日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

白い○毛

2008-02-29 13:23:46 | Weblog
 平成20年2月29日に、大学で(今から36年前の昭和47年に)教わった解剖学第1の当時助教授の○田良二郎先生から、本を送って頂いた。かって先生の住所が変更になって、出した年賀状が戻って来て、それ以来、長いこと音信不通になっていた。それが、突然、送られてきて、しかも、題が「白い○毛」とあるので、二度ビックリ。私の住所を何かで調べたと思われ、とても有り難く感じました。 
 内容は、先生のエッセイ集で、その初めのエッセイの題が、「白い○毛」。先生が小さい時に祖父とよく風呂に入っていて、その時に、祖父(医師)の○毛が白かったのが強烈に残っていて、それが正当だと長いこと思い込んでいて、黒いのを初めて見た時には、あんな色の人もあるのだと思ったとの内容。
 自動車免許の切り替えを忘れていて、一時は諦めてバス通勤にしていたのに、69歳にして、再び自動車学校に通って取得している。
 スペイン風邪のことにも触れ、1918年12月25日の朝日新聞の内容を紹介していて、「・・・日本で1.000万人、流行性感冒の患者一番多かったのは熊本で初発以来11月20日までの患者数55万余、死亡者3000余人、香川が罹患者52万、死亡者4.214人、次いで山口の38万、新潟の31万・・・」とあり、熊本が全国一だと初めて知ることが出来た。
 又、解剖の先生らしく、ヒトの(水平に走っている)肋間静脈に静脈弁があり、水直に走っている門脈に弁がないのは、ヒトが進化の過程で直立歩行をする様になった証とのこと。この内容、先生の講義で聴いてなかったと思うけど?!学生の時は、一番前に座っていて、特にこの先生の時は、密度が濃い内容だったので、真剣に聴いていた。解剖の試験も難なくパスし、実習の系統解剖も時間不足で難儀していた同級生が多い中で、一番初めに終わってしまったが)。
 先生の経歴は、大学→保健所→研究所→老健とあり、77歳の若さでまだまだ元気に活躍されておられる。
 私も、先生を見習って、それなりにアクティブに生きて行こうと思っている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不登校・・・

2008-02-29 08:32:09 | Weblog
 平成20年2月28日(木)14:00から、上天草市教育委員会による「平成19年度第2回児童生徒・家庭支援委員会」があり、教育長や校長や不登校アドバイザーの人達を前にスライドを使って1時間ちょうど講演した。時間が足りなくて、スライドの半分しか出来なかった。もっと時間を延長して続けて欲しかったとの意見もあったが。その後、コの字形に席を作って話し合った。
 直接に関わっている人の話を聞き、視点のずれを感じた。不登校をなくそうと一生懸命になっている。で、その話し合いで更に次の様に私は言った。
 「子どもの立場になって少し視点を変えて見てはどうでしょうか。小学校では授業の内容に付いていけない人が3割います。中学では5割です。高校になると、ちゃんと内容に付いて行ける人が3割しかいません。大学に行くと、さあ、何割いるでしょうか?大学に入学しても、教官の試験問題が毎年同じ感じで、試験前にその傾向と対策のプリントが配られたり、高下駄を履かせてもらって、進級しているケースが多い。卒業しても、就職先がなかったり、有名大学を卒業しても、再び医学部を受験している人もいる。医師国家試験や司法試験にしても、その為の勉強をしていないと合格しない。おかしな教育がまかり通っている。教育を大学から、更には、国の方針から変えることが必要な気がしている。厳しさもあっていい。義務教育でも後の先生が困らない様に落第制度を設ける。校長に権限を与える。大人は、子どもが頭でっかちな人間にならない様に、出来るだけいろんな体験をさせる。競争からは、共生の気持ちは生まれない。知足の気持ちも生まれない。それでは、病気になってしまうのは、当たり前。今の子どもには、3つの間がないと言われている。仲間と時間と空間が。それをちゃんと大人が与えれば、子どもは育つ。子どもは大人と違って天才ですから・・・」。
(講演では、如何に子ども達が天才的な能力があったかを、自分の太鼓や茶道を通しての実体験から話した)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その288)

2008-02-28 08:22:41 | Weblog
○昭和63年6月1日(水)曇。
 朝4:00起床。4:30に家を出て、病院で本を読み、英会話の勉強もした。朝2時間半程、自分のしたいことが出来ている。静かだ。やっぱり二人体制って、心強いなあ。21:00には寝ることだ。水はゴルフ、木は茶道、金は英会話、土は食事会って感じで過ごせる様になるのかなあ?
○昭和63年6月2日(木)晴。
 今日の夜ホントに病院に行かなくていいんだなあ。信じられないって感じだ。正に第2の人生が自分に始まったって感じだ。今週はないけど、来週からお茶がある。するべき事は多い。先になっても充分に間に合って出来ることは今しなくてもいいが、今しておかないといけないことは今しておくべきだ。
○昭和63年6月3日(金)晴。
 金曜日はまる1日休ませないといけないということで、自分が金曜日をすることにした。どうせ金曜日は、英会話があるし。週1回泊まって、今までのことを考えれば、何てことない。他の先生達もしていることだし。二人になって、夜も安心して眠れるかと思うと嬉しい。今までホントによくやってきたと思う。若い時に体を使い切ってしまうべきでない。周りを見ても、働き過ぎで若死にしているではないか。
○昭和63年6月6日(月)晴。
 ○代先生、何事にも一途って感じだ。○代先生の奥さんにも会った。とても感じのいい人だった。母も気に入った感じだ。若くして子どもが出来てそれなりに苦労されてきている様だ。(何とその後直ぐに、再びお目出度になったが・・・)
○昭和63年6月8日(水)雨。
 朝4:00過ぎに病院に来て、中尾先生の講演のビデオを2時間じっくりと見た。月報の原稿も何回も見た。月報の原稿がポンポンと頭に浮かんでくる。
○昭和63年6月9日(木)晴。
 睾丸(精巣)腫瘍の子を医大が空いていなくて県病に送ったが、手こずった。午後は、15:00までに帰って(朝4:00~14:00っまで私、も一人の先生は、14:00~4:00までの勤務態勢を取って、小児救急を全く断わることなく、全て二人で診た。深夜にひどいのが来たりして、4:00に顔を合わせることも、しばしばあった)、18:00からお茶に行った。お点前に関しては、スゴク細かいことまで言う先生で(現在、86歳で、裏千家名誉師範)、昭和61年に教授の免許を取られていた。
○昭和63年6月12日(日)雨。
 お茶の勉強をした。自分だけでも結構出来るって感じだ。それにしても、お茶って奥がとても深い感じだ。正に日本人の心だなあ。これをしっかり覚えて外国の人に紹介できるといいなあ。
○昭和63年6月13日(月)曇。
 朝4:30から、植田先生の熱についての講演を(ビデオで)バッチリと聴いた。二人になると、正に、1+1=3だなあ。
○昭和63年6月14日(火)晴。
 ミーちゃんと二人で16:15のフェリーで、大入島に行った。この日の午後は、○代先生にしてもらった。院内乳児健診を他の小児科医にさせたのは、これが初めてだった。自分には、ゴルフよりもサイクリングの方が合っているのかなあ。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

看護師国家試験問題再考

2008-02-27 12:44:14 | Weblog
 消化器内科の専門医と消化器外科の先生が問題を見て、「きついなあ、これ、看護師さんの問題?!、自分が解いても・・・」とその解答を選ぶのに、躊躇している。
 代謝(糖尿病)の先生が、小児の1型の長い文章での問題を見て、対応の仕方でどちらを選ぶべきかで迷っている。
 麻酔の先生見せると、これ、問題悪いです。問題を作った人が古い人でしょうと言われた。午前中の問題で、麻酔前投薬で気管支粘膜からの分泌抑制を目的に使用するのはどれか?で、薬を選ばせるのだが、今は、麻酔前投薬は普通はしないで、する場合は、入室後にするとのこと。

*昔、エーテル麻酔をすると分泌物が多くなるので、麻酔前投薬としてアトロピンを使用していた。しかし、今の麻酔薬には、そんなことがなくなったので、使用しなくなった。しかし、分泌物が多くなる歯科口腔外科の疾患や子どもの場合(泣くと分泌物が多くなるので)、今でも、手術直前に手術場でアトロピンを使用することがある。
  麻酔前投薬が一般的にしなくなってから、既に10年は経過している。
 (平成20年2月27日16:40、午後の2つの麻酔を終えられた麻酔科の先生から拝聴)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草の根外交

2008-02-27 08:52:25 | Weblog
 北朝鮮の招聘により、ロリン・マゼールが指揮する米国の名門オーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニックが、首都の平壌で2月27日に90分間程、公演した。
 大変いいことだと思います。肝心の金正日氏は、顔を見せなかったが(認知症との噂も?!)。
 思うに、政治のレベルで親善が行われると、何か肩苦しさを感じる。本当に親善をするには、やはり、民間レベルでの「草の根外交」が最もいいと思っている。日本人は、自宅に他人を泊めることを拒む傾向にあるが、外国では、それが最高のもてなしって感じだ。
 イスラム教の国に行くと、異教徒は大歓迎だ。部屋も食べ物も、特別待遇って感じで、接待してもらえた。異常な位だ。韓国にホームステイした時にも、入り口のドアに歓迎の紙が貼られていた。ホントに、お客さんって感じで扱われた。
 一方、アメリカに行くと、同じ様に家の手伝いをさせられる。全く感覚が違うのだ。パーティがあっても、それなりの食材をちょっとだけでも持って行くのが常識になっている。ニュージーランドに行った時に、あるレストランでの食事会に誘われて行ったのだが、お金を皆と平等に払った(誘われても、皆と平等にお金を払うのがここでは常識だと言われた)。
 とにもかくにも、やはり、草の根外交の方が、本当の友達になれると思う。最もいいのは、やはり子どもだと思う。小学生だと、全く偏見がないから。それぞれの文化を紹介する感じですれば、直ぐに友達にでもなれそうだ。小さい時から、異なる生き方をしている人を快く受け止める体験は、何物にも代えられない貴重な体験となるであろう。
 タイのチェンマイでのサンデーマーケットで、タイの若者のエレキに合わせて路上で楽しく演奏したこと、いつも思い出しています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その287)

2008-02-27 08:19:09 | Weblog
○昭和63年5月18日(水)雨。
 ヨガの本を2冊買った。佐伯図書館って素晴らしいなあ。大分のコンパルホールほどではないが、自分の家からもいい距離だし。今住んでいる場所も、最高だなあ。静かなのに、便利がとてもいい。郵便局にも警察署にも買い物をするにも、便利がいいのだ。
○昭和63年5月25日(水)晴。
 ヨガの本を又借りてきた。俺はホントにヨガを今からするのだ。そして、お茶もするのだ。ナポレオンヒルの成功哲学の本、とても面白い。この通りにすれば、何でも出来る感じだなあ。俺にはチャレンジ精神も、まだ旺盛だ。自分って恵まれてきたなあと思う。いい結婚をしたのが大きかったと思う。西田病院に就職したのも良かった。若くして部長になれて、自分の思う様に診療が出来たのが良かった。(宮崎)県病の梶原先生、(宮)医大の早川先生が良かった。それに、(西田病院の)産婦人科医の茂・猛史先生からとても大切にしてもらった。借金も確実に返しているし、家族も安泰だし、後は体に注意しないといけないなあ。(高脂血症があり、中性脂肪とβ-リポプロテインが高いまま)
○昭和63年5月29日(日)晴。
 (西田病院の)○○先生が亡くなられた。78歳。仕事一途に頑張って来られて先生で、初めて給料をもらった時に多過ると言いいに行った欲のない先生。お通夜が始まる前に行った。これで、自分がこの病院に来てから、ドクターが3人もなくなった。体を壊している○○先生も○○先生も、どうなるか分からない(その後、数年してその二人のドクターも亡くなられてしまった)。亡くなられた○○先生って、ホント、いつもニコニコされてどんな人にも頭が低く、医者の鏡みたいな先生だったなあ。
○昭和63年5月30日(月)晴。
 ○○病院で妊婦さんが、亡くなったらしい。原因は子宮破裂とのこと。それで、○○病院では、今ベビーは一人もいないとのこと。○○病院、長いこと産婦人科一人でずっと頑張ってきている。(産婦人科医の開業医だった)○○先生も、訴訟が○つもあって自殺してしまったが、産婦人科医ってホント大変だなあ。(○地で開業している産婦人科医の)○○先生も、訴えられてもう医者をホントに辞めようと思ったと以前もらった手紙に書いてあったなあ。産婦人科の場合、殆どがお産に関係することだ。
○昭和63年5月31日(火)晴。
 ○○先生の葬儀があった。香典は全く受け取らない。○○先生らしい。病院側は、せめて一つだけと頭を下げて、花を置かせてもらったとのこと。千葉医を出て外科をされていて、体を壊して保健所長をしていたのだなあ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遊びって・・・

2008-02-26 14:29:13 | Weblog
 人は遊ばないと病気になります。そんなきつい顔ばかりしないでいやなことを忘れて思いっ切り遊んでみて下さい。気分も晴れやかになり、落ち込むことも少なくなります。それに、人をねたんだりすることもなくなり、今生きていることに感謝したくもなります。
 ムー、今はまだ無理ですか・・・
 しかし、昔から「よく学びよく遊べ」って言いますよネ。遊びは、脳を活性化し、特に子どもには、脳の発達を促すなくてはならない栄養剤だと思います。
 ずっと勉強ばかりしていても能率上がりませんよ。昼の休み時間に思いっ切り遊んでいる子は、授業中もよく聴いていると言うデータもありますよ。
 人間以外の動物を見ているとこれが実によく小さい時から遊んでいますネ。
 カラスって、かなり賢い鳥ですね。くちばしでいろんなものをつついてよく遊んでいますが、そんなカラスが、クルミを落として割ることを思い付き、その後、それを道路に落として車から割ってもらうと確実に割れることを思い付き、車が往来する道路が危ないと悟ると、横断歩道に落として、車が来ない時を見計らって下りて食べているシーンがテレビで放映されていましたが。
 ネコを飼っていましたが、ネコも一匹だけでよく遊んでいました。ネコが勝手にモノを転がしてそれを追って遊んでいるんですよ(小さい時からネズミを捕る練習ですね、私の所のネコ、よくネズミを捕っていましたヨ)。
 イヌを上手く躾けるには、イヌと上手く遊べることが大切です。遊びを通して躾けると、簡単に調教が出来ます。
 動物は、子ども同士でよく遊んでいますが、初めは親ともよく遊んでいいますね。ライオンにしてもイヌにしても、親の上を踏んだり噛んだり蹴ったりしていますね。その後、子ども同志で一日中遊んでいますね。
 人が男の子同志で遊び、女の子が女の子同志で遊ぶのが、3歳頃になれば見られます。ママごとごっことかを姉から小さい時にさせられた記憶がありますが、確かに面白くなかったですね(しかし、何故か今楽しく食事を作っていますが?!)。男同士でチャンバラごっこの方が楽しかったです。
 遊びの多くは、大人になる準備なのです。その遊びをすることで、立派な大人になっていけるのです。
 チンパンジーのメスの子ども達は、生まれたばかりの子どものチンパンジーを抱きたがります。カンガルーの子どものオス同志が、お互いにボクシングをして遊んでいます。カンガルーの場合は、将来、これでメスに受け入れてもらえるかが決まりますから、相手のオスに勝つことイコール自分の遺伝子を残せることになりますので(オス同志が闘っている時、メスは高見の見物って感じで見ています)。
 1歳のチンパンジーと1歳のヒトを一緒にして実験をしてみると、面白い結果が出ました。その内に、チンパンジーのすることをヒトがマネしだしたのです。チンパンジーをヒトは先生と思う様になってしまったのです(それを見て、ヒトは、その実験をすることがいやになって止めたそうですが)。
 遊びを通して、友達から多くのことを学ぶことが出来ます。知性の高い動物は、友達を作ることが上手です。動物の世界では、小さい時から仲間達と遊ぶことをしてないと、将来孤立して生きなければならないことが観察されています。孤立して生きることは死を意味します。人間の場合は、どうでしょうか。最近の学説によれば、長寿が友達の豊かさの有無に大きく左右されるとのことですが?!
 日本の子どもが外国の子どもと仲良くなれる簡単な方法は、遊びを通してです。元々子どもには、偏見がない上に、子どもの遊びは、仲良くないと出来ませんから。
 遊びは、世界の動きまでも変えることの出来る先祖からの贈り物。子どもはもちろん、大人になっても大いに積極的に楽しく遊びましょう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その286)

2008-02-26 08:00:50 | Weblog
○昭和63年5月6日(金)晴。
 患者さんが150程来た。その後、事務の○○さんの葬儀後の食事会が金水苑であった(娘さんが自分と同級生)。夜、○○小児科に掛かっている患者さんが来たが、何もしなくて帰した。ドクターショッピングをする患者さん、時々いる。そんな感じがしたからだ。掛かり付けの医者を信じられない親御さんの子どもだと、治るべき病気も治らなくなってしまう。
○昭和63年5月10日(火)晴。
 英会話、ハンブル語、スペイン語、フランス語、囲碁、したいことは一杯あるなあ。又、本も書きたいし、講演もしたいなあ。もうすぐ39歳になる。この病院で30代の最後までを過ごすことになるのだなあ。
○昭和63年5月11日(水)雨。
 午後、(佐伯市立)図書館に行き、本を探し、15:20から家庭訪問で先生が来るので待った。若い美人の先生が来た。僕の教育論も聴いてくれて、本も喜んでもらってくれた。感性の豊かな先生だと思った。学校の先生も楽しそうだなあ。この先生も、「先生になって良かった」と言う。「子どもがかわいくて仕方ない」と言う。先生になって3年目とのことで、自分の時を考えても、仕事が一番面白い時かも知れないなあ。
○昭和63年5月14日(土)?。
 茶道の勉強をして、60歳頃から外国でお茶をしてもいいかなあ。その為には、今から15年間、バッチリ茶道の練習をしないといけないなあ。茶道をすれば、典型的な日本人になれるかも知れないし、それに、老後もそれで楽しそうだ。体の為には、ヨガがいいかなあ。

*二人体制では、時間にゆとりが持てる様になるので、何をするかずっと考えていた。精神を鍛えるのは「茶道」、体を丈夫にするのはゴルフではなくて「ヨガ」と結論付けた。
 茶道は、姉がしていて、以前から興味を抱いていた。お菓子を食べるまでの長い行程を姉から興味深く聴いていた。たまたま西田病院に茶道を積極的にしている事務員さんがいて、立派な師匠がいるのでしたらと誘われていて、長いこと迷っていた(その後、その事務員さんは、お嫁に行って佐伯から離れてしまったが)。

○昭和63年5月15日(日)?。
 お金を残すとろくなことはない。多くの人が子どもの為にと思ってケチになり、挙げ句の果ては、親がお金を持っているということで子どもも駄目になっている。医者の家って特にそうだ。子どもがなりたいものになればいいし、それが患者さんの為になる(どうしても子どもが医者になりたいと言うのであれば、別だが)。自分は決してお金を貯めて子どもの為にあげようとは思わない。自分なんて結婚してから一銭も親からもらっていないし、今からももらう気はもうとうない。これが私の金銭哲学だ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚生労働省の問題を斬る!

2008-02-25 11:14:24 | Weblog
 (平成20年2月24日の看護師国家試験問題)新生児にチアノーゼがあった場合、一番考えられる疾患はどれか?PDA(動脈管開存)、ASD(心房中隔欠損)、VSD(心室中隔欠損)、TOF(ファロー四徴)で、受験した学生がとても迷ったとのこと。それもそうで、新生児期にはピンクファローと言って、チアノーゼが出ないことがあると言うのを何度も講義中に強調していたから。ある業者の解答は、TOFになっているが、消去法では、そうならざるを得ない訳だが、いい問題とは言えないだろう。新生児と言う言葉がなければいいと思うのだが。そんな感じで、問題が良くないものが他にも多くて、今年が一番低俗な問題って感じに思っているのは私だけだろうか?!

厚生労働省の問題は、国家試験の問題だけでない(医師国家試験も看護師国家試験も、落とす為の問題って感じになっている)。
 医師のスーパーローテートの問題にしても、医療費の締め付けの問題にしても、医師不足の問題にしても、地域医療の崩壊の問題にしても、聞く耳がないと言うか、現場を余りにも知らなさ過ぎる。
 この看護師の国家試験の問題にしても、かなり前から現場からヤリ玉に上がっているのに、ちっとも改め様としないのだ。その体質が大きな問題かな?!

 追加:私が思うに、国家試験の合格率を前もって厚生労働省の方で決めていて、受験生で競争させているに過ぎないのです。それが証拠に、前もって6割取れれば合格とか言わないし、(問題が良くないので)解答を直ぐに公表しないし、それに、合格点のラインが全くはっきりしていないのです。
 昨年の例だと、一昨年よりもグッと易しくて、(厚生労働省が作成すると難しく、文部科学省が作成すると易しくなる?)7割でも不合格になっていました。
 昔の話ですが、私が医師国家試験を受けた時には(春)、同級生の大半が6割取っていなくて、落ちたって感じで落ち込んでいる人が多かったのですが、6割ちょっと足りない人でも、殆ど合格していましたね。しかし、秋の国試は、かなり厳しかった様です(資格試験なのに、年に何で1回にしたのでしょうかねえ)。
 学校の受験と同じで、勝手に厚生労働省の方が合格率を決めていると思われます。6割又は7割とれば合格できると前もって断言して頂ければ、不信はぬぐえるのですが。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開業って・・・

2008-02-25 09:14:54 | Weblog
 私の場合は、開業生活は、8年半余であった。もう、採算が合わなくなると思って、赤字になる前にやむなく閉院してしまった。
 入院設備19床を持って、小児救急中心の365日24時間拘束されての生活だったが、その前の病院生活が(お産が年に500件前後もあった)それ以上に過酷だったので、さほど苦にならなかったが、その8年半、代診としての他の小児科医の援助を全く得られずに、どこにも行けない事への苛立ちは確かにあったと思う。
 又、経営の能力は、医療が出来るのと別にあるとも痛感した。
 現在、勤務医が激務な為に開業する傾向にある。それに反して病院が減少している。開業にしても、自分が開業した時と今とでは、かなり違ってきていると思う。
 まず、資金だが、開業する時に銀行から「いくらでも貸します」と言われた。金利は、普通の場合よりも医師の場合は少し優遇されていたが、それでもプレッシャーが掛かる。で、自分の貯めてきたお金を使い、それでも足りずに2.000万借りて、賃貸形式で開業できたが、毎月の払いが多くて、勤務医の時の方が手取りが多くなっていた。しかし、それでも、今考えると、やはり開業経験が出来て良かったと本心から思っている。
 今、再び勤務医をしているが、全く開業した経験がなくて勤務医をしているのと、過去に開業をした経験があって勤務医をしているのとでは、全く違うと思っている。
 いろんなことを学んだ。開業する時よりも、閉院する時の方が大変だった。これって、結婚の場合と少し似ているかなとも思っていた。離婚するエネルギーがあれば、結婚を維持できると言う人がいたが、いつでも閉院する覚悟でやっていれば、トントンでも医療も出来るだろうと思っていたが、違っていた。やってみないと学べない。特に、経営が傾きかけると自分のしている医療もおかしくなり(算術傾向になり)、又、人の管理も難しくなる。
 ある市では、大学の先生が50歳を過ぎて開業し、数年で亡くなられている。そんな例は昔もあったが、今の方が圧倒的に多い。巷の噂では、その多くが働き過ぎが原因とのこと。自分の様に、開業して閉院するパターンも前もあったが、今はちっとも珍しくない。
 億を越えて開業すると、閉院するのは大変だと思う。しかし、どんどん赤字が増えていけば、そうも言っておれなくなる。自分の場合は、幸いに医院が赤字倒産でも、借金がなかったのが幸いだった。又、職員もそれなりに就職先があって、助かった。
 借金を抱えてやむなく倒産したり、肝心の医者が病気で亡くなったりすると、残された家族は大変だ。多くの場合は、まだ、子どもさんが学校に行っている時だけに、尚更だ。
 それでも、今年の医学部の競争率、高いなあ。医者の裏の姿は、何故か、マスコミの前に出てこない。私の所に聞きにくれば、しっかりと教えてあげるのに。

 私の子ども達3人、医者になりたいとはっきり言ったこと、ない。私の生活を見ていて、医者になりたいと思う方がおかしい。子ども達が私を見る姿は、殆ど疲れて横になった所。
 電話は、(宿舎が病院のすぐ傍にあったので)家に帰ってもしばしばあり、当初は、深夜はもちろん、食事中でも入浴中でも、ひっきりなしに掛かっていた。
 初めは、病院からの電話は、家内が全て取っていた。私はきつくていつも家で横になっていたのである。深夜は、家内からいつも起こされていた。深夜電話があると、長女が起きて泣いていた。これでは家庭が崩壊すると思って、家を建て、起こされそうな時は、自分が病院に泊まることにした。
 新築の我が家と病院とは、自転車でゆっくり行っても、10分も掛からなかったが、我が家に泊まることが多くなると、幸いにも、病院からの電話も少なくなっていった。
 で、しばらくすると、家に掛かった電話を取るのは、自分だけとなっていて、家族に迷惑を掛けない様にと、コッソリと深夜に病院に自転車で行っていた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする