あの時に殴った人も、沢山この会場に来てもらっているから、後で、一人一人に誤りに行くけれども・・・。
 卒業式のちょっと前、校長先生に、校長室に呼ばれた。あのハゲチャビンに。あの時、俺は、思った。
 「このハゲチャビンが、卒業式の前に、俺一人を校長室に呼んだかと。いい度胸をしているハゲチャビンじゃのお。今日は、サシで勝負じゃ。とことんくるわすど」と。校長室のとびらをガラガラと開けたら、「開けたとびらは、ちゃんと閉めにゃいかん」と言われた。
 「ようし、閉めた方がなぐりやすいが」。閉め終わったら、「君には、悪いが、この校長室のカ-テンを全部閉めてくれ」。
 「よ-し、とことんやる気でおるな」。カ-テンを閉めながら、
 「60を過ぎた老いぼれじいさんやらよ、先に1発を殴らせてやるから、そのお返しに、10発まとめてお返しをするでね」。ポケットに手を突っこんだまま、奥歯に力を入れて、
 「やってみらんか、ハゲチャビンが」と言わんばかりに、顔を前に突き出したら、校長先生が、「今、君の前に立っている男はネ、校長じゃない。一人の男だと思って話を聞いてくれ。この3年間、いろんなことを、君は、一生懸命やってくれた。先生方は、君の事で頭をかかえとったが、私は、違った。私は、君の事を評価しとった。この男は、凄い男だと。この誰にも負けない体力、こりゃ、日本一の体力を持っている男だと。この燃える様な情熱も素晴らしい。じゃが、今は、たまたま、この体力と情熱が、暴力の方に走っとるだけじゃと、私は、いつも、そう、思っとった。明日から君は、社会人だ。社会に出たら、君のその体力と情熱を暴力なんかに使ってもらいたくはない。君のその体力と情熱があれば、君だったら、どんな苦しいことがあろうが、必ず乗り越える事が出来るはずだ。この学年で、いや、この学校で、一番出世をする男は、君しかおらんと私は、信じとるぞ。頑張れ、さあ、卒業式に行こう」。話は、それだけだった。

 (卒業してから、この社長さんには、どうしよもない困難が待っていた。その度に、頭を寄切ったのは、校長先生の言葉だった)。「君のその体力と情熱があるんだったら、君だったら、どんな苦しいことがあろうが、必ず、乗り越えることが出来るはすだ。頑張れ、キバレよ、君は」。その校長先生の言葉が、いつもいつも、人生の応援歌となって、私を後押ししてくれた。だから、私は、一代で、こんな大きい会社を作ることが出来ました。永い間、校長先生を捜していた。一言、お礼が言いたかった。やっと見つかりました。89歳で、御健在だったんだよ、みんな。
 そう言ったら、それを聞いた同級生は、「オイも言われた」「オイも言われた」「オイも」「オイも」「オイも」と、皆、手が上がり、早い人は、入学して、10月の初めに、もう、校長室に呼ばれていて、一番最後が、そのどうしようもない、番長だった。だから卒業式のちょっと前になっていた。
 しかし、同級生は、「素晴らしい校長先生じゃっど、オイ、大きな拍手で迎えっど」と、同窓会は、盛りに盛り上がった。

 希望を語る言葉は、こんなにも人間を伸ばす力がある。どんな時代になろうが、常に心を積極的に持って行って、日々感謝歓喜に満ち溢れる気持ちで、常に自分自身に、勇気と希望の沸く言葉をどんどん見つけると、人生に素晴らしい出会いが待っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒柳徹子さんの生き方

2006-08-30 07:32:38 | Weblog
黒 柳 徹 子(昭和62年4月5日の毎日新聞掲載の彼女のエッセイより、この原稿を今も大切に保存しています)

 もう30年近く(正確には、半世紀近くとなるが)、私は病気をしていない。
 特にこの12年間は、「徹子の部屋」という毎日のテレビ番組を持っていて、更にその前に、3年間の、これも毎日のナマ放送の司会をしていたから、合計で15年間、毎日テレビに出ていることになる。
 その間、だたの一日も病気で休んだことがないというのは、自分でも(他に、自慢出来ることなどないけれど、なかなかのものだ!)と思ったりしている。
 私は、30年前の「あの日」から病気をしなくなった。

 私は、NHKで、テレビの為の養成を受け、NHKの専属のテレビ女優として、この世界に入った。初めの頃は、「お前の個性は邪魔だ!」と言われて、ずいぶん悩んだ時期があった。
 個性が邪魔と言われても、若い私には、自分の個性がどういうものなのかもわからず、ただオロオロとスタジオの隅で過ごした。

 「もう、帰ってもいいです!」と降ろされて、一人だけ、スタジオの外の廊下で、同級生の俳優たちの終わるのを、本を読みながら、待っていたことも、しょっちゅうだった。

 その内、世の中が、突然、「個性の時代!」に入った。とたんに、みんな、「さあ、貴女の個性を出して下さい!」と言い、仕事は次から次と押し寄せた。
 私は、途方に暮れた(出しなさい、って言われてるものが何なのか、わからない!)。それでも、私は、皆の言う通りに、一生懸命にやった。
 寝る時間は、殆どなくなった。
 
 ある日、私は、「過労」と診断され、その日の内に入院ということになった。

 どの番組のディレクタ-も、「自分のだけは、休まないで」と言った。でも、お医者様は、「死ぬよ」と言った。

 私は、仕方なく、全部のテレビとラジオのレギュラ-番組を休んで入院した。先生が、テレビを部屋に入れて下さった。
 当時は、全ての番組がナマ放送だったから、私は、私がいないとどんなことになるかしら、と心配しながら自分の番組を見た。

 私が司会をしていた番組に、私の知らない女の人が出て来て言った。 「さあ、今日から、当分、黒柳さんの代わりに私がやります。さあ、始めましょう!」。それだけだった。
 私が、渥美清さんと夫婦をしているドラマでは、隣の奥さんの役の人が、渥美さんに聞いた。
 「奥さん、どうしました?」。渥美さんが、答える。「実家に行っています!」。そして、ドラマは、私なしに、どんどん進んで行った。
 
 他のものも、似たりよったりだった。

 私は、ブラウン管を見つめながら、考えた。 「・・・実家に行ってます」---この言葉が、耳から離れなかった。

 1カ月後に、病院を出る時、私は、はっきりとした考えを持っていた。
 一つは、もう、絶対に病気をしないこと!。
 もう一つは、自分しかやれない仕事をなんとか見つけよう!。
 
 私は、先生に聞いた。
 「死ぬまで、病気をしないのは、どうやるんですか?」
 
 先生は、笑って、「生まれて、初めての質問だな」と言ってから、こう言った。
 「一つしかない。自分の好きなことだけ、やるんだな。自分が進んでやろうとする時には、どんなに疲れていても、寝れば、治る。いやだいやだと思いながらやっていると、疲れは寝ても取れない。やれるかい?」

 名医と言われる先生のお言葉だった。
 私は、そうしようと、心に決めた。

 あの1カ月は、私に、人と自分を比べることの愚かしさ、命の大切さ、いつも自分らしくあること、なども、しっかりと教えてくれた。
 
 人生の入り口にボンヤリ立っていた若い私には、こんな当たり前のことでも、早く教わったのは、有り難かった。

 あの退院の日に、私は、少し、大人になった。

                          
*ある人の話では、黒柳徹子さん、玄関に入ってから、応接室で話をして、その用事が終わって、玄関のドアを閉めるその直前まで、ズ-ッと、途絶えることなく、話をされるとのことです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒柳徹子さんのお母様が、旅立たれました。

2006-08-29 21:06:15 | Weblog
  黒柳徹子さんのお母様である黒柳朝さん95歳が、8月16日にお亡くなりになられた。自由に生きることを愛した人で、70歳から、執筆家として活躍していた。今の黒柳徹子さんの生き方は、正に、母親譲り。
  最後に、「じゃあね」と言って、先立たれた生き方、黒柳徹子さのお母様らしいと思う。
  実話で、医者の母親で、かなり自由に生きていた人がいて、息子(医者)の忠告に反して、最後まで、好きな煙草も吸い、ワインも飲んで、最後に、「ああ、これで、悔いは無い、じゃあ、又、あの世で会いましょう」と言って、ニッコリ笑って、安堵の顔で死んで行ったそうな。
  そんな感じだったのだろう。
  自分も、死ぬ時に、人を笑わせる感じで、旅立ちたいなあ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする