Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

伊賀寺町通り 大超寺~妙典寺(2017年3月4日参拝)

2017年04月01日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場
伊賀寺町通りの次なるお寺は大超寺というお寺。

藤堂家老である現蕃家の菩提寺です。

<大超寺>
所在地:三重県伊賀市上野寺町1181
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:暁誉上人
札所:伊賀四国八十八ヶ所霊場番外


【縁起】
藤堂高虎が粉河を去って伊予国今治に移り住む際、
粉河の超誓寺住職暁誉上人は高虎に付き従い、今治の地に大善寺を建立した。

その後慶長13年(1608)になって高虎は伊賀・伊勢を統治すると、
暁譽上人もただちにこれに随い、伊賀上野に大善寺を開基した。

高虎は叔父の藤堂玄蕃が関ヶ原で戦死しているので、
その菩提を弔う為に暁誉上人に命じてこの寺の開基、運営を任せたのである。

その後代々、藤堂玄蕃の菩提寺、伊賀中本山として隆盛を重ねることになる。
暁譽上人はその後、住職を光誉上人に譲渡して、
大善寺の隣地に超誓寺を建てて隠居することになる。

明治になり両寺は合併されて大善超誓寺と呼ばれるが、
明治22年、現在の寺号大超寺と改称されて今日に至っている。


【山門】


玄蕃門とも呼ばれているようです。


【本堂】


閉まってました。
無念。


【鎮守社】



【鐘楼堂】



【観音堂】




恐らく西国観音霊場の仏様かと思われます。

拝めて良かったです。


【石仏】


左の立派な石塔の中に祀られているのは、
開山の暁誉上人か或いは法然上人なのかな。


【藤堂現蕃家代々の墓】




ここは中に入りませんでした。


御朱印は印を入れてる箱もありませんので、
いただけませんでした。


<妙典寺>
所在地:三重県伊賀市上野寺町1171
宗派:本門佛立宗
御本尊:大曼荼羅御題目・日蓮聖人
創建:不明
開山:恵光院日詠上人


【赤門】


伊賀寺町通りのお寺で唯一の赤門です。

大型の無料駐車場がありました。


【本堂】


近年に建立されたもので、バリアフリー対応されている本堂です。

しかし16時を過ぎていたからか閉まってました。(^^;




内陣。

画像はオフィシャルから拝借しました。


【納骨堂】



御首題は恐らく無いと思われます。

伊賀寺町通り 善福院~念佛寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月31日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場
伊賀寺町通りの次なるお寺は萬福寺の前にある
善福院というお寺です。


<善福院>
所在地:三重県伊賀市上野寺町1176
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:不明
札所:伊賀四国八十八ヶ所霊場、三重四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
天正の伊賀攻めにより創建等は不明。

寺伝によれば御本尊の十一面観音立像は大和長谷寺の御本尊の
試しの尊像であると伝えられている。
このことから考えると当山は天平年間(729~49)には、
存在していた古刹であることが伺い知れる。

寺町と新町の中間にあり、境内を通って両町へ行ける通路があって、
近くの人々が利用し通り抜けができるところから、
「ゆきぬけ寺」の名があり、町の人々に親しまれている。

観音菩薩、地蔵菩薩、歓喜天尊を主に祀り、庶民の寺として、
多くの壇信徒の信仰厚く、古刹を今日に伝えている。


【山門】


無料駐車場がありました。

山門に彫刻された龍は夜ごとに出て行くので目を抜かれているとか。


【本堂】


残念ながら閉まっていました。

ま、これは織り込み済みです。




本堂には御本尊、柳谷観音立像、地蔵菩薩坐像等が祀られています。


【修行大師】



【御朱印】


ありましたハンコ入れが。(^^

74番の金傅寺の印もあるようです。




うーむ、黒の朱肉が全然無くて薄くなってしまった。(泣)


気を取り直して善福院の斜め前にある念佛寺へ。


<念佛寺>
所在地:三重県伊賀市上野寺町1152
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:純誉巌公上人
札所:法然上人伊賀二十五霊場


【縁起】
念佛寺に伝わる過去帳には元和以前の記入が見当たらず、
寛永以後のものばかりであることから、
当寺の開基は寛永元年(1624)以降であると思われます。

念佛寺のある寺町は慶長13年(1608)に藤堂高虎公が、
伊賀の国主となってから行った城下の整備に伴い設けられたので、
当寺の歩みは伊賀上野の町並みの歴史と共にあるといえます。


【山門】


何だか上品な感じの山門です。


【本堂】


享和2年(1802)に建立されたもの。

堂内は百三畳の広さがあるそうです。
残念ながら閉まってました。(泣)


【内陣】


画像はオフィシャルより拝借。

自分の目で見て拝みたかったなぁ。


【御本尊】


重要文化財。


【鐘楼堂】



【子安観音堂】


お寺の中で一際異彩を放つのが、
六角堂とも呼ばれている子安観音堂です。




子安観音菩薩、聖観音菩薩、千手観音菩薩の他に、
西国三十三ヶ所・坂東三十三ヶ所・秩父三十四ヶ所の観音霊場に由来する
百体観音菩薩等の諸仏が祀られていました。


自分の目でちゃんと拝めたのが本当に良かった。(^^


【積観音堂】




御厨子に納められた積観音菩薩と御前立ちの観音菩薩を中心に、
不動明王と毘沙門天が祀られていました。

積観音菩薩というお名前は知りませんでした。


【御朱印】

伊賀寺町通り 萬福寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月30日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場
伊賀の旅も終盤に近づいてきました。

田んぼが多かった伊賀ですが、
伊賀上野城近くになるとさすがに結構都会でした。(笑)

そんな伊賀上野城界隈には、
城下町を守る為に配置された七ヶ寺があります。

その両側にお寺が並ぶ通りを伊賀寺町通りと呼ばれています。


【伊賀寺町通り】


なかなか良い雰囲気です。

まずは萬福寺というお寺に参拝です。


所在地:三重県伊賀市上野寺町1157
宗派:真言宗豊山派
御本尊:阿弥陀如来
創建:平安時代
開基:平清盛
勅願:後白河法皇
札所:伊賀四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
当寺は平安時代後白河法皇の勅願により平清盛が建立したと伝え、
上野山平楽寺無量寿院といわれていました。

現在の上野城東方にあり、諸堂並びに子院三十六坊を有する大刹で、
北八大寺の随一として上野総持の道場でした。

寺の夜叉門は丹朱をもって彩色されて赤門といわれ、
寺僧は赤門法師と呼ばれていました。

天正9年(1581)織田信長の兵火により、堂宇の悉くは灰燼に帰し、
旧地に仮の草堂を建てて法灯を護っていました。

藤堂高虎の入部に伴い現在地に移転、再建されましたが、
元禄10年(1697)正月、類焼に罹り再び焼失、
その際、所蔵していた寛永11年(1634)伊賀越仇討に関する
原書や渡辺数馬・荒木又右衛門などの実記も失われました。

現在は討たれた川合又五郎の遺品の具足と境内の一画に墓石が遺されています。


【山門】


駐車場は小さいのがありましたが、
ちょっとの間だけなら山門前に停めていても問題ありません。

どこの寺町も警察とは話が済んでいるハズですから。


【本堂】


檀家寺ではあるが、なかなか立派な本堂です。


【地蔵尊】



【宝篋印塔】



【川合又五郎墓】


川合又五郎は備前岡山藩士。

岡山藩主池田忠雄の小姓渡辺源太夫を斬ったことにより、
岡山藩と旗本の争いに発展。

幕府は喧嘩両成敗として事件の幕引きを狙い、
旗本達の謹慎と又五郎の江戸追放を決定する。

しかし、源太夫の兄である渡辺数馬は仇討ちを決意し、
仇である川合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った事件を、
鍵屋の辻の決闘、または伊賀越の仇討ちとも言う。

曾我兄弟の仇討ちと赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つ。


【観音堂】





御朱印は残念ながら御不在でいただけませんでした。

東大寺伊賀別院 観菩提寺正月堂(2017年3月4日参拝)

2017年03月29日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場
伊賀には東大寺別所である新大仏寺の他に東大寺別院があります。

その別院というのが観菩提寺というお寺で、
俗に正月堂と呼ばれ親しまれている由緒正しいお寺です。

東大寺には産まれてから毎年参拝しているように、
私にとっては根本を成す大切なお寺です。

その東大寺の別所と別院は以前からずっと参拝したかったので、
今回の伊賀の旅は本当に楽しみでした。

仁王門前に無料駐車場があります。



所在地:三重県伊賀市島ヶ原1349
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:天平勝宝3年(751)
開山:実忠和尚
札所:伊賀四国八十八ヶ所霊場、三重四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
この観菩提寺は俗に正月堂と称し、天平勝宝3年(751)に、
聖武天皇の勅願寺として創建され、奈良東大寺の実忠和尚により開創。
本国における最も有名な古刹の一つである。

秘仏十一面観音は33年に一度の開帳が許され、木造立像で高さ205.2cm。

本堂、楼門、本尊十一面観音立像はそれぞれ重要文化財に指定され、
2月11日、12日の修正会は県の無形民俗文化財に指定。

正月堂の修正会は奈良東大寺二月堂のお水取りに先駆けて行われることで知られ、
ここ正月堂が発祥の地ともいわれています。

中世後期の伽藍配置図「観菩提寺古絵図」には、
現存する本堂や楼門の他にも多数の堂宇が描かれていますが、
運よく難を逃れた本堂と楼門以外の多くの伽藍は、
天正の乱の折り織田信長の軍勢の焼き討ちで焼失。

その後、衰退を繰り返しながらも、
現在は東大寺の別院として篤く信仰されている。


【仁王門】




実に渋い。
この山門が見たくて訪れたので感動です。

こんな田舎に、いやもとい、長閑な場所に、
これほどの仁王門を建立するとは伊賀恐るべし。

当然ながら重要文化財です。


【金剛力士像】
 


【本堂】


昔は国宝だったのかな。




室町時代建立の重文。

これまた仁王門と同じく実に渋い。

こういう雰囲気を纏う本堂はゴマラー好みでございます。

本堂は残念ながら閉まっており、
修正会の時以外は事前予約が必要です。

こんな長閑なお寺なんだから事前予約とかしないで、
おおらかにいつでも拝観すればいいのに。

東大寺伊賀別院というプライドの高さ故なのかね~。

それともこれが伊賀根性ってやつかな。(^^;


【修正会】



【仁王門】


表から見るととてもカッコいいのに、
裏から見るとそうでも無いのね。(^^;

写真は撮り忘れましたが、多聞天と広目天がいました。


【地蔵尊】



【四国八十八ヶ所ミニ霊場】




こういう山を利用したミニ霊場は他のお寺でもありますが、
どこも少し荒れてて寂しい雰囲気満点。

これではちょっと霊場を巡ろうとは思わないですよね。

かといって、砂を埋め込んだ所を踏んで御利益を得ようとする
ミニ霊場もあるけど、これはこれで有難味が余り感じられない。

霊場の札所を一つ一つ行ってお参りすることが、
とても大切だと思うけどね。

だからミニ霊場の類はあんまり意味が無い気がする。


【宝篋印塔】



【卍地蔵尊】



【鐘楼堂】



【御朱印】


御不在でしたのでセルフで。

真ん中の印が相当傷んでいるので、
こんな仕上がりになってしまいました。(^^;

山田村鳳凰寺・薬師寺(2017年3月4日参拝)

2017年03月26日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場


三重四国八十八ヶ所霊場の札所である鳳凰寺へやって参りました。

場所に着いてみるとこれがまた長閑です。

伊賀市といっても郡や村というのがピッタリです。(笑)

寺前の大きな広場のような所に車を停めれました。


所在地:三重県伊賀市鳳凰寺245
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
創建:奈良時代前期
開基:伊賀采女宅子
中興創建:慶長3年(1598)
中興開山:清存法印
札所:三重四国八十八ヶ所霊場、伊賀四国八十八カ所霊場


【縁起】
この寺域一帯には白鳳時代(645~707)鳳凰寺という名の寺院があった。
当山の境内外から出土する古瓦や大礎石等から、
鳳凰寺が七堂伽藍の大刹であったことが分かる。
その鳳風寺址が県の史跡に指定されている。

壬申の乱(672)後、大友皇子の生母・伊賀采女宅子は郷里の大山田へ帰り、
我が子の冥福を祈って鳳凰寺を建立した。

礎石の規模から伽藍の大きさも想像され、その後鳳凰寺は幾変遷を繰り返し、
天正の伊賀乱に際し堂宇ことごとく兵火に炎上し、慶長3年(1598)、
僧侶清存法印が堂宇を建立して轟山薬師寺と改号した。

日本書紀あるいは三国地誌などの諸記録や、白鳳時代の単弁の造花文證瓦、
軒瓦、礎石等の出土等を考え合すと、当山の起源は奈良時代前期とする
強力な傍証が存在しているといえよう。

中興開山後、江戸中期恵正法印、浄順和尚らによる中興を経て、
現在の本堂が昭和39年(1964)に建立された。

寺宝としては、本尊の薬師如来のほか、木彫の十二神将、如意輪観音菩薩、
弘法大師、不動明王、阿弥陀如来、地蔵菩薩、役行者などが所蔵されている。


【本堂】


本当に小さなお寺です。

本堂は閉まったままなんだろうなぁ、と思っていたら、
まさかのオープン。


【内陣】


全く期待して無かったけど、
内陣がとても立派。

質素な内陣と思ってので、正直すまんかった。(^^






御本尊は秘仏のようで、左右には十二神将が祀られていました。






片方は弘法大師だけど、もう一人は中興開山の和尚なのかな。

とにかく内陣に入れて拝めて本当に嬉しかったです。

逆に御不在で誰もいなかったので、
盗難とか大丈夫かなと心配してしまったよ。(^^;
 

【地蔵堂】



【宝篋印塔】



【御朱印】


セルフ用の箱がありましたよ。(^^




伊賀四国八十八カ所霊場の肩印もありました。

宝珠院(2017年3月4日参拝)

2017年03月18日 | 伊賀四国八十八ヶ所霊場
伊賀八幡宮、極楽寺界隈から約7キロ離れた宝珠院へ移動。

こちらも伊賀四国八十八ヶ所霊場の札所です。


所在地:三重県伊賀市北山1424
宗派:真言宗豊山派
御本尊:不動明王
創建:不明
開山:不明
札所:伊賀四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
山号を上津山と号し三重県伊賀市北山にある真言宗豊山派の寺院である。

もとは真言宗高野派の寺院で、真言宗豊山派になるまでは、
高野山金剛峰寺西宝院の末寺であった。

往古には東坊、西坊、北坊、新坊、開範坊、北寮等の坊舎を持つ
七堂伽藍の大寺であり、寺領百二十石を有し、中本山の格式を持っていたが、
天正伊賀の乱の時、悉く皆焼失してしまう。

中興以前のことについては乱により古文書等を焼失してしまい詳しくは不明。
しかし、当院第九世宥英師によって天明3年(1738)に書かれた記録によると、
神護景雲元年(767)に当院が開創されたと考えられている。

その後、中興第一世英尊師が再興し、現在に至っている。


【門前】


かなり良い雰囲気です。


【山門】



【境内】



【本堂】


平成21年に再建されたもの。

残念ながら閉まってました。(泣)


【御影堂】




昭和58年12月、弘法大師千百五十年御遠忌記念事業として、
信徒の寄進により建立されたもの。

大師堂とも呼ばれています。


【石仏】



【馬頭観世音菩薩】



【忠魂碑】


忠魂碑がある場所は元々護摩堂があった場所だそうです。


【鐘楼堂】




天女が美しかったです。


【御朱印】




御不在だったので諦めていたのですが、
庫裏の下駄箱の中にセルフ用の箱がありました。(^^

セルフで押すのは久しぶりだな。




ちょっと失敗しました。(^^;

印を押すというのは意外にも難しいもんです。

自分で押す事を経験してからは、
印が薄いだの、斜めになっているだのとか、
そんな文句は言わなくなります。

現在は御朱印ブームで、
中には物凄くクレームをつける残念な連中がいるようです。
それによって御朱印の授与を止めた寺社もある。

印にウルサイ御朱印ハンターの方々は一度自分でやってみるといい。

どれだけ難しく大変なのか分かるから。

それに自分で押すと印の有難味も分かるから。