日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

大晦日

2006-12-31 08:19:17 | Weblog
 今日で、平成18年、西暦2006年は、終わりだ。いつも、昭和81年で、計算をしている。例えば、自分の歳、81から24を引いて、57と計算する。来年の5月28日からは、82から引かないといけない。と言うことは、来年は、58歳、アレッ、もう直ぐ、還暦ではないか。
 歳を取ってしまったなあ。長生きしたいが、歳を取りたくないと言うのが、本音。しかし、それは無理。
 今年は、どんな年だったかなあ。北朝鮮のミサイルと核の実験で、日本中が一瞬、緊張した感じだ。イチローの野球で、荒川さんのフィギャースケートで、亀田の防衛で、そして、最後は、ディープインパクトで、夢をもらった気になった。 
 マスコミは、相変わらず、低俗番組を流し、視聴者が踊らされている。教育も医療も、それらしい進歩はない。
 しかし、日本は、平和だ。戦後、これほど長きにわたって平和で来れている国は、極めてまれ。この平和の大切さを、日本がリーダーになって、もっともっとアピールしてもらいたいものだ。
 フセインの死刑は、痛ましく、私は、死刑制度には、如何なる理由でも、賛成できない。
 相手の喜びを自分の喜びとして、相手の苦しみを自分の苦しみとして、共有し合う価値観が、極めて大切だと思う。時間は掛かるかも知れないが、人類が生き延びる道は、究極的には、その価値観しかないと思っている。

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ホームページ作成

2006-12-30 13:50:29 | Weblog
 27日(水)の15時に、院内の広報委員会で、ホームページ作成係に承認してもらった。その後、早くから、夜は、遅くまで、没頭して作成した。
 ホームページビルダーが、10年前と違って、かなりバージョンアップしていたので、試行錯誤であった(開業している時に、作っていた)。
 何とか、昨日(29日)の22:30過ぎに、出来上がった。20時間、これに費やした。
 出来上がったのを、今日、院長と広報委員長に見てもらった。GOサインをもらった。
 公の病院のホームページは、型苦しい感じのが多い気がする。業者に依頼すると、尚更、そんな感じになる。
 初めのページは、病院の写真と病院のマークを入れ、下の方に、高戸神社祭りでの子どもの踊り姿と、医局の前の海の景色と、天草五橋を入れた。
 目玉は、アフター5のページを作ったことで、それに、写真コーナーや、赤ちゃんコーナーや、ちょっと聞いてよコーナーなど、10程の項目を入れた。
 絶えず、入れ込んで行こうと思う。

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オスの存在感は、・・・

2006-12-29 16:45:00 | Weblog
一生の間、女性は500個程の卵を卵巣から排出するが、元々、卵細胞は、そのままでは、女性になる様に作られている。しかし、XYの組み合わせになった場合、性染色体のY染色体の短腕の先端近くにあるSRY(Y染色体上の性決定領域:sex-determining region of Y )により、男性になり(男は、女から作られている)、それにより、母体内でXXの組み合わせで出来たものよりも多量に男性ホルモンを浴びることになり、生まれる前から既に将来の男女の脳の差の原因が作られていることになる。
 マダラミズカキヤドクカエルは、オスが子どもを背負い、子守をしながら子育てをする。タツノオトシゴは、メスがオスの育児嚢に産卵して、オスは、代理出産って感じでもないが、お腹を痛めて出産する。チョウチンアンコウのオスは、繁殖でしか役に立たず、自分の力で生きることが全く出来ず、メスの体にくっついて、メスの血を吸ってやっと生きている。
 オスは、本来、どうあるべきなのだろうか?動物では、交尾の決定権の多くは、オスではなくて、メスにある。オスは、メスの機嫌を取る為に、人間以上に?大変な様である。
 カワセミは、取った魚のえらが引っかからない様にと、頭からメスに渡す程の気の配りを込めてのプレゼントをする。クサムラツカツクリのオスは、生まれて来る子どもの為に、巨大なベビーベッドを作ってから、メスを誘う。ギフチョウのオスは、他のオスに横取りされない様にと、交尾の後にメスの生殖器に蓋をしてしまう(交尾栓)。トンボのオスは、自分が交尾する時に、前に交尾したオスの精子をかき出してしまう。ライオンのオスは、交尾の為に、前のオスの子どもを殺す(メスが、子育てをしていると、発情しないので)。カマキリやクモでは、交尾の最中に食べられることが多い(正に、命掛け)。人間以外の動物では、メスは、交尾するオスがより大きくより強いと、丈夫な子どもを生むことが出来ることを本能的に知っている様である。
 ミジンコは、メスがメスを生み、環境が悪くなると数が少なくなるので、メスはオスを作り、数をより多くしようとする。繁殖の方法が、クローンばかりの無性生殖だと、環境の変化に適応できなくなり、絶滅する傾向にあるのに、有性生殖により、遺伝子そのものに変化が起きて、より適応能力が出来る生物になるらしい(そんな感じで、例えエイズや強烈なインフルエンザが流行っても、年限が経てば、適応できるヒトになるらしい)。
 アメリカの女性には、結婚を避けるキャリアーウーマンがいる。何でも、男は暴力を振るい、エイズを持っている恐れがあり、女性の自由を束縛するからとの理由で、結婚しようとしない。自分の専門的な仕事を続けたいとの要求もあった、もしも、子どもが生みたいとなると、精子バンクに行って好みの精子をもらい、生まれればベビーシッターに子育てをしてもらっている。つまり、男は、ニワトリのオスみたいな存在になっている。
 そうでなくても、今の日本では、亭主元気で留守がいいって感じで、男性の存在感が次第に小さくなっているのに・・・。

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男女のズレ

2006-12-28 08:11:32 | Weblog
 職場が終わると、寄り道もせずに、真っ直ぐに家に帰り、賭け事も浮気も飲もせず、仕事に徹する感じで真面目に働いてきた男性が、定年後、不意に信じ切って連れ添っていた妻から離婚を言い渡される。こんなに真面目に生きてきたのに、何故って感じになり、離婚後もそれらしい理由が分からないままにいる男性が現にいる。
この男女の大きなズレは、どこから来ているのか?
 昔は、多くの女性は、親が決めた相手と結婚し、その男性を絶対視していた。今は、夫婦の大半がが、共稼ぎ。外に出れば、いろんなタイプの男性がいる。「愛している」「きれいだね」「ありがとう」「がんばるね」って言葉、そこには、長く連れ添った夫がかって言っていた世界がある。 更には、「奥さんの良さ、私にはよく理解できます」なんて言われると、女心、ついフラフラとなっても、不思議でない感じもする。
 経済的にも、女性が少なからず支えているとなると、絶対的な男女の服従の関係は、不自然となってしまう。男性が、家族の為に仕事ばかりしていて、お金だけを入れる感じになっていると、働きながら夫以上に子どもの世話をしている女性は、どうしてもそんな男性の生き方に納得出来ない。男性が、「好きなことをさせてやっているのに」との言い方、女性からは、男性が上にいて、女性の自立を認めていないと受け取られる。
 今や、女性は、いろんな情報を男性以上に持っていて、いろんな家族を知っている。それとついつい比較してしまう。しかし、多くの男性は、自分の育った家庭か、今の自分の家庭しか知らないし、他の家庭の生き方には、余り関心がない。
 特に多い妻からの不満は、「話し合おうとしない!(人間、親子も夫婦も、じっくりと話さないと分からないはず)」
 それに対して、夫からは、「長い間、連れ添った中、話さなくても分かるはず!」との返事。
 又、妻からは、「仕事ばかりして、家庭を省みない!(夫の仕事は、お金を稼ぐだけではないはずなのに)」
 それに対して、夫からは、「家族の為に、一生懸命に頑張っているのだ!」との返事。
 又、妻からは、「(子育てが終わったので)もっと自分の為に今からは生きたい!(夫がいつも家族と一緒にいてくれなくて、自分だけで子育てをしてきたから)」
 それに対して、夫からは、「家族はどうする!身勝手だ!(定年後、やっと家庭に戻れて、これから老後をゆっくりと過ごすつもりなのに)」との返事。
 急増しているこの定年離婚、何故か、世界では日本だけに見られる珍現象。手遅れにならない様に、特に私の様な団塊の世代の男性、いろんな手を先に打っておかないと、・・・・?!」
(定年離婚の原因の多くは、長い間の不満の蓄積の結果です。妻の不満がどの程度今あるのか、じっくりと、今日でも、チャックしてみては如何でしょうか。)

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不可解な女性の心理かな!

2006-12-27 13:05:41 | Weblog
 50歳をちょっと超えた女性が、次の様に言った、「うちの旦那、昔、もてよったんヨ。ちょっと外に出て帰ってこんと、浮気でもしとるんじゃなかろうかと思って、もう食事も喉に通らんぐらいに心配で、ハラハラしていた。今は、家ばかりいないで、どっかに行ってよって感じになっている。誰も相手にしない様なこの男のめんどうをなんで私がみないといけないのかって感じになっている。いけんなあ、こんなこと言って、・・・・。昔、ハラハラしていた時が懐かしい。あの時が一番ときめきがあって良かった。」と。
 結婚後、旦那さんを大事にしていないのに、他の女性と何かあるとカッとなり、自分の旦那がもてないと思っていても、バレンタインチョコ、自分の旦那が他の女性から全くもらわなくなると分かると、寂しい気持ちになるらしい。
 ある男性のタレントが有名になると、多くの女性が一斉に熱を上げる感じだ。近頃は、男性も、美容整形に走る人が増えている。男は、顔じゃないと言うけど、顔がいいのにこしたことはないらしい。
 女性は、刹那的で、先のことを余り考え様としない感じで、今がとっても大切な感じ。政治の問題を見ても、女性同士がよく話題にしている内容を見ても、何か、物事を大局的に捕らえていない感じがする。理論的に考えることよりも、フィーリングで考える傾向にある様だ。直ぐに感情的になって、冷静な気持ちになかなか戻れない。一度女性同士が仲違いをすると、もう、元に戻るのは、至難の業。過去をあれこれ言って、根を永いこと持っている。女の幽霊はあっても、男の幽霊は、ない。又、自分で責任を取ろうとせずに、責任を他に転嫁する傾向にある。タクシーの運転さんが言っていた、「女性のドライバーの後に付いて行くのは、怖い」と。女性は、順応性に富んではいるが、自己中心的、そして、孤独に強い。亭主が早く亡くなった女性程、長生きしていると言うデ一タもある?!
 その点、男性って、全ての男性がそうとはもちろん言えないけれども、概して、冷静で、人が良くて、恩を忘れず、義理堅く、包容力に富んでいて、けっこうデリケードで、寂しが屋で、肉体的にも精神的にも、弱い。
 妻が不倫に走っても、妻が反省しているなら、多くの男性は、今から真面目にしてくれれば、自分にも仕事ばかりしてかまってやれなくて非があったと反省して、本心は許す気持ちになっている。しかし、逆はどうだろうか?男を機会あるごとに、チクリチクリと虐める。
 男は、自分の為に一生懸命に尽くした女を、捨てないし、捨ててはいけないと思っている。例え、その後に、それ以上のいい女が出現して、自分のことを真剣に思っていても、まともな男であれば、よほどのことがなければ(妻が悪妻でなければ)、結局は、妻子の元に帰る。しかし、女は、いい男が現れると、夫子を全て捨てて、そちらの男の方に走って行く(そして、又、別れているケースが多いが)。
 そんな女の本性なのに、何故か、多くの男性は、真剣に愛し、自分を犠牲にして、女の為に生きている。
(今まで、多くの女性に囲まれて、女性の裏を沢山見てきました。多くの男性からは、羨ましいと言われることが多いですが、いや、男は、女性に憧れている時が、いいと思いますが・・・)(昔書いた私なりの文章です)

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忘年会

2006-12-26 07:22:20 | Weblog
 病院の忘年会が、病院の前にある看護学校の講堂で行われた。料理は、手作りが殆どで、18時半から、いろんな出し物や抽選会で、盛り上がった。
 出し物の初めに、自分が、横笛で「聖しこの夜」を吹き、太鼓を10分程打った。最後の一本締の時も、太鼓を打った。
 皆を盛り上げる、これ、B型の特徴かなあ?

 以下は、ある事務員さんからの質問の応答の内容。世の中には、当たっていそうで、当たっていないことも、多い。真偽の判断が各人に委ねられている。

 「先生、先生、さる、とり、うま、うし、とら、うさぎを連れて砂漠を歩いて行て、ひとつずつ捨てて行かなければいけないとしたら、何から捨てますか?」と聞いてきた。私は、即座に、捨てる順番を次の様に考えて返答した。
 まず、虎は大きいし、トラブルを起こしそうなので捨てる。次に、鳥は、余り役に立ちそうでないので捨てる。牛は、おとなしいが、大きいので捨てる。兎は、可愛いが、余りなつかないので捨てる。猿は、自分が寂しい時、兎と違ってよい友達になってくれそうだから、最後から2番目に捨てる。馬は、最後に残しておいて、それに乗って砂漠を行ける所まで行く。
 と言うと、「やっぱりネエ!」って感じで言われた。
 「先生は、まず、生きる為に、初めに、プライドを捨て、次に、愛情を捨てる。そして、お金を捨て、家庭を捨てて、子どもを捨てて、最後に仕事が残るんですネエ!」と。
 猿は、「子ども」、鳥は、「愛情」、馬は、「仕事」、牛は、「お金」、虎は、「プライド」、兎は、「家庭」を意味するそうだ。ちなみに、師長も、最初と最後が、私と同じだった。
 この心理テスト、本当に、当たっているのかなあ・・・?!

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一発勝負

2006-12-25 08:10:49 | Weblog
  競馬にしても、フィギャースケートにしても、柔道にしても、受験にしても、一発勝負だ。本当に実力があっても、その時に実力を出し切らなければ、負けてしまう。勝負の世界は、相手あってのこと、しかし、実力のある者同士が対戦した場合、本当の相手は、自分であり、その時に自分がベストを出し切れるかどうかにかかっている。

 フィギャースケートの荒川静香さんが言っていた、「プレッシャーに自分がどう対応するか、それが上手に出来れば、結果として、いい成績が出せる。」と。全くその通りだと思う。

 相撲だって、瞬間的だ。初めの立ち会いで、大半が決まってしまう。亀田興毅にしても、ディープにしても、最高の状態に持ってこれて、周りのプレッシャーに自分が勝てたのが勝因だ(馬の場合は、馬を扱う人になるのかな)。

 受験だって同じだ。円を描く時、ちゃんと○が書けなく、それが自分でも分かり、焦ってしまったと言う人や、受験の時、白紙だったので、手を挙げて試験管に言っていたら、しばらくしたら、見えてきたと言う人がいた。

 周りの期待が余りにも大きいと、又、絶対にうまく行かないといけないと本人が思っていると、それが凄い重圧になってしまう。逆に、どうでもいいかとなると、又、失敗しても、逃げる道がちゃんとあると理解できると、安心できて、上がることなく、実力が充分に発揮できることになる。

 私の場合は、大学受験でそれを味わった。母の仕事のつらさを見ていただけに、どうしても合格しなければいけなかった。1期を受けた時、化学の記入の仕方を間違えて、それで、本当に、1点でなく、0.5点で、2浪もしてしまった。

 1浪の時は、朝から晩まで、勉強していた。人間って、そんなにしても、能率が上がらないのだけれども、それが焦っていて、理解できなかった。そして、受験の時にも、落ちたことを考えたら眠れなくなって(3時間も眠れただろうか?)、得意の数学で失敗して、又、浪人することになった。

 2浪の時は、さすがに、開き直って、よく遊び、よく勉強し、よく運動し、郷里にも帰り、焦ることなく受験勉強をして、受験した。しかし、又、1期に落ち、そして、もう、医学部を受けない気でいたが、ひょんなことから、ある人のアドバイスで、浪人しなくいいと理解して(実際は、誤解だったのだが)、それが精神安定剤になって、実力が充分に発揮出来て、二期の医学部に合格出来た。

 それからの6年間は、全くの自分の決めたペースで、大学生活を送った(教養部の時から、朝4時頃に起き、夜は、9時過ぎには、もう寝ていることが多かったし、長い休みは、自分なりに、研修先を決めて、フルに有意義に過ごした)。大学の時に、皆と違ってしていたことは、試験の終わったその日から、又、勉強をしていたことだ。つまり、試験前には、真剣に覚える気になっていて、頭がシャープになっているので、それを利用して、まだ、教わっていない教科の内容の予習をしていたのである。

 熊本大学での医師国家試験の時は、もう、ほぼ完成された受験の達人になっていた感じで、1冊のノートにまとめ、それも殆ど見ることなく、前日は、皆が旅館で必死で受験勉強しているのに、水前寺公園辺りを散歩して、薬剤部長と相談した薬を飲んで(前もって試していた)、ぐっすり熟睡して、上がることなく、受験することが出来た。

 甥と友達の結婚式の時、3回、ソロで乾杯の前に、篠笛と太鼓の演奏を5分間程したが、緊張した。しかし、今では、程良い緊張が、いい結果を生み出し、又、多くの声援が却って、自分に力を与えてくれることになっている。

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ラストラン

2006-12-24 16:02:47 | Weblog
ディープインパクト、やはり強かった。もう、こんな馬は出て来ないのではと言った感じの最後のレースであった。
 平成18年12月24日(日)クリスマスイヴの日の15時25分過ぎ、千葉の中山競馬場での51回目の有馬記念で、11万2000人の観客の前で、多くの人の期待を通りに、優勝した。
 しばらく、最後から3番目に位置していたが、最後の200メートルでは、トップになり、後は差を広げるだけの走りとなった。多くの人が、ディープは、凄い、夢をありがとうとの気持ちを抱いたに違いない。
 2年間、武豊騎手は、この名馬と共に歩んでこれて、幸せを感じている。調教師も素晴らしいと思われるが、この武豊騎手の素晴らしさも、もちろんあると思う。
 他の騎手との違いを見ていると、武豊騎手は、余り、上下運動を大きくしていない。自分の重心を下げて、馬が走り易い様に、腰を踏ん張って、自分の動きを少なくしている。私は、ずぶの素人であるが、そう思えた。
 ディープインパクトにしても、小泉さんにしても、荒川さんいしても、新庄にしても、引き際がさわやかだなあ。自分も、先々、こんな風にありたいと思う。

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受験産業の塾禁止に賛成

2006-12-24 09:46:30 | Weblog
  塾にも、いろいろあり、どうしても学校の授業に付いて行けない場合に、やむなく、そこで補う目的では、理にかなっているとは思うが、又、日本の将来を変えることを目的として、大きな理想で素晴らしい教育がそこで行われているのであれば、それなりに素晴らしいと思うが、現実には、その殆どが、受験を目的としているもの。
 有名校に何名とか、大きく張り出して、如何にも自分の所の教育が凄いかを鼓舞せんが為に。それが、ある私立高校までもが、そんな感じになりつつある。

 学校では出来ないこと、例えば、ピアノとか絵とか、書道とか、スポーツとか、そんなことは、別である。

 学校でしているのに、それを又、塾でする。こんな非能率なことに慣れてしまっていること自体が異常である。

 自分が中学生、高校生の時は、その学校の(数学や英語の)先生が、帰って塾を開いていたが、今は、そんなことは出来なくなっているはず。しかし、今でも、現に、後で塾で教わったらいいとか、塾を紹介している現役教師までいるらしい。

 こうなってしまったのは、社会に出ての有名大学のメリットがあったから。

 しかし、今は、本当にそうだろうか?一部は、確かに、認めざるを得ない。官僚などは。

 医師になるのに、有名大学に入っても、それで将来が全て保証される訳ではない。それを得る為に失ったものを、その後、長期に渡って悟って行くだろう(有名校を目指していた人程、それで、無意識的に他人を評価しようとする傾向にある)。

 それに、入学した時に、疲れ切ってしまって、他のことを積極的にやる気が起きなくなっている例が多いと思う。

 学校は、予備校ではない。美術や音楽や道徳を削っているのなら、それは、もう、学校ではない。

 もっと、原点に戻るべきである。
 以下は、今日の朝日新聞の内容。

「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調
2006年12月23日22時55分
 政府の教育再生会議の野依良治座長(ノーベル化学賞受賞者)が8日に開かれた「規範意識・家族・地域教育再生分科会」(第2分科会)で、「塾の禁止」を繰り返し主張していることが、同会議のホームページに掲載された議事要旨でわかった。しかし、再生会議が21日にまとめた第1次報告の原案には「塾の禁止」は盛り込まれていない。
野依良治座長


 議事要旨によると、野依氏は「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。

 JR東海会長の葛西敬之氏は「日本の数学のレベルは学校ではなくて、塾によって維持されている、という面もある」と反論したものの、事務局側は「公教育が再生されれば、自然と塾は競争力を失っていく。結果的になくなる」と同調、国際教養大学長の中嶋嶺雄氏も「野依座長のおっしゃったように塾禁止ぐらいの大きな提言をやらないと」と野依氏に賛同するなどひとしきりの盛り上がりを見せた。

 家庭教師の問題も、同じだと思う。その子のことを本当に考えているのなら、家庭教師に頼らずに、自分なりに頑張れる様に援助する程度に止めるべきで、何から何までしようとするのは、将来のことを考えるとマイナス。

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楽しい食事会

2006-12-24 08:58:09 | Weblog
 昨日は、18時半から、事務長さんの誘いで、食事の集まりに呼ばれた。
 行くと、14人の年配の大人ばかりが集まっていた。その後、二人遅れて来て、16名。いつも、年末は、こんな感じでしているとのこと。
 それぞれが、いろいろと食べ物を持参している。夫婦で来ている人が多い。皆、言いたいことを言い、楽しく酒を交わしている。自分は、お客さん扱いって感じで、新しい食べ物が運ばれると、「先生、食べてみて下さい・・・」と言ってくれる。
 バングラデシュのダッカでのことを思い出した。そこでは、お客さんは、特別扱いだ。一番おいしい食べ物が宛がわれ、一番いい部屋が宛がわれた。それと全く同じ感じであった。
 笛を持って行ったので、それで、「影を慕いて」を吹いた。途中で、夜の急患が来たので、いったん病院に戻って、又、行った。
 出席者は、皆、明るい。皆、楽しそうだ。皆、心が通っている。田舎はいい。

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