日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

日本語を理解する為に(その11)

2007-02-25 11:24:51 | Weblog
 ヨーロッパの言語を学ぶ時、一番難儀するのは、動詞の変化である。一人称、二人称、三人称で、動詞が変化する。英語の場合は、三人称単数にSさえ付ければいい、それで事足りていたが、ヨーロッパ言語では、6つ、覚えないといけない。
 しかも、例えば、イタリア語であれば、それを、現在、近過去、半過去、未来、更には、命令、条件、接続と、少しずつ変わって行くのを、きめ細かく覚えて行かないといかない。
 しかし、フィレンツェに1カ月住んで、実際に話をしようとする時、現在形と近過去だけでも、生活上では、何とかやって行けることに気が付いた。(バングラデシュのダッカで話した時、未来形と現在完了の2つで、何とか、やって行けることにも、気が付いた)
 イタリア語とスペイン語は、よく似ている。動詞は、イタリア語もスペイン語も、3つのタイプしかない。スペイン語では、-ar動詞と-er動詞と-ir動詞である。イタリア語では、 -are動詞、-ere動詞、-ire動詞である。
 hablar(話す)を、アブロ、アブラス、アブラ、アブラモス、アブライス、アブランと覚え、末尾の変化が、beber(飲む)では、オ・アス・ア・アモス・アイス・アンが、オ・エス・エ・エモス・エイス・エン、vivir(住む)では、オ・エス・エ・イモス・イス・エンと覚えるしかない。
 イタリア語だと、parlare(話す)が、オ・イ・ア・イア一モ・ア一テ・ア一ノとなる。beber(飲む)だと、オ・イ・エ・イア一モ・エ一テ・オ一ノとなる。しかし、-ire動詞の場合は、2つあり、partire(出発する)とcapire(理解する)とは、違い、後者では、カピ一スコ、カピ一シ、カピ一シェ、カピア一モ、カピ一テ、カピ一スコノとなる。
 この難関、初心者は、慣れるしかない。

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為になるかも知れない本(その11)

2007-02-25 07:49:52 | Weblog
 模試は、全部で6回あり、第3回から最終の6回までの模試の4回の平均点は、450点満点で、331点で、修猷館の現役の3年生だと、3番だった(修猷学館と修猷館では、館外生も含めて約1000名中、23番だった)。その前年度(東大中止の年)、修猷学館と修猷館からは、館外生も含めて、九州で最難関の九大医学部に、何と、22名(100番以内が17名受験して、16名合格)も合格していた。



*昭和43年の佐伯鶴城高校3年1月施行の最終の実力試験では、国語37点、英語65点、数学88点(この時、初めて、学年で数学が1番になれた)、世界史24点、物理40点、化学26点、総計280点で、学年で11番であった。大分県下で進学校が全員受ける3回の県下一斉模試の平均点では、県下で、250番だった。
*昭和45年の修猷館と修猷学館1月施行の最終模試では、国語62点、英語72点、数学89点、世界史42点、物理39点、化学40点、総計344点で、修猷館の現役の高校3年生だと、11番だった。


 友達が、「九大医学部を受けるのか?」と聞いてくる。「いや、もう浪人できんから、受けたいけど、絶対確実な所をねらう。四国の徳島を受ける。」と言うと、「そんなら、一番で通るんじゃない・・・」と言ってくれる。(修猷学館から、徳島大学医学部を今までに受けた例がなかった)
 この1年間は、バスで修猷学館に通った。朝は、マラソンをし、夕方は、バドミントンをした。今までの様に、夜遅くまで起きることはなくなり、朝、4時過ぎ(大学の時も、同じ、今は、5時に起きているが)に起き(完全な朝型となった)、修猷学館での予習を徹底的にした。よく遊び、よく寝、よく勉強した。夏休みも、冬休みも、佐伯の家に帰り、帰った時は、僕の大好きなミ一コと暇を見てはよく遊んだ。
 徳島の入試問題、全く研究しなかった(これが失策だったかも知れない)。又、再び同じ船「くれない丸」に乗り、そして又同じ「大正桜」と言う旅館を選んで泊まった。タバコをスパスパ終始ふかしている関西の受験生4人と一緒の部屋だった。
 受験では、一番後ろの席で、受験開始直後、あるテレビ局のフラッシュを浴びてしばらく録画された。少し動揺したが、自分の実力の8割は出せたと思った。しかし、思った以上に物理が難しく、時間が足りなく、他の問題も、クセのある感じの問題が多く、修猷学館の問題よりも、難しかった。

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