オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

休み明けて・・・

2018-08-22 | Weblog

8/22(水) 先週の14日から休み ―とは云いながら、八月からずーっと休みのようなものだが― を取り帰省していた。昨日の午後便で帰京、夕方に会社に顔出しした。早速、一週間ぶりの人形町パトロ―ルとなったのは自然の成り行きか。悪徳不動産のマッチャンと、飛ぶ鳥を落とす勢いの某社YAMAGUCHI社長で「高松」にて落ち合った。

飲んでいる最中に「、友人のテレビ屋、HOSOKAWAから連絡があり、彼が参画しているBS番組で「人形町」を取り上げることになった。ついては、これまで案内した居酒屋を候補に挙げたいが、とのこと。『ならばおいでよ』になった。そんな次第で、二軒目は貧乏オヤジと庶民の味方、なんでも300円の「ちょっぷく」で合流した。

                         

YMAKEN店長に番組の話をすると、なにやら事情があって取材は難しい状況であった。ならば「うまし」か、となったが、この夜は「セイジュ」でカラオケ三昧でお開きとなった。尤も、学芸大学駅に着いたのは零時前と。暫くの空白を埋めるに相応しいパトロールであった。

今朝の目覚めは五時半頃か、六時から台所に入り「弁当」作りを再開した次第。冷凍の「味付き豚肩ロース焼」と「小松菜&オクラの煮浸し」「ホタテ粕漬け焼き」、お土産で頂いた香川県の「豆醤油煮」、蒲鉾に卵焼きである。なにほどのこともない弁当作りである。

               

 

かくして休み明けがスタートしたが、会社には「席はあっても籍はない」風来坊のような身である。とはいいながら、まだ数件のクライアント対応などが残っている。これを済ませ、新しい体制が出来上がれば粗粗、お役御免となろうが・・・・。一方で、私的な会合などはこれからも・・・・。ながら、郷里の母親の状態が芳しくないのだ。

以前からの昼・夜の約束が何件かあるので帰京したが、いつ何時、帰郷せざるを得なくなるか・・・、そんな思いの日々刻々。九月十日を過ぎれば東京の方も一区切り付くので、それまで母の体がもってくれることを祈るばかりだ。

暫く家を空けている間に、かつての上司や先輩方から労いの便りを頂いていた。身に余る労いの言葉に恐縮するばかりである。そんなお便りを読みながら、次に向けての考えを纏めようとしているが・・・・。何れにせよ、母のことが片付いてからのことである。

 

帰省中は午前、午後と母の病室を訪ねた。少し調子がいい時は、かすれ声ながら話をしようとする。稀なことながら。「神仏への供えを、氏神を大事にしなさい」そんなことを言うのだが、大半は眠っている、起こして話しかけても、応えることは稀である。肺炎を併発しているとのことで微熱がつづき、手足が腫れている。食事も殆ど取れてない。今月いっぱい持ってくれたら、さすればまた、一週間ほど帰ることを考えるか・・・・。

長女一家が来たので、母を見舞ってから地元の27番札所「神峯寺」に寄った。ここには神社と、27番札所真言宗豊山派の竹林山神峯寺(こうのみね)が在る。「困ったら頼めよ安田の神峯」と言われ、霊験とご利益があるそうだ。心ばかりのお布施をし、母の安寧を祈る。

                 

 日曜日は、高知市内の「日曜市」に行きたいと言うので午前中に市場を歩き、午後一番の便で来る三女を空港に迎えた。その足で母を見舞い、夕方には従姉が用意してくれた鮎などで、自宅傍の橋の下でバーベキューとなった。従姉の旦那が鮎を獲り、それを焼く。ビールが美味い。橋の上に・・・・、大学生の姿が。なんと、昨年と同じシーンが・・・。

                 

高知大学とインドネシア・マレーシアの学生の国際交流プログラムがこの日から始まり、地元の地域活動センターでの合宿のようだ。昨年、会社のメンバーが来高し、丁度のこの河原でバーベキューの最中に出くわした。外国人のメンバーは異なるが、高知大学のリーダは昨年と同じであった。

即製の国際交流が、安田川の河原で展開されたのである。奇遇と云えば奇遇、こんなこともあるんだと面白かった。

               

 

 

 

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