日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

老人日記(7)

2024-07-14 11:30:18 | Weblog
 「老人日記、その7、時は今!」

 定年前の人に、「いくつまで生きたいですか?」と、尋ねると、「85歳まで」と言う人が多いそうですが・・・そうか、それだと、私の場合、後10年だなあ・・・?!
 家内に同じ質問をすると、「死ぬまで生きるのよ!」との明快な回答が返って来ますが・・・?!
 私自身、昔から、一人になっても、部屋でいろいろ考えたり、出来たりして、退屈しない感じの人間だった気がしますが・・・?!(←大学の時、親しい友達から、そうも言われていましたが・・・)
 興味のあることを書いてみました・・・→
 考えてみると、私の場合は、お金があまり掛からないことが多いですね。タバコとアルコール、ないし、日光にも、よく当たっているし、趣味も多いので、85歳を過ぎても、まだ、生きているかも・・・?!

1、自分なりの運動(ヨガと太極拳と筋トレと指圧、いろいろ、混ぜての体操ですが、ほぼ、毎日、していますが・・・)
2、ウォーキング(マイペースで、家の周りをよく歩いています、雨の日は出来ませんが・・・)
3、人間ウォッチング(食べ物の好き嫌いと同じで、見ていると、これも、面白いですね・・・)
4、家の庭ウォッチング(ジョロウグモの成長を楽しく見ていますが・・・)
5、昼寝(横になると、気持ちいいですね・・・)
6、瞑想(風呂の中でも)
7、ネットサーフィン、ブログ記載(昔毎日、今は、時々)
8、多国語(フランス語と中国語とハングルは、教育テレビで録画してしっかりと)
9、篠笛・和太鼓(ほぼ毎日)
10、詰め将棋(私の藤井7冠ファンは、まだまだ、続く感じですが・・・?!)

*https://www.youtube.com/watch?v=VYBL35rwD9k(←日本最高!?)
*写真は、6月末、大分市の「レンブラントホテル」に宿泊した時に、撮ったもの。

 (令和6年7月14日、記載)





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人日記(6)

2024-07-13 09:56:30 | Weblog
 「老人日記、その6、しゃべり場」

 令和6年7月10日(水)、月1回の恒例の出来事で、家内と近所の二人の女性が、一緒に昼食を摂った後に、我が家に来て、14:30~17:00過ぎまで、いつもの4人の「しゃべり場」になりました。
 それぞれの悩みを聞いて、それなりのアドバイス(←になっているのかどうか、分かりませんが・・・?!)をして、まあ、いい解決策がなくて、悩みを聞いてあげることしか出来ないことも多いのですが・・・何でも、主婦は、思いを胸に秘めておくと、健康に良くないとのことで、夫は、家で毎日1時間近く、奥さんのしゃべりをじっと我慢して聞くことが必要で、それが、夫婦円満のコツだとか・・・?!
 令和6年7月11日(木)、同級生を中心に、360度お墓に囲まれた「雨月庵」に、男性7名、女性3名が集まって、記念すべき「角打ちの日」を祝いました。
 後期高齢者が多いのに、皆さん、元気で、話題が豊富ですね。
 10:00前~13:30まで、話は、いろんな方面に飛び交いました。ずっとこれが続くといいですね・・・。

*写真は、令和6年7月11日(木)の「角打ちの日」の「雨月庵」で撮ったもの。

 (令和6年7月13日(土、記載)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人日記(5)

2024-07-12 11:15:50 | Weblog
 「老人日記、その5、日本で良かった!」

 令和2年6月24日(水)、18:00過ぎに家を出て、家内と一緒に、「BAL」で夕食を摂りました。自宅からBALまで、歩いて20分、自宅から佐伯駅まで、歩いて、同じく20分・・・延岡に住んでいた時に、「コッコロ」と言うイタリアレストランにしばしば行っていましたが、その時も、同じく20分程、掛かっていました。家内に言わせると、ちょうどいい運動量とのことですが・・・年金生活者になって、20分の距離が遠いと思わなくなり、タクシーを使うことも、少なくなりました。雨が降っても、傘差して、少し濡れながらも、元気に歩いています。
 で、BALで、食事を終えて、その前のスーパーの入口に立って、正に、中に入ろうとしていた時、BALのマスターが、私達の所に走ってきました。「携帯が・・・」と言われて、テーブルに置き忘れていたことに、その時、初めて気が付きました。
 パリに行った時、世話をしてくれた人が、地下鉄で、扉が閉まる寸前に、外から、見ているスマホをサッと取られたのを見たことがあると、言われていました。
 佐伯に来ていたインドネシアの研修生が、財布を落として、落ち込んでいたのに、警察署に届けられていたので、ビックリしたと言われていましたが・・・。
 何駅だったか、はっきりと覚えていませんが、列に人がずらっと並んでいる状態で、財布からお金を出そうとした時、小銭がバラバラと数枚、下に落ちてしましました。その時、周りにいた(見知らぬ)人が、4人だったかな(?)、何も言わずにサッとお金を拾って、私にくれました。その早さ、正に条件反射みたいな感じで、実に早かったですね。
 日本で良かった、ホントに。
 東南アジアのある国の空港では、乗って帰る直前に、小銭を集めて回っている人がいましたが・・・(空港で、荷物をちょっと運んでも、お金を請求され、それなりのお金をあげても、もっとないかとも言われましたが・・・)。

*1年前に記載したものの再掲ですが、写真は、令和6年6月17日に撮ったものです(左から、長女の長女、長女。長女の次女、家内の順)日本は、安全面、清潔面、それに、精神面が、特殊ですね。「思いやりの精神」、「和をもって貴しとなす」、素晴らしいと思います。ただ、教育、政治など、問題は、山積ですが・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人日記(4)

2024-06-25 08:39:39 | Weblog
 「老人日記、その4、孫は来て良し帰って良し・・・」

 6月20日(木)~22日正午まで、一緒に、長女の家族三人と同行しました。そして、小倉駅に乗る前に、別れました。
 一緒にいる時は、ヒヤヒヤすることが多くて、気を使い、いなくなると、ポッカリと穴が開いた感じになりました。
 いろいろ、娘や孫たちから、教わりました。
 「ジオキャッシングGeocaching」と言う、国際的な遊びを教えてもらいました。大分の「若草公園」、佐伯の「若宮八幡宮」、「高崎山」で、宝物を探す感じで、運良く、見付けて、喜んでいました。
 7歳と12歳の孫は、英語も日本語も、全く普通に話して、凄いなと思いました。(←日本語の補習校に土曜日に通っていますが・・・両親が日本人だと、海外にいても、日本語、しっかり覚えますね。)
 時々、早口で姉妹が英語で言い、その都度、じいちゃんは、理解できずに、落ち込みました。
 日本語の学習では、漢字が難しいみたいで、補習校の夏休みの宿題で、佐伯でも、漢字の勉強をしばしばしていました。
 日本の英語教育、完全に、遅れてますね。英語の教師が英会話できなくても、それが、超おかしいと思わずに、大きな問題にならないことが問題かなあ・・・?!英語を話す機会が少ないし、それに、長文中心の受験英語だからなあ・・・。
 長女は、今回、佐伯の歯科(←高校の時の同級生)を受信し、安い!早い!無駄がない!と言って、日本の医療は素晴らしいと、何度も、言っていました。
 佐伯の水道の水は、「美味しい!」と、孫たちも絶賛しています。7歳と12歳の女の娘は、和食の素晴らしさも、今回、知った感じですが・・・?!
 中にいると、慣れてしまって、良さが分からないんですね。

*写真は、長女の長女(12歳)が、佐伯を出る時に、書いたもの。
 学校では、スペイン語を週4回、教わっていて・・・12歳の孫は、「K-POP」が好きで、ハングルを、自分で勉強していましたが(←ヨーロッパでは、国民全員が、3か国語を話せる様に、それも、普通に話せる様に、積極的に動いている様ですが・・・!!)。
 アメリカの家には、テレビはなく、佐伯では、「ドラえもん」と「パーマン」のビデオをツタヤから借りてきて、真剣に見ていましたが・・・。

 (令和6年6月25日、記載)





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人日記(3)

2024-06-24 09:42:21 | Weblog
 「老人日記、その3、関門海峡1回半往復」

 令和6年6月22日(土)、長女の家族3人と私たち夫婦2人は、小倉駅内のホテルに2泊して、昼過ぎに、長女の家族は、新幹線に乗って行き、私たちは、ソニック→にちりん(大分で乗り換え)に乗って、佐伯に帰りました。
 アメリカでは、夏休みが(地域によって、多少違いますが)、5月24日~8月12日まであり(←学校からの宿題は、全くなし!)、5月31日~6月26日まで、日本に滞在となります。お金が円安もあって、高騰しているので、次は、早くても、2~3年後かなあ?(←前回の来日は、まる5年前でしたが)
 今回、佐伯に滞在中に、一緒に、大分に2泊し、別府は、長女家族だけで1泊し、最後に、一緒に、小倉に2泊し、あちこち、悔いのない様に、フルに見て回った感じですが・・・。
 一番良かったのは?、と尋ねると・・・→「高崎山」で、二番目が、下関の水族館「海響館」、三番目は・・・と言いかけた所で、いや、一番良かったのは、「関門海峡人道トンネル」の歩道を1回半往復したこととのことでした。(←下関側からトンネルに入る時、記念のスタンプを押すのを忘れて、再び、門司港側から、二人が真剣に楽しそうに走って往復!←大人3人の意見を聞かずに)
 「地獄温泉」「うみたまご」「小倉城」も良かったみたいですが、佐伯の、「茶室(汲心亭で正座して一服)」も「コスモタウン」も、それに、「城山」「番匠川」も良かったみたいで・・・(←長女は、今回、数回、城山の長女まで、登っていましたが・・・!!)
 それに、隙間のない感じで、友達と一緒に遊んで、食べて、話して・・・。
 
*写真は、長女の次女(7歳)が、佐伯で、描いたもの。

 (令和6年6月24日、記載)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人日記(2)

2024-06-23 11:46:33 | Weblog
 「老人日記、その2、4家族が集合しました・・・」

・5月31日(金)
 羽田空港に、4家族が、午後、集合しました。長女家族3人、次女家族3人、長男家族3人、それに、私たち夫婦2人の総計11人が・・・長女の夫だけ、仕事で、来れませんでした。
 集合する場所を、いろいろ考えた末、長女は、アメリカから、次女は、埼玉県から、長男は、札幌市から、そして、私たち夫婦は、九州の佐伯市からなので、羽田国際空港が最適と言うことになったのです。まあ、いろいろあって、金曜と土曜のホテル代は、高いのですが、貴重な日なので、仕方なく・・・。
 そして、初めて知ったこと、羽田空港内にあるレストラン、11人の前もっての予約、出来ないんですね。それに、11人も座れる所、極めて少ないんですね。
 長女の家族とは、まる5年ぶりで、二人とも、大きくなっていました。
・6月1日(土)、長女の長女が、この日の夕方から、下痢・嘔吐・(38度以上)発熱して、熱が下がらなかったら、延泊する予定でしたが、五苓散と葛根湯で、幸いなことに、嘘みたいに、一晩で元気になりました。
・6月2日(日)、次女家族、長男家族と別れ、長女家族3人と私たち2人は、羽田空港から宮崎空港までANAに乗って行き、そこから、そこから、電車で帰りました。

*写真は、私の長男の長男(年長組)と次女の長男(年中組、小学生としばしば間違えられるとのこと)で、羽田空港で、飛行機を見ています。

 (令和6年6月23日、記載)





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人日記(1)

2024-05-24 12:06:55 | Weblog
 「老人日記、その1、いろいろありました・・・」

 この1ヶ月間、ブログを全く記載してこなかったのですが、実に、いろんなことがありました。
 ・4月21日(日)に、近くに住んで、懇意にしていた人の葬儀があり、夫婦で参列しました。しばらく施設生活でしたが、(娘さんの話ですと)最後は、安らかに、眠ったままで、苦しそうな感じは、全くなくて、満100歳(!)になったばかりで、大往生だったとのことでした。昔、大きな病院の産婦人科の助産師をしていて、多くの人から慕われていました。日本舞踊も、得意でした。私と顔が合うと、必ず、お互いに、いろんな話を楽しくしていました。
 ・5月14日(火)に、私の実の次兄が、亡くなりました。2年8ヶ月ほど、入院していました。次兄は、私にとっては、正に、多くのことの先生で、私が、一番影響を受けた人と言っても、過言ではありません。次兄は、大学の時に、独学で、フランス語を勉強していて、私と一緒に鹿児島市に住んでいた時には、ロシア語を勉強していて、その影響と思われますが、私に、多国語の面白さを抱かせてくれました。鹿児島工業高等専門学校の名誉教授でした。
 5月19日(日)に、佐伯市で、親族中心に、葬儀を終えました。

 ・5月16日(木)に、5年近く使っていたパソコンが、突如、「自動修復」と出て、やむなく、5月17日に、買い換えました。石丸文具店の人と同級生の人に、教わりました。機種が変わると、私の場合、なかなか付いて行けません。
 ・5月22日(水)、5年近く使っている手持ちの「i-phone」が壊れた感じになって、覚悟して、23日に、「au佐伯支店」に行くと、「少し劣化しているけど、まだ、大丈夫ですよ」と言われ、も少し、頑張ることにしました。

 (令和6年5月24日、記載)

  

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退職後の雑感(762)

2024-04-20 09:25:07 | Weblog
  「退職後の雑感、脳過労」

 現代人、情報量が多過ぎて、脳疲労でなく、脳過労状態になっているとか・・・!!
 考えて見るに、スマホを何時間も、どこにいても見ている人、実に、多いですね。私を含めて。
 脳も、処理能力に限界があって、今の1日の情報量は、江戸時代の1年分、平安時代の一生分とか・・・!!まあ、平安時代は、平均寿命は、30歳前後でしかありませんでしたが・・・現在人、脳は、処理できなくて、いつ、おかしくなっても、不思議でない状態ですね。
 私も、毎日、年齢も考えずに、凄い量を入れ込んでいて、更に、入れようとしていますが、これ、脳の為には、良くないですね・・・?!
 と言うことで、しばらく、記載、中止にさせて頂きます。放電ばかりしてきた感じなので、しばらく、充電をしていこうと、思います。演奏など、何かありましたら、記載したいと思います。
 ところで、卓球の「張本兄弟」、二人とも、4強入りのメダル獲得で、ホント、凄いですね。
 それに、コロナワクチン集団訴訟、やっと、動きが出て、良かったですね。(←私は、当初から、否定的な意見を述べていましたが・・・)

*https://www.youtube.com/watch?v=by5cve-zsa8(←私の創作で、弾いています。)
*https://www.youtube.com/watch?v=chSH_98iKuQ(←75歳以降の夢)
*https://www.youtube.com/watch?v=2LMiv8GIgas(←やっと、マスコミが、まともに、発表?!)
*https://www.youtube.com/watch?v=hLimyG6ardg(←大石解説)

 (令和6年4月20日、記載)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退職後の雑感(761)

2024-04-19 09:05:38 | Weblog
  「退職後の雑感、何処にいても」

 今の時代、何処にいても、自分なりに勉強が出来る時代になっていますね。インターネットと時間がありさえすれば・・・凄い時代になっていますね、やる気があれば、いろいろ、独学、出来ますね!
 「ミャンマー語」の講座を、1~37まで、見ました。こんな感じで、タイのチェンマイに行った時、教わったことがあり、そんな感じで、楽しく勉強できました。以下は、その内容です。
*https://www.youtube.com/watch?v=HIhWsxHjiaE(←ミャンマー語)

 私が利用している「タイ語」は、以下のものです。
*https://www.youtube.com/watch?v=FoTd4JCvcgI&t=2241s(←タイ語)

 私が利用している「ベトナム語」は、以下のものです。
*https://www.youtube.com/watch?v=5qHKR41KZuE(←ベトナム語、テキストもあります。)

 語学は、モチベーションが大切ですね、それに、楽しく勉強することが大切ですね。

 今後、何処にいても、海外の人に会った時、国を訪ねて、その国の言葉でちょっとだけでも、挨拶出来れば、いいかなと思っているだけですが・・・。スリランカからの人に、「アーユーボーワン」と言ったり、フィリピンからの人に、「クムスタカ」と言ったり、ベトナムからの人に、「シン・チャオ」と言ったり、インドネシアの人に、「アパ・カバール」と言ったり、ミャンマーからの人に、「ミンガラーバー」と言って、科以外の人の驚いた様子を見ることも、とても、楽しいですよ・・・?!


*写真は、門司港での私です(←令和5年11月13日、家内が撮っていましたが、気が付きませんでした。)

 (令和6年4月19日、記載)








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退職後の雑感(760)

2024-04-18 11:20:18 | Weblog
  「退職後の雑感、震度5弱の地震」

 令和6年4月17日(水)の23:14、既に、床に就いていましたが、突然、「ガタガタガタ」と音がして、家が揺れ、久し振りに地震がありました。「震度5弱」でした。その内、止まるだろうと思って、あまり慌てませんでしたが、正直、怖かったですね。
 その後も、佐伯市では、23:19に、震度3が、23:27に、震度1が、ありましたが、大きな揺れは、もう、ありませんでした。
 一応、最低限、持っておくべきもの、簡易トイレ、数日分の食料、用意はしているのですが・・・それが、この先、必要で無いことを祈るばかりです。
 「災害は、忘れた頃に、やってくる!」ですね。

 (令和6年4月18日、記載)
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする