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オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

久々の投稿

2025-07-13 | 弁当
7/13(日)帰郷した翌日の投稿以来となるので近況など・・・。

六月下旬に梅雨明けとなり、連日の暑さでへばっているのは自身よりも野菜達であろう。水道料金が安いのでホースで水遣りをしているが、とても追いつかない暑さがつづいている。

雨は極端に少なく、雨乞いでもしたくなる気分。それでも、今夜あたりから雨の予報があるので期待したいのだが、これまでは外れることが多かった。
が、今回は大丈夫だろうと、空心菜の種をトウモロコシ跡に播いた。

空心菜(エンサイと云う中国菜)は、さっと油で炒めるとビールの摘みに最適と思う。それで、苗店に種を注文して取り寄せてもらった。

帰郷して以来、日々畑で過ごすしかない我が身。四月に植え付けたズッキーニは終了、後植えしたのがあるが季節が変わったことで駄目!。良い実が採れない。
胡瓜と白茄子は連日収穫。スイカは数個採ったが今ひとつと云うところだ。カボチャはうどん粉病が発生したが、十数個実っている。
     

受粉作業はなくなったが、少しばかりのオクラ・万願寺唐辛子の収穫、胡瓜と白茄子の収穫や手入れと、暑い最中に畑で遊ぶのも楽じゃない。
          

今朝は六時半から12時まで畑、三日に一度の位のペースでこんな日がある。キュウリとオクラだけは日々と云うより、朝夕くらいに収穫しないといけないくらい成長が早いのだ。貰って頂く先を探すのに一苦労さ・・・。
            

空中栽培の小玉スイカは、四個が支柱からぶら下がっている。一番果は十日ほど前に収穫したので、こいつらが一気に大きくなってくれるはずだが?。
         
形よりも中身、といいたいが。野菜も人間も両方が伴っていないと駄目なようだ!。となれば、一番困るのは・・・俺か!。
雨も降りすぎは困るし、日照り続きも困る。何事ほどほどが宜しいようだ。

一昨夜、久方ぶりに同級生の川村君と飲みに行った。夕に、彼が迎えに来てくれて、奈半利町の居酒屋からスタート。二軒目と三軒目はスナックだったが、三軒とも満席状態。

物価高騰で不景気だとか、就職氷河期世代がどうとか云うが・・・。そんな気配もなく、どの店も客も元気よく盛り上がっていた。この田舎でさえ!。
         


さて、一週間後は参議院選の投票日であるが、どんな結果になろうか?。
気になるのは具体的な経済・成長戦略が聞こえてこないことだ。やれ給付だ、減税だとかの声ばかりしか聞こえぬが、斯様なことばかりでこの国の行末はどうなるのか・・・。

心配事は野菜作りだけにしたいものだぜ!。






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帰京、そして帰郷・・・

2025-06-24 | 弁当
6/24(火)明け方のサイレンが鳴り、五時となった。深夜の目覚めからそのまま朝を迎えると云う、何時もの山里の暮らしに一気に戻った。

19日の午後三時前に茹だるような暑さを感じる羽田空港に降り立った。
             

人形町での飲み会から始まり、二十日は昼・夜の部、21日は義母の三回忌と食事会。22日は長男の新居を訪ねてから、横浜にて岸本大兄と歓談できた。その夜は長女一家を交えた食事会と胃の腑が落ち着く暇がなかった。

 そんな慌ただしい東京を離れたのが昨日のことだが、日付の境もなく連続した時間が続いてように感じる。東京を11:20分発のANA便で立ち、妹夫妻の迎えで午後二時過ぎには自宅に着いた。
然し、東京は何処へ行っても人人ひとの波で昼夜を問わず、混雑は酷いものだった。インフレで景気が悪い?嘘だろうと云いたくなるぜ!。

帰宅後、雨が降っていなかったので、そのまま庭続きの畑を覗いた・・・。大きくなっているズッキーニが眼に映った。

着替えをし、改めて長靴を履いて畑に出る。先ずは、三日間の不在中に大きくなった野菜の収穫をしなくちゃと・・・、そして芽欠き、蔓・葉欠きもある。

最初に育苗して植えたズッキーニは半分ほどが終りになってきた。今月いっぱいで役目を終えるだろうが、後に育苗したものが徐々に成長している。が、真夏になるとウリハムシの被害、暑さ負けか実付きが良くない。

ビックサイズになったズッキーニを十本ばかり採り、葉欠きを終えてスイカの孫蔓欠きを始めたら雨が・・・、それも大粒の雨が降り出した。濡れたついでと、濡れるがままに続行することにした。

ずぶ濡れになりながら白茄子から胡瓜、トマト~万願寺と収穫をするうちに二時間ばかり経っていた。濡れネズミとなり、夕方五時のサイレンで切り上げたのが、丁度12時間前のことになる。
           
胡瓜は三十本もあるぜよ!、どうすんだろうね・・・。
               

今日は一日雨の予報だ。雨に濡れながらもひとまず収穫など済ませて良かったかな・・・。




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帰京前夜・・・

2025-06-18 | 弁当
6/18(水)今週は本当に暑い!茹だるような暑さが続いている。そんな暑い最中に、明日は帰京する。
         

義母の三回忌があり東京に帰るが、週明けの月曜日には山里に戻る。東京に居ても酒場歩きの他は弁当を作るだけの日々。どうせなら、運動を兼ねた畑遊びの方が心身にはいいかな?。草臥れるけどネ!。

東京に戻っても自宅は一部をリニューアルしているので、仮住まいのアパートにいくしかない。なんと、そこが禁煙とのことだ。酷いもので、長女の所に泊まる手もあるが(喫煙可)、短い期間の東京だから我慢するか・・・。

明日、明後日(昼の部あり)と夜の部があり、土曜日は法事である。日曜日は、最近転居した長男の家を訪問することになった。その家の柱の何本かには俺の名を刻んできてもよかろう?。

以上のことで、友人達に会うのも限定され、上京度の歯科医にも行けそうにない。次は、十月の三週目くらいに上京の予定があるので、その時は一週間は居るつもり。今回会えない友人達にはその折に時間を頂こう!。

短い不在とは云え、野菜のことが心配される。暫く雨も降らず暑い日が続くので水遣りと、最盛期のキュウリの収穫、スイカの受粉などと、ありもしない後ろ髪を引かれる心境です。
            

ズッキーニが終わりに近づきつつあります。茎が腐ったのを四本廃棄したが、残っているニ十本ほどのも風前の灯か?。もともと六月いっぱいくらいまでのものだから。それを見越して、遅くに育苗したものを十本用意して植え付けたが・・・、これからはウリハムシに葉を食害される被害が大きくなる。今年はどうかな?。

あれこれと心配の種は尽きまじながら、明日から短い間ながら江戸者になります。




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紫陽花

2025-06-16 | 弁当
6/16(月)一週間降りつづいた雨だったが、昨日の朝は曇り空,そして太陽が照りだした。雨上がりのㇺッとした空気に陽が射して、とにかく暑かった。

久しぶりに天気が快復し、気になっていた野菜畑の様子見に出たのは八時。想定したとおりにズッキーニに「うどん粉病」の症状がみえた。キュウリとスイカの孫蔓も伸びていた。
それに、ズッキーニは受粉不良の実が沢山付いているし、おまけに茎が腐ってしまったのが三本あった。それらを撤去廃棄し、古くなった葉を欠く作業をした。

雨の後は「うどん粉病」が蔓延するとの警告どうりの展開で、大きく伸びたカボチャ葉にもそれらしき症状が散見される。こうなればお薬に頼るしかないと「ダコニール剤」を散布することにした。この薬は、予防と拡大防止にしか効果がないそうだが、なにもしないよりはいいだろう。お酢がいいとか云う説があるが、効かないねぇ~。酢油や洗剤などなど諸説あるが、体験的には効果は薄いようだ。

途中、姪の店「いなかじかん」でコーヒータイムや、水分補給タイムをとったが、夕方五時のサイレン音を聞くまで汗を垂らしていた。

庭のパラソルの下で一服しながら、紫陽花を眺めるひと時がなによりであった。
        

          

最近よく聞くのが「紫陽花ばなし」と云う、石川さゆりの歌なのだ。
「港のはずれの紫陽花は 今夜かぎりで店じまい・・・云々」の詩で、吉岡治と岡ちあきによる演歌で、1985年の作品らしい。昭和60年と云うことになるが、電電公社民営化がこの年の四月からだ。元気に?サラリーマンをしていたし、バブルに向かう浮かれた時代。そんな時代にこんな歌が出ていたとは知る由もない。

紫陽花は好きな花、その名のついた店がお終いになり客にありがとうと別れを告げる。ちあきなおみの「紅とんぼ」に情景が重なる・・・。YouTubeでこの歌を知ってから、深夜独りで聴いていると、遠き昔のことが甦り夜が更けるのを忘れる。

そうさ、未来なんかないからね。あるのは過去のことだけさ。その過去の記憶のすべてをうっちゃり捨て去りたいのだが、胸の内に在るものだけは消し去りようがない。

今日も暑くなりそうだ!。深夜に目覚め、五時のサイレンを聞いて、五時半から畑に出た。昨日、処理できなかったズッキーニの残渣を始末してから収穫、カボチャの受粉などをして七時半に上がった。これからはキュウリが邪魔になるほど採れることだろう・・・。キュウリは要らんかねぇ~、採りにおいでよ!。






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性懲りもなく・・・

2025-06-14 | 弁当
6/14(土)今日も一日雨の予報!。昨日は午後から雨が止んで曇り空となったのだが、今日は深夜まで雨のようだ。

夜明け前の四時過ぎに目覚めてYouTubeを見ながら朝となった。性懲りもなく同じことを繰り返す。ニュース、各種野菜の芽欠きや追肥、摘芯と同じものを見返し、演歌を聴く・・・。経済的生産性や脳と精神の成長には役立たぬことで時をやり過ごすばかり。

昨日の小雨の午前、暇に飽かせてボートレース遊びで過ごした。二時過ぎに戻り、大きくなっていたズッキーニとキュウリの収穫。白茄子の初採りとトウモロコシの試し採りをし、五時過ぎにミカン畑の様子見。
         
カボチャのように青く大きくなっているのはズッキーニで、パリーノ・ジャッロと云う丸型の黄色くなる種類だが、なぜかバカでかくなり青いまま。ズッキーニはカボチャ属の一種だそうだが、これじゃカボチャそのものだ。

蜜柑畑に在る梅は実を落として樹下一面に広がって黄色く熟していた。天候が快復したら梅干しでもと思っていたが?。ブランデー漬けとジュース用は既に漬けてある。
         
       
雨の後の水っぽくて美味くもないであろう枇杷を少し採ってから帰ってきた。従姉の勝子婆さんが好きなので届ける。
安田川は洪水後で水嵩が高く釣り人は未だ出ていない。橋を渡りながら川面を眺める。

今年の鮎、一日の解禁日に広勝が獲ったものを貰って食した。今度貰ったら、季節の「鮎寿司」でも作ろうかな!。月曜日から暫く天気は良さそうだし鮎が届くだろうと期待して。

来週、義母の三回忌で帰京する際の手土産にするのも一興か?。こうして記しているうちにそんなことが浮かんだ!。

雨続きの後の晴れで、野菜に病気蔓延するかもしれない。そんなことを心配しながら今朝の近況を終えます。



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雨雨~雨が!

2025-06-11 | 弁当
6/11(水)八日に梅雨入りとかで、雨が続いている。そんな日々ながら、雨の合間を狙って早朝から二日つづいて畑に出たら二日とも雨が降り出して濡れネズミに・・・・。

それでも、大きくなったズッキーニとキュウリだけは収穫しないといけないのだ。ビッグサイズからジャンボサイズにと成長してしまうのだから。
          

雨は十五日まで続く予報なので、ズッキーニの受粉が上手く行かず変形・奇形の実になろうだろう。トウモロコシの試し採りをしたが、実は白くてまだまだ先になろう。スイカの受粉はまだ早いが、幾つかの子ヅルに付いた雌花に先行受粉してみた。

白茄子の支柱建て、ズッキーニの支柱括りもしなくてはならぬが、雨で当面は無理そうだ。雨続きで病気や害虫の発生も心配されるが天命を待つばかり。ハウス栽培と違って露地栽培、それも水はけの悪い田圃跡となれば心配ばかりだ。

二年前のスイカの水没事件、昨年の狸の襲撃による大食害と悩みは尽きぬが・・・、今年はどんな事件が起こるやら。神のみぞ知る?か。

降り続く雨音とYouTubeから流れる、ちあきなおみ&石川さゆりを聴きながら、流れゆく時間の中に身をおくばかり。雨の日の夕餉は早い、畑で採れたものをメインにして。お陰で、ズッキーニのメニューが増えました。
             

そんな次第で、今日もまた暇を持てましながら降りつづく雨を眺めるばかりです。




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愈々梅雨入りか・・・

2025-06-08 | 弁当
6/8(日)六月に入り梅雨入りは何時かと思う日がつづいたが、今日あたりが梅雨入りの様相である。今日から雨マークの日が続いている。

そんな日曜日の今日、朝方は小雨がぱらついたが概ね曇天であった。そんな合間に畑を一回りしてズッキーニの受粉と収穫、スイカの孫蔓整枝をした。そして、姪の店が五周年イベントと云うので応援に行った次第。

五周年と云うことで、知り合いのお店も十軒ばかり出展しておりイベントの雰囲気満載。お花屋・ケーキ・塩・ワークショップ他の店店が駐車場から店内、民宿の座敷までと品を並べていた。私は駐車場のテントの下で鮎塩焼の手伝い?を形ばかりに・・・。
           
途中、小雨が少しパラついただけで済み、三時頃から撤収となったのである。

梅雨入りで困るのはズッキーニやスイカ、カボチャの受粉ができないことだ。自然まかせに頼るだけじゃ良い成果は期待できない。然し雨じゃどうにもならない・・・。

これまでズッキーニの収穫は順調?かな、胡瓜も採れだした。後は、トウモロコシの仕上がりを待つ段階だが、実の膨らみがいまいち。追肥もしたし、受粉も丹念にしたのだが。これからの十日ばかりで結果が判明するであろう。
          

梅雨入りに備えてミカン畑の草刈りも終えたし、梅の実も少々収穫した。庭の紫陽花も少しづつ色づき始めたが、雨となれば部屋に垂れ込めて過ごすばかりだ。好きだった読書がサッパリとなり、YOUTYUBで時間潰しも飽きてきたからね・・・。
        
暇人閑居して何するぞ!。何をしなくても時間だけは経っていくのだからねぇ~・・・。





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佐賀~鹿児島(串良&鹿屋)へ・・・

2025-05-30 | 弁当
5/30(金)今日と明日で五月も終わる。時の経つのは早く、梅雨の走りのような愚図ついた天候がつづいている。今日も朝から小雨となり、畑に出ることも叶わず部屋に垂れ込めて過ごす一日か?。

今週は、25日の午後に佐賀入りしてNPO法人「地球市民の会・総会」来ておりに出席してから、佐賀在住の中村さんの迎えで氏の宅で世話になった。既に東京から保谷&松岡の両氏が来ており酒盛り中であった。

中村さんの友人、岩迫氏も加わった五人の酒盛りで賑やかになる。この日と翌日は肌寒く、南国九州のお日様を浴びたのは帰る27日だけであった。

26日は皆早朝から起きだし、鹿児島への出発時刻は一時間早くなり午前七時だった。老人は朝が早い?のか、前夜の酒が程よく効いてぐっすり眠れたのか?。

中村さんの運転する車で四人は鹿児島・鹿屋市へと向かった。鹿屋と串良はへの旅行は私の希望であった。
亡父が大東亜戦争の終戦を迎えたのが、海軍航空隊串良基地と聞いていたので訪ねたいと思っており念願が叶うことになる。

高速道路を延々と四時間程走り、先ずは鹿児島空港に近い「国分航空隊跡」を探して、有志手作りの小さな記念館を探しあてた。この地から飛び立ち特攻で亡くなられた若者の写真等、遺族からの手紙が小さな展示室に飾られていたが、見送った戦友、家族の思いが迫りきて只々頭を垂れるばかり。氏名・写真とともに出撃した日にちが全て記されており、終戦日の八月十五日に三名が出撃している。

ここから串良まで再度自動車専用道路で向かう。順調な車の旅と云いたいが、ちょっとしたアクシデントも・・・、信号待ちから進入を間違えて曲がり、逆走しそうになったのだ。事故になっていたら「高齢者運転で云々・・・」と、ニュースになるのは必定だった。

初めての串良は延々と広がる大パノラマで志布志湾に向かう、戦争がたけなわで沖縄を取られてからの昭和19年に教育・決戦の航空基地として建設、5000名の若者を訓練、教育したそうだが、昭和20年五月で終了とありました。

亡父がこの地に特攻隊員として行ったのは、教育課程が廃止された(機材もなくなり空襲も激しくなって、止むなくの廃止であろう)五月の下旬でなかったかと推測する。
岩国航空隊で飛行教員をしていた亡父たちは、教える生徒も飛行機もなくなり、教員たちは特攻隊に志願して串良航空隊に着任したそうだ。

津川さんが来高したおりに、氏が戦争時代のことを訊いたら「日中は全く飛べる状況でなく、夜間爆撃で沖縄方面に向かうだけだった。命中したかどうかは分からん」と、言ったのを記憶している。

串良航空隊の前、もっと早い時期に隣の鹿屋航空隊に所属していたこともあるようで、その当時に新聞社の鹿児島支局に勤務していた叔父が面会に来てくれたそうだ。

亡父は、甲種飛行訓練性として北浦の予科練で出てから、そのまま飛行教員になったそうだ。戦争がたけなわとなり、飛行操縦の訓練生を大量に必要とされた時代に重なるのではないか。その後、富岡・福岡などに移動し、最後は岩国航空隊が本隊で、そこから串良へと向かっている。その前に岩国まで、祖父が面会に来たというので特攻隊への転身を知らせたのであろう。

そんなことを思い出しながら、二本の長~い直線道路に挟まれた串良平和公園内に建つ、各部隊の慰霊碑を参拝すると、特攻で散った若者の氏名・出身地が刻まれていた。最後に平和の慰霊塔に参拝。
         

昼となっが、隣ともいえる鹿屋航空基地に向かった。ここは自衛隊の施設もあり、航空記念館は整備されており大戦中の記録などは二階に、一階は自衛隊になってからの記録類が展示されていた。中庭には戦後に使用された飛行機・ヘリが屋外展示されています。
             
         
この日、鹿屋市内のビジネスホテルに投宿。夜は、居酒屋(味菜)からスナック(さが)と転戦して、長距離ドライブの疲れを存分に癒した。

帰高する27日、中村さんが霧島神社へと案内してくれた。社殿などは国宝に指定されたとのことながら、参道から本殿へと向かう両側には巨木が並び神苑ならではの厳かな空気に満ちていました。
        


福岡空港17:15分発の高知便は、なんと一時間十分も遅れての搭乗となりましたが、短いながらも良き旅が出来ました。友人たち、とりわけ長い運転で案内をしてくれた中村さんに深謝です。




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深夜に・・・

2025-05-19 | 弁当
5/19(月) 今夜も又、深夜三時に目覚めて夜明けを迎えようとしている、眠ったのは早くて23時ころでなかろうか。灯りがついたままで寝てしまうのは何時ものこと・・・、そして夢の中で目を覚ますのだ。

昨夜と云うか、さっきの夢も現実離れをしたものだった。
場所は東京、銀座辺りであろうか有名レストランで、亡父の十三回忌を記念して剣道の教え子たちを招いて食事会をすると云うものであった。計画をしたのはを母で「お金は私が出すから」と、自分で予約していた。

顔も名前も分からぬ年下の若者たちが十数人集まる。会が始まる前のレストランとの進行打ち合わせするシーンや、若ものたちと話をしているシーンと続く夢だった。
全く有り得ない夢、教え子たちは東京に居ないし、父の十三回と母の七回忌を併せて昨年法要したのだから。ただ、母が「計画してお金を出す」と云うところは母らしい。

こんな夢、一部分は現実的ながら大半のシーンは絵空事と云う夢をよく見る。そして、夢の途中で目覚めてそのシーンを振り返り(夢現)ながら、対策対応している夢のだ。我が人生、課題多しと云うべきだ。

夢から覚めて時を過ごす中、思い出されるの交流のあった懐かしい人のことだ。ついこの前のことのように甦るが、その人ともう酒を交わすこともない。一緒に時を過ごしたシーンが甦り、懐かしいというより帰らぬ人となったことへの無念のような思いである。死なぬ人はいないが、生きていてほしい、ならば何時かまた会いもできるし、健在を願うことも叶うのだ。

五時のサイレンが広域放送から流れた。もう夜が明けて白々とした朝を迎えた。昨日は八時頃から畑に出て受粉や蔓物野菜の芽欠きや整枝をして昼となった。午後に河口まで破竹筍を採りに行き、三時頃から再度畑に出て夕暮れとなった。
今日は収穫期を迎えたズッキーニの受粉だけで良さそうだが・・・、またしても小雨ながら降るとの予報。

破竹筍、こんなところで採っている・・・。
        
先客が居たので様子を聴くと「昨日も今日も何度も採りに来る人がいたので、あまりないよ」と、つづいて「ハミ(まむし)がおるきに気を付けや、二匹見たぜよ。今のハミは噛みつきにくるきに、去年は二回も噛まれたぜよ」などと、注意喚起なのか脅しなのか・・・。

竹藪に入ると、そこかしこ採った跡ばかり。少しばかり採って(伐って)帰ることになった。ハミとの遭遇はなかったが、捕まえてマムシ酒でも造るか?俺は嫌だけど!。
          
       
昨日は曇天と薄日の一日、汗だくになりました。




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雨の一日・・・

2025-05-17 | 弁当
5/17(土) 昨夜からの雨は今夕まで続くとの予報で、風も少し強い。こんな一日、先ずはルンバ君にひと働きしてもらおうとしたら、少し経ったら動かなくなった・・・。拠点で一休みしてもらうことになった。

こんな雨の一日、どう過ごすべきか?。沈思黙考すれど妙案浮かばず・・・。ボートレースでもやりに行くべきか行かざるべきか、それが課題である。

庭のパラソルは立てたままで、その下にはネズミの襲撃から避難させた育苗中の苗が並んでいる。強風になるとパラソルが倒れるので、それを心配しながら庭を眺める。

昨夜煮た(肉じゃが)、試し堀したジャガイモは美味しかった。だが、全ての収穫は六月になってからのことだろう。

雨の所為で今日明日は畑に入れないだろうと、植え付けて間もないスイカやキュウリの手入れはしたが・・・、どうなることやら?。そろそろズッキーニの支柱建てをしないと倒れてしまう。そんなことを考えながら、雨風の音を聴くばかり。

この頃睡眠、寝るパターンが変わっている。以前は、深夜まで起きていてから寝ていたが、ここの処は零時前、いつの間にや眠っており、深夜に目覚めてから朝を迎える、と云うパターンになっている。

畑遊びの方も、朝の部(専ら受粉や芽欠き)と午後の部になり、午後は二時三時頃から五時六時頃までになった。季節の移ろいに合わさってこうなったのかな。

         
例年のことのように庭の夏花やサツキの植え込みも満開を迎えようとしている。こっちは、年々しぼんでいくばかりと云うに・・・。これも世の無常と云うやつか。心情的には悪あがきをすばかりだが、如何ともしがたい・・・。

自分の心身のことより、野菜の心配をする出来るというのがせめてもの救いか!。かもしれぬと己を慰めるばかり・・・。雨の土曜日の独り言。





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