日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

孫台風1号と孫台風2号

2018-06-30 16:49:05 | Weblog
 6月29日(金)、長女と長女の子ども二人(私の孫)の三人が、ニューヨークから日本に来ました。羽田空港では、私の次女夫婦が、出迎えました。二人が好きそうな、可愛い弁当を作って、持参して。
 6月30日(土)は、宮崎空港で、家内が迎えに行きました。私は、この日(6月30日)仕事で、後から追っかけて、佐伯の自宅で皆が集まることになっていたのですが、本物の台風のせいで、この日は、会えず。
 台風が思った以上に影響が大きく、延岡ー佐伯間が不通になり、家内と長女家族は、延岡駅から臨時のバスで、時間を掛けて、佐伯まで無事に辿り着きましたが、私は、南延岡まで行くも、この日は、断念しました。
 延岡市は、避難勧告が出ている所が多く、明日も、電車がどうなるのか、南延岡駅の駅員さんの話だと、はっきりしてないとのことでした。
 長女の上の子(女児、晴ハル)は、まだ、アメリカの小学生になっていないのですが(日本と違って、秋に入学)、日本では、既に、小学校の1年生になるので、7月2日(月)から3週間程、長女が通っていた(渡町台とまちだい)小学校に通うことになります。
 この娘が、私にとっては、正に佐伯の我が家に到来の孫台風1号で、アメリカだと、ハリケーンでなく、ハルケーンと言うとピッタリするのかな!ホント、ハルちゃん、動きが多くて、お喋り好きな、超元気な子です。
 で、長女の次女(照テル)は、まだ、やっと2歳と言ったところで、お喋り、まだまだですが、色の識別もしっかりと言え、お姉ちゃんの真似をして、大きな声を出して喜んでいる、正に私にとっては、このテルちゃん、片時も目の離せない孫台風2号って感じです。
 恐らく、今から数年間、この孫台風1号と孫台風2号が、この暑い時期、毎年、佐伯の我が家で迎えることになるかと思います。晴ちゃんと照ちゃん、名前からして、二人が到来すると、天気が好転して、晴れて、太陽が照る様になるのかな?(←その実績も、2~3回ありかな?!)
 孫二人は、アメリカと違った異文化を経験して、いい体験になるだろうし、私たちも、孫の1年1年成長して行く姿を見るのは、とても楽しみです。(←以前から楽しみにしていた英会話を、今年から、バイリンガルの孫台風1号から、本格的に教わることが出来そうだなあ・・・?!)
 盆踊り太鼓、興味持ってくれるかなあ?音楽に合わせての踊り好きだし、ピアノも上手に弾いていたから、盆踊り太鼓、私も打ちたいと言い出すかも知れないなあ。
 お茶の道具に興味持ってくれるかなあ?やる気があれば、私の茶道具、全て、あげてもいいけどなあ・・・。
 横笛や手品は、今の所、私のするのを見てるだけだけど、その内、自分もしたいと言い出すかなあ?手品も、教えたいなあ。手先が器用みたいだから、上手に出来そうだなあ・・・。
 まあ、暑い夏、毎年、この孫台風1号と孫台風2号が来るかと思うと、余生、楽しく感じます。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海外ロングステイで知ったこと・・・

2018-06-30 06:15:23 | Weblog
 海外に行って、初めて知ったこと、沢山あります。
 
その1、佐伯市の姉妹都市のオーストラリアのグラッドストーンに夏行った時に、知りました。「海は、サメがいて、どこども泳げません。海岸で、しっかりと囲っている所だけです。川は、ワニがいるので泳げません。」と。
 エッ、そうなんだ、日本では、サメが海水浴場の近くにいたと言ってニュースになりますが・・・。

その2、パリの地下鉄電車に乗った時に、知りました。パリの地下鉄って、トイレがないのです。あると、密室になるから、危険ですね。ある時、ある線(14本ありますが)で、日本語が流れました。その内容、「スリに注意して下さい!」と。突如、日本語で言い、それが以上の内容だったので、それを聞いて、家内と驚きました。

その3、イタリアのフィレンツェのイタリア語の語学学校に通っていた時、BALで飲んで、お金を払う時、レジの人が、よく計算間違いをしていました。一緒に通っていた他の日本人も同じことに気が付いていました。ドイツでは、それは、殆どないとのことで、算数の計算、日本人ほど得意でないみたいです。日本人が、割り勘で、さっとお金を出すこと何か、海外では、不思議に見えるみたいですが・・・。

その4、東南アジアでは、兎に角、円の高さに驚きました。タイでは、日本の3分の1で、暮らせますね。月に10万近くあれば、老後にいいアパートに住んで、メイドさんを雇って、エアコン完備で暮らせますね。インドネシアだと、その半分で。ただ、そこで何を目的に生きるかですね。

その5、私がタイやバングラデシュやインドネシアに実際に行って知ったことは、日本で無名に等しい何人もの日本人が、そこで一生懸命に、そこの地元の人の為に、頑張っていると言うことです。そこで、初めは苦労をしながらも、地元の信頼を次第に得て、そこで、生き甲斐を見出した感じで奉仕している姿でした。(日本のマスコミが全く報道しない感じですが・・・)

その6、東南アジアでは、宗教なしでは日常が語れないって感じに思いました。バリ島に1カ月いた時、お店が開く前から、見ていると・・・→必ず、どの店も、神様にお祈りをして、始まります。常に、神様が身近にいるって感じです。バングラデシュのダッカにホームステイした時も、家族が集まって、お祈りをし、長老の父親がコーランを持って話をしていました。
 ダッカでホームステイした翌朝、5時頃(1日に、5回も放送があるんですが)、突如、大きな音で放送があって、驚きました。正に、自分が、今は、イスラム教のど真ん中いるなあと思っていました。

その7、タイのチェンマイでは、ゲストハウスに宿泊したので(1泊、朝食付き、個室、エアコン付き、テレビ付きで、300バーツ、日本円で約1000円でしたが)、ホテルと違って、朝食の時、いろんな人が入れ代わり立ち代わりで、いろんな話が聞けて、超良かったです(私の日本でのタイ語の先生の父親が、そのゲストハウスの世話をしてくれて、日本人は、少なかったです)。
 で、そこの家主の親子喧嘩を見ました。タイでは、親と言えども、神聖な頭は、触れないんですね。父親の足のケリが、息子の頭以外の所に当たっていました。・・・。(翌朝、お騒がせしましたと、その父親が私たちに詫びていました。)

その8、東南アジアの観光地では、観光客料金なるものがあります。それって、あって当たり前と思われています。チェンマイにいる時に、パンダのいる動物園に行った時に、地元の人は、100バーツ、観光客は、300バーツでした。又、物に値段が書いてないので、初めから、買い物をしないことですね。
 ちょっとでも、現地の言葉で言うと、買う時には、絶対に、有利になりますね。あとは、電卓で値段を示して交渉ですね。(いくら?は、タイ語でタウライ?、インドネシア語で、ブラパ?)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小児科外来での出来事(その13)

2018-06-29 06:46:32 | Weblog
 小児科外来では、いろんなタイプの親御さんが来ます。ある小児科医が、「小児科は、医療費、倍取っていいね。親の診察と子どもの診察があるから。手を取るのは、親の方だね・・・」何て言われていましたが。
 
 又、ある医師は、初め小児科を志していたのに、別の科を選択しました。その理由を、「自分は、子どもは、好きで、小児科選ぼうと思っていたけど、親の対応が大変だと言うことを知って、諦めました・・・」と。
 田舎の病院だと、子どもが入院すると、親戚の人など、しばしば、沢山の人が来ます。で、その対応で、スタッフが難儀することがあります。説明も、何度も同じことを言うケースもあります。

 小児科医になるかどうか迷っていたが、学生のポリクリ(臨床実習)の時、彼の顔を見た子どもから泣かれたので、他の科に進んだ人がいましたが・・・。
 又、ある母親から次の様に言われたことがあります、「(他の先生では泣かないのに)〇〇先生を見ると、この子、怖がって、泣くんですよ・・・」と。(←この先生、小児科医として、立派に活躍していますが・・・)

 点滴が入らないと、(祖父が多いのですが)「まだか、もう、何分しとるんか・・・」などと言って、不満を口に出すケースもあります。(こんな場合、私が何度も頭を下げて、状況を説明するしかありませんが・・・)

 同じことをしても、返ってくる言葉が、全く正反対のこともあります。
 「先生、薬飲んでるけど、熱、下がらんのよなあ・・・(こちらの治療方法が、間違っているのでは、って口調で、不満そうな顔で)」

 医者泣かせのケースもあります。
 「下の子の薬を、症状同じだったので、上の子にあげてました・・・」
 「先生、前と同じ症状なので、薬だけ、お願いします・・・」
 「お薬手帳、忘れました・・・」
 「薬、飲みません・・・(美味しい薬でも)」
 「食べないんで、点滴して下さい・・・(脱水状態ではないのですが)」
 「精密検査して下さい・・・」
 「私、頼まれたので、状況分かりません・・・」
 いろいろです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小児科外来での出来事(その12)

2018-06-28 06:35:15 | Weblog
 小児科外来で、時々、医療と関係ないこと言います。
 「お母さん、〇〇ちゃん、可愛いねえ、お人形さんみたいな顔しているね・・・」と言うと、母親、嬉しそうな顔をしています(お姉ちゃんが一緒に来ていると、妹ばかり褒める訳にはいきませんが)。
 「僕、イケメンやなあ・・・」と言うと、本人だけでなく、母親も、ニッコリしています。

 外来で姿勢の悪い子が多くなっています。
 小学校高学年の女の子で、姿勢が悪い時、しばしば、「顔立ちいいのに・・・姿勢がいいと、もっといいよ・・・」と言って、いい姿勢を促しています。

 で、気になることがあります。
 「何になりたいの?」と、小学生や中学生に尋ねると、直ぐに答えない子が多いのです。昔だと、「大きくなったら〇〇になりたい!」と多くの子どもが、皆の前で、よく言っていましたが・・・。親の顔を見て、答える子も、多いです。
 子どもの多くは、親が育てた様に、大きくなっています。我がままに育てると、我がままな子になって,先々、困りますね。厳し過ぎると、野望が抱けない感じの子になっています。それも、困ります。ちょうどいい感じで、親と子の位置関係があればいいのでしょうが、それが、実際は、難しんですよね。
 はっきり言えることは、いい子育てをすれば、それなりにいい子が育ちます。親は、確実に、報われます。今の世の中、一生懸命に会社の為に頑張っても、会社が傾くと、無慈悲にも、リストラされる傾向にあります。しかし、親子の関係は、いつになっても続き、親の子に対する努力は、報われます。

 外来で、男の子がいたずらをして、母親が、気にしています。が、私は、「お母さん、これ、正常ですよ。順調に成長していますよ。」と言って、安心させています。
 思うに、男の子の心理何て、母親、異性だから、よく理解出来ないと思っています。やはり、男の子の心理は、男親の方が、よく分かるはずだし、男の子の育て方で母親がぶつかった時、男親(いなければ、祖父や叔父)にしっかりと相談して、いい知恵を得るべきだと思っています。
 男の子は、言ってもダメで、実際に、実体験しないと、理解できないことが多いと思っています。。男の子の場合は、許される失敗なら、いろんな失敗を出来るだけ沢山、小さい時からさせた方がいいと思っています。
 男親は、強い態度で、きめ細かく、ガミガミ言うべきでない、ひとこと言ったら、後は、後ろ姿を見させるだけでいいと思っています。

 親子は、よく似ていることが多いですね。正直、子どもがあまり他人のことを考えないで育った感じになっている場合(相手の気持ちになることが出来なくて、自分の主張ばかりする傾向にある場合)、親御さんにも、そんな感じがあること、私なりに体験しています。子は、親の鏡であること、外来でしばしば私なりに感じています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希少性・・・

2018-06-27 06:39:45 | Weblog
 日本の経済界の動きとして、1997年までは、「成長の社会」であったのに、1998年からは、「成熟の社会」になっています。となると、今のままでの教育では、次第に時代遅れになってしまうのでは・・・?!
 今までは、学校の科目が出来ることの能力(情報処理力)が要求されていましたが、今は、それらをつなげる力、応用力(情報編集力)が要求されています。情報処理能力は、AIの方が、優れていますからね。つまり、解答のあるものを素早く出す能力よりも、AIに出来ないこと、つまり、答えのないものにどう対処出来るかが問われる時代になってきているのです。(「正解主義」から、「修正主義」へ)
 「みんな一緒に」の時代から、「それぞれ一人一人」の時代になっています。
 例えば、前は、同じ電話を家族皆が使っていましたね。それが、今は、違いますね。一人一人が、個別に連絡をスマホでしています。それも、いとも簡単に、いつでも、どこにいても。
 現に、私は、ニューヨークの孫と、スマホで、映像で、顔を見ながら、声を聴きながら、時々、話をしています。フェイスブックで、オーストラリアの人、インドネシアの人、タイの人、韓国の人、バングラデシュの人と、連絡を取り合っています。既に、そんな時代になっているのです。
 乗り物にしても、バスや電車に乗って、多くの人が、満員に近い状態で、往復していましたね。しかし、今は、自家用車ですね。それも、1家族が2台あることも、別に、不思議でないですね。
 で、収入はどうなっているのか?これって、実際は、時間給で行かないと意味ないですね。
 で、今の日本、時給800円~時給8万までの差があります。その差を生み出すのは、何か・・・→それは、「希少性」です。希少性が、ビジネスをする上では、最も大切なのです。
 (以上の内容、藤原和博先生の講演内容を参考にしています。)
 それで思い出すのは、グラッドストーンに行った時に、お世話して頂いた女性の言葉でした・・・→「私の主人、特殊な能力を大学で勉強しているので、(それが出来る人が極めて少ないので、会社からとても重宝がられて、良くしてもらっていて)毎週、ブリスベンを経由して、パースから週末に、飛行機で往復しています。」と。
 パースからブリスベーンまで、凄い距離なのに、休みが充分に取れるので(働く日数が少ないので)、毎週、自宅のグラッドストーンまで帰って、可愛い息子と楽しく遊んでいるのです。私がしてきた生活と、丸っきり反対の生活でした。ホント、驚きましたね。子どもを持つ男親の21世紀の理想像だと思いました。
 ところで、今の日本の(メチャ働いている)研修医の給与、時給にすると、560円って書いたブログがありましたが・・・?!(どこかの小児科の部長も、時間外、何度起こされても、部長手当に含まれているので、何も付かないとか・・・)

https://www.youtube.com/watch?v=5l97M4rUGVA&t=903s
https://www.youtube.com/watch?v=OR4-S0kpbfw
https://www.youtube.com/watch?v=ixJS13y2p4c






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・人生で後悔していること。

2018-06-26 06:56:26 | Weblog
 長いこと後悔していたのに、今になって思うと、むしろ、良かったって事、あります。
 「人間、万事塞翁が馬」ですね。
 先の20項目で、私の場合をチェックしてみました。
1,他人がどう思うか、気にしなければ良かった。
 迷惑を掛けるといけないと思い、我慢することが多かった様ですが、これ以上は我慢できないと言う地点にまで達すると、完全に切れてしまって、別行動を取ること、今までに、数回ありました。自分の判断で、(新設医大でしたが、我がまま通して)一番初めに医局を出てしまいました。
2,幸せをもっと噛みしめて生きるべきだった。
 小さい時は、過去の自分は、不幸だったと思うことが多かった様に思います。今も、昔ほどではないですが、基本的には、そんな感じです。今が一番幸せって感じです。
3,もっと他人の為に尽くせば良かった。
 若い時は、無理して、(主として、新生児と小児救急医療で全力投球って感じで)尽くしてきました。何故、あんなに頑張れたのか、自分でも不思議です。
4,くよくよと悩まなければ良かった。
 悩んでも、解決策を考えて、幸いに、助言を得て、別の方向を選ぶことが多かった様に思います。でも、今も、やはり、時々、悩みます。自分には、鈍感力が足りないと思っています。
5,家族ともっと時間を過ごせば良かった。
 子ども達と、もっと遊んであげれば良かったなあと後悔しています。昔は、完全なる仕事人間でした。何も子どもに残すことがない、これではいけないと思い、次女と長男には、茶道を教えました。
6,もっと人に優しい言葉を掛けていれば良かった。
 気が付かないで、言葉で、他人を傷つけたこと、ありました。今もあります。大事なことを話す前は、意識的に、よく考えてから話す様にしてはいるのですが。
7,あんなに不安を抱えながら生きなければ良かった。
 具体的な事がないのに、不安なること、多かったです。近頃は、年齢が年齢なので、多少、開き直っていますが。
8,もっと時間があれば・・・
 お陰様で、ここまで(69歳まで)、無事に生きて来れました。ありがとうございます。多くの人のご理解で、出来ています。出来れば、79歳まで、仕事を細く長くと思っています。
9,もっと思い切って冒険すれば良かった。
 自分の案で、救急病院に、「新生児・未熟児センター」を開設してもらったり、「為になるかも知れない本」を2冊自費出版したり、19床持って、平日は、朝7時半から診療したり、365日、小児救急医療中心で医療したり、独りで海外で演奏旅行したりなど、いろいろな冒険をしてきました。もう、今からは、大きな冒険、しないつもりでいます。
10,自分を大切にすれば良かった。
 働き過ぎて、身体壊して、少し、後悔しています。自分の身体の健康は、自己責任で、自分で守るしかないと思っています。
11,他人の言う事よりも自分の直感を信じれば良かった。
 大きな決断は、自己責任で、自分の直感を信じて、最後は、自分で決めて、無事に、ここまで来ています。
12,もっと旅をすれば良かった。
 彼方此方行きました。後悔ないです。今からも旅するつもりです。
13,もっと沢山恋愛すれば良かった。
 淡いすれ違い、多かったですが、その時の思い出を今も大切にしています。
14,もっと一瞬一秒を大切に過ごせば良かった。
 後悔ないです。今も、時は今の精神で、時間を大切に使っています。
15,子ども達に好きな事をさせてやれば良かった。
 後悔、全くないです。 子どもの好きな道を選ばせています。
16,言い争いなどしなければ良かった。
 少しあった程度で、大きな争い、幸いに、お陰様で、無かったです。
17,もっと自分の情熱に従うべきだった。
 後悔ないです。自分の価値観、生き方を大切にしています。
18,もっと自分の為に頑張れば良かった。
 後悔ないです。自分の為にも、頑張ってきたと思います。
19,もっと自分の本音を言うべきだった。
 今からは、言うべき時は、言うつもりでいます。
20,もっと目標を達成すれば良かった。
 後悔、あまりないです。9割がた、達成していると思いたいのですが・・・?!

 まだ、あの世に行くまでに時間が残されていますが、今の所、お陰様で、多くの人のお陰で、我が人生に悔いなしって感じになっています。ありがとうございます。感謝感謝合掌!








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開き直りの人生観。

2018-06-25 13:19:45 | Weblog
 1点足りず、正確に言うと、0.5点足りず、浪人生活を2年間(2浪)しました。それから48年間余(半世紀程)、経過していますが、2浪して、Ⅱ期校を受ける時の試験場(鹿児島実業高校)での状況が、今でも、ありありと浮かびます。
 1浪の時の心境は、現役の時とは、全く違っていましたね。1年間の苦労、親への負担など、いろんな事が頭に浮かび、絶対に失敗は出来ないと言う心境で、受ける時は、大きな荷物を背負った感じでの受験でした。頭の中の記憶がグチャグチャになり、試験前夜は、殆ど眠れず、コンディション最悪って感じでの受験でした。
 浪人する何て、高校の時は、全く考えてなく、自分の受けたい大学を下げて受け、その時、クラスの5人が、同じ大学で同じ学部を受け、その中でも、自分が一番成績が良かったので、周りからは、少なくとも、自分は合格するだろうと思われていて、自分もそう思っていました(←慢心の塊)。しかし、結果は、現役5人全てが不合格でした。(引率の担任の先生も、こんなことは、初めての経験と言われていました。)
 そんな状況で、浪人することが決まり、頭がまだ整理されてない状況で、予備校も、二次試験にやっと間に合って、入りました。どんな風に浪人生活をすればいいのか、その時、全く、分かりませんでした。
 6回目の挑戦で(国立Ⅰ期、Ⅱ期以外、受けませんでしたが)、やっと合格した訳ですが、その時の試験を受ける時の心境、今でも、はっきりと覚えています。「開き直りの人生観」ですね。
 6回目の受験の時は、もう、なるようにしかならない、出来る問題を落とさない様にするだけ、これで落ちれば、又、同じ事を1年間繰り返すだけって感じでした。そうですね、2浪してのⅠ期の時と違って、ほぼ、平常心でしたね。7回目の模試として、受けました。もう、半ば、諦めていましたから。(←この開き直りが、自分にとっては、正解で、実力がそのまま出た感じでした。問題も、修猷学館の問題と似てました。)
 その後、いろんな困難な出来事に出くわした時、この開き直りの心境に直ぐにリセットする感じになっています。成就してもしなくても、自分なりに、計画的に努力したことって、悔いないですから。
 1年間って、短いですね。欲張って勉強しても、自分の満足する量って、出来ませんね。与えられた教材を確実にこなすこと、欲張らないこと、初めからダッシュしないこと、計画的に、確実に、時々休んで、気を抜かず(思い込み、慢心を捨て、情報をしっかりと掴んで)、最後まで、コツコツとペースを崩さずに行くのがいいと思います。人生も同じですね。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学入試

2018-06-25 06:40:14 | Weblog
 私が産まれた昭和24年、西暦1949年は、団塊世代で、それも団塊世代の最後で、少し数が少なくなる感じだったのに、大学受験の時は、浪人がドッと加わり、競争率が最高に難化し、1浪での受験の時には、予想もしない東大中止で、再び超難関となり、大学入学まで、ホント、競争競争って感じでした。
 今は、どんどん少子化の時代に突入し、浪人生がいなければ、全員大学に入れるって時代になっています・・・→数の上では、浪人生の数だけ、入学定員がオーバーして、あふれることになります。
 で、日本の場合、そんな大学を卒業して就職しても、会社が又1から教える感じになっているケースが多く、そうでないと思われる医学部や歯学部でも、卒業したばかりでは、(知識は豊富ですが、実践を伴っていないので)独りでは、(歯科)医師として、まだ、何も出来ないに等しい状態になっています。
 医学部など、人間相手の場合、ペーパーだけで入学を許可すると、この先、良くないってことに大学側もやっと気が付いた感じで、次第に、面接試験重視の傾向になってきてはいますが・・・。
 たった一度だけの試験で、それも、ちょっとの点数差で、合否が現実には決まる訳ですが、受験する大学の傾向や対策をしっかりとして、予想も立てて、バッチリ当たれば、番狂わせで合格ってこともなきにしもあらずでになっているのが現状です。(←反対に、今までの傾向とガラッと変わった内容になると、傾向と対策ばかりでしか勉強してこなかった受験生では、落ちることになるかと思います。)
 東大を筆頭に、難易度が事細かく分析され、それにより、自分の適性を無視して、受ける大学や学部も決まるケースもあり(本人の意思を無視して親が学校側が決める場合もあり)、後で、又、(浪人して)再受験ってこともありますが・・・。
 で、今の時代に即した選抜でないといけないってことに国も気が付き、近い内(2020年)に、大学入試が変わろうとしています・・・→つまり、今までの知識偏重の試験から、今の時代に合った選抜方法になろうとしているのです。
 でも、大学入試だけを変えても、それからがもっと問題で、大学で、どんな勉強をし、何を学んで身に付けたかが一番大切ですね。(大学自身が変わらないといけないですね!それに、会社が採用する時の条件も。)
 東大と言う最高のブランドを得ても、10年経てば、その(学歴だけの)価値は、半分になると言う人がいます。20年後には、更に半分の4分の1、30年後には、8分の1、そして、大学に入学して、定年の40年後には、16分の1の価値でしかありません。
 多くのことが、時間の経過と共に、そんなもんですよね。今や、人生、80年が90年、更には、100年近くになろうとしている時代です。それを見据えて、若い時からどんな風に生きて行くべきか、親も社会も、しっかりと考えておくべきだと思います。
 ある人が言われる様に、社会に出れば、「知識」だけでなく、それを応用する力「応用力」、更には、「人間力」、この3つが必要ですね。3つとも、甲乙付け難のですが、今まで一番重要視されてきた「知識」は、素早く正確に、AIロボットがしてくれますね。
 人生一度切り、今からは、面白い時代になりそうですね・・・?!

 https://www.youtube.com/watch?v=vActdfMKMqw

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独りボランティア演奏(2018-06-24)

2018-06-24 18:57:01 | Weblog
 平成30年6月24日(日)、門川町の「地球館」の2階の特別養護老人ホーム「大地」にタクシーで行きました。14:30に行くと、お誕生日会をしていました。(前回の4月は、2階の養護老人ホーム「照葉」でしました。)
 それが終わって、もう、入居者が全員揃っていたので、演奏を始めました。15:00~の予定が、実際は、14:45~16:00まで、75分間、ノンストップ状態で、独りボランティア演奏をしました。
 こんな感じで、日曜日にしたのは、初めてでした。午後3時~4時までも、初めてでした。 
1、篠笛・・・(テ一プのピアノに合わせて)「荒城の月」。
2、篠笛・・・季節の曲で、「雨」
3、篠笛・・・「宵待草」「花嫁人形」「会津磐梯山」「黒田節」「酒よ」「島原の子守歌」「赤い靴」「赤とんぼ」「五木の子守歌」「船頭小唄」
4、篠笛&和太鼓・・・「炭坑節」
5、和太鼓・・・「ばんば踊り」
6、和太鼓・・・「河内おとこ節」
7、ハ一モニカ・・・「ふるさと」など10曲
8、手品・・・「布が変身」「トランプが変身」「5枚の紙が5000円の3つ
9、篠笛・・・「我が人生に涙あり」「リンゴの唄」「古城」「青い山脈」「アンパンマンの歌」「釜山港へ帰れ」
10、篠笛・・・(古賀メドレ一)「影を慕いて」「人生の並木道」「人生劇場」「悲しい酒」
11、篠笛・・・「月の沙漠」「君が代」
12、篠笛・・・(八本調子で)「荒城の月」
13、和太鼓・・・「きよしのズンドコ節」
14、「一本締め」
15、和太鼓・・・「飛翔」
 職員さんが手伝ってくれて、助かりました。(故郷の佐伯出身の人がいて、その人からテープの出し入れをして頂きました。)
 篠笛の音が次第にエアコンの加減で悪くなり、演奏中、アチコチ移動して、いい場所を探しながら演奏しました。楽しかったです。ありがとうございました。いい汗をかかせて頂きました。

https://www.youtube.com/watch?v=FY8nOjUc4og(←和太鼓、飛翔Ⅱ)
https://www.youtube.com/watch?v=gt-ttcizxPM(←和太鼓、飛翔Ⅲ)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小児科外来での出来事(その11)

2018-06-24 08:59:26 | Weblog
 小児科外来では、連れてくる人、昔は、殆どが母親でした。昔は、父親が連れて来ると、私自身も驚いていましたが、今は、父親が目立ちます。時に、祖父が連れてくることもあります。
 それでも、一番多いのは、母親で、次が祖母ですね。
 孫家族と同居してなくて、近くに住んで、困った時、祖父母が協力するって感じのケースも多くなっています。今の高齢者の女性、昔と違って、高齢になっても、背筋がまっすぐで、趣味などで、結構忙しいですから・・・。 
 理想的には、どうなんでしょうか?核家族と大家族、子どもの為には、大家族の方がいいと、私自身は、思っています。そこには、祖父母の知恵があり、人間関係を直に学べる場所があり、更に、子どもの逃げ場所があると思っているからです。それに、その親の育て方が良かったかどうかの判断は、その子が大きくなって、親になって、その子(孫)をちゃんと育てられているかどうかですよね。
 それが、今は、核家族で、祖父母の援助が殆どなくて、共稼ぎの両親だけで子どもを育てているケースもあり、その苦労は、想像以上だと思います。
 私の知る内科のドクター、ある時、電話すると、職場にいなくて、自宅にいて、理由を聞くと、奥さん(内科医)の仕事で、今日は、自分が子守をしないいけない日とのことでしたが・・・。アメリカの様に、核家族でも、ベビーシッターが普及してればいいのでしょうが・・・。
 (私の英会話の先生だった)アメリカの女性が言っていた言葉を思い出します・・・→「アメリカの女性は、仕事をずっと続けたい為に結婚する。日本の女性は、(寿退職って言葉がある様に)結婚すると、仕事を辞めます。」
 インドネシアやタイ(ゲストハウスに1カ月間、宿泊)やバングラデシュ(2週間、ホームステイ)にロングステイした時に、日本と違って、家族の結束が強いことを知りました。又、親族の結束も強いですね。しばしば、連絡を取り合い、お互いに家庭を訪問していましたね。
 幸せ度、ホントに、日本は、タイやインドネシアやバングラデシュよりも低いのではと、危惧しています。
 (私が、現地に行った時に、偶然にタイ語を教わった)タイ人から言われました・・・→「日本では、病気になると、病院で亡くなることが殆どって聞いたけど、本当ですか?ここでは、医者の方から、自宅に帰る様に言われます。沢山の人に囲まれて亡くなります。日本では、寂しく病院で独りで亡くなるそうですね。」と。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする