日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

退職後の雑感(762)

2024-04-20 09:25:07 | Weblog
  「退職後の雑感、脳過労」

 現代人、情報量が多過ぎて、脳疲労でなく、脳過労状態になっているとか・・・!!
 考えて見るに、スマホを何時間も、どこにいても見ている人、実に、多いですね。私を含めて。
 脳も、処理能力に限界があって、今の1日の情報量は、江戸時代の1年分、平安時代の一生分とか・・・!!まあ、平安時代は、平均寿命は、30歳前後でしかありませんでしたが・・・現在人、脳は、処理できなくて、いつ、おかしくなっても、不思議でない状態ですね。
 私も、毎日、年齢も考えずに、凄い量を入れ込んでいて、更に、入れようとしていますが、これ、脳の為には、良くないですね・・・?!
 と言うことで、しばらく、記載、中止にさせて頂きます。放電ばかりしてきた感じなので、しばらく、充電をしていこうと、思います。演奏など、何かありましたら、記載したいと思います。
 ところで、卓球の「張本兄弟」、二人とも、4強入りのメダル獲得で、ホント、凄いですね。
 それに、コロナワクチン集団訴訟、やっと、動きが出て、良かったですね。(←私は、当初から、否定的な意見を述べていましたが・・・)

*https://www.youtube.com/watch?v=by5cve-zsa8(←私の創作で、弾いています。)
*https://www.youtube.com/watch?v=chSH_98iKuQ(←75歳以降の夢)
*https://www.youtube.com/watch?v=2LMiv8GIgas(←やっと、マスコミが、まともに、発表?!)
*https://www.youtube.com/watch?v=hLimyG6ardg(←大石解説)

 (令和6年4月20日、記載)




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退職後の雑感(761)

2024-04-19 09:05:38 | Weblog
  「退職後の雑感、何処にいても」

 今の時代、何処にいても、自分なりに勉強が出来る時代になっていますね。インターネットと時間がありさえすれば・・・凄い時代になっていますね、やる気があれば、いろいろ、独学、出来ますね!
 「ミャンマー語」の講座を、1~37まで、見ました。こんな感じで、タイのチェンマイに行った時、教わったことがあり、そんな感じで、楽しく勉強できました。以下は、その内容です。
*https://www.youtube.com/watch?v=HIhWsxHjiaE(←ミャンマー語)

 私が利用している「タイ語」は、以下のものです。
*https://www.youtube.com/watch?v=FoTd4JCvcgI&t=2241s(←タイ語)

 私が利用している「ベトナム語」は、以下のものです。
*https://www.youtube.com/watch?v=5qHKR41KZuE(←ベトナム語、テキストもあります。)

 語学は、モチベーションが大切ですね、それに、楽しく勉強することが大切ですね。

 今後、何処にいても、海外の人に会った時、国を訪ねて、その国の言葉でちょっとだけでも、挨拶出来れば、いいかなと思っているだけですが・・・。スリランカからの人に、「アーユーボーワン」と言ったり、フィリピンからの人に、「クムスタカ」と言ったり、ベトナムからの人に、「シン・チャオ」と言ったり、インドネシアの人に、「アパ・カバール」と言ったり、ミャンマーからの人に、「ミンガラーバー」と言って、科以外の人の驚いた様子を見ることも、とても、楽しいですよ・・・?!


*写真は、門司港での私です(←令和5年11月13日、家内が撮っていましたが、気が付きませんでした。)

 (令和6年4月19日、記載)








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退職後の雑感(760)

2024-04-18 11:20:18 | Weblog
  「退職後の雑感、震度5弱の地震」

 令和6年4月17日(水)の23:14、既に、床に就いていましたが、突然、「ガタガタガタ」と音がして、家が揺れ、久し振りに地震がありました。「震度5弱」でした。その内、止まるだろうと思って、あまり慌てませんでしたが、正直、怖かったですね。
 その後も、佐伯市では、23:19に、震度3が、23:27に、震度1が、ありましたが、大きな揺れは、もう、ありませんでした。
 一応、最低限、持っておくべきもの、簡易トイレ、数日分の食料、用意はしているのですが・・・それが、この先、必要で無いことを祈るばかりです。
 「災害は、忘れた頃に、やってくる!」ですね。

 (令和6年4月18日、記載)
 

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退職後の雑感(759)

2024-04-17 09:21:50 | Weblog
  「退職後の雑感、続・熊本地震」

 8年前に記載した内容です。1回目よりも、2回目の方が、酷かったですね。そして、1回目で壊れた家屋が、2回目で、完全に壊れてしまったと言う感じになってしまいました。
 その時に(4月17日に)、記載した内容です→
 今日(17日)の夕方、熊本大学の先生の話がありました。気象庁と熊本大学の先生の意見、多少違っていました。その熊本大学の先生の話だと、14日のは、「日奈久断層」によると言うのは同じでしたが、16日のは、「布田川断層」でなく、「立田山断層」による可能性もあるとのことでした・・・そして、1週間以内に、8割の確率で終息するのではないでしょうか(余震の数が次第に減少傾向になっている・・・)、とのことでした。
 今回は、今まで経験しない感じの複雑な力関係での地震って感じですね。まあ、東日本大震災も、想定外でしたが・・・。
 今日(17日)の夕方の外来に、益城町の子どもが来ました。子どももかなり精神的なショックを受けていて、母親が、殆ど寝てないと言われていました。(家が崩壊しているので)私も、掛ける言葉が見つかりませんでした。
 医療機関も損壊している所が多く、ノロウイルス感染症も流行っているとか・・・水も不足し、トイレも使えず、平常生活に戻れる目途が立っていません。
 災害の多い日本、いろんな災害に備えて、普段から行政が、食事や水だけでなく、手軽に使える「テント」や「間仕切り」や「簡易トイレ」など、直ぐに使える感じにしておくといいと思うのですが・・・。

*写真は、16年前に撮った「熊本城」

 (令和6年4月17日、記載)









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退職後の雑感(758)

2024-04-16 08:26:30 | Weblog
  「退職後の雑感、熊本地震」

 今からちょうど8年前の2016年4月14日、「熊本地震」がありました。その時、上天草市の4階建ての3階に住んでいたのですが、揺れが酷くて、怖かったです。その時の出来事を、8年前の4月15日に記載した内容で再び見ると・・・→
 昨日(4月14日)、21時半頃、お風呂に入ろうかなと思って、裸になったところで、突如、携帯の警報がけたたましく鳴り、直ぐに、グラグラとして来ました。古い市営アパートで、上の階の人が動くと、時々、ガタガタとして慣れていたんですが・・・さすがに、これには、私も、「地震だ!」と思いました。
 で、家内と目を合わせて、じっとしていました。で、又、脱いだ下着を着て、テレビをそれからずっと見ていました。
 ワーッ、九州殆どじゃないですか・・・!「震度7!!」何て!
 直ぐに、姉や子どもから電話ありましたが、電話が通じません。で、メイルならOKでした。
 それから、余震が凄くて、なかなか眠れず、又、起きても余震があって(詳しい報道では、120回以上)、今日(4月15日)、病院でも、その話が中心になっていました。
 熊本市から通っている人もいて、その人の話だと、天草のレベルなんか、たいしたことない、凄かったとのことで・・・大きな本箱が倒れたり、屋根が壊れたり、地割があったり・・・で、今回、DMATで現場で仕事をした外科のJ先生が、疲れ切った顔で帰って来て、「全く寝てない、ひどかった・・・」と言われました(お疲れ様でした)。
 ある(熊本市に住んでいる)内科のM先生曰く、「横揺れが凄くて、立てないんですヨ、あんな怖い思いしたこと、初めてでした・・・」と。
 今日の午後の講義中にも、教室周囲で音がして、揺れました。1週間、余震でまだ悩みそうだなあ・・・。

*写真は、上天草市龍ヶ岳町にある「龍ヶ岳」から見た景色です。しばしば、家内と登っていました。正に、最高の眺めですね。

 (令和6年4月16日、記載)






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退職後の雑感(757)

2024-04-15 09:13:20 | Weblog
  「退職後の雑感、日本こそ」

 今、世界の各地で、争いが起きています。やられたらやり返す、これが、欧米の流儀な感じで、これでは、いつまで経っても、争いが絶えない感じです。
 日本は、いろんな面で大国なのに、海外の人から見れば、第二次大戦後、アメリカの犬みたいに思われているみたいですが・・・?!
 これで、日本人、本当に、いいのでしょうか?ウクライナ侵攻にしても、イスラエルとパレスチナの紛争にしても、日本は、もっとするべきことがあると思うのですが・・・。
 イスラエルが強気で戦えるのも、アメリカやイギリスからの武器を使えるからです。イランと日本の関係は、とても良好ですね。日本だったら、損得なしで、イスラエルとイランの間に入って、上手くやって行けそうな気がしているのですが・・・?!
 トランプが大統領になれば・・・→トランプは、「アメリカ、ファースト」なので、日本も、割り切って、アメリカと距離を置いて、日本独自の方針で、外交が、それなりに出来ることが多くなるのでは・・・と、私なりに思ってはいるのですが・・・?!
 日本人でロシア人大好きな人、あまりいないと思うのですが(←私の場合は、実際に、ロシア人と話していて、偏見は、全くありませんが・・・)、そんなロシア人、日本に親しみを持っている人、多いんですね・・・。

*https://www.youtube.com/watch?v=GUyBcn1pDAg&t=30s(←外国人から見ると・・・!!)
*写真は、小児科を開業している時、院長室で、お茶を差し上げたロシア人(←多分、ウラジオストックから来て、明日の朝、富山に行くと言っていましたが・・・?)。全く、日本語が話せないのに、1時間ほど、お互いに、楽しく、時間を過ごせましたが・・・。

 (令和6年4月15日、記載)








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退職後の雑感(756)

2024-04-14 08:30:35 | Weblog
  「退職後の雑感、北朝鮮」

 「韓国」には、6回も行って、ホント、近い国になっていますが・・・一方、「北朝鮮」は、どうでしょうか?!
 小さい時から、名前の長い「朝鮮民主主義人民共和国」、小学生低学年の時から、よく、口に出して言っていましたが・・・そして、中学生の時、ラジオで、北朝鮮発(←恐らく?)のラジオ放送が流れていて、解らないままに、次兄と聞いていましたが・・・。
 (他界した)私の母は、昔、看護師で、独身の時、姉の産後の世話で、独りで・・・北朝鮮の昔の羅津(라진)、今は、羅先と名前が変更していますが・・・その羅先まで行って、寒い冬を過ごしていて、その厳しさを私によく話していました。母から、アリランの歌や、ハングルでの母や父の言い方など、教わっていましたが・・・北朝鮮は、ホント、私にとっては、謎めいた国でした。(←旅行したいと思ったこともありましたが・・・)。
 そんな「北朝鮮」の体制が今、崩れたら、どうなるのでしょうか?難民がドッと来る可能性、あると思いますが・・・?!
 「金正恩氏」の方針が、近頃、コロコロ変わっていますね・・・韓国との交流をバサッと切ってしまって・・・日本との交流の可能性もスパッと切ってしまって・・・「金正恩氏」、いろいろ試みてはいますが、多くの事が、成就していない感じですが・・・!!
 その実態を、北朝鮮の若者が、知ってきて、「金正恩氏」に対する見方が、次第に変わっている様ですが・・・国民から支持されなければ、いずれ、体制は、崩れますね。
 それは、民主国家だけでなく、独裁国家でも、同じだと思います。
 誠実と平等と本当の愛がなければ、いずれ、上手く行かなくなると思います。歴史を見ると、それは、国だけでなく、個人でも、同じだと思います。嘘は、泥棒の始まりって言葉もありますね。
 

*https://www.youtube.com/watch?v=qbaNt4DLCa0(←北朝鮮)
*写真は、23年前、韓国清州市での演奏の時の私

 (令和6年4月14日、記載)




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退職後の雑感(755)

2024-04-13 08:58:36 | Weblog
  「退職後の雑感、情報」

 今は、情報化の時代です。如何にして、正確な情報を上手く自分のものに出来るかです。
 嘘の情報と本当の情報があり・・・政府が言うからと言って、それが正しいとは、限りません。それも、平気で言われると、(素直な日本人だと)つい、信じてしまいますね。
 年金を納めておりさえすれば、将来は、安泰と思って来た日本人は、多かったと思います。それが、突如、老後に2.000万必要と言われても、頭が直ぐには付いて行きませんね。
 検診で、昨今、昔の様に、総コレステロールの値が、あまり、問題にされなくなりました。個人的に、薬の副作用が、思った以上にあることに気が付き始めました。アプリメントも、同じです。
 「自然にしかず」とは、昔から、よく言われる言葉です。病気と共存して生きる生き方も、大切ですね。元々、人間には、治そうとする力がある訳ですから、それを上手に引き出すことが、大切ですね。
 ある産婦人科の言葉が、今も、強く耳に残っています。
 「(高齢の女性が入院していて)間違いなく、子宮癌だけど、高齢で、何もしない方がいい・・・抗がん剤を使うと、かえって、おかしくなる・・・」と。
 薬で苦しんでいる人、多いですね。治す側の立場もあるので、それも、仕方ないのかなとも思いますが、やはり、医療は、患者側の立場で、治療してもらいたし、患者側の立場で、もっと患者さんが主張するべきですね。しかし、今の、医療制度では、ゆっくりと会話する時間、ないですね。間違った生活習慣で、病気になっているケースが、多い訳ですから・・・。
 掛かり付けで、検査を沢山していたり、薬を沢山飲んでいる場合、ちょっと振り返って見ることも、大切ではないでしょうか・・・?!

*写真は、4月9日、「臼杵石仏」で撮ったものです。
*https://www.youtube.com/watch?v=S-QP8l8YcWI(←嘘?!、上の内容とは、関係ありません。)
*https://www.youtube.com/watch?v=TKR9Wnt8fDM(←新証言?!、上の内容とは、関係ありません。)

 (令和6年4月13日、記載)






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退職後の雑感(754)

2024-04-12 08:50:30 | Weblog
  「退職後の雑感、好きこそものの上手なれ」

 「好きこそものの上手なれ」と言う言葉がありますが、その意味が、超出来る人を見ていると、よく解る感じです。
 今、名人戦で戦っていますが・・・藤井8冠の好きなことを尋ねた所、1は、「将棋を指すこと」、2は、「詰め将棋を解くこと」、そして、3は、「詰め将棋の問題を作ること」、とのことですが・・・納得ですね。
 大谷翔平選手にしても、野球が根っから好きなんですね。イチローも、そうだったと思います。
 才能がある上に、そんな彼らを周りが暖かく見守って来たんですね。
 土台、人から命令されてする何て、あまり面白くないですね。自分で考えて、自分なりにする方が、楽しいに決まっていますね。
 出来る人は、しないといけない事が、好きになる能力があるんですね。いやいやながらしていたら、どんなに才能があっても、続きませんね。そして、「継続は、力なり!」ですね。どんな職人も、10年修行すれば、ある程度には、なれますね。
 小さい時から、達成感を経験させることが大切だと思います。成功から得ることも、失敗から得ることも、大切ですね。失敗は、成功の神様です。
 それと、思いやりの心と同時に、耐える力を小さい時から培っておくことも、大切ですね。小さい時に周囲が甘やかして、それで、大人になっても、我慢できない人になっているケース、ホント、困りますね。
 4月11日夜9時22分、名人戦の第1局目、藤井8冠、141手で、危ない何場面を何とかくぐり抜けて、勝利しました。

*写真は、4月9日に、「臼杵石仏」で撮ったものです。
*https://www.drizumi.com/news/ebook1?fbclid=IwAR16f5hSL0mH95lu8O1YRKJsEUo7r4hO4v4HMzBLaAr8IJZKGTegjkgUuVI_aem_AdkckNBJHCFyjHXjH37c3_zozPXpPStxjndsSBAdZGzm_wZcFq5xLSiopOpTShPBIp96YI_I17wij-7BND_kd3Dq(←不眠症の人の為の本、上の内容とは、関係ありません。私の長女の配偶者が作成した本で、一般の本とは、アプローチの仕方が違います。)

 (令和6年4月12日、記載)






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退職後の雑感(753)

2024-04-11 08:16:37 | Weblog
   「黒柳徹子、名医の言葉で病気と絶縁」(再掲)

 昭和62年4月5日の毎日新聞掲載の黒柳徹子さん(現在、90歳で、活躍中!)のエッセイを見て、今でも、私の、この原稿を大切に保存しています。

 もう〇〇年近く(←正確には、半世紀以上?!)、私は病気をしていない。
 特にこの〇〇年間は、「徹子の部屋」という毎日のテレビ番組を持っていて、更にその前に、3年間の、これも毎日のナマ放送の司会をしていたから、合計で〇〇年間、毎日テレビに出ていることになる。
 その間、だたの一日も病気で休んだことがないというのは、自分でも(他に、自慢出来ることなどないけれど、なかなかのものだ!)と思ったりしている。
 私は、30年(←正確には、半世紀以上?!)前の「あの日」から病気をしなくなった。
 私は、NHKで、テレビの為の養成を受け、NHKの専属のテレビ女優として、この世界に入った。初めの頃は、「お前の個性は邪魔だ!」と言われて、ずいぶん悩んだ時期があった。
 個性が邪魔と言われても、若い私には、自分の個性がどういうものなのかもわからず、ただオロオロとスタジオの隅で過ごした。
 「もう、帰ってもいいです!」と降ろされて、一人だけ、スタジオの外の廊下で、同級生の俳優たちの終わるのを、本を読みながら、待っていたことも、しょっちゅうだった。
 その内、世の中が、突然、「個性の時代!」に入った。とたんに、みんな、「さあ、貴女の個性を出して下さい!」と言い、仕事は次から次と押し寄せた。
 私は、途方に暮れた(出しなさい、って言われてるものが何なのか、わからない!)。それでも、私は、皆の言う通りに、一生懸命にやった。
 寝る時間は、殆どなくなった。
 ある日、私は、「過労」と診断され、その日の内に入院ということになった。
 どの番組のディレクタ-も、「自分のだけは、休まないで」と言った。でも、お医者様は、「死ぬよ」と言った。
 私は、仕方なく、全部のテレビとラジオのレギュラ-番組を休んで入院した。先生が、テレビを部屋に入れて下さった。
 当時は、全ての番組がナマ放送だったから、私は、私がいないとどんなことになるかしら、と心配しながら自分の番組を見た。
 私が司会をしていた番組に、私の知らない女の人が出て来て言った。「さあ、今日から、当分、黒柳さんの代わりに私がやります。さあ、始めましょう!」。それだけだった。
 私が、渥美清さんと夫婦をしているドラマでは、隣の奥さんの役の人が、渥美さんに聞いた。
 「奥さん、どうしました?」。渥美さんが、答える。「実家に行っています!」。そして、ドラマは、私なしに、どんどん進んで行った。
 他のものも、似たりよったりだった。
 私は、ブラウン管を見つめながら、考えた。 「・・・実家に行ってます」---この言葉が、耳から離れなかった。
 1カ月後に、病院を出る時、私は、はっきりとした考えを持っていた。
 一つは、もう、絶対に病気をしないこと!。
 もう一つは、自分しかやれない仕事をなんとか見つけよう!。
 私は、先生に聞いた。
 「死ぬまで、病気をしないのは、どうやるんですか?」
 先生は、笑って、「生まれて、初めての質問だな」と言ってから、こう言った。
 「一つしかない。自分の好きなことだけ、やるんだな。自分が進んでやろうとする時には、どんなに疲れていても、寝れば、治る。いやだいやだと思いながらやっていると、疲れは寝ても取れない。やれるかい?」
 名医と言われる先生のお言葉だった。
 私は、そうしようと、心に決めた。
 あの1カ月は、私に、人と自分を比べることの愚かしさ、命の大切さ、いつも自分らしくあること、なども、しっかりと教えてくれた。
 人生の入り口にボンヤリ立っていた若い私には、こんな当たり前のことでも、早く教わったのは、有り難かった。
 あの退院の日に、私は、少し、大人になった。
                        
 ある人の話では、黒柳徹子さん、玄関に入ってから、応接室で話をして、その用事が終わって、玄関のドアを閉めるその直前まで、ズ-ッと、途絶えることなく、話をされるとのことです。

 この内容、今までに、何度も何度も、読んでいて、その都度、又、初心に戻っています。  

*写真は、「臼杵石仏」に隣接する庭園に描かれた「ハート」です。4月9日に撮ったものです。
*https://www.youtube.com/watch?v=p1leOzgpUEs(←東京スカイツリーには、まだ、登ったことが、ありません。その内、いつか。上の内容とは、関係ありません。)

 (令和6年4月11日、記載)






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