日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その13)

2007-02-27 08:25:01 | Weblog
 そんな時、西田病院(現在、佐伯市で一番入院ベッド数が多く、その時、既に30年以上、24時間の救急医療をしていた)の院長先生から電話があった。母は、父が肺炎でそこに入院していた時に父と知り合い、父と結婚する前に、西田茂院長の病院で働いていた(母から、開院当初の苦労話をしばしば聞かされていた。母は、自分の血圧の高い病気のこともあって、西田病院によく行っていて、その都度、病院の最上階に住まれている西田茂氏の所に立ち寄っていた。)。
 「ここで(西田病院)働いていた小川君が、今度新設の川崎医大の産婦人科の教授になっとるんじゃが、君を推薦してあげたいが、行く気はないか。君のことは、よく知っているし、真面目で成績のいいのも知っているから・・・」と言われた。私立の医学部を受けることなど、今の今まで、一度も考えたことがなかった。特待生になれば、私立でも、多少お金が少なくてすむことは、知っていたが・・・。お金は、何とかうまく行くと両親は言った。信じられなかったが・・・。
 俺はもう浪人しなくていいのかと思うと、嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。
 よし、鹿児島を受けてみよう、そう思った。それが強烈な精神安定剤になった。

 後で思えば、西田病院長(故人になられている)は、言わなかったが、恐らく、自分が川崎医大を優秀な成績で合格した場合、経済的な援助を少なからずしようとの気持ちがあったと思っている。その時、私は、そこまでは考えずに、自分の様な貧乏の家でも、成績さえ良ければ、私立の医学部に行けるチャンスがあると思っていた。(その後、卒業5年目に、この西田病院に勤務して、この院長の片腕として、新生児を担当することになろうとは、誰が想像できたであろうか。西田病院に勤務時代、西田茂院長から、私は、実によくかわいがって頂いた)



 桜島がどっかと座っていた。入試の時、(九大工学部大学院卒業後に)国立鹿児島工業高等専門学校に勤務している次兄が、2日間とも、試験場の実業高校まで、朝一緒に行ってくれた。
 次兄は、「修猷学館の第8回の模試と思って受けたらいい。第7回は、一期だったとして。」とだけアドバイスしてくれた。
 「そうだ、入試と思うからいけないのだ。場所が違うだけで、模試と思えばいいんだ。」そう思って、問題に取り組んだ。修猷学館の模試の傾向と似ていた。クセのある問題も少なく、得意の数学も、そのまま実力が出、模試と同じ感じで出来た。
 次兄から、「出来たと思ったら、帰る時、木刀を持って帰れ。」と言われていたので、次兄が持っていた木刀を持って帰った。帰りの汽車の中で、これで落ちれば、本当に悔いはないと思った。
 その後、両親がいろいろと調べた結果、川崎医大には、お金が高くて、行けないことがわかった。父が、「正英、それが人生よ。もう1年頑張って、今度は、(医学部以外の)私立を受けて、受験慣れをしておかんと。」と言った。(受験慣れするお金を使うのも、もったいないと思っていた)
 川崎医大に出すべき内申書を破った。三浪の覚悟が決まった。又、近本から修猷学館に通おう。
 合格発表の日、・・・通知が来ない・・・・予備校の入学願書を入れる袋を自転車に乗って買いに行った。帰ると、母が電話をアチコチに掛けながら泣いていた。長兄(当時、大分県立鶴崎高校英語教諭)が、ニコニコしながら、冗談で、「正英、又落ちています。」と言う。母が、「通ったんよ、通ったんよ。」と、ポロポロ涙を流しながら僕に言う。次兄が、僕の受験番号「55」を、医学部の掲示板の合格発表で見て、電話で知らせてくれたのだ。僕は、再び鹿児島の次兄に電話したら、「55番じゃろ、間違いないって、カメラにちゃんと撮ってあるから。」と言う。僕は、本当に合格したのだ。
 
 4月5日。今日から3日間、佐伯春祭り。春が来た。本当に春が来た。信じられない。ピ一ンと来ない。合格通知を見ても、どうも。通ったんだネ。本当に通ったんだネ。万歳!!

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日本語を理解する為に(その13)

2007-02-27 08:20:10 | Weblog
 よく使用される動詞に、「行く」とか「です」がある。
 よく使用されるだけ、その変化が激しい。スペイン語では、「行く」の原型は、「ir」であるが、実際に使用されるのには、voy vas va vamos vais van(ボイ・バス・バ・バモス・バイス・バン)となり、原型の欠片もない(スペイン語では、Vは、英語のBとして、発音する。反対に、ロシア語では、Bは、Vとして、発音する)
 「です」は、スペイン語(ser、estar)にもイタリア語(esser、stare)にも、2種類あり、その使い方は、はっきりと区別されている。
 この一人称、二人称、三人称の動詞の変化、全て、人称がどうか、数が複数かどうかで、違ってるので、主語がなくても、相手は理解出来ることとなる。それで、主語が省略されることが多い。
 その点、ドイツ語やフランス語では、同じスペルや発音があり、区別が付かないので、主語をはっきり言わないといけないこととなる。


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