日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

マニュアル通りに・・・

2011-08-28 09:45:07 | Weblog
 日本人は、海外の人から見ると、「マニュアル人間」が多い感じに見えるそうだ・・・。ある調査では、9割近くの外国人がそう思っているとか・・・?!
 そんな面、確かにあるかな・・・→特に、行政、それに、教育、更には、医療。それに対して、ある人が、「日本人は、他の人の事を優先的に考え、和を乱さない様にしようとする為に、マニュアル通りにする傾向がある・・・」と言う人がいたけど・・・?!
 それで、海外の人から見ると、日本人に個性がない、独創性がない、自分の考えがないって感じで思われるのかな。
 しかし、先端科学の領域を見ても、ノーベル賞受賞を見ても、日本人がマニュアル通りとは、思えないけど・・・。
 命を預かる医療にしても、いいと思っても、高額な自費になったりして、保険がまず通らない。保険医ですから、出来るだけ、保険上のマニュアル通りに診療を行って下さいとなる。
 歯科では、保険だけで行うと、1日に、30人診ないと採算が合わないと言う話を聞いたことがあるけど・・・?!
 店に行くと、確かに、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」、これの繰り返しで、客の顔もあまり見てないケース、確かにあるなあ・・・。普段の挨拶にしても、「お疲れ様です」だけってことも。
 初めに、「○○さん」を入れるといいのだが、この○○さんが出てこないなあ・・・。
 朝、仕事場に行く前にすることを考えても、いつもの様に(頭の中がマニュアル通りになっている感じで)すると、速いし、あまり考えることなく、スムーズに行くかな・・・。それが、途中で、電話が掛かったり、思い込んでいることがあると、時々、頭のコンピューターが狂った感じで、間違うなあ(ピッチを忘れたり、髭を剃るのを忘れたり、更には、聴診器を持って行くのを忘れてていることも・・・まあ、近いからいいけど)。
 しかし、よく考えてみると、人生、マニュアル通りに行かない方が多いと思いますけど・・・。それにどう対応して行くか、次にどんなサプライズがあるか、開き直って、(亡くなられた免疫学者多田富雄さんの様に)それを味わって楽しむ感じになるといいんだろうなあ・・・?!

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寛 容・・・

2011-08-27 08:26:47 | Weblog
 「多田富雄」さんは、今年亡くなった。日本が誇る免疫学者。
 8月26日(金)に、10時から1時間半、NHKで放映された(再放送)。半身不随になってから、人としての多田さんの更なる偉大な業績も、紹介されていた。
 「農・脳・能」、新作能の内容を自分で作り、それが公にされ、それを見て涙を流され、そして、その10日後に、ホッとされたのか、亡くなられている。
 その中で、とても印象深かったのは、しばしば強調されていた「寛容」と言うこと。
 免疫には、排除したり、取り込まれたりする方法以外に、「免疫寛容」と言って、共存する仕方がある。
 例えば、多くの人が経験している「ヘルペスウイスル」だが、一度体に入ると、一生、人間の体の中でその人が亡くなるまで、共存して生きている感じになっている。その人の免疫力が落ちると、ヘルペスが元気になって、口にアフタが出来たり、皮膚に発疹が出来たりする。時に、ヘルペスがヘルペス脳炎になって、その人自体が亡くなってしまうこともあるが、人自体が亡くなると、そのヘルペスも生きらない訳で、ヘルペスも、あまり賢い生き方でないと言うことになるかな・・・?!
 そんな感じで、人間の生き方も、「寛容」と言う選択も考慮にするべきだとしばしば言われていた。
 キリスト教原理主義、イスラム原理主義、原発賛成原理主義(?)、現在、いろんな原理主義があるけど・・・。そんな原理主義でなくて、別の選択肢として、共存して、先に進んで生きようとする生き方もある。
 水俣病の人が言った言葉が紹介されていた、「怨むことを止めると、自分が楽になった・・・」と。
 そうだなあ、いつまでも相手を恨んだり、けなしたり、敵意をもったり、見下したりしていると、自分がその内に苦しくなるなあ。
 今の時代だからこそ、「寛容」と言う生き方、とても大切だなあ・・・。


http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070127/1
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080407/1
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20081122/1
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20090725/1
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20090726/1
 

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私なりの60分間演奏

2011-08-26 17:45:53 | Weblog
1、篠笛演奏
「さくらさくら」
http://www.youtube.com/watch?v=3v4P-SbGKK0
「古賀メロディー」
http://www.youtube.com/watch?v=dDTb8_Gmi0k
「荒城の月」(篠笛二重奏)
http://www.youtube.com/watch?v=qUG_NcQmiZs
「上を向いて歩こう」
http://www.youtube.com/watch?v=Oh-u2g1xAiI
「青葉の笛」
http://www.youtube.com/watch?v=RmiYhRFq2n8

2、盆踊り太鼓演奏
「ばんば踊り」
http://www.youtube.com/watch?v=eUtiuXejyzY
「河内おこと節」
http://www.youtube.com/watch?v=J5ZDHndMek4
「佐伯小唄」
http://www.youtube.com/watch?v=X1mKAbmlkvA
「きよしのズンドコ節」
http://www.youtube.com/watch?v=AH-p3kBBHYo

3、ハーモニカ演奏
「ふるさと」
http://www.youtube.com/watch?v=0MFKST2jrCY
「埴生の宿」
http://www.youtube.com/watch?v=f_HdzLU9O6s

4、篠笛演奏
「佐伯小唄」
http://www.youtube.com/watch?v=5G1OpCyFBRc
「月の沙漠」
http://www.youtube.com/watch?v=wwN7I22KVqA
「荒城の月」(ピアノと)
http://www.youtube.com/watch?v=i8fFygcyLK4

5、6、

7、和太鼓演奏
「飛翔」(3部構成)
http://www.youtube.com/watch?v=_-HLcBnqfTs

(以上、60分間演奏)



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70分間の独り演奏・・・

2011-08-26 17:10:01 | Weblog
 8月26日(金)、「直川苑」の時と同じ様に、13:00に自宅を出発して、「直川苑」よりも短い時間で、畑野浦にある特別老人ホーム「はたのうら」に着いた。
 タクシーの運転手さん話だと・・・どんどん人口が少なくなっている関係で、(蒲江)高校が廃校となり、中学も1つに統合されている。その内、小学校も統合される可能性大って感じで言われていたけど・・・。
 海辺に、新しい感じの立派な建物があった。若い女性の事務員さんが、「私、たはら小児科によくかかっていました・・・」と言われたが・・・→(すみません)全く思い出せない。職員が、直川苑と同じく、機敏に明るい雰囲気で動いていた。
 演奏の部屋は、こじんまりとしていて、マイクを使わなくても良かった。が、太鼓を打つ時、壇上が動いて、ちょっと不安定だった(舟の上で打ってる感じだったかな)・・・。
 演奏の準備が終わった時に、既に、殆どの人が集合していて、予定の15分前から、係の人が紹介を始めた。それで、本番10分前から、「直川苑」と同じ様に、本番で吹かない曲をどんどん篠笛で吹いて行った。
 で、14:00になったので、予定通りに始めた。
 1:篠笛→「さくらさくら」を3通りの方法で演奏。「悲しい酒」などの古賀政男メドレー4曲演奏。テープに入れた「荒城の月」を篠笛二重奏で演奏。「上を向いて歩こう」と「青葉の笛」を演奏。
 2:盆踊り太鼓→「ばんば踊り」と「河内おとこ節」と「佐伯小唄」と「きよしのズンドコ節」を演奏。
 3:ハーモニカ→「ふるさと」など数曲演奏。
 4:篠笛→「佐伯小唄」と「月の沙漠」を演奏。テープに(自分で弾いた)ピアノでの「荒城の月」に合わせて演奏。
 5:和太鼓→テープに入れた篠笛の「君が代」に合わせて太鼓。
 6:拍子木→「一本締め」。
 7:和太鼓→持ち曲「飛翔」3部構成をバチを3回換えて、演奏。
 部屋がこじんまりとしていた関係か、篠笛の音が最高に良かったかな・・・。ピアノに合わせての「荒城の月」の時には、これ以上の大きな声は出せないって感じで歌われていた人が多かったかな・・・。で、「君が代」の時にも、その「荒城の月」を歌い続けていて・・・。最後になればなる程、盛り上がって行った感じ・・・。
 最後の挨拶で、「今が大事で、今を大切にしましょう。又、来年会いましょう。それまで、元気で。」と言ったら、「1月に来て!」と言われた。
 先の「直川苑」と同じく、70分間演奏したことになる。(往復運転してもらった)タクシーの運転手さんが、「お医者さんのイメージが変わりました。今日は、カルチャーショックじゃなあ・・・」と言われた。更には、「自分の母親が生きていたら、きっと、大喜びしていたと思います・・・」と言われた。
 故郷佐伯での今月8月14日から今日までの自分なりの10回程の演奏活動、一応無事に終わった。汗びっしょりだったが、爽やかな感じで岐路に着いた。
 ありがとうございました。又、来年、宜しくお願い致します。

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むのたけじ・・・

2011-08-25 12:36:32 | Weblog
 「むのたけじ」さんの話が、NHKBSプレミアムで、8月25日(木)に1時間半程あった。8月14日の再放送だったが(8月14日には、見逃していた・・・)。 (自分の受け取り方が間違っていて、実際の内容と違うところもあるかと思いますが、ご了承ください)。
 現在96歳だが、ジャーナリストとして、75年間、今も元気に活躍されている。現在、講演で活躍中で、今までに4.500回以上の講演をされている。多くの若い母親や中高生が、「むのたけじ」さんの話に傾倒している。
 戦争中、朝日新聞社に勤め、嘘の報道に強い違和感を感じていた。経済的に困るのに、自分の意志で、朝日新聞を、それも終戦前日の8月14日に退職している。
 3歳の娘さんを病気で亡くしている(・・・←その1年前だったら、ペニシリンが手に入ったので、死ななくて済んだはず・・・)。戦争中、戦争時の人間の非人間的な行動を目の当たりにしている・・・→略奪・強盗・強○など・・・→それは、日本人もアメリカ人もオーストラリア人も、同じだったと言われる。
 軍の一部の人間により、始まると止められない戦争に突入し、軍の命令は、「絶対服従」で、逆らえば、「非国民」「国賊」と言われ、お互いが本音を全く言えない。
 いろんな事を言われていたが、以下の内容がとても印象的に残った・・・→

1、「戦争のやれない世の中へ」・・・戦争はやらないではなく、やれない世の中に持って行かなくてはいけない。今、実際に使える原子爆弾は、3万発あるそうだが(?)、使えば、相手側も自分側も、全て、滅んでしまう。こんな簡単な理論が、なおざりにされている。つまり、先々は、核を持っている国こそ、ビクビクしないといけない時代になるだろう。

2、「皆の喜びや悲しみを、皆で共有する」・・・希望は、絶望の中にある。困った時は、皆で助け合う。嬉しい時は、皆で喜び合う。日本人同士だけでなく、中国人も日本人も、韓国人も日本人も、分け隔てなく仲良くすることが大切。

3、「人間を敬う心が大切」・・・相手を尊ぶ生き方が大切、敬う生き方が大切。

4、「変化は、個人個人の行動から始まる」・・・上からどうこうと言われて、世の中は、変わるものではない。日常的に、一人一人が自覚してすることから、世の中は変わる。政治家や行政のせいばかりにしてはいけない。

5、「常に今が人生のてっぺん(頂上)」・・・年を取れば取る程、経験を積むことになる。経験は人間を賢くする。それゆえ、人生がどんどん充実してくる。つまり、死ぬ時が、一番高い頂上(てっぺん)にいることになる。

6、「自分と正面から向き合う」・・・自分を真剣に見つめ、自分の生き方を大切にして欲しい。自分が好きなって欲しい。

7、今の若い人について・・・→高い評価を与えている→
1)「差別をしない」・・・年齢や職業や地位や性別に関係なく、対等の立場を取っている。これは、実に素晴らしいこと。
2)「真実を見つめている」・・・「見ざる」「言わざる」「聞かざる」をしない。真実をしっかりと見極め、確かなものだと、堅く信じている。今の若者だったら、当時日本人が堅く信じていた「神風」何て、信じなかっただろう。
3)「自己完結型」・・・自分達のことは自分達で処理しようとする。外部を当てにしていない。これも、実に素晴らしいこと。

 若者へメッセージする時の「むのたけじ」さん、あるマスコミに書かれた様に、正に「年齢差は80年、若者と同じ瞳の輝き」・・・!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%80%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%98
 

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取り巻き雑感・・・

2011-08-24 11:59:52 | Weblog
 総理に誰がなるのかな・・・?!
 コロコロと総理が代わるのって、諸外国にとっては、とてもやりづらいのでは。どうしてこうなるのかなあ・・・?2大政党になって、いい政治が出来るって騒いでいた感じなのに、大連立が必要だ何て言っている人が多くなっている感じだ。日本の場合、野党の在り方が、欧米とは違うのかな?・・・→と言うことは、政治に関しての大きな問題は、周りの取り巻きの在り方ってことになるのかな?!
 野球にしても、サッカーにしても、日本の文化にしても、トップがどんなに頑張っても、それを支える人なしでは、維持できない。野球やサッカーのサポーターの存在、とても大きい。政治家の場合も、いい政治家もいるのに、それを引きずり降ろしてしまう風調、ないとは言えない感じだなあ・・・。
 まあ、鶏と卵の関係みたいなもので、政治家が悪いと言うけど、そんな政治家を選んでいる人の責任もあると思うし、制度が悪いのなら、それを変え切れる政治家を選ぶべきだと思うけど・・・。
 前から国会議員数削減何て言われているけど、やる気があれば、直ぐに出来そうな気もするけど・・・→国民の為と言いながらも、実際は、自分の身が一番って感じで、かなりハードルが高いみたいだけど・・・?!こんな感じじゃ、医療も教育も、時代にそぐわなくて、問題山積状態なのに、いつまで経ってもこのままズルズル行きそうだなあ・・・。
 支持政党なしって感じの日本人が半分程いるって言うのは、ちょっとでなく、かなり問題かな・・・?!
 昔は、東日本と西日本の戦い(関ヶ原の戦い)って感じで、日本の中で、アチコチ、戦争ざんまいって感じだった。それが、日本と言う国に統一されている。まあ、織田信長(・・・←宣教師が連れて来たアフリカの奴隷を、自分の家来として扱った!!)と言う、その時代の考えに逆らった感じのトップいたからこそって考え方もあると思うけど・・・?!海外にしても、アメリカで南北戦争が長くあったり、イタリアでは、ローマやフィレンツェが他の都市と戦争なんて、別に驚くことじゃなかったはず。
 と言うことは、その内、ずっとずっとずっと先になれば、韓国や中国と日本が大きなグループに、いや、東南アジア全体が1つになって行く気も、しないでもないけど・・・。(そうなれば、竹島の問題や尖閣諸島の問題や北方領土の問題も、消滅するのかな?!・・・←1000年先の話かな?!)
 問題は、先頭に立って斬新的なことをしようとする人を、周りがどう支えて行くかだと思う。つまり、取り巻きの問題が大きいのでは・・・?!
 

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直川苑での楽しき一時(ひととき)・・・

2011-08-23 19:53:00 | Weblog
 8月23日(火)、13:00ちょっと前に自宅を出て、30分余で、特別老人ホーム「直川苑」に着いた。立派な建物、それに、広い敷地で、直ぐ近くに大きな川も流れていた。環境がとてもいい(初めて行った)。かって「たはら小児科医院」で働いていてナースがいて、ビックリ。生き生きと仕事をしていた。話がはずんだ。職員が皆、ニコニコしている。活気がある。
 演奏の準備が終わった時に、既に、9割近くの人が(殆ど車イスで来て)座っていた。(待っている人も退屈だろうと思って)予定の10分前から、本番で吹かない曲をどんどん篠笛で吹いた。
 で、14:00になったので、本格的にスケジュール通りに始めた。
 1:篠笛→「さくらさくら」を3通りの方法で演奏。「悲しい酒」などの古賀政男メドレー4曲演奏。テープに入れた「荒城の月」を篠笛二重奏で演奏。「上を向いて歩こう」と「佐伯小唄」を演奏。
 2:盆踊り太鼓→「ばんば踊り」と「河内おとこ節」と「佐伯小唄」と「きよしのズンドコ節」を演奏。
 3:ハーモニカ→「ふるさと」など数曲演奏。
 4:篠笛→「月の沙漠」と「青葉の笛」を演奏。テープに(自分で弾いた)ピアノでの「荒城の月」に合わせて演奏。
 5:和太鼓→テープに入れた篠笛の「君が代」に合わせて太鼓。
 6:拍子木→「一本締め」。
 7:和太鼓→持ち曲「飛翔」3部構成をバチを3回換えて、演奏。
 部屋が乾燥気味なのか、篠笛の音がも一だった。最後は、皆、真剣に聴いてもらえていたみたいだったかな・・・。最後に挨拶をと言われたので、「明日は、地震などで、どうなるか分からない時代ですね。今が大事ですね、今が・・・。来年来ると思いますので、その時に又会いましょう。それまで、元気でいて下さいね。」と言った。
 ちょうど15:00に演奏が終わった。(往復運転してもらった)タクシーの運転手さんが、「(食事をしていて)初めの15分間、見れなかったのが悔やむ。45分があっという間に終わった・・・。やはり、太鼓が一番いい・・・歌謡曲と一緒に打つ太鼓、あれ、いいですな・・・」と言われた。
 帰る時、上岡にある「十三重の塔」を見て帰った。直川の「昆虫館」も見たかったが、疲れていたので、又、いつか来た時に見よう・・・。
 今日も、いい汗をかいたなあ。楽しき一時(ひととき)だったなあ。ありがとうございます。同じ感じでの26日(金)の「はたのうら(ここでの演奏も初めて)」の演奏も、楽しみだなあ・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=qUG_NcQmiZs(篠笛二重奏)
http://www.youtube.com/watch?v=AH-p3kBBHYo(きよしのズンドコ節:和太鼓演奏)
http://www.youtube.com/watch?v=i8fFygcyLK4(ピアノとの共演)
 

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黒柳徹子・・・

2011-08-22 13:32:11 | Weblog
 8月22日(月)、黒柳徹子さんが、テレビに出演していた。
 私は、彼女が、昭和62年4月5日の毎日新聞に書かれた以下の内容を何度も繰り返し読んできている。・・・→(その内容とは)
 もう30年近く、私は病気をしていない。特にこの12年間は、「徹子の部屋」という毎日のテレビ番組を持っていて、更にその前に、3年間の、これも毎日のナマ放送の司会をしていたから、合計で15年間、毎日テレビに出ていることになる。その間、ただの一日も病気で休んだことがないというのは、自分でも(他に、自慢出来ることなどないけれど、なかなかのものだ!)と思ったりしている。私は、30年前の「あの日」から病気をしなくなった。私は、NHKで、テレビの為の養成を受け、NHKの専属のテレビ女優として、この世界に入った。初めの頃は、「お前の個性は邪魔だ!」と言われて、ずいぶん悩んだ時期があった。個性が邪魔と言われても、若い私には、自分の個性がどういうものなのかもわからず、ただオロオロとスタジオの隅で過ごした。「もう、帰ってもいいです!」と降ろされて、一人だけ、スタジオの外の廊下で、同級生の俳優たちの終わるのを、本を読みながら、待っていたことも、しょっちゅうだった。その内、世の中が、突然、「個性の時代!」に入った。とたんに、みんな、「さあ、貴女の個性を出して下さい!」と言い、仕事は次から次と押し寄せた。私は、途方に暮れた(出しなさい、って言われてるものが何なのか、わからない!)。それでも、私は、皆の言う通りに、一生懸命にやった。寝る時間は、殆どなくなった。ある日、私は、「過労」と診断され、その日の内に入院ということになった。どの番組のディレクタ-も、「自分のだけは、休まないで」と言った。でも、お医者様は、「死ぬよ」と言った。私は、仕方なく、全部のテレビとラジオのレギュラ-番組を休んで入院した。先生が、テレビを部屋に入れて下さった。当時は、全ての番組がナマ放送だったから、私は、私がいないとどんなことになるかしら、と心配しながら自分の番組を見た。私が司会をしていた番組に、私の知らない女の人が出て来て言った。 「さあ、今日から、当分、黒柳さんの代わりに私がやります。さあ、始めましょう!」。それだけだった。私が、渥美清さんと夫婦をしているドラマでは、隣の奥さんの役の人が、渥美さんに聞いた。「奥さん、どうしました?」。渥美さんが、答える。「実家に行っています!」。そして、ドラマは、私なしに、どんどん進んで行った。他のものも、似たりよったりだった。私は、ブラウン管を見つめながら、考えた。「・・・実家に行ってます」---この言葉が、耳から離れなかった。1カ月後に、病院を出る時、私は、はっきりとした考えを持っていた。一つは、もう、絶対に病気をしないこと!。もう一つは、自分しかやれない仕事をなんとか見つけよう!。私は、先生に聞いた。「死ぬまで、病気をしないのは、どうやるんですか?」先生は、笑って、「生まれて、初めての質問だな」と言ってから、こう言った。「一つしかない。自分の好きなことだけ、やるんだな。自分が進んでやろうとする時には、どんなに疲れていても、寝れば、治る。いやだいやだと思いながらやっていると、疲れは寝ても取れない。やれるかい?」名医と言われる先生のお言葉だった。私は、そうしようと、心に決めた。あの1カ月は、私に、人と自分を比べることの愚かしさ、命の大切さ、いつも自分らしくあること、なども、しっかりと教えてくれた。人生の入り口にボンヤリ立っていた若い私には、こんな当たり前のことでも、早く教わったのは、有り難かった。あの退院の日に、私は、少し、大人になった。
 ・・・何度この内容を今まで読んだことか。30回、いや、そんなもんじゃないと思う。初心に帰る意味で、この内容を何度も読んでいる。
 今日の彼女の話だと・・・「徹子の部屋」は、36年間も続いていて、900回を超えている。生放送って感じで、意図的な編集は殆どないとのこと。それが条件で、「徹子の部屋」を始めている。出演したゲストの人で、誰一人として、今までキャンセルした例はないとのこと。(・・・←凄いなあ!)
 「1年間の休業」に付いて話されていた。・・・→そうだなあ、自分と同じだなあ。自分も、馬車馬って感じでそれまでがむしゃらに働いていた。その後、プツリと1年間、独りでの海外生活中心のプータロウの生活をした。あの1年間、下の二人の子どもがまだ、学校に行っていて、上の子どもは、(カイロプラクターになる為の)大学院に行く前で、お金がまだ沢山いる時で、それまでの蓄えを崩して行って、家内もかなり心細かったみたいだ・・・。
 黒柳徹子さんも言っていたなあ・・・→「周りから・・・1年間も休んだら、こんな時代、もう仕事ないよ・・・って感じで言われたけど、15年間、女優として一生懸命に働いて来た私だから、その実績が認めれないはずがないと思った。認められなければ、それだけのことで諦めるしかない・・・」と。
 そうだなあ、自分の場合は、もう、仕事をするのが嫌になっていたけど・・・しかし、不思議なことに、1年間、ブラブラした中で、又、リセット出来て・・・田舎で又自分なりに小児の救急医療をしようと思える様になって、今に至っているけど・・・。


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盆踊り雑感・・・

2011-08-21 15:07:25 | Weblog
 盆踊り太鼓を打ちにアチコチ行くと、いろんな経験をする・・・。
 沢山の人から挨拶されるけど、名前が出てこない。顔さえも、覚えてないことが多い。申し訳ない気持ちで一杯。
 「田原先生、お久し振りです・・・」と言われて、「○○さん、お元気ですか?」と言いたいけど、初めの○○が出てこない。(・・・たはら小児科医院の場合、12年前に閉院する時、カルテ番号が9.000人を超えて、1万人ちょっと切れる数だったけど・・・)
 アチコチ行っても、盆踊り太鼓を打つ人、毎年、殆ど同じ顔。後継者、大丈夫かなあ・・・?!それに、自分の様に、アチコチで盆踊り太鼓を打っている人、他にも結構いる・・・。そんな人、盆踊り太鼓を打つのが根っから好きに違いない!(家内から、そんなに好きなら、自宅でずっと打てばいいのに・・・と言われたけど・・・パチンコ好きな人に、そんなにパチンコ好きなら、自宅でパチンコの台をそっくり買ってすればいいのにと言うのと同じかな・・・?!)
 で、盆踊りの曲を踊っている人をよく見ていると、踊り手にも、そんな人がいて、アチコチの盆踊り会場に行って、同じ人が踊っている。そんな人、踊るのが大好きなんだろうなあ・・・?!
 長門、曽根、鶴岡と、3カ所の会場で踊っていた女の人で、3か所共、自分とバッタリ目が合って、お互いに挨拶した・・・。長島で、毎年必ず踊っている、とても踊りの上手な同級生の女性、今年は、何故かいなかったみたいだけど・・・?
 女島、長島、来島、長門、新女島の会場に、60歳代(?)と思われるある男性が、浴衣姿で踊っていた。際立って上手に踊っていて、とても目立つ感じ。この人、昨年も、一昨年もいたなあ・・・。
 踊っている人、踊りの先生かどうか、何となく分かる。先頭で踊る感じになっている人、腰を落として手足がリズミカルに動いている人、先生が多いなあ・・・。しかし、「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ見るなら踊らな損損」って感じで、下手でも踊る方が楽しいと思う・・・。(・・・←私は、太鼓を打った方が数段楽しいけど・・・)
 「たはら小児科医院」を開業していた時、近く(佐伯市役所)で毎年「盆踊り大会」が開催されていた(今は、もう、長いこと開催されていないが・・・)。で、その時、子どもたち数人が、代わりながらどんどん太鼓を打っていたけど・・・。それを毎年自分が見ていて・・・自分も、打ちたいけど打てるかなあ・・・何て思っていたけど・・・。
 自分が太鼓を真剣に打とうと思う様になった動機には、いろいろあるけど・・・。元々、打楽器に関心があったし(小学校では、鼓笛隊の大太鼓だったし、その前は、小太鼓を打っていたけど・・・)、亡くなった父が太鼓を打っていたので、父の供養になるかと思ったし、それに、永年の肩凝りに悩まされていて、いろいろ試みるが全てダメで、太鼓打ちの人から、「太鼓を打っている人に肩凝りの人、イナイです!」と言われたこともあって・・・。
 ・・・→それが、いつの間にか、「盆踊り太鼓大バカ」になるとは、そんな感じに変身した自分に、自分自身が驚いている・・・?! (自宅には、太鼓が3つ、天草にも、3つあり・・・家内も、もう、諦めている感じかな・・・←しかし、車を持っている方がお金が要りますヨ・・・)。

http://www.youtube.com/watch?v=SEnJ6NrgYqU
http://www.youtube.com/watch?v=SUi_S6ORY1o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fa5hFwgRUXc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=YeVg2U4mfHM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=VeyRzouGRh8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=XxkFYTa-Hfw&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=32NgKOvrezg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Hek1Ygb8P4Q&feature=related

 

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盆踊り太鼓、又来年・・・

2011-08-20 23:36:40 | Weblog
 20日(土)は、これが今年の最後の盆踊りになると思って、頑張ったかな・・・。
 昨年は、「楓林」での盆踊り大会、15時からだったが、今年は何故か17時からとなっていた。これが幸いして、雨がずっと朝から降っていたのに、17時前に、何故か、ピタリと止んだ。(神様、ありがとうございますって感じになったけど・・・)
 昨年と同じく、「日心太鼓」が上手に演奏していた(・・・←この日心は、日本の心の短縮で、私が名付け親)。「日心太鼓」、プロからかなり教わった関係でか、一段と上達していて、今、大分県だけでなく、九州アチコチで演奏している。太鼓だけでなく、篠笛も上手だし、それに、小さな女の子が加わっていることで、見ていてとても和むなあ・・・(大拍手)。昨年は、雨の関係で、消化不良っ感じで、2曲で終わったが、今回は、4曲バッチリの演奏だった。
 自分の盆踊り太鼓、時間が短かったが、独りでずっと打ち続けて、結構疲れていた・・・(終わって、ドッと疲れを感じた・・・)。
 それから(好きな太鼓を打つ為に)再びタクシーに乗って、コスモタウンでの鶴岡地区の盆踊り大会に行った。前半の「ばんば踊り」、太鼓打ちの人から、独りで打ってと言われて、打った。「子どもの踊り」があったのだが、後ろ髪を引かれる感じで、新女島地区の盆踊り大会に行った。
 打ち手が6人もいて、「ばんば踊り」を佐伯に紹介した人(ばんば踊りの太鼓打ちの名人)、木立の太鼓打ちの名人、それに、今年も佐伯市の総盆踊り大会で太鼓を打っていた3人の内の2人と、上手な人ばかりの集まりって感じだった・・・。
 女島→蛇崎→長島→来島→長門と行き、今日、楓林→鶴岡→新女島と3カ所も行って、今年も、何か大きな山を再び征服した感じになった・・・。(供養盆踊り大会での)盆踊り太鼓、又来年・・・(・・・←待ち通しいなあ・・・←完全なる盆踊り太鼓大馬鹿!?)。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20090822/1 (・・・一昨年のブログ)
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20100829/1(・・・←昨年のブログ内容)

http://www.youtube.com/watch?v=_bkidVBEuoE(・・・←「日心太鼓・絆」の演奏です・・・←TAO伝授の躍動感あふれる演奏です!)
 

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