日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

いい上司の条件

2009-07-31 10:15:02 | Weblog
 上司の部下に対して理想的な条件って、何だろうか?よく分からないけど、ある人が、「部下に対して、身振り手振りは大げさにし、大きな目標でなく小さな目標を与えること」「1日の内でも一緒にちょっとコーヒーを飲むとかして、忙しい中でも言葉を交わしてコミュニケーションを取るように努めること」となどと言われていた。ウッー、なるほど(少し納得)。
 トップの人がちゃんと把握できる数は、10人までと言われる?!30人も40人もいる所では、その全てを把握することは不可能。となると、いい人材を自分の直下に置くことが最も大切だと言うことになる。
 総理大臣だと、内閣官房長官、市長だと助役って感じかな。そんな感じで、ヒエラルキーが作られて、全体が把握できて、統制が取れることになる。
 自分も院長をしていた時(開業の8年半余)、職員には、極力次の事に気を配っていた。それは、職員が一番大切にしているものを大切にしてあげること。それは、家族。で、それなりに余分にお金を出して、職員それぞれ、皆、いい日を選んで、家族旅行に行かせていた。独身の人は、毎年海外旅行に行っていた。しかし、私は、毎日仕事をしていたが。
 当たり前だが、上に立つ人が怠けている姿を見せると、職員が付いてこない。医院のトイレ掃除は、子どもにさせていた。私の場合、人を集めることは上手く行っていたのだが、・・・19床のベッドを持っての平日7時30分始まりの小児救急医療中心の365日の診療体制、採算面で行き詰まって、閉院になってしまった。
 医師の仕事と経営は、全く次元の違うものだった。今の時代は、昔の様に、どんぶり勘定では、やっていけない。
 ある医師同志のネットで、開業に成功する秘訣は何でしょうかとの質問があって、あるアドバイサーが、「それは、いい奥さんを持つこと」とあった。奥さんが、でしゃばらずに、賢く慎ましやかに振る舞うことが、開業での一番の条件らしい・・・?!(かなり納得かな)

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冷夏

2009-07-30 09:18:24 | Weblog
  今年は、冷夏って感じだ。ペルー沖でのエル・ニーニョ現象が原因らしい。その反対は、ラ・ニーニャ現象と言う。現在、日本列島、アチコチで被害が害が起きている。日本だけでなく、トルコやバングラデシュや中国でも深刻な被害が起き、アメリカでは、深刻な干ばつとなっている。
 余談だが、スペイン語で、エル・ニーニョとは男の子、ラ・ニーニャとは、女の子の意味。エルは、男性名詞の定冠詞、ラは、女性名詞の定冠詞。女性の定冠詞に関しては、フランス語もイタリア語もラ(la)と言う。右から書くアラビア語だと、冠詞は、laの逆のアル(al)しかないし、冠詞が次の単語とピタッと一緒になった感じで書かれてしまう。ところで、ベトナム語だと、laは、ですの意味になる。つまり「A la B.」とは、AはBですの意味。
 夏が来ると、小さい時(幼児期、蒲江町)に(5人)家族が一緒になって食べていたミルクセーキを思い出す。暑い中、長兄が自転車で氷を買いに行き、待ちきれない感じで待っていたのを思い出す。自転車の後ろの荷台に積んで帰ったその一つの四角な氷を手動の氷かき器でかき氷にして、それに練乳と砂糖を入れて、それぞれがコップ一杯ずつ飲んでいた。とても美味しくて、その味さえ、今でも思い出せる感じだ。一夏に1~3回ぐらいそんなことがあっただろうか。当時は、それが他の家族とは違って、非常に贅沢なことだと思っていた。
 当時、アイスキャンディーは5円で、時々親戚の人から10円のアズキのキャンディーを買ってもらっていて、いつも10円のアズキのキャンディーが食べられたらどんなにいいだろうかと考えていたものだ。
 周りは、皆、貧乏だった。父が教員と言えども、家の家計はギリギリで、ずっとツケが溜まっていて、冬のボーナスの時に、やっとそのツケを返していた(長兄も次兄も姉も、大学生の時に、奨学金をもらっていた)。
 そんな中でも、周りは子どもだらけで、外で一日中、お古の服を汚しながら暗くなるまで楽しく遊んでいて、親からそれでよく叱られていた。自分の場合、保育園や幼稚園には行かなかった。毎日喧嘩で泣いていて、将来強くなりたい、将来お金持ちになりたい、将来親を楽にさせてあげたい、将来(父の様な学校の)先生になりたいなど、将来の夢ばかりがいつも脳裏にあったことを覚えている。
 家には、もちろん、(どの家も)クーラーも扇風機もなかった。


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目先のこと

2009-07-29 10:11:26 | Weblog
 美味しいシュークリームを独り1つずつの割合で目の前に置いて、「食べていいよ。もしも、先生が帰ってくるまで食べないで待てたら、一つでなく二つ上げるよ。」と言って幼稚園の先生が部屋を出て行く。残った園児達、我慢しきれなくて、大半が食べてしまう。しかし、数少ないが、食べたいけど我慢して、後で二つ食べようとする子もいた(テレビでの実験)。
 ヒトは、目先のことだけを中心に考えて行動するのか、それとも、将来のことを中心に考えて行動するのか、状況に応じて、同じ人でもいろんなパターンがあると思う。
 コツコツと将来年金をもらおうと若い時からそれなりに納めている人もいるだろうし、今の生活が精一杯と思って、年金を払わないでいる人もいるだろう。
 日本で板前をしていて、突如、海外で店を開いて成功している人もいる。年金生活(年間100万以内)で、チェンマイで生活している日本人もいた。
 海外に行くと、物乞いが多いことがやたら目に付く。フィレンツェやバンクーバーでもよく見かけた。見ていると、前に置いた入れ物にお金を入れる人、思ったよりも多い感じだ。
 経済的に貧しい国では、お金を沢山持っている振りをすると、盗まれたりすることもあるが、お金がないので困っていると相手に上手に伝えると、恵んでくれる人が多い。特に、アフリカやイスラムの世界やチベットなどでは、それがしばしば普通になっている様だ。
 海外でお金がなくても何とか生きれる為には、こちらが敵意を持っていないことを相手に上手に伝えられて、お金がなくて食べることが出来ないこともしっかりと伝えられて、援助を受けたら、お礼をしっかり言えることだと思う。そう開き直れば、思った以上に、楽に生きれる気がしている。
 コミュニケーション力がないと、生きる力が半減してしまう感じがしている。生きる力は、モノが豊富だと育たない。ある程度の餓えを小さい時から経験してないと、育たないと思う。植物に水をあげ過ぎると枯れてしまうが、饑餓栽培と言って、初めにギリギリの栄養状態で育てていると、その後に、逞しく育つことが出来る。自然界の動物には、肥満の姿はないが、ペットとして飼っている犬や猫は、時に肥満状態になっている。
 若い時に、人の注意を無視して暴飲暴食をしたり、睡眠不足状態で仕事ばかりしていたりしていると、若い時には、検査上、異常値は出てこないが、40歳過をぎると、突如、血圧の値が上がったり、血液検査で異常値が出てきたりしている。まあ、医者にしても、医者の不養生とは、よく言ったモノだと思います。
 困った時に親身になって相談できる人を持つこと、人の忠告に対して聴く耳を持つこと、生きる上では、今からの時代、これもとても大切なことと思います。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080911/1

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無駄話

2009-07-28 09:26:07 | Weblog
昨日、1学期最後の看護学校の10時40分からの小児科の講義で、「代謝」の所をしたが、時間が余ったので、多国語に付いて話した。
 (イタリアで)プレーゴーと言われれば、直ぐにグラッツィエ、グラッツィエと言われれば、直ぐにプレーゴと出てくるといい。(ドイツで)ダンケと言われれば、ビッテ、ビッテと言われれば、ダンケと直ぐに言えるといい。  
 アッサラームアライクムと言われれば、ワ・アライクムッサラーム、サバーフルハイルと言われれば、サバーフンヌール、マサーウルハイルと言われば、マサーウンヌール。イスラム圏では、これらは、正に合い言葉だ。
 (トルコ語で)名前は、アド(Ad)で、私の名前となると、アドの後にゥムが付いて、アドゥムとなる。私の名前は○○ですと言う時は、「アドゥム・○○」となる。同じ感じでアラビア語でも・・・名前は、イスムと言い、私の名前は、後ろにイーを付けて、イスミーとなる。私の名前は、○○ですは、「イスミー・○○」と言う。何ですかは、アラビア語ではマー?と言うので、貴方の意味を表すカを最後に付けて、「マー・イスムカ?」とは、貴方(男)の名前は何ですかの意味になる。女性だと、キを付けて、「マー・イスムキ?」となる。
 声門閉鎖音と言うのがある。タガログ語では、自分のことをアコ(ako)と言うが、アは、日本語に普通で言うアでなく、声門を閉じた感じで少し力を入れてアと言う。アラビア語のアナー(私)のアも、そんな感じで言う。
 トルコ語には、イの口をしてウと言う発音、オの口をしてエと言う発音、ウの口をしてイと言う発音、いずれもあり、多言語を勉強する時の発音の仕方として、極めて重宝。又、日本語と同じ様に、単語の最後に付くテニオハもあって、日本人にとっては極めて勉強しやすい言語となっている。更には、トルコ語は、アゼルバイジャンやトルクメニスタンやウズベキスタンやキルギスやカザフスタンやグルジアでも、そこで話されている言語とルーツが同じなので、少なからず通じる?!
 ヒンディー語やベンガル語やパンジャビー語やシンハラ語では、無声音にも有声音にも、有気音と無気音があり、そり舌もあるので、東南アジアの言葉を勉強する時には、これから入ると理解し易い。
 家内に学生さんに感想を聞いてみたらと言われ、・・・きっと、ショックで次からその話できなくなるかもとも言われてしまったが・・・?!

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流行性耳下腺炎

2009-07-27 09:02:24 | Weblog
 昨日は、日曜日と言うのに、忙しかった。病院に18人急患が来ていて、その内の8人が小児科。
 朝の9:10に、4歳の女児が祖父祖母に連れられて来た。何度も嘔吐していて、顔色真っ青。9:50に、又、別に3歳の男児がやはり祖父祖母に連れられて来院。同じ様に、嘔吐が続いていて、顔色悪くて来院。(恐らく、同じウイルスと思われるが)
 五苓散を注腸し、女児は15時まで、男児は14時まで点滴をして、無事に帰す。
 12:20に、隣の島から、祖父が服用しているデパス誤飲で救急艇で4歳男児が来院。来院時、子どもは、ボーッとした感じで、眠たそうでフラフラしている。点滴がなかなか入らない。やっと(視力障害のある自分が入れて)点滴が入り、17時過ぎまでして帰す。
 13時34分に、流行性耳下腺炎の13歳の男児と11歳の男児の兄弟が来院、両方ともきつそうだが、弟の方は、嘔吐が続いているので入院。しかし、その後、兄も帰宅してから頭痛がひどく、その後嘔吐して18:50に再来して入院。
 その他に、小児科に夏カゼ(ヘルパンギーナ)で3人来院。
 今、小児科には、この2人の流行性耳下腺炎による髄膜炎以外に、も一人、14歳の女児がやはり同じ疾患で入院している。
 流行性耳下腺炎は、(その多くは、両方の耳下腺が腫脹し、顎下腺も腫脹することが多くて、痛くても)それ自体は大したことないことが多いが、合併症の髄膜炎、難聴、膵臓炎、精巣炎(大人では、3人に1人の割合)になると、厄介だ。
 流行性耳下腺炎では、安静がもちろん大切だが、髄膜炎合併症予防の為には、腫脹が取れても、1週間は、運動しない様にと指導している。
 髄膜炎はきつい。難聴になった子は、もうその難聴は、治らなかった。膵臓炎になった子は、とてもとても痛がっていた。精巣炎になった子は、後で、その精巣が小さくなっていた。大きくなって「おたふく風邪(流行性耳下腺炎)」になると、症状が強い感じだ。

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続・寛容・・・

2009-07-26 10:47:41 | Weblog
 政治家が悪いと言っても、それを選んでいるのは国民。だから、自分で自分の選び方が間違っていなかったかとうかとまず反省すべきだろう。はっきりした形で政治に参加できるのは、選挙に行くこと。今までの様に、低い投票率で政治家だけを責めるのはどうかなあって感じもするけど。
 ある政治家の話だと、選ばれた直後は、ホントにいい政治をしようと思っているらしい。しかし、私利私欲めいた周りの意見が思った以上に強烈で、皆によくすることが出来なく、かと言って選挙に落ちればそれで終わりになるし、で、立候補者も、政策よりも当選のことが先になっていて、・・・それなりに大変みたいですね。
 テレビの番組がくだらないと言う。しかし、視聴率を上げて見ているのは視聴者で、それでプロデューサーが番組を考えている訳だから、又、視聴率が上がることで運営できている訳だから、それなりに世論が動けば、直ぐに解決できそうな気もするけど。つまり、テレビに見られるのでなく、本当に選んで見ることになればいいと思うのですが。
 教育が悪いと言う。しかし、教育には、学校教育だけでなく、その前に家庭教育があり、社会教育がある。ちゃんと自信を持って自分の子どもを育ててきたか、他人の子どもには我関せずって感じで来なかったかどうか、学校の行事には積極的に参加してきたかどうか、地域の行事には積極的に参加してきたか、そんなことから反省してみてから教育の問題を考えてみると、又、別の見方が出来るかも知れませんね。
 北朝鮮が悪いと言う。しかし、北朝鮮の大多数の一般の人の生活を考えたことがあるだろうか?歴史を見れば、多くの国がいつまでも同じ体制ではあり得ない。必ず変化が起きる。その都度、ちゃんと対処してきたかどうか、金氏が拉致や海賊行為を認めた時、日本側の対応は適切だったかどうか、せっかくの歩み寄りを無断してこなかったかどうか、そんな点も反省してみては如何なモノでしょうか?
 核軍縮がなかなか進まなかったのは、被爆国日本がもっと積極的に出なかったこともあるのではないでしょうか。今年11月にオバマ大統領が日本を訪問する予定とのことだが、是非、広島や長崎の原爆記念館を訪れて欲しいと切に願っている。

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寛容・・・

2009-07-26 10:46:51 | Weblog
 ドクターでも、タバコをどうしても止めれなくて、蔭で吸っている人、います。医者の癖にと言う人が大半でしょうか、しかし、私は、そんな人の気持ちが分かる気がします。と言うのは、周りにそんな感じで苦しんできた人を見てきているからだ。
 それは、まず、尊敬する父(59歳で佐伯小学校長を退職)だった。若い時は、よく吸っていたそうで、子ども達からいろいろ言われるものだから、風呂のかまどの所で(昔は、鉄のかまに入っていた)、コッソリと小さくなって吸っていた。晩年は、殆ど吸っていなかったが、最後は、肺に水が溜まって亡くなってしまった(自分が最後の診断を下した)。
 それから、いろんな知恵を与えてもらっていた長兄だった。何度も挑戦しても、又、吸ってしまっていた。今は、吸っていないが、かなりそれで永いこと悩んでいるのを見てきている。
 それと、自分の最愛の息子だった。息子には、茶道を小学校3年生から教えた。又、極真空手も薦めてさせていたが、それ以外、息子を信じて、口うるさく言わない主義できていた。が、たった一つだけ、うるさく言っていた。それは、タバコを止めなさいと言い続けたことだ。息子がタバコを吸う姿を家族旅行の時、電車の中で偶然に一度だけ見たが、その時息子もバツが悪そうだった。
 で、息子が、「お父さん、もう大丈夫、止められる。タバコが美味しいと思わなくなったから、コーヒーも飲みたいと思わないし・・・」と言ってくれた(息子は、コーヒーを飲むと、タバコがどうしても飲みたくなっていた様だ)。
 とても嬉しかった。息子から直接言ってもらえたことが、何よりも嬉しかった。永いこと苦しんでいた息子の気持ちが何となく理解できた感じだった。
 赤塚不二夫さんも、医者の忠告を無視してアルコールを飲んで、早死にしてしまった。先日亡くなった囲碁の藤沢秀行氏も、最後まで、タバコを離さなかった様だった。好きなアルコールやタバコを無理に止めると、ストレスで、かえって免疫力が落ちて早死にするケースもあると言う免疫学者もいるぐらいだ。
 まあ、アルコールやニコチン中毒者を責めるのではなくて、寛容の精神で、見てあげることも大切だと思います。 しかし、タバコの煙で人に迷惑を掛けたり、アルコールで人にからんだりしては、困りますけどね。今は、禁煙外来も出来ていて、病人として、保険適応で治せる時代にもなっていますので、本人が止める気さえあれば、禁煙は、昔ほど難しくはないと思います。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080407/1

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恐がりの日本人

2009-07-24 09:04:53 | Weblog
 お化け屋敷での国別の反応を見ると、日本人が一番怖がるとのことらしい?
 夏にお化け屋敷を楽しむ日本人は多い。小さな子どもと母親がお化け屋敷に入ると、母親の怖がる声で、母親と手をつないでいる子どもの恐がり度合いがエスカレートしている。男女で入って、一見怖がってなさそうな男性、実は、彼女の前で、怖くない自分を演じて、落ち着こうとしているとのことらしい?声を出して怖がる人は、声を出すことで、怖さを紛らわせているとのことらしい。
 が、外国の人になると、反応が違っている。欧米人だと、笑っている人が半分以上で、アフリカの男性だと、7割近くの人が、怒っている。
 ある統計だと、日本人の勇敢型はわずか3%で、恐がり型は何と、97%にも達している。
 つまり、生まれつき、日本人は、セロトニントランスポーター遺伝子(不安遺伝子)の割合が高いとのこと。
 ムーッ、これを利用して、怖がらせてお金儲けを上手にしている人、いるかも?!

*(フリー百科事典より)セロトニントランスポーター遺伝子とは、神経伝達物質であるセロトニンの伝達に関係する遺伝情報が書き込まれた遺伝子である。染色体番号17に存在する。S型とL型が知られる。1996年11月、ヴェルツバーグ大学精神医学部のピーター・レッツ(PETER LESCH)がS型がセロトニン分泌に関与すると発表している。この遺伝子型の割合は国や民族によって異なり、不安遺伝子と呼ばれ、日本人はこの割合が高いとされる。

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皆既日食デー

2009-07-23 09:43:30 | Weblog
  昨日は、皆既日食デーって感じの日だったかな。多くのテレビで、それを大々的に取り上げていた。
 日本では46年振り、次に日本で見ようと思えば、2035年の26年後とのことで、それまで生きているかも分からないのに・・・。
 太陽は、月の400倍の大きさもある。太陽と地球の距離は、月と地球の距離の400倍もある。太陽系では、一番遠い冥王星は、太陽と地球の距離の40倍の遠さの距離で、太陽の周りを回っている(1周が248年、冥王星は、正確には、惑星と言わなくなったが)。
 月と地球の関係は、親子説、兄弟説、親子説などと言われてきたが、アポロが月の石を持って帰ってきて、それが地球の石よりも古かったことにより、今では、地球に大きな隕石がぶつかって地球の内部が飛び出て、それ等の塵が次第に集まって月になったと言う、ジャイアントインパクト説が有力だ。
 月は、次第に地球から遠ざかっているが、その影響は、潮の干満で見られる様に、絶大だ。各国の国旗にも、沢山出てくる。日本の国旗にしても、桜島から上がる太陽のイメージが原型となっているのかな。昔見た映画の中に、アフリカの現地人に生贄(いけにえ)で殺されそうになった時に、皆既日食となり、真っ暗くなって、現地人が畏れてそれを逃れたってシーンがあったけど。エジプトのピラミッドにしても、アラビア語の文字にしても、昔からの暦にしても、太陽と月は、生活から切り離されることのないモノとして、現在に至っている。
 太陽系の惑星で、月の様に大きな衛星自体が特殊だ。それが、地球から太陽と月がほぼ同じ大きさで見えることも、偶然だ。しかも、それがほぼ同じ平面上を回って、皆既日食と言う現象が起きることも、神業的現象だ。
 皆既日食では、コロナの状態がよく観察される。プロミネンスも、よく観察される。太陽の活動は、常に流動的で、活発でない時は、地球も冷たくなっているが、今は、活発な時となっている。屋久杉の研究によれば、太陽が活発に活動している割には、過去のデータと比べると、地球の平均温度が0.5度高くなっていて、これは、人為的なことが原因になっている?!
 今回の皆既日食は、インドから始まり、ネパール、ブータン、中国、日本、タヒチで終わった。ヒンディー教徒の多いインドでは、悪魔が太陽を食べてしまうと言うことで、不吉なことが起きる前兆と思われるみたいだが、反対に、仏教徒の国ブータンでは、いいことが起きる前兆とされているとのこと。日本では、悪石島がクローズアップされていたが、雲と雨で、残念な結果に終わっている。
 今回、熊本では、92%も欠けていた。夕方の様に暗くなった。この時、(美味しい鶏肉となる)天草大王が座り込んでしまったとのこと。
 曇り空だから見えないだろうと諦める必要はなかった。その合間に、太陽が出ていた。で、正に、雲が周りを覆って、上手い具合に、細く光る三日月の形を肉眼でそのまま数秒間見ることが出来て、感動してしまって、デジカメを持って写真を撮ることを忘れてしまっていた。我に返って、デジカメを持って構えた時には、既に、眩しくて撮れない状態になっていた。一生の不覚って感じで、残念無念だったが、まあ、頭の中には、確かにその時の像がしっかりと今でもインプットされていて、幸せ気分を味わっている。
 家内に電話して、「見た?見えた?」と尋ねると、「見たよ。」と言う。で、どうだったと言うと、「テレビで見て、実際には、見なかったとのこと」。ウーッ、・・・。
 感動を多くの人が共感した日だった。
 平和だなあ。
*今回、溶接をする人から、仕事上に使用する溶接でのメガネを借りて見せてもらった。よく見えた。感動、感動、生きていて良かったって感じになったかな。 東京オリンピックの前年、自分が中学2年生の時にも、理科の先生から教わって、見た記憶があるが、その時、晴れた日だったが、学校から帰る途中で見て、太陽がちょっとしか欠けてなかった様に記憶している。今回の様に、熊本での92%も欠けていなかったし、さほど暗くもなかった様にも記憶しているけど・・・?(今回ほど、その時、感動していません!今回は、撮り損ねた三日月、一生のいい思い出になりますね。)




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予想外

2009-07-22 11:15:25 | Weblog
 トリ型インフルエンザがいつ流行っても不思議でないって感じで長いこと報道されてきて、又、その対策もいろいろ長いことなされてきて、結局は、H5でなく、いつもあるH1のタイプで、それが突如メキシコから広がって、アット言う間にパンデミックになってしまった。これって、誰も予想してなかったこと。(今までに人類は、パンデミックをH1でしか、経験していない。)
 世界が好景気で、政府の方でも、株を薦める感じになっていた。しかし、アメリカに端を発して、世界規模で株が大暴落してしまった。これ程の大規模の暴落、誰が予想しただろうか。それで、退職金が株で大半が消えて、途方に暮れてしまった人も多かったに違いない。
 日本のアチコチの地域にしても、上からの奨励などで市町村が事業を広げて行って、突如、上からの補助金がなくなって、行き詰まってしまった例も多い様だ。
 まあ、結局の所、自分で責任を取って、這い上がるしかない感じになっている。
 先のことなんて、誰にも分からないのだ。
 日本の政治も、ある程度、予想は出来ても、先々の細かい所までは、断言不可能。それなのに、私の党に任せて頂ければ大丈夫何て感じに聞こえるけど、もう、有権者は、騙されませんね。
 46年ぶりの皆既日食、筒も作って用意したけど、曇り空、これも予想外だったかな。しかし、合間を見て写真に納めました。これも、又又予想外だったかな。

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