日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

西洋医学の死角

2007-08-31 15:46:15 | Weblog
 8歳の女の子が土曜の夕方に紹介で来た。4日目で、40度の高熱で、稽留熱で、目が赤く、顔色赤く、手足も熱く、脈は強く(洪脈、浮脈、数脈さくみゃく)、舌は、白苔厚く(不見底)、紅舌で、カラカラの脱水の舌をしていて、元気ない。口蓋扁桃は、白い浸出物が著明。
 ロセフィンなどの抗生剤を静注し、熱冷ましも何度も使用し、それでも一向に解熱しないとのことで来院している。
 腹痛あり、咳嗽あり、検査を見ても、白血球多くなく、炎症を示すCRPも3ちょっとでしかない。とっさに、ウイルス、それもアデノと思い、アデノチェックの検査をする。かろうじて、薄く線が出た(時間が少し経っていたので強陽性でなかったと思われる)。
 外来で黄連解毒湯1包を注腸し、点滴する。1時間後には明らかに解熱傾向となり、顔色も少し良くなる。そのまま入院し、抗生剤使用することなく、点滴と8時間おきに、熱証に使う黄連解毒湯の注腸を繰り返した。一直線状に解熱し、土曜の夕方には、食欲も普段の半分となり、顔色も良くなった。夕方から、小柴胡加桔梗石膏の内服薬に変更する。日曜には、(親の言では)普段の顔色になり、食欲も普通にある為に、まだ、少し喉が赤いも退院とした。
 (2泊3日入院して)退院後3日目に、来院(ちょっと遠方の人)。喉の所見は全く普通になり本人今どうもないと言う。それで、柴胡桂枝湯を3日分処方して終わりにした。
 この治し方、多くの人から奇異に受け取られ、非難も受けるかも知れないが、多くの親御さんからは、大変感謝されてきている。
 アデノウイルスには、特効薬は、西洋医学にはない。私の様な治し方が正式に認めれるのは、ずっとずっと先だろうなあ?!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受け入れる病院がなくて流産

2007-08-31 07:10:38 | Weblog
 同じ過ちって感じで、マスコミが報道している。大学病院なら、どうにかなったはずって感じで、マスコミが報道されいる。
 しかし、見方を変えると、深夜に手術をしている奈良県立医大の産婦人科、本当にご苦労様。それに、10カ所の病院が深夜でも受け入れが出来ない程、頑張っていること、それに対してもご苦労様と言いたい。多くの産婦人科医が、人知れず頑張っているのに、その頑張りに対しての賞賛はなく、何かあった時に叱責が多いだけって風潮になっている。
 大学の産婦人科の医師がどんなに限界で働いているのか知っているだけに、マスコミの非難を疑問に思う。その時1つベッド空いていていたのにとか言ってマスコミが騒いでいるが、そんな問題ではない。奈良県では、1人の医師が年間160件もの分娩を扱っているのだ。そして、恐らく、救急車が連絡をその時にとったどの産婦人科でも、それなりに限界に近い感じで働いていると思う(働かされていると言った方が適切なのかも知れない)。その過酷な条件で、医師側が訴訟を県を相手に現に起こしているのだ。
 私の姪が(次兄の娘)が、関東の病院の産婦人科で産婦人科医として働いているが、話を聞いてみると、想像以上忙しそうで、皆、若い産婦人科医が疲れ切っていると言う。買い物をする暇が充分に取れないとのこと。次兄がその娘に会いに言って、私に電話が掛かってきた。「小児科と産婦人科、忙しくて大変やなあ。給料はいいみたいやが・・・」と(日本の場合、その多くは、忙しいからと言って、その科だけその分給料が上がる訳でもないのだが)。実の親でも、自分の娘がどんなに忙しく働いていたのか、数カ年間も知らなかったのだ。ましてや、一般の人が、産婦人科の本当の忙しさを知るすべもないはずだ。
 今回、分別ある年齢なのにかかりつけ医がなく、深夜の3時頃に買い物をしているのも何か腑に落ちない(夜遅くまで仕事をされているのだろうか?)。流産歴がある。週数にしても、いろんな報道がされている。父親である男性の悲しい顔が全く出てこない。何か、不自然さを感じる。
 マスコミの一方的な報道、一般の人の医療に対する認識、今の不徹底な周産期医療の実態に対しての行政の認識、それらが待ったなしで早急に変化せざるを得ない時期に既に来ている。 

以下は、8月29日の毎日新聞の内容

奈良の搬送中流産:「同じ過ち、なぜ」 大淀の教訓生きず「医療機関充実していれば」

 深刻な産科医不足が、またも悲劇を生んだ。大阪府高槻市で29日、妊娠中の女性(36)を搬送していた救急車が交通事故に巻き込まれ、その後、女性の流産が確認された。女性は、奈良県橿原市内で買い物中に下腹部の痛みを訴え、9カ所の医療機関に受け入れを断られた末、約1時間半後に受け入れに応じた高槻市内の病院に向かう途中。救急車に乗ってから約2時間20分後の事故だった。同県では昨年8月に19病院から受け入れを断られた妊婦が死亡し、周産期医療の救急体制の不備が問題になったばかり。その遺族は「なぜ同じことが繰り返されるのか」と、唇をかみしめた。
 女性が「下腹部が痛い」と訴えたのは、橿原市内の自宅近くの24時間営業スーパーで買い物をしていた29日午前2時44分ごろ。一緒にいた同居の男性が119番通報した。9カ所の医療機関に延べ11回、「手術中」「処置中」と断られ、ようやく同4時19分に高槻市内の病院が受け入れに応じた。救急車が同市内で事故に巻き込まれたのは、同5時9分ごろだった。
 代わりの救急車は現場で約30分間、足止め状態に。「胎児が、女性の体外に出ており、処置などに手間取った」という。胎児は20週目くらいだった。橿原消防署の西谷重信・予防課長は「女性には不幸なことだった。医療機関が充実してさえいれば、こんなことにはならなかった」と話した。
 同県大淀町立大淀病院では昨年8月、分娩(ぶんべん)中に意識不明となった高崎実香さん(当時32歳)が、19病院に転送を断られた末、約60キロ離れた搬送先の国立循環器病センター(大阪府吹田市)で約1週間後に死亡した。高崎さんの義父憲治さん(53)はこの日、「悲しく、悔しい。家族として同じことを繰り返さないよう訴えてきたのに、何も変わっていない。関係者は責任を持って、もっと真剣に考えてほしい」と訴えた。
 救急搬送が必要な妊婦を県外病院に転送する比率が04年に4割近くに達していた同県。大阪府でも、「産婦人科診療相互援助システム」加盟病院への搬送件数は、96年の963件から、05年には1779件と2倍近くに増加している。両府県など2府7県は、府県境を越えて円滑な緊急搬送を実現するため「近畿ブロック周産期医療広域連携検討会」を今年3月に設置。来年度からの運用を目指しているところだった。
 1次救急どう対応--大阪府の産科救急ネットワークの中核を担う府立母子保健総合医療センターの末原則幸・副院長兼産科部長の話・・・府内の「産婦人科診療相互援助システム」(OGCS)は、かかりつけの病院など地域の出産施設から搬送を受ける2次救急のネットワークの中にある。今回のように、救急隊が現場から妊婦を搬送する1次救急は、枠組みに入っていない。今後、1次救急にOGCSとして、どう対応するか検討する必要がある。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その195)

2007-08-31 07:00:43 | Weblog
○昭和55年2月1日(金)晴。
 ASDと外来診断が付いていた○○先生の患者さんが、心カテしたらECDであった。エコ一でECDみたいだと言っていた。心電図は、右軸偏位。心臓は、なかなか当たらない。そして、根治的に治すのは、小児科医でなくて心臓外科医だ。そこが少し寂しい。
○昭和55年2月3日(日)曇。
 当直明けであった。深夜0時に入院した嘔吐下痢の子、ショック状態であったが、元気になっていた。命なんて、ちょっとしたことで、取り返しが付かなくなる。その時に、出来る医者がいても、肝心な時に見なければ、意味がない。患者さんが元気になってくれるとこちらも元気になれる。
○昭和55年2月9日(土)晴。
 ○○町立病院での診療も、今日で終わりだ(月~土まで働いた)。今日は50人を越えた。インフルエンザみたいだ。いつまでこの流行が続くのかなあ。
○昭和55年2月11日(月)晴、勤労感謝の日。
 (佐伯で診療し)2泊3日で50人ほど診た。この日、2人点滴をした。小児科が一度もおいてなかった病院しては、まあまあ来たなあと思う。
○昭和55年2月15日(金)晴。
 学生の講義があって、神経芽細胞腫をし、最後の20分間、自分の言いたことを言わせてもらった。小児科での救急医療の大切さ、特に新生児・未熟児医療が如何に大切な領域であるかを言った。又、小児科医の生き甲斐が如何に大きいかも言った。皆、真剣に聴いてくれていた様だ。
○昭和55年2月16日(土)晴。
 ○○小児科に(代診で)行き、100人余診た。この流行時期にしては、少ないと思う。こんな感じで代診で、時間外も診ないとなると、次第に少なくなっていくかなあ。と言うことは、毎日診て、時間外も少なくとも1日に1回は診ていけば、どんどん多くなって行くだろう。
○昭和55年2月17日(日)晴。
 宮医大での最後の日曜の当直の日。日曜当直だと、月曜が忙しいので、それなりにきついことが多い。しかし、佐伯に帰ったら、毎日当直だ。しかし、ここと違って、やり甲斐がある。今の自分の医師として全開しているエネルギ一をフルに無駄なく最も有効に活用したい。研究する暇など、ない。
○昭和55年2月19日(火)晴。
 当直だった。昨日は、佐伯から(薬の問屋さんの)吉村の人が来た(今は、ダイコ一)。大分県南の小児医療が如何に遅れているかを具体的に知らされた。新生児・未熟児は、どこもしていない。小児科医のいる病院は、ないに等しい(佐伯の健保病院の小児科の医師も、自分が西田病院に就職する前後に、いなくなってしまった。それで、佐伯市・津久見市・臼杵市の病院には、小児科医0となってしまった)。小児の救急に至っては、最も貧弱とのこと。使いたい薬をリストアップしていたので、それを渡した。患者さんを教育をして、深夜は出来るだけ来ない様にしたいなあ。朝は、7;30から診療開始すれば、待ち時間も少なくていいかなあ・・・。(西田病院では、しばらくして、朝7:30から診療する様になった。たはら小児科医院では、初めから、7:30から診療していた。今考えると、スタッフが自分に合わせてよく頑張ってくれたなあと思って感謝しています。)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水増し

2007-08-30 07:22:23 | Weblog
 予備校や私立高校が、○○大学何人合格、医学部何人合格なんて、堂々と目立つ感じで公表している。実態は、同じ人間が何校も受けて、その延べ数で、実質はその半分なんてこともある。
 予備校では、模試をたった1回だけ受けに行った人までが、その予備校生生が合格しているなんて感じで公表されていた例が以前にあったが、今はどうかな。
 私立高校までが、生徒の受験料を負担してまで水増し合格を出している実態が明らかになっている。一体、学校は、教育をどう考えているのかと問いたい。
 ある私立高校では、特進コースを設けて、それで有名大学の合格率を上げて、生徒を集めようとしている。それも、特進の生徒を安く、一般の生徒を高くして(そうでなくても、私立は学費が高いのに)。
 受験の為の勉強、受験をしないと受からない入試問題、塾も予備校も家庭教師も、合格と言う名の元に、所詮は、金儲け。ある話では、大学入試の問題作成を予備校に委ねている大学まである。有名大学に入学できる数は決まっている。どんなに頑張った所で、頑張った人以上の成績を他の人が取れば、落ちてしまう。受験勉強後の入学試験とは、土台そんなものなのだ。競争競争で共生の精神はなくなり、後で、失ったものが如何に大きかったかを知るだろう。残念なことに、そんな競争を経験した親でさえも、まだ、その愚かさに気がつかないで、自分の子どもに同じ様な経験をさせようとしている。そんな中で、自分に厳しく他人に寛容で、思いやりがあって、多くの場合に自分なりに冷静に判断が出来て、常に大きな視野に立って物事を捉えることが出来、かつ、実行力のある人間をと期待することは、まず不可能と言うべきかも知れない。一体どこで本当の教育がなされると言うのだろうか。

 以下は、8月19日の産経新聞の内容。

 水増しの背景には、私立高校の経営環境の厳しさがある。東京都の場合、17年度の私立高校234校の収入は1999億円。うち647億円(32.4%)が都からの補助金だ。
 少子化に加え、公立の中高一貫校が相次いで開校、私立は独自性を失った。さらに数年以内にすべての都道府県で学区制が廃止され、公立同士の競争も激化する。
 教育評論家で法政大教授の尾木直樹氏は次の様に述べている・・・「昨年騒がれた未履修問題と同じ成果主義が根っこにある」、大学、高校に加え、特進コースを利用して「格差社会の中、子供に残せるのは教育だけ」と少しでもいい大学へ入れたい親-この連鎖の中で起きた問題だ、「合格者水増しは、(豚肉などを牛肉と偽った)ミ一トホ一プの偽装と同じ。教育者は高校教育を根底から考えてほしい」と。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その194)

2007-08-30 07:18:54 | Weblog
○昭和54年12月2日(日)晴。
 ○○君の父親と○○ナ一スが言い合って、親が怒って、この日に退院なんて言い出して、どうしようもない状態になったとのことで、自分が言って、丸く収めた。だいたい、ナ一スの言い方がきついのだ。ナ一スの言い方がどうあるべきか、誰も教育しようとしない。医者以上に問題だ。患者側からあんな感じではっきりと言ってくると、少しは考えるだろう。
○昭和54年12月5日(水)晴。
 ボ一ナスをもらった。何と34万以上あって、驚いた。経験年数がだいたい同じ位のナ一スに聞いたら、30万ほどもらっているとのことで、更に驚いた。
○昭和54年12月20日(木)晴。
 午前中に、H教授に付いて2回目のCHDの講義をした。自分がバッチリ選んだ極めつけのスライドでした。学生さん、真剣に聴いてくれていた感じだ。これで、専門2年生への僕の講義も終わりだなあ。寂しいなあ。H教授には、大変感謝している。何故なら、自分を信じてくれ、自分の思う様に講義をさせてくれるからだ。
○昭和54年12月23日(日)晴。
 当直明けであった。大学って、自分の時間が作れない所だと思う。ナ一スの方が上って感じで、ドクタ一でなくても出来る雑用をドクタ一がしている。もっとドクタ一は、使うべき所で頭を使うべきだと思う。
○昭和54年12月24日(月)晴。
 9kgの○○君の心カテ、やっと入った。小さい子での穿刺は、やはり難しい。一瞬動脈に入ったかと思ったが、静脈であった。
○昭和54年12月25日(火)晴。
 今年最後の回診であった。形だけって感じがするなあ。いつも診ている主治医が一番よく知っていると思うが。大学は、書くことが多過ぎる。バイトも本心きつい。自分には、教育が一番疲れるが、一番楽しい。
○昭和54年12月26日(水)曇。
 当直であった。頻回に起こされた。この日、IRDSで未熟児が死亡した(自分は、もう、新生児を担当していなかった)。IRDSなのに、CPAPを使用していなかった。何故かなあ。自分は主治医でなかったので、分からない。新生児医療では、自分の目を信じ、ちょっとの変化を見逃さないことが大切だと思う。
○昭和54年12月27日(木)晴。
 点滴を7人し、ルンバ一ルを2人した。処置も沢山した。点滴も、何故か、スパスパ入る。家に帰ると、恵ちゃんがプリントゴッコで年賀状を書いていた。ミ一コの写真を入れて。
○昭和54年12月28日(金)晴。
 今日も当直をした。明日からの年末・年始、(佐伯の救急病院の)西田病院で1週間(院内泊まり込みで)診療をすることになっている。楽しみがいい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その193)

2007-08-29 07:24:31 | Weblog
○昭和54年12月2日(日)晴。
 ○○君の父親と○○ナ一スが言い合って、親が怒って、この日に退院なんて言い出して、どうしようもない状態になったとのことで、自分が言って、丸く収めた。だいたい、ナ一スの言い方がきついのだ。ナ一スの言い方がどうあるべきか、誰も教育しようとしない。医者以上に問題だ。患者側からあんな感じではっきりと言ってくると、少しは考えるだろう。
○昭和54年12月5日(水)晴。
 ボ一ナスをもらった。何と34万以上あって、驚いた。経験年数がだいたい同じ位のナ一スに聞いたら、30万ほどもらっているとのことで、更に驚いた。
○昭和54年12月20日(木)晴。
 午前中に、H教授に付いて2回目のCHDの講義をした。自分がバッチリ選んだ極めつけのスライドでした。学生さん、真剣に聴いてくれていた感じだ。これで、専門2年生への僕の講義も終わりだなあ。寂しいなあ。H教授には、大変感謝している。何故なら、自分を信じてくれ、自分の思う様に講義をさせてくれるからだ。
○昭和54年12月23日(日)晴。
 当直明けであった。大学って、自分の時間が作れない所だと思う。ナ一スの方が上って感じで、ドクタ一でなくても出来る雑用をドクタ一がしている。もっとドクタ一は、使うべき所で頭を使うべきだと思う。
○昭和54年12月24日(月)晴。
 9kgの○○君の心カテ、やっと入った。小さい子での穿刺は、やはり難しい。一瞬動脈に入ったかと思ったが、静脈であった。
○昭和54年12月25日(火)晴。
 今年最後の回診であった。形だけって感じがするなあ。いつも診ている主治医が一番よく知っていると思うが。大学は、書くことが多過ぎる。バイトも本心きつい。自分には、教育が一番疲れるが、一番楽しい。
○昭和54年12月26日(水)曇。
 当直であった。頻回に起こされた。この日、IRDSで未熟児が死亡した(自分は、もう、新生児を担当していなかった)。IRDSなのに、CPAPを使用していなかった。何故かなあ。自分は主治医でなかったので、分からない。新生児医療では、自分の目を信じ、ちょっとの変化を見逃さないことが大切だと思う。
○昭和54年12月27日(木)晴。
 点滴を7人し、ルンバ一ルを2人した。処置も沢山した。点滴も、何故か、スパスパ入る。家に帰ると、恵ちゃんがプリントゴッコで年賀状を書いていた。ミ一コの写真を入れて。
○昭和54年12月28日(金)晴。
 今日も当直をした。明日からの年末・年始、(佐伯の救急病院の)西田病院で1週間(院内泊まり込みで)診療をすることになっている。楽しみがいい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月食

2007-08-28 21:04:22 | Weblog
 平成19年8月28日、20:20の写真です。私のつたないデジカメで、医局から撮ってみました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

58歳

2007-08-28 11:08:56 | Weblog
 今回の安倍改造内閣の顔ぶれを見ると、自分と同じ歳(58歳)が18人中に4人もいる。法務大臣の鳩山邦夫(福岡6区、当選10回)、環境大臣の鴨下一郎(東京13区、当選5回)、経済産業大臣の甘利明(神奈川13区、当選8回)、厚生労働大臣の舛添要一(比例、当選2回)である。
 閣僚17人の資金管理団体が2050年に計上した事務所費の総額は約1億5.880万円で、平均すると約930万円、鳩山氏が約2.990万円なのに、舛添氏が68.000円、鴨下氏が0円となっている。政治活動費などを含めた支出の総額が最も多かったのは、閣僚17人中、鳩山氏の1億9.930万円、最も少なかったのは、鴨下氏の69万円となっている。
 団塊の世代では、それなりに、人とのつながりが多かった人では、それ相応のお金が必要と思われる。しかし、それを必要としなくて、のしてきている人もいる。その差が極端な気もする。
 政治家とお金の結び付きが問題になっているが、舛添さんの様なしがらみのない人の意見が通れば、もっといい政治が出来る様になるのかも知れない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頑張れる理由・・・

2007-08-28 07:26:42 | Weblog
 とても暑い。まだ、残暑厳しい。天気予報では、明日からは涼しくなるとのこと。もうちょっと我慢すればいいのだと思うことが出来れば、耐えられる。そう、人間なんて、この先、どうなるかで、耐えられたり耐えられなかったりするものなのだ。
 先に楽しいことがイメ一ジ出来れば、それなりに耐えられる。しかし、今の時代の様に、先の見通しが暗い場合は、どうなるのかな。
 どんな時代にも、歳だけは確実にとって行く。いつ会社から肩叩きをされるか分からない。会社も競争相手が多くなり、売り上げがどんどん下がっていて、いつ倒産してもおかしくない。運動不足で体の調子も何となくおかしくなっていて、ある日、手遅れなんて医者から言われても不思議ではない状態。蓄えのお金もどんどん減少していて、この先増加の見通しが全くない。そんな思いをしている日本人、今確かに多いと思う。
 体を壊す寸前まで忙しく働いているのに、スタッフがどんどん欠けて行けば、(別に、仕事が増えたからと言って給料が上がる訳でもなく)自分も辞めたい気になってくるだろう。反対に、どんどんスタッフが増えて、今後は楽になると見通しがつけば、今以上に頑張れるだろし、今が少々きつくても耐えていけるだろう。
 人間にはやはり休みが大切で、いつも弓をピンと張った状態では、いつかはプツンと切れてしまうに違いない。
 時にどんな困難に出会っても、スイスイとこなして行ける人がいるが、そんな人はマレだと考えた方がいい。
 地球が温暖化していて、氷河が溶け、島が消えつつある。自然がどんどん破壊され、それに反して、アチコチで紛争が一向に絶えない。これでは、地球人の多くが、鬱になってしまうかも知れないなあ。
 地球人は、自然界では、正にガン的存在。ガンがしたい放題しても、それが原因で宿主が死ねば、ガンも死んでしまうのだ。人間がしたい放題して、地球の環境が行き着けば、人間も、消滅してしまう運命にある。
 地球人の一人一人が、全体を考えて行動するそう様にならないと、先のいい見通しは、立たないだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その192)

2007-08-28 07:22:33 | Weblog
○昭和54年11月2日(金)曇。
 特別に、2日~4日まで、西田病院で小児救急をすることになった。小児科の看板がなかった為か、あまり来なかった。田中事務長さんとじっくり話した。まだ、全く小児科外来は出来ていない。この病院で10ヶ年間頑張るつもりでいる。後を継ぐ人が出るまで、頑張らないといけない。
○昭和54年11月3日(土)曇、文化の日。
 お産が多いので、乳児健診の人が来た。昨日同様に、誤飲も来た。23:30に、喘息発作の子どもが来た。この様な人は今までどうしていたのかなあ。早く佐伯に帰って医療をしたいなあ。
○昭和54年11月4日(日)曇。
 小児科の外来や部屋をどうするのか、それなりに決めた。この日は、10人近く来た。年末・年始もするつもりでいる。熊本日赤の救急の統計では、20:00からが多くなっている。夜、20:00~21:00まで、必ず診て、その時間帯を知ってもらっていけばいいかな(佐伯では、約20年間、この時間帯に診ると公言して、365日、本当に診てきた)。
○昭和54年11月9日(金)雨。
 (入局予定の)○○君の医師国家試験合格の集まりがあったが、恵ちゃんが○○しかかっているとのことで、直ぐに大学病院に行った。○野先生と会い、エコ一を見せてもらい、印鑑を付いた。もう99%駄目なのだ。力が抜けた感じになった(涙が自然に出て来た)。きっと、生きる力がなくて元気に生まれることが出来ない運命にあったに違いない。自分の責任を感じる。恵ちゃん、あまり表情に出さない方だが、元気ない。子どもを失った親の気持ちが理解できる。生まれる前でもこんなに悲しいのだ。路子が親を元気にしてくれる。(週に2回のペ一スで、心カテでレントゲンを浴びていて、それがずっと気にはなっていた。医療従事者の場合、先天異常の子どもが生まれる割合、少し多い様に感じているが・・・?!)
○昭和54年11月16日(金)曇。
 昨日○○小児科内科で、今日は当直、明日は○○小児科、そして、日曜も当直。日曜に溜まったアナリ一ゼをしよう。総括が溜まっている。

*写真は、8月26日(11カ月)の(ブドウの皮しかないのだが、それを見て喜んでいる)長女。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする