オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

佐賀~高知

2013-05-23 | Weblog

5/23(木) 昨夕、高知から帰京。一旦会社に顔を出した後、渋谷「奈加野」にて久々に後輩のHとの懇談。剣道部の後輩たちの行く末についてなど、などを訊き話しながら、オヤジノの世迷言を語った。後輩とは可愛いもので、こんな半呆けオヤジの話などを聴いてくれるのであった。

それにしても疲れていたな~、田舎での畑仕事も予定したこととの半分しかできない。体が動かない、いうことをきかないのだ。体力・気力の衰えは覆い難しであった。

先週末、ミャンマー学校建設支援活動の総括と打ち合上げを「高松」にて行う。その後、新橋にてAD時代の後輩と新橋にて落合、銀座「順」にて懇談。亡くなった岡堂君の思い出話や、ともに過ごした頃の話に花が咲いた。

                        

あれから二十年以上たったが、当時の面影のままに皆変わず、若かった。

 

翌日の土曜日、朝の便で福岡を経由して佐賀へ。佐賀市民会館での「地球市民の会」総会と記念イベントに参加。東京での募金活動の概要などを発表した。

                        

総会後の懇親会、二次会へと流れたが“寄ん処”のNAKAMIZO女将が後頸椎損傷とかの難病に罹り療養中とのこと。思い掛けない事であった。

日曜日は朝から雨、ホテルの窓から見る佐賀駅は雨に煙っていた。福岡空港を経由して高知へ。妹夫妻が迎えてくれ、実家へ。家には、大阪と地元安芸からの従兄弟兄弟が既に到着して待っていた。

                        

お土産の金魚が沢山(100匹)に届き、池に放たれるのを待っていた。小雨の中を池に放ち餌をやる。鯉の遺伝子を残した金魚が、循環水の吐口に群がり滝登り宜しく突っ込んで行く様が可笑しい。

                     

墓参りの後は皿鉢を囲んで懇談、ビール・焼酎、佐賀から持参した復興支援の日本酒「いのちの絆」を飲んだ。

翌月曜日、馬路村を見てみたいと云う従兄弟の車で、10キロほど上流の馬路村へ。柚子の製品などを造っている馬路村農協を見学し、温泉の外観を見て帰った。

午後から翌日にかけては池の掃除やミカン畑で遊ぶ。前回の草刈から2週間ちょっとなので草刈は楽だった。枝の選定や矯正と、やることは多々ありながら途中までとなった。

            

すっかり綺麗になった畑。梅の木は一本だけよく実を付けている。まだ小さな小夏の樹は花をびっしりと付けいたが、この樹の枝は半分ほどに切った。  

前回に植えたスイカや南瓜は順調に根付き生育していた。綿のタネも芽を出し、少しばかり播いた去年の大豆も芽を出している。どれだけ成長してくれるかは?ながら、まずまずの出だしと云えよう。

            

しかし、体の方は疲れた。大した作業もしていないのに、これでじゃ老人だぜ!もう一度本格的に体作りをしなくては・・・。陽光を浴びた庭を臨む小さなテラスで、朝早くからのひと仕事を終え、ブランチとビール摂った後、吹き抜ける風に巳を任せて心地よくうたた寝をした。

                        

我が田舎でも漸く田植えが始まった。例年より1週間から10日遅いとか、気温が上がらず苗の生育が遅れていたとのこと。帰京の昨日は、妹の処でも田植えだったが、妹が空港まで送ってくれた。なかなか良く出来た妹である。

あっと云う間の田舎でのひと時であったが、それにしてもよく喰った。喰ってばかりの五日間と云えよう。

 

 

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