オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

週末は過食也

2013-11-25 | Weblog

11/25(月) 先週末の土曜日、出勤もせずに家で過ごした。朝の七時前から飯の準備をしてビールを飲み、前日に届いた本などを読み始めたら会社に出る気も失せてしまったのだ。暇なオヤジは、四時ごろから夕食の用意に入った。今夜は鰻の蒲焼きを予定していた。

大きめの炭焼きコンロを注文してあったが、予定どおりにこの日届いた。炭の方は、田舎の実家に良い炭があったので、これを持ってくるつもりが忘れてしまった。前から残っていた安物の(多分中国産あたりか)炭を使うしかない。鰻の方は、郷里の安田川で捕れた天然物で、Ikg /匹以上ある上々の代物。こんな鰻は滅多に捕れない。親戚のKATUOが捕ったものを贖ってきたのだ・・・、だから炭にもこだわりたかった。

先ずは鰻のタレを作った。酒・味醂・醤油・砂糖・蜂蜜にリンゴとタマネギを擦りこんだ。が、これが正解かどうかは知らぬ。我流で作るのみだ・・・味見をしながら、調味料を足したり引いたり(引くのは無理か)である。

身も皮も厚く脂がのった鰻に竹串を打った。焼き物は他に、焼き鳥だが、これはベッタラ市の屋台で販売した残り物。そして牛肉を少々であった。炭はガンガンと燃え、火は熾り過ぎだ。新しいコンロは輻射熱も効いて焼き鳥があっという間に焼け、焦げる。最後に鰻を焼く、裏・表と頻繁に反すが、火が強い。

                 

TVで依然に見た記憶では、鰻の焼き方は返しにあった。自前のタレに付けては焼き、返すを繰り返す。食い物への執着心は大したもんだ。これだけの執着心を仕事に生かせば大変なものだが・・・。焼ながら「オーイ、ビール」と鰻の匂いを嗅ぎつけて来た長女にオーダした。ビールを飲みながら、鰻を焼き、焼き鳥を頬張ったのであった。

               

飯も炊き上がり、愈々鰻を食す時が訪れた。と、ここでもう一品があったのだ。越前カニである。越前カニと云っても、オスのズワイカニではない。コウバコと呼ばれるメスカニで小さいやつだ。このカニは味噌を食すのだが、これが滅法に美味い。家人の妹が越前・三国の港から手配し、二十杯ばかりがこの日に届いていた。こいつも喰わなければならぬ・・・忙しい身なのだ。

                   

これじゃあ~太るはな!、先ずはカニ味噌を喰いビールを飲む。ビールでカニの味を洗い流し、今度は鰻となる。蒲焼を喰らい、アツアツの飯に載せて鰻丼にして食しと、いや~満足を通り越して苦しいぐらいだ。身の暑さからくる歯応えの良さ、上質の川魚を食して太り脂の乗り切った厚い身。これに上々のタレが絡まり、極上の味わいであった。厚い皮も気にならない、旨味がタップリであった。

満ち足りた食事を取った翌日の日曜日、この日も朝七時前から飯の準備をする。どうやらストレス性の過食症候群かな?そうかもしれぬが、喰うが一番と、この日はカニ雑炊を作る。小さなカニの身をほぐし、味噌はそのまま喰らってソト子と呼ばれる卵をほぐして雑炊にする。シメジや白菜の野菜を加え、溶き卵を掛け回して完成である。ビールを呑みたくなるがぐっと我慢をする、この日は予定満載なのだ。

食事の後は家の外回りの掃除や花壇に球根を植える。夕顔やヘチマの蔓と取り除き、伸びきったジャスミンの蔓も刈った。これが結構に時間を要してしまった。

予定より一時間遅れで、川崎市へと向かう。この日は、川崎の病院に入院しているYさん(酒場「ちょっぷく」の店長)を見舞い、帰りに田園調布のAさん宅のギャラリーで開催の、書道展とやらを覗く計画である。

川崎駅からほど近い病院と地図まで貰っていたが、地図は手帳に挟み家に置いてきてしまった。と、途中で気付く始末。なんともドジなオヤジであるが、病院の名と部屋番号は覚えている。何とかなろうと、駅に下りて検討を付けて進んだが、これが大間違い。何と反対の方角であった。地図の読めない、方向音痴のオヤジであった。

こうして辿り着いた病室でYさんは横たわっていた。元気がない表情に、声が弱々しい。「どうしただよ、気を抜いて大酒を飲むからこの体たらくか?」と気合を入れるが、表情が暗いままだ。『脳出血だったが軽くて、左足は動くし、言語障害もない。前の脳梗塞に比べると大したことはなくていいんだが・・・。糖尿病から来ていると思うが、右足が不住になった・・・」と、云う。

知らなかったが、糖尿の持病があったようだ。それにしては酒を飲み過ぎていた。そんなことから、行く末を案じて暗い顔をしていたのだろう。一緒に暗くなって仕様がないと「頭の中で心配を重ねても、なんの解決にもなりゃせんぜ。なるようしかならん。治療に専念して、その結果を受け入れた上で、どう生きていくかを考えりゃいいじゃねか。今から悪い方へ悪い方へと考えたって、しょうないぜ」。

と、せめて空元気でも出せよと慰めたが・・・。彼の心配も分からんでもないが、今から取り越し苦労をしたって解決策はない。病に取りつかれると、皆同様に元気をなくすようだが、全てを受け入れて生きようと考えを巡らすまでには時間が掛かろうか。それじゃまた、と病室を後にした。

 

帰路、田園調布のA氏宅を訪ねた、駅前の桜樹は紅く染まり、銀杏並木も色付いて晩秋の趣である。駅からほど近いA氏宅の小さなギャラリーでは書道展とのことであったが、書展と云うよりはアート書と思われる作品が展示されていた。関係者であろうと思われる方が十名程居合わせた。

           

展示された作品を眺め、A氏夫妻と挨拶を交わして帰路についた。静かに佇む屋敷街の通りを歩む。ゲートのような門から駅へと下る階段を下りる。電車が入ってきたので急いで階段を降りるが、相変わらず右膝の具合は不調だ。

                     

足早にやって来た初冬の帳、傾いて行く夕日が沈むがごとくに日曜日の幕が下りていった。

 

 

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