日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

サッカー・・・

2010-06-30 09:53:51 | Weblog
  日本とパラグアイ戦、昨日の深夜11時から今朝の1時40分まで、全て見た。ホント、いい試合だった。
 前半、守りの体制が多く、ボールが直ぐにパラグアイに持っていかれる感じで、心細く思っていたが、後半は、それを立て直して、ほぼ互角、延長戦もほぼ互角。で、PK戦は、向こうが先にしたこともあり、日本側が1回はずして(向こうが5本ともパーフェクトで)、負けとなった。
 負けても、(見ていてさすがに眠たかったが)何か、すがすがしさを感じた。お互いに全力を尽くして闘った、そんな感じだった。
 日本の人口は、1億2000万人、相手は、面積はほぼ同じくらいなのに、人口は、北海道の人口ほどしかない。生活だって、海はなく、日本と比較にならないぐらいに厳しい。それが、この戦いぶりだ。それにしても、南米は、その多くが強いなあ。
 サッカーは、ボール一つと平らな土地さえあれば、どこでも練習ができる競技だ。サンバの盛んな所では、サッカーの足運びが、その踊りで基礎が出来ているのではとも思えてならない。
 まあ、サッカーは、相手の心理を汲み取り、考えていることの裏をかく感じで、戦って行かないと勝てないかな?!チームプレイだから、それを皆に徹底させる必要がある。直前の練習試合が、時に、関係者以外シャッアウトされるのも、その理由からだ。
 イチローがいい成績を出し続けられるのは、ピッチャーの裏をかく感じで、毎年、その打法を変えるからだと言われている。ピッチャーが、イチローに打たれまいとして、それなりに研究して練習してきても、彼は、その先を常に行っているとのこと。
 イヤッー、見るのも疲れました。が、今朝起きると、大雨で、それで、疲れも取れた感じになりました。

*(ウィキペディアより引用)
 パラグアイは経済的に不平等で貧しい国家であり、1/3から半分の国民が貧困に喘いでいると見積もられている。農村部では41.2%が、都市部では27.6%が最低限の基本的なニーズを満たすための収入を得ることが出来ない。上位10%の人間が国富の43%を牛耳るが、下位10%の人間はわずかに0.5%にすぎない。景気の後退はこうした状況をさらに悪化させ、1995年に0.56だったジニ係数は1999年には0.66に上昇した。10%の人口が国土の66%を所有し、その一方地方の人口の30%は土地を持っていない。この不平等さはエリートと土地なし農民の間に強い緊張状態をもたらしている。隣国のブラジルやアルゼンチンへ出稼ぎに行く人も少なくない。
(パラグアイの国旗、表と裏の絵柄が少し違っている・・・!)
 

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動物の写真・・・

2010-06-29 11:41:32 | Weblog
 動物、見ていると面白いですね。向こうは、どう思っているのかな?

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アンバランス・・・

2010-06-28 16:02:28 | Weblog
  認知症の場合、正常に働いている所と働いていない所がある。母は、自分の異常に気が付いているし、周りも気が付いている。(これは、幸いなことだと思われる。)
 近年、認知症の理解と並行して、アンバランスな脳を持った成人がクローズアップされる様になった。本人に、脳がアンバランスに発達しているとの自覚が全くなく、それが根底にあって、ちょっとしたことで、鬱になったり、ニートになったり、引きこもりになったりしている例がある。(かなりの割合になるらしい・・・?!)
 医学生の時(昭和51年卒)に、小児科の講義で、「微細脳損傷」って疾患を教わった。その詳細な原因は不明で、当時、軽度の発達障害って感じで捉えていた。それが、米国精神医学学会が作成した精神障害の診断基準で、1980年(昭和55年)に、「注意欠陥障害(ADD)」なる言葉が使われ、1987年(昭和61年)には、「ADD」が「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」と言い変えられた。
 「ADHD」とは、「Attention Deficit Hyperactivity Disorder」のことで、日本語では、「注意欠陥・多動性障害」と訳されている。
 「Disorder」を「障害」と訳されてしまったが、本来、これは、「ある行動や日常生活を行う上で多少のハンディがある」って感じの用語だったはずで、それが、「障害」と言う(重い感じに受け取られ)強い言葉で言われた為に、本人がそれを受け入れ難くなると同時に、家族や社会も、偏見めいた感じで、受け止める様になったのではないでしょうか・・・?!
 つまり、発達障害と言うよりも、脳がアンバランスに発達していると言うべき。周りの理解と協力で、社会に充分に適応出来ることも多く、それ以上に、我々凡人と違って(?!)、素晴らしい業績を残す例も多いのだ。
 音楽家のベートーベンやモーツアルト、科学者のエジソンやアインシュタインやレオナルド・ダ・ビンチ、画家のピカソやダリなど、天才と言われた人の中には、現実に、発達障害者が多数いる!!更には、日本人で言えば、織田信長、平賀源内、坂本龍馬も。
 現在、世の中で活躍しているスポーツ選手や芸術家、更には、教育者や医師の中にも、そんな目で見れば、いるかな・・・?!
 軽度のADHDでは、例えば、学校の成績がずば抜けて良く、周りが騒ぐと、益々頑張る感じになって、適性やコミュニケーションの問題がなおざりにされてしまう傾向になる。しかし、現在、大人のADHDは、本人がしっかりと自覚し、それなりに周りも対処して行けば、社会に適応できる例が大多数なのだ。
 発達障害には、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、広汎性発達障害(この中には、自閉症、アスペルガー症候群などが含まれる)、LD(学習障害)、知的障害(精神発達遅滞)、発達性運動障害などがある。
 2005年には、発達障害者の自立と社会参加を目指す「発達障害支援法」が施行され、2007年には、特別支援教育が学校教育法に盛り込まれ、2008年には、保育所保育指針が40年ぐりに改定された。又、最近、大学でも発達障害のある学生への支援体制を強化する動きが出来ている。
 統計にもよるが、ADHDやLDは、15歳未満の子どもの人口の6~12%もいる。残念なことに、発達障害を診断して治療できる医師は「児童精神科医」だが、実に少ない。(日本では、欧米と比べて児童精神医学は、30~40年以上遅れている。)
*参考図書:「発達障害に気づかない大人たち」星野仁彦、祥伝社新書、780円、平成22年発行
 
 

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母との会話・・・

2010-06-27 22:48:34 | Weblog
 ゴールデンウィーク後に、佐伯に帰ってから、4回程、母の所に行っている。
 で、いつも、母が好きと思われる曲を篠笛で吹いている。「赤い靴」を吹くと、「横浜の波止場から・・・」と2番から歌えるのに、1番の歌詞が出てこない。曲名を尋ねても、1番の歌詞が出てこないので、答えられない。しかし、曲は、しっかりと覚えている。「荒城の月」を演奏すると、直ぐに曲名が言える。
 「頭がクルクルパーになっている・・・」と言う。しかし、(この4回とも)とても顔の表情がいい。幸せそうな顔をしている。昨年とは、全く違う顔付きだ。お金のことは、もう、言わなくなった。
 「欲しいものは何もない!」と言う。「悩みは、今は何もない!」と言う。そう言いながらも、「今から、病気であまり苦しみたくない。」とも言う。まだ長生きしたいと思っている様だ。今日は、「後、ひょっとしたら、10年ぐらい生きられるかも知れん。」とも言った。
 何度も、同じ質問をする。「いくつになったんか?」「定年は何歳か?」「子どもはどうしているんか?」と。
 そうだなあ、このままでいいんだなあ・・・。来年は、90歳になる。母の兄弟は、全て他界している。母だけが生きている。 
 現在、(血のつながった)孫が10人、ひ孫が7人もいる。まともに心配してたら、気が滅入ってしまうだろう。
 もう、この歳になってまで、いやなことは、思い出したくもないだろうし、今まで、苦労を、さんざん悩んできているので、今から、もう、いろいろ悩みたくないだろう。
 今まで苦労してもらったので、ご褒美に、神様が認知症を与えてくれたんだなあ。
 「息子が分からなくなったら、終わりよなあ・・・」と言ってくれる。
 「お母さん、又、来るから・・・」と言って、夕方、(家内と)そこを出た。
↓(10番目に生まれた)孫が作った曲。
http://www.youtube.com/watch?v=nEnDWyJTbFo&feature=player_embedded

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体験と思い込み・・・

2010-06-26 16:13:03 | Weblog
 いつの時代も、新聞には、暗い内容の方が明るい内容よりも多いそうだ(それの方が人の購買力を高めて、儲かるから?)。戦争中はもちろん、今も。
 で、マスコミから、将来年金が危ない、日本の財政が破綻する、今の日本の政治は、誰がなっても同じだ、日本の福祉・医療は行きづまる、鬱の人が多くなる、失業者がどんどん増える・・・何てことを長いこと声高に言い続けられていると、ホントにそんな感じになってしまいそう・・・→将来を暗く思うと、お金を使わないので、お金も回らないだろうし、それで益々景気が上向かない一因にもなるだろう・・・?!
 マウスの実験で、・・・マウスを水の中に入れると、60時間も泳いで生きていられるとのこと。しかし、水に入れる前に、ギューと捕まえておくと、逃げようとしても逃げられないので、初め暴れるが、逃げられないと悟ると、大人しくなってしまう。で、そのマウスを、同じ様に、水の中に入れると、1時間もしないで(30分で)死んでしまう。
 ヒトも同じだと思う。もう、長生きできないと思えば、自律神経がそれなりに影響を受け、免疫学的にもそうなって、早死にしてしまうんじゃないのかなあ・・・?!
 そんな感じで、小さい時から、その時にふさわしい試練を沢山味わってきた人は、それが土台となって、いつかは花が咲く可能性を常に秘めていることになるかな?!
 自分のすることに自信が持てる様になる為には(ものになるまで頑張れる為には)、若い時から、それなりの経験(きついことが多いと思われるが)を積んでおくしかない様ですね。そ出来れば、の時に、自分に最も適した感じの体験を(その内容は、一人一人、皆、違うはず?!)・・・?!

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人 材・・・

2010-06-25 19:24:13 | Weblog
 企業が人を雇う場合、その人材が問題になる。で、その人材には、次の4種類がある。
1、人材・・・これは、一般的な職員。初めものにならなくても、会社がそれなりにハウツーを教育していけば、人材として育つ。
2、人在・・・ただ、職場にいるだけの感じになっている人。指示されたことはするが、それ以外は、しない。変化をいやがり、変えようとしない。能力や意欲に関係なく、終身雇用制度で、給料ばかりがどんどん上がって行くとなると、ちょっと問題かな?
3、人罪・・・周りに悪影響を及ぼす人。皆のやる気をなくす人(本人も、やる気のないことが多いが・・・)。
4、人財・・・社長と同じ目線で仕事をしようとする人。会社の為のアイデアも出すが、時には、反論も出す。やる気満々で、指示されれば、それ以上のものが出来ないかと、真剣に取り組むので、期待以上の成績を出すことが多い。
 何でも知っている感じになっていても、それが仕事とちゃんと結び付かないといけない。
 一人の人間のアイデアなんて、どんなにいいアイデアであっても、皆が付いて行けないこともある。1複数の人間が丸いテーブルで意見を出し合えば、それなりに、いいアイデアが生まれる可能性が高いかな?
 出来るだけ沢山の職員が納得したアイデアであれば、皆が協力して達成する確率も高くなるはず。
 後は、実行と継続・・・?!

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北海道(11)・・・

2010-06-23 23:36:33 | Weblog
  朝、8半過ぎにホテルを出て、地下鉄→電車と乗り換え、11:35の飛行機で発ち、福岡空港に着いた。飛行機の中でちょっと眠っていたので、早く着いた感じだ。ソニックに乗り、博多駅から別府駅で降りた。大分駅に着く前に、家内が、お土産をソニックの5号室の棚に入れたまま(!)と言ういことに気が付き、大分駅で降りて、既に止まって、正に発射すれすれのソニックの所に行って、お土産を再び無事手にすることが出来た。(私としては、もう諦めたらと言ったのだが、家内は、いや、大丈夫って感じで言って、再び手にしたのである。イヤー、精神的に私よりも強い家内だと発見して、・・・→これで、老後は、安泰かな・・・?!)
 それから、にちりんで、佐伯に無事に帰った。これでも、札幌のホテルから佐伯までの時間の方が、天草から佐伯までの時間よりも、短い。(家内は、天草からだと、9時過ぎに出発して、20時半過ぎに帰るから。改めて、9月1日から再び働く天草って、時間的に遠い所にあるものだと思った。)
 札幌4泊→小樽2泊→旭川2泊→札幌2泊、10泊の北海道旅行だった。
 6月の半ばでも、(普段咲いているはずの)ラベンダーがまだ咲いてなく、ユリも咲いてなかった。拍子抜けって感じがしないでもなかったが、しかし、それを充分に補うだけの新発見もあった。北海道が益々好きになりそうだ。ホテルも、3か所とも良かった。特に、札幌パークホテルの朝食は、良かったなあ。
 札幌には、公園が多くて、そのどれもが素晴らしい。自然だけでなく、アチコチで見られる芸術作品も素晴らしい。建物も、センスある造りだ。道も分かりやすい。それに、暑いと言っても、九州よりは、暑くないし、梅雨がないのは、旅行者にとっては助かる。
 札幌市だけでも、まだ、(次回新たに)見るべき所が沢山あるし、それに、季節を変えれば、別の姿が見れる。北海道には、札幌市だけでなく、沢山の素晴らしい所がある。函館や知床にも行ってみたいし、近い将来、必ず、又、行くと思う。札幌も、何度来てもいい所だ。
 正に、北海道は、観光に適した所。今から、北海道のアチコチが、国際観光都市になって行くだろう。いや、もう、既に、なっているはず。
 行く前に、新しいデジカメを買ったが、これが又予想以上に良かった。拡大しても鮮明に写り、音もきれいに入っていて、何度でも見れる(さっそく、帰って、いい内容を家内と一緒に何度も見ているが・・・)。これじゃ、ビデオカメラは、もう要らないなあ・・・?!(2学期からは、講義にも、時々、ビデオを入れることにしよう・・・)。
 旅は、それなりに緊張するけど、結構頭を使っているので、認知症防止には最適かな。無理せずに、自分のペースで行動することが大切だなあ。
 歳を取ると、体力は、確かに落ちるなあ。前回と違って、歯の調子は良く(しっかりと治療したので)、食事もとても美味しく食べれた。しかし、どんなに好きなものでも、お腹にあまり入らなくなった感じだ。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/categories/1244


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北海道(4)・・・

2010-06-16 19:59:20 | Weblog
  6月16日(水)、「札幌資料館」→「大通公園」→「さっぽろテレビ塔」→「二条市場」→「千歳鶴酒ミュージアム」→「札幌市民ギャラリー」→「さっぽろ地下街オーロラタウン」と、移動して行った。午前中の小雨が、正午を過ぎると本格的に降り出し、傘をずっとさして行った。「札幌資料館」に行く時と、「さっぽろ地下街オーロラタウン」から帰る時以外は、全て歩いた。
 「札幌資料館」では、2階がギャラリーになっていた。何でも、そこでギャラリーを開くのに、1年前から申し込んで、その後も、抽選で選ばれるとか。1年中、多くの人によるギャラリーが催されている様だ。1階は、旅行者が初めに来るべき内容が盛り沢山だった。
 1階には、法廷が再現されていた。裁判官の服を借りて、裁判官になった感じで写真を撮らせてもらった。
 「大通公園」では、端から端まで、ゆっくり歩いて行った。前回の雪祭りとは、感じが違う。途中で、イサム・ノグチ(1904~1988)の作品の「ブラック・スライド・マントラ」があった。雨の中、(ちょっと危ないなあと思ったが・・・)子どもたちがそれで元気に滑っていた。イサム・ノグチは、「この彫刻は、子どもたちのお尻で磨かれて完成する」と言ったそうな。
 大通公園、アチコチで工事をしていた。(ちょっと残念)
 「札幌テレビ塔」の展望台から下を見ていると、ちょうど「神興渡御」の時で、・・・北海道神宮から出た行列が、雨の中、大通公園を通り抜けると直ぐにUターンして行った。(子ども達がずぶ濡れになっていた。大変だなあ・・・)
 テレビ塔では、2月の時に利用したレストランで、(運良く)行列を見ながら、食事を摂った。
 「二条市場」、凄く広いのには驚いた。まあ、ソウルの「南天門」、イスタンブールの「グランバザール」って感じかな・・・?!
 「千歳鶴酒ミュージアム」、北海道では有名な地酒で、少し飲ませてもらった。で、買ったのは、小瓶の梅酒1本だけだったが・・・。
 「札幌市民ギャラリー」では、この日から(6月27日まで)、2010年の「全道展」があっていた。これが何故賞が取れないのか、これが何で賞を取っているのか、・・・しばしばその疑問を抱きながら、見て回ったが・・・?!
 「さっぽろ地下街オーロラタウン」を通って帰った。
 中島公園駅に着いた後、再び、「中島公園」に行った。「渡辺淳一文学館」(建築家安藤忠雄の作品)の前まで行って、写真を撮り、「豊平館」の前まで行って、写真を撮った。両方とも、何度見ても、絵になるなあ・・・!
 明日は、小樽に行き、2泊することになっている。

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北海道(3)・・・

2010-06-15 22:03:44 | Weblog
 6月15日(火)、北海道3日目。「モエレ沼公園」の感動がまだ冷めやらぬ内に、動物にも会いたくなって、(昨日は、歩き過ぎたので、今日はあまり歩く元気がなかった。で、あまり歩かなくてもいいと思って)「円山動物園」に行くことにした。
 「円山(まるやま)動物園」の方が、「円山公園」よりも遠くにあるので、先に「円山公園」に行って、そこから歩いて「円山動物園」に行くことにした。
 宿泊ホテルの近くに出店が出ていたので、それを子どもの心境で見て行った。「中島公園」まで、ずーと続いていた。人人人って感じで、(佐伯の春祭りと比較すると)子どもが多かった!3日間のお祭りなのだ。
 で、そこを通って一つ先の「幌平橋駅」まで行き、そこから南北線に乗り、「大道駅」で東西線に乗り換え、「円山公園駅」で下車した。
 「円山公園」は、円山公園駅から5分もしなくてあった。昨日と同じく、又、テクテク歩いて行った。昨日と違って、少し、暑かった。
 で、歩きながら、・・・→ここも、途中からずーと出店が続いている。それも、多いし、何かおかしい。これは何かあるなと思って、(ホテルの近く祭りの意味も良く考えていなかったが・・・)→市民の祭り「札幌まつり」が、14日(月)・15日(火)・16日(水)とあり、この円山公園先にある「北海道新宮礼祭」で、それが盛大に行われていた。(年1回盛大にあり!!)
 ずっと出店が小道に沿って神宮まで続いていた。この「北海道神宮」、北海道全土の総鎮守、道民の氏神様って存在なのだ。(この時点で、存在の大きさとこの3日間の意味をやっと知る。・・・それに合わせて宿泊日を前もって決めた訳ではなかったのに、極めてラッキーだった!)
 神宮の近くでは、「大道芸猿まわし」があって、しばらく見た(面白かった)。新宮にお参りした。その神前舞台では、催しがいろいろ行われていた。
 何と、着いた時、「能楽」が格調高く行われていた。裏千家淡交会札幌支部が「野点」を催していて、無料で美味しく頂いた。その後、「古武道演武」がいろいろ披露された。神宮の近くでは、「空手」と「弓道」も行われていた。
 「空手」は、迫力ある実際の披露もあったが、バット3本を続けて折ったり、10枚の瓦を一度で割ったりしていて、これも、タイミング良く、(北海道旅行に来る直前に買ったばかりのカシオの)デジカメで高速で録画出来た。「弓道」は、風が吹いていたせいか、的に当てるのが普段よりも難しいと思われた。
 まだ、ずっと、こんな感じでいろんな催しが続いていた。もう、動物園を中止して、こちらを見ようかなとも思ったが、・・・やはり、予定通り、17時まで、動物園で過ごすことにした。
 で、又、テクテクと歩き、神宮から10分程歩くと、「円山動物園」があった。
 「コンドル」が羽を大きく広げる姿を初めて見た。又、日本ではここしかいない「コモドオオトカゲ」を見た。人気者の白クマも、元気に動き回っていた。アザラシの子ども(2ヶ月も経っていない)も、近くでしっかりと見れた。生まれて間もないオオカミの子、オランウータンの子どもも見れた。トドが、ある箇所のみ、決まったひっくり返って泳ぐさまを見て、おかしかった(家内とそれを見てふき笑ってしまった!)。トラとも、(ガラス越しに)楽しく写真を撮った。
 鹿の話が面白かった。鹿の角は、毎年根元から折れて、又、生えてくる。で、角の立派なのがメスの鹿から父親として選ばれることになる。野生では、5年も生きていればいい方だとのことで(鹿の種類にもよるだろうが)、死因の原因としては、飢餓でなくなることが多いそうな。動物園の鹿は、20年程も活きられていて、死因の多くは、老衰とのことであった。
 17時過ぎに再び、北海道神宮に行き、「雅楽」と「福井ばやし」と「人形浄瑠璃」を見た。
 「雅楽」と「人形浄瑠璃」、目の前で見たのは初めてだった。
 「福井ばやし」は、神前舞台でなく神門内向拝下であった。(大人もいたが)子ども中心の太鼓で、楽しかった。ダウン症の大人も、とても上手に打っていて、小児科医として、太鼓を打つ者として、ジーンと来てしまった(涙が出そうだった・・・)。演奏後の拍手も多かったなあ。
 「人形浄瑠璃」、3人で人形を操っていて、頭と右手を操る人(この人が二人の指示を出す)、左手を操る人、足を操る人と、役割がしっかりと決まっていて、男性の歩き方や女性の歩き方の説明もあり、とても面白かった。(これ、正に、日本の文化だなあ!)
 皆、面白かったなあ。

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北海道(2)・・・

2010-06-14 22:40:13 | Weblog
  6月14日(火)、「モエレ沼公園」に行った。
 地下鉄で、南北線→東豊線と乗り継ぎ、バスで、環状通東駅からモエレ公園東口下車、それから、テクテクと歩いて「モエレ沼公園」へ。
 あまり期待しなくて行ったのだが、・・・イヤー、驚きました!イスタンブールのアヤソフィアと同じ位に、感動しました!
 世界的な彫刻家である「イサム・ノグチ」の経歴と実績とユニークな考え方を知り→自分も、こんな仕事が出来たらどんなにいいかと思いました。
 彼は、初め、医師を目指していた。アメリカのコロンビア大学の医学部進学課程にいたのだ。それが、突如、彫刻家を志すことになった。
 (私の父が亡くなった歳と同じ)84歳で亡くなっているが、父母の離婚など、人知れず、いろんな経験を積みながら、世界的な彫刻家になって行ったと思われる。その最後の作品(集大成とも言うべきもの)が、「モエレ公園」。彼の誕生日に、作ったモデルを彼は嬉しそうに見せているが、その1カ月尾後の12月30日に亡くなっている。
 つまり、彼は、出来あがったこの作品である「モエレ公園」を見ていないのだ!彼の意見を100%取り入れた札幌市も素晴らしいが、彼の構想通りに立派に表現した関係者も、実に素晴らしいと思う。
 彼の原点は、29歳の時に、(シュバイツァーの様に)「地球は彫刻だ!」とのヒラメキがあったみたいだ。ビデオを見る限り、・・・→自然と人間と芸術が調和しないといけない、彫刻が、単なる作品であってはいけない、人間の役に立たないといけない、人から受け入れられることが大事との信念を持っていたのではないだろうか。彫刻家の一番の喜びは、人々から喜んでもらえることです・・・とはっきりと言っている。
 アメリカのニューヨークのセントラルパークの半分程の面積をもらって、札幌の地に(世界中の彫刻家が誰もしなかった)公園の彫刻をしている。それが、札幌市の北東に位置する「モエレ公園」なのだ。何と、ここは、ゴミ集積場(!)だった所。それが、今では、素晴らしい所に変身し、多くの人々の憩いの場所となっている。
 そこに6時間以上も、家内と飽かずにいた。又、その間、ピラミッドの中にある「イサム・ノグチ・ギャラリー」のビデを(全部見終わるのに、2時間以上も掛かるが)1時間以上も見た。
 感動した。散策中、彼が傍にいる感じがしてならなかった。

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