日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

日本語を理解する為に(その6の3)

2007-02-20 07:53:31 | Weblog
 アラビア語でも、頻回にこの発音が出て来る。慣れるしかない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語を理解する為に(その6の2)

2007-02-20 07:52:08 | Weblog
 ミャンマー語でも、しばしば、この声門閉鎖音が出て来る。
 数字の1、2、6、7、8を言う場合、ティッ、フニッ、チャウッ、クニッ、シッと言うが、最後のツを言う場合、3つの声調とは別に、息を止めた感じで、高く短く発音しないといけない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語を理解する為に(その6の1)

2007-02-20 07:50:21 | Weblog
 日本人にとって、声門閉鎖音は、非常に難解である。聞き取れないのである。しかし、タガログ語、ミャンマー語、アラビア語では、話す場合も、これを意識して言わないといけない。初めは、戸惑うが、慣れれば、そうでもない。
 タガログ語では、日本語の私は、「アコ」と言うが、息を閉じた感じで、アコと言わなければいけない。
 そんな感じで、君を「イカウ」と言う場合のイも同じであり、朝を「ウマーガ」と言う場合のウも同じであり、いいえを「ヒンディ」と言う場合のイも同じであり、子どもを「バタ」と言う場合のタも同じである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その6)

2007-02-20 07:42:45 | Weblog
 必至で勉強した。その猛勉強振りは、母校でも有名になる位に。そして、それなりに、成績は、伸びた。英数学館主催の最終の西日本模試では、長崎大学医学部受験希望者約100名中1番で、九大医学も、確実であった。
 しかし、朝から晩まで、1日も休まずに、少しでも暇があれば勉強しようとするその仕方には、土台無理があり、又、すればする程、不安がつのり、頭が最高に混乱した時が入試の時であった。しかも、長崎大学受験の時、学生運動の影響で、急に試験場が変更となり、試験場の近くに早くから予約していたのだが、急に遠い試験場となってしまった。
 何となく、合格する気は、しなかった。試験前日の睡眠時間は、3時間足らず。今までの苦しい生活と、又、落ちたらそうなるかと思うことばかりが、頭をよぎった。それに、又、不合格になった時の父母の顔がしばしば頭に浮かんで来た。現役の時とは、心理的に、全く違っていた。
 得意の数学で大失敗してしまった(何度も、解き方を変えて行った為に、時間が完全に不足してしまった)。
 結果は、当然、不合格。二期も、又、昨年と同じ山口大学医学部を受けたが、不合格となった(国立二期校は、西日本では、鹿児島と山口しかなく、30倍前後の倍率だった)。又、この年は、学生運動のあおりで東大中止、ベビーブームの浪人で、最高に受験生の多い年であった。


原文に記載されていない内容・・・この1年間の出来事は、自分の頭の中では、もう、開けたくない、そのまま閉まっておきたい感じになっている。兎に角、苦しかった。今にも窒息しそうであった。はっきり不合格としてくれていた方が良かった気もした。補欠の3番に少しは、望みをかけていたのだ。
 自分の毎日帰る所が、九大工学部の近くであり、食事をそこで食べることが多かったので、九大の学内のことを直に見ることが多かった。
 ある時、アメリカのファントム機が墜落した。朝、見に行くと、凄い光景だった。大学生がそれを取り囲み、自分は、それ等の光景を野次馬的に見ていた。
 初めて家から離れたこともあり、寂しさもあったが、それ以上に、何よりも、成績を上げることが優先した。
 そんな中で、父が、小学生の修学旅行で博多に来た(佐伯小学校長として)。その時、父に久し振りに逢った。その時、佐伯を懐かしく思っている自分に気が付いた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする