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日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

老人日記、その22、バングラデシュ

2025-05-02 18:12:47 | Weblog
 「老人日記、その22、バングラデシュ」

 バングラデシュ、パキスタン、インド、この3ヵ国は、イギリスの統治下にあって、一つの国だったんですね。それが、(宗教の違いから?)バングラデシュ・パキスタン、インドと別れ、更には、言語の違いから、バングラデシュ(ベンガル語)とパキスタン(ウルドゥー語)に別れたんですね。
 バングラデシュは、日本の3分の1の面積ですが、人口は、日本よりも多いのです。
 バングラデシュの首都、ダッカは、とても貧しい都市とのイメージがありますが、実際に、行って、そのイメージが変わりました。
 以下は、実際にそこで滞在しての私の感想です。(ダッカ出身のAPUアジア太平洋大学の学生さんから2年近く、マンツーマンで、ベンガル語を教わり、ダッカにあるその学生さんの家に、(2005年1月22日~2月8日)2週間余ホームステイさせて頂きました。)
 首都ダッカでは、中流の家庭は約4割ほどいて、中流の家庭では、(その家には、クーラーはありませんでしたが)テレビも新聞もあり、水洗トイレもあり、女中さんも複数いて、ダッカ大学には、糖尿病の専門外来もありました。
 実際に学校に行くと・・・小学生になる前から、ベンガル語と英語を同時進行で教えていました。正に、私にとっては、驚きでした。
 バングラデシュの政府は、国の発展に最も大切なもの、それは・・・→「子どもへの教育だ!」と気が付いているんですね!
 確かに、ダッカでも、約半分程の人が貧乏です。電気もつかず、トイレも整備されてなく、貧しい生活を余儀なくされています。そんな家の子どもたちは、早朝から、ゴミからモノになりそうなものを探したり、道端で花を売ったりしていました。
 どこも子どもで溢れかえっているって感じでした。正に、私が経験した戦後直ぐの姿に似ていました。しかし、ダッカには、海外の大都市の様なデパートもありましたし、車も走っています。子どもの教育が次第に実を結んで、いつかは、戦後の日本の様になるだろうと思いました。
 豊か過ぎての中で子どもを教育するのは、至難の業だと思っています。日本が如何に恵まれているか、それは、海外に行けば良く分かることです、いや、実際に海外に行かないと分からないと思っています。
 バングラデシュの人口は、現在、ロシアよりも多く、世界で八番目の多さになっています。パキスタンは、五番目、インドは、中国を抜いて、一番多くなっていますが、その三つの国に付いて、多くの日本人の知識、乏しいですね。

*写真は、ダッカにある学校で和太鼓を披露している私です。演奏前に、ベンガル語で、挨拶しました。

 

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老人日記(21)

2025-02-27 18:01:05 | Weblog
 「老人日記、その21、相手の国の言葉で、こんにちは・ありがとう」

 日本に住む外国の人が、次第に多くなっています。大分県の別府市には、「APU(立命館アジア太平洋大学)」なる大学もあり、その生徒の半分程が、世界各地から来ています。
 私も、かって、APUの学生さんから、「ベンガル語」「インドネシア語」「アラビア語・スワヒリ語」「タイ語」「トルコ語」をマンツーマンで教わりました。
 その後、教わったダッカの人の家にホームステイさせてもらったり、教わったタイ語の先生の紹介で、チェンマイでのいい宿泊先を紹介してもらったり、教わったトルコ語の先生の家を訪問したり、トルコ料理をごちそうになったりもしました。
 日本では、外国語と言えば、もちろん「英語」ですが、実際に、自分の住む佐伯市だと、フィリピン人、ベトナム人、インドネシア人と、少なからず、います。よく、お互いに、街中で、目が合いますが、何も言わずに終わります。日本人は、英語以外の外国語は、得意でないと思われている様で・・・勇気を出して、タガログ語で、「クムスタカ?」、ベトナム語で、「シン・チャオ」、インドネシア語で、「アパ・カバール?」と、一声言えば、ニコッと笑ってもらえて、凄く喜んでもらえるのですが・・・?!
 今年、大分で宿泊したホテルの受付の女性、出身を訪ねると、ルーマニアと言ったので、「ムルツメスク(ありがとう)」と言うと、滅茶苦茶、喜んでもらえましたね。
 数年程前に、親族の集まりで、鹿児島県の隼人にあるスロバキア大使館内にあるレストランで食事をした時、スロバキア人の女性に、「ジャクイエム(ありがとう)」と言うと、超驚いていましたが・・・?!

 (令和7年2月27日、記載)




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老人日記(20)

2025-01-03 15:47:43 | Weblog
 「老人日記、その20」

 昨年は、実の次兄が他界しましたので、年賀状は、控えました。
 1月3日、「書初め」をしました。それと、「初詣」をしました。
 今年は、ラッキーセブンの「令和7年」、平成37年、切り良く「昭和100年」ですね。
 後がもう、長くないので(団塊世代の昭和24年生)、1日1日が、貴重な日々となっています。
 今、世界の国、200近くの国名(と、出来れば首都名、小学校の時に、頑張って、世界の国名と首都名を覚えていましたが。)それと、出来れば、簡単な現地の言葉で、「こんにちは」と「ありがとう」だけでも言える様に。

 今、普段よくしていることは、
1、篠笛・和太鼓
2、詰め将棋
3、多国語(フランス語と中国語とハングル、NHK教育テレビの内容を録画して見ています、時々、それ以外の言語も)
4、ヨガ・太極拳(もう、教室には、通っていませんが、自分なりにそれをしやすい様に変えて、楽しくしています)
5、ウォーキング
6、インターネット(時々、記載しています)
7、国内旅行(もう、海外旅行は、体力的に出来ません。国内旅行は、家内と一緒に、時々、大分に行っています。)
8、1時間のボランティア演奏(機会があれば、地域の盆踊り太鼓を打たせてもらっています。)

*https://www.youtube.com/watch?v=ubLjVF3WVaE(←延岡での演奏)
*https://www.youtube.com/watch?v=MHHUuWz3oro(←海外旅行の勧め、私の場合、延べ27カ国、内、海外での延べ演奏カ国数10カ国)
*https://www.youtube.com/watch?v=XQFe5LX530U(←海外旅行で得るもの)

 (令和7年1月3日、記載)





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老人日記(19)

2024-12-07 15:45:32 | Weblog
 「老人日記、その19、眼科受診」

 ドライアイの薬が、もう、なくなるのと、いつもの健診の意味で、掛かりつけの「眼科医院」に行きました。行きは、タクシーで、帰りは、歩いて帰りました。
 9時に医院に着いて、あまり待たずに、検査が始まり、それが終わって、しばらく待って、先生の診察を受けました。いつもの副院長の女性の医師で、直ぐに終わり、「又、薬がなくなったら来て下さいね。」と、言われました。
 (この日は、多くて、外来に30人ほどいて)しばらく待って、お金を払い、道路を隔てた斜め前にある調剤薬局に行きました。そこでは、あまり待つことなく、家に着いたのは、10時半過ぎでした。
 後期老人医療で、2割で、申し訳ない気持ちで、一杯でした。
 待ってる患者さん、いろんな人がいて・・・マイナンバーカード、難儀していました。お年寄りに家の人が付き、それに、医院のスタッフも付いて、かえって、手を取る感じに思えましたが・・・?!
 世の中、おかしなことが多い感じで・・・まあ、もう、反論する元気もなく、半分、諦めって感じでしょうか・・・・!

*写真は、12月6日の医院からの帰りに、通り道で撮ったもの。


 (令和6年12月7日、記載)




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老人日記(18)

2024-11-28 11:24:28 | Weblog
 「老人日記、その18、多国語でありがとう」

 「こんにちは」と「ありがとう」の言い方、海外では、必須な感じがしています。現地で、いろいろしてもらった後に、「ありがとう」だけでも言えれば、ホント、いいですね。
 海外に行かなくても、今や、アジアの各地から、日本を訪れる人が多くなりました。先々、日本に住んでいる人の10人に1人が、海外以外の人になるとか・・・?!
 ハングルでは、「カームサハムニダ」の言い方、今や、知っている人、多いですね。中国語では、「シェシェ」ですね。タイ語では、「コープクン」ですね。カンボジア語では、「オークン」ですね。ベトナム語では、「カム オン」ですが、正確に発音となると、難しいですね。
 タガログ語では、ちょっと難しいですが、「サラマッ」と言います。インドネシア語では、「トゥリマ カスィ」と言い、マレーシア語も、同じですね。英語で言った方が手っ取り早いですね?!
 難しくなりますが、スリランカのシンハラ語では、「ストゥティイ」、バングラデシュのベンガル語では、「ドンノバード」、パキスタンのウルドゥー語では、「シュクリヤ」と言います。
 ヒンディーでは、「ダンニャワード」と言います。ネパール語も似た感じで、「ダンニャバード」と言います。
 生きる上で、知識は、パワーだと常々思っています。

 (令和6年11月28日、記載、再掲です)


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老人日記(17)

2024-11-10 17:52:13 | Weblog
 「老人日記、その17、大道芸フェスタ」

 令和6年11月9日(土)と10日(日)に、「大道芸フェスタ」が開催されました。
 10日は、雨の中、傘をさして、「さいき城山桜ホール」まで、往復しました。その二日間共、見て楽しみました。
 特に、「張海輪中国雑技団」の二人の男性の演技、超、良かったです!目の前で、しっかりと見たのは、産まれて初めてでした。

*https://youtu.be/WIZi4ykjXaw(←11月10日の張海輪中国雑技団)
*写真は、11月9日の「大道芸人ひろと」の「炎ジャグリング」。

 (令和6年11月10日、記載)

 

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老人日記(16)

2024-11-02 09:49:34 | Weblog
 「老人日記、その16、駄菓子・角打ちの日など」

 10月は、暑い日が多かったり、大雨が続いたりって感じでしたが・・・(←次第に、毎年、こんな感じになるのかなあ?!)。
 10月21日~23日、長女の配偶者が佐伯に来てくれて、久し振りに義理の息子の元気な姿を見ることが出来、又、佐伯の「魚」でもてなすことが出来て、良かったのですが、23日、佐伯から宮崎に行く日に、日豊本線が雨で普通でした(←しかし幸いに、何とか、その日の内に行けて)。
 10月23日(水)(記念すべき)「駄菓子・角打ちの日」、同級生中心に、9人(内、女性3人)、墓に囲まれた家(?)に集まり、15:00~17:15過ぎまで、いろんな話で、盛り上がりました。
 27日(日)の総選挙は、自公で過半数行かず、国民は、賢い選択をしたと思っていますが・・・。
 10月は、27日(日)~大分市に3泊しました(←期日前投票を、それ以前にしていましたが)。大分市美術館で、「小野竹喬」の作品を見、29日(火)は、県立美術館で、「かわいい日本美術」を見ました。
 29日に、家内は、(ホテルの近くの園田ビルの3階にある)歯科で、いつもの歯石の除去をし、私は、(帰る日の)30日の朝、食事中に、第二大臼歯に被せていたのが外れて(←ビックリ!)、歯科まで直ぐに行って、無理言って、ちょっと待っただけで診てもらえて、良くしてもらえました(←とても有難かったです!)。
 野球に関しては、まだ、日本シリーズは、終わっていませんが・・・「ワールドシリーズ」では、「ドジャース」が、「ヤンキース」に勝って、あっけなく、4勝1敗で勝って、驚きましたが(←大谷選手の左肩の亜脱臼には、ヒヤヒヤでしたが・・・)。
 11月は、将棋の竜王戦の第4局目と第5局目があり、相撲は、九州場所があり、若い二人の活躍が、期待されます。

*「駄菓子・角打ちの日」の「雨月庵」

 (令和6年11月2日、記載)
 


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老人日記(15)

2024-10-02 17:04:30 | Weblog
 「老人日記、その15、予期せぬことが多いです・・・」

 もう、10月になり、ちょっとだけ涼しくなった感じで、秋が来てるかなって感じになりましたが・・・。(←台風17号と18号がウロウロしていて、気にはなりますが・・・)
 9月は)予期せぬことが多かったですね。
 9月22日の大相撲の千秋楽、関脇「大の里」が、4勝10敗の「阿炎」に勝てると思っていたのに、あっけなく負けて、13勝2敗の成績となりました。(←まあ、いいかな・・・)
 大谷翔平の活躍、予想以上に凄かったですね。「50ー50」で、大騒ぎしていましたが、9月20日には、「51-51」となり、更には、21日には、「52-52」となり、9月22日には、「52-53」→9月23日には、「53-55」となり、9月26日には、「53-56」→9月28日には、「54-57」→9月29日には、「54-58」→そして、ホームラン55本、盗塁60となるかとも期待してましたが、9月30日の「54-59」で、止まりました、(←でも、超凄いですね!)
 9月27日の自民党の総裁選、てっきり1回目の投票の結果、「石破茂」氏が負けると思っていましたが、何と、「石破茂」氏が、5回目の最後の挑戦で、勝って、念願の総理に選ばれました。(←ホント、驚きました!)
 10月1日、5番勝負の3局目の「王座戦」で、藤井7冠が、3勝0敗で勝利し、見事、タイトルを防衛しました。これも、最後の方、両者共、1分将棋で、藤井7冠、数%しか勝率がない中で、逆転して、勝ったのです。(1分将棋だと、トイレも行けずに、心配していましたが・・・)
  
*写真は、夕方の散歩道で、2024-09-21に撮った蜘蛛で、左の大きいのがメス、右の小さいのがオス。知っての通り、オスの方が小さくて、交尾中に、メスから食べられることもあり。

 (令和6年10月2日、記載)






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老人日記(14)

2024-09-17 22:55:19 | Weblog
 「老人日記、その14、観月会」

 令和6年9月17日(火)、夕方5時から、(360度、お墓に囲まれている?!)「I」君の自宅で、恒例の「観月会」をしました。参加者は、今までで一番多い感じで、11名(内、女性3名)でした。
 人数が多いので、アチコチ、いろんな話題が飛び交っていました。歴史に強い人、多いですね。政治家になってもよさそうな人もいたりして・・・?!
 私は、前半の終わりに、「炭坑節」→「月の砂漠」、後半の中頃に、「影を慕いて」→「人生の並木道」→「人生劇場」→「悲しい酒」、計6曲を演奏しました。あまり練習してない割には、まあまあだったかな?!


*https://youtu.be/Y3qzauMF6N4(←炭坑節)
*https://youtu.be/FErsYz7VNIc(←月の砂漠)

 (令和6年9月17日、記載)

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老人日記(13)

2024-09-04 17:30:56 | Weblog
 「老人日記、その13、大分市2泊3日」

 久し振りに佐伯市を出て、大分市に泊まりました。

・9月1日(日)
 10時過ぎの「にちりん」で、いつもの様に行けると思っていたのですが(前日に電車で行けるかどうか調べてはいたのですが)、この日は、「台風10号」のせいで、特急は、全て、佐伯からは、運休となっていました。止む無く、1時間半ほど、佐伯駅で待って、普通車で行きました。
 佐伯駅で待っている間、欣ちゃんの愛した澄子さん(←肺がんで亡くなる)の内容をi-phoneで、真剣に見ていました。24時間テレビでも、真剣に見ていましたが・・・。
 普通車に乗ってからは、綺麗な緑の景色を見つめていました。
 大分駅では、アミュプラザ内の「萬吉」で、又、二人とも、1.000円足らずの「萬吉鶏そば」を美味しく食べました。
 ホテルの17階の部屋からの眺めは、昼間も夜も、良いですね。

・9月2日(月)
 10時から予約していた「S]歯科に行きました。左上3番目が、欠けているのと、左下4番目が、穴が空いているのと、それに、昨年同様、歯石除去で。
 左上犬歯は、虫歯があって欠け、写真を撮ると、1回で終わりますと言われ、左下の小臼歯は、周りと適合しているので、治療の必要はないと言われ、ラッキーでした。後期高齢者、保険を使って、1.310円でした。
 午後、ルンルン気分で、大分県立美術館で、「北斎と広重」の作品を見ました。二人の生き方、対照的でした。「後10年、命があれば、少なくとも5年、命があれば」、との「北斎」の70歳を過ぎても、探求する精神、凄いですね。超良かったです。(←会員になっているので、1年間、それで何度でも入れます!)

・9月3日(火)
 10時から再び、予約していた「S]歯科に行って、歯石除去をしました。私の場合、歯石があまり付いてなく(←1日、3回、電動歯ブラシを使っているから?!)、1年に1回でもいいとも言われました。
 (無理言って)自費で1回で終わることにしてもらっていて(←保険を使うと、2回)、消費税を入れて、5.500円。

・9月4日(水)
 12時過ぎの「にちりん」で帰りました。
 佐伯駅の前にある「番匠亭」で、1.500円の花籠御膳と甘酒を二人とも、取って、3.330円でした。(←満足です!)
 
*写真は、9月2日、「北斎と広重」展で、家内から撮ってもらったもの。

 (令和6年9月4日、記載)



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