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ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.19

2021-07-22 | 日記
 先週の土曜日
 皆さん、オルセー美術館の名品鑑賞して頂いたと思います。
 いかがでしたか?
 先週、 サラは仕方なくひとりで出かけていった。
              ‥‥というところで終わってました。


物語に入ります!

 サラはオルセー美術館に足を運びました。
子どもの頃からルーブルで見つめ続けてきたゴッホとゴーギャン
 二人の絵が、後期印象派展示室の一室を完全に占領して、
右と左
前と後ろ


対面する壁にそれぞれ展示されて向き合っていた

  

何度も、何年もみつめ続け、追いかけ続けてきたふたりの絵。

それぞれの作品の前で、サラは長いこと立ち止まった。

ゴーギャン作    <黄金色の女たちの肉体>


 制作された1901年はゴーギャンの死の二年前で、その展示室の中
では晩年の作というべきものだった。

もはやゴーギャンのアイコンとなっている褐色の肌の若い女性がふたり、
ほぼ全裸で、ラベンダー色の敷物の上に座っている。
黒い瞳は誘うような微笑が浮かび、健康的なエロスの匂いが漂っている。
豊かな黒髪も、つややかな肌も、膨らみかけた乳房も、去年まであった

<あの絵>の中の女性・・・・
       

 母の言葉を信じるのならば、サラの曾祖母===とよく似ていた。
              (*このシーン 記憶しておいてくださいね)
この女たちは、ゴーギャンと深い関係にあったのかもしれない。
 ゴーギャンが性的に奔放だったこと、モデルの女性としばしば
肉体関係を持っていたこと、タヒチ人の少女を愛人にしていたことも、
サラはもはや知っていた。

とすれば~ 私のひいおばあちゃんも? 

あわてて絵の前を離れた。
まるで意中の人と出合いがしらに目を合わせてしまったかのように。

 <黄金色の女たちの肉体>に背を向けて、真向いの壁に
展示してあるゴッホの晩年の傑作
<オーヴェール・シュル・オワーズの教会>の前に佇んだ。
      
コバルト色の空をを背景にすっくり立つ教会が、気品あふれる貴婦人のようにも、
痛手を負ってうずくまる巨大な獣のようにも見える。
聖俗が混在し、清濁を併せ持つ。それがゴッホの絵の特徴だった。

補色を意識した色遣いと呼吸が込められた筆運び、その斬新さ、躍動感に
あらためて向き合って、  サラは口の中で、ブラヴォー! と。


 この絵が描かれた1890年、世の中はゴッホを決して認めようとは 
 しなかった。
 ゴッホを精神的にも経済的にも支え続けた弟のテオでさえ、
 これほどまでにとんでもない絵を平然と撃ち込んでくる兄の途方も
 なさに恐れをなしたことだろう。

 ゴッホはまったく別次元の画家だった。

 それにくらべると、ゴッホが生きていた頃のゴーギャンのなんと
 おとなしくて常識的なことか!

アルルでの決別のあと、ゴッホとゴーギャンは
二度と会うことはなかった。

それがいま、新美術館の同じ展示室で、
あっちこっちの壁にそれぞれの作品が掛けられて、
真向対峙している。 ‥‥どう思うだろうか。

もしここに、ゴッホとゴーギャンが居合わせたら。
   

お互いの絵が向かい合わせに展示され、
それを見るために世界中の人々がひっきりなしにここへやって来る。

 いま、この現実を、彼らが目にしたら?


そういえば、自分はこの教会のある場所---ゴッホの終焉の地
 オーヴェール・シュル・オワーズに一度も行ったことがない。

この教会は今もあるのだろう。
自殺したゴッホの葬儀を拒否した教会だ。
近くの墓地にはゴッホ兄弟が眠っているということだ。
  一度行ってみよう、と、サラ心に決めて、
オルセー美術館を後にした。

――――ねぇ お母さん、今度の週末に
オーヴェール・シュル・オワーズへ一緒に行ってみない?

サラに誘われて、エレナは一瞬、昔ばなしでも聞いたかのように
懐かし気な表情を浮かべた。 が、母は弱弱しい声でこう言った。

 いってらっしゃい、うつくしいところよ。

私もあなたの年頃に、ファン・ゴッホが描いた風景を追いかけて、
何度も通ったわ。‥‥あなたが生まれる前に。


 オーヴェール・シュル・オワーズ駅にひとりで降り立ったサラは、
短い坂道をたどって
ゴッホが描いたあの教会へと向かった。
 実際に見てみると、想像していたよりも小さく、色あせて古ぼけた建物だった。
フランスの田舎町ならどこにでもあるタイプの教会だ。
         

こんなちっぽけでなんてことない教会を、まるで人格があるかのように
堂々と描いてしまう画家の度量に、サラはあらためて舌を巻いた。

 麦畑       

 ドービニーの家   

 医師ガシュの家     

 ゴッホゆかりの場所を訪ね歩き、最後に共同墓地へ出向いて、仲良く並んだ
ゴッホ兄弟の墓の前に佇んだ。
           

 青々と茂る葉が北風に震えていた。

パリに戻るまえに、ゴッホが下宿していたという食堂「ラヴー亭」に
立ち寄った。
         

テーブルに着き、注文を取りに来た給仕係に、
豚肉のリエットチコリのサラダ、それに赤ワインを頼んだ。
                     

男の肩越しにカウンターの後ろの壁が見え、そこに錆びた赤茶けた
鉄の塊のようなものが掲げてあるのがふと目に入った。
サラは奇妙な形のオブジェをじっと見つめた。

どうやらピストルのようだが、手入れの行き届いた趣味用の
アンティーク銃とは異なり、汚れた血のような錆が全体に付着して、
かろうじてピストルだとわかるような状態だ。
        
         誰かのアート作品なのかな。

料理の皿を運んできたギャルソンに、訊いてみた。

 ・・・ あのピストルのようなものが何ですか? ・・・

ああ、あれね、と男は、さもつまらなさそうな声で返した。
あれはファン。ゴッホが自殺に使ったっていうリボルバーだよ。

えっ? とサラはとっさに訊き返した。
 なんですって? ファン・ゴッホが‥‥?

・・・よく知らんけどな。
あれはこの店の先々々々代くらい前の主人の持物で、何十年だか、
何百年だかまえに、この部屋に下宿してたファン・ゴッホって絵描きが…
あんた知ってるかい、その絵描きを?  ああ知ってる、そう、
あのファン・ゴッホが借りたか盗んだかして、あっちの方の麦畑で、
こう、バン!ってね。胸を撃っておっ死んだそうだよ
それでピストルは長らくどっかへいっちまってたんだけど、
二、三十年まえに近所の農家の親父が自分のとこの畑を掘り返したら出てきて
それで騒ぎになってだな‥‥気味悪いし、先の持ち主に返そうってんで、
以前の主人の家族に返されたんだが、いまじゃ有名な絵描きのファン・ゴッホが
自殺に使ったっていうんなら、本人の下宿先だった食堂に飾っときゃ面白いだろう
、ってわけで、
そこにあるんだよ。 ま、よく知らんけどな。
   そんなとこでいいかい、マドモワゼル?  さぁ、食べとくれ。

 サラはぽかんとしたままで一方的に話を聞かされてしまった。
まるでお伽話のようなのどかさだった。

帰宅後、教会や麦畑やゴッホ兄弟の墓について娘が語るのを、
エレナは静かな笑みを浮かべながら聞いていた。

そして、そう、よかったわね、とひと言だけ口にすると、
それきり何も言わなかった。

オーヴェールへの訪問をきっかけになって、サラは定期的にゴッホの
足跡をたどる旅に出かけるようになった。


 アルル
       

 サン・レミ・ド・プロヴァンス
       

 オーヴェール
         

フランス国内に限っていたが、自分のスケッチ旅行も兼ねて足を運んだ。
サラのゴッホ巡礼は26歳で始まり、58歳の現在に至るまで、
30年以上も続けられた。

本音を言えば、ゴーギャンの足跡もたどってみたかったのだが、
こちらはブルターニュ、ポン・タヴァン
 
            
を一度訪ねたきりで、肝心の
タヒチ・ポリネシア行きは、望んだところでかなわなかった。

それぞれの土地にはゴッホが描き残したモティーフが
いまなを姿を変えずにそこにある。
サラにはそれが不思議であり、またありがたいようでもあった。

アルルの夏のヒマワリの黄色がまばゆく彩り、
         

サン・レミの初夏をアイリスの青が凛々と縁どっていた。
         

オリーブの枝葉は幾千の銀色の蝶となって風の中で乱舞、

夜半の糸杉は黒い塔に姿を変えて月を貫いていた。

オーヴェールの野ばらは宵をすくい取ったようんひんやりと
青白くほころび、
                     

風が麦畑のさなかに黄金色の道を開いていた。



 サラは、ゴッホの作品の中で、
何といっても<ひまわり>が好きだった。
アルルで過ごした最初で最後の夏に、ゴッホはひまわりの絵を
四点制作した。
その後それらを下敷きにしてさらに三点、描き足した。

残念なことに、アルルで合計七点描かれた<ひまわり>は、
一点も同地に残されていない。

そればかりか、ゴッホによってアルルで制作されたおびただしい
作品はただのひとつも同地にはなかった。

長い歳月の中でゴッホが伝説化され、その革新性が認められ、
価値が上がり、世界中の美術館やコレクターのもとへと散らばった
結果、そうなってしまったのだ。

この<ひまわり>の絵の中で最も有名な1点は、
ロンドン・ナショナル・ギャラリーにあった。

    

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 一度でいいから見てみたい。
 サラはひとりで出かけていった。
 28歳のときのことである。 

ゴッホゆかりの土地を旅して描き溜めたスケッチをもとに、
サラは自らの作品を制作し続けた。
定期的に個展を開くようになった。
必ず買い入れてくれる愛好者たちもいる。
 画家と名乗れる満足感はあった。

パリから電車で小一時間で行けるオーヴェールは、サラにとっては
第二の故郷のように感じられる場所となっていた。

オーヴェールに通い始めた翌年、
オーナーが替わって改装するとのことで
ラヴー亭は突然閉められてしまった。

またその翌年、28歳のときのことである。
オーヴェールへ出向いた。

いつもようにラヴー亭に立ち寄ると、主人がやって来て、
意外なことを告げた。

 ‥‥この店を閉めることになったよ。

サラは驚いて、改修するんですか? と訊くと、
主人は首を横に振った。

この店も、建物も土地も、全部ひっくるめて買いたいという
人物が現れたんだ。ベルギー人なんだがね。
気味がしばらく来ないうちに、いや、まぁ、なんというか、
大変なことが起こってね‥‥。

サラがリアム・ペータースに初めて会ったのは、
それから6年後のことだった。

店と建物と土地をすっかり買い取って改修した。
そして、ゴッホ終焉の部屋の一般公開に踏み切った。
        

ふたりは互いにゴッホを置きかける続けているということで、
すぐに意気投合した。
ペータース最終目的は、ゴッホの最後の夢をかなえること。

最晩年にテオに送った手紙の中の一節       
 ‥‥いつかカフェの壁に僕の絵を飾って個展がしたい‥‥を、

 彼が息を引き取ったこの場所で実現することだった。

その思いはサラも同じ。
 サラはペータースの深い思いと情熱に心を打たれ、感銘した。
そして、財団の活動は次第に世界中に失られるようになり、
ひっきりなしに観光客が訪れるようになった。
サラは自分にできる限りのことを、財団の為に、ゴッホのために
したいと考えていた。
自分には母以外に家族もいないので、母から受け継いだ
アパルトマンを生前贈与鵜することも考えていた。
やりすぎだとはちっとも思わなかった。
そこまでするのは、ペータースに恋愛感情があったからではない。
二人の関係は同志に近かった。

諦めたくはなかった‥‥

オーヴェールで描かれたゴッホの作品が一点もこの地にないのはおかしい。
 オルセー美術館にある<オーヴェールの教会>は、ほんとうならば
この場所で公開されるべきだ。
                 


月日が流れ  ~  サラは58歳になった。

ペータースに協力するようになって四半世紀が経過していた。
しかし、「ゴッホの夢」はまだ実現していなかった。
それどころか、ますます遠ざかっていた。

街路樹のつぼみはまだ固かったが・・・
 春が近いとサラは分かった。
 

セーヌの水源近くの雪解け水がこうしてパリまで運ばれてくるのだ。

 94歳を数えるエレナは、すっかり足腰が弱くなったものの、
大きな病気一つせずに元気でいてくれた。

けれどその冬、風邪をこじらせ、床に伏せって
とうとう起きられなくなってしまった

サラは片時もそばを離れず、母を介護した。
しばらくオーヴェール行きもお預けだった。

すると、思いがけずお見舞いの花束が届けられた。

 ひまわりが15本あった。
      
        送り主はペータースだった。

 以前アルルを旅した時に、買い求めた黄色い壺があった。

 それにかたちよく生けると‥‥
            
     ゴッホが絵から抜け出してきたようだった。

 見て、お母さん、ほら、ひまわりよ  と。
     ベッドのわきに壺を置いた。

 エレナは宙に視線を放ったまま、ええ、わかるわ、とつぶやいた。

 そして消え入りそうな声でこう言った。

 ~遠くへ逝ってしまうまえに・・・私は、あなたに話して
 おかなければならないことがある。 聞いてちょうだい、サラ。

 そして、私が今から話すことを、誰にも言わないで。
     たったひとりだけ、私があなたに伝えるように、
     あなたが選んだ誰かに、話して伝える以外は。

 私はこのことを、私の母さんに聞かされた。
 彼女を残して、私が実家を出ていく直前に。
 母さんはこう言っていたわ。

 ~私は このことを、私の母さんに聞かされたの。
  エレナ、あなたのおばあちゃんに。
  <あの絵>の中の、白い花冠の・・・あのタヒチの女の人に。
         

 ~サラ。 私のおばあちゃんは…あなたのひいおばあちゃんは…。

    ‥‥ポール・ゴーギャンの愛人だった。
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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。