日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

モスク・・・

2010-05-31 12:47:39 | Weblog
 モスク、トルコ語で「ジャーミィcami」と言う。イスタンブールで、沢山のモスクを見た。中にも入って、よく見れた。礼拝の時は、避け、又、写真撮影もできるが、フラッシュも避け、それに、女性は、スカーフをしないといけない。
 モスクには、必ず、ミナーレ(尖塔)がある。ミナーレの方が、ドームよりも高い。アヤソフィアは、間違って、6本にもなっているが・・・?!
 私は、イスタンブールのモスクオタクになってしまった感じですが・・・。
 写真は、ブルーモスク


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アヤソフィア・・・

2010-05-30 21:29:17 | Weblog
 今回のイスタンブールで、いろんな所を見た中で、一番感動したのは、「アヤソフィア」でした。
 外からでは、その迫力は把握できなかった。6本もミナーレのあるブルーモスクの方が凄いと思っていたが、実際は、4本(共、違った感じ)のミナーレを持つ、「アヤソフィア」の方が、自分には圧巻だった。
 今は、モスクでなく、博物館になっていて、いつも、見学する時には、列が出来ている感じだ。
 実際に中に入っての下からの眺めと、2階からの眺めは、又、別の感動があった。中が工事中であったが、これは、よくあること。(フィレンツェでもよくあっていたかな)。
 写真だけでは、その魅力を本当に伝えることができない感じで、誠に残念ですが・・・。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20100530/1

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日本再発見・・・?!

2010-05-29 20:42:01 | Weblog
 28日に遅く宿泊したホテル、今日(29日土曜)の朝、気が付くと、ちょうど午前11時だった。家内も私も、グッスリ寝込んでいて、途中で全く起きなかった。幸いに、12時がチェックアウトになっていて、ギリギリ間に合ってそこを出た。
 12時20分発の「ソニック」で大分まで行き、大分でちょっとゆっくりして、15:10発の「にちりん」で佐伯に帰った。
 日本のホテルの素晴らしさ・・・水がただで飲めて幸せ・・・ソニック弁当のバランスの取れた素晴らしさ・・・飲食の前に必ずお絞り・・・改めて日本発見。それに、福岡から佐伯に帰る時の電車からの日本の風景→屋根が黒で、木や草の緑が多くて、何か落ち着くなあ。
 トルコは、観光には、とても適しているけど、癒しの場所ではないとは、家内の言葉。特に、私と一緒だと、(速足で歩くので)忙しくて、疲れるとのことでした。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/categories/1197
 

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宗 教・・・

2010-05-16 14:19:40 | Weblog
個人的には、オカルト宗教などは別にして、イスラム教に関しては、宗教の中で一番宗教色が強いと思っている。
 しかし、多くのイスラム教徒と接してみると、その穏やかな生き方には、驚かされる。
 ユダヤ教にしても、キリスト教にしても、イスラム教にしても、その宗教が深く生活と関わっている。その点、仏教では、それほど強くない。
 イタリア語研修に行った青年が、そこの(イタリア語の)教師から、「貴方は、神の存在を認めますか?」と尋ねられ、「私は、無宗教です!神様など、信じない・・・」と言ったところ、後日、個人的に呼ばれ、「貴方は、ホントにどの神も、信じていないのか?」と尋ねられている。それを話してくれた青年、私に、「いやー、ホントにここの人たち、神を信じているみたい・・」と言ったが。
 飢えに苦しむだけでなく、戦争に明け暮れ、いつ死ぬか分からない状態が数百年も続けば、自然発生的にに、そこに何らかの宗教が生まれざるを得ないのではないだろうか?日本の場合には、自然災害が特に多いので、山の神や海の神が生まれたのでは?
 戦後に、日本でも沢山の新興宗教が生まれた背景には、ものに恵まれていても、それだけでは生きられないと言う、人間の姿がそこにあるのではないだろうか?
 今、日本人に「鬱の人」が多くなって問題になっているが、今の日本人にも、もっと何らかの宗教心があれば、救われるのかも知れないかな?
 イスラム教は過激で、他の宗教を認めないと思ってきている人は多いみたいだが、私は、そうは思わない。もちろん原理主義者は別だけど、多くの所で、イスラム教徒が他の宗教者と仲良くこの目で生活しているのを見てきているから。
 むしろ、無宗教者に対して、溝が深くできるのではと思っている。
 イスラム教徒の人が言っていた、「イスラム教徒の場合は、悪いことをしないのではなく、しようとしても、神がいつも見ているので、出来ない・・・」と。
 逆に言えば、いいことは、神がいつも見ているし、それを喜んでいると言うことになるかな・・・?!
 モスクでは、女性がベールをしてないとだけしばしば注意を受けていたが・・・。中では、フラッシュで写真を撮らない様にと書かれているのに、お構いなしで、撮っている人、多い。この線より入らないでと書かれていたが、私は、それを見落として、入って撮ってしまったが(申し訳ありませんでした)。
 しかし、ベールをしないこと以外は、強く注意を受けているシーンは、見なかった(イタリアやカナダでは、フラッシュの注意をしばしば受けているケースを何度も見たが)。
 イタリアのデゥオーモもモスクも、装飾など(共に素晴らしいが)、似ていると思う。鐘楼もミナーレも似ていると思う。元は、歴史を紐解けば、兄弟だったから。

現在、イスタンブール旅行中。
以下は、その内容。↓
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/categories/1197

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20071125/2

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医師の資源・・・?!

2010-05-12 05:21:48 | Weblog
 埼玉県秩父市のホームページには、「みんなで秩父地域の救急医療を守りましょう!」って感じで、以下の内容で書かれている。
・・・いずれの病院も医師不足で、円滑な救急受入れが困難な状況にあります。・・・平成20年度における秩父消防本部管内の救急搬送の約4割が軽症患者で、小児(18歳未満)では約8割が軽症患者でした。・・・今後、夜間・休日の二次救急医療を維持するうえでは、「昼間は仕事があるから、あえて夜間に受診」「待ち時間が短いため夜間に受診」などを理由とした受診はお控えいただくことが非常に重要です。・・・まずは、可能な限り、平日の昼間のうちに、かかりつけ医や小児科医に診察していただくようお願いします。・・・
 そうですね。特に、(新生児を含む)小児救急医療に関しては、医療側にも、資源に限界があるので、患者さん側や周りの医療機関の協力がどうしても必要となりますね。
 365日24時間、フルに仕事をすれば、どんな人間でも、その内、体がボロボロになりますよ。どんなに精神的に高いモチベーションを持っている医師でも、そうなります。
 アチコチで、そんな感じで24時間小児医療をしてきた病院が、それを辞めつつあります。集約化で5~7人の体制でしても、24時間365日は、きついはずです。世間がそれを求める事自体が無理と言うことです。
 いろんな意見があると思いますが、深夜(22時~6時)は、どうしても朝まで待てない人のみ、(痙攣や呼吸困難などで)来院するべきです。22時過ぎてから、急に症状が出て、朝まで待てない例は、極めて少ないはずです。どうしようか、どうしようかと思いながら、とうとう、朝まで待てないと思って、深夜に親御さんが子どもを連れて来る例が多いと思います。となると、その前に(深夜前に、どうしても不安で、判断付きかねる時は)、来院するシステムを取っておくべきだと思います。それが電話で可能ならば、それで済ませるべきでしょう。又、直ぐに処置をしないと危ない時は、それなりの体制を取っておくべきでしょう。
 小児は、急変します。夕方から嘔吐が始って、(親が遠慮して)早朝、グッタリなっていて、慌てて処置をした経験、多々あります。腸重積症で、土曜の午後から症状があるのに、翌朝まで待って、手術になった例(県病での私の経験)もあります。医師に成り立ての頃、県病や大学で、乳児の嘔吐下痢による脱水で、深夜来た時には、既にショック状態で、その後直ぐに亡くなった例も見てきています。痙攣重責や喘息やクループでの呼吸困難は、待てません。ひどくなる前に、深夜に入る前に、診療可能な体制を行政サイドで設けるべきだと思っています(新生児を含む救急医療の場合は、その多くは、不採算なので、民間や個人の犠牲の犠牲の上に成り立ってきた今までの体制を深く反省すべきです!)。
 私の場合は、自分が現場にいれば、常に、その体制をとってきました。佐伯市では、約20年間、夜は、20時~21時まで、時間を決めて毎日(ホントに365日!)診ていました。患者さんも、それを知っていて、その時間になると集まっていました。
 以下は、実際の私の経験した統計です。深夜の数、時間外来院数の5%足らずですが、深夜入院となると、その割合が深夜来院数に対しては、極めて高くなっています。
・平成3年・・・266(110)/5.808
・平成4年・・・178(88)/5.559
・平成5年・・・181(84)/4.332
・平成6年・・・227(103)/3874
・平成7年・・・225(104)/4.098
・平成8年・・・171(71)/3.587
・平成9年・・・125(56)/2.718
・平成10年・・・119(51)/2.112
*平成2年11月~平成11年5月まで、19床を持って、小児科単科で(41歳で)開業。
分母は、時間外数、分子は、深夜の数で、( )の数は、その内の深夜入院数(19床あり、医師は、常に私のみでしたが・・・)
*救急病院の佐伯市西田病院では、昭和55年4月1日~平成2年3月31日までのまる10年間で・・・3.054(660)/37.882でした(小児科外来数は、337.148、これ以外に、新生児・未熟児医療もあり!8年半余は、小児科常勤医は、自分だけでしたが・・・)。深夜入院数は、時間外数のわずか1.7%でした。
*時間外が多いので、点数が上がり、(大分県の小児科開業医の中で2番目に多いと)行政上の注意を受けました。それ以後、時間外でも、初診でない場合は、時間内の料金で請求することにしましたが・・・。

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講 演・・・

2010-05-12 05:02:07 | Weblog
 佐伯を立つ日(5月11日)の午前中に、市報に載せるので、講演のタイトルをと(市政モニターのOBの会長から)言われ、「海外から見た日本の姿」と返事をした。
 さの前に、7月1日に、講演を頼まれていた。タイトルはどうしようかなあ、まあ、トルコ旅行の事でも話すかなあ・・・って感じに軽く思っていたが、そんな感じでもなさそうだなあ・・・(市民の人が沢山来るかも知れない)?!
 パワーポイントを使って、19:00~20:00の1時間、楽しく話すことにした。(具体的には、今から練るとしよう・・・)
 実際に、海外に行かないと日本の姿が、よく理解できない。比較することで、よく見えることが多い。ちょっとした観光ではなくて、ホームステイをしたり、ゲストハウスに宿泊したり、そこの人が利用する店で買い物をしたりして、そこの人に成り切る感じの経験をすることが大切だと思う。
 自分の場合は、まず、片言の現地の言葉で対応してきた。今思えば、タイやインドネシアやマレーシアやバングラデシュやイタリアや韓国では、この効果は、絶大だったなあ。現地の言葉を毎日使って、どんどん覚えて行って、それを自分でも楽しんでいたなあ・・・。
 トルコ語は、日本語の順番に言えばいいし、助詞もあるので、日本人にとっては、とても勉強しやすい言語だ。しかし、ヨーロッパ言語の様に、動詞が6つも変化する。アラビア語の様に、名詞の後に人称を表わす言い方がある。それと、モンゴル語の様に、母音調和や子音調和が徹底している。正に、発音も、文法も、東西ミックスされた言語なのだ。
 世界の言葉を勉強しようと思えば、初めに、トルコ語からっていうのもいいかな?

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パリの救急医療の実態・・・

2010-05-11 06:19:52 | Weblog
 人口300万のフランスのパリの救急医療の実情がテレビで放映されていた。
 医師は、「SAMU」と「SOSmedicin」と「専門医」と「かかりつけ医」の4構造から成り、救急に関しては、「SAMU」と「SOSmedicin」と「かかりつけ医」の3つが上手く機能分化している。そして、常に中心になって動いているのは、医師である。
 まず、救急に関しては、「SAMU]に連絡される(パリでは、全てこの1カ所に連絡あり)。そこでは、医師が常在し、訓練されたスタッフにより、救急車が必要かどうかトリアージされる。電話での応対で、9割が、救急車が必要でないと判断される。救急車が必要な場合は、医師が同乗して行き、現場到着時点から、同乗した医師により適切な医療がなされる。救急車は、15台あるも、充分に間に合っており、送り先のベッドの不足もない。
 「SOSmedicin(メデゥサン)」は、民間機関が、24時間往診可能なサービスを提供する。
 「かかりつけ医」制度があり、急がない場合は、まず、かかりつけ医にかかることになる。不在でも、代わりの機関を受診すれば、それまでの経過が分かる様にオンライン化されている。
 フランスでは、混合診療は、可能である。国により、科による医師の多い少ないの偏在はないことになっている。又、保険制度は、7割の公的保険と3割の共済保険になっているが、一時払っても、最終的には、その多くは、医療費が戻ってきて、要らないことになっている。(国民が年間払う保険の医療費は、日本よりも多くなってはいるが・・・、又、医師過剰、医師の就職難など、新たな問題もあり、往診にナースが付き添うことは、まずない様だが・・・?!)
 日本も、このフランスの医療制度を手本にするといいのでは・・・?!
 5月6日、天草を出る時、「しばらく不在にするので・・・」とガス屋さんに電話すると、5分も経たなかったと思うが、直ぐに来てくれて、処理してくれた。実に早い対応だった。アチコチの救急医療も、こんな感じだといいのだろが・・・。

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ムササビ・・・

2010-05-11 00:05:33 | Weblog
 ムササビをちょうど10年間育てた人から、今回、佐伯に帰って聞いた話・・・
 ムササビは、林野庁から、保護の目的で許可があれば、育てられるとのことらしい・・・?!
 伐採で、巣の中のムササビのヒナが、親と離れ離れになり、親がもう来ない感じの状態で、保護したそうな。
 まだ、目も見えない状態で、バナナを主に育てたそうな(リンゴでも可とか?)。夕方、1回だけ、バナナ1本を上げるだけで、いいとか。便は、キャビアみたいなのを1日1回し、尿は、1日2回程していたとのこと。
 ムササビは、夜行性で、夜になると、動きまわるが、昼はじっとして寝ているとのこと。
 ムササビのヒナは、次第に大きくなり、育ての人間を親と思ってしまった様で、その飼い主の手をペロペロと舐め、その人以外は、警戒して近づこうとしなかったとのこと(警戒心が強い)。
 10年間、人間の飼い主に育てられたそのムササビ、病気らしい病気もせず、ずっと元気だったが、急に元気がなくなり、元気がなくなってしまったその日、胸に抱いて一緒に寝ていると、深呼吸を3回して、飼い主の胸の中で、そのまま永眠したとのこと。
 ムササビは、リスに似ている感じで、飛ぶ姿は、正に、バットマンって感じで、かっこよく、又、とても可愛いかったとのこと。
 佐伯市の城山には、20程、穴が開いた木に、ムササビが住んでいるとのことで、夏の暑い時には、(涼しくする為に)尾を巣から出していることもあるとのこと。(城山に登る時には、今から、よーく、注意して見ようかな・・・!)

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出発前日・・・

2010-05-10 17:14:28 | Weblog
 新しく出来たレストラン「○海MARUKAI」に家内と一緒に行った(私は、初めてだった)。佐伯港のちょっと先にある。「さいき魚の市場○」がそれが出来る前にオープンしていて、そこと道路を隔てて、その前にあった。
 本日限りかも知れないって感じの「ちりめんどんぶり御膳」を食べた。今朝取り立ての新鮮な「ちりめん」がドッと実に沢山使われていて、正に新鮮って感じで、とても美味しかった(こんな感じで食べたのは、生まれて初めて!)。
 この「○海」、出来てまる2年になると店員さんが言われていた。「さいき海の市場○」にも行ったが、佐伯の産物の全てって感じで、手作りの物(これが又素晴らしい)沢山売られて、じっくりと見て回った。海外では、こんな感じの市場が多いのかなあ・・・?!(巷の噂だと、1億円見込んでいたが、その新鮮さと質の良さが大当たりして、何と、5億円の売り上げだとか・・・?!)
 その後、テクテク歩いて、佐伯駅の近くの(大分)銀行に行って、記帳した。もう、1年間も記帳していなかった。で、驚いたのは、通帳繰越記入ATM機があった。で、それを使うと、コンピューターの言うままに操作するだけで、1冊が3冊になって、終わった。(スゴイ!)
 (島に5年もいると・・・じゃないだろうが?)知らない事がどんどん多くなってくる。生きていればこそ、それ等を体験できるのだ。
 明日は、(JR九州の4割引きのマイウェイクラブを使って)博多行きで、翌朝、早朝6時頃にホテルを出て、その日の夕方に、羽田を発って、トルコ航空の直行便でイスタンブールに着くことになっている。家では、簡単な挨拶をトルコ語で家内と言い合っているが(ウの口をしてイと言う、オの口をしてエと言う、イの口をしてウと言う、この時点で、家内は、今泥沼に入っている状態の様だが・・・?!)・・・。



http://www.saiki-uminoichiba-maru.com/marukai/index.html 

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母の日・・・

2010-05-10 00:17:39 | Weblog
 今日は、母の日。母は、一昨日、昨日は、デイケアに行っていたが、今日は、行かない日だったので、昼過ぎに、巻きずしとケーキを持って、家内と一緒に母の所に行った。
 昨日は、母の誕生日だった。89歳になった。正確な自分の歳が(軽い認知症の為に)言えなくなっていて、「大正○○年5月8日生まれで、ボケて計算できんから、計算して下さい・・・」と歳を聞かれたら言うことにしていると言う。
 「お母さん、今何の仕事をしてるか、知ってる?」と尋ねると、「さあ、何かなあ?先生?」と言う。
 自分が医者をしていると教えて、「何科と思う?」と尋ねると、「外科じゃないん?」と言う。
 (昔、母が、大分県病の外科のナースをしていた関係で、外科と思うのかな?)
 しばらくして同じ質問をすると、→「医者じゃなかったかな?」とちゃんと言える。(どうも、記憶したことが、思い出せなくなったり、思い出せたりしている様だ・・・)
 表情がとてもいい。今までと違う。お金の事は言わなくなったし、終始ニコニコしている。正座が一番楽で、それをいつもしている関係で、それが内臓を正常の位置に保つことで、元気におれると言う。医者の自分に向って、塩分を取り過ぎない様にと、何度も言う。
 顔にシミなどが殆どなく、喋ってばかり。「支離滅裂、前後不覚、クルクルパーになっている・・・」と何度も言う。同じ事を何度も尋ねて来る。海馬がおかしくなっているのだろう、・・・?!
 認知症になることで、不安や心配なことを忘れることが出来る。その結果、過剰なストレスから逃れることが出来る。つまり、これは、この先も生きる為の自己防衛本能に他ならないのではないだろか。もう、この歳になってまで、遠く離れた子どもの事まで心配させるのは、極めて酷と言うもんだ。神様が意図的にそうしているに違いない。
 母の好きな曲、「青葉の笛」「君が代」、それに、古賀政男が作曲した4曲を演奏した。母も演奏中、それを口ずさんで楽しそうだった。
 又来るからと言って、そこを出て、テクテク歩いて、行き付けの喫茶店に行って、しばらく話し込んだ。その後、自宅に帰ると、直ぐに、パシェフェと看護師の二人が、近況報告って感じで遊びに来た。プロの目から見たケーキ作りの話と、外科病棟での話、それなりに次元が全く違っていて、興味深く聞いた。3時間以上いたかな。
 少し遅い時間になったが、茶道の師匠の所に行った(まだ、幸いに、夕食前だった)。6月6日は、佐伯市での恒例の市民茶会とのことで、自分の出席の旨を伝えると、とても喜んでくれた。
 「いつまで、そこで働くの・・・?」
 「早く帰っておいで、皆、楽しみにして、待ってますよ・・・」と、又、言われてしまった。

(5月9日の午後、記載)


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