日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

クレーマー対処の仕方

2008-01-31 16:08:31 | Weblog
 先日発売された週刊ダイヤモンドの特集記事「恐怖のクレーマー」に対して、苦情やクレーム対応アドバイザーとして経験豊富な関根眞一氏による「苦情対応7つの心得」の内容を少し変えて、以下の内容にしてみました。如何でしょうか?

 1、非があれば、素直に謝罪する
 非がこちらにあった場合には心から謝罪すべき。逆説的に考えれば「明らかに非がない場合には謝罪をする必要はない」。間違っていれば、素直に頭を下げよう。
 2、相手の話は、感情を抑えて素直に聞く
 クレームを寄せる人は感情的になっている場合が多い。素直に聞けば相手も落ち着くことが多い。こちらも感情的になって返答をしてしまうと、感情論の展開になり、さらに周囲も面白がってあおり立て、俗にいう「炎上」状態になりかねない。
 3、正確にメモを取る
 後で正確にメモを取っておくことで、「言った」「言わない」の応酬を避けるだけでなく、状況を落ち着いて判断できるメリットもある。対応が必要な状況になった場合、相手だけでなく自分の行動を振り返り事実誤認がないよう、しっかりとデータは残しておこう。
 4、あわてず冷静に考えてから説明
 事情説明や誤解の訂正の場合には、慌てず冷静になること。同時に相手へのあからさまな迎合も禁物。自分が語ろうとしている内容をもう一度吟味して、それで本当に良いのか、第三者にも相談して対応しよう。
5、苦情現場を確認する
 クレームが生じた現場を確認し、事実も合わせてチェックする。現場の情報に即した対応をすれば、回答すべき内容も的を射たものになる。実は相手側の読み間違いや勘違いでしかなく、自分には何ら非がない場合もある。クレームが発生した個所をもう一度吟味し、本当に相手の主張が正しいのかどうか、事実誤認をしていないかどうかをチェックしよう。
6、苦情を言う患者さんをすぐにクレーマーに仕立てない
 苦情患者さんに安易に迎合して(例えば金銭などの)要求に応じていると、味を占めてしまい、何度となくそれを求めるようになる。嫌な意味でも「人間は学習する」という恒例だ。このようなパターンは避けねばならい。
7、患者さんから学ぶ心
 苦情の無い医療機関は、患者さんがあきらめた医療機関。患者さんからの声から学ぶという意識こそが、明日を確実なものにしていく。

 以上のことは、日常生活をする上で、いろんな人とのトラブルでも、応用できそうな気もしますが。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の意識調査

2008-01-31 08:41:03 | Weblog
 平成20年1月25日の読売新聞に、日本人の意識調査のことが掲載されていた。調査は、1月12日と13日に行われ、個別訪問面接聴取法で、全国の有権者3.000人を250地点で層化2段無作為抽出法で行い、有効回収率1.780人(回収率59.3%)での結果である。
 日本国民であることを非常に誇りに思う人は55%、少し誇りに思う人は38%、誇りに思わない人は6%に過ぎなかった。(スゴイなあ)
 その具体的内容は、「歴史、伝統、文化」72%、「国土や自然」43%、「社会の安定・治安」「国民性」それぞれ28%、などとなっている。(充分に納得)
 又生まれたら、日本人として生まれたいかの問いに、そう思うが70%、そう思わないが25%となっている。気になるのは、若いほどその割合が少なっていくが、それでも20歳代で73%にも達している。60歳以上では、9割を越えている。(日本人は、外国に行っても、最後は日本に帰る人が大部分ですネ)
 国民の一人として是非とも国の役に立ちたいと思っている割合では、そう思うが73%、そう思わないが20%であった。
 仮に日本が他国に侵略されたどうしますかには、武器を持って抵抗するが16%、武器以外の方法で抵抗するが39%、逃げるが33%となってい。男女別では、男性は、武器以外で抵抗する43%、武器を持って抵抗する28%、逃げるが20%であるのに対して、女性は、逃げる46%、武器以外で抵抗する35%、降参する9%となっている。(やはり、日本の女性は、まだ強そうで本当は弱いのか?)

 ある地域から出てみないと、そこの地域のことがよく理解できません。日本から出てみないと日本のことがよく分かりません。地球から出て、地球の素晴らしさがよく分かります(月に行って地球を見た宇宙飛行士は、そこに神を見たと言っています)。生きていることの素晴らしさは、大病して、死ぬ間際になって、やっと心底から分かる人が多い様ですね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臨床は、国際的な見地からも・・・

2008-01-30 13:20:56 | Weblog
 日曜に入院した子が、2泊3日で昨日退院した。来院時、白血球が3万近くあった。血沈も、来た時は、正常だったのに、帰る時には、1時間が45にもなっていた。しかし、(葛根湯+黄連解毒湯の注腸が効いたのか)白血球数も正常化し、CRPも2で、元気良くなったので、抗生物質を処方して帰した。来院した時、ピリピリっとする動作があると言うことで、熱性痙攣の疑いで入院したのだが、皮膚の色が良くなく、元気なかったのに、咳はその割には少なく、肺の聴診所見も大したことはなく、どうしてかなあと思っていた。
 母親が、生まれたばかりの乳児を抱えていて来れなく、連れて来た人が祖母だった。で、入院後にしばらくして言われた。母親がフィリピン人ですと。それで、顔色が黒ずんで見えたのだ。なるほどと思った(子どもさん、右下腹部に、フィリピンにいた時に腸重積で診断が遅れた為に、回復手術をして、その跡があったが)。
 かってある大学病院で、救急で帝王切開した子がチアノーゼがあると言うことで、大騒ぎになった。しかし、その割には、元気がいい。何がおかしいのかと、多くの医者が動員されて考えている時、妊婦に付いてきた母親が、何か言いたそうな顔をしていた。
 蘇生が何だかんだと騒いでいる時、その祖母が分娩室の入り口に来て、「あのー、子どもの色のことで悩んでいるのでは?早く言うべきだったのですが、実は、父親が黒人ですので・・・」と。その後、慌てていた多くの医師が急に姿を消してしまったのは、言うまでもない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その257)

2008-01-30 08:16:55 | Weblog
○昭和61年7月1日(火)晴。
 大分県の60年の新生児死亡率と乳児死亡率が全国一になっていた。又、周産期死亡率も5位とのこと。スゴイ。ホントに。全く。こんなこと信じられない。せめて全国平均にと思って頑張ってきたのに、まさか、全国一になるとは。大きな要因は、県病と自分と大学の3つの頑張りだと思う。心臓も、県外で(福岡と宮崎に送って)助かったし、それも大きかったと思う。
○昭和61年7月7日(月)晴。
 150人ちょっとだった。だんだん少なくなりつつある。7月は、丸24時間休めるのは、2回しかない。その内の一つは、小児科でのキャンプだ。頭がズキンズキンして痛い。こんな痛みは、初めてだなあ。(高血圧のせいだったと思われるが、ずっと気が付いていなかった)
○昭和61年7月12日(土)晴。
 10人しか集まらなかった。腹の調子はまあまあ、少し頭が痛い。夕方焼き肉を食べた。(臼杵の)黒島っていい所だなあ。自分の泊まった部屋、じめじめしていた。
○昭和61年7月15日(火)雨。
 ○○○が旦那さんから、いつも病院にいて家にいないとのことで、家で泣いていたとのこと。その点、小児科の婦長は、そんなことがなくていいみたいだ(いつも、朝、自分に合わせて早く来ていたが)。ナースの旦那さんって、大変だなあ。医療従事者と結婚したら、大変だ。内は、嫁さんが鹿児島出身だからか、あまり言われないので、いいけど。皆、言わないだけで、いろいろ悩みがあるんだなあ。○長も、心臓が大きくなって調子が悪い様だ。理事長先生も、突然亡くなったし、どの人もこの先どうなるのか、サッパリ分からないなあ。親が元気なのが有り難いなあ。
○昭和61年7月20日(日)晴。
 患者さんが39人も来た。普通の休みにしては結構来たと思う。自分の存在感、確かにあると思う。新患が多くなっている感じだ。鼻髭が人を呼んだのかなあ。どこに掛かってもいいと思う人も多いと思う。どうしてもここでないといけないって感じの人、どの位いるのかなあ。ミーコは夏休み、自分には、ない。当たり前か。
○昭和61年7月26日(土)晴。
 お金は使う為にあるもの。死ぬ時に一杯持っていても何にもならない。相続問題を残すだけだ。お金を上手に使うことが大切だ。それも、出来れば、他人の為に。両親と兄弟の家族を、8月9日と10日に、別府に全部集めることにした。全部で(5家族)20人(父母、長兄家族5人、次兄家族4人、姉家族4人、私の家族5人)、大人が10人、子どもが10人。かなりお金が要るが、自分が出すことにした。それだけの価値はあると思う。父も74歳だし、この先どうなるか分からないからだ。皆が欠けることなく集まることが大切だ。ビデオにも、バッチリ撮って配ろう。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080130/1

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杞 憂

2008-01-29 08:25:30 | Weblog
 トリ型インフルエンザ、抵抗力の少ない乳児やお年寄りが沢山なくなっても不思議ではないと思われがちだが、今まで実際に亡くなった人を見てみると、抵抗力が最もないと思われる乳児やお年寄りの死亡者が意外と少ない。何故だろうか?
 今日本で流行しているインフルエンザにしても、急性脳症は、症状が出てその多くが24~48時間以内に起きる。しかも、乳児もインフルエンザに確かになるのだけれども、急性脳症の例は明らかに少なくて、その割合は、1歳>2歳>3歳とはっきりと差が出ている。お年寄りが亡くなる場合は、1週間経ってから、細菌の二次感染による細菌性肺炎で亡くなり、インフルエンザにより数日以内に起きるウイルス性肺炎ではない。何故だろうか?
 恐らく、これは、免疫が大きく関与していると思われる。事実、インフルエンザ脳症になった場合、脳内にインフルエンザウイルスが沢山いる為ではなく、過剰なサイトカインが出ていることが起因していると言われている。インフルエンザの筋肉痛にしても、そこにインフルエンザウイルスがいるのでなく、やはり、サイトカインが関係している言われている。
 スペイン風邪がかって大流行した時、子どもだけでなく、20代~30歳代の若者も沢山亡くなった。これが何故か大きなミステリーになった。お年寄りが、同じ型H1N1を過去に持っていたからと一応は説明されているが、本当だろうか?それもあるかも知れないが、お年寄りの場合よりも若い人の方が、異物に対してアレルギー反応が強く出て(異物に過剰に反応して)、その結果、(乳児やお年寄りよりも)沢山のサイトカインが出て、一番丈夫なはずの人が亡くなったのではないだろうか。トリ型インフルエンザも、そうなっている可能性が大きいと思われる。
 新生児では、抗生物質のアレルギーの検査をしなくていきなり使用する。免疫力が発達していない為に、異物と認識してアレルギーを起こす力がないからだ。歳を取ると、花粉症が軽くなる傾向にある。歳を取ると、免疫力が落ちて、異物を排除しようとする力が低下するからだ。
 気になるのは、インフルエンザ脳症が、外国ではあまり問題になっていない点である。何故、日本だけが。
 それも、やはり免疫学的なアプローチで解明できそうな気もしている。現在、きれい好きの親から育てられた日本の乳幼児の約半数が、何らかのアレルギー疾患(アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、気管支喘息、食物アレルギーなど)で悩んでいる。
 その原因として、遺伝的要因よりも環境的要因が注目されている。(専門的になるが)乳幼児期に微生物に暴露されやすい環境で過ごすとアレルギーの発症を予防できるのではと思われる。つまり、乳幼児の免疫系は、TH2が優位で、TH1機能の成熟が遅れるとアレルギーが発症し、TH1機能の発達に(腸内細菌を含む)微生物が深く関与していると考えられるからである。
 小さい時から、周りが抗菌的なものばかりを与えたりすると、細菌にさらされることが少なくなるだけに、TH1の機能が衰えるのではなかろうか。又、安易に抗生物質を与えてしまうと、腸内細菌も乱れて、やはり、TH1の機能が低下するのではなかろうか。
 実際にインドネシアの子どもに接して見ると、どの子もアトピー性皮膚炎はなくて、きれいな肌をしていた。タイで現地の親から聞いてみても、最近、(農薬などを使っているせいもあるのだろうか、寄生虫はもういなくなってしまった様で)アトピー性皮膚炎の子どもが多くなってきていると言われていたが、しかし、小学校にはいると、その大部分は治り、日本の様に、大きくなるまでアトピー性皮膚炎が続くことはまずないと言われていた。
 0157の時、きれい好きな親御さんの子どもさんにひどい例が多かったらしい。トリ型インフルエンザが、ベトナムや中国やインドネシアでなく、きれい好きな日本だったら、アット言う間にバタバタと倒れてしまいそうな気も少ししている(杞憂にならなければいいが)。
 ヒトは、自然の一部。やはり、ウイルスや細菌とも上手に共存して行くべきかも知れない。現在、インフルエンザとして、ソ連型も香港型も流行していること自体、今までになかったこと。かっては、ある型が流行すると、不思議な様に、それまでの型が自然消滅していた。これも、予防接種を沢山の人がしたり、多くの人の免疫力が変化したせいではないだろうか?!

*例えば、Th2↑によりIL-4が出るが、IL-4は、IgG、IgEへのクラススイッチを誘導するが、過剰になるとIgEに多くがクラススイッチされる。Th1↑で盛んに出る様になるIFN-γが存在すると、IgEへのクラススイッチは少なくなる。



:写真は、サヌールの子ども達

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外国人旅行者が初めて800万人を突破

2008-01-28 16:15:59 | Weblog
外国人旅行者が初めて800万人を突破 韓国からが最多
(1月28日 毎日新聞)

 国土交通省の外郭団体、国際観光振興機構(JNTO)は28日、07年に日本を訪れた外国人旅行者の推計が前年比13.8%増の834万9200人となり、初めて800万人を突破したと発表した。円安基調やアジアの航空座席供給量増加で、韓国、中国など主要11カ国・地域からの旅行者が過去最高を記録した。
 最も多かったのは韓国で同22.8%増の260万800人。2010年に外国人観光客1000万人を目指す「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の効果や、ビザ発給要件の緩和などが奏功した。また、中国は16.2%増の94万3400人で米国を抜いて3位に浮上した。
 一方、07年に出国した日本人の数は、円安や原油高による運賃高騰の影響で同1.3%減の1729万8000人にとどまった。

 ムーッ、ちょっと前までは、日本人が外国に行く数が1000万人をもうすぐ越えると言って騒いでいたが、今じゃ、その倍にもなろうとしている。国内旅行費で、隣国に行けるとなると、気軽に行く人が今からどんどん多くなると思う。それ以上に、外国から来る人の割合が軒並み増加している。やはり、日本を気に入ってもらえたのだろう。
 日本の素晴らしさ、それは、やはり安全、自然の美しさ、清潔、日本文化の素晴らしさ、日本人の礼儀正しさ・・・数えたら、切りがないだろう。病気になっても、いい医療を直ぐに受けられる。
 逆に言うと、外国に行くと、物乞いはいる、外国人の料金が別に(高く)ある、ゴミが多い、病気になった時に、心細いなど。
 しかし、都会でなくて田舎に行くと、世界中どこに行っても、困った時には助けてくれる人が多い感じがしていますけど。(ニコニコ)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医師にゆとりがないと、いい医療は出来ない。

2008-01-28 09:03:36 | Weblog
  カナダで医療を受けた人の話では、普通の風邪では、スゴク待たされて、ある時、あまりに長く待たされるので、もう我慢できずに帰ったとか。本当の救急は直ぐに診てもらえるのに、そうでない時は、1時間以上掛かるのは普通で、医師も、食事をちゃんと摂り、全然慌てていないとのこと。
 アメリカでは、普通の風邪のたぐいは、医療費が高いので医者にかかることはまずないとのこと。
 又、ある人の話では、アメリカでは、救急外来は6時間待ちで、初診外来は何と1カ月から2カ月待たないと、診てもらえないとのこと(州によって多少違うだろうが)。
 しかし、アメリカ人の多くの意見はまともで、「医師はきちんと仕事をしている。 待つことは、仕方ない。医師は日々、勉強しなければならない。忙しい。だから、仕方ない。」と言ってくれるとのこと。
 東南アジアのある国では、先にお金を摂り、日本の医者の様に優しくなく、その医療も、薬の副作用で下痢が起きたりして、不安だとのこと(東南アジアで医療を受けた人の話)。
 イスラム社会で日本の医師の現状を言えば、「何故、そんな馬鹿なことをしているのか!」と言われる。激務をこなしている日本の医師が滑稽に見えるのだ。
 更には、多くの外国の人からは、「私は日本で医療を受けるのが怖い。命を扱う医師は寝なければならない。休憩をとらなければならない。睡眠不足で、ゆとりのない中で、まともな診断、治療が出来る訳がない。」と言われるに違いない。
 日本の様な今の状況が続けられるのも、もう時間の問題になっているのかなあ。せっかく皆保険でいい医療が行われてきたのになあ、今、それが確実に崩れつつある。それも加速度的に。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その256)

2008-01-28 07:59:26 | Weblog
○昭和61年6月2日(月)晴。
 ガンマーグロブリンがバッサリ保険で削られていた。50万程になるかな。しかし、MCLSでだ。今まで通っていたのに、急に今回から通らないって感じだ。MCLSでは通らないと前もって言っておいてくれれば、使わないのに。ガックリ。方針がいつも一定していないのはおかしい。ずっとずっと長いこと使っていて、急に切ってきたり、又、それをしばらく経って使っていても、削られなかったり、審査する人によって方針が違っている感じだ。イライラ。
○昭和61年6月7日(土)晴。
 (宮医大の)○○先生から来てもらうはずだったが、(昨日生まれたRDSの)ベビーの状態が悪いので(昨晩、泊まり込む)、大分の法華クラブに行って家族旅行をする予定が中止になった。仕方ないなあ、ベビーが悪い時は。やはり手を取るのは、ベビーだなあ。RDSのひどいのが生まれると、数日間は缶詰状態だなあ。
○昭和61年6月9日(月)晴。
 外来160人以上来て、夜は、14人来た。今から多くなるのかなあ?RDSの○○ベビーは助かりそうだし、○○ベビーも元気だ。しかし、自分は、午後は、ひんだれた状態になっている。
○昭和61年6月19日(木)晴。
(従兄弟の奥さんが)救急車で来て、血圧が、90→75→50となっている。チアノーゼがあり、真っ青で、意識がもうろうとしている。(産婦人科の代診で来た)○○先生が、何か分からないと言う。で、このままでは血圧がドンドン下がって命が危ないと思い、私自身が緊急手術をお願いした。(手術の結果は、○○内破裂で、出血多量であった)危機一髪で、助かった。良かった。
○昭和61年6月21日(土)雨。
 (小児科のナースの)○○さんの結婚の披露宴が料亭で(簡素に)あった。18:00から始まる所が、18:50から始まった。親も兄弟もいない。何か寂しい感じがした。祝辞は、上手に出来たと思う。回を重ねるごとに上手に言える様になっている感じだ。
○昭和61年6月30日(月)晴。
 150人前後来た。まあまあかな。そんなに多いとも思わない。6月ももう終わりだ。月日の経つのは早いなあ。6:30ちょうどに起きることが多くなっている。昼寝も、30分間することが多くなっている。もう、これが習慣化した感じだ。今の自分のリズムは朝型だ。朝の時間はとても貴重だし、能率が上がるなあ。伸もワコもミーコも元気だ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その255)

2008-01-27 16:18:43 | Weblog
○昭和61年5月2日(木)晴。
 明日から3日間休日だなあ。しかし、自分には関係のないこと。ここに来て、連続3日間休んだことないなあ。死亡診断書、久し振りに書いた。あまり書くことはないが、それでも、ここに来て20人は書いたなあ。
○昭和61年5月7日(水)晴。
 ○○先生(大分医大の助教授)が(午後小児科の当直で)来てくれた。久し振りにゆっくりすることが出来た。部屋を片付けた。毎日少しずつでも片付けて行くことが大切だなあ。塵も積もれば山となる。全てがそうだ。
○昭和61年5月8日(木)晴。
 14:30に救急車で、心肺停止の子が来て、大変だった。駄目と思いながら、一生懸命に蘇生をしたら、心臓が動きだし、呼吸もする様になった。ちょっとしたスキに(ビニールの袋が被さって)こうなった感じだ。小さい子って、目が一時も離せないなあ。この子、細気管支炎(?)で3月初めに入院している。その後、こちらに来ずに、お産した産婦人科に風邪で又かかっていた。その後、風呂に溺れた子が来たが、この子は、助かった。(泊まり込む)
○昭和61年5月9日(金)晴。
 4カ月の子がやはり亡くなった。刑事が2人来た。夕べは3時間も眠れたかなあ。
○昭和61年5月11日(日)晴。
 今日は母の日。カーネーション(3000円)を母と恵ちゃんに花屋さんから送った。女性は、男が思っている以上に、花をもらうと喜ぶらしい。疲れている。頭が痛い。
○昭和61年5月15日(木)晴。
 今日から(日本小児科学会で)久留米行きだ。久し振りだなあ。こんな学会に、それも3日間もあるなんて。鹿児島であった時には、大きな会場で教授のスライドを棒で指したなあ。距離的に、西日本内だと、それも九州だと楽だなあ。かの有名な聖マリア病院も見学するつもりだ。
○昭和61年5月16日(金)晴。
 暑かった。子どもの心の病気の講演、とても良かった。いろんな偉い先生にお目にかかれ、又、いい講演を聴いて、水を得た魚って感じになっていた。シンポジウムが22:00前まであって、橋本先生の話、素晴らしかった。
○昭和61年5月17日(土)晴。
 勉強になる。今日も、22:00前まで、あった。ビッチリ詰まったスゴイ内容だなあ。(宮崎県病で小児科の医長をして開業した)野中先生にもあった。話がはずんだ。(結婚式に参列してくれた)本山君にも会った。懐かしかった。
○昭和61年5月18日(日)晴。
 聖マリア病院に行った。奇形症候群や異常児ばかりって感じで、大変だなあと思った。新生児・未熟児を収容する病院としては、ベッド数は世界一。120人も入院しちて、ドクターが10人、若いナースが多い感じだ。V-55も使っていた。クベースがずらっと並んでいる光景は、壮観だった。感動したのは、メチャクチェ忙しいはずなのに、皆、顔の表情が明るいし、ドクターもニコニコしている。やはり、医療人は、常にこうでないといけないのだ。
○昭和61年5月19日(月)晴。
 朝5:10に、(大分の)第二グロリアホテルから南さんの車で(朝の診療に間に合う様に)帰った。薬を飲んで寝たので、グッスリ眠れた。旅行でどうしても眠らないといけない時は、催眠剤を上手に使えば何てことないなあ。学会に出席出来て、ホントに良かった。その間、結構入院していた。
○昭和61年5月25日(日)晴。
 (小児科のスタッフで事務員さんの)○○さんの結婚式があった。「僕の妹に」を唄った。祝辞もバッチリだった。夜、病院に行ったらRDSが生まれていて、直ぐにnasalCPAPを付けた。
○昭和61年5月26日(月)晴。
 結婚式の写真、ちゃんと撮れているか気になっていたが、夕方(カメラ屋さんに)取りに行ったら、バッチリ良く撮れていて、ホットした。
○昭和61年5月28日(水)曇。
 とうとう37歳にもなってしまった。後3年もしたら40歳だ。そう思うと、いささかウンザリって感じ。皆に平等に与えられているもの、それは時間。そして、人間は必ず死ぬ。後何年生きられるか、誰にも分からない。無理して生きてきているから、大きな病気をしなくても、70歳ちょっとで死んでしまうかなあ。とても80歳まで生きられそうにないなあ。その間に、何かをしないといけない。夢はまだ一杯あるのだが。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出産適齢期?!

2008-01-27 08:11:18 | Weblog
 今日は、家内の誕生日だ。何と、55歳になった。私が今年の5月で、59歳になる。結婚した時には、私が26歳、家内が23歳で、それは、ちょうど日本の平均の男女の結婚年齢だった。しかし、今はどうだろうか。30歳過ぎても独身の女性がアチコチいるし、男性に至っては、ゴロゴロいる。
 看護学校の講義でいつも言っているのだが、結婚適齢期はないが、女性には、出産適齢期があると。
 出生後に、卵子は、形成されない。胎児の時に、全部で700万個以上の原始卵胞細胞があるが、出生時には、既に、200万になり、その内の半分は、発育停止の状態になっている。つまり、生まれた時点で、正常な卵子は、100万しかない。思春期には、それが30万個以下となってしまう。一生の内、その内の約500が、月経周期ごとに排卵されることとなる。
 卵子は、年毎に宇宙線などにより傷付き、母親の出産年齢が45歳以上だと、ダウン症の生まれる確率は、25人に1人程にもなってしまう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする