「エレナの告白」
サラ。 いとしい子、たったひとりの私の娘。
知っていたわ。教室に掛けていた<あの絵>を、あなたがずっと
模写し続けていたこと。
あなたにそうさせていたのは、あなたの中にタヒチ人の血と
画家の血が――ポール・ゴーギャンの血が流れていたかもしれない。
私はタヒチで生まれて、17歳で父と一緒にフランスに渡るまで、
タヒチで両親と共に暮らしていたの。
私のお父さん――あなたのおじいちゃんは、ギュスターヴ・ジラールは
フランス人入植者で、貿易商をしていた。
私のお母さん――あなたのおばばちゃんは、フランス人の父と、
生粋のタヒチ人の母を持つ混血児だった。
名前は、タウッアヌイ。
フランス名はレア。
20歳の時ギュスターヴと結婚した。
そして生まれたのが、
私(エレナ)だったの。
画家になりたいと強く願うようになり、17歳の時に、なんとしても
フランスにと思い、父がフランスに帰国すると決めたのを折りに、
必死になって頼んだの・・・。
父は「ウイ」と言ってくれたので大喜び。
当然、母も一緒に。
ところが、母は残ると言う。 私はびっくりして声も出なかった。
母が言うには、
このパリ行は、あなたのたったひとつの望みだったんでしょう?
美術学校に行って、画家になるんでしょう?
それともあきらめるの?
ここで一生暮らしていくの?
母を置き去りにしてまで…私の心は引き裂かれそうに~
悩み、悩んで・・答えは出ず、出発の日はどんどん近づく。
とうとう熱を出してベッドに伏せってしまったの。
ふと気がつくと、母の声が。
エレナこの絵をごらん。
これはね、エレナ。
私のお父さんが‥‥お前のおじいちゃんが描いた絵。
そして、この女の人は、私のお母さん‥‥お前のおばあちゃんよ。
私の…おじいちゃんが描いたの?
そう。彼の名は、ポール・ゴーギャン。
フランスから来て、この島で暮らした画家よ。
母さんの名前はヴェエホ。
14歳で父と出合い、妻になった。そして、私をお腹に宿しながら
父と別れた。母は実家に戻り、私を生んだ。
父は、その翌年に一人ぼっちで死んでしまった。
私は、母と祖父母に育てられ、父の顔を知らずに育った。
その母も、私がギュスターヴと結婚する前に、病気になって
天に召されてしまった。
この絵はね、エレナ。
私の母が天国へ逝ってしまう少し前に見せられたものなの。
<レア、お前に渡したいものがある。
お前だけに話しておかなければならないことがある>って。
そのとき初めて、私は倒産の名前を聞かされたのよ。
エレナ、いいこと?
お前の中にはこの画家、ポール・ゴーギャンの血が流れているのよ。
だからフランスへ行きなさい。
行って、画家になりなさい。
それがお前の運命なのだから。
お前が決心したら、そのときに教えましょう。
私が母・ヴァエホから伝えられた「真実の物語」を、
そして渡しましょう。
この絵<ヴァエホの肖像>と、母から手渡された「お守り」を…。
出発前日、最後の夜。部屋で母を待っていた。
少し離れたところに立っていた。
黒い瞳でじっとわたしを見つめると、後ろ手に持っていた何かを
私に向かって突きつけた。
~鈍い銀色の光を放つリボルバーの銃口を。
私は息を止めたわ。 だけど怖くはなかった。
母が私に伝えなければならない「真実の物語」、その口火を切るために
それが必要なんだと直感したから。
やがて、母はゆっくりとリボルバーを握る手を下した。
そして、私をみつめたままで、唇が動き始めた‥‥
母の口からこぼれ出た言葉。
最初は静かに、次第に熱を帯びて…。
・・・私。 私の名前は…ヴァエホ。
私には男がいる。
男の名前は、ポール・ゴーギャン。
フランス人で、画家だ。
彼は私を見つめていた。全身を目にして~
私の目、唇、胸、腕、足、歩き方、スカートの裾…
彼のがっしりとした樹木のような姿。
日に灼けた肌、
帽子のつばの下の血走った目。
じっとりと粘っこい視線。
ある日、突然、彼は私の家へやって来た。
そして両親に言った。
<あなたがたの娘を私に下さい>
私は怖くて、自分の部屋に隠れたしまった。
けれど、両親は私に言った。
<ヴァエホや、あの人のところへ行きなさい。
あの人と一緒になれば、きっといい思いをするだろう、
そう、私たちも>
・・・そうするほかはない。
彼は私を両腕に抱き上げて、馬の背に乗せて
風通しのよさそうな 草葺屋根の家。<愉しみの家>へ着いた。
最初は怖かった。次第にそれは私にとっても愉しみに変わっていった。
彼が「アトリエ」と呼んでいた部屋には、木枠に布張りした
「カンヴァス」がいっぱいに並んでいた。
彼はその部屋で私にいろんなポーズをとらせ、絵を描いた。
彼が描いた。私の姿。はっとするくらいきれいで謎めいていた。
私以外の少女を描いた絵もあった。
薄い胸をあらわにした浅黒い肌の少女たち。
濡れた瞳、くちづけを待ちわびる唇。
いくつもの私じゃない顔。
裸で横たわったり、立膝をしたりして‥‥
誰なんだろう。絵の中の少女たちを見ていると、胸がむかむかしてきて
壊してやりたい気持ちになる。
我慢できなくなって、私は彼に言った。
<ねぇお願い。 もっと私を描いて。
私の知らない女の子を描かないで>
彼はこう答えた~
<私にはいま、ほかに描きたいものがある。
もうすぐフランスからくるはずだから、それを待っているんだ>
なんだろう。
何がやって来るんだろう。私は彼と共にその日を待った。
ある日の午後、郵便配達人がやって来て、小さな封筒を届けた。
<待っていたものが>
それは植物の種だった。
私は全身の力が抜けてしまった。
そんなものにおびえていたなんて。
(もしかすると、私にとって来ては欲しくないものが来るかもしれない。
彼の家族とか、彼の妻とか…嫌な予感が私を怯えさせたの。)
彼は種を蒔いた。
<毎日水をやってくれ>そう頼まれて・・水やりを続けていた。
近くの泉まで水汲みがおっくうだった。食欲もなかった。
新しい命の宿りに気がついたのは、緑色の双葉が伸び始めた日の
ことだった。
いく枚もの葉が日に日に大きくなっていくのに合わせるように
私のお腹もだんだん、膨らんでいった。
私は彼に身ごもったことは言わなかった。
彼は気づいているのに何も言わない~
変化に気づいているのに目を背けていた。
彼の視線が追いかけているのは…どんどん育っていくみしらぬ植物だった。
それは天に向かって挑みかかるようにまっすぐ伸びていった。
どのくらいの日数が過ぎただろう~
私を迎えたのは、金色に輝く大きな花だった。
黄色い縮れ毛をなびかせて、まん丸で平べったい黒い顔が
じっと私を見下ろしている。
私は彼を呼びにいった。
彼は裸足で駆け出し・・・花の前に立った。
半開きになった彼の口から言葉にならないうめき声が漏れた。
<咲いた> 彼はつぶやいた。<ひまわりが>
それから何日かして
<花を切ってアトリエに持ってきてくれ~ 色々合わせて15本>
イーゼルとカンヴァスが横向きに置かれていた。
<よし> 彼は両手をパンと叩くと私の方を向いた。
そして、当たり前のように言った。 <出ていってくれ>