黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

甘い社会

2011-06-27 | 日記・エッセイ・コラム

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「セクハラの誕生」
一冊の新刊書が届いた。
ネット(アマゾン)で注文したもの。
数週間前に息子からメールで・・・
「僕の同級生が出版したので協力してよ・・」
まだ、発売されていなかったのですぐに予約注文を
していたところ到着した。
彼は博多での高校の同級生
大学は早稲田の政経を出て、新潮社、読売新聞
幻冬舎を経て、現在フリーライター 
 
衝撃的な内容の本である。
彼の取材もかなり綿密に時間をかけ、渾身の筆力だ。
日本に「セクハラ」という言葉が上陸してから現在まで
この真の意味を理解していたかどうか?
本書は、昭和61年1月 千葉県西船橋駅で起きた事件
「西船橋駅ホーム転落死事件」と呼ばれるこの事件が、
日本セクハラ裁判史上の原点に位置付けられる・・・
そんな書き出しから始まる・・・
壮大な「性差」「性的暴力」「男女」「平等」
~裾野の広い問題を問いかける
「闘い」の話であり また終りのない問題なのだ。
これは強者である男が、弱者である女に仕掛ける
性差別・人権侵害の最たるものである。
また、犯罪として「立証」しにくい社会そのものの中に
容認する芽があるような・・・。
男の「上から目線」という意識にも原因がある。
男側の「憂さ晴らし」
(酒に酔って、女性に近づき破廉恥な行為に及ぶ)
や「親しみの表現」
(上司から部下などの関係で軽い気持ち{男性本人は}
でエッチな言葉や行為)などという
理由が、女の側に不快感や屈辱感を与えている
言葉や動作が日常の中によくある。
このことさえも、気が付いていない・・・
このことこそ問題なのであるが。
しかし、時代が変わって、必ずしも「女」が被害者
という関係だけではなく「男」が被害者として女性を
訴える・・そんな事件も多発している。
「性的・・・」は、その限界が見えない。
社会の中の「意識」もまだまだ甘いのでは。
もうひとつ、今、社会的な問題として挙げられる
「飲酒運転」事故についても、
「酒に甘い社会への厳しい判決」が必要なのだ。
これこそ、自己中心的な考えの最たるものでの事件
そして、結末は・・・一瞬にして被害者の運命が狂う。
(加害者は当然の報いを受けるべきであるが)
これとても、必ずしも「加害者」が厳しい判決に
終わってはいないこと・・・
理由の如何に関わらず「厳しくあるべきでは」
判決に対して、いつも疑問を感じているのだが
加害者「生」 対 被害者「死」
法の裁きは・・・「生」が「死」を越える。
と考えるのは当然なのでしょうか?
社会の「定義」って・・何だろう?
いぶかしく、もどかしく、やるせなく・・・
この本を読みながら。
重く、暗く、憂鬱な1冊であった。

続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。