Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

西福寺(2015年7月4日参拝)

2015年07月31日 | 仏閣
今まで知らなかったのですが、敦賀にも大きなお寺があり、
気比神宮からさほど遠くない距離にあるのが西福寺というお寺。

敦賀にきたからにはここは外せない。

当然のことながら無料駐車場がありました。


所在地:福井県敦賀市原13-7
宗派:浄土宗鎮西派
御本尊:阿弥陀三尊
創建:応安元年(1368)
勅願後光厳天皇
開山:良如上人


【縁起】
良如上人が諸国行脚の途中奇瑞を感じ「仏法有縁の地である」と寺の建立を発願。
朝廷の許しを得て、足利義満が堂塔を完成。
その後、敦賀の本山として栄えた寺である。

福井城主・結城秀康公の寄進で書院が建てられた徳川家所縁の地でもあり、
1400坪にも及ぶ書院庭園は国の名勝としての指定もされています。

現在でも北陸有数の文化財を保有しており、阿弥陀堂などの伽藍は随時拝観できるが、
宝物は毎年11月3・4日に公開される。

書院の裏手の庭は「二十五菩薩来迎の庭」と呼ばれており、
開山上人が導かれた弥陀三尊の岩が山の中腹に、
流れでる清水が浄土に向かう白道を、
ここかしこにおかれた岩岩が二十五菩薩を表わしているという。


【三門】


ここは凄い田舎、いやもとい、長閑な場所にあるんですよ。
それなのにこんな立派な山門があってびっくりした。

戦後すぐに焼失後、昭和52年(1977)に再建されたもの。


【長命水】



【華頂門】


三門からではなくここから入っていきます。

これは知恩院境内の旧華頂宮邸の門を移築されたもので、
ただの門ではない。


【弁天堂】



【三門】


残念ながら近づくことが出来ませんでした。(泣)


【スダジイ】


良如上人が飢饉に備え自ら植えたと伝えられる大木で、
樹齢600年だそうです。


【御影堂】


文化8年(1811)に建立された重要文化財。

大きなお堂だけあって地元では大殿と呼ばれているそうです。

外からは内陣は見ることが出来なくて残念と思っていたが、
庫裏で拝観料(300円)を支払えば庭園と共に内陣拝観出来ます。


【阿弥陀堂】


重要文化財。

文禄2年(1593)に越前一乗谷から移築されたもの。


【舎利如来堂】



【宝篋印塔】



【仏間】


大玄関で拝観料を支払い、
一番先に入った部屋に祀られていました。


【御進講の間】






書院修復完了記念として寄進された山超阿弥陀図です。


【書院庭園】


ちょっと手入れが行き届いてない感がする。






京都の観光寺院のように洗練されてはいない。




向こうに見えるのが御影堂と四修廊下。

この時点で御影堂内陣が見れないと思っていたから、
拝観料支払うまで無かったなと後悔。

帰ろうとすると寺の方から御影堂の中に入れますよ、と嬉しいお声掛け。(^^


【四修廊下】



【鎮守社】



【太鼓】



【内陣】


内陣に入れて良かった。(^^

これだけで拝観料支払ってもいいですよ。




法然上人坐像。




四隅の柱が四天王を表わしていました。


【書院】



【御朱印】


日付の数字以外ハンコでした。

さて、腹も減ってきたし日本海さかな街に行くとしよう。


【マグロ解体ショー】






寿司店の前で12時から開始。
見てると楽しいですね。

思わず中トロのブロックを買ってしまった。(^^

それに飽き足らず寿司店に入店。

キンキやのどぐろとか珍しいネタを食べていたら、
そんなに量を食べて無いのに、スシロー三回分請求されました。(^^;

でも、地元では食べれないネタばっかりだったので後悔はしていない。

さかな街でカニや干物や甘えびとか買いまくり。
思いっきり散財したわ~。(^^;

でも、美味いものばかりだから後悔していない。(←ほんとか?)


【敦賀きらめき温泉リラポート】


温泉好きの家族の為に行きましたが、
なかなか良い温泉でした。(^^

お勧めです。


参拝寺社はたった二社であったが、
たまには美味いものを食って温泉に入るのもいいもんです。(^^

気比神宮(2015年7月4日参拝)

2015年07月30日 | 一宮
今日は家族と一緒に日本海の美味いものを食いに福井県敦賀市へ。

敦賀には日本海側最大級の魚市場である「日本海さかな街」があるんです。

高速をブッ飛ばし2時間で敦賀に到着。
敦賀に来たからには気比神宮に行かなくてはならない。(^^



所在地:福井県敦賀市曙町11-68
主祭神:伊奢沙別命
創建:(伝)第14代仲哀天皇8年
社格:式内社、越前国一宮、官幣大社、別表神社



【由緒】
主祭神氣比大神は神代から此の地に鎮り給うた。
大宝2年(702)勅に依り社殿の修営を行ない仲哀天皇、神功皇后を合祀した。

また日本武命をはじめ四柱神を別殿(四社の宮)に奉斎した。
延喜式に祭神七座並 名神大社とあり、類聚三代格には神階正一位勲一等と、
記されており此の七座の神は一座ごとに官幣の奉幣にあずかっている。

歴代天皇をはじめ衆庶の尊崇極めて篤き所以である。

明治28年官幣大社に昇格し神宮号宣下の御沙汰を賜わって氣比神宮と称した。

単に北門の鎮護たるのみでなく日本有数の古名大社として、
通称「氣比さん」の名で親しまれ全国に幅広い信仰を集めている。

古より歴朝の奉幣は実に枚挙に遑なく行幸啓も極めて多く、
戦後では昭和43年畏くも天皇皇后両 陛下の御親拝を仰ぎ、
又昭和62年5月7日昭和の大造営に依る本殿遷座祭にあたり、
再度幣帛料の御奉納を賜わり厳粛なる奉幣祭が営まれた。

戦後の都市計画で境内は大幅に削減されたが、
由緒ある摂末社十五の中、当地敦賀の地名の発祥である式内摂社角鹿神社がある。


【神門】


無料の東駐車場に車を停めたが、
ここからだと鳥居が反対側になります。

回廊の神門から拝殿へ。


【拝殿】




どこかで見たような拝殿と思っていたら、
神田明神の神殿に似てますね。

まずはここで家族の健康を祈願。


【境内社】







【神明社】



【第二鳥居】



【旗掲松】





【松尾芭蕉像】




奥の細道で訪れていたそうです。


【長命水】


なかなか美味し。


【大鳥居】




これは見事な鳥居です。

一目見てこれは凄いと思わされる鳥居ですね。

正保2年(1645)に建立されたもので、
元国宝、現重要文化財です。




両部鳥居独特ですね。

厳島神社、春日大社とともに日本三大鳥居と言われているそうですが、
春日大社ってあんまり大鳥居のイメージが無いな~。(^^;


【狛犬】



【御朱印】



他にも境内社があったが、
家族と一緒なんでゆっくり参拝することも出来ず。

家族はそんなに寺社巡りに興味が無いから、
早く他の所に行こうとか、車で待ってるとか言われてつらい。(泣)

そんな諸氏も多いのではないでしょうか。


参拝はやっぱり一人の方がいいな。(^^

兵主神社(2015年6月28日参拝)

2015年07月29日 | 神社
本日ラストの参拝となるのが兵主大社こと兵主神社です。

ここの拝殿をネットで見て一目惚れしちゃいました。
だからどうしてもこの神社は参拝したかった。

しかし、西脇市は結構遠いのでなかなか行けなかったが、
もう我慢の限界でした。(笑)

養父市から西脇市に移動し兵主神社に到着。
無料駐車場がありました。

時間はもう17時を超えているが、明るいので参拝も問題ないだろう。


ちなみに西脇市黒田庄はあの軍師官兵衛生誕の地であります。



所在地:兵庫県西脇市黒田庄町岡372-2
御祭神:大己貴命、八千戈命、葦原醜男、大物主命、清之湯山主三名狭漏彦八島篠命
創建:宝亀5年(1774)
社格:式内社


【由緒】
宝亀5年(1774)1月播磨椽を拝した岡本修理太夫は、
大和国岡本邑より当地に赴任し延暦元年(1782)正月、
当社附近の森地四町余を開き神社の造営に着手し同3年申子6月14日兵主神社を勧請す。

羽柴秀吉が三木城の別所長治を攻めた際に、
戦勝祈願のため臣下の黒田官兵衛が灯明田を献納し、
拝殿はその奉納金によって改築されたと伝えられています。

棟札から天正19年(1591年)の改築であることが分かります。

延喜式神名帳により延喜5年(905)式内社に指定、明治6年(1873)11月郷社、
大正8年12月県社に指定。


【鐘楼堂】


道を隔てた所にありました。

約600年前に真言宗神通寺が勧請され、
時に宮司が寺院の世話を兼ねていた時期もありましたが、
明治の廃仏稀釈のより廃寺となり、鐘楼堂だけが残っているとか。

ここにも廃仏毀釈の荒波による遺構を見るとは。

しかし今回は鐘楼堂をゆっくり見てる暇がない。(^^;


【第二鳥居】


第一鳥居はなかなか大きなものでしたが、
少し離れた場所にあったので行ってません。

第二鳥居の後ろには随神門がありました。
写真撮り忘れ。(泣)


【狛犬】



【随身】





【拝殿】


お~、これこれ。
これが夢にまで見た茅葺屋根の拝殿ですよ。(大袈裟)






どっから見てもいいね~。

感動です。


実際に見ると結構大きいんですよ。

これだけの茅葺屋根を維持していくのは大変だろうなぁ。






嬉しいことに靴を脱いで拝殿の中に入れます。(^^


【幣殿】



【境内社】



【拝殿】



【本殿】



【境内社】





【神馬】



【境内社】



【神牛】



これにて本日の参拝終了。

今回もとても充実したものであった。

官兵衛所縁の荘厳寺は時間の都合で宿題になりました。
またこの地を訪れる原動力になるな。

兵主神社の御朱印の有無は不明です。

養父神社(2015年6月28日参拝)

2015年07月28日 | 神社


長閑な走りは続くよどこまでも。

交通渋滞も無くストレス無く走れて気持ちがいい。

丹波市から養父市にやって来ました。
その名もズバリ養父神社に参拝する為です。

ここは前から来たかったのですが、
目的は参拝と御朱印帳購入です。

御朱印帳が本当に美しいんですよね。
欠品だったら泣くぞ。(^^;



所在地:兵庫県養父市養父市場840
主祭神:倉稲魂命
配祀神:大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆足尼命 
創建:(伝)崇神天皇30年
社格:式内社、但馬国三宮、県社
札所:但馬五社


【由緒】
但馬五社の一つである養父神社は農業の神として古くから、
「養父の明神さん」、「山ノ口さん」と親しまれてきました。

但馬でも古い歴史と社格を誇る神社で延喜式の名神大社として、
出石・粟賀と並び但馬三ノ宮としても知られています。

社伝によれば崇神天皇13年(紀元前66)の創祀とあり、
妙見山全体が御神体とされ山頂に上社、中腹に中社、
現社地に下社が置かれていたと伝えられています。

明治時代初頭に社殿を下社に統合されました。

養父神社は但馬の奇祭といわれる「お走り祭り」で有名です。


【第二駐車場】


広っぱのような無料駐車場に車を停めた。

神社らしい雰囲気は皆無。
うーん、どっから行けばいいのか分からなかったが、
怪しい矢印を信じて行ってみた。

どうやら社務所の裏に繋がっていました。


【宝篋印塔】




社務所の裏にひっそりとありました。

神社としてはあんまり表には出したく無いようだ。

第二駐車場に停めたからこそ見れたので良かった。(^^


【稲荷大明神】


御祭神:保食命。

商売繁盛、五穀豊穣の守り神として、
また社務所のある屋敷の鬼門除のお庭神としても祀られています。


【朱橋】



【本殿】


絶賛工事中。


【迦遅屋神社】





【厳島神社】


御祭神:厳島姫命。


【山野口神社】




若干荒れてる感がありますが、
これぞ神社といった厳かな雰囲気が漂う。




社殿まで近づくとさすがの雰囲気です。


【狛犬】


特徴的な顔をしています。


【神馬】



【拝殿】





【狛犬】


相当古そうですね。


【狼像】


こちらはケツを思いっきり上げてるタイプですが、
狼とは珍しい。

日本狼は明治38年(1905)に絶滅しましたが、
田畑を荒らす猪や鹿から作物を守る益獣として、
狼を守り神とする伝承が400年以上も前から伝わっています。


【五社神社】





【御霊神社】





【琴平神社】







【蔵】



【随神門】



【守門像】





【鳥居】


完全に参拝の順番が反対ですね。

鳥居の横に無料の第一駐車場がありました。
祭りや正月の時以外は第一駐車場に停めましょう。


【猫】


社務所前にいた野良猫。

妙に人に慣れてる猫でした。(^^


【御朱印】



【御朱印帳】


無事にゲット出来て良かった。(^^

御朱印代込みで1500円でした。

名草神社(2015年6月28日参拝)

2015年07月27日 | 神社
日光院から以前から訪れたかった名草神社へ。

しかしこの山道がとんでもない酷道。




ここはまだ広い方で先に進めば進むほど、
車一台がやっと通れる道になっていく。

しかも、ソフトボールやゴルフボールぐらいの落石多数。(汗)

そんな道が延々と7キロも続く。

私もこんな道はある程度慣れてきたし、
ほとんど対向車は来ないだろうと思っていたから、
以前よりは余裕があった。

でも、さすがに7キロもあると疲れたよ。(^^;

まさかの対向車が2台も来たけど、
安全な場所だったのでラッキーやった。


無料駐車場というより、単なる広場に車を停めて参拝。



所在地:兵庫県養父市八鹿町石原1755-6
主祭神:名草彦大神
配祀神:日本武尊、天御中主神、御祖神、高皇産靈神、比売神、神皇産霊神 
創建:明治9年(1876)
社格:式内小社、県社



【由緒】
民の悪疫に苦しむを憐れみて其祖神名草彦命以下の諸神を祀りて、
之に居りしに創まると伝う。

延喜式の制小社に列し中古社運隆盛を極め仏者に習合して、
真言帝釈寺当社の別当となり、祭神中に天御中主神あるによりて、
7座の祭神を北辰7星に象りて両部神道を構成し、社名を妙見宮と改め、
真言特有の加持祈祷を以て信仰を得る。

天正年間(1573~1593)、豊臣秀吉悉く社領を没収し、
江戸時代徳川将軍より朱印領30石を寄進して社頭の維持漸く安きを得たり。

明治維新までは出石藩主仙石侯及び村岡藩主山名侯の祈願所となり、
摂家一條家よりも屡々代参の儀ありき。

寛延4年(1751)本殿を修造し、宝暦2年(1752)日光東照宮を模して改築に着手し、
同4年(1754)之を竣工。
元禄元年(1688)拝殿を改築し翌年(1689)竣工。

明治維新社名を名草神社と復称し、
明治6年(1873)村社に列し、大正11年(1922)、県社に昇格。


【八坂社】


参道入口に鎮座していました。


【参道】


車で行けるか不安だったので歩いていくことに。




ちょっとした坂で無駄に疲れる。

ようやくお目当ての三重塔が見えてきた。(^^


【境内】


ここまで車で行けるやん。(^^;


【夫婦杉保存棟】


何やら大木が保存されているようです。









【三重塔】




さすが戦前まで国宝に指定されていた三重塔です。
現在は重文です。

素晴らしい。

こんな山奥にわざわざ来た甲斐があるというもの。
苦労してきたから感動もひとしおですよ。(^^

資料によるとこの三重塔は島根県出雲大社の境内に、
出雲の大名尼子経久が願主となって大永5年(1525)に起工し、
同7年に竣工、建立されたもの。

今では信じられないが出雲大社に三重塔があったんですね。

それが何故この名草神社にあるかというと、
江戸時代に行われた出雲大社の寛文御造営の際に、
名草神社の鎮座する妙見山から出雲大社本殿の御用材として、
御神木と呼ばれた妙見杉の巨木を提供したお礼で、
出雲大社から三重塔を譲りうけたそうです。


出雲から遠く離れたこの山奥まで解体して運んでくるなんて凄いよなぁ。

昔の人々はいろんな意味で強い。


【石段】


神社の拝殿はどこだろうと探す。
向こう石段があった。




写真だと大したことないと思われるかも知れないけど、
見た瞬間帰ろうかな、と思う石段です。

しかも一段一段が高いからめっちゃしんどい。

頑張って登った。


【割拝殿】






お~、これはまた渋い拝殿ですね~。

しかも懸造に割拝殿という組み合わせは極めて珍しい。

重要文化財。






絵馬。




ん?これは?

火事の跡というより護摩炊きのような感じがする。

これは元は護摩堂だったんじゃないかな。

ここは元々神社というより、
日光院だったようですね。

長年、護摩行をしてないと、あれほどの煤は着かないと思う。


【本殿】






うーむ、これは渋い。
渋いがこれはお寺の本堂のように見える。

明治以前はこの地も日光院のものだったと聞く。

神社には絶対あるはずの鳥居も無い。
これほどの規模で鳥居が無い神社は初めて参拝したし、
他に存在も知らない。

それに境内の雰囲気がどうもお寺なんですよね。
むしろ日光院の方が神社のような雰囲気があった。

やはり昔は日光院の境内だったと改めて確信した。


重要文化財。




なかなか見事な本殿の龍でした。


【割拝殿】



【稲荷社】



【境内社】


御祭神不明。


【境内】


社務所前まで車で来ることが可能です。
しかし狭くて急な道ですので止めておいた方が無難です。


【三重塔】




見納め。






一層目に力士像がありました。

三層目に4匹の猿がいましたが、
雨で上手く撮影出来ず。(泣)

「見ざる、言わざる 、聞かざる 、思わざる 」らしい。


【登山道】


妙見山登山コースらしい。

マジか?(^^;


【御朱印】

日光院(2015年6月28日参拝)

2015年07月26日 | 仏閣
丹波名産を何一つ食べることもなく、
丹波を離れ前から行きたかった名草神社へ向かう。

食より参拝優先は当たり前のことなのです。(^^

名草神社はかなり山奥に鎮座しているので山道を覚悟していました。

だんだん山の中に入って行く。

途中の妙見山という山の道を走っていると、
日光院というお寺を発見。

妙見大菩薩という看板があったので日蓮宗かと思ったが、
近畿楽寿観音霊場の札所であるので違う。

ここに訪れるのは恐らく二度と無いので、先を急ぐが寄ってみた。



所在地:兵庫県養父市八鹿町石原450
宗派:高野山真言宗
御本尊:妙見大菩薩
創建:人皇三十代敏建天皇(572)
開基:日光慶重
札所:近畿楽寿観音霊場、宝の道七福神、但馬七福神



【縁起】
当院は日光慶重がここに一寺築いたことに始まります。

霊符縁起によりますと但馬国・石原妙見は、
肥後国・八代妙見、下総国・相馬妙見と共に日本三妙見の一つとされます。

戦国時代には特に武門将士の信仰を集め、山名宗全も日光院で戦勝祈願をしました。
それらの古文書は「日光院文書」と呼ばれ、中世の歴史を伝える貴重な資料として、
県指定重要文化財となっています。

天正年間、羽柴秀吉の山陰攻めの兵火にあい、寺門一時衰微しましたが、
寛永9年にはここから西方五十丁の妙見中腹に移転復興し、
三代家光公より三十石のご朱印地を賜りました 。

寛文5年には出雲大社の御造営に際し、本殿の御用材に日光院の妙見杉をお譲りしたお礼に、
出雲大社より日光院に三重塔を譲り受けました。

妙見全山を伽藍とする壮大な妙見信仰の一大霊場として繁栄を極めました。

明治になり廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、妙見信仰の弾圧が始まりました。
明治9年「寺号を廃して不動産のみ名草神社にせよ」という
布達にて再びこの地の末寺成就院と合流し今日に至っております。

寛文9年から明治9年の245年間に日光院の建物に、
新たに名草神社が入りお寺の建物がそのまま神社とされたのです。

そこが日光院であったが故に、
仏教の象徴である三重塔が名草神社の境内に存在しているのです。


【風景】


こんな所でも人は住んでいる。

不便だろうなぁ。


【石段】


雰囲気はいい。


【不動明王】


お不動さんがお出迎え。


【石垣】


苔ロードがたまらない。


【山門】



【拝殿】


ドーンと聳える大木に渋い拝殿。
神社のような雰囲気です。

寄ってみて正解です。
これだから寄り道はやめられない。(笑)




この拝殿は護摩堂だそうです。


【山門】



【修行大師像】



【井上貞治郎像】


強靭かつ量産出来る段ボールを開発したので、
日本の段ボールの父と呼ばれているそうな。


【招福弁才天】



【薬師堂】




本堂にあたります。

妙見の本地佛と宝の道七福神の毘沙門天が祀られています。


【地蔵尊】




廃仏稀釈以前には名草神社まで一丁毎に祀られていたもの。


【宝篋印塔】


美方郡香美町にある応挙寺から奉納されたもの。


【渡り廊下】



【境内】


苔と大木の木々お緑が清々しい。


【本殿】






まるで神社のよう。

雰囲気的にも神仏習合が色濃く残っていますね。


妙見大菩薩は50年に1度の御開帳。


【稲荷社】





【御堂】



【お助け地蔵】





【不動明王】



【鐘楼堂】



【境内】


朝霧とか出ていたらたまらん雰囲気でしょうね。


【御朱印】



次は因縁めいた名草神社へ向かいます。

興禅寺(2015年6月28日参拝)

2015年07月25日 | 仏閣
やっぱり丹波は個性豊かな寺社が多い。

自然も豊かでとても落ち着く所。

次は春日局所縁の興禅寺へ。
春日局は3歳の冬までこの地で過ごしたそうです。

そういや大河ドラマの春日局は面白かったなぁ。
若かりし頃の江口洋介が家光役をやっていたのが印象に残っています。(遠い目)



所在地:兵庫県丹波市春日町黒井2263
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:不明
開基:荻野悪右衛門直正
中興年:寛永3年(1626年)
中興:寂道応勲和尚
札所:氷上郡西国三十三霊場



【縁起】
この寺の前身は杖林山誓願寺であったが、
八木城主内藤宗勝が黒井城を攻城した時に誓願寺も戦火にあい焼失。

当時の誓願寺があった場所は寺屋敷と呼ばれ9つの寺が立ち並んでいて、
黒井城の寺町を形成していた。
この時、寺の復興に努力したのが黒井城主荻野直正(赤井直正)で、
堂宇を建立などして再建につとめたと言われている。

現在の場所に移転したのは黒井城の落城50年後の寛永3年(1626年)のことで、
下館跡に本堂等を移転し山号を杖林山から大梅山、宗派を真言宗から曹洞宗に、
寺号を誓願寺から興禅寺に、開基を荻野直正とした。


【惣門】


黒井城の門材を使って建立されたもの。


【七間堀・高石垣】




80メートルの水濠と高さ4.5メートルの野面積みの石垣が印象的。

こんなお寺は滅多に無いですよね。
あったら教えてほしい。(^^

無料駐車場が近くにありました。


【楼門】




禅宗らしい石垣にマッチした楼門です。

近年、宮津市の智源寺から移築されたもの。


【仁天像】





【本堂】


こちらもいかにも禅宗といった本堂です。

ただ、残念ながら本堂内陣は見ることすら出来ませんでした。


【鐘楼堂】




赤井直正の子赤井悪右衛門直義が寛永年間、
先祖供養の為に鐘楼堂を建て梵鐘を寄進。
現在の鐘楼は大正2年に改築されたもの。


【禅堂】



【地蔵尊】



【庭園】




安土桃山時代の公家で関白、左大臣であった近衛信尹が、
この地で自ら設計して造園したもの。

近衛信尹は書家としても優れ本阿弥光悦・松花堂昭乗と共に寛永の三筆の一人。


【観音像】



【指月殿】


経蔵だそうです。


【お福産湯の井戸】




お福(春日局)が産まれた時、
この井戸の水を汲んで産湯に使ったとされています。


【お福の腰かけ石】



【鎮守社】



【御朱印】

円通寺(2015年6月28日参拝)

2015年07月24日 | 仏閣


青垣の高源寺、山南の石龕寺と共に丹波もみじ三山の一つ円通寺。

ここは紅葉の時期になると観光バスがバンバン訪れるお寺だそうで、
静かに参拝したい私は紅葉の時期はあえて行かない。

案の定、本日の参拝者は私一人。

独占確定。(^^



所在地:兵庫県丹波市氷上町御油983
宗派:曹洞宗
御本尊:如意輪観音菩薩
創建:永徳2年(1382)
開基:足利義満
開山:英仲法俊(足利尊氏第四子)
札所:氷上郡西国三十三霊場、郡八十八ヶ所霊場



【縁起】
永徳2年(1382年)、将軍・足利義満が後円融天皇の勅命により創建した名刹。
年号の首字をとって永谷山と号し、天子の宝号の1字をとって円通寺となり、
勅願所と定められました。

室町時代の最盛期には天皇、将軍そして関白と深い関係を持ち、
丹波はもとより、但馬、播磨、摂津の国々にかけて権勢を広めた。

現存する本堂、庫院などの建築物は江戸時代に再建されたもの。

織田信長の中国攻略に伴う明智光秀の丹波攻めにより、
この地の寺社仏閣は悉く焼き払われました。

この寺にも軍勢が近づいた時、豪氏荻野喜右衛門が
光秀の本陣に赴き必死の説得の結果、兵火を免れたと伝わる。

丹波もみじ三山の一つであり、初夏のアジサイとともに花どころとして知られます。


【参道】


無料駐車場がありました。
紅葉の時期のみ入山料300円が必要なようです。





【アジサイ】









【不動明王】





【清水地蔵尊】



【石仏】



【地蔵尊】



【大杉】


樹齢700年。


【山門】



【二天像】




この中に二天が祀られています。

山門と同じ方向を向いているのが普通ですが、
ここは左右から山門を通る人や魔物を見張っているかのようです。




持国天。




増長天。

二天とも眼球が無いので怖い。


【参道】




こりゃ紅葉の時は素晴らしいとすぐに分かりますね。




ようやく到着。


【鐘楼堂】


これは変わった鐘楼堂ですね。

こんなの初めて見た。
気温でも測れそうですね。(笑)


【本堂】




いかにも禅宗といった本堂です。

滋賀県の清涼寺と同じような雰囲気を感じました。

とても落ち着きますね。




広い堂内に入らせていただいた。

御簾で御本尊の御尊顔を拝する栄誉は得られませんでしたが、
堂内に入れただけで善しとしよう。

御本尊は如意輪観世音菩薩像で、
後小松天皇より下されたものと伝えられます。


【禅錬成道場】


庫裏兼座禅道場のようです。


【水琴窟】



【蹲踞】


「吾唯知足」と刻まれています。
真ん中の四角をそれぞれの文字の「口」となってるのがオシャレ。

吾唯知足とは吾(われ)唯(ただ)足(た)ることを知ると読み、
「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」
という禅の格言を謎解き風に図案化したものだそうです。


【石仏】



【地蔵尊】



【石碑】



【観音堂】





【御朱印】


庫裏の玄関に置かれていました。
書置きです。

達身寺(2015年6月28日参拝)

2015年07月23日 | 西国薬師四十九霊場
続きまして丹波古刹十五ヶ寺の一つで、
仏像の宝庫と呼ばれる達身寺というお寺へ。

重要文化財がたくさん見られるだけあって楽しみや。(^^



所在地:兵庫県丹波市氷上町清住259
宗派:曹洞宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:伝・行基菩薩
札所:丹波古刹十五ヶ寺、西国薬師四十九霊場、氷上郡西国番外霊場



【縁起】
行基菩薩によって開かれたと言われ、宗派は天台か真言系であっただろうと思われる。

寺伝によると世が戦国の時代であった頃、達身寺は、
僧兵を抱え山岳仏教の教権を張るような大寺院であったと言われている。

織田信長が丹波平定を行った際、家臣である明智光秀が丹波の地を攻め、
篠山城や保月城などが攻められた。
当時、達身寺は保月城に加勢をしていたと言われており、
そのことで保月城よりも早く寺院が焼かれてしまった。

僧侶たちは寺院を焼かれる前に、仏像を近くの谷へ運び出したのだが、
そのまま長い年月置き去りにされてしまうことになったと伝えられている。
 
時は流れ元禄8年(1695)この村に疫病が流行り多くの人々が亡くなった。
その原因を当時の村人が占い師に占ってもらったところ、
「三宝を犯した仏罰である。」と言われた。

村人達は山に登り放置されたままであった仏像を集め、破損していた達身堂を、
現在の地に移し修繕を行った後、仏像を安置し奉ったそうである。

正徳2年(1712)に竹雲堤山和尚の発願により、
師である円通寺二十五世大庵清鑑和尚を開山とし、
禅宗の中の曹洞宗として火を灯し現在に至っている。

寺名についていは十九山の達身堂を本堂としてこの地に移した為、
十九山達身寺と名付けられたのである。


【風景】


達身寺はこんな長閑な田園風景が広がる里山にあります。

天気が良ければ最高なんですけどね~。


【全景】


これは良い雰囲気です。

お、本堂と思われる建物の屋根が私の大好物ではないか!

思わず走ったわ。(笑)





【自然水】


なかなか美味しかったです。


【本堂】




はぁ~、ええわ~。(^^

失礼ながらこんな田舎にあるから余計に雰囲気が、
めっちゃいいんですよね~。

これが都会のど真ん中だったら似合わないもんね。


【堂内】


拝観料を支払うと女性の方に本堂奥の宝物殿に連れていかれた。

3段の棚に安置された仏様達に圧倒される。

しかし、よく見るとその全ての仏様達は破損や欠損が著しい。

女性の説明によると明智光秀が軍勢の焼き討ちから免れる為に、
山中の谷に匿っていたが、長い間放置されてしまったからとか。


とても痛々しい姿です。

しかし、それが逆に独特のオーラを放つ。
強烈なインパクトを感じました。

荒波に翻弄された歴史を否応が無しに感じざるをえない。

その文化的遺産を里山の方々は現代まで大切に保存され、
篤く信仰されてきたその事実に胸に込み上げてくるものがある。

本当に立派です。

廃仏稀釈で仏様を破壊した過去の先人達の罪は大きい。
恥を知れと言いたいですね。


それにしても兜跋毘沙門天が16体もあるのは珍しい。
しかも中年のオッサンのようにお腹ぽっこりしてるんですよ。(笑)

すみません、表現が悪かったですね。
安産の地蔵尊のようなお腹と表現すればよろしいでしょうか。(笑)

このようなお腹が膨らんでいるのを達身寺様式と呼ばれているそうです。

何故、京都や奈良ではなく、
このような地方でこれほどの仏様達が安置されているかといえば、
この地に丹波仏師達の工房があったのではないか、というのが有力な説とか。


一通り説明を聞いてからもう一つの宝物殿へ。


【宝物殿】


こちらは先ほどの宝物殿と違って大きな三尊が目に入ってきた。




撮影禁止でしたので画像はオフィシャルより拝借。

真ん中の阿弥陀如来坐像、左右に十一面観音坐像、薬師如来座像。
黒の衣がとても印象的です。

これほど見事とは。

他にもお腹ぽっこりの聖観音菩薩や薬師如来、坐像の地蔵菩薩等、
非常に珍しい数々の仏様達を堪能。

何故、これほどの仏様達が達身寺に集まっているかは謎とか。

ここまで素晴らしい見事な仏様達を造るにしてもお金がいる。
昔は都に繋がる交通の要衝といわれていたので、
有力な権力者や裕福な民がいたのかな。

古文書が全く残っていない今となっては謎ではある。


女性の案内が終わると宝物殿にはわたし一人になった。

この素晴らしい空間を独占。

まさに至福の時でした。(^^



撮影不可でしたので、
詳しく写真を撮られている方のブログをご紹介させていただきます。

http://hitabutsu.jp/blog-entry-196.html

http://hitabutsu.jp/blog-entry-197.html


【本堂】


ええわ~。
めっちゃ癒されます。

これを見ながらお茶と団子をいただきたいですわ。(^^


【毘沙門堂】


庭にマッチしていい感じです。


【蔵】



【鎮守社】



【御朱印】


確か三種類あったと思うが、
墨書きは全て同じということですので、
お薬師さんの御朱印をいただきました。

高山寺(2015年6月28日参拝)

2015年07月22日 | 丹波古刹十五ヶ寺霊場
岩瀧寺の次は同じく丹波古刹十五寺霊場の札所である高山寺へ。

こちらは紅葉が美しい名刹らしい。

紅葉の時期ではないけど、初めて参拝するので楽しみ。

大型の無料駐車場がありました。



所在地:兵庫県丹波市氷上町常楽50-1
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:天平宝寺元年(757)
開山:法道仙人
札所:丹波古刹十五寺霊場、丹波西国三十三観音


【縁起】


法道仙人が弘浪山で千日参籠し十一面観世音菩薩を感得した霊場である。
その後、荒廃したが源頼朝の命を受けた東大寺俊乗坊重源上人によって再興。

健久年間には後鳥羽天皇勅願所となる。
歴史が経過する中、再び荒廃したが日向の国より、
開長上人を向かえ釈迦を復興させる。

本堂、仁王門も再建されたが、明治初年の廃仏棄釈による仏教排撃運動。
その後の戦争、台風災害などで山中での維持管理が困難となり、
昭和32年に当時の住職、寛園上人(大覚寺59世門跡)が常楽の地に移築工事を開始し、
翌年本堂、仁王門、庫裏の移築を完了した。 

現在の高山寺は丹波古刹霊場であり、
もみじの名所としても名高く紅葉を楽しむ参拝者から大変な人気がある。


【仁王門】




長閑な場所にあるにも関わらず、
鮮やかで見事な仁王門に驚く。


【仁王像】





【龍図】





【参道】




お~、これは紅葉の時は凄そうだ。


【鐘楼堂】



【石仏】



【狛犬】



【本堂】




いかにも古刹といった雰囲気を感じさせてくれる本堂です。




外陣。




内陣。

御本尊は厨子に安置されていました。
33年に一度の御開帳です。


【賓頭盧尊】



【虚空蔵堂】



【宝篋印塔】



【石仏・宝篋印塔】



【四国八十八所石仏】



【手切地蔵菩薩】





【弘法大師像】



【御朱印】


庫裏は閉まっており、
カンカンの中に書置きの御朱印が置いてありました。

同じ書置きならこれの方が気を使わなくていい。

岩瀧寺(2015年6月28日参拝)

2015年07月21日 | 丹波古刹十五ヶ寺霊場
次の寺社は生田斗真主演の映画「源氏物語 千年の謎」の
撮影が行われた岩瀧寺です。

こちらの本堂は私の大好物である茅葺屋根。
楽しみや。(^^

ただ、昨年8月の集中豪雨による災害により独鈷の滝とか見れないとか。

まぁ滝が見れないのは別にいいから、
普通に参拝出来ればいいや、って気持ちで参拝しましたが。。。



所在地:兵庫県丹波市氷上町香良613-4
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:浅山不動尊(不動明王)
創建:弘仁年間(809~823)
開基:嵯峨天皇
開山:弘法大師
札所:丹波古刹十五ヶ寺霊場



【縁起】
嵯峨天皇が住吉明神の夢のお告げに依り、
弘法大師に命じて七堂伽藍を建てたと伝えられています。

本尊不動明王は弘法大師の御作で、丈五尺六寸、岩窟内に祀られています。
岩瀧寺の奥の院には御本尊不動明王の安置されている洞窟の前に、
護摩祈願をする護摩堂がある。
岩瀧寺の古文書によれば安政5年(1858)に改築された建物であると云う。

寺の歴史に関しては天正時代の兵火により、
一山悉く焼失し詳しい資料は寺には殆ど残っておらず不明。

大正時代には精神病治療で滝治療が行われていた。
先の大戦の頃は寺も困窮した。

昭和26年初秋、河内道明寺から尼僧和田賢龍尼が当寺十三世として入山。
尼寺になるのはこの寺の歴史上初めてのことかと思われます。
そうして賢龍尼の努力と多くの信者の方々の厚い寄進に依って、
不動尊拝殿の新築、本堂、庫裏、山門、倉庫、諸堂の修復、梵鐘の鋳造し復興。

平成12年には四国八十八個所本尊仏の再建や庫裏の解放や接待によって、
親しみやすい岩瀧寺として現在に至っています。


【参道】


先は通行止みたいなんで、手前の無料駐車場に停めて歩く。


【白玉大明神】




山でよくある雰囲気の鎮守社ですね。


【復旧工事現場】


うわ~、これは予想以上に酷い状況ですね。

お寺は大丈夫なんだろうか。




参道と繋がる橋も崩落していると思われる。




お寺全景。

これは酷い状況です。
大規模にブルーシートで保護されていて痛々しい。

参拝が出来るかどうか、確認しに架設の橋を渡り近づく。


【山門】


大正天皇の即位を記念して建てられたもので、
大正門と呼ばれています。

大正時代に造られたものとは思えないほど、
良い意味で古刹の歴史を感じさせてくれる門ですね。


【境内】


一面に敷かれたブルーシートによって古刹の雰囲気が台無しですが、
これ以上、地盤が緩くなって崩れたらマズいので仕方ない。


【庫裏】



【本堂】


茅葺屋根がいいですね~。(^^

こちらには観音菩薩像、愛染明王が祀られていますが、
御本尊は祀られていません。

本堂に御本尊がいらっしゃらないのは珍しい。

その御本尊は数百メートル離れた洞窟に祀られていますが、
残念ながら災害被害により行くことが出来ませんでした。(泣)


【庚申堂】


本堂裏手には青面金剛が祀られている庚申堂がありました。


【大師堂】



【賓頭盧尊者】



【四国八十八箇所本尊佛】





【夫婦杉】


ここより先は全然復興が進んでおらず進む事が出来ず。

資金の問題なのか、田舎だからなのか、
復旧の速度が明らかに遅い。

もう一年近く経つのにこれでは、
完全復旧までまだまだ時間がかかりそうです。

一日でも早く復旧することを願わざるを得ない。


【山門】


これはいわゆる鐘楼門だったようです。


【御朱印】


庫裏横の無人の授与所で書置きをいただいた。

二種類ありましたが右肩の印が違うだけでしたので、
弘法大師の印がある方を選びました。


【アジサイ】




駐車場近くで見たアジサイ。

アジサイの美しさが救いであり、
この寺の復興を確信させてくれた。

織田神社(2015年6月28日参拝)

2015年07月21日 | 神社


柏原八幡宮の近くに神社発見。

小さな神社で織田神社というらしい。


所在地:兵庫県丹波市柏原町柏原204
御祭神:織田上野介信包命、織田上野介信則命、織田上野介信勝命
創建:慶安3年(1650)


【由緒】



【鳥居】



【社殿】


小さいのはいいとしても、
閉まってるのがなんとも。(苦笑)


【境内社】


柏原八幡宮の駐車場近くの境内社。
織田神社のではありません。

御朱印も無いと思われます。

さぁ、次の参拝地へ急ごう。

柏原八幡宮(2015年6月28日参拝)

2015年07月20日 | 神社
本日のお目当ての一つである柏原八幡宮に到着。

こちらには神社の境内に滅多に見れないものがあるんです。
それが目的なんでとても楽しみです。

大型の無料駐車場がありました。


所在地:兵庫県丹波市柏原町柏原3625
主祭神:誉田別命(応神天皇)
配祀神:姫三柱之命、息長足姫命(神功皇后)
創建:万寿元年(1024)
社格:県社



【由緒】
舒明天皇の御代(629~641)、出雲の連なる人が入船し、
山上に素盞嗚尊の御神霊を鎮祭したのが創始である。

万寿元年(1024)に京都石清水八幡宮の別宮として創建された神社で、
創建当時の建物は南北朝の貞和元年の戦乱(1345)で焼失し、
その後再建された社殿も天正7年(1579)明智光秀の丹波攻めの時に炎上。

現在の社殿は天正13年(1585)に羽柴秀吉によって造営されたもので、
三間社流れ造りの本殿と入母屋造の拝殿とが接続した複合社殿を形作っており、
国の重要文化財に指定されている。

明治6年(1873)郷社に列せられる。
同33年(1900)県社に昇格す。

本殿背後には神仏習合の名残である釣鐘と三重塔がある。


【鳥居】


この時は柏原八幡宮とは別の神社と勘違いしていた。


【厳島神社】





【石段】



【境内】


ここは寂しい場所です。
参拝者はほとんどあんまり訪れないと思われる。


【拝殿】





【狛狐】


これでようやく稲荷神社だと判明。(^^;

帰宅してから調べると柏原八幡宮の摂社五社稲荷神社と知る。(苦笑)

万寿元年(1024)に京都の伏見稲荷大社の御分霊を勧請したもの。


【聖神社】



【石段】


上に行けば何かあるだろう、と思い登る。

そこには社務所の庭があった。
通っていいと思うけど、
人の家の庭に勝手に入っているようでバツが悪かった。(汗)


【表門】


奥に見える社務所の中を通って門の前に出た。




八が鳩になってますね。(^^


【祓殿】



【参道】


こちらは整備された石段です。


【愛宕社】



【二の鳥居】


ようやく本社に到着。

渋い鳥居です。


【社殿】


さすが重要文化財。
これがまためっちゃ渋い。

総桧皮葺の屋根といい入母屋造の拝殿が素晴らしい。






横から見ると拝殿と本殿がくっついているタイプですね。

権現造の先駆けとして建築史上非常に貴重な建造物というのも頷けます。


【狛犬】



【絵馬殿】



【厄除神社】


摂社。

御祭神:八衢彦神・八衢姫神・久那戸神。


【境内社】



【三重塔】




これこれ。
この三重塔が見たかったのよね~。

神社は全国に数あれど、三重塔がある神社は全国で18社。

廃仏稀釈が吹き荒れた暗黒時代を乗り越え、
現代の神社にその美しい姿が残っているのはまさにミラクル。

そういう意味で重文に匹敵するとても貴重な三重塔です。






応仁2年(1469)に創建されたが、本殿と同様に幾度の焼失をし、
現在の塔は江戸時代後期文化12年(1815)に再建されたもの。


【境内社】



【鐘楼堂】




これまた現代の神社では珍しい。

厄除開運難逃れの鐘と言われており、
嬉しいことに撞いていいということでファイト三発しておきました。(^^

それにしても三発撞くのも珍しい。


【本殿】



【境内社】










これにて参拝終了。

行きとは別の参道を降りて駐車場へ。

完全に神社の入口を間違えてました。(^^;


【境内社】




参道を降りきった所(神社入口)に鎮座。












いろいろ境内社がありました。


【一の鳥居】



【御守】


音色がとても美しかったので、思わず買っちゃった。(^^


【御朱印】



神戸市辺りは天気が良いのに、
丹波まで来ると天気が悪い。

けど、この神社に訪れることが出来て本当に良かったです。

苅野神社(2015年6月28日参拝)

2015年07月19日 | 神社
寺社巡りする人達はネット等で知って、
絶対に行きたいなぁと思い続けている寺社が誰にだってあるはず。

私の場合は兵庫県に鎮座する柏原八幡宮、養父神社、名草神社、兵主大社が、
ずっと行きたいと思っていました。

今日、纏めて参拝してやろうじゃないかと、
ようやく重い腰を上げ丹波市へ車を飛ばす。

まずはルート的に柏原八幡宮を目指していると、
もうすぐ到着という所で、何ともいえぬ雰囲気を感じる神社発見。

通り過ぎちゃったけど、
ここで参拝しなければ後悔すると思いUターン。




所在地:兵庫県丹波市柏原町上小倉88
御祭神:葛原親王
創建:不明
社格:式内社、村社



【葛原親王】
平安時代初期の皇族で桓武天皇の第三皇子。
桓武平氏の祖

大蔵卿・式部卿などを経て嘉祥3年(850)大宰帥に任じられた。
仁寿3年(853年)6月4日に薨去した。
享年68。

最終官位は一品大宰帥。
伝承の墓所と邸宅跡地が京都府乙訓郡大山崎町にある。


【由緒】
文明3年(1471)時の管領細川勝元は久下重元に小椋庄領家職の安堵状を授けている。
領主久下氏の下に小椋庄産土神として祀られてきたが、
明智光秀が織田信長の丹波攻略にあたり、
天正6年(1578)12月多紀郡(篠山市)境鐘ヶ坂の山上に位置する金山城に陣した際、
其の麓に建つ苅野神社や社坊は悉く兵火によって焼失。

寛文7年(1667)苅野田の仮宮より現在地に造営遷宮され、
旧苅野田の跡地は古宮と称し現存している。

幕藩時代の知行は上小倉が植村土佐守の後・水野鶴牧藩、
下小倉は織田氏の柏原藩と知行所を異にしているが、
上・下小倉両村の産土神として信仰され崇敬されてきた。


【社頭】



【鳥居】


これは只ならぬ雰囲気を感じる。


【石段】


これは楽しみだということで急いで登った。


【神輿庫】


割拝殿のような建物の中に神輿が安置されていました。


【拝殿】


うーん、普通の雰囲気。

期待し過ぎちゃいました。(^^;


【狛犬】



【本殿】




白馬に乗った若き日の葛原親王の像が安置されているそうです。

誰って人も多いと思うけど、清盛等の平家の祖といえば分かりやすい。

それにしても葛原親王が祀られているのは珍しいですね。
全国でも11社のみで関西ではここだけとか。

珍しい御祭神が祀られている神社に訪れることが出来て良かったです。

烏森神社(2015年6月13日参拝)

2015年07月18日 | 神社
御茶ノ水から有楽町までタクシーで移動。
もう暑いし歩き疲れたんだもん。(笑)


今まで内緒にしてましたが、
今回の東京では寺社巡り、お酒の他にもう一つ目的がありました。

それは有楽町・TOHOシネマズ日劇2で行われる、
「海街diary」公開初日舞台挨拶に行くことだったんです。(^^




だって、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずの、
豪華女優陣が登壇するんだから、これは行くしかないでしょ。(笑)




現在大ブレーク中の広瀬すずもいいけど、
やっぱりオトナの魅力ですよ。(^^

二人とも綺麗やね~。

わざわざ舞台挨拶に行って良かったよ。

で、もっと良かったと思えるものをご紹介しましょう。






これはタマランチ会長。

サービスし過ぎでしょ。(^^

高性能双眼鏡を持ってこなかったことを悔いたのは言うまでもない。(苦笑)


映画自体は淡々と余り盛り上がることもなく、
感動することもなく。

すずのことをもっと掘り下げれば面白かったのに。


さて、横乳、いやもとい、映画を堪能した後は、
浅草の鷲神社に行く予定であったが、予想以上に時間がかかってしまった。

新幹線の時間も考えるとこの界隈で行くとなると、
やっぱり新橋の烏森神社しかあるまい。



<2012年6月26日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/b6dd1985fa1abfa4013876645d89dd62


所在地:東京都港区新橋二丁目15番5号
主祭神:倉稲魂命、天鈿女命、瓊々杵尊
創建:天慶3年(940)



【鳥居】


約3年振りの参拝ですが、
境内の雰囲気は何一つ変わっていませんでした。(^^


【社殿】





【狛犬】



【色みくじ結び処】



【御朱印】


カラフルで大人気の御朱印です。

ひな祭りや七夕の限定御朱印の時は何時間も待つそうです。(^^;

無病息災の御守と飴ちゃん付きで500円でした。


東京の寺社は京都、奈良とは違った社殿、雰囲気で新鮮で、
今回も楽しい東京遠征でした。