オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

久々に・・・

2014-09-15 | Weblog

9/15(月) 今日は月曜日なれど、祝日でお休み。敬老の日だが、田舎の老母には電話でのご機嫌伺いだけで済ませてしまった。そもそも、三連休も最後の今日が敬老の日だなんてことすら忘れていたのだ。それでも虫の知らせか、何気に朝の内に電話ができて良かった・・・。

先週は小忙しくて、毎日バタバタしていた。情報誌の企画が固まり、その取材依頼書作成、アポやスケジュール調整等々。挙句に急遽11日に取材を組んだりと落ち着かなかった。また10日には、従姉が娘婿の見舞いに郷里から上京、私もそれに同行してのお見舞い。11日は急遽決めた取材で沼津市へ、大急ぎで帰京した夕方には、WATANABEさんの退任慰労会の幹事・・・。

翌日12日の午後は、軽井沢で静養中のKIYOTAさんのお見舞い兼飲み会で軽井沢へと向った。ここでは、KIYOTAさんの知人ご夫妻を交えてのバーベキューパーティー。翌朝は、嬬恋村のキャベツ畑と「愛妻の丘」とやらへドライブ。13日、土曜日の夕方に東京に戻った。

この間、取材先の変更や候補探しなども発生。落ち着かぬ一週間であった。それでも、毎晩酒場には顔を出し、月曜日~金曜日の弁当だけは忘れなかった。が、寝坊もあったりで手抜き弁当、レトルト食品利用弁当も出現した。

では、先週の火曜日から、土曜日までの出来事を、写真で簡単に紹介しようではないか・・・。

 

先ずは9/9(火)だが、この日は確か満月だった。昼前に某社でHIROKIさんの慰労会の最終打ち合わせ、昼はNAKAJIMAさんとランチをしながら、慰労会への出席を依頼。午後は柏駅で、情報誌の取材打ち合わせでIWAMOTOさんと待ち合わせ。夜は、衆議院議員SAKAI・MANABUのパーティが横浜シェラトンホテル。と、予定が目白押しだった。

それに、前日が会社の30周年記念日だったので、近隣で長く世話になっている店に「紅白饅頭」を届けることを考えていた。取材依頼の処理などで、結局事務所を出れたのは、18:30過ぎとなった。「高松」へ顔を出し、「ローカーボ」でハイボールを一杯やり「ちょっぷく」でワインを一杯と、顔を出すと何も飲まないで帰るのも・・・、で横浜のパーティーに顔を出すのは諦めた。ここから、渋谷「奈加野」へ廻った。それから今夜オープンと案内があった元・缶詰BARに顔出しした。

想定外だったのは「奈加野」のカウンターに、大先輩のような面構えながら剣道部後輩のKEISUKEが酔っ払って一人飲んでいたことだ。こいつは昔からこんな面だし、酔うとしつこい(皆同様か)。暫く彼を相手にして、先に返した。或る仕事のことで、彼の処理の拙さに腹を立てていた時期もあったが、今更である。

それでも渋谷で二軒の店を廻って家路に就いたのは23時頃でなかったろうか。夜空には中秋の満月が、薄雲の上に輝いていた。

                      

               「美味いね」饅頭を頬張るヤマチャン        見上げてご覧、満月よ!

10日、寝坊をして起床は7時であった。残り飯があったので、これを弁当に使う。菜は、掻揚げを作り「掻揚げ丼」にしてお茶を濁す。

               

この夕片は雷雨、豪雨となった。以前から約束の某社のMAEDA部長が人形町に。激しい雨のため暫く足止めとなった。一緒に懇談のTUGAWAさんはずぶ濡れになって会社に現われた。会社の傍の居酒屋で二時間ほど懇談。一旦会社に戻り、翌日の取材の準備をし、AOKIと「ちょっぷく」にて更にもう一杯となった。

11日、午後から沼津市で取材。取材相手は、御年80歳になるフラダンスのお師匠さん。待ち合わせの支所に現われたピンクのムームー姿に圧倒される。この日集まった12人のメンバーを指導するときは衣装が変わり、赤のムームー。踊る姿は流石に様になっている。明るくて元気、乳がんで苦しんだと云う五年前の姿は想像できなかった。

               

                   手で歌詞やシーンを表現するとか、その様は優美である。

そして、夜。麻布のクラブノックスにかつてのメンバー26名が集まって、HIROKIさんの副社長退任を労う会であった。この夜の最高齢者はTANAKAさん、御年84歳になったそうだが、退職された26年前と全く変わらない。私も26年ぶりに会ったが、驚きであった。先ずは主賓のご挨拶・・・。宴もたけなわになり、それぞれに想いでを語ってもらう。

             

この会で失敗したのは、進行役(司会)を早く振っておけばよかったのが、振り忘れていたこと。結局、言語不明瞭・意味不明の私がやる羽目になったことだ・・・。  二次会は、NAKAJIMAさん、IKEGUCHI、IYOKU、TOMOKO、KUNIEDA君で、麻布十番の居酒屋であった。何故か、疲れていた。

 

12日、疲れていたが先ずは弁当を作った。「チンジャオロースー」「根菜煮」「小松菜・シメジの卵炒め」「焼き鯖」であった。この日は、全休にすることにした。が、一旦は会社に顔を出して、何件かの用を済ます。OKAZAKI氏から電話を貰い、人形町「ベローチェ」にてコーヒー。

                

 

軽井沢のKIYAOTA別荘では、バーベキューをやることになっていた。午前中に、人形町「日山」で食材を買い込んだ。昼、迎えに来てくれたTAKAHASHI君の車で軽井沢へ向かった。都内は混んでいたが、高速に入ると快調。到着は、三時半頃であったか。迎えてくれたKIYOTAさんと、別荘地の管理事務所のカエヘで、コヒータイム。流石に軽井沢、涼しい・・・。夜のテラスでのバーベキューは肌寒いぐらいだった。

                   

頸椎損傷で寝たきりだったKIYOTAさんも、杖が無くても歩けるまでに回復していた。「リハビリあるのみ、頑張る」と云う。この調子なら、来春にはゴルフも出来るようになりそうだ。今回の訪問は、お見舞いと激励、久々に顔をみて懇談であった。ところがKIYOTAさんは、私の仕事のプラスになればと、ゴルフ仲間の某社・社長さん夫妻を呼んでくれていた。お気遣いに深謝であった。

翌日の13日、別荘裏の蕎麦畑を散策し、嬬恋村のキャベツ畑を見にドライブ。三時間ほど浅間山の周りを周遊した。帰路、軽井沢に向かう長蛇の列の車を尻目に、スイスイと走り東京へ帰ったのは、午後三時過ぎであった。

                

         蕎麦畑の向こう、雲を被った浅間山                        愛妻の丘から野反湖方向を

 

 

 

 

 

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