日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

日本語を理解する為に(その12)

2007-02-26 07:41:17 | Weblog
 動詞の変化が、スペイン語にしても、イタリア語にしても、先の様に、規則正しくなっていれば、簡単だ。しかし、そうでない不規則動詞が多いし、かつ又、そんな動詞に限って、頻回に使用されている。
 以上の動詞は、自分が実際にイタリアの語学学校で使用したテキストからのものである。見えない様に伏せて、空でちゃんと全てが間違えなく言える様に、毎朝、勉強していましたが、・・・。


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為になるかも知れない本(その12)

2007-02-26 07:31:35 | Weblog
 昭和45年3月6日(西暦1.970年)午後4時40分。
 入試は、終わった。後は、結果を待つだけだ。全力を尽くした。英・数・国、まあ実力が出た。理科は、まあ、あんなものだろう。時間がなかったし、上がっていたのは確かだった。社会は、あれが実力だろう。そうなると、7割弱かな。多分、合格していると思うが・・・。



・・・・・・・




 しかし、結果は、予想に反して、不合格だった。それなりに自信があっただけに、父から初め聞いた時には、どうしても信じられなかった。詳しい情報によると、210番とのこと。そんな馬鹿な!2年間一生懸命余分に努力して、その結果が、現役の時の104番よりもはるかに悪いなんて。俺は、その晩、布団の中で泣いた。本当に残念だった。涙が自然と出て来て仕方なかった。
 翌日、家の(新築の)祝いがあり、多くの人が自宅に集まった。俺は、朝早く、雨の降る中を家を出て、映画を見に行った。映画館では、入試の結果のことで頭が一杯で、ただ、そこに画面と音が流れていた。
 お客さんが帰っただろう頃に、家に戻り、英数学館と修猷学館とで一緒に励まし合って勉強してきた○○○○君に相談した(二浪の時の下宿先も、隣の家同士であった)。彼とは、鶴城高校の時の同級生(同じクラス)で、彼は、現役の時は、自分よりも成績が良くて、大阪大学医学部を受け、昨年は、長崎大学医学部を受け(ほんのわずかで落ち)、今回も又、長崎大学医学部を受験したが、どうしてか、不合格になっていた。(長崎大学医学部には、鶴城高校の時の同じクラスの同級生が、現役合格していた。その彼は、非常に面倒見が良くて、一浪して二人が長崎を受験した時には、とても良くしてくれた。現在、大分市で、眼科を開業されている。)
 「一年、又、今の調子で一人で頑張るの大変。今度浪人したら三浪だし、俺はもう出来ん。お前にもう医学部はすすめんなあ。俺はもう受ける気はない。」と彼の決意は堅かった。とうとう、初めて願書を余分に書いた山口大学の文理学部(物理)に行くことに決心した。
 父母が、「もったいないから、鹿児島大学を受けたら。」と言う。「成績が悪いなら仕方ないが、修猷学館でちゃんといい成績を取っているのだから・・・。」と言う。
 しかし、もう、三浪する元気は、自分にはなかった。もう、自分なりに、納得できる感じで全力を尽くして来たと思ったからである。

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