日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

生きる目的・・・

2018-08-31 07:15:08 | Weblog
 生きる目的は?何て言われても、その答えは、各人それぞれ、様々でしょう・・・・。
 高校2年生の時、(私が尊敬する)現代国語の先生が、「ヒトは、生きる為に生きる。」と言いました。その先生、台湾にある帝国大を出た後、戦争中、捕虜生活をしばらくしていましたが・・・。その先生の言われた、「生きる為に生きる」とは、どう言うことだろうかと、今までに、いろいろ考えた結果、正直、まだ、よく分かりませんが・・・。
 鮭や多くの動物を見ていると、生殖能力が失われると、死んでしまいますね。つまり、子孫を残す為に、この世に産まれてきたのではと、思わざるを得ませんが。
 ヒトも、お腹にいる時には、女の子の場合、800万個の卵の元がある訳で、それが、産まれる時には、既に、200万個ぐらいになって(その内、ちゃんと卵として機能するのは、その半分で)、それからどんどん卵は、消滅して行き、思春期には、30万個ぐらいになって、その内のわずか500個が、毎月、排卵されることになります。
 又、精子は、3mlに3億匹もいる訳ですが、その内の、1匹が目出度く、卵と一緒になって、受精して、人となる訳ですが・・・。
 ところが、この裏には、不可思議ないろんな事があって・・・→
 まず、一番早く到達した精子が、受精することは、残念ながらなくて、卵子と結合する別の精子の為に、殻を破る役だけのこと。又、双胎である事も多く(バニシングツイン、この確率の値に付いては、いろいろ言われていますが、まだ、はっきりしていませんが)、この場合、一人が大きくなるまでに、他は、消失することが多い。
 と考えると、私たち人類一人一人は、800万分の1×3億分の1、他を押しのけてこの世に奇跡的に産まれて来たと考えても、いいのでは・・・?!
 そんな天文学的な確率で他を犠牲して頂いた命、生きている約100年間、有効に使いましょう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孤独・・・

2018-08-30 19:48:36 | Weblog
 誰しも、自分がいつまで生きられるのか、正確に言える人、まず、いません。この世では、歳を沢山取った順に亡くなる訳でないのです。思い掛けずに長生きしていたり、逆に、アッと言う間に他界してしまったりすることもあります。
 私も、現在、69歳で、もう、それなりに歳を取っているのですが、お陰様で、元気に仕事が出来ています。が、身体が次第にきつくなりつつあるので、いつどうなっても、不思議でないと思っています。
 ある(独りボランティア演奏をした佐伯の)老人施設で、そこの職員の人から、「お医者さんは、死ぬまで仕事出来ますよ。車椅子生活でも・・・」何て言われたことがありました。
 そう言われれば、いろんなことを思い出します。(上天草市の)ある老人施設に行くと、施設長(医師)が、「昨日まで、入院していました・・・」何て言われ、それから、人伝いに聞いた話では、翌年、その施設長、亡くなった様でしたが・・・。
 福島県の原発事故後でも、現地で、亡くなる直前まで、(肝臓がんで苦しみながら)頑張っていた産婦人科医がテレビで紹介されていましたが・・・。又、私が知る小児科医にしても(その先生が長年診療で使っていた椅子で、現在、私が診療させて頂いていますが)、脳卒中で倒られた後、半身不随の身体で、毎日、休まずに、夜遅くまで、それも亡くなる直前まで、10年以上も頑張られた例もあります(合掌)。
 思うに、本人にとって、医師としての仕事が生き甲斐であり、元気の源だったのではないでしょうか?
 歳を取って行く時、3つの大きな難題があると言われます。それは、「お金」「健康」「孤独」です。その中で、「お金」と「健康」は、若い時から、多くの人が意識して、現役時代にも、それなりに対策を立てて実行している人は多いと思いますが、「孤独」に関しては、そうでもないのではないでしょうか?
 男性で、定年後、いつも話していた職場友達がなくなり、家で、「孤独」を味わっている人、少なからずいると思われます。
 現役の時から、「職場以外の人達(!)」と交わるべきだと思います。
 私がよく知る産婦人科の先生(私よりも3歳下)、しばしば、「カナダで、釣りをしたらどんなにいいだろうか・・・」何て言っています。その先生、釣りが趣味で、釣り仲間や奥さんと一緒に、時々、釣りに行って楽しんでいるのですが、釣りの話をする時の顔は、仕事の時の回診の顔とは、全く違った感じの、恵比寿顔になっていますね。
 私には、太鼓友達やお茶友達やフェイスブックでの友達がいます。
 可愛い孫もいます。
 ありがたいことだと思っています。
https://www.youtube.com/watch?v=np8sJzAKGeQ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海外旅行(イスタンブール)・・・

2018-08-29 06:52:31 | Weblog
 8年前(2010年)の5月12日~27日(15泊)まで、イスタンブールに家内と一緒に行きました。
 その間、悔いなく、計画的に、アチコチ、行きました。モスクで、気に入った所は、二度行きました。少し暑かったのですが、超面白かったです。ホテルの人も親日的で(そのホテル、それまで、日本人が泊まったことは、殆どないって感じのホテルでしたが)、宿泊代も安くて、朝食も美味しくて、ウォッシュレットめいたものもあったりして、良かったです。
 帰った直後に書いた私なりの感想ですが、何かの参考になれば、幸いです。
 現在、トルコリラは、何と18円(!)と、ガタンと落ちていますが・・・。

1、帽子をかぶっている人が少ない。雨が降っても、傘をささない人が多い。日焼けに関しては、あまり神経質になっていない様です。
 同じトルコ人なのに、スカーフをしてない女性、多い。(シーア派と思われるが)手足や顔をちょっとだけしか出さないで、暑くても、黒い服をしっかり被っている人がいる。スカーフもしなくて、フリーな感じの服装の人は、しっかり被っている人を見て、暑い時にも大変だなあと思っているのに、黒い服をしっかり被っている人は、将来地獄に行くことになるのに、被らなくて可哀相にと思っているとのこと(あるトルコ人より拝聴)。
2、猫はモスクなどに結構いるのに、犬は、いるけど、実に少ない。ハトは、餌を積極的に餌を上げてる人が多いせいか、モスクの周りなど、多い。あるモスクなどは、猫の天下って感じになっていた。街のレストランで食事をしていると、猫がやってきて、パンを上げても食べない。肉を上げると、喜んで食べて、まだ欲しいって感じの動作をする。この経験、しばしば。
3、カドキョイで13時過ぎにたまたまムスリムの人の集いを見学したが、このことに付いて、トルコの人に尋ねると→週1回(金曜日の昼過ぎ)に、ムスリムには、集まる義務があるとのことで、道路に座っていたのは、モスクの中に多くて入れなかった人達とのこと。
4、トルコ人は、英語を理解できる人は、少ない!いいレストランや繁華街では、英語を理解する人は多いが、ちょっと中心地から離れると、ぐっと少なくなる。極論を言えば、英語を話す人を中心に商売している所は、確実に、英語が通じるって感じ。自分が宿泊したホテルの部屋の掃除や床を掃除する人(男女2人ずつの4人)は、英語が全く理解できなかった。
5、トルコでの公務員の最低給与は、月600TYL(3.6000円)みたいで、不景気で、それで生活するのは、かなり厳しくなっている様だ。
 ある建物を見学に行った時に、そこのちゃんとした正職員なのに、「テアートルはどうか?」と尋ねてきた。私が日本人で、かつ、医師と知ってからの話。何度も、テアートルの意味が分からなくて、尋ねたが、後で考えると、どうも、劇場のあっせんでお金を稼ごうとしていた様だった(?)。
 トルコでの中流階級の生活が窮迫している様で、トルコは、今までも、インフレがしばしば起きている。ユーロだけでなく、トルコリラの価値も落ちている(ちょっと前は、1YTLが90円だったのに、今は、60円を切っている!)。イスタンブール内のトルコ系の会社で、倒産の危機に陥っている所、多い様だ(あるトルコ人からの情報)。
6、日本人と思って、「こんにちは」と声を掛けてくる商売人、多い。買う気がなければ、初めから、何も言わずに無視することだ。話すと、いつまでもつきまとわれることになる。(私は、つきまとわれることで、無料でトルコ語の勉強をしようと思ったのですが、家内が、怖がって、ちょっとしか出来ませんでしたが・・・?!)
7、新市街地を通っている時に(余り人通りが多くない所でしたが)、靴を磨く人が、靴ブラシを落とした。で、すかさず、「落としましたヨ!」と知らせて上げると、直ぐに、その場に座って、お礼にどうしても靴を磨かせてくれと言う動作をした。しかし、私と家内は、その気がなかったので、振り切って、その場を後にした。
 で、その後、水道橋を通っている時にも(ここも、さほど、人通りが多くなかったが)、(私と家内は、少し離れて歩いていたが)、靴を磨く人が靴ブラシを落として、それを家内が知らせると、お礼に、やはり、靴を磨かせてくれとの動作をした。しかし、家内は振り切って、その場を離れた。
 ムムッ、・・・→ホントに靴ブラシを落としたのか、日本人だと、靴を磨けば、お金が稼げると思って故意に落としたのか、…あまりにも2つの事例が似ているので、今度は、拾わなくて、遠くから後でそれを拾いに来るかどうか、確かめる必要があると言うことになりましたが・・・。
8、路面電車内での若者の無銭乗車を2例ほど目にしたが、大人では、全くなかった。路面電車内での譲り合いの精神、何度も目にした。子どもを抱いた母親には、(当然って感じで)譲ってもらえていた。(素晴らしい!)

*写真は、(有名な)サバサンドを食べている私、(見晴らしのいい)ガラタ塔からの私、レストランから見た(スュレイマニエ・ジャーミィが見える)景色


*(こんなサイトがありました・・・→http://www.tabascopotato-trip.com/entry/2018/02/27/200000)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海外旅行(パリ)・・・

2018-08-28 06:54:20 | Weblog
 6年前に、パリに行きました。行った後に書いたものを見て、思い出しています。

 平成24年5月21日(月)~6月20日(水)まで、30泊して、憧れのフランスのパリに(初めて)滞在しました。平成23年の予定でしたが、予約していたのですが、熊本地震があった為に、延期しました。個人旅行で、いろいろありましたが、とても思い出深い旅行となりました。
 出発の早朝、宿泊した成田空港の近くのホテルから、運良く「金環日食」が見れました。エール・フランス航空で昼過ぎに成田空港を出発して、(現地時間で)その日の夕方に着いたのですが、予想に反して、夜の9時過ぎでも、昼間の明るさで、驚きました。
 ホテルは高いので、アパートを借りて、前半は「オデオン(6区)」で、後半は「モンパルナス(14区)」で、自炊をして(昼は、外食が多かったのですが)家内と一緒に楽しく過ごしました。
 兎に角、「(月曜から日曜までの1週間の)パス・ナヴィゴ・デクーヴェルト」を使って、14本の地下鉄を全て利用して(タクシーは、シャルトルとニューヨークに行った時のみ利用しましたが・・・)、足もフルに使ってくまなく歩き回りました。
 途中で、「モンサンミッセル」や「ベルサイユ宮殿」や「シャルトル」、更には、「ニューヨーク」にも3泊程(機内泊を入れると、4泊)で行って、又、パリに戻って、日本に帰ってきました(帰りは、機内で1泊して、早朝に成田に到着)。
 (51歳の時に、フランス語5級にパスし)片言のフランス語を使いながら、食べ物の買い出しをし、(時間がたっぷりあるので)マイペースで過ごしました。

 以下、私なりに気が付いたことを記載します。

1、住んでいるアパートの直ぐ近くに学校があったのですが、子どもたちとすれ違っても、誰も、挨拶しません・・・。(←子どもの安全性の為に、そう教育されているのでしょうか?)

2、タバコの吸い殻の入れ物があるのに、そこに入れないで、ポイ捨てしていますね・・・。(←それなのに、フランスでは、肺ガンで亡くなる人がはっきりと多くないのは、何故?)

3、スーパーで買い貯めをしている人、少ないですね・・・。小刻みに買っているのでしょうか・・・?パリは、店が沢山あるからでしょうか・・・?

4、地下鉄の電車がどの路線で頻回に走っていて、時々、スゴク混んでいることもありますが・・・日本の様に、香水の匂いが強い感じの人、いません・・・。(匂っても、気にならない感じのさわやかな匂いですね・・・)

5、人が見ていても気にしない感じで、アベックが何処ででも、愛情表現していますが・・・→日本だと、とても出来ない姿も・・・←文化の違いですね。

6、お金は、普通の買い物では、100ユーロ札などの大きいのは困るみたいで・・・大きくても、50札で・・・20ユーロ札や10ユーロ札の紙幣を沢山持っておくといいですね。
 それに、コインを、全ての種類を持っていて、買い物でそれを使うといいですね。例えば、39.11ユーロを払う時、20ユーロ札2枚と、10セント硬貨1枚と1セント硬貨1枚出せばいい・・・。(フランス人の計算は確かで、ちゃんと1ユーロもらえます・・・チップは原則的に必要なし!)

7、日本と違って、パリでは(ヨーロッパでは、何処も少ない感じですが・・・)、超トイレが少ないですね。カフェやレストランに入ると、奥に(地下のことがしばしばですが・・・)、トイレがあるので、それを利用するといいのですが、ペーパーがないこともしばしば(女性は、注意!)。それに、ペーパーを使うと詰まり易いので、注意!カフェの値段、日本よりも安いことが多いので・・・。
 街のど真ん中に、無料のトイレが時にありますが、並んでいますね。男女兼用のトイレも多いですね。水を流すのに、紐を下に引いたり、つまみをあげたり、自動だったりと、ケースバイケースですね。

8、地下鉄では、乗客が大きなエレベーターで移動する路線もあります。大きなトランクを抱えた旅行者用に、エレベーターが備え付けれている路線もありますが、極めて少ないです。そのエレベーター、狭くて、女性にとっては、人が少ない時は、危険では・・・?!

9、地下鉄に乗る時には、矢印と番号と終点の駅名を見て、どんどん歩いて行くのですが・・・その方向に行って、いざその乗り場で乗ろうとすると、別の行き先になっていることを数回経験しました。
 つまり、この場合、そのホームを通って、その先に乗るべきホームがあると言うことでした(!)。乗る前に、真ん中辺りに光って見える掲示板で、行き先を必ず確認をする必要がありますよ・・・。

10、物乞いの人が駅周辺に多いです。ただ、お金を下さいって感じの人がいます。若い人で、まだ、仕事できそうな感じの人もいますが・・・?!

 以上、何かの参考になれば、幸いです。

 フランスのパリは、5月や6月が最高にいいですね。建物がスゴイですね。見るべきもの、メジロ押しって感じです。この5月と6月、昼間が長くて、暑くなく、梅雨もなく(洗濯物が直ぐに乾きますよ!)、花は綺麗で、食べる所やホッと出来る所(公園や森など)沢山ありますよ。それに、やはり、パリは芸術の街ですね。アチコチで音楽を耳にすることが出来ます(地下鉄では、頻回に)。
 フランス人(のパリ人)を見て・・・→自分の生き方と他人の生き方を共に大切にする生き方、我々日本人が学ぶべき所、ありますね。5週間の有給休暇があるとのことで、7月後半から8月は、店が開いていない所が多い・・・?!(まあ、席を譲ってくれる紳士も確かにいますが、信号無視と、煙草のポイ捨てと、犬の糞の後始末は、感心しませんね・・・?!)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海外旅行(ドバイ)・・・

2018-08-27 06:39:32 | Weblog
 4年前の2月に、ドバイに家内と行きました。その時の感想をブログに書いていました。で、それを見て、その時の出来事を思い出しています。70歳ともなると、海外旅行も、体力勝負って感じになります。飛行時間が12時間近くの飛行機ともなると、尚更です。
 宮崎に引っ越してから、ずっと、海外旅行をしていません。来年は、行くつもりにしています。取り敢えず、3~4泊で、香港辺りかな。宮崎から、香港や台湾や韓国行きの飛行機の直通便が出ていますので、それを上手に利用したいと思います。
 私にとっては、香港は、通過点としてちょっと立ち寄っただけで、まだ、未知の場所です。日本で、香港の人とは、時々、出逢っていますが・・・。
 実際に体験しないと分からないこと、多いです。
 以下は、過去に書いた内容です。

 私なりのドバイ旅行のつたない感想ですが・・・→
1、ドバイのインド人の多くは、アラビア語が話せない様ですが・・・(ムスリムは別ですが・・・)?!
2、現地に行って、ツアーの参加直前に、その会社からメッセージが来て、それには、義務ではないですが、チップを上げる様にとはっきりと書かれていましたが・・・→
 そう書かれたツアーで、一緒に周った他の国の人でチップを上げている人、私が観察していた限りでは、誰もいませんでした。
 日本人が関わると、それなりにかさ上げされるってこと、あるのでしょうか?!人を介さなくて、(インドネシアなどの東南アジアで経験した様に)1対1で交渉した方が安上がりになるのかなとも思いました・・・?!
3、水族館も、一人80ディルハムも出さなくても、外から無料で見れる所があります。食事する所も、上から下まで、凄い差です。アブラに乗って対岸に行くのに、わずか1ディルハム(30円未満)で行けます。ホテルの値段も、上から下まで、凄い差があります。それぞれ、個人に合った料金で生活しているのだと思います。
4、メトロも、2009年にレッド・ラインが開通し、2011年にグリーン・ラインが開通しています(最後の2駅がまだ出来ていませんでしたが・・・)。(その内、ブルー・ライン、パープル・ラインも出来るそうです・・・)
 空港に着いた時に、メトロのゴールドカードを買えば、トランク運びも出来ます。このゴールドカードを旅行者は、もっと利用するべきだと思いました。(タクシー代は、日本よりも高くないですが、メトロの方が、ゴールドを利用しても、もっと安いです)
5、アチコチ、まだ、建築ラッシュですね。夏は、40℃~50℃になるそうです。私の行った2月は、半袖でも良くて、ちょうどいい時期でしたが、砂漠の砂で遠くがかすんでいました。
6、とても安全な感じがしました。昼間は、東京以上に安全かも知れません。ドバイ・メトロ周辺でも。
7、インド人、パキスタン人、フィリピン人、バングラデシュ人・・・国際色豊かにアチコチから来た人が働いていました。国籍問わず、能力で仕事に付けるのだと思いました。インド料理のレストランに入っても、アラビア語は、通じませんでした。
7、車は、軽自動車は、走っていません。
8、信号無視して渡る人、多いですが、車は、歩行者優先って感じで、止まってくれますね(タイのチェンマイでは、歩行者無視って感じで、車が走っていましたが・・・?!)
9、日本人(日本を含む)の受けは、現地では、とてもいいですね。
10、中国人が多くて、日本人の多くは、中国人と思われている感じですが・・・?!
11、「ドバイ」では、又、ドバイの隣の「アブダビ」や「シャルジャ」でも、建築ラッシュって感じでしたが・・・夏、40℃~50℃の環境の中で、どんどん建築して行っても、それなりにずっと需要があるのかどうか、私は疑問に思いましたが・・・?!
 昔、シンガポールに家内と行った時に、「人工の島」や「人工の滝」を見て、人工的にどんなに頑張って造っても、自然にはかなわないと思いましたが、今回、更にそう思いました。
 本来、イスラムでは、偶像は禁止であり、神(アッラー)の前では、皆、平等であるはずです。喜捨の義務も、しっかりと詠われています。
 しかし、現実には、王様の肖像画がアチコチ掲げられ、一部の人が、メチャ贅沢な生活をしています。コーラン(クルアーン)の教えとは、程遠い感じがしますが・・・「アラブの春」も、こんな雰囲気の中から自然発生的に出たものかも知れません。
 7つの国から成る「アラブ首長国連邦」は、今は、他の国が羨む様な発展を遂げていますが、今後、どうなるのか・・・?!
 その点、日本の環境は、素晴らしいですね。四季がはっきりしていて、自然に何も加えなくても、そのまま観光として成り立ちます。沖縄から北海道まで、日本は、地理的に長いです(3000Km)。それに、くまなく、安全で、清潔で、人が親切です。
 観光でドバイに行く経験は、多くの人にとって貴重だと思いますが、ずっとそこに住むとなると、どうでしょうか・・・?!(←私は、やはり、天草の方が、何倍もいいです・・・)
 内容が、何かの参考になれば、幸いです。

*2014/2/1~2/8 ドバイ5泊(その間、アブダビ観光&シャルジャ観光も)。家内と一緒に。
*2016/3/19~3/30 ポーランド11泊(ワルシャワ4泊→クラクフ4泊→ワルシャワ3泊、クラクフでは、私の50年程の念願のアウシュビッツ収容施設を見学)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60代最後の夏休み(8日目)。

2018-08-26 08:48:01 | Weblog
 8月18日(土曜日)の19:20~20:30まで、新女島地区で、盆踊り大会がありました。
 自宅から自転車で会場まで行きました。メンバーは、花火大会前の市民総盆踊り大会で打った(私を含めて)3人でした。
 佐伯音頭→ばんば踊り→炭坑節→佐伯めぐり数え唄→中休み→佐伯音頭→ばんば踊り→炭坑節→佐伯めぐり数え唄の順でした。初めの「佐伯音頭」と最後の「佐伯めぐり数え唄」が、長く流れました。
 いい汗をかかせて頂きました。
 ありがとうございました(合掌)。
 これで、私の60代の最後の夏休みの太鼓は、無事に終了しました。10年後は、もう、打っていないと思われますが、せめて、75歳ぐらいまで、元気に打ちたいです。出来れば、二人の孫と一緒に、いや、一緒に打つ孫の数がもっと多いかも知れません。
 私が亡くなっても、孫が、盆踊りの時期になると、佐伯に来て、この盆踊り太鼓で私の供養をして頂ければ、最高かな・・・?!
 おじいちゃん、そう思うと、悔いなく、安心して、天国へ・・・?!
 佐伯に帰ると、同級生だけでなく、上の学年も、下の学年も、名前を知っている人が最近亡くなっていることも・・・いろんな病気で、苦しんでいるケースも、少なからず多いです。
 健康で仕事が出来ることだけでも、有り難いことです。ホント、それに、好きなことが出来るなんて、あることが難しいことですね。感謝感謝です。
 そんな中で、とても明るいニュースも、耳にしました。佐伯駅に行く時に、偶然に、ある人との会話の中で、その人のお孫さんが、ピアノの全国大会で優勝とのことで・・・スゴイなあ→
 私が、小学校の時、同じクラスにいた同級生の「飛鳥大五郎」も、幅広く、日本だけでなく世界でも、活躍しています。

https://www.youtube.com/watch?v=cT0livYAeac(堀田海斗君:ほったかいと)

http://www.aska-gumi.jp/profile.html(←飛鳥大五郎)






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60代最後の夏休み(7日目)。

2018-08-25 07:07:36 | Weblog
 8月17日(金曜日)13:15に、いつもの様に、「清流の郷」から迎えの車が来て、13:50から15:00過ぎまで、約75分間、「独りボランティア演奏」をしました。
 2日前に「優しい風」でした内容と、ほぼ同じ内容でしました。
 お盆で、自宅に帰っていた人も、もう戻っていて、50人の車椅子の方々の前での演奏でした。
 篠笛の音は、空調の関係で、音が出にくかったりして、まあまあって感じでしたが、太鼓(私が使っていたのを寄贈させて頂いたものですが)の音は、無心に近い感じで打ったからでしょうか、今までの演奏の中では一番良かったって感じでした。
 残念なことに、肝心の三脚を持って行くのを忘れて、その演奏が録画できませんでした。時々あることですが・・・。
 最後に入居者の方からお礼を言われ、又、帰る時にも、2名の入居者の方から、わざわざ玄関まで来て頂いて、見送りして頂きました。
 ありがとうございました。


1, 篠笛・・・(テ一プのピアノに合わせて)「荒城の月」
2, 篠笛・・・「炭坑節」「我が人生に涙あり」「アンパンマンの歌」
3, 篠笛・・・「宵待草」「花嫁人形」「会津磐梯山」「黒田節」「酒よ」「島原の子守歌」「赤い靴」「赤とんぼ」「五木の子守歌」「船頭小唄」
4, 和太鼓・・・「炭坑節」
5, 和太鼓・・・「ばんば踊り」
6, 和太鼓・・・「河内おとこ節」
7, ハ一モニカ・・・「ふるさと」など10曲
8, 手品・・・お金の手品を3つ
9, 篠笛・・・「我が人生に涙あり」「リンゴの唄」「古城」「青い山脈」「アンパンマンの歌」「釜山港へ帰れ」
10, 篠笛・・・(古賀メドレ一)「影を慕いて」「人生の並木道」「人生劇場」「悲しい酒」
11, 篠笛・・・「月の沙漠」「君が代」
12, 篠笛・・・(八本調子で)「荒城の月」
13, 和太鼓・・・「きよしのズンドコ節」
14, 「一本締め」
15, 和太鼓・・・「飛翔」



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60代最後の夏休み(6日目)。

2018-08-24 06:34:23 | Weblog
 8月16日(木曜日)の午前中に、長女と孫二人が、佐伯を経ちました。
 思い出をたくさん作ってくれて、ありがとう。
 来年は、行儀良く食事が出来て、太鼓も、もっと上手に打てるかな・・・。
 この日の午後7時20分から恒例の「長島町盆踊り大会」がありました。
 雨が少しだけ、降っていましたが、予定通りの開催となりました。
 佐伯音頭、ばんば踊り、東京五輪音頭2020、佐伯音頭と、ありました。
 昨年まで区長していた人が、何と、小学1年生から6年生まで、18人(!)を10日間掛けて、盆太鼓を、苦労して教えていました。 
 途中の中休みの時に、母親が長島町出身の歌手のLiveがありました。後半は、佐伯音頭、炭坑節、ばんば踊り、佐伯音頭とありました。
 今年は定番の地踊りがなくなって、新たに、東京五輪音頭2020が加わりました。その理由として、地踊りを踊れる人が少なくなったからとのことでした。
 時代の変遷を感じました。

https://www.youtube.com/watch?v=6YdcDMeSrGw&feature=youtu.be(←盆踊りで、こんなに沢山の小学生が打つ光景、初めてでした。最後の佐伯音頭の曲で、子ども達の面打ちに合わせて、私が、縁を打ちました。)

https://www.youtube.com/watch?v=GyH_XD14DFo&feature=youtu.be(←とてもきれいな声で、盆踊り終了後、アンコールで、もう一度、このきれいな声を聴くことが出来ました。)






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60代最後の夏休み(5日目)。

2018-08-23 07:11:02 | Weblog
 8月15日(水曜日)の13時40分~14時55分の75分間、ノンストップでいつものように、「優しい風」で、「独りボランティア演奏」をしました。
 気持ち良く、演奏出来ました。ありがとうございました。 行く時と帰る時だけ、にわか雨が降りました。こんな感じで、まだまだ、毎年続けていきたいのですが・・・。
 ところで、孫と楽しみにしていた来島地区の供養盆踊り大会、雨で中止になりました。残念。


1, 篠笛・・・(テ一プのピアノに合わせて)「荒城の月」
https://www.youtube.com/watch?v=PBpv2sVvM04(7本調子で、荒城の月、篠笛演奏で一番初めに演奏)
2, 篠笛・・・「宵待草」「花嫁人形」「会津磐梯山」「黒田節」「酒よ」「島原の子守歌」「赤い靴」「赤とんぼ」「五木の子守歌」「船頭小唄」
3, 篠笛&和太鼓・・・「炭坑節」
4, 和太鼓・・・「ばんば踊り」
5, 和太鼓・・・「河内おとこ節」
6, ハ一モニカ・・・「ふるさと」など10曲
7, 手品・・・「布が変身」「トランプが変身」「5枚の紙が5000円に」の3つ
8, 篠笛・・・「我が人生に涙あり」「リンゴの唄」「古城」「青い山脈」「アンパンマンの歌」「釜山港へ帰れ」
9, 篠笛・・・(古賀メドレ一)「影を慕いて」「人生の並木道」「人生劇場」「悲しい酒」
10, 篠笛・・・「月の沙漠」「君が代」
11, 篠笛・・・(八本調子で)「荒城の月」
https://www.youtube.com/watch?v=y1yaf9CBXbw(←8本調子で、荒城の月、篠笛演奏で一番最後の演奏)
13, 和太鼓・・・「きよしのズンドコ節」
14, 「一本締め」
15, 和太鼓・・・「飛翔」



*6歳の孫の半地下での(8月15日の午前中の)演奏。
https://www.youtube.com/watch?v=3CkiCEcXdus(←佐伯音頭)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60代最後の夏休み(4日目)。

2018-08-22 07:09:57 | Weblog
 8月14日(火曜日)の午後、「道の駅やよい」に、7人で、行きました。
  「やよいの湯内特設会場」で、グアドループ島の産地の「ヘラクレス・ヘラクレス」を直に孫と触って、感激しました。
 夕方から、女島地区で、恒例の供養盆踊り大会がありました。
 18時半過ぎに電話がありました。「今日、来ていただけますか?」との。女島地区からのこんなこと、初めてでした。自転車に乗って、急いで行きました。
 台風15号による雨を考えてのことでしょうか、公民館の中での開催でした。これも、初めてでした。時間も1時間ほど早く終わり、20時過ぎには終了しました。その間、雨は、殆ど降りませんでした。
 「佐伯音頭」の曲で、6歳の孫が、練習の時以上に、殆どリズムが最後まで狂うことなく、上手に打てたので、びっくりしました。
 更に驚いた事は、「さすが、先生の子どもさんですね。ユーチューブよりも上手で・・・」と言われたことでした(私の孫ですと、訂正しましたが)。孫のユーチューブを前もって見ていたことに、驚きました。
 孫の盆踊り大会での初デビュー、ご協力、ありがとうございました。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする