黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.14

2021-07-09 | 日記
 パリ二区、リシュリュー通りに面して佇むフランス国立図書館
冴は月曜日の朝一番で訪問した。

 一千万冊以上の書籍、原稿、版画、地図などなど。
この国でつくられたあらゆる印刷物関連の資料が保管されている。
 いかなる部類のものであれ、フランス国内で発行されるすべての
印刷物は一部をここに納めなければならい。   
                         *凄いね!
  
(近頃、身近な国では…保存・保管すべき資料を、修正、黒塗り、廃棄処分を重ねてるよ!
             これは ひどいよネ… )   

                       
 
 閲覧室は、本とインクの匂いに満ち溢れている。
      
 
    冴は、頻繁に利用しているのはリシュリュー館の引接する
国立芸術史研究所

      


 先週末、オーヴェールから帰宅したあと、フリップからのメッセージが。

「素晴らしいガイドありがとう。
    最後の社長の「推理」が超ウケたね。」

 君の仕事はこれからでしょ。
  社長が言ってたじゃないか。「X」(イクス)の四つの秘密
  つじつまを合わせるためには、第一と第二の秘密が事実であることが、
  前提になる、て」

 「ってことは…」冴。

  そうだ、『X』が何者なのか、そもそも実在していた人物なのか、
  それを調べずして仮説は成り立たない
            
  ゴーギャンの子孫~しかも女系の~が存在しないと立証されれば、
  「ゴーギャンのリボルバー」はサラの作り話ということになる。
           
    ・・・・これはなんとしても立証しなければ

さらに、フィリップから
 「あのリボルバーには二人の重要な痕跡が遺されている…って
  ことになれば、あれは単なる鉄屑じゃなくて、相当に価値のある
  お宝に変わるわけだろ? 僕らが君から聞きたいのは、
  そういう報告だよ。 じゃあね、おやすみ」

 昨晩のことから、
   冴は、 今、国立研究所の書庫に入っていた。

****
 ゴッホが自殺したという説は、長い間本人の自白に基づくものとして
信じられてきた。ゴッホの告別式に参列した画家仲間のエミール・ベルナールは、
ゴッホを支持する評論家に宛てた手紙の中にこう書いている。
                    エミールベルナール

「フィンセントは最後までパイプを手放すこと拒み、タバコを吸いながら、
 自分は意図的にこのような行為に及んだのであり、そのときの自分は完全に
 正気だったと語った。」

 ゴッホと最後の時間をともに過ごしたのは弟のテオのみ。
 ベルナールがテオから伝え聞いたものとして手紙の中で引用されたのだろう。
 が、そのテオが最も近い存在だった妻のヨーへ書き送った手紙には、
          ⇒    
 
 フィンセントが「自殺を図った」とは一言も明記されていない。
 そして、唯一の証人であるテオは、フィンセントの死の僅か半年後、他界した。

  つまり、「ゴッホの自殺」を証明する決定的な証拠は、
      兄弟の死と共に永遠の謎として葬られてしまったのだ。
 
書庫の棚にぎっしりと並ぶ背表紙に目をやりながら~ 
思わずため息を。

まずは、第一の秘密、自称・ゴーギャンの孫「X」の特定だ
 〇 5人の子供の内、唯一の女の子(アリーヌ)と次男(クローヴィス)は
   ともに若くして他界している。
 〇 残された3人の息子たち(エミール、ジャン=ルネ、ポール=ロロン)に
   それぞれ子供がいたかどうか
  「娘」ではなく、「息子たち」なのが、
 すでに第2の秘密「母から娘へと伝えられた」というのに沿わないが、とにかく、
 ゴーギャンの直系の孫というところに焦点を絞って、その中の誰かが「X」
 である可能性を探ることに。

   膨大な文献の中から新病勢の高い情報にたどりつけるだろうか~

                

         *********
 開始後~ ゴーギャンの孫のひとり、ポール=ルネ・ゴーギャン
      行き着いた。この人物はノルウエーの代表的な絵本画家で
       おそらくゴーギャンの孫のなかでは最も高名だろう。
      父親はゴーギャンの末っ子、ポール=ロロン
      ポールは『父・ゴーギャンとの思い出』という本を出版。
      ルネは、絵本画家で名を馳せスぺインで没している。
       享年64。 従って、この人物は「X」ではない。

                    長男のエミールは技師となり、2度目の結婚でアメリカへ。
      1955年に他界。前妻との間に3人子供。 ゴーギャンの孫。
      没年は見当たらない。 末弟ペドロ=マリアがもし生きていれば
      100歳を超えている。 可能性はゼロでないからリストに。

      三男のジャン=ルネ 船乗り、最終的にデンマークではよく知られた
      造形作家。1961年没。長男ピエール・シルベスターは61歳で死去。
      長女ルルーは作家。僅か34歳で早逝。 このふたりも消える

   「・・・・となると・・・
       ペドロ=マリアが『X』だったかもしれないってこと?」


サラは、数か月前に自称・ゴーギャンの孫から秘密を打ち明けられた、
ということだから、その時点で105歳…
    いやそれじゃギネス認定レベルでしょ。

           やっぱり作り話だったのかな。

 大きくため息をついた。それから目をつぶった。
  しばらく手を止めて…瞼の裏に思い描く~
 今、調査の対象としているゴーギャンの姿を…

 その時、< 僕は、友人のゴーギャンがとても好きだ>
      ふと、忘れがたいフレーズ」が胸に浮かんだ。
                 ゴッホの言葉だ。

 晩年に妹に書き送った手紙の一節に 
 <だって彼は、子供と絵、両方ともつくれるんだから>

の言葉は…
   自分が生涯を通して持つことができなかった「子孫」を
 ゴーギャンが持ち得ていることをうらやんでいたのだろうか。

 子供と絵。 どちらを究極の「創作」と呼ぶべきなのだろう。
 もちろん、アーティストとしては傑作を生み出すことこそなんだが。
 ・・・人としては?

 <…確かに私は不幸だろう。
      だが、あなただって私と同じ不幸な人間じゃないか>

    この一文は、ゴッホからゴーギャンへ宛てた手紙の中にあった。

 冴はこの文献をパリの大学で美術史を学び始めたばかりの頃だった。
 {完璧なフランス語で書かれた一文には、
 ゴッホのさまざまな感情が込められていた。
 憎しみ、妬み、さびしさ、憐れみ。人として生まれ、
 人として生きるせつなさ、それをゴーギャンと共有しているという
 かすかな愉悦。}

 冴の願いはどっちが不幸だったのか、幸せだったのか ~
     それはふたりにしかわからないこと。
  でも、冴としては、
    画家としても人としてもふたりとも幸せであったことを

 ゴーギャンの思いを後世に伝える人~ 
 ゴッホにとってのヨーのような存在 ~ が、本当にいたとしたら
 
そうだ。
 そのひとこそが、あのリボルバーを今に伝える人に違いない。
 その人は、いったい誰なのか・・・・。


突然、冴の脳裏にゴーギャンの回想記『前後録』の一文が蘇った。

     <私は愛したいと思う、ができない。
        …私は愛すまいと思う、ができない>

 「…あ」 目の前に閃光が走った気がした。

  ゴーギャンが愛したのは妻だけではない。
     彼には複数の愛人がいた…! 

 全身がざわっと粟立った。 
   そう、ゴーギャンには複数の「婚外子」がいたはずだ。

 それだ!
  どうして思い出さなかったのだろう~
  「ゴーギャンの子孫」とは妻メットとの子供たちだという先入観に
   とらわれてしまっていた。

冴は、つぶやきながら、一気に 愛人関係にあった女性たちの名前を書きだした。

  「ええと、まず、ジュリエット…テフラ…アンナ。 ズーリー
    パウラ…それに、ヴァエホ…」

  さぁ、いよいよ彼女たちがゴーギャンの子供を産み育てたのかどうか、
 たどっていこう。


その前に
私が、思うに…当時(1890年代)に
 ヨーロッパからタヒチまで‥‥どうやって? どのくらいの時間が…と。
   地球上の位置 分かりますか?

        遠い・・・
      
 ちょっと調べてみました。

ゴーギャンは1891年6月9日 タヒチのパペーテの港に初めて降り立った。
       

渡航費用の割引を得て船旅ができることに、いろいろ手を打ったようです。
(彼は「目的不明の特使」として派遣された者だったのです。
  う~む、この目的不明ってやつ?  ひょっとするとスパイ行為?)
         特に、ジョルジ・クレマンソーの助力を得た。
  *(フランスの第40代首相) 
 * 画家クロード・モネの親友
                
   モネの名作「睡蓮」はクレマンソーの提案で描かれた。
   のちに睡蓮の大作を国に寄付することを約束し、その絵を
   展示するためのオランジュリー美術館を整備することになったのです。

       

 館内展示 大作「睡蓮」


*この項関連で 私のブログ
   2020・4・15  モネ「ジヴェルニーの庭がカンヴァス」
   2020・4・18 「筆のタッチは踊るように」
                        是非ご覧ください。

*クレマンソーは日本の茶道具「香合」に魅せられ多数蒐集・所蔵
 現在は、クレマンソー、コレクションとして一般公開されている。


        



  
       


船は、フランス・マルセイユ(1891年4月1日)オセアニア号に乗り出港
ニューカレドニアのヌメアを結ぶ船で5月12日に到着。

ヌメアからヴィール号に乗船し、5月21日出港。

タヒチのパペーテに1891年6月9日到着 なんと、2ヶ月間も。
 
 3週間はパペーテで過ごす。
       
 
 45㎞離れたパパアリにアトリエを構えることにして自分で
 竹の小屋を建て制作に励む。
        
 この時期に傑作の多くが生み出されている

 これからゴーギャンの作品が多く出てきますが、まず最初に
ご紹介するのが~

    「ファタータ・テ・ミティ」(海辺で)



 「イア、オラナ・マリア」(マリア礼賛)
              *タヒチ時代で最も高い評価の作品。

 


            まだまだ続きます~      
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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。