これから「サラの追想」「エレナの告白」「ゴーギャンの独白」と
続きます。
サラの母(エレナ)は、ゴーギャンの孫娘。
ゴーギャンはサラの曽祖父。
この3人の「人生」を追いかけていきます。
共通しているのは、「ゴッホ」と その所縁ある「オーヴェール」
それぞれの時代で(ゴーギャン、エレナ、サラ)はこの縁ある地での
出来事を振り返ることになります。
いや、この物語に登場する、「冴」も、同じ地(オ-ヴェール)を
同じように訪ね歩き、当時を実感し、史実との整合性を確認していく
のです。
まず最初に「サラの追想」から
何人かの子供たちが一心不乱に色鉛筆を動かしている。
母は、子供たちの間ををゆっくりと歩きながら、一人一人の
スケッチブックをのぞき込む~
サラは色鉛筆を持ったまま、もじもじして、何も描けずにいる。
その日、仲良しの子に言われたのだ。
‥‥サラ、絵が上手だね。
いっつも先生に絵の描き方教えてもらってるんでしょ。
いいなぁ。
だって先生はサラのママンなんだもん。
・・・・母、エレナは画家だった。
サラには生まれたときから父親がいなかった。
エレナは絵画教室の生徒の父親と恋仲になってサラを宿した。
~という出自についてサラが知ったのは、ずっと後になってから
のことである。
独りでサラを育て上げた。
母と同様にサラも家庭を持つことなく、また、子供を持つこともなった。
サラは、エレナが他界するまでずっと一緒に暮らしてきたので、
何でも話せる親友同士のような関係だった。
サラは母にだけはどんな小さな隠し事もしなかった。
母もそうだった。
そう信じて疑わなかった。
エレナが他界する直前までは。
サラは物心ついた頃から、エレナに連れられて美術館へよく出かけた。
頻繁に訪れたのはルーブル美術館。
オルセー美術館は(1986年開館だから、サラが20代半ばから)
オルセー内 ナビ派やゴーギャンの絵の展示室
サラは印象派の作品に自然と親しみを覚えるようになり、画家になりたい
と夢見るようになった。
何んといってもサラのお気に入りはゴッホだった。
<アルルの女>の黄色
<アルルの寝室>のベッドの赤
晩年に描かれた<オーヴェール=シュル=オワーズの教会>の空の青。
それぞれの色に少女のサラはいつもぎゅっと抱きしめられるような
感じを覚えた。
サラはいつしかゴッホの絵に夢中になった。
絵本を読み、伝記を読み、評伝を読み、ゴッホの絵を模写しながら
成長した。
またあるとき、こんなことがあった。
やはり十歳前後の頃
いつものようにルーブル美術館でのこと
ゴッホの絵の前で模写を始めたサラを見守っていたが、しばらくして
母エレナが声をかけてきた。
・・・ねえサラ。 ポール・ゴーギャンの絵をどう思う?
母の肩越しに、向かいの壁に掛かっている絵
<タヒチの女>が見えた。
タヒチ時代のゴーギャンの代表作のひとつである。
ピンク色のワンピースを着た少女と、白いノースリーブのブラウスに赤い腰巻の少女。浜辺でくつろぐ二人のタヒチの少女が画面いっぱいにどっしりと座っている。
つややかな黒髪、ぽってりとした唇、褐色の肌。
あれ? とサラは気がついた。
あの子たち、なんだかお母さんに似てる‥‥。
そう口には出さずに、サラは、ふうん、と首をかしげて見せた。
‥‥あんまり興味ないし、好きじゃない。
どうして? ファン。ゴッホは大好きなのに?
‥‥そうだよ。でも、ゴッホとゴーギャンは別の画家でしょ。
そう、その通りよ。
ふたりはお互いに真似はしなかったし、ほかの誰にも似ていなかった。
生きているあいだはどちらも世の中に認められることはなかった。
でもね、彼らは、それぞれに素晴らしい画家だったのよ。
彼らは、それを分かっていたんじゃないかな。‥‥お互いに。
それから数日経ってのこと。
自宅の絵画教室に1枚の絵がかけられていた。
見覚えのある女性の肖像画だった。
サラは、あっと声を上げた。
ゴーギャン。 ポール・ゴーギャンだ。 ぜったい、そうだ。
そして、あの女の人は‥‥
ドアーの向こうで、
エレナと到着した生徒たちがあいさつを交わす声が~
突然、ひとりが大声で言った。
‥‥この女の人、先生に似てる。
サラは、どきりとした。
ほんとうだ似てる、と子どもたちははしゃぎ始めた。
そこへエレナがやって来た。
先生、この絵の中の人、先生に似てる。
ねぇ先生、この絵は先生が描いたの?
この絵の人は先生なの?
子供たちに囲まれて、エレナは少し困ったような、
くすぐったいような~
~みんな静かに。
さぁ、席について、この絵のこと、教えたあげるから。
この絵の中の人は、私のおばあちゃんよ。
どよめきが起こった。
凄い、あたし知ってる。
有名な画家だよ、ぼく美術館で見たことある‥‥
その絵はそれからずっと教室の壁に掛けられていた。
エレナの祖母…サラの曾祖母はタヒチ人だったということ。
つまり、自分はタヒチの血を受け継いでいるのだということ。
自分につながってている人物が、ゴーギャンの絵のモデルを務めたと
いうこと。それで充分だった。
それから十五年後。
自分の創作を続けながら、パリ市内の市立美術学校の教師になった。
エレナは六十歳を過ぎたころ、絵画教室を閉めると決めて生徒や保護者に告知をした。
誰もが引退を惜しみ、皆が労ってくれた。
事件はその直後に起った。
サラが職場から帰り、自宅の玄関口でエレナが警官らしき男たち
数人に囲まれて事情聴取を受けていた。
娘の顔を見たとたん、ああ、サラ!
と悲痛な声で叫んでエレナがしがみついてきた。
声を絞り出すようにして、彼女は言った。
‥‥<あの絵>が‥‥ゴーギャンの絵が‥‥盗まれてしまったの‥‥
あの絵に関する写真はおろか、もともと何の資料も持ち合わせていない
<あの絵>が盗まれたことも、教室内に飾ってあったことすら証明できず、
エレナは困り果てていた。
警官たちも困惑の様子を隠せないようだった。
ここにあったポール・ゴーギャンのタヒチ時代の絵が盗まれたと言われても、まったく雲をつかむような話だからである。
警官は、
母の精神状態、妄言ではないか、
または事故で記憶がおかしくなる後遺症があるとか~・・・・
警官の質問は続き~ サラは 荒々しく部屋を出て行き、自室から
スケッチブックの山から、何枚ものクロッキーと水彩画を…
‥‥さぁ、見て! これが証拠よ! 私が10歳のときから昨日まで、
その絵はここにあった<あの絵>は、 この場所に、私たちと!
‥‥参考資料としてお預かりします、と感情のない口調で警官は言った。
それっきり、<あの絵>は消えてしまった。
母が生きているあいだ、そして母が死んでしまっても、
サラのもとには戻らなかった。