日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

学校教育・・・

2016-05-31 09:59:17 | Weblog
 ケーブルテレビで、ある小学校の入学式が紹介されていました。

 校長先生が、新しく入学した1年生に、「3つの大切なこと」を話していました。

1、挨拶ができること。・・・「おはようございます」、「こんにちは」、「ありがとうございます」が大きな声で、しっかりと言えること。
2、車に気を付けること。・・・横断歩道では、右左とよく見て、信号が青になっても、車が来ていないか、よく確かめて、渡りましょう。
3、人の話をしっかり聴きましょう。・・・相手の方を向いて、相手の目をしっかりと見て、相手の話を最後までちゃんと聴きましょう。
 と言われていました。

 小学校の健診で、1年生から6年生まで診察すると、学年で、その対応の違いに驚かされます。一番礼儀正しいのは、1年生ですね。しっかりと頭を下げて、名前を言って、お願いしますと言い、終わっても、しっかりとこちらを向いて、礼を言って、下がりますね。学年が上がるにつれて、それが薄れる感じですが・・・。

 大人はどうでしょうか?
 挨拶が出来ない大人、いませんか?目を見てあいさつしない大人いませんか?心を込めてあいさつしてない大人いませんか?形式的に挨拶してる感じで、笑顔のない大人、いませんか?
 スマホ片手に横断歩道を横切ったり、赤信号でも渡ったりする大人、いませんか?
 聴く耳を持たない感じで、相手の話を最後まで聞こうとせず、自分の主張ばかりをする感じの大人、いませんか?

 今回の地震で、ある親御さんが言われていましたが・・・「いや、子どもって、凄いです。園で言われた様に、地震があると、直ぐに、食卓の下に身を置くんですよ。教育って、凄いですね・・・」と。

 、
 私も、子どもの模範になれる様に、いい大人になれる様に、努力したいと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・67歳・・・

2016-05-30 16:44:20 | Weblog
 今から、したいこと・・・?!
 以前は、自分で決めたことを、是が非でもしようって感じになっていましたが、今は、そう出来ればいいけど、出来なくても、まあ、いいかなって感じになっていますが・・・。

1、茶道・・・今も、年に1回、上天草看護専門学校の文化祭で、亭主になって、お茶を点ててはいますが、こんな感じで、立礼(りゅうれい)なら何とか出来るのですが、座って正座となると、膝が痛くなって、もう、出来ないですね。
https://www.youtube.com/watch?v=2k4uTIWoJNE
2、独りボランティア演奏・・・1時間で、篠笛・和太鼓・ハーモニカ・手品の4本立てで、主として、老人施設で演奏させて頂いていいますが(海外でも)、次第に、きつくなっています。和太鼓以外は、きつくないのですが・・・。要請があれば、まだ、アチコチで演奏したい気持ちは、ありますが・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=_nL5CfwvaCs
3、太極拳・・・(8年間ほどしていたのですが)又、機会があれば、したいです、出来れば、太極剣も。
4、本出版・・・本を2冊既に出版しているのですが、最後に、3冊目の「続・為になるかも知れない本(下)」を出版したい気持ち、少しあります。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN11800161
5、多国語・・・実践が伴っていないので、もっと、海外旅行をしたり、外国の人と接して、生きた言葉を覚えたいです。
https://www.youtube.com/watch?v=xicFFRcHLss
https://www.youtube.com/watch?v=t6PaZFL6khI
6、ブログ・ユーチューブ・・・まだ、続けています。以前ほど頻回ではないですが、今も、時々、書いたり入れたりしています。もうしばらく続きそうです。
http://sousei65.blog.fc2.com/
(平成28年6月31日現在、ユーチューブに、1.827件、入ってます。)
7、看護学校講義・・・100分を年間25回(以前は、30回していましたが)、これは、私にとっては、(毎回、試験をするので)時間をとても取るのですが、自分の為の趣味的意味合いが強いので、まだまだ、出来そうですが・・・?!
8、時間外診療・・・60歳代までは、何とか出来そうですが・・・。
http://sousei65.blog.fc2.com/blog-entry-174.html?sp
9、旅行・・・体力のある内に、悔いのない様に、行っておきたいです。先々の行先の予定は、既に、立てているのですが・・・。
10、お話・・・先々、子ども達に、尊敬されるおじいちゃんになりたいです。そして、(生きていく上で、本当の知恵の付く)お話をしたいです。

追加です→
11、お茶を又始めたら、機会があれば、陶芸をしたいです。自分の作ったお茶碗で、差し出したいです。
12、熊本城が元の状態になるまで、元の姿になるのを確認できるまで、生きていたいと切に思います!
 




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

67歳・・・

2016-05-30 09:35:42 | Weblog
 昨日(28日)で、満67歳になりました。
 68歳になると、70歳にすごく近くなったと感じます(?)が、67歳だと、まだ、60歳代の元気な時って感じになっているのかな・・・?!
 同級生の多くは、年金生活か、仕事をしていても、もう、がむしゃらに働くのではなく、それなりに働いている人が多いのですが・・・自分の場合はどうかなあ。
 気になっていた私の子ども3人は、3人共、いい伴侶を見つけて、それなりに人生を味わっているみたいだし、ずっと10年以上、認知症で苦しんできた私の母も、父と同じあの世に行ってしまいました。
 何か、久し振りに、リセット出来た感じで、次は、まだ、ずっと先と思いたいけど、私の番になるのかなあ、まだ、そうあって欲しくないなあ、何てことを考えないこともないけど・・・私の葬儀も、母の葬儀と同じ感じでしてもらいたいなあ・・・。
 まあ、既に、子ども3人には、(同じ内容で)フラッシュメモリーを渡して、それには、私が子ども達に言いたいことが沢山書かれ、又、家族の写真なども入っていますが・・・。
 後、何年生きられるか、誰にも分らないし、又、今している仕事がいつまで続けられるかも、私にも分らないけど、まあ、70歳になるまでは、何とか、このままで行きたいなあ・・・。
 目が疲れるし、本が長く読めなくなっています。少し運動すると、息切れがします。血圧も、ストレスで時々上がっていますが、今の所、何とか、コントロール出来ていますが・・・。
 朝と夕方に血圧をそれぞれ、右2回、左2回測っています。体重も、多い時は、1日4回も測っています。食事にも、充分気を付け、睡眠も、熟睡を心が掛け、寝る前に入浴を楽しみ、運動も、1日5000歩以上を心掛けています。そして、体重や血圧や歩いた距離や歩数など、毎日、記録していますが・・・。
 それに、気の持ち方に、気を付けています。カッとなると、血圧が上がるし、相手の人に対しても良くないので、ムキになって怒らない様にしています。出来るだけ、笑顔で、平常心(平静なる心)でと思っています。それに、ネコ背にならない様に、姿勢に注意しています。
 まあ、今から注意すべき点は、「健康管理」と「整理整頓(どんどん物を少なくして、最後は、風呂敷1枚にまとめられるぐらいに)」ですね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太鼓の威力・・・

2016-05-26 16:11:35 | Weblog
 平成28年5月26日(木)、14:25に病院を出発して、いつもの保育園の定期健診に行きました(年に、春と秋の2回あり)。
 1週間前に行った保育園では、小さな太鼓を持って診察前に打ったのですが、年長組は、上手く行ったのですが、年中組と年少組は、診察前からずっと泣かれて(それも何重奏もの大泣きで)、太鼓の音が完全に打ち消されてしまいました。と言うのも、バチを持って行かなくて、手で打ったので、太鼓の音が小さかったからです。
 で、深く反省して、今度は、バチを持って、診察前に、高らかにどのクラスでも打ちました。
 年長組では、演奏が終わると、「お見事!」と言う児がいて、ホント驚きました。次々と診察している間にも、診察を待っている子どもの中には、私の太鼓を打つ時の手の動きの真似をしている子もいました。
 で、年中組も一人も泣かず、年少組では、ダメだろうと思っていたのですが、診察直前に独りだけ泣いただけで、済みました。
 太鼓仲間でよく言われることですが・・・→ドンドンと大きな音を出して太鼓演奏をしていると、赤ん坊がスヤスヤと眠ってしまう現象が起きますが、これは、お腹にいた時、心臓の音を思い出しているのではとのことですが・・・?!
 兎に角、こんなに保育園児が健診で泣かなかったこと、初めてで、園長先生も驚いていました。
 今、龍ケ岳町の3つの保育園では、年長組だけ、太鼓の練習をしているそうで、年に5~6回、運動会や老人会で披露しているとのことです。年中組も年少組も、太鼓の音をいつも聞いているので、皆、馴染みの音なので、好きなはずとのことでした。
 診察後、いつもの様に、手作りのお菓子をごちそうになりました。
 とても楽しかったです。
 ありがとうございました。秋は、何をしようかなあ・・・。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

報道とのズレ・・・

2016-05-26 09:28:23 | Weblog
 「熊本地震」、次第に余震の回数が減少しつつある様ですが・・・。
 気象庁の発表では、熊本・大分の地域だけに限れば、
・5月22日(日)・・・震度1が9回、震度2が2回、震度3が1回、総計12回。
・5月23日(月)・・・震度1が8回、震度2が1回、震度3が1回、総計10回。
・5月24日(火)…震度1が7回、震度2が0回、震度3が1回、総計8回。
・5月25日(水)・・・震度1が7回、震度2が2回、総計9回。
・5月26日(木)・・・震度1が2回、震度2が1回。(但し、9:00まで)
 4月14日から続いているので、この調子だと、数カ月はありそうですが・・・はっきりしたことは、誰にも分らない感じですが・・・?!
 前は、震度1は、画面に出てこなかったんですが、今は、毎回出てきます。震度3になると、大きく報道される感じです。地震報道って、却って、不安を煽られる感じになっていますが・・・?!
 舛添さんも、非を認めて直ぐに辞任するのかなと思っていましたが・・・時間が経過すればする程、評価が益々下がると思うのですが・・・?!
 北朝鮮、核実験しません・・・いいことです・・・問題が複雑ですが、北朝鮮の多くの民衆の感覚は、まともではと私は思っているのですが・・・。
 アメリカの大統領オバマさんが、広島を訪問します。とてもいいことだと思います。
 彼に、広島に来て、現実を見て欲しいと言う人は、とても多いのですが・・・誤まって欲しいと思う人の割合は、そこまでは思わない人の割合よりも少ないんですね。日本人って、いつまでも根深い争い事、嫌なんですね、許す気持ちがあり、寛容なんですね。
 真珠湾攻撃をした人(パイロット、今は故人となられていますが・・・)と一緒に、ホノルルに行きましたが(私の故郷佐伯市は、ホノルル市とは、友情都市の関係になっていて、その調印式の時に、私も参加して、調印の前に、篠笛でさくらと荒城の月を演奏しましたが・・・)、その元パイロットの人が言われていましたが(その親族からの話ですが)、「昔の敵だから、行けば、どんな仕打ちを受けるか分からない、殺されるんじゃないか・・・」って感じで、ホントに行く前にとても心配していたそうですが・・・(←全く、そんなことはなく、大歓迎して頂けましたよ)。
 しかし、現実には、全く逆なのです。あの当時、日本に投下された無差別の核と違って、今は、日本の真珠湾攻撃は、民間を全く狙ってなく、ピンポイントで、実に素晴らしかったとの称賛が、現地の人からされる様にもなっているのです。
 私も、バングラデシュの首都のダッカに行った時、多くの人から尋ねられました、「日本って、核を落とされているの、何故、アメリカを嫌っていないの?何故、何故?ホントにアメリカ、嫌っていないの?」って感じで。

http://blog.goo.ne.jp/221414/e/d0ac1295b34943c666c1f129f453b69f 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余震数が、減少傾向にありますが・・・

2016-05-24 15:21:47 | Weblog
 余震数が次第に減少傾向にありますが・・・。
 熊本・大分県の余震数は、気象庁発表によると、22日が12回、23日が10回、そして、今日(24日)は、8回となっていて、減少傾向にありますが・・・。
 1か月を超えて、余震が続けば、かなり、彼方此方に溜まったひずみが取れて、大きな地震が起きにくくなっていると考えるのは、どうなんでしょうか・・・?!
 先のことは誰にも分らない感じですが、時間は掛かりそうですが、収束の方向に進んでいるかと思いますが・・・?!
 でも、日本列島、沖縄から北海道まで、彼方此方で、震度1~2の地震が頻回に起きているので、熊本・大分以外の新たな地震の可能性が、正直、少し気になりますが・・・?!
 専門家の意見を尊重してきていて、今まで、予測が当たってなかっただけに、南海トラフのひずみで大きな地震、どうなんでしょうか・・・?!
 何はともかく、災害時の最低限のそれなりの準備は、必要ですね。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿児島・・・

2016-05-20 08:42:37 | Weblog
 平成28年5月13日(金)、佐伯を発ち、鹿児島に行き、2泊しました。
 13日は、家内の母親のお見舞いに行き、14日は、観光バスに乗って、「磯庭園」と「石橋記念公園」を散策し、夜は、19時からの「夜景コース」を利用して、夜の鹿児島見学をしました。
 「磯庭園」、これで、2回目ですが、1回目は、大学卒業前後でしたので(家内と一緒に来ていたと思うのですが、(素晴らしい景色よりも家内の方に注意が行っていたのでしょうか?!)どんな景色だったのか、殆ど覚えていませんでした。
 「磯庭園」の「御殿」をガイド付きで、8人ほどで回った時に、台湾の若い女性1人いました。で、「日本はどうですか?」と中国語で尋ねると、「ヘン・ハオ」と言われ、私が、台北に行ったことがあると言うと、逆に、「どうでしたか?」と尋ねられ、私も、「ヘン・ハオ」と言って、少し会話が出来ましたが(英語交じりで)・・・。彼女は、東京、大阪、そして、北海道に2回も行き、今回は、九州の鹿児島に来ている様でした。リピーターが多いんですね。
 録画は、夜景コースの時のものです。

https://www.youtube.com/watch?v=Hg5eSGpZQEs
https://www.youtube.com/watch?v=LrZywg9k46Y
https://www.youtube.com/watch?v=f192Y6yzKTY
https://www.youtube.com/watch?v=R8xfbpThr3U
https://www.youtube.com/watch?v=XRoYJhp_3VM(城山から)
https://www.youtube.com/watch?v=1emHM4-pi4Y
https://www.youtube.com/watch?v=Ari7sdZidSo
https://www.youtube.com/watch?v=nMa9zlC-YHU








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・母のこと・・・

2016-05-19 08:32:09 | Weblog
 当たり前なことですが、私の生き方も、そして、私の兄弟だけでなく、私の子ども達も、母の影響を強く強く受けていると思っています。
 母の母が「天理教」の信者だったせいでしょうか、母も、「天理教」を信じていました。皆が一番嫌がってることを他人の為にするのが、一番大切だと言い、「トイレ掃除」の大切さをしばしば説いていました。それで、「たはら小児科医院」の「トイレ掃除」を、職員の代わりに、次女と息子にさせていました。
 「(19床の)たはら医院」開業8年半は、母が入院時の患者さんの食事と、その付き添いの食事と、私の食事を、母が中心になって、作ってくれました。入院が多い時でも(多い時には、1日に20人以上も)、笑顔で作ってくれました。子どものおやつも、上手に作ってくれて、好評でした。それに対して、「ありがとう。」何て、私は、一度も言ってきませんでしたが・・・今、言わせてもらいます。「遅くなりましたが、お母さん、本当に、ありがとうございました。」
 母は、私が経営上、上手く行かなくなって、「たはら小児科医院」を止む無く閉院する時も、悲しい素振りは、決して見せませんでした。私が、(20年間ほど、救急中心の小児医療をした)佐伯から離れる時も、笑顔でした。「物事の進行は、それが、天の理!」と、言ってくれました。「(開業の時に得た)趣味(茶道・書道・和太鼓・篠笛・多国語・太極拳・仕舞など)は、お金は貯まらなくても、それだけでも、儲けたなあ!」と、笑って、言ってくれました。
 母は、「笑顔に勝る化粧なし。」と言い、人と接する時の「笑顔」の大切さをよく説いていました。又、傍(はた)を楽にさせる為に「働く」と言い、「働く」のが自分より他人の為だと、よく説いていて、「喜んで仕事をしなさい。」と言っていました。大分県立病院の外科で働いたり、結婚前は、佐伯市の西田茂院長の産婦人科で、手術に関わったりしていました。私が物心が付くようになってから、母のクヨクヨ悩む姿を見たことがなく、「悩んでも仕方ない事は、悩まないことにしている。」と、よく言い、思ったら直ぐに実行するタイプの「肝っ玉お母さん」でした。
 母は、父と結婚前、ナースの仕事を活かす為、独りで、寒い時期に、船に乗り、韓国に渡り、釜山から開城を経由して、ロシアに近い北朝鮮の羅津まで、行っています。40歳頃から、仕事で、遠くまでよく行っていました。遠いから、着くまで大変では?と、私が尋ねると、「途中は、眠っているから、目が覚めたら、直ぐ着く・・・」と言っていました。私と違って、何処でも、直ぐに眠れる得意技の持ち主でした?!

「母の遺レシピ」・・・「サラサラデールの作り方」
・材料 アロエ1Kg+黒砂糖800g
 アロエをきれいに水で洗い、ミキサーかカッターにかけて液状にする。なるべく厚い(焦げ付かない為に)ナベに入れて黒砂糖を入れ、火にかけて、沸騰したら弱火にする。時々かき混ぜて、焦げ付かないようにする。途中アクを取り、アメ状になるまで煮つめるのがポイント。バットにポリ袋を敷き、煮つめたアロエを流し入れて固める。少し温もりのある時に、包丁で、約1.5cmに切り目を入れて、ハサミで切り、それをきな粉でまぶす。
 1日に1~2個、美味しく頂くだけで、お腹スッキリ(副作用として、ガスがよく出ます)、よって「サラサラデール」と名付けました。
(たはら小児科医院 調理室より)

*私の勤務している病院では、当院薬剤部の協力の元、長期に熱が続くアデノウイルスなどの時(熱証)に、解熱効果のある座薬(黄連解毒湯)や、ウイルス性急性胃腸炎などの時に嘔吐や嘔気を止める制吐効果のある座薬(五苓散)を作成して、救急外来で、しばしば重宝しています。

*建物の写真の左の(屋根が緑の)建物が、19床のたはら小児科医院。
薩摩藩の島津家の○に十字を入れたのに似せて、たはら小児科医院のマークを作っていました。(赤色・・・救急、水色・・・誠実、ピンク色・・・寛容、黄色・・・感謝。)





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母のこと・

2016-05-18 08:26:55 | Weblog
 「母のこと」と題して、私が過去に書いたそのままの内容です。平成11年3月18日発行の「たはら小児科月報101号」での記載内容です。

 私の記載の中には、母のことは、殆ど書いていません。その母について、少し述べます。
 母は満77歳で、一人暮らしですが(私が、しばしば、様子を見に行っていますが)、血圧が高いだけで(薬で、うまく調整できていますが)、とても元気で、実際の歳よりも10歳以上(?)若く見えます。夜は、一人で、30分ぐらい、美容体操をしています。
 夜12時に寝ると、朝、5時に目が覚めます。夜1時に寝ると、6時に目が覚めます。1日5時間寝れば、睡眠時間はもう要らないと言います。
 昔から、生き方として、考えても、どうしようもないことは、考えない事にしているそうです。又、日頃の行いがいいと、皆に迷惑を掛けないで苦しまなくて死ぬことになっていると言います。
皆に迷惑を掛けない様に、コロッと死ぬことが出来る様に、いつもお祈りをしていると言います。
 亡くなった父は、枕元から懐中電灯を離さず、ちょっとの音でも起きる感じで、神経質だったのですが、母は、全く反対。ぐっすり眠るタイプで、近くで火事があって、凄くうるさかったのですが、本人、全く気付いていませんでした。 (長い針が、足に刺さって、骨に突き刺さっているのですが、それも、後になってレントゲンを撮って気が付いている程です)。
 で、毎日何をしているかと言うと、料理に凝っています。それこそ、365日、目が覚めている間、没頭している感じで、作ったモノを近所の人に、配り歩くので、周りの殆どの人が食べています。食べた人から礼の電話でもあると、凄く喜んで、どんどん持って行きます。私の息子は、褒め上手で、電話で「今日のは、特に美味しい。婆ちゃんのは、日本一美味しい.。」何て言うものだから、かわいい孫の為となると、ニコニコして、一生懸命作っています。
 関心のあるのは、もっぱら、料理だけって感じで、最新の本を見て、ファイルにも綴じ、佐伯市立図書館に行って、最新の料理の本を置いてくれる様に頼む程で、常に研究しています。「料理で、肝心な所は、本に書いていない。自分でやって見るしかない。」と口癖の様にいつも言っています。
 子ども達がどうしているのか、それには、あまり関心がない様で、マイペースで生きている感じで、私の太鼓を見に来たことも、私のお点前を見たことも、なし。私の月報も、あまり、見ようとしないのですが、篠笛だけは、聴いてくれます。
 料理は、息子の私が言うのもなんですが、ピカ一って感じで、佐伯市主催の料理の大会でも、個人で賞を獲得し、アチコチから講師の依頼がある程。和食が中心ですが、ゴマ豆腐から、クッキー、ケーキ、干菓子まで、更には、アロエと黒砂糖で便秘の薬まで作って、サラサラデールと言う名前まで付ける程の懲り様。
 作り上げる時間に凝り、材料に凝り、遠くから食材を取り寄せます。例えば、茶は、鹿児島から、海苔は、東京からって感じです。
 多くの人から、「旦那さんがいなくて寂しくなったでしょう?」と言われると、「何の、忙しくて、それどころじゃない。」と言っています。
 娯楽は、朝のNHKのドラマと、昼1時から2時まである民放のドラマを見るだけ。しかし、結構、政治にも関心がある様で、国会討論の様子を見たり、市政モニターになって、市の議会の見学にも行っています。
 楽天家で、冗談も、よく言います。私が、「お母さんの髪の毛が入っていた」と言うと、「針は、入っていないはずだから」と言い返されましたが。
 天理教を信じ、「傍を楽にさせる為に、働く。」と言います。
 「女はすぐカッとなるから、火、男はそれを鎮めるから、水。」
 「女は、亀の様に、自分の我を通すことなく、耐えることが出来る様に。男は、鶴の様に、大空を飛ぶ感じで、物事を大きく捉えて、こせこせせずに、ダイナミックに、格好良く生きること。」
 「自分のものは、魂だけで、残りは、全て神様からの借り物。死んだ時には、借りた肉体を返すだけのこと。魂は、いつも存在して、又、生まれ変わって来る。」
 「一番尊いことは、他人を喜ばせること。一番いけないことは、高慢であること」と言います。

*写真は、平成21年3月15日(日)、長兄の次女の結婚式でのもの。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがとう、お母さん。

2016-05-17 09:46:47 | Weblog
 母が、満94歳で、亡くなりました。大往生でした。
 5月6日(金)の早朝に亡くなり、8日(日)の「母の日」が、葬儀でした。葬儀の日は、母の満95歳の誕生日でもありました。
 5月6日(金)の深夜1時前に、未熟児が生まれ、直ぐに、病院に診察に行きました。それから、3時間ほどして、長兄から、母の死の知らせがありました。その日は、殆ど寝てない状態で、その日の外来をし、低血糖が気になって、7日(土)の午前中まで様子を見て、大丈夫だったので、安心して、天草を発ちました。
 熊本地震で、いつも利用している「九州横断特急」が利用出来ず、已む無く、小倉周りの遠回りで佐伯に着き、直ぐに、長兄と葬儀に付いて説明を受けました。
 その後、黒いネクタイがないことに気が付き、家の前の店に売っていたので、10時の開店に合わせて買いに行き、11時からの葬儀に間に合わせました。
 母の葬儀が行われる葬儀場では(佐伯市では、一番利用されている感じですが・・・)、無宗派の葬儀は、今までに経験がないとのことで、已む無く、大分市からプロの進行係が来ていました。
 戒名なし(母は、生前から、戒名なしを望んでいました)、お経なし、無宗教でなく無宗派とのことで、どうしてもイメージが沸きませんでした。
 初めに、喪主の長兄が、挨拶をしました。
 その後、母の好きな曲が3曲(めんないちどり、旅の夜風、川の流れのように)流れながら、(スライドショーで)沢山の写真がその間、休むことなく、どんどん紹介されて行きました。私が初めて見る昔の写真も沢山ありました。
 それが終わると、長兄の長男の長女(母にとっては、一番年上のひ孫) が、「お別れの手紙」を読み上げました。心打たれました。
 次に、私が、篠笛で、献奏の「惜別の歌」を演奏しました。皆の前で、こんなに下手に吹いたこと、初めてでした。涙が出て・・・間違えました。しかし、何とか最後まで演奏できました。しかし、こんなに心を込めて吹いたことも、初めてでした。
 その後、参列者の「お焼香」がありました。その間、私は、気を取り戻して、生前の母の前でよくしていた様に、篠笛演奏をしました。
 「荒城の月」「影を慕いて」「人生の並木道」「人生劇場」「悲しい酒」「月の砂漠」、そして、最後の「宵待ち草」が、ちょうど終わった時に、ピタッと、「お焼香」が終わりました。
 その後、予定では、次兄が話すことになっていましたが、その場の成り行きで、長兄、姉、次兄、私と、4人がお礼の言葉を次々と言い、無事に終わり、参列者を玄関で見送りました。
 兄弟4人が、こんな感じで、皆の前で、揃って挨拶したこと何て、長兄の結婚式以来でした。
 参列者の多くの人から、「いい葬儀でしたね。」と言われて、これも、母がよく言う「天の理」のなせる技だと思いました。
 演奏後に、直ぐに、長兄から言われました・・・→「この日の為に、今まで、演奏してきたんだ!」と。
 ありがとう、お母さん。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする