日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない話(その99)

2007-05-28 07:24:37 | Weblog
○昭和51年4月17日(土)曇。
 宮崎神宮に行って服を合わせ(結婚式の為の)、駅に行って出迎え、ニュ一高千穂(ここで田原家が全員集まって宿泊した)に行って、母の手作りの昼食を摂り、昼過ぎ(13:30)に早川先生(仲人)の所に行き、その後、(二学年下の)太田君(後輩、結婚式の時の司会者)を迎えに行った。明日は自分の結婚式というのにゼンゼンピ一ンとこない。今から、新たな気持ちで、自分を作って行かなくてはいけない。今までのは基礎だなあ。取り敢えず、実力のある医者になる為に、計画的に、急がず、休まず、一歩一歩確実に、マイペ一スで、余裕を持って、オ一ルラウンドに腕を磨いていくしかない。まとめること、そして、自分なりの体系を作ることだなあ。
○昭和51年4月18日(日)曇。
 結婚式の日であったが、父の誕生日の日でもあった。素晴らしかったなあ。一人一人真心が感じられた。終わりの方で、自分の得意な手品をし、お礼を言った。しかし、これからが失敗続きだった。最後に皆に見送られてタクシ一で行くのだろうと思っていたのに、タクシ一が来ていなくて、トボトボ歩いて自分のアパ一トに行った。後で聞いたら、皆で見送ろうとしたのに、自分等二人の姿が既にどこにも見当たらないので、今の若い者はせっかちだなあと話して皆で笑ったとのこと。家に帰って、カギを持っていないことに初めて気が付いて、タクシ一で不動産屋に行ってもらい、その足で市役所に行ったら、日曜なので人の姿がなく、仕方なく婚姻届をしないで(その後、1カ月して、届けを出した)、電車も急行でなく、普通の電車に乗った。座る所がなくて、二人とも立ってしまった。高千穂に行くつもりが、家でちょっと前に飲んだトラベルミンの催眠作用がアルコ一ルによって増強されて、あまりにも眠たい為に、延岡で降りた。行き当たりばったりって感じで、きたないビジネスホテルに宿を取って、そのまま寝込んでしまった。起きると夜の10時を過ぎていて、その為にか、お湯が出なくて、風呂仁も入れなかった。この先、どんなハプニングが起きるのかと思うと、少し不安になってきた。
○昭和51年4月19日(月)晴。
 臼杵に行って、初めて石仏を見た。すごくいいホテルに泊まった。・・・?!
○昭和51年4月20日(火)晴。
 ストがあっていた。バスで鍾乳洞に行った。そして、佐伯に帰った。失敗談が父母へのおみやげになった。
○昭和51年4月21日(水)雨。
 あちこち挨拶して回った。河内の○木家に行くと、いとこの二人がヨ一ロッパに1年ちょっと行って帰ってきたところで、英語ペラペラになっていた、二人が早口で英語でスラスラ言うのを聞いて、自分は一体大学で何をしてきたのかと思い、自己嫌悪に陥った。

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1 コメント

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こんにちは (memaido)
2007-05-28 08:44:39
はじめまして、楽しく拝見させていただきました。
またちょくちょく拝見させていただきます。
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