日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

国家試験

2007-03-31 12:07:27 | Weblog
 3月29日、医師国家試験の発表がされていた。最終的に合格率が決まるのは、本人の実力よりも、厚生労働省の腹具合って感じだ。昨年は、第100回で、ちょうど90.0%にしていた。今年は、それよりも難しくなって、87.9%。看護師さんの国家試験も、昨年より問題が易しくなって、それで、最低点がぐっと上がって70点以上になり、70点をわずかに超えた人も落ちてしまった。何か、落とす為の試験って感じだ。
 問題にしても、自分の時は、同じ様な問題が数問あった。つまり、同年に出す出題者同志で、同じ様な問題を出さない様にとの検討が全くされなかった証明だった(解きながら、何でこんな馬鹿なことをしているのかと思ったが)。今は、それはない。しかし、適当でない問題だったとのことで、数問が毎年削除されている。
 ECFMGなどの問題でも、正解者が余りにも少ない場合は、カットになるらしい(今はどうだか知らないが)。
 試験とは、土台それだけの話で、試験勉強したからと言って、いい医師や看護師になれる訳ではない。しかし、どこかで線を引かざるを得ないので、それしているだけの話。そんな試験で、意欲を見る問題や人間らしさをチェックできる何て言える訳がない。
 看護師さんの3分の1近くが、免許を持ちながら、仕事をしていない。女性の医師も、子育てや疲労で、仕事を休んでいる人が多くなっている。それに反して、医師になる男女の割合は、その内、4割が女性で占められるだろうと言われている。
 先進国の中でも、医師も看護師も足りない。なった医師も看護師も、疲れた顔で仕事をしている人が多い。日本の医師は、週8回も当直しても、それが当たり前の様な判決が出たり、当直明けも仕事をさせられ、雑用で追われ、何かあれば犯罪者として処罰受ける。
 いつになったら、改善されるのかなあ?


http://www.tecomnet.jp/op/101/101gj01.asp


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親御さんへ

2007-03-31 07:43:47 | Weblog
 時間外が多いので、以下の記載文を渡すことにした。

 子どもの見方は、次の4点に注意することが大切だと思います。つまり、「機嫌」、「顔付き」、「食欲」、「睡眠」です。熱、咳、下痢などがあっても、以上の4点であまり問題なければ、あわてる必要はないと思います。その大半は、翌日受診しても間に合うものと思われます。
 しかし、熱はないけど、何となく顔色悪く元気がない(腸重積やショック状態?)、熱はさほど高くないけど、力のない咳をして殆ど飲まなくなって息づかいが何となくおかしい(細気管支炎?)、3カ月未満の子どもの発熱(敗血症や尿路感染症など)、嘔吐が止まらない、顔色がどんどん青白くなっている、痛みがどんどん増している(急性虫垂炎?)、全く眠ることが出来ない、けいれんが止まりそうにない時、意識状態がだんだんおかしくなっている(急性脳症)、そんな状態は救急ですので、直ぐに電話して下さい。
 上天草総合病院では、平成18年8月より小児科医2名で新生児を含む小児科医療を毎日しています。それがうまく機能する為には、どうしても、患者さん側の協力も必要です(深夜は当直医)。
 平日の夕方の17時~17時半までは、時間内として毎日小児科医が診ます(それ以後に悪くなった場合でも、夜の19時半~20時まで、小児科医が診ますので、遠慮なく来院して下さい)。土・日・祝でも、時間帯を決めて小児科医が診ていますが、できれば、土・日・祝は午前中に来院して下さい(土曜の10時~12時は、平日扱いとなります)。
 「熱」について説明をしましょう。
 発熱は、熱を出して治そうとしている体の防衛反応ですし、熱の経過を見ることで、病状経過を知ることができます。熱を安易に座薬で下げても、再び上がることが多く、ウイルスがかえって強くなって熱が長引き、又急に熱を下げてもその反動で上がる時にけいれんが起きることもあります。当院では、その様な理由から、安易に解熱剤の座薬を使用していません。熱で苦しそうにしていれば、濡れタオルで、首や脇やソケイ部を拭いてみて下さい。それでもひどくきつそうにしていれば、病院にお電話下さい。急に熱が上がっても、その多くは、あわてる必要はないので、翌朝医療機関を受診して下さい。小児の場合は、熱の原因としてはウイルスのことが一番多いのですが、その多くは上下しながら熱があっても3日間です。

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医療革命

2007-03-30 16:36:52 | Weblog
 安保徹さんが書かれた、「長生き免疫学」と、福田稔(安保さんと共同研究をされている)さんと伊藤泰雄さんが書かれた、「こどもの免疫力をつければ、必ず治る」の2冊の本を同時進行で読んでいる(もうすぐ、読み終わるが)。自分の頭の中で、モヤモヤっとしてきたモノの片眼が開いた感じだ。
 如何に、自律神経の働きが生きる上で大切かが書かれている。そのアンバランスによって、多くの病気が起きることが書かれている。正に、「病は気から」である。安保さんは、がん健診や今多くの箇所でされている癌治療方法に、否定的な見解を持っている。ステロイドの塗り薬だけでなく、難治性の喘息の治療として世界的に認められているステロイドの定期的吸入治療法に対しても、否定的な見解を持っている。それを、免疫学的に、特に自律神経と白血球の関係から、理論的に説明しているのである。
 免疫と言えば、多田富雄さんが世界的に有名だが、この安保徹さんは、1989年に、胸腺外分化T細胞の存在を見つけ、1996年には、白血球の自律神経支配のメカニズムを解明し、「医療が病をつくる」「ガンはっじぶんで治せる」などの本を50冊以上書かれ、2000年には、胃潰瘍が胃酸によるとの定説の間違いを指摘し、現在、国際的に高い評価を得ている。
 今まで癌の治療や長寿のことで、説明がすっきりしてないことが、これで、理解できる感じになっている。
 これが多くの人に認められるまで、時間が掛かるだろうなあ・・・?!
 
 実際、カイロプラクティックで、気管支喘息やアレルギ一性鼻炎などのアレルギーが治っている例を知っているし、私も、漢方を使って、その手応えを感じている。
 日本では、川崎病やインフルエンザ脳症、明らかに、外国と比べて多いが、これも、熱があれば直ぐに医師にかかって熱冷ましや抗生物質をもらったり(変な異物が入ることになるが)、今の日本の子ども達の現状、つまり、睡眠不足 、過剰ストレス、食事の偏り、運動不足、姿勢が悪いなどで、免疫力が落ちての結果なのでしょうか?確かに、昔と比べると、アレルギーの子が多過ぎるし、治るまでに昔よりも長く引きずっている。
 インドネシアに1カ月いたが、きれいな肌の子が目立った。タイにも、1ヶ月半以上いたが、幼児期まではそんな子がいても、それ以後はいないと現地の人が言われていた。ダッカの子も、沢山の子ども達と2週間以上いて接したが、アトピ一の子を見かけなかった。
 東ドイツと西ドイツが合併した時、てっきり環境の整った西ドイツの方が アレルギー少ないと思っていたのに、全く明らかに逆だった。O-157に罹患した時、きれい好きの親の子どもさんに症状がひどかったとの報告も耳にしている。小さい時から、いろんな微生物と接触しておく必要があるみたいだ。
 日本は、異常に微生物を避けている。頻回に手を洗い、レストランに行けば必ずおしぼりが出る。これ、日本では常識だが、東南アジアでは非常識。それと反対に、小さい時から過保護か過干渉で扱われ、冷暖房完備で、熱があれば、あわてて夜でも医療機関に掛かろうとしている。逞しく生き抜ける人間が育ちそうにない。やはりおかしいかな?

*東洋医学や、薬を使わなくて背骨を矯正する感じのカイロプラクティックがどうしてアレルギーにも効くのか、少し理解できた感じになったが・・・。

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為になるかも知れない本(その55)

2007-03-30 07:20:18 | Weblog
○専門2年、2月19日(火)雨。
 カリキュラムのシンポジュ一ムがあった。印象的だったのは、第一内科川明助教授の、完全医になれということだった。俺もそう思う。オ一ルラウンドになれなくても、オ一ルラウンドになれる様に努力することだ。それが患者さんの為になると思う。貝島が、「その科が終わる頃になると、やっと理解してくる感じで、試験の前に、”ああ面白い、これをゆっくりと読んだらどんなに面白いだろう”と思う。いつもそんな調子でして、早く教科書を読んでいたらなあと、いつも思っていましたが、・・・解剖学の先生は、解剖学的に教えていいと思います。生理の先生は、生理学的に教えていいと思います。それ等をくっつけて一つの有機体にするのは、我々でなければいけないと思います。そこまで教師に望むのは、ちょっと無理ではないかと思います。出来るにこした事はないのですが、時間はないし・・・」と言った。正に、自分の思っていることをズバリと言ってくれた。
○専門2年、2月22日(金)晴。
 朝4時から勉強した。ファイトだけは負けない。自分なりに計画を立て、それを確実に実行するのだ。時は今!内科の下巻、今週中にまだ終わりそうにもないが精一杯やっているし、体の調子もいい。今年の夏休みは、体力作りに専念すべきだ。
○専門2年、2月27日(水)晴。
 冷えるなあ。夕べは凍え死ぬかと思ったよ、全く(部屋には、暖房器具、全くなかった)。
○専門2年、3月1日(金)晴。
 大学入試が3日頃かな。月日の経つのは早いものだ。今日で最新産科学の正常編を終わるぞ。3月9日までに、異常編と最新婦人科学を終わらせなければいけない。そして、4月1日から、猛勉強だなあ。
○専門2年、3月3日(日)晴。
 恵ちゅんに電話したら、とても元気な声だった。僕もバッチリ元気。18日と31日に会うことにした。1カ月に2回会うといいかなあ。散髪屋に行った。ここの散髪屋さんは、夏でも冷房設備が全くない。しかし、感じが良く、すごく上手。共稼ぎの為に、赤ちゃんが泣いていた。やはり、共稼ぎは、赤ちゃんが生まれたら止めるべきだ。そう思った。俺は、恵ちゃんに子どもが生まれたら絶対に働かせないぞ。
○専門2年、3月4日(月)曇。
 神奈川の子供センタ一か、虎の門病院か、聖路加国際病院か、東京女子医大か、まだ、決まらない。○○(専門4年)が、今何時間あっても足りないと言っていた。今からの2年間で、一生が決まるかも知れない。悔いが残らない様に勉強するしかない。俺には俺の哲学がある。歯をくいしばって頑張って、そして、俺は最後には必ず笑ってやる。兎に角、これからの4月5月6月は、必死だなあ。
○専門2年、3月7日(木)曇。
 基礎医学科目の最終試験の為か、講義の出席者が少なくなっている。落ちると悪循環だなあ。(専門2年から3年に上がる時、18名も、留年者が出てしまった)

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為になるかも知れない本(その54)

2007-03-29 13:20:34 | Weblog
○専門2年、11月10日(土)曇。
 この一週間、図書館で遅くまで勉強した。土曜の午後は、休むべきだ。又、よく寝るなあ。今週は、寝るのと勉強するのを除いたら何が残るのかなあ。不思議に、忙しいと何でも出来る感じだ。自分流にコツコツして行く以外にない。俺の様に頭の悪い人間には、要領のいい方法なんてないのだ。
○専門2年、11月26日(月)晴。
 教わっていた川路先生(第一病理学教授・医学部長)の葬儀があった(11月3日に突然脳卒中で倒れられ、そのまま意識が回復することなく11月11日に永眠されてしまった)。  先生は、「ステロイドを与えた患者さんを剖検してみると、腎臓が萎縮している。自分が病気になった時には、ステロイドは、出来るだけ使わないで欲しい」と生前に言っていたという。先生を解剖した第二病理学教授の心中は、いかばかりであったろうか。つらかっただろうなあ・・・。
○専門2年、12月11日(火)晴。
 衛生学の追試の結果が張り出されていて、合格していてホッとした(何故か、前回同様、助教授だけが出題し、殆ど、遺伝の確率統計の問題だった)。
○専門2年、12月14日(菌)曇。
 病理の実習試験、バッチリ出来た。○○氏が、「今まで勉強してこなかったから苦労する。勉強しとかんといけんかった」と言った。彼は、以前、勉強しないことを正当化しようとしていたが。
○専門2年、12月21日(菌)曇。
 病理1が合格していた(12月20日に、病理2が合格していた)。これで、やはり、細菌学だけが残った。
○専門2年、1月13日(日)晴。
 恵ちゃんにコンパクトを買ってあげた。3200円だった。とてもいい感じのコンパクトだった。一生持ってくれるかも。(そのコンパクトを後生大事に使っていて、結婚後数年して、きたないコンパクトを使っていたので、何でこんな汚いのを使っているのかと思ってよく見ると、かって自分のプレゼントしたものだった。表が剥げて、ボロボロだったので、もう使わないでとお願いして、やっとお払い箱になったが・・・)
○専門2年、1月19日(土)晴。
 細菌学の追試があって、教授のは、どんなに辛くても、半分は出来たし、助教授のは、8割以上、講師のも、8割以上取れたと思う(前回よりも、問題数が倍程になっていた。問題数が多くて、オーソドックスな問題だと、自分の場合、よく出来るのだが・・・)。
○専門2年、2月5日(火)曇。
 細菌学、やはり合格していた。やはり、努力は、完全に報われた感じだ。今から、マイペ一スで、又、勉強して行けるかと思うと嬉しい。
○専門2年、2月14日(木)晴。
 もうこんな感じで言うのはやめようかなあ。大学生は、自分でする、講義は、最低限。こんなこと言ってしまったが、誰も同意してくれない感じだった。俺は俺なりの哲学がある。医者は人の命を預かる。勉強しないことを正当化しようとする奴がいる。患者が死んでからは遅いんだよ。勉強しなくなった時、俺は、聴診器を捨てなければいけない。俺は、もうすぐ5年(専門3年)。
○専門2年、2月15日(金)雨。
 ○と○と三人で鹿児島市立病院産婦人科に行った。外西部長に会って、3月11日~16日まで、ここで実習されてもらうことになった。予習をしていかないといけないなあ。聴診器が欲しいなあ。


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飛ぶ鳥 後を濁さず

2007-03-28 07:26:42 | Weblog
 3月で病院を辞める先生、どこの職場でも、この時期は多い。そんな時、人生の区切りとして、どうあるのが理想的なのだろうか?
 佐伯の初代理事長西田茂先生は、辞める職員に対して、「又、都合が付いたら、ここで就職して下さい。お願いします。」と頭を下げて言われていた。それを言われた職員は、病院に不満があって辞める人も皆、その一言に感動していた。正に、ここに西田哲学があるなあと思っていた。
 ある病院では、経営上、職員を突然解雇する理事長もいる。そんな病院は、職員も、突然、辞めているケースが多い様に思う。円満に双方が納得して、退職する感じがいいと思うのだが、実際は、なかなか難しい様だ。
 私が今勤めている病院では、出戻り組が多い。アチコチ行って、ここの良さを知った感じのドクターが多いのだ。
 ドクターにとっていい病院って、どんな病院なのだろうか。やはり、第一の条件は、自分が納得する医療が出来ることだと思う。使いたい薬が使え、自分がいいと思う医療が出来る職場だと思う。が、この経営難の時代では、多くの病院でそれが、難しくなっているのは確かなこと。今は、私的な病院だけでなく、公的な病院でさえも、トップ命令で、点数を上げよとの至上命令が下る。医は算術でなく仁術であるはずなのに。
 ここでは、誰からも言われることなく、自分の医療が出来ている。小児科の特殊性もあるかも知れないが、痛い検査も最小限度でしかしないし、レントゲン写真も、あまり撮らない。原則的に、咳止め、鼻水止め、下痢止め、熱冷ましの西洋医学の薬は、使用していないし、抗生物質が必要な人も、5人に1人もいない程度で、それも、ペニシリン系やセフェム系などの強いのは、膀胱炎や溶連菌やとびひなど、細菌感染だとはっきりした疾患でない場合以外は、殆ど使用していない(今は、昔と違って、溶連菌の検査もアデノウイルスの検査もインフルエンザの検査もRSウイルスの検査もロタウイスルの検査も、外来でいとも簡単に出来る)。それでも不思議なことに、困った感じもない(しばしばウイルス感染や細菌感染になる人には、それなりに、漢方薬を与えているが)。
 しかし、漢方薬は、バシバシと使用している。もう、2年近くにもなると、住民の人からも信頼されているのか、漢方薬も、抵抗なく飲んでいる様だ。使い方で自信がない時は、中医学の先生が定期的に来院しているので、その時に相談している。周りに開業医がいないので、長期にフォローが出来ている。自分なりに、楽しく統計を執りながら小児の救急医療が毎日出来ている。点滴は、ベテランの看護師がしてくれる。
 自分の好きな講義も講演も出来、演奏も出来(依頼が多くなりつつあるが)、医学の勉強も、たっぷりと出来ている。ただ、郷里に帰れないのが難点だが、地理的条件で、それは致し方ないこと。
 今、ここで、還暦を迎えるまで、(趣味力、医学の基礎力、教育力を)充分に充電出来ると思っている。


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為になるかも知れない本(その53)

2007-03-28 07:01:03 | Weblog
○専門2年、10月15日(月)晴。
 井形先生(三内教授、元学長)が、E・ボルハイム教授の講演でドイツ語通訳をした。あの先生は、決していばらない。なに、研究にしても診療にしても教育にしてもオ一ルラウンドで、凄い実力だ。実力のある人はいばらない。本当に立派だ。井形先生って本当に素晴らしいなあ。僕はあんなにはなれない。いくら頑張っても。ただの教師としてそれなりに立派になりたい。自分は一体これからどうなるのかなあ?
○専門2年、10月22日(月)晴。
 薬理学の合格発表があった。34人合格していた。(衛生学と細菌学が不合格だったので、非常に嬉しかった。衛生学と細菌学が共に合格した人は、わずか3人だった)。
○専門2年、10月24日(水)晴。
 医動物学が合格していた。50人合格していた。
○専門2年、10月26日(金)曇。
 小児科の講義があった。期待していた小児科。俺は本当に将来小児科医になるのかなあ。出席の取り方が厳しかった。将来進む道は、小児科か内科か精神科か脳神経外科だなあ。この4つの内のどれかであることだけは、確かかな?!
○専門2年、10月29日(月)晴。
 東大名誉教授の吉利和先生の講演があった。冴えていた。とても偉いのに、頭が低くて、話し易い感じだ。クリスチャンなのだ。
○専門2年、10月31日(水)晴。
 柴田進先生の講演を聴いた。先生は、川崎医科大学の内科の教授(元、学長)なのに、全く偉く見えないのが、実に偉いと思った。先生は、日曜日が一番楽しいと言う。普通の日はとても忙しくて自分のしたい勉強が出来ないが、日曜には、それが出来るからだと言う。ある学生が、「自分は人と付き合うのが下手なので、どうしたらいいでしょうか・・・」と変な質問をして皆からドッと笑われたが、先生は、「私はとんと人との付き合いが下手で、母から、お前みたいな人間の結婚相手は、一体どんな人になるのか相手の顔が見てみたいと言われたくらいで・・・」と真面目な顔をして言われたので、爆笑だった。この先生の言われる様に、医学教育に関しては、どこの大学も差があってはいけないと思う。差は、研究だ。○氏が、外国に行くと学歴が関係ないと言う。アメリカに行くべきかなあ。要は実力だ。

*以下は、柴田進先生に、私の著書「続・為になるかも知れない本」を贈呈した時のその返事の内容である。
・・・最初の頁(P11)から最後の頁(P319)まで一気に(三日ほどかかりましたが)読ませていただきました。正に私の「為になる本」でした。先生がこの様に物をせっせとお書きになるのは、天性の資質に恵まれていらっしゃるからだと思います。・・・先生の「大学入試の改善について」は、私が常々考えていました見解と同一で愉快に感じました。・・・・

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看護師国家試験100%合格

2007-03-27 16:49:09 | Weblog
 96回看護師国家試験の発表があり、上天草看護専門学校、久々に、現役100%達成。残念なるかな、昨年の不合格者4名の内、2名が涙を飲む結果となってしまった。
 受験後に、現役が答え合わせをして、全員が70%以上取っていて、楽勝ムードであったが、その通りとなった。
 しかし、看護師さんは、医師と同じで、卒業してからが本当の勉強なのだ。
 発生学を1年生に3回、私が教えることになった。又、今まで以上に、生化学と免疫学を講義でしっかりと教えようと思う。
 応用力が付いていないと、ものにならない。その為には、基礎力が大切で、その基礎を理解する為には、発生学と生化学と免疫学がどうしても必要と思われる。それも、看護師さんの場合、臨床と結ぶ付いて理解していないと意味がない。
 4月から、又、講義が始まる。その為のスライドがどんどん出来ているが、まだまだ、自分の納得の行くのには、ほど遠い。
 来年も、100%目指して、教えるつもりである。自分なりに、不完全ながらも、教えて来ただけに、現役100%合格は、やはり嬉しい。


上天草看護専門学校
看護師国家試験合格率の状況

    期 生 現 役 既 卒 合格率 全国合格率
92回 24期生 40/41  5/5  97.8%  92.6%
93回 25期生 42/42  1/1  100%   91.2%
94回 26期生 37/40  0/0  92.5%  91.4%
95回 27期生 36/40  3/3  90.7%  88.3%
96回 28期生 38/38  2/4  95.2%  90.6%

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為になるかも知れない本(その52)

2007-03-27 07:31:23 | Weblog
○専門2年、7月19日(木)晴。
 山村雄一(阪大学長)先生の講演を聴いた。素晴らしい講演だった。終始ニコニコされている。先生の書かれた病理生化学の本に今まで以上の愛着心を持った。
○専門2年、7月30日(月)雨。
 夕方病理解剖があった。その後、病理学教室で夜の9時までビールをご馳走になった。患者さんが亡くなると直ぐに解剖をしないといけない為、病理医は大変だなあ。
○専門2年、7月31日(火)雨。
 久し振りに早く帰った。夕方6時に。
○専門2年、8月2日(木)晴。
 彼女の両親と彼女の弟さんが住んでいる家に行った。鹿児島からバスに揺られて1位時間で着いた。田舎で、外でニワトリがコケコッコ一と鳴いていた。床が傾いていて、歩くとミシミシときしむ音がした。(自分の両親から、まず、付き合う前に親に会うことと言われていた。特に、将来、娘はその母親と似てくるので、どんな母親かを知ることが先決と言われていたので、その忠告通りに、まず、両親に会った。父親は、組合のすごく強い中学校の教頭先生で、母親は、かって教員をされていて、彼女に似て、物腰の柔らかい優しい感じの人だった。僕は、彼女の家族から気に入られているなあと思った。)
○専門2年、8月4日(土)曇。
 H(同級生)は、卒後宮崎に行くと言う。僕もそうしようかなあとも思う。宮崎に今度新しく医大(宮崎医科大学)ができるし、そこの小児科に入局して、内科も出来る医者になりたい気もする。どこにいても、しっかり勉強続けることだなあ。実力、これが最大の武器だなあ。
○専門2年、8月6日(月)晴。
 11時50分のにちりんで、彼女と一緒に佐伯に帰った。母が、「性格がとてもいい娘だ」と言った。長兄とその子どもも佐伯に帰っていて、アデノウイルス8型になっていた。うつらなければいいが。
○専門2年、8月7日(火)晴。
 朝、浅海井の方まで、長兄が運転してくれて、見て回った。彼女は、景色の良さにビックリしていた。帰る時に、母が、「正英さん、(彼女は)上出来だ」と言って、ニコニコしていた。
○専門2年、8月10日(金)晴。
 一日中、図書館でよく勉強した。Kが、細菌学の教授の英語のプリントを日本語版にして、ノ一トにきれいに整理していた(細菌学の教授の授業内容は、極めて難解で、試験も、ある年には、1回目の試験で、1人しか合格しない時もあったとか)。
○専門2年、8月12日(日)晴。
 巨人が5連勝した。王さんはすごいなあ。5時に起きて(夜の)9時に就寝、規則正しい生活が大切だ。
○専門2年、8月18日(土)晴。
 日曜にどこか勉強させてくれる所ないかなあ。冷房が効いている所は。家では暑さで、勉強があまり進まない。朝起きたら、近頃、体がとてもだるい。運動もしたいなあ。
○専門1年、8月23日(木)晴。
 帰ったら恵ちゃんが食料を持ってきてくれていた。助かる。メシがあったら、そして、僕の大好きな玉子焼きがもっと多かったらもっと良かったかなあ。彼女が僕の家に(僕が来いと言わないのに)積極的に来たのは、これが初めてだなあ。本当に僕の彼女になった感じがしないでもないなあ。勉強も、頑張らないと。
○専門2年、9月8日(土)晴。
 今日で夏休みに入ってからの6つの試験が終わるかと思うと嬉しい(生理1・生理2・薬理・衛生・医動物・細菌)。自分でもよく頑張ったと思う。あと、病理学と受けたくないが、追試だけか(基礎医学では、細菌学と衛生学の追試をそれぞれ1回受けてしまったが、2回目には、無事合格し、最終試験には幸いに逃れた。最終試験に残らなかったのは、わずか13名でしかなかった)。

*医学部専門課程に入ると、多くの人が秀才から鈍才になってしまっていた。大学入学当初には、(二期校コンプレックスでか)ここにいる様な器でなくてもっと上にいる人間だと周りに豪語していた人が沢山いたが、今では、完全にそんな人は皆無になっていた。
 当時の鹿児島大学医学部の場合は、留年に関しては、学年毎に留年することはなく、教養2年から専門1年に上がる時と、専門2年から専門3年に上がる時と、最後に、卒業する時の3回だけであった。専門3年では、試験は、1ヶ月余に渡る臨床科目全部の「概説試験」だけで、専門4年では、試験は、約2カ月にも渡る臨床科目全部の最後の「卒業試験」だけであった。


○専門2年、9月24日(日)晴。
 一日中、寝ていた感じ。お金がないので、教養部まで行ってメシを食べた。
○専門2年、9月24日(月)晴。
 半ズボンのポケットを見たら、幸いなことに、500円札があった。これで例の所で250円の定食を食べることが出来た。お金はまだ来ない。国鉄のストの影響と連休のせいだ。

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為になるかも知れない本(その51)

2007-03-26 07:01:31 | Weblog
○専門2年、6月24日(日)晴。
 一日中、(ギャノングの)医科生理学展望をした(現在、22版にもなって、今でも、しばしば利用している)。生理1の範囲は、終えた。生理2の範囲が少し残った。(生理1の授業では、ガイトンの教科書を使用していた)。生理学の面白さがやっと試験前に分かった。
○専門2年、6月28日(木)晴。
 医科生理学展望の教科書が終わった。長かったが、一応、読み上げた(色鉛筆で色分けをした)。この本は、実に面白い本だなあ。
○専門2年、7月10日(火)曇。
 生理1の試験があった。西村助教授のは、いい問題だったが、教授のは、重箱の隅をつつく様なのばかりで、あまり出来なかった。何故、もっとオ一ソドックスに出さないのだろうか。沢山落として、自分の権威を見せつける為?問題を見ると、その出題者の性格がよく分かる感じだ(結果は、意外にも合格、わずか14名が合格)。
○専門2年、7月11日(水)晴。
 とうとう生理2の試験があるなあ。実験でした筋電図と脳波と心電図も出るかも知れないなあ。論文のレポ一トも、実験のレポ一トも、自分としては、満足するべきものでない。ペ一パ一で、頑張っておかないといけない(59点でも、落とすとの噂が広がっていた)。
○専門2年、7月13日(金)晴。
 生理2の試験があった。オ一ソドックスな問題ばかりで、問題数も多く、授業で全く教わっていない所も、まんべんなく出た。どんなに辛く見ても、60点は確実に取っているかな。

 生理2の試験の結果は、合格。発表された日の掲示板の前は、まるで大学入試の合否を見る風景だった(半分の人が合格していた)。

*7月17日~7月31日まで、第2病理学教室に通った。いい医者になる為には、内科系は、生化学、外科系は、病理学が強くないといけないと、生化学の助教授から言われていたから。病理をみっちりとしてきた有能なる外科医は、肺のレントゲン像を見ただけで、その異常陰影の病理像が、macro(肉眼的)にも、micro(顕微鏡学的)にも、直ぐに頭に浮かび、肝癌の患者さんの肝臓を触診しただけで、開復しなくても、表面の形はもちろん、硬さから割面の色や匂い更には、顕微鏡下の像まで思い浮かべることが出来るとのこと。
 前の年と同じ感じで、夏休みは、日曜以外は夜遅くまで、涼しい医学部図書館で、ぶ厚い本を読み上げることに専念した。


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