日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

ミーアキャットの教育

2008-06-30 08:37:31 | Weblog
 アフリカの砂漠のミーアキャットの親が、子どもにサソリの取り方を教える様子が、6月29日(日)の19:30からのNHK「ダーウィンが来た」で放映されていた。
 乾期が来ると、食べ物が少なくなるので、親自身が食べることで一生懸命になる。で、その前に、子どもに餌の取り方をちゃんと教えておく必要がある。
 サソリからミーアキャットが刺されても、ミーアキャットには、サソリの毒に対しての抗体があるので死ぬことはない。が、刺されると、とても痛い。
 まず、死んだサソリを親が与えていて、サソリの美味しい味を覚えさせている。次に、先のトゲを取った生きたサソリを与える。次には、トゲのあるままで、少し弱ったサソリを与える。そして、最後は意気のいいサソリをそのまま与えるって具合にして、段階的に教育をしている。後は、全く与えない。つまり、自分で取るしかない。
 ムーッ、人間も見習うべきスゴイ教育をしていると思う。これって、永いことケンブリッジ大学研究チームの観察の結果わかったこと。
 ミーアキャットは、群れで行動する。群れによって、子どもの教育の熱の入れ方が多少違い、熱心なところ程、群れが大きくなり、乏しいところは、その内消滅しているとか。
 人間も、同じかなあ。
 その子の年齢と能力に合った問題を与えるべきで、いきなり難しいことを与えても、ついて行けないし、子どもが嫌いになってしまう。日本の親は、落第ってことをスゴク気にするが、しっかり覚えてなくて上の学年に上がっても、先生も本人も困るし、授業も面白くないはず。で、不登校になるかな?
 小さい時は、知識よりも大切なモノがある。情や意で、元々子どもは好奇心に富んでいて、いろんなことを知りたいし、挑戦したい気持ちがある。失敗しながらも、それを自分の力で何とか成功した経験が、自信の土台となる。が、それを周囲が何でもかんでもしてしまうと、最後まで周囲が面倒をみないといけない感じになって、両方とも、最後まで事が上手く運ばない感じになってしまう。
 今の人間の姿、競争競争で、無理難題を本人の意志と関係なく押し付け、際限なく欲望が大きく、足ることを知らず、自己本位で自然を破壊している。これでは、いつかは、滅んでしまいますよ!
 ミーアキャットのスゴイ所は、これだけではない。群れのリーダーだけが子どもを産む、すると、グループの他のメスも母乳が出る様になり、リーダーの子を自分の子どもの様に母乳をあげて育てている。
 実は、アメリカインディアンの教育も、これに少し似ている。しっかりと父親と母親がいるのだが(親が亡くなっても、その親のイメージをしっかりと与える)、育てるのは皆で育てる。子どもは社会のモノとの考え方だ。欧米や日本でよくとられている核家族の形態って、自然の生き方に反して良くないのかも知れないなあ。


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澤村豊脳外科医

2008-06-29 12:10:10 | Weblog
{/hamster_1/(6月29日(土):NHK総合テレビ22:25~22:55)
 子どもの死亡原因で1位の小児がん。中でも治療が難しいのが小児脳腫瘍だ。年に200人を超える子どもが全国から集まる北海道大学病院には、「ぼくのさわむら先生」と慕われる脳外科医がいる。これまで800人を手術した経験を持つ澤村豊医師(54)だ。
 小児脳腫瘍と向き合う中で、澤村先生は常に治療の難しさに突き当たる。「腫瘍を摘出すれば、障害が残るかもしれない。しかし、摘出しなければ命が危ない。」厳しい選択肢を前に悩み続ける日々だ。
 澤村先生は、どんなに幼い子どもでも直接インフォームドコンセントをして、病状や手術方法などを丁寧に説明する。子どもが生きる力を取り戻すために病気を受け入れ、闘う覚悟を持つことが必要だからだ。  「生きることを決してあきらめない」という‘命の約束’が交わされる診察室。子どもの人生を背負って病と闘う一人の医師、そして懸命に生きようとする子どもたちの姿から、当たり前に生きられることの尊さが浮かび上がる。

 脳外科医って、大変だなあと思う。一人前になるのに10年近く掛かり、長時間の細かい手術が出来る年限も、他の科よりも短いと思う。それに、訴訟も産婦人科と同じく、トップレベルだ。好んでその科を選ぶ人も、少なくなっている。子どもの脳腫瘍に関しては、予後が良くないことが多いだけに、気苦労は小児科医以上だと思われる。
 手術前に、子どもにもちゃんと説明しているが、その説明の仕方が上手。子どもがホントに安心して手術に臨める様にコミュニケーションを取っている。澤村先生の一言一言が、実に重たく感じられた。「手術前の子どもの姿が立派に見える」「正解のない問いに迷う」「どちらを取っても、どちらも正しい」「後で後悔しない」「そうしないと、(次の)手術に入れない」。
 立派な先生だなあ。

 こんな感じで、現場では、多くの医師が迷いながらも目の前の治療の決断を迫られている。後で、訴訟なんてことになれば、ホントに落ち込んでしまうなあ。
 子どもの場合、年齢、性別、その子の性格や周りの状況など、いろんな要素が入り、具体的にどうその子とその親御さんと接すればいいのか、教科書に総論はあっても各論はない。自分なりに会得するしかない。
 思うに、一番大切なことは、来院した親御さんにも子どもさんにも、安心感を与えることだと思う。心配で来院している訳で、来院後に不安になって帰る様では、何の為に医療機関に来たのか、患者さん側にとっては分からなくなる。安心感を与える為には、医療側にもゆとりが大切だと思う。ゆとりがあれば、医療側にも自然と笑顔が出てくると思う。
 私は、入院して翌日はっきりと良くなっている場合、V-サインをして、親御さんと一緒に喜ぶことにしている。拍手をしたり、親指を立てたり、「バッチリ、バッチリ」何てよく言っている。しっかりと喜びを顔に出さなければ、親御さんに伝わらないと思っている(男女や夫婦の間も同じですかね?!)。
 名前は、名字を言わずに、「○○ちゃん」「○○君」などと言っている。大きな子は、そう言う訳にはいかないが。怖いとの垣根を取る感じで、初めに名前を呼んでいる。それでか、外来で泣く子がホントに少ない。
 私の場合は、漢方薬をよく使うこともあって、手先の温かさを確認し、脈を両側よく診ている。初めての子どもは、手を引っ込めることが多いが、次第に慣れてきてくれる(専門的だが、風邪の引き初めは、確かに、脈診で右の方がよく触れる!)。
 所見を親御さんに言うことにしている、・・・「お母さん、見て!喉ちんこがはっきりと赤くなっているでしょ、その熱だと思いますヨ」。
 上手に聞き出すことも大切で、咳であれば、コンコンがゴホンゴホンか(更に、喉を押さえて咳を実際にさせることも多い)、鼻水であれば、色が付いているか、下痢であれば、匂いがどんなかなど、看護師さんの問診に付け加える感じでしている。
 初診でも、あまりにも元気なければ検査し、検査の結果も親御さんの顔色をしっかりと見て、納得できる感じで説明している。
 犬は、飼い主の顔をよく見るというが、正に、医師もそうでないといけないと思っている。
 子どもを扱う科は、時間を問わず忙しいことや厳しいこともあるが、他の科と違って、得なこと、確かにある。それは、やはり子どもからエネルギーをもらえること。子どもは、ホントに、「未来の財産」だと思います。

*写真と記事の内容は、全く関係ありません。(クアラルンプールで撮ったモノ)

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伊達公子・・・

2008-06-28 11:35:42 | Weblog
 6月27日(土)の22:00から、NHK総合テレビで、「笑顔で戻ったテニスコート・クルム伊達公子37歳強さの秘密・勇気をくれた夫」と題して、50分間の放映があった。
 一度は、完全にしないと諦めたテニスであったのに、又、ラケットを握り、しかも、元のプロのテニスプレーヤーになって、今年の日本でのテニスの大会でダブルスもシングルも優勝し、当の本人が驚いている。
 26歳の時に、あれ程きっぱりと、もう元のプロに戻らないと決めたのに、再び、自分自身で同じプロの道を歩むことを何故決めたのか、それを私は知りたかった。
 まず、結婚したこと。この場合は、夫の存在は大きいと思う。しかも、カーレーサーで、テニスのことは素人。これが又いいと思う。
 次に、子どもと接してきたこと。引退後に、子どもにテニスを教え、テニスの面白さを教えることに専念してきている。それで、又、自分の小さかった時に、テニスが大好きだったことを鮮明に思い出して、再び、モチベーションを高く持てる様になっている。
 それに、テニス界から完全に身を引いて、それ以外の自分のしたかった世界(海外に行って、日本の文化の良さに気付いて)にどっぽりと入っていたこと。「茶道」「着付け」「陶芸」など。
 全てが今の伊達公子を作っていると思う。試合を見ても、楽しんでいる。そこには、負けて元々と思ってる感じで、かっての思苦しさはない。元々明るい性格の人だと思う。しかし、周りからあまりにも期待され、自由がなくなり、とうとう好きなテニスも嫌いになってしまったと思われる。こんなケース、他の人にも多いことだと思う。
 自分にしても、今の自分の姿が嘘みたいに感じている。
 前の救急病院を辞める時には、ホントにもう、医療が嫌になって、医師生活を2~3年しなくてもいいと思っていた(子どもで学資がまだいる時だったので、貯めたお金をスッカラカンに使い果たしてもいいとまでは思わなかった)。ドクターの就職を斡旋している会社の掲示板の自分の説明には、「団塊の世代の小児科医です。年間3~4分の1の仕事量を望みます。急いでいないので、2~3年以内に、ゆっくりと考えて決めたいと思います」との内容の主旨で書かれていた(今も、その気持ちは、基本的には同じだが・・・)。
 しかし、医療のイの字もしなくて、一人であちこち海外に行って、行き先でいつもしていたインターネットからのメイルで、小児科医就職の依頼がアチコチから常に来ていた(30カ所以上から)。
 半年程、小児科医がいなくなって、ホントに困っている田舎の総合病院の事務長さんからの熱意に感動して、まだ、エジプトとトルコの長期滞在をする計画を突如中止して、(ずっと自分の夢であった日本の文化を持っての海外滞在中心の生活をまる1年間で中止して)今の職場に就職し、既に、まる3年になろうとしている。
 へき地に勤務したことがなかったので、あまり期待してなく、それまでしてきたことと違って、最低限の荷物を持って、いつでも引き上げられる感じにしていた(それまでは、大学から次々と医者が交代で来ていた)。確かに、初めの1年間は、小児科医一人で、それなりに大変だったが、兎に角、今までと違って外来の患者さんの数が少なくて、採算の方を心配していた。17年間救急中心にベッドを持って一人でしてきた自分の経験は強かったし、中医学をしてきたことも、強かった。それに、元々教えるのが好きで、看護学校もあって、ラッキーだった。それに、1年経って、幸いにも一人小児科医が就職してくれた。
 今は、(どちからが必ず拘束になっているが、二人で適当に休みを取り合っている。時に、長期休暇も)忙しい時もあるが、気持ちが前とは全く違っている。自分なりに楽しく救急が出来ているし、大好きな趣味も適当に出来ている。
 子どもや親御さんだけでなく、歳のせいか、相手の立場が前よりはよく理解できる様になっているかな。親御さんと話す時、楽しく話している自分に気が付く。エンドルフィンが少し出て、イチローや羽生名人みたいにはいかないが、少しアルファーがかった脳波が話している時に出ているかも知れない。

*伊達公子の話から、・・・イギリスでの大きなテニスの試合で、西ドイツ出身のテニスの女王シュテフィ・グラフと、一進一退の熾烈の闘いをしていた。多勢の観客が見守ってシーンと静まりかえっているその会場で、突如ある男性の観客が、「グラフ、試合が終わったら俺と結婚してくれ」と言った人がいて、グラフの手が止まり、周りがドット笑い、グラフも笑った。その時、グラフは、「お金沢山持ってる?」と言い返している。で、又、ドット笑いが起きた。お茶目な伊達公子は、グラフの言い方に続いて、次の様に言えなかったことを後悔しているとか「私じゃ駄目?」と。

*平成19年の「五橋祭」で太鼓を打っている私。

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悪性黒色腫・・・

2008-06-27 12:48:22 | Weblog
 家内の右膝の所にポツンと黒いもの(2mm)があって、「ホクロ」でもない感じで、血豆ぐらいに思っていた。それから約1カ月が経っても小さくならずに、径が4mm程にもなり、真っ黒で、次第に不安になってきた。いろんな本を見るも、癌のことが頭にあって、次第に心細くなる。で、子宮癌にしても、乳ガンにしても、前癌病変と言うモノがあり、そんなものかも知れないと思う様になった。家内も納得して、やっと6月26日(木)の午前10:30に、皮膚科を受診。
 家内から、顔を出さないでね、いろいろ周りに言わないでねと言われていたので、又、外来もそれなりに忙しかったこともあり、昼過ぎに、病院の隣のアパートに帰って、どうだった?と尋ねると、ニコニコして、「大丈夫だった」とのこと。
 話では、ゼリーみたいにものを付け、特殊なものを使ってよく見て、「出血ですネ!」との返事(毎週来て診察している皮膚科の偉い先生)。「何かあれば、又、来て下さい。」と軽く言われてそれで終わり。
 ヨカッタ、ヨカッタ、ホントに良かったよ。結構、いろいろ考えました。ハイ。

*写真と上の内容は、全く関係ありません。

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沸騰都市ダッカ

2008-06-23 10:16:46 | Weblog
 6月22日(日)の21:00~21:49まで、NHK総合テレビで、「沸騰都市ダッカ“奇跡”を呼ぶ融資 」が放映されていた。ダッカには、3年前に16日ほどホームステイをしていたので、身近に感じながら見ていた。以下は、NHKの説明。
 世界最貧国のひとつに数えられてきたバングラデシュが、目覚しい経済成長を遂げている。年5パーセントを超える経済成長を持続し、BRICsに続く有力新興国「NEXT11」にも選ばれた。政府は十分に機能せず、輸出できるような天然資源もなく、外資にもほとんど頼れないこの国が、なぜここまで急速な発展を遂げたのか。
 その原動力となっているのは、貧困層の劇的な所得の向上である。この10年で全人口に占める貧困層の割合は10パーセント以上減少した。貧困層が知恵を振りしぼり、ひとりひとりが言わば起業家となって、自力で豊かさを手にしようとする動きが始まっている。
 その助けとなっているのが、無担保で少額を融資するマイクロクレジットである。グラミン銀行がノーベル平和賞を受賞、一躍脚光を浴びたが、それに先んじて始めたのが世界最大級のNGO・BRACである。
BRACは首都ダッカを拠点に、スラムに住む貧困層、繊維工場を操業する中間層に向けて積極的な無担保融資を展開してきた。その基本姿勢は、「貧困層に必要なものは援助ではない。投資である」。従来のNGOのあり方を大きく覆すものだった。

 不思議に思っていたことの謎が少し解けた。何故、世界で最も貧困と言われているバングラデシュで、ダッカの子ども達が生き生きと目を輝かしているのか?
 それは、未来が明るく輝いていることを確信しているからではないだろうか。
 今は貧乏でも、将来はそれから抜け出れる。直ぐには実現しなくても、自分の力でやっていける、そう信じている人が多いからではないだろうか。事実、そうであり、15%の金利で、連帯保証でお金を簡単にブラック銀行から(マイクロクレジット)借りられ、その返済率が何と99.5%に達しているのである。
 バングラデシュの都市のダッカでは、人件費が中国の3分の1で済む。現在、ダッカの人口は1.200万人だが、10年後にはその倍の2.200万人になると言われている。どこにもない安い有能な労働力がここにはある。
 物価は、インドとパキスタンとバングラデシュでは、バングラデシュが一番安い。インドは、カースト制で、上と下の格差で、なかなか人間関が難しい。パキスタンは、政権が安定していない。その点、バングラデシュは、日本の3分の1の面積しかないが、まとまっていて(言語の違いでパキスタンから独立したが)、人口は、日本よりも多く、世界で7番目に多い。
 私がホームステイした家は、6人家族で、一番下の息子さんが別府のAPU:アジア太平洋大学に留学していて、その時大学4年生だった。私は、彼から、ベンガル語を1年半以上掛けて教わった。行く時は、彼の声を入れたテープを持って行った。
 イスラム教の世界は、私にとっては全てが新鮮だった。世界で一番貧乏とのイメージがあったのに、実際は、目を輝かして生き生きと働いている人が多かった。学校に演奏に行った時に知ったことだが、小学校に入る前から母国語のベンガル語と英語を教わっていて(書く練習をしていた)、多くの子ども達が気軽に英語で話し掛けてきたのには、ビックリした。
 ダッカの人が、「その内、日本を抜くよ!」と言っていたが、テレビでも、ある女性が同じ様に言っていたのを聞いて、多くの人がそう思っていると思った。
 正に、ダッカは、自分の小さい時の戦後の姿だった。小学校上がる前、皆、ホントに貧乏だったが、どんどん生活が豊かになっていった。それと全く同じ状態。日本がアメリカに憧れていた様に、ダッカの人は、日本に憧れている(アメリカは、嫌われている感じであったが)。
 日本のことをいろいろ話したせいか、彼の兄が、日本に来て日本語を今勉強しているし、兄の友達も一緒に来て頑張っている。
 ダッカは、どんどん変わっていて、行った時に、彼の兄が、「○○○ブ(彼の愛称)が帰ったら、(わずか4年足らずなのに)その変わり様に驚くだろう」と言われていた。
 ダッカの子ども達は、目を輝かしている。日本の子ども達は、疲れた目をしている。ダッカの人達は、日本に学べと言っているが、日本がダッカの人達の生き方を学んだ方がいいかも知れない。やる気や助け合いの精神や家族のつながりなどを。それに、政府が一生懸命になっている教育制度にも。

*ダッカで、私が撮ってきた写真、ダッカ大学の附属病院、

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年間自殺者3万人!

2008-06-21 08:59:44 | Weblog
(6月19日の読売新聞より)
 昨年1年間の全国の自殺者は一昨年より2・9%多い3万3093人で、1978年に統計を始めてから、過去最悪だった2003年に次ぎ、2番目に多かったことが警察庁のまとめでわかった。
 この10年間連続して自殺者が3万人を上回っいる。そして、昨年の特徴として、60歳以上と30歳代の自殺者は過去最多となっている。
 お年寄りの「孤独感」を動機にした自殺のほか、働き盛りを中心にした「仕事疲れ」の自殺も目立ち、高齢者とともに、社会的・経済的に負担が増す世代が追い詰められている現状が浮き彫りになった。
 昨年の自殺者を年齢別でみると、60歳以上が一昨年比8・9%増の1万2107人と最も多く、全体の36・6%に上った。50歳代は2・8%減の7046人だったが、40歳代は1・8%増の5096人、30歳代は6%増の4767人で、働き盛りの30~40歳代だけで全体の29・8%を占めた。
 20歳代は2・5%減の3309人、19歳以下は12%減の548人で、小学生は8人、中学生は51人、高校生は215人だった。
 男女別では男が2万3478人、女が9615人。
 警察庁が遺書やインターネット上の書き込みなどから動機を特定できたのは、このうち2万3209人。自殺には複数の動機が絡むケースが多く、今回からは動機の項目に「仕事疲れ」や「子育ての悩み」「いじめ」などを加えたうえで、動機が複数ある場合はすべて挙げることにした。
 その結果、動機別では〈1〉病気の悩みなどの「健康」1万4684人〈2〉借金などの「経済」7318人〈3〉家族の不和など「家庭」3751人〈4〉職場が原因の「勤務」2207人〈5〉「男女問題」949人〈6〉「学校」338人--の順だった。
 自殺者が過去最多となった60歳以上では「健康」が6735人と最も多かったが、「孤独感」が277人、「介護・看病疲れ」も153人いた。
 「経済」を動機とした自殺では、「多重債務」が1973人で、「その他の負債」が1656人、「生活苦」が1137人。「勤務」では「仕事疲れ」が672人と最も多かった。「学校」のうち「いじめ」自殺は14人だった。
 全国の自殺者は1998年に初めて3万人を突破してから3万人を1度も割り込むことなく、過去最多の2003年は3万4427人だった。

 ムーッ、自殺数が年間3万人以上がずっと長いこと続いているのですが、未遂を含むと凄い数になると思います。ある条件でそうなったかも知れないという数まで入れると、ホント、沢山。
 小児では、不慮の事故で1件亡くなった場合、入院数は20~130件、外来受診数は900~8300件、過程で処置したものは10万件、無処置は19万件と言われていますので。

 死ぬ気になれば何でも出来るとは言うが、体が病んでは難しいですね。それに、人の世話になることに日本人はあまり慣れていないし。最後の手段は、生活保護の制度もあるし。借金をどんなにしても、牢獄に入れられることはないのですが。
 贅沢になれてしまっていると、それから質素な生活に戻るのは、大変ですね。
 やはり、遠くの親戚より近くの隣人、友達を沢山持ち、お互いに共生し合える関係を築いておくことが大切な気がします。
 孤独死は、ホントに悲しいですね。
 どっちもち、人間は死ぬのですが。

 ニュースキャスターの鳥越さんが癌になって、その心境を赤裸々に語っていた。「今までの立場上、隠さずに自分の癌を伝えるべきだと思った。残されたわずかな時間に何をするかを考えていると、今まであまり意識してなかった経験が出来る様になって、例えば、花がとても美しく見える様になった。命が有限だと分かってから、残りの時間を有意義に過ごそうと思った。覚悟が決まった。悟りを得た。今からは、今まで経験してこなかった未知の経験が出来る。小さい時から弱い自分であったが、今は、最後までそれなりに頑張っている自分がそこにいる。人間には、限られた時間があり、それを充分に味わって生きようと思う。」ムーッ、正に、悟りの境地だなあ。皆、生なるモノは死す。諦めることから、物事がホントに出発だなあ。今からそれなりに平常心を鍛えておかないといけないなあ。

*写真と内容は、全く関係ありません。

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女性医師

2008-06-20 08:42:34 | Weblog
 医療現場のなかでも、小児科・産科は特に人手不足が深刻である。その背景のひとつとして、離職率の高い女性医師が多いことがある。一人の女性医師が出産や育児で職をいったん離れ、それをきっかけに勤務ローテションが崩壊、診療内容を縮小せざるを得なくなる例は少なくない。また、一時的な休職のつもりが、育児との両立の難しさ・休職中の医学の進歩を学ぶ機会がないなどの理由で本格的な復帰を諦める人も多い。これは、医療の世界が長く男性社会であったための弊害だが、現実には20代の医師の35%が女性になっている。そのような中、女性医師の離職を防ぐために病院全体の勤務状況を改善し、ひいては診療の質を上げていくことにつなげる試みも始まっている。・・・(以上、6月18日のNHKクローズアップ現在より)

 20代の終わりや30代の初めは、勤務医として体力的に一番頑張れる時。最先端の医療をどんどん身に付けて行き、救急現場で経験もどんどんしていけるので、病院ではなくてはならない存在になっている。しかし、その時には、女性医師の場合、ちょうど出産や育児との両立で悩むことになる(その前の結婚で悩んでいるケースもあるが)。
 その実態に付いて、詳細に分析されてこなかったし、その対応は更に遅れてきている。厚生労働省は、医師を増やすことを決めたが、大学に入学してから彼らが実践でフルに活躍するまでには、10年も要する。待てない。その前に、育児後の女性医師をどう生かすかが問題で、それは、医師不足の折、極めて大事な問題となるはず(65歳以上の医師も、それなりに上手に使うべきだと思うが)。
 病院勤務の女性医師が、育児後に医師としてどう関わっているか、・・・ある調査では、パートに変更したのが30%、開業などに変更したのが50%で、元の病院勤務医に戻ったのは、わずか20%でしかなかった。これは、極めてゆゆしき問題である。しかも、勤務医時代にしていた当直は、出産をしてからは、わずか9%の人しかしていない。
 現在、小児科と産婦人科の医師確保で問題になる理由として、若い小児科医の半分が女性医師で、若い産婦人科医の7割が女性医師で占められているからである。お産をし、育児も経験しているそれ等の医師の方が、男性医師よりもある面では優れている所があると思われるのだが。
 育児後の病院勤務の女性医師の大半は、体力が続かない、(子どものことで休みなどをもらうと他の医師に)気兼ねしないといけない、周りに迷惑を掛けているなどと思って、深刻に悩んでいる。中には、上司から、「患者を取るのか、患者を取るのか」と詰め寄られたケースもある。一人が休むと、他の医師に今以上のしわ寄せが行く。そうでなくても、多くの救急病院の小児科や産婦人科では、激務の連続の日々だ。
 ある男性小児科医がかって私に言っていた、「前の勤務の病院、4人中に3人が女性で、育児のしわ寄せが独身の自分に全部来て、断る訳には行かず、それも、突然ってことが多くて、もう女性とタッグを組んでしたくないです」と。
 何故、こんなことが起きるのか。その理由の最大のものとして、「主治医制」の問題がある。つまり、日本の医師の大半は、自分の患者さんが悪い時、深夜でも病院に駆け付けて対応することが多い。少なくとも、携帯を持ち、連絡が付く様にしている例が大半だと思う。そんな状態では、どうしても、普段の過程生活が仕事に振り回されることになる。
 今からの医療は、医師を増やして、チーム医療にすべきである(田舎は、無理だなあ。集約化で何とかそれをしのいでいるのが現状だが)。子育て中心の人には、昼間勤務だけにして、17時になったら、拘束を一切取って上げることである。病院の主治医制を複数にして、患者側にそれを納得してもらう必要がある。当直は、開業医から協力してもらう(大阪康生年金病院では、産婦人科の当直の7割を開業医が受け持っている。それでお産も50%アップで年間700人ほどになり、更には、その病院を希望する若い先生方が増えているとか)。
 女性医師にとって、勤務する病院が、いつまでも魅力的な存在になっていることが、いい医療につながると思われる。


*写真と上の内容は、全く関係がありません。インドネシアのイスラム教徒の人が、お茶を点てています(私の弟子です)。

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隣人祭り

2008-06-19 08:02:05 | Weblog
 「隣人と語らいましょう!」18年前、パリの片隅で、お年寄りの孤独死をきっかけに1人の青年が始めた小さなパーティーが今、世界28ヶ国750万人が参加する一大イベントとなっている。「隣人祭り」と名付けられたこのパーティーは年1回、同じアパートや地域に住む隣人が集い、食事をしながら語り合うシンプルなもの。しかしこの祭りから生まれた信頼関係や連帯感は、国境を越えて、生活する上での小さな問題から、「高齢化」「育児」といった様々な社会問題までをも解決する礎となり始めている。そして今年、日本にも上陸…。(NHKの紹介内容)

 平成20年6月17日(火)のNHKのクルーズアップ現在で、「隣人祭り」のことが取り上げられていた。隣人祭りは、今や、世界的にブームになりつつある。
 お互いに知らない同志が、それなりに食べ物を持ち合って集まり、お互いに知り合うきっかけを作る。そして、それが助け合いに発展していく。
 とてもいいことだと思う。これ、正に地域版の草の根外交だ。国と国同士でも、政治家同士が動くとどうも上手く行かないし、いつまで経っても、建前と本音が違っている関係で、いい関係が結ばれない。初めは、こんな感じで、気楽に、政治を離れて行うべきだ。自分の意志で参加する。参加した人は、「お互いに良く知ろう、友達になろう」との意識が強くて、スムーズに事が運んでいく傾向になる。
 アメリカ人は、週末には、しばしば気軽にパーティーをしている。自分で作ったモノをちょっと持って集まる。とにかく、パーティーの好きな国民だ。イスラム教の世界では、他の世界から来た人は、異常な程に歓迎される(何も持って行く必要はない)。私自身それを体験して、ホントに驚いた。
 日本人はシャイであり、本音を言っての人と人とのコミュニケーションは、どうも苦手な感じだ。しかし、そうであればある程、今からの国際的な時代では、それは時代遅れとなり、誤解の元となる。
 日本でもアチコチでこの運動が広がって、多くの人がこの「隣人祭り」に参加するといい。しかし、今の日本では、祭り自体が次第にすたれつつあるが。
 思うに、簡単な話、気軽に人が集まれて、お互いに知り合うことが出来ればいいのだが。そのきっかけをこの「隣人祭り」の発想が作ってくれそうな気がする。
 時には、盆踊りなどの大イベントが以前の様に、積極的に行われるといいのだが。(夏の盆時期には、佐伯市では、アチコチで盆通りが盛んにまだ行われているが、参加者が次第に少なくなりつつあるかな)

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脳指紋

2008-06-18 08:03:06 | Weblog
 秋葉原事件後に、同じ様な脅しのメイルが入って、若者が逮捕されていた。メイルだと、分からないだろうとの思い込みがあったのだろう。パソコンに一度でも入れたのは、消えない。消したつもりでも、実際は、再現できる(上書きすれば、いいのだが)。だから、犯人は時間を掛ければ、確実に割り出せるのだ。
 医者の世界も同じだなあ。レセの内容、全て、上からチェックされている形になっている。点数が高いと、直ぐに目立つので、審査の人に分かってしまう。
 いろんな不祥事、分からないだろう思ってするのだろうが、世の中、そんなに甘くない。すり抜けたとしても、脳指紋として、自分にはごまかせない感じで残っているかな。

脳指紋の有用性
 いま、アメリカで法医学者をはじめ、弁護士や判事、警察など法的関係者の間で画期的な捜査方法として「脳指紋」(Brain fingerprinting)が注目を浴びている。昨年の9月11日のニューヨーク・ワシントン同時多発テロをきっかけに、CIAやFBI、アメリカ海軍の間で、犯罪捜査における脳指紋への期待度が、ものすごく強くなってきている。とくに、いまだにテロの噂が絶えないため、テロリストを決める有力な手段の一つとしても、注目の的なのだ。
 初めて耳にする方も多いと思われる脳指紋とは、実は「P300」と呼ばれる特殊な脳波の別称のことで、過去に自分が記憶した情報(光景や文字・言葉、写真)と同じものを見聞したときに発生する脳波のことである。 その脳波の性質を利用して、犯罪捜査において実際に容疑者が犯行をおかしたかどうか、あるいはテロを行うような人物かどうかを判断するというわけだ。 その方法を開発したのが、アイオワ州の科学者であるローレンス・ファーウェル博士で、80年代の半ばから脳指紋の研究に取り組んできた。その功績が認められて、近年、何度もFBIやCIA、米海軍との共同研究に参加している。
 ファーウェル博士が開発したのは、「MERME」(Memory and Encoding Related Multifaceted Electroencephalographic)という脳波の読み取り装置で、被験者の頭につけたセンサー付きのヘッドバンドから送られてくるP300の信号を読み取り、解析する。では実際にどんなふうに脳指紋を測定するのか。例えば、ある犯罪事件の容疑者をコンピュータの前に座らせて、ヘッドバンドを装着させる。そして、コンピュータ画面に、犯人でしか知り得ないと思われる犯行現場の状況などを写真や文字でフラッシュさせる。もし、その容疑者がそれらを見て「P300」という脳波を発したら、少なくともその犯罪に関係していると判断できるのだ。 なぜなら、人は過去に経験したさまざまな状況を脳のなかに蓄えている。特に、その体験が犯罪のような特殊なものであればあるほど、脳指紋は反応しやすいと言われる。 実際、アイオワ州では2001年3月、退職警官を殺害した罪で終身刑の判決を受け、23年間も刑務所に服役している黒人テリー・ハーリントンに対して、犯行現場の状況を見せて、脳指紋検査を実施したところ、P300は発生しなかった。彼は逮捕されてから一貫してアリバイを主張し、冤罪であること訴えている。彼の主張するアリバイを脳指紋検査すると、明らかにP300が発生したのだ。しかも、彼を犯人だと名指しした目撃者は、後になって証言が嘘だったと述べている。しかし、そのような結果が出たにもかかわらず、ハーリントンは再審を勝ち取ることはできなかったが、脳指紋検査に立ち会った検事や判事、警察関係者のほとんどが、脳指紋の信憑性を認め、「犯罪捜査に大いに威力を発揮するだろう」と述べているのである。
 脳に蓄えられた記憶からすべてが発覚する。何とも便利で恐ろしい時代になったものだ。(2002年3月)(インターネットより引用)

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不登校に付いての私見

2008-06-17 07:32:32 | Weblog
 昨日午後から教育委員会主催の会議に出席して、21年3月31日までの「児童生徒・家族支援員」(不登校児)の委嘱状をもらった。で、それなりの会議があった。最後の方で、意見をと言われたので次の内容を私なりに述べた(少し変えていますが)。
 「・・・学校は、どうかして不登校が起きない様にと一生懸命に取り組んでいます。しかし、これは、医療で言えば、正に対症療法ではないでしょうか。原因療法ではないと思います。国は、教科の時間数を増やしたり、小学校に英語の早期導入をとそれなりに変更をしていますが、それ等はあくまでも対症療法で、根本的な原因療法にはなっていないと思います。
 教育には、家庭教育、学校教育、社会教育とありますが、その中で、学校教育だけをちょっと述べさせて頂きます。
 小学校では、学校の授業に付いていけない子が3割、中学では5割、高校では7割もいます。大学では、ホントについて行けるのは、1割ぐらいかも知れません(イタリアでは、大学卒業できるのは、16%ほででしかないと聞いたこともありますが?)。東大でも、教養部で、理系科目でいきなり難しい公式が出て来て、半分近くが付いていけてないとのことですが・・・?!
 そんな中でも、日本では、何故か落第がありませんね。外国では、義務教育でも、出来なければ、容赦なく落第します。落第しないと、次に受け持つ先生が困る以上に、本人がその先困るからです。(アメリカでは)全ての教科で能力別にクラス分けなんて、当たり前です。日本では、義務医教育で落第、高校で落第なんて言ったら、父兄がどっと学校に押し駆けて来るでしょう。
 日本の大学では、出席をちゃんとしていれば、まず、卒業できます。進級試験の情報が入りますので。しかし、現実は、大学に行っても、高校での基礎が出来ていない為に、再び基礎をやり直している所が現にあるくらいです。ちょっと前には、履修してない高校もあって問題になっていたですね(熊本県が問題にならなかったのは、それ以前に既に問題になっていて、それを改革した後であったからに過ぎない)。
 それに、国が課している薬剤師の国家試験や医師の国家試験、それなりに又別に受験勉強をしないといけないなんて、馬鹿げています。ある人が言っていました、「大学は、(医師国家の為の)予備校みたいだった」と。
 義務教育では、付いていけない生徒は、よく理解できない内容で、おとなしく聞いていないといけない。学校で授業を受けている間ずっと。これって、大変なストレスだと思います。生徒が一番好きな時は、体育やクラブ活動と言うのが分かります。
 我こそは名門校で人間的な教育をしている何て言っている中・高一貫教育の学校にしても、所詮、有名大学や医学部の数を競っているに過ぎない。入試自体が、どんなに頑張っても、入れる数は決まっているから、共生や協調の精神は育ちにくい。人は、他人との競争ではホントの幸せや成長はないと思います。人生では、負けることの方が多い訳で、勝つことばかりを求める教育は、間違っていると思います。
 知足の精神、多くの人に感謝する気持ち、相手の気持ちになれる感性、それは数字では出ませんが、成績よりも数段に大切なことだと思います。
 アメリカでは、教育学部や医学部が、4年制の大学を卒業してからです。つまり、大学院卒なのです。日本もそうなればいいと思います(気高い人が集まるでしょう)。それに、それなりの給与にすべきでしょう(現在、医学部を卒業しても、スーパーローテートの初めの2年間が税込み年間360万円で、その後、大学に医局員として残ればもっと下がるなんて、おかしい話です)。裁判員にも普通の人が選ばれる時代です。学校での教壇でも、いろんなことを経験した人が、どんどん参加していってはどうでしょうか・・・」

*http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080214/4

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