オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

津軽半島へ・・・

2015-11-07 | Weblog

11/7(日) 金曜日の夕刻、取引先の某社社長が来社。ここ数年取り組んできた或る案件、殆どビジネスに繫がっていないシステム販売の今後についての意識合せであった。打ち合わせ後、早々に一献となり「高松」へ。某社長との懇談は凡そ一年ぶりであった。

                      

人形町まで来てくれたので、界隈の安酒場にて懇談することにした次第。高松では、久しぶりに”金魚ソーダ”を飲ることに、一緒に席を囲んだ、担当スタッフのAOKI君が、社長にも勧めたが辞退されて焼酎の水割りを所望された。二時間ほど飲み、場を変えることに。人形町安酒場巡りなので「ちょっぷく」から「セイジュ」と渡り、カラオケなんぞでお開きとした。

翌日の土曜日、朝一便で青森に飛ぶことになっていた私は極力アルコール摂取量を抑えることに勤めた。それでも、これまでのご乱行続きで酒精分の蓄積、貯金が溜まりにたまっているので、酔いが早い。下手な演歌を唄って、発散することに努めたのは云うまでもないが・・・・・。

土曜日、五時半過ぎに家を出て空港に向かう。心配していた乗り遅れもなく、搭乗。定刻に青森空港に降り立った。九時、前夜に車まで青森に入っていたTOKIOが迎えてくれた。青森空港には、来るべき雪に備えた除雪車がスタンバイし、北国の空港らしさを見せていた。

 

そして、津軽半島へと向かった。津軽半島、陸奥湾に面した外ヶ浦町に在る通称「津軽の塔」(昭和53年竣工の電波塔)へと。

この塔の撮影と、周辺の様子をWEBサイトで紹介するのが今回の目的である。空港から陸奥湾沿いに一時間ほど走り、道の駅で一休みしようと立ち寄った。と、彼方にそれらしき塔が見えた。目指すNTTの電波塔、既に役割を終えているが、そのコンクリートの威容だけは、衰えていなかった。

               

左端は1㎞程離れた、休業(冬季の)の道の駅から撮った。塔は、海沿いの道路から10m程上に建っており、真下の道路から撮ったのが二番目の写真。短い坂道を、つる草をかき分けて登り敷地内に入ると、見上げるばかりのコンクリート作りの塔が聳えたっていた。

 

撮影を終え、周辺情報を取集するために半島の先「『竜飛岬」へと向かう。小一時間も走ると、竜飛の集落である。岬の山塊が海に迫り、海沿いの狭い道路に覆い被さるよう迫る。その行き止まりに小さな漁港があった。

太宰治は、戦中に書いた紀行小説とも云える「津軽」のなかで、ここのことを行き止まりの袋小路と云っていいる。ここから先に道はない。港の奥へと廻りこむ、漁船繋留場と防波堤で行き止まりとなった。太宰が訪れた当時、こんな立派な防波堤や港はなかったに違いない。

この防波堤を前に、後ろにタコブラクダのような岩山を背にしたコブの間に挟まるように「海峡亭」という食堂が在る。この立地ゆえか、メニューの本マグロ丼なのか、TVで何度か見た記憶がある。ここで「海峡丼を食べたい」と云うのが、同行のTOKIOのささやかなる願いであった。時刻は正午前であったが、早朝から行動の私も腹ペコになっていた。

店内は薄暗く、今時は、東南アジアの田舎辺りでしか見かけないような、そんな雰囲気。二十畳ほどの座敷に座りテーブルが幾つか並び、客は空いている処に適当に座り、そこに座布団を敷く。お茶はテーブルの端に置いた、ポットとプラ湯のみにセルフ。

メニューの方は、入り口の左手、厨房との仕切り・目隠し用に掛かった暖簾の上の壁に紙が下がっていた。本マグロ丼、本マグロ刺身定食はともに1500円、、海峡丼1700円などと。一番の安値は牛丼の600円。仕事らしい、役所関係らしき三人は、牛丼を喰っていた。店前に停まった山形ナンバーの二人連れは、本マグロ丼辺りを注文か?

TOKIOが厨房に向かって問うた、「海峡丼ってなんですか?」と、厨房の中から年配のしゃがれ声で「刺身だよ」と、明快・正しく間違いのない答えが・・・・。???と、TOKIOが困ったような顔を・・・。それやぁそうだ、魚の種類を訊いているんだから。少なくても、ここのメニューにカツ丼や親子丼はない、あるのは牛丼の600円だけだ。

気を取り直したTOKIOは「それじゃ、それをお願いします」とオーダーを発した・・・・。が、返ってきたのは「それは無い」の一言であった。その時の、唖然茫然、困った顔、情けない表情は、未だ脳裏に刻まれたままだ。「なんでこんな仕打ちを受けなきゃならないんだ、なんでこれほどまでに不親切なんだ、なんで・・・なんで・・・・」の十連発ぐらいか?

諦めきれない思いを残しながらもTOKIOは、私と同じ「本マグロ刺身定食」をオーダーしたのであった。刺身定食をつつきながら「本マグロとホタテの、ハーフ丼を食べたかったのに・・・」と、未練が断ちきれないようだった。で、味の方はどうだったって?『刺身の切れ数は多かった、本マグロらしい味かと問われれば?だった」。お値段1500円じゃ、ねぇ~。

                          

サービスマインド・客あしらい、雰囲気、清潔度はと訊かれれば、点数の付けようがない。例えて云えば、まるでオイラの日常生活のようなもんだ。

 食事の後、腹こなしに短い岸壁に出た。舟は二艘だけ繋がれていたが、他に見るべきものはなし。丁度其処に、地元の人間らしきオヤジが、杖を片手にこちらへと歩いて生きた・・・。『時分の漁はなにが獲れているのか』訊いてみようと思った。ら、なんと何と、防波堤に向かって”立ちション”を始めやがった。とんだ、バカヤロ―であった。

                        

                        岸壁から岬を望む          岬の灯台から港を・・・      

港の風景が好きな私だが、この小さな本州最果ての港は「食いもの屋と立ちション」の二題話で、印象が悪くなってしまった。ゴメンな!

 

腹ごしらえの後は、愈々龍飛岬の頂上、燈台へと向かう。頂上に向かう坂道に入る手前の「太宰治」の記念碑と、太宰が泊まった宿「龍飛館」が残っている。太宰を読んでから数十年は経っので、内容は殆ど覚えてないが・・・「津軽」だけは、所々ながら残っていた。

 そろそろ燈台を、津軽海峡冬景色をと青函トンネルの世界を目指そう・・・。

 

 

 

 

コメント (1)
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