日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

ありがとう

2008-05-31 10:55:12 | Weblog
 「ありがとう」の言い方、これは世界どこに行っても、重宝であり、是非覚えておくべき言葉だと思う(コミュニケーションを取る上でも、自分のみを守る意味でも。ありがとうと言われて悪く思う相手はまずいないので)。ヨーロッパだけを、私の覚え方を含めて説明したい。
 まず、優勝した北欧州の国、ブルガリア語では、「ブラ(L)ゴダリ(R)ァ」と言う。その下に位置するマケドニア語では、「ブラ(L)ゴダラ(R)ム」と言う。とても似ている。
 太古の人の流れが同じ関係か、アイスランド語とノルウェー語とスウェーデン語では、皆「タック」と言うから、これは是非覚えておくべし。デンマークでは、「ターク」と言う。
 ドイツ語の「ダンケ」は、日本人でも知っている人が多く、大変ありがとうと言いいたい時には、「ダンケ・シェーン」と言えばいい。大分県の県南には、それをもじって「暖家(ダンケ)」と言うレストランがあるが。隣のオランダでは、「ダンク・ユー」と言う。
 フランス語では、「メル(R)シー」、大層ありがとうと言いたい時には、「メル(R)シー・ボクー」と言えばいい。イタリア語では、「グラッツィェ」、大変ありがとうと言いたい時には、「グラッツィェ・ミッレ(L)」と言えばいい。マルタ語では、「グラッツィー」、スペイン語では、「グラ(R)シ(thの感じで舌を噛む)アス」、ポルトガル語では、「オブリ(R)ガードゥ(男性の言い方)、オブリ(R)ガーダ(女性の言い方)」。
 周りの言語と違った感じで、異質な言い方は、フィンランドの「キイトス」、ハンガリー語の「ケッセナム」、ルーマニア語の「ムルツメスク」、アルバニア語の「ファ(F)レ(L)ミンデーリ(R)ト」、ギリシャの語「エフ(F)ハリ(R)スト」であろう。
 バルト海3国に関しては、力士把瑠都の国エストニアのエストニア語では、「タナン(多難と覚える)」で、ラトビア語「パル(L)ディエス」、リトアニア語では、「アチュウ」と言う。
 ややこしいが、スロベニア語は、「フヴァ(L)ラ」、セルビア・クロアチア語では、「フヴァーラ(L)」と似た言い方になっている。書くと共に、Hvalaとなるのだが。
 ロシア語は、「スパシーバ」、ポーランド語は、「ジェンクイェン(銭を食べるイメージで覚える」、チェコ語は、ポーランド語の初めを取って、「ジェクイ」、スロバキア語は、「ジャクイェム」、ベラルーシ語は、「ジャークィ」、ウクライナ語は、「ジャークユ」で、とても似ているので、何度も口に出して覚えるしかない。
 小学校高学年の子どもだと、20位は、直ぐに覚えるかも知れませんネ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小児科講義

2008-05-30 13:10:14 | Weblog
 龍ヶ岳町にある看護学校で、10:20~12:00まで、2年生に小児科の講義をした。定員40人。今日は、糖尿病などの「代謝」を。何故か、例年と比べて目付きが違う。真剣なのだ。クラスみんなで、講義を真剣に聞こうとのスローガンを出したとのこと。居眠りしている人が0ではないが、殆どいない。講義後試験をしても、良く出来ている。
 講義の価値なんて、卒業する頃になってやっと気が付く。自分にしても、卒業試験(年を越えて1月の初めから約1カ月半あったが)中に、専門2年生に混じって受けていた。
 自分の場合、講義の準備に費やす時間は、講義をする時間以上に必要としている。どんなに一生懸命に教えても、教科書を読むだけの感じで終わっても、100分2.000円講義料がもらえる(もらわなくてもいいと思ってはいるが、そうもいかないらしい)。講義が終わると、グッタリなっている自分に気が付く。
 今日は、初めの20分間を使って、多国語に付いて話した。将来、何かの役に立つことを祈って。
 今からは、国際的な目を持ったナースになって欲しいと思う。開発途上国にボランティアで行った若い人が言っていたなあ、「医療従事者だったら、どんなに貢献できるだろうか。特にドクターやナースだったら・・・」と。

*龍ヶ岳町は、開業医はいなく(歯科医は1人いるが)、人口約5.000人程の町であるが、(産婦人科と小児科を持った)総合病院があり、又、3年制の看護専門学校がある。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080530/1

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

般若心経

2008-05-29 11:25:18 | Weblog
 般若心経は、色即是空、つまりこの世の全てのものは、結局、空であり、それがこの世の真実である、ということを示したお経であると言われています。
 ところで、この世の真実であるとと言われる空とは、空(から)っぽとか空(むな)しいとかいうものとは違うもののように思われます。般若心経の空は、私たちの頭上に無限に広がる大空にたとえられます。大空は、確かに空っぽです。だからといって何もないかというと、そうではありません。雲が流れる。風がわたる。飛行機が飛ぶ。鳥が遊ぶ。虹がかかる。太陽が昇る。空っぽだからこそ、何でも受け入れることができるのです。このことは、先人は、次のように詠っています。
 「無一物中 無尽蔵 花あり月あり 山河あり」
 又、大空には執着がありません。私はうろこ雲が好きだが、入道雲は勘弁して欲しいとか、虹が好きだからしばらく映しておこうというえり好みはありません。あるがままをそのままに受け入れ、あとかたをとどめません。本来、私たちの心もこの大空のようなものであるといえます。
 私たちは、本来空であり、何もない所からこの世にやって来て、喜び、悲しみ、様々な経験をします。そして、やがて力尽きると、また空に、大いなる命に還っていきます。それが、この世の真実です。
 最も大切なことは、本来空なる所からこの世に生を受け、山を見出し、花を見出し、人々と喜び、悲しみを分かち合えるということです。これはまさに奇跡であります。その事実に気が付いた時、私たちは生かされていることに感謝せずにはいられません。それが般若心経の真髄でありましょう。
 (寺報「聖福寺だより」より抜粋)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・誕生日

2008-05-29 08:40:33 | Weblog
 昨日、家内から小包が届いて、「もう59歳?まだ59歳?どっち?」何て書かれていた。次女からは、メイルで、仕事の事が中心に書かれていた。長女からは、メイルで、「59歳だっけ?」何て、書かれていた。長男からは来なかった。少し寂しい気もするが、来月のライブの準備で忙しいのだろう(毎年、決まって、伝言が来ていたのだが)。 自分も、家族の誕生日を忘れることがあるので、携帯に入れ、携帯が忘れない様に自分に連絡してくれる感じにしているが。
 87歳の母には、私が、母の誕生日と歳をその数日前に教えたが・・・?!
 後30回誕生日を迎えたら、墓の中かも知れないなあ。今日がクライマックスって感じで生きるべきだな?!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満59歳

2008-05-28 09:09:20 | Weblog
 今日、満59歳になった。いつの間にって感じだが。歳は取りたくないが、長生きしたしたいのが多くの人の願いかな。しかし、一刻一刻時間は過ぎて行く。これって、皆、平等に与えられているのだ。
 昨日民放のテレビを見ていたら、松島トモ子さんが出ていた。昔、彼女は「(NHKの)お笑い3人組」で出ていたのかなあ。彼女、ケニアに10日間行って、ライオンとヒョウに襲われ、ちょっと間違うと大変なことになっていた。それなのに、「ライオン、私と遊びたかっただけだったと思うんですけど」とか、「飼育係の男性と私が手をつないでいたので、メスのヒョウがやきもちをやいたのでしょう」何て感じで言っている。今も、トラやヒョウ大好きの窮極の動物愛好家だとのこと。
 ムーッ、私もこんな心境で、自分に危害を加える人がいても、いやになることなく、寛容の精神で、多くの人と上手くやって行きたいと思います。
 朝青龍と白鵬が千秋楽で、横綱にふさわしくない行動をしたとのことで、相撲協会から厳重注意を受けている。
 白鵬は、「悪いことしたなと、申し訳ない気持ちで一杯です。冷静さがなかったと反省しています。」と釈明し、ホントに侘びる気持ちがこちらにも伝わってくる感じだ。一方、朝青龍は、「深く反省しています。今後はこんなことがない様に注意したいと思います。」と、淡々と釈明した感じで言っていた。土俵の上では、いつものだめ押しの勢いで押した感じであったが、シマッタとの表情がはっきりと読み取れた。私なりの分析では、彼は彼なりに努力していて、前よりも進化していると思った。
 人間は、よくあんパンに例えられる。中のあんこがホントの自分で、それは、なかなか変えられない。あんこの外は、見かけの自分である。医師にしても、教師にしても、社長にしても、横綱にしても、それは、あんこでなくて、見かけのものだ。社会に出れば、それらしく振る舞うしかない。しかし、人間、どこかであんこの自分をそのまま出したいもの。それが、趣味になったり、バクチや夜の飲み屋街になるのではないだろうか。
 ある水商売の人が言っていたなあ、「酔って一番乱れるのは、お医者さんと、学校の先生と、警察官です・・・」と。
 まあ、この歳になって、いろんなことを経験してきて、やっと自分のことが少し分かってきた感じになっている。先の松島トモ子さんが言っていたなあ、「今までは、明日があると思って生きていましたが、今は、もう、明日はない、今日がクライマックスだと思って生きています。」と。59歳になった私も、同感。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

化石の町、御所浦町

2008-05-27 07:51:05 | Weblog
 コリフォドンって、カバの仲間らしいのだけれども、御所浦町で、その動物の化石も発見され、外国にも紹介されている。
 御所浦町では、いろんな化石がザクザクと発見されている。何か、夢があるなあ。確かに、癒されるなあ。

御所の浦ネット
http://www.goshoura.net/kanko/seeing/index.html

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080527/1

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもの感性

2008-05-26 09:23:10 | Weblog
 歳を取るに従って、次第に感性が薄れていく気がする。いろんなことに興味を抱かない様になるし、挑戦意欲も薄れ、感動も薄れる感じだ。
 その点、子どもって、素晴らしいと思う。御所浦の「白亜紀記念館」で偶然に見つけた子どもの感想文を見て、そう思った。
 同じことを経験しても、子どもがそこから学ぶべきモノは、大人の何倍にもなっている感じだ。
 大人の役割は、子どもにそんな経験を出来るだけさせる様にし向けることだろう。いちいち教えなくても、子どもは自ら学ぶ力がある。子どもなりに発見した時の喜びを子ども自身に実地体験させることが大切だと思う。
 大人の目先の価値観で子どもを潰さない様にしないといけないなあ。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080526/1

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2泊3日の独り旅

2008-05-25 20:25:14 | Weblog
 23日(金曜)の夕方、龍ヶ岳町をチャーター船で御所浦町に行った。ホテルに泊まったら、ホテルの人から、「太鼓を見に行ったらいいのに」と言われ、太鼓の音のする方に行くと、外来に来る子どもの父親が太鼓を指導していた。で、太鼓を打たせてもらった(まさか、太鼓をここで打てせてもらえるとは思ってもいなかったが)。御所浦町には、太鼓チームが3つもあるとのこと。で、結構疲れて熟睡。
 24日(土曜)の朝、タクシーで、「白亜記資料館」に行き、恐竜などを見た。1億年前の恐竜何て言われても、何かピンと来ない。1万年前でも、全然ピント来ないのに。
 雨が降っていて、観光案内所の「しおさい館」でボケッとしていたら、よく来る患者さんの母親がいて、「アツ、漢方の先生!」何て言われてしまった。そこで、パソコンをちょっと使わせてもらってから、宿泊場所に行った。雨も降り、その宿泊場所で話し込んでその日は終わりって感じだった。
 宿泊場所は、オフの時期で、雨も降っていた関係でか、お客さんは自分だけ?って感じだった。修学旅行の時期になると、宿泊場所が一杯になって、足りなくて難儀するとのこと。
 25日(日曜)の朝、そこを10時前に出て、標高442mで、御所浦最高峰、標高442mの「烏(カラス)峠」にタクシーで行った。ここは、360度見渡せるとのことであったが、残念なことに、雨上がりで曇っていて、半分しか見えなかった。
 偶然にも、タクシーで降りる時、マラソン選手の松野明美さんの乗る車と出くわした(もうちょっと頂上にそのままいれば、話が出来たかも知れないのに。少なくとも、写真は撮れたと思うが)。天草でトライアスロンがある関係で来たみたいだ。
 その後、アンモナイト館に行き、アンモナイトの化石を見て感動した。
 その後、定期船に乗って龍ヶ岳町の大道港に着いた(1日に1便しかない)。お腹が空いたので、フェリー乗り場近くにある寿司屋さんに行った。
 驚いた。こんな田舎なのに、(9人しか席がない為に)外で待っている人がいた。聞くと、美味しいとの噂を聞き付けてわざわざ熊本市から来たと言う。インターネットにも乗っていて、超有名な寿司屋さんだと言う。
 何も言わなくても、どんどん出て来て、1.300円とのこと。で、自分も待って、しばらくして入ることが出来た。で、何も言わないのに、どんどん出て来て、とても美味しい。で、食べ上げて、いくらですかと尋ねると、「1.300円です」と言われた。出る時にも外で4人待っていた(こんな田舎で、日曜と言うのに、こんな感じで待っている人がいる何て!)。
 それから、タクシーで、龍ヶ岳の山頂にある「ミューイ天文台」に行った。プラネタリウムの説明も(自分独りしかいなかったので、いろいろ質問も出来て楽しかった)聞いて、山頂から景色も見て(残念なるかな、まだ少し曇っていた)、帰った。
 楽しかった。又、御所浦町に行き、「しおさい館」で自転車を借りてアチコチをサイクリングをしたり、「白亜紀資料館」でハンマーを借りて化石の発掘をしてみようかなとも思う(船のろを漕ぐ体験も出来るみたいだが)。その後、又、大道のフェリー乗り場にある寿司屋さんに行って、美味しい寿司を食べるとしようかなあ。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080525/1


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想定外

2008-05-23 08:10:47 | Weblog
  熊本日赤では、54名の人(大半がそこの医療従事者)が、急患で来た人(自殺目的で、揮発性の高いクロルピクリンなる劇薬の農薬を服用)の吐いたモノで気分を悪くして、大変なことになっている。嘔吐した人は、亡くなっている。当院のドクターも、今日そこで朝から勤務しているはず(週1回行っている、今日はスタッフが不足しててんやわんやの忙さだろうなあ)。救急現場では、いろんな人が来る。酔っぱらい、いちゃもん付ける人、(か細い?)ナースや女性のドクターも怖がっている。昔、夜、病院に入院していた患児の見回りをしていたナースが、不意に暗いところから出て来た男を見て、ビックリ。実は、この人、入院していた子どもの父親で、(やっちゃんで)組から追われて逃げていたが、子どもが心配で見に来ていたのだ。優しそうな顔立ちの父親だったけど、人は見かけによらないのかなあ。

(以下、5月21日の毎日新聞社によるニュースより)
 21日午後10時50分ごろ、熊本市長嶺南の熊本赤十字病院=東大弼(ひがしだいすけ)院長=の救命救急センターで、農薬を飲んで自殺を図ったとみられる熊本県合志市の農業男性(34)を治療中に、男性のおう吐物から強い塩素系ガスが発生。吸い込んだ医師や患者ら54人が目やのどの痛みなどを訴えた。受診中だった女性(72)が重症となるなど、計10人が同病院を含む複数の病院に入院するなどした。男性は間もなく死亡した。
 同病院によると、男性が救命救急センターに到着後、当直医の高村政志救急副部長(48)が胃から内容物を吸引するため鼻に管を挿入したところ、突然男性が嘔吐。空調などを通してセンター中に刺激臭が広がったという。死亡した男性は劇物指定の農薬「クロロピクリン」を飲んだとみられる。
 センター内には、発熱で夜間外来に来ていた1~3歳の子供3人を含む患者や付き添いの家族ら23人と、病院スタッフの31人がいた。重症の女性は腎臓病などのため救急受診中で、同病院は「症状がガスによるものかは不明」としている。体調不良を訴えた人のうち44人は軽症で、快方に向かっているという。
 病院は対策本部を設置し、院内や自宅で待機中の医師と看護師ら計90人を非常呼集して対応に当たった。午後11時50分から防護服を装着した消防隊が約3時間かけてセンター内を除染した。
 男性を治療していて被害に遭い、点滴を受けた高村救急副部長は「現場はパニック状態だった。刺激臭で息ができなかった」と話した。
 死亡した男性は、21日午後10時ごろ、妻から「夫が薬物を飲んで倒れた」と110番があり、病院に運ばれた。クロロピクリンは自宅にあった。飲んだところは誰も見ておらず、遺書はなかった。
 同病院は救命救急センターを22日正午まで閉鎖した。
*クロロピクリン:毒劇物取締法で規制対象となる塩素系の劇物。土壌の殺菌、消毒などをする農薬で、作付け前の農地に散布する。常温では無色(市販品は淡黄色)の液体で、揮発性が高い。わずかな水分で塩酸と一酸化炭素に分解されて粘膜を刺激、のどや目に痛み、呼吸障害などを引き起こす。自殺や誤飲などでの死亡例も多い。空気より比重が重いため、飛散した場合、床に近いほど濃度が高くなり、治療は水による汚染除去と酸素吸入などを行う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いいニュース

2008-05-22 07:38:40 | Weblog
(2008年5月21日、 読売新聞)
 四川大地震被災地での活動を終え、21日に帰国する日本の国際緊急援助隊救助チームが、中国で絶賛されている。
 生存者救出こそならなかったが、整列して犠牲者に黙とうをささげた1枚の写真が、中国人の心を激しく揺さぶったためだ。
 この写真は、援助隊が17日、四川省青川県で母子の遺体を発見した時のもので、国営新華社通信が配信、全国のネットに転載された。
 「ありがとう、日本」「感動した」「かっこいいぞ」……インターネット掲示板に賛辞があふれた。犠牲者数万人、遺体は直ちに埋葬という絶望的状況に圧倒されていた中国の人々は、外国、しかも、過去の「歴史」から多くが嫌悪感を抱く日本の救援隊が、二つの同胞の命にささげた敬意に打たれた。
 「大事にしてくれた」ことへの感謝と同時に、失われた命もおろそかにしない姿勢は、「我々も犠牲者に最後の尊厳を与えるよう努力すべきだ」(新京報紙の論文)という、中国人としての自省にもつながった。
 ネット掲示板は元来、「反日」の温床だが、日本隊の黙とうで、「対日観が大きく変わった」との声も寄せられている。強硬派らしい人物は「日本と戦わなくてはならない時は全力で戦う」と記した後、「だが、日本人が助けを必要としている時には必ず行く」と続けた。「とっとと出て行け!」という反日的な声には即座に非難が集中した。

 ムーッ、いいニュースだと思う。渦を転じて福となすとは、このことかなあ。実践ほど相手を説得するのに強いモノはない。日本の緊急救助隊の評価は、国際的に折り紙付きだ。(韓国と中国を除く)東南アジアでは、日本人の評判は、すこぶるいい。人知れず頑張っている日本人が多いのだ。日本人は、やったことを誇張しない。これ正に日本の美学だなあ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする