オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

連夜の・・・

2018-04-11 | Weblog

4/11(水) 昨晩は、珍しくご接待ごとのようなことをした。偶に使うことがある「北大路 銀座本店」で、某社の社長・部長方と懇談した。尤も、接待のようなことは似合わないし、されるのも嫌なのだから、相手も接待されているとは思わないだろう。

冗談とバカ話に終始したが、部長二人はサラリーマン時代の手下だったこともあり、妙にかしこまるのもそぐわない。巡り合わせで、立場が変っただけのことだ。

一応、形ばかりに安い手土産を用意して行った。堀留町では超人気の清寿軒のどら焼きである。店で預かり、帰りに渡しますとのことだった。お開きとなり、そのまま店を後にした。お土産のことなどとうに忘れて・・・・。

ハイボールでも飲もうと、六丁目の「順」に向っている途中で携帯が鳴った。誰かと思いきや、さっきの店からであった。それでお土産のことを思い出すとは・・・・、大した惚けぶりである。店の者が駆け付けて届けてくれたが、一人とは別れた後であった。

少しは仕事の話も聞いたさ。二次会後、忘れないうちに動向を伝えようとパートナーのNKAMURA社長の携帯を呼ぶが出ない。大抵はパトロール隊のメンバーと一緒のはずと、マッチャンやHOYA兄いの携帯も鳴らしたが・・・・。

一向に出ない、銀座駅に着くまで呼ぼう。それでも出なければ諦めよう・・・。メトロの階段を下りている途中で、兄いの携帯に繫がった。案の定さ、三人揃ってカラオケの真っ盛りとのこと・・・・。

戻るしかない、下りの日比谷線で人形町に戻り「SEIJU」に向かった。客はパトロール隊の三人、カラオケで唄いまくっていた。昨夜につづき、カラオケ合戦に参戦となってしまったのである・・・・。

                       

NAKAMURA大将に仕事のことは伝えたが、果たして覚えているのか?。あのはしゃぎようじゃ無理だろうな~。

概ね、今週の夜のスケジュールが埋まった。体調管理と財布保全の為に、ひと足先に失礼したが、それでも零時前の帰還。もっとも、「ちょっぷく」にちょっとだけ寄った所為もあるが。

毎夜毎夜、こんなことじゃイカンザキ、だね。

こんな時間ながら、遅くまでやっている東急ストアに寄り、弁当の菜を見繕った。ブリ切り身、カツオ半身(小さい)、ズッキーニ一本を調達した。明日はブリは塩焼き、カツオは漬け焼きにしようと描きながら。

そして夜が明けた。魑魅魍魎の夢をみつつ覚めつつ、夢がつづく・・・。そんなことを繰り返していたような夜明けから、目覚めまでであった。

今朝の弁当は簡単、昨夜蒲団に入る前にメニューをメモしたのだから。

「豚ヒレ肉のソテー、ズッキーニ&エレンギ添え」「鰹のオリーブ&醤油漬けソテー」「ブリの塩降り焼き」「胡瓜の酢物」、最後に定番の厚焼き玉子。以上なのだ。

                 

炒めるにしても少しづつ味付けを変える。フライパン一つで概ね用が足りる。面倒じゃないとこがいい。食材費も大幅に安く上げている。主婦ならぬ主夫が、様になってきたか・・・・。

                    

 

  

 

 

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ええ加減にせんと・・・。

2018-04-10 | Weblog

4/10(火) 昨夜は些か飲み過ぎ、はしゃぎ過ぎの感あり。七時過ぎに「こま吉」からスタートし、「ローカーボ」「セイジュ」~再度「こま吉」にリターンすると云う塩梅だった。

ローカーボには、マッチャン&NAKAMURA大将のコンビと、NKAMURA王子、チーちゃんと云う常連がおり、店を終えた高松のミッチャンも来た。顔なじみの面々が揃うと楽しさも倍加する。

                       

口開けから相手をしてくれたのはHOYA兄い、遅れて高松の女将がSEIJUから参戦した。客の姿がなかったセイジュで、カラオケで唄ったが、なにを唄ったか記憶が定かでない。

セイジュのママから「終電なので、もうお終い」と、追い出されたことは覚えているが・・・・。

                   

終電は既になく、お車でのご帰還だった。家の近くまで来ていながら、方向を間違えて指示したら運転手に窘められた。酔っていたんだろうな・・・・。帰り着いたのは25時過ぎだろうが、起きていた家人に「明日の弁当はカツカレーだ」と言ったのは覚えている。弁当のことだけは忘れないが、後は朧・・・。

そんな次第で、今朝の起床は七時半と超遅かった。それも家人に声を掛けられた挙句にだ・・・。

そんな具合だったが、家人が前夜にカレーを作っていたので「カツカレー」だとばかりに、日山で買っておいたヒレ肉のブロックを取りだしてカットした。ピーマンとウインナーも揚げる。

                    

他には、「ベーコン・小松菜・シメジの卵とじ炒め」と「小松菜の煮浸し」だけである。

                       

家人と長女の弁当盛り方は異なるが、其々の好み、食べたかたに合わせているのだ。

閑話休題 ― 昨年蔓を切りまくって殆ど花を見ることがなかった「ジャスミン」が、少し伸びて黄色の花と甘い香りを振りまいている。隣に立つノッポは、花梨のような実をつけるバラ科の木だが・・・、漸く思い出した「木瓜」だ。オイラと同じだが、こっちも薄桃色の綺麗な花を付けている。

                          

 

 

 

 

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祝宴

2018-04-09 | Weblog

4/9(月) 七日の土曜日、愚息の結婚式と披露宴があった。会場は、砧公園と世田谷美術館の脇にあるル・ジャルダンとか云うレストランである。出席したのは家族と若夫妻の友人が中心で、六十人程のこじんまりとした宴であった。

公園に隣接したレストランなので、借景となる景観があり、非情に落ち着いた会場であった。一週間早ければ、桜の下であったろうに、桜吹雪も去って早や若葉になっていた。

二人は一年以上も前に入籍した。一緒に暮らしているというのに何を今更、と云うのが偽らざるところ。とはいえ、相手のこともある。出ないわけにはいかねぇと、着たくもないモーニングなんぞを召しての出席と相成った。

神前とか仏前とかチャペルとか言う、面倒な儀式はぬきの「人前式」なんていう、お手軽な結婚セレモニーがあって、披露宴をやるというシンプルなスタイルだった。

嫁のご両親とは何度か会食をしており、気兼ねなくやれる。宴の途中、タバコを吸いに出たテラスでは、息子の友人たとバカ話をかわし、いい加減オヤジの面目躍如と云う次第さ・・・・。

内のバカ娘(長女&三女)は、ビールやワインをガバガバと飲み、とうとうワインをボトルで貰う始末であった。結婚披露宴で「ワイン、ボトルで頂けますか」と言う姐さんは、はじめてだぜバカヤロウー。尤も、これを言い始めたのはバカOYAJIだったが・・・・。

              

               ガーデン   長女・次女・三女とSORA    H女史とHIROさん

ヤメロ~なんて言いながら、それなりに愉しみ、遊べた披露宴であった。銭もとられちまったが・・・。

挨拶は二人だけで、息子側からはHIROさんが一言、話てくれた。これが中々いいのだ。HIROさんの文章と同じように噛めば噛むほど、行間に耳を澄ませば澄ますほど、味わい深いのである。

と云うのが、土曜日。

そして日曜日は、会社のスタッフの父上が亡くなり、その葬儀式に参列した。隅田川、江戸川を渡った本八幡と云う処の葬儀場であった。この葬儀も、無宗教葬と云うことで、これもよかった。

帰りに、桜花賞の馬券を買ったが、結果は本命も本命、馬券的にはちっとも面白くない結果となり、前回の貯金を減らしただけとなった。丁度、学芸大学駅に着いた処で馬がゲートに入るところ。

駅前に最近出来た、ギョーザが売りの飲み屋に入り、生ビールを頼んだところでゲートが開いた。電波が悪くアチコチとスマホを動かしながら見た。一応は当たったが、トータルでは出銭の回収ならず。こんなレースも有るさ・・・・。と、云うことで、夕食のスキ焼牛肉のランクがのである。

 

明けて今朝、月曜日だが。今日から長女のMIZUKIが家人の運営する訪問看護ステーションに勤める。母娘して同じ弁当を持参することになるのだ・・・・。

之も致し方ない、夜勤と泊まり勤務がある病院勤めは、子どもの為によくないと、地元の家人のステーションで働くことにした次第。何時までつづくか、もつか判らんが、こっちは何時ものように弁当を作るだけのことだ。

今日から二ッの弁当を作ります。で、今朝は「牛小間と野菜炒め」「春雨とキャベツ・シメジのサラダ」「牛蒡&人参の豚肉巻」、最後に定番の「卵焼き」である。

              

 

中華系の弁当を作るべく、私の机の上に中華料理本が置いたままだ。調味料を何種か買ってこないといけないが、これが入手困難があり未だ本格参戦できていない。季節もいいし、一皮剥けたOYAJI弁当を披露したいものだ・・・・・。

 

 

 

 

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ハッシュドビーフ

2018-04-06 | Weblog

4/6(金) 昨晩の帰宅時、電車の中でハッシュドビーフを作ることを思い立った。と云うのも、来週の社内ランチ会のメニューを検討する時期になり、YOSHIOとのコーヒータイムでこのメニューが浮上したのだ。

思いたったは吉日、先ずは作る。試作をすれば、大人数への対応も含めて、味・時間・食材etc大方のことがつかめる。先ずは実践に如かずが、飯作りのモットーである。

連夜の駅前東急ストアへの立ち寄り、お買いものである。牛挽肉・マッシュルーム・デミグラスソース缶などを買った。

昨夕、友人のHOSOKAWA君から電話をもらった。人形町からほど近い八丁堀で仕事の打ち合わせが済んだところだとのこと。夜の予定がなかったので、人形町まで来るように言った。

「うまし」で合流し、ローカーボでは一杯で切り上げた。と云うのも、うましで摘みを食べたのでお腹が膨らんで酒精を受け付けなくなっていた。早々に切り上げたので、帰宅は九時半頃であった。

直ぐに「ハッシュドビーフ」作りに掛かるつもりであったが、台所を家人が使用中。待つうちに蒲団に寝転んだのが運の尽き!。何時の間にや眠ってしまったのだ・・・・。

目覚めると午前一時になっていた。勿論台所は空いているが、これから料理か?。立つべきか、立たざるべきか、思案六方だが、もの造りへの魅力が勝った。

深夜の台所で、タマネギを切りマッシュルームを切り、牛小間に小麦粉をふった。トマトピューレとバターを取り出し、炒め、煮、調味料を振った。ウスターソースに醤油をふた垂らし、コンソメに酒(ワインの代役)などで中華鍋満杯の「ハッシュドビーフ」が出来上がったのは、二時前であった。

                      

ハッシュドビーフに並行して、従姉から届いた筍を煮た。出汁は、鰹節の粉末に砂糖・醤油、厚揚げがあったので、こいつも後から加えた。

                         

以上、二品の味見を終えて蒲団に戻ったのは午前二時、草木も眠る丑三つ時だが、幽霊も辻斬りも出てこない・・・。眠くならないので文庫本を鞄から出した・・・、睡魔に襲われたのは午前四時半、危険を察知し目覚まし時計をセットした。六時半に。

目覚まし時計のチlリチリと云う音が、遠くから微かに聞こえるが頭も体も反応できない、しない。そんな状況が暫らくつづいたであろう。漸く目覚まし時計を止めた時は、時刻は七時前を指していたのだ。

三十分も目覚まし時計が鳴っていたことになる 。ぼんやりとした頭で、台所へと向かう。深夜に仕上げた二品に火を入れる。米を磨ぎ、弁当のメニューを考える・・・・。

既に二品あるが・・・、「茄子&ピーマンの味噌炒め」「秋刀魚焼き」「ベーコン&小松菜の卵炒め」を取り敢えず作ることにした。家人が、ハッシュドビーフ弁当は要らないと言った時の備え、義母用となる。

                      

更に、味噌汁と、野菜サラダを追加した。飯作りをしていると不思議と眠くならないが、電車や会社の椅子に座ると・・・・・。不思議なものである。

                      

家人の弁当に別容器で「ハッシュドビーフ」が同伴することになった。メデタシ・メデタシ。味は中々良かったですよ

 

 

 

 

 

 

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ロールキャベツ

2018-04-05 | Weblog

4/5(木) 昨夜の「セイジュ会」を一足先に失礼し、「ちょぅぷく」に独り顔を出して安ワインを飲んでこの夜の部を切り上げた。もっとも、セイジュに向かう前に、USUI老と「高松」で金魚割を飲んでいる。

月に一度、セイジュ会の或る日には老がやって来る。必ず高松で一杯やり、それからセイジュと云うパターンが出来上がっている。私の方は頃合いを見計らって高松に向かい、2~3杯金魚割を飲って支払いをすることになっているようだ。

「セイジュ会」では20:30分に店を出ると宣言してあった。滞在時間は一時間である。店を出る前にいっ曲唄えとの声がかかり、景気よく「兄弟船」を唄って店を後にした。ちょっぷくの入り口で、この唄を口ずさみながら入った。すかさず、YAMAちゃん店長が「そこはこうだろう~と、俺の歌を引き取った」。

『なんだ!、ここは演歌酒場か?』すると、「そんなものはええんだよ」と返ってくる。何時もながらのオヤジギャグ応酬である。一昨夜も飲んでいた姐さんが今夜も独り酒を・・・、『なんだ、毎晩来てんのか。亭主に怒られるぞ』なんて、余計なことを言いながら二杯程一緒に飲んだか。

一昨夜はHOYA兄いが、この姐さんを連れ出してローカーボに行ったそうだ。それを咎める「HOYAさんが、またしてもあの人を連れて行った。もう出禁です。」のメールが届いたのは、オイラが帰宅してからのことだった。

そのことで、翌夜に店に行った兄いはお叱りを受けたとパトロールメンバーに報告した。オイラ達が大笑いをしたのは言うまでもない。兄いはサービス精神旺盛だからね・・・面倒見たくなるのさ。

「セイジュ会」で盛り上がっている面々も、最後にはここに寄るだろう。オイラは、今夜は十時までに帰宅するのだ・・・・。駅前の東急ストアで合挽きと蒲鉾を買った。もちろん、弁当用さ・・・・・。

ここんとこ、朝のメトロ車内から眠くってしょうがない日がつづいている。少しは体調を整えようと、今週は深酒を控えるようにしたのだ。

就寝は23時半、目覚めは午前五時。起床は六時で、すぐに台所へと。ご飯を炊き、弁当の準備に掛かったのは云うまでもない。

本日のメニューは「ロールキャベツ」である。昨夜、挽肉を贖ったのはこのてめである。冷凍のコロッケを揚げ、小松菜の胡麻炒め、挽肉の余りはピーマン肉詰め焼きにした。

                    

卵焼きを作り、蒲鉾を切ってお仕舞である。ロールキャベツは弁当に使うので小さ目にしてある。

今週一杯は、一つ弁当である。

                  

 

悪徳不動産のマッチャンが、写真をデフォルメしたのを送ってきた。『これじゃ俺が悪人のようだぜ!、それに頭髪を滅茶減らしてる?』と、クレームの返信をしたが・・・・、ヤツは音なしの構えだ。

                         

 

 

 

 

 

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唐揚げ&カボチャ

2018-04-04 | Weblog

4/4(水) 今日のお弁当は鶏唐揚げとカボチャがメインかな・・・・。他には、小松菜の煮浸しと昨日に引き続き薄い切り身の鮭であった。

                 

定番の卵焼きの方は、弁当に収まらぬのは必定と見送った。今朝も五時半に目覚め、六時過ぎに台所に入ったが、睡眠が浅いのか連日眠り足りない症候群である。

鶏肉は蒟蒻や大根と一緒に煮る考えだったが、昨晩孫のSORAが学童保育に持って行くおかずが足りないと聞いたので、唐揚げに変えた。子供は唐揚げが好きなのだ。朝、隙間のある弁当を提げてきたSORAは「ニイサンありがとう」と言って学童に向かった。

孫の弁当一式を作るのは簡単なことだが、母親の弁当が良いらしい。たとへ、手抜きであろうとも・・・。

以上の菜の他に、大根・タマネギ・小松菜・薄揚げの味噌汁を用意した。お年寄りが居るので、これからは味噌汁作りも朝の定番となりそうだ。

                

 

昨夕、取引会社におり後輩でもあるK氏に、人形町に立ち寄ってもらった。年度末に納品した案件で、一部トラブルが生じた。言ったの言わないのの類であるが、川下(かわしも)は常に平身低頭する側である。

K氏も状況はわかっており、穏便に済ませたいとの意見だが・・・・。、ビールと金魚割を飲りながらそんな話をしていた。

『責任を取りたがらない、負いたくない。誰かを悪者にする』そんな仕事になっちゃいかんわな。などと、下請けにあるまじきことを言いながら飲んだ。

未だ、大会社・大組織に居た頃の考えが抜けない私なのだ。間違いやミスは必ず生じる、それを無駄にしない、活かせる仕事のやり方を考えればいい。命を失くす、会社を潰すほどの仕事を任されちゃいねえだろう・・・。取り返す、挽回すればいいのさ。倍返しで。

どうせなら、私が平身低頭してお詫びするぐらいの間違いをしてほしい?欲しくはないか。お詫びならTSUGAWAさんのお詫びのし方は見事だったね・・・・・今、思い出しても。

当時、私は発注側におり、ある案件を依頼した。それにちょっとしたミスがあり、HIROさんが謝りにきたのだが、実に綺麗な謝り方だった。印刷ものの件であったろうか。私の方の本音は、そんなに謝ってほしくなかったのだが・・・・。

スタッフが鳩首しているのを見ながら、そんな昔のことがよぎったのだ。誤まりは正せばいい、誤りを隠してはならない、隠せば誤りのままである。明らかにし、正せば妙薬となる。

「高松」で一杯やりK氏と別れた。入れ違いに入って来た某スチールメーカーの販社にいるSUZUKIさんと暫し、仕事談義をした。「ローカーボ」に寄ると何時ものメンバーが揃っていた。

何時ものように何時もの酒を飲み、この夜も、一足先にと失礼をした。東急ストアで薄揚げとカボチャを買って帰った。前夜より二十分ほど早い帰還であったはず。

 

 今夜は四月の「セイジュ会」がある。週半ばの開催は、飲み過ぎに注意だ。USUI老もやってくるが、高松で事前の一杯に付き合うことになる。ウイスキー2,8㍑ボトルと氷・炭酸を準備せねばならぬ。

 

 

 

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タケノコ

2018-04-03 | Weblog

4/3(火) 昨夜は19:30に退社し「ローカーボ」に顔を出した。マスターはカウンターに座ってスマホを弄っていた。口開けの客であった。

角の席に腰を下ろす前に、サラリーマンを辞めてから持ち歩くようになった革鞄を窓際の小台に置き、何時ものハイボールをオーダーした。店内に響いていたジャズのBGMはコルトレーンだったか?(N・Yブルーノートで居眠りをするぐらいだからね)。

                        

半分ほどグラスを空けた処にスタッフのAOKIが入っていた。後姿が見えたからが、言い訳がましかったが、お目当てはマッチャンだと踏んだ。二人ならんでハイボールを飲むが、特に話題もない・・・・。

暫くし、NAKAMURA大将とマッチャンが姿を見せた。大将は今夕に上京し、マッチャンと「ちょっぷく」で軽く腹拵えをしてきたとのこと。AOKIはマッチャンの隣に移り、高校野球の話をし始める。

私は、大将の佐賀での奥様との充実した短い日々のことに頷きながらハイボールを飲み続けた。HOYA兄いはまだ姿を見せないが「ちょぅぷく」で会社の人間とおぼしきメンバーと入れ違ったと、マッチャンが言う。早晩姿を見せるであろう・・・・。

そう云えば、先週末の金曜日はJINパパ(料理家の先生の旦那)がローカーボに来ていたのだ。その相手をHOYA兄いにまかせて、店を後にしたことを思い出した。兄いには悪いことをしてしまった。

はじめて見る客が入ったのを汐に、今夜も独り先に店を後にした。このまま直帰すればようさそうなものだが、そうはイカンザキ。と「ちょっぷく」に顔をだした。

顔見知りの常連客の間に入り、安ワインを飲む。久々に顔を見るオペラ歌手だと云う歳若も居り、生ビールを馳走したが、どうやら病気で飲んじゃいけない体だったようだ。少し飲ませ過ぎたか・・・・今になって反省するが。

HOYA兄いも姿を見せたので俄然賑やかになった・・・。そんな処で、またしてもお先にと独りで店を後にした。

学芸大学に着いたのは十一時前。東急ストアに入り、弁当食材を見繕った。筍と焼肉用のアメリカンビーフ、鮭をワンパック贖った。帰宅後、鍋に米を一握り入れて筍を茹でた。翌朝の弁当は、焼き肉、筍煮に鮭焼きと云う段取りであった。

降りつづく雨はない。負け続けるだけの勝負事も、勝ち続けるだけの賭け事もない。同じく、明けない夜もない。五時半に目覚めると外は濁り色の曇り空であった。

六時過ぎに台所に向かった。鍋の筍をみて、趣向を変える気になった。初物のタケノコは郷里で食したが、「筍ご飯」は作ってない。タケノコ飯になった。

                            

焼肉の他に、鮭の切り身を一切れ焼いたが、この切り身の薄さといったら、私の人情の如き薄さである。

                

次いで、ジャーマンポテトと卵焼きを用意した、以上が今朝のお献立であります。弁当は一つだが、義母が食します。

                        

そう云えば、この時期には例年、田舎の従姉から筍が届くのだが、今年は未だ来ないなと筍飯を食しながら思い出していた・・・。

以心伝心か、なんと駅に向かう途中に携帯が鳴った・・・・・。

「昨日筍を掘ってきて茹でたんだけど、送ろうか」と、従姉からの電話であった。否応は無いさ、頼むよと応え、ついでに猪肉と山女魚も送ってくれと頼んだ。猪肉は14日の料理教室で燻製をやると云うの持参する予定だ。山女魚は、ちょっぷくのYAMAKENが田舎を思い出して喰いたいとのことなのだ。

持つべきものは田舎、物くれる従姉弟達か?。毎回のお土産も大変だけどネ・・・・・。

             

 

 

 

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水辺・馬にサンドイッチの物語

2018-04-02 | Weblog

4/2(月) 愈々平成30年、新年度のスタートだがそんな緊張も、胸の高まりも緊張も、何もかもがない。思うに、この生ぬるい陽気のせいじゃなかろうか・・・・。

政治の方も緊張感がないようだし、こんな陽気がつづくとすべてがのことが緩んでくるようだ。と云うことは、凡人の最たるOYAJIが緩み放しというのも頷けよう・・・・。

緊褌一番、フンドシを締めなおして新年度と云うお大海原に漕ぎ出せ・・・・、なんてこと言っても誰も分らん意味不明?てなことだろう。

この陽気で緩みきった脳味噌と体で、土曜日の夜はTSUGAWAさんと「神の手」を持つと言われる心臓外科のDrの取材でお茶の水の某医大病院へ。取材後、二人で駅前の居酒屋にて軽く総括をした。

日曜日、渋谷で今年初のG!だと云うので馬券を買い、それからNAKANOオヤジの車に同乗して水辺遊びにでかけた。勿論、平和島のボートレースだ。全く乗り気じゃなかったが、独り淋しいNオヤジを見捨てる分けにもイカンザキ。郷里の先輩ともなればそれなりに気を使うのが我が心情というものだ。

前夜「ARIちゃん、調子はどう?、処で明日だけど・・・・」なんて電話を貰ったのだ。陽気のせいであろうが、気力体力、勝負根性なんてのが全く湧いてこない。こんな時に「銭ドブ捨て合戦」に加わっても碌なことはない。結果は明明白白、パンツ穿くまでもないのだが・・・・。

そこは人情・心情・感情・勘定にからっきし弱い俺だ。渋谷から環状線の高速道路に乗る車に、唯々諾々と同乗した。車中で交わすのは「昨晩の売り上げはどうだったの?」なんて会話だ。返事の決まり言葉は「土曜日はダメさ、若いものしか歩いてないよ。金もってないし、うちの客じゃないよ」だが・・・。

昨日はこれにつづく言葉が「三月は良かったね~、前年より百ぐらいよかったよ」である。ならば、水辺の遊びでもする気になるだろうよ・・・・。後は何時もの、老後を何処で暮らすか・・・高知に帰って野菜でも作って暮らすか? なんて、暇な会話が三十分ばかりつづいてから目的地となる。

駐車場ビルの二階にあがると、左右どっち側のスペースに停めるかを訊かる。「おい、右か左か?」と。左にしようと応え、勝利した前回とは反対の方に駐車した。駐車した段階から悪い方へと転がっているような・・・・気配が。

水辺は南風が吹いていた。潮は満潮に近かったかも・・・。レースは初日だ。とまあ、潮・風などの要素も結果に影響するようだが、サッパリわからん。オイラの方は、自分自身の気力、やる気だね~。処がそんな気にならない、起きないのだ。

レース場に入ると俺たちは左右に別れ、最終レースが近づくと合流するのが常である。この日もそうした。2~3レース買ったが一向に芽が出ない。験直しに、生ビールからハイボールと一人でやりながらつづけた。が、女神はやってこない。

とうとう10レースも終わった。ここでNオヤジに電話を入れて状況を訊くと「まったく駄目、触りもしない」との返事が。ご同慶の至りで合流することにした。すると「競馬はどうなってる?」と、同じレースを買っているオヤジが訊く。

情報端末に詳しい?吾輩は、やおらスマホを取りだし、競馬中継を見ることにした。丁度、この日のメインレース「大阪杯」のスタートとなるところであった。

小さな画面を二人で見入った・・・・・。レースは団子状態でゴールした。1・2着は判明したが、3着がよく分からない・・・・。「1・2着は当たってる!、3着はどうなんだ?」と煩い。オヤジが買ってる、8番じやないか?と言ったが、確認は取れない。後で調べるよと、ボートレースの予想に転じた。

最終レースが始まる前に『オヤジあたってるよ、一万七千円の配当だよ』、教えてやった。嬉しそうな顔して「お前はどうだったの」と訊く。『いや~俺も当ってたよ』と小さな声で答えた。これで二人とも、ボートの負けが帳消しに・・・・・。世の中、上手く出来てるね~。

さっきまで今夜の晩飯はカップラーメンか豚小間シャブだとボヤイていたオヤジが「和牛のシャブシャブにするか・・・・」と、元気になっていた。現金なものだぜ?。

最終レースは二人ともあたったが、焼け石に水とはこのことだった。こんな日もあるさ、しょっちゅうだが・・・・。

半日を水辺で遊び、黄昏前に帰宅するも家人は仕事から戻っていない。義母がいるので晩飯のことが心配になり電話を入れた。もう暫く仕事を片付けてから帰るとのことだ。それじゃご飯を炊いとくよと、夕飯の用意をすることにした。

台所に入り、メニューの検討を始めていると、突然、山の神が降臨した。四月一日、なんと家人の誕生日でないか。台所でそれを思い出すとは、流石に弁当OYAJIである。

長女一家がいれば、なにかお祝いをするであろうが、泊りがけで出掛けている。ここは弁当OYAJIが頑張るしかない・・・・。幸いにも、佐賀牛のステーキ肉を冷凍で置いてあった。これをメインにすることにした。

義母がいなければ、外食と云うことだろうが、体が不自由で食が細いので外食は・・・・。と云うことだ。軍資金は馬が与えてくれたので心配なかったよ、あくまでも義母の体を慮っての家飯だからネッ

ステーキの他に「山女魚のフライ」「野菜サラダにポテトサラダ」「ポテのフライ」「鮎焼き」などで帰りを待ったら、なんと、出来合の揚げ物や惣菜を買って帰宅したのだ。イヤハヤ・・・・。

で、今朝の弁当になるのだが・・・。

「食パンを食べなきゃ悪くなるの。昨夜のポテトサラダの残りでサンドイッチしてくれない?」と云う、台所で弁当を作り始めようとしたOYAJIコックに指令が飛んだのだ。否応はないさ、雇われの身だもの・・・・。

急遽、食パンを半裁(これが難しいんだよ、コックさんには)し、マヨネーズを塗ってポテサンドに。ステーキ肉も残っていたので「ステーキサンド」も登場。

                    

義母が居るので、卵焼きと豚小間の野菜炒め、味噌汁を作る。これにて、今朝のお仕事を終えたと云う次第である。

                         

 

 

 

 

 

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