Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

向嶽寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月20日 | 甲斐百八霊場
大満足の恵林寺の次は仏殿を拝観しに向嶽寺へ。

その名の通り臨済宗向嶽寺派の大本山で、
こちらは修行する為のお寺であって観光寺院ではありません。

なので私もいつも以上に気を引き締めて、
緊張感を持って参拝させていただきます。



所在地:山梨県甲州市塩山上於曽2026
宗派:臨済宗向嶽寺派
御本尊:釈迦如来
開山:抜隊得勝禅師
開基:武田刑部大輔信成
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
臨済宗向嶽寺派の大本山で、開山は抜隊得勝禅師(恵光大円禅師)、
開基は時の守護武田刑部大輔信成である。

抜隊禅師は永和4年(1378)に甲斐に入り、はじめ市内竹森の地に草庵を結んだが、
康暦2年(1380)武田信成から寺地の寄進を受け、向嶽庵を命名し創建した。
寺名は「富嶽に向かう」からきている。

禅師の門下には俊英が輩出し、武田家歴代、特に晴信の厚い保護を受け、
寺領が安堵され法度・禁制が出された。

江戸時代に入ると度々火災に遭い、天明6年(1786)の大火で仏殿以下を焼失。
近年では大正15年に天明の大火以降再建された大方丈を焼失しているが、
復旧事業によりかつての隆盛が甦りつつある。

明治5年(1872)に輪番住職制を改め独住制となり、
京都南禅寺の所轄となったが、
同41年管長を置いて名実ともに別派独立の大本山となった。


【鎮守社】


手前に無料駐車場がありました。


【秋葉神社】



【中門】


これはいい。

高貴な方が通るに相応しい門です。


左右の築地塀は別名「塩築地」と呼ばれ、
漆喰に岩塩を混ぜて塩止めされた際の緊急用として造られたそうです。

甲斐は海無しの国でしたから、
まさに苦肉の策といった感じですね。


【通用門】


一般ピープルはここから入っていきます。


【境内】


広い境内です。

静寂かつどことなく我々一般人が入ってはいけない雰囲気が漂う。

それは修行の場独特の雰囲気であって、
決して新興宗教のような排他的な雰囲気では無い。




武田信玄公は出陣の際、「御旗楯無御照覧あれ」と唱和した国宝の鎧である
御旗楯無は天正10年(1582)、武田氏滅亡に際して、
武田勝頼の家臣の田辺左衛門尉により向嶽寺の杉の下に埋めたそうです。


【放生池】


橋は渡れないようになっていました。


【仏殿】




天明6年(1786)の大火で焼失、
約200年前の文化年間に再建されたもの。

まさにゴマラー好みの建築物です。


【内陣】


いかにも臨済宗といった内陣には、
釈迦三尊像が祀られ、天井には龍図が描かれていました。


【釈迦如来石像】



【御堂】



御朱印は初めから無いと思っていたので、
雲水さん達と出会っても挨拶しただけ。

どうやら書置きならいただけたようです。

恵林寺近くの放光寺をスルーしてまで仏殿を見に来ただけあって、
仏殿を見た時の感動だけで充分です。

恵林寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月19日 | 甲斐百八霊場
本日のメインである恵林寺にようやく到着。

参拝するのが非常に楽しみです。


さすがにめっちゃ混んでいて、
車を停める場所を彷徨って、
ようやく宝物殿横に停めることが出来ました。

ここも駐車場が無料なのが嬉しい。


所在地:山梨県甲州市塩山小屋敷2280
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:元徳2年(1330)
開基:二階堂出羽守貞藤
開山:夢窓疎石
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
往古は鎌倉円覚寺派で関東準十刹の寺格を有す。
草創は鎌倉時代末期の元徳2年(1330)当時甲斐牧ノ庄と称した
当地地頭職二階堂出羽守貞藤が七朝帝師と尊称された夢窓国師を招き、
自邸を禅院としたのに始まる。

戦国時代甲斐国主武田信玄の尊崇を受けた快川国師(紹喜)の入山で寺勢を高め、
永禄7(1564)年信玄は自らの手で寺領寄進と共に当山を菩提寺と定める。

天正4年(1576)4月武田勝頼は父信玄の3年の秘喪をとき盛大な葬儀を厳修する。
同10年(1582)3月勝頼は時勢に抗せず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡。

同4月3日織田信長の兵火に遭い当山は諸堂宇を灰燼に帰する中で、
快川国師は「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火自ら涼し」と遺渇、
従容として火定する。

本能寺の変後、徳川家康の手により旧観に復し、
また徳川五代将軍綱吉時代甲斐国主となった柳沢美濃守吉保、
同甲斐守吉里父子の外護で寺運は発展。
吉保夫妻の菩提寺ともなる。


【黒門】




さすが恵林寺!と思わせてくれる総門です。

まさに武家らしい質実剛健ですね。

こちら側にも駐車場がありましたが、
駐車場難民が結構いました。(^^;


【参道】



【赤門】


長い参道の先に赤の四脚が印象的な赤門があります。

これは徳川家康の寄進により建立された重要文化財です。


【三門】


庭園を過ぎるとあの超有名な三門が登場。

快川和尚が織田の軍勢焼き討ちの際、
山門上で「心頭滅却すれば、火もまた涼し」と、
辞世の句を詠んだのは余りにも有名ですよね。


ここでデジカメが無念のバッテリー切れ。(泣)

ここからスマホで撮影開始。
スマホがあって良かった。(^^


【山門礎石】



【本堂】


デカい。

大本山クラスの本堂ですね。


【通用門】


この奥に拝観入口があります。


【庫裏】


立派な臨済宗特有の庫裏の姿です。

こちらが拝観受付となります。




風林火山の文字を見ると熱くなりますね。(^^


【庭園】





【仏間】


お釈迦様にお参り。


【うぐいす廊下】


歩くとキュキュと音が鳴ります。

言われるような鶯の声のような音ではありません。


【武田不動尊】


明王殿に祀られているのが信玄公を模したと言われる武田不動尊。
胸の部分に信玄公の髪の毛があるとか。

胸熱です。(^^


撮影不可でしたので画像は絵葉書を転写したものですが、
この圧倒的迫力は凄まじい。

私も数々の不動明王を見てきましたが、
間違いなく一、二を争う不動明王だと思います。


【御堂】




左奥に武田信玄公、武田家臣等の墓がありましたが、
残念ながら撮影不可でした。


【二階堂出羽守貞藤供養塔】



【夢窓疎石庭園】




心字の池を中心に見事な庭園が本堂裏手にありました。








さすが恵林寺。

京都のお寺に匹敵するお庭まで整備されているとは。

見事です。


【渡り廊下】


この辺りの雰囲気がとてもいい。

失礼ながら山梨でこれほどの庭園を見れるとは思ってもみなかった。

その後、夢窓疎石は天龍寺、苔寺の庭を手掛けたと思い出して納得。(^^


【坪庭】




ここも何気ない庭と思ってはいけない。

全てのものが計算され尽くして作庭されているのが分かりました。


これにて有料ゾーン終了。

拝観料300円はとてもリーズナブルでしたね。(^^


【開山堂】






明治の大火で燃えた仏殿の場所に移築されたもの。




夢窓国師、快川国師、末宗和尚が祀られていました。


【枯山水石庭】



【鐘楼堂】



【仏舎利宝塔】


観世音菩薩が祀られています。


【勅使門】



【鎮守社】



【本堂】



【明王殿前門】



【信玄公宝物殿】


拝観料500円とちょいと高めです。(共通割引あり)

中に入るはやはり目に入ってくるのが、
武田軍旗の孫氏の旗です。

これが当時のモノか分かりませんが、
武田好きとしてはたまらないものがありました。

その他に信玄公愛用の扇面図絵や武田二十四将画像、
重文の太刀である来国長等、見所いっぱいでしたね。

武田神社の宝物館よりこちらの方が充実していると思います。


【お江の石棺】




これだけが撮影可でしたが、
何故かお江の方の石棺が安置されていました。


石棺は開山堂の前に安置してあったもので、
2014年冬に確認されたとか。

何で今頃やねん。(笑)

調べてみるともともと増上寺にあったが、
1950年代からの悪名高き再開発の為、
遺骨を取り出した上で石灯篭等と一緒に埼玉県所沢市に移された。

その後、石灯籠等は希望する全国の寺院に配布され、
恵林寺では1968年に石灯籠13基と共にお江の石棺を引き取り、
開山堂の前に設置したそうだ。


【御朱印】



【感想】
とにかく全てが素晴らしかった。

伽藍、武田不動尊、庭園、雰囲気、品格等文句無し!

また必ず参拝します。
その日が今から楽しみです。(^^

大蔵経寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月16日 | 甲斐百八霊場
物部神社をサクッと参拝し大蔵経寺。

今まで写真を撮りまくっていたせいで、
デジカメのバッテリーがヤバい。

恵林寺はデジカメで撮影したいから、
ここはスマホで撮影していくことにした。

充電器を持ってくればよかったな。(^^;



所在地:山梨県笛吹市石和町松本610
宗派:真言宗智山派
御本尊:不動明王
創建:養老6年(722)
開山:行基菩薩
札所:甲斐百八霊場、甲斐石和温泉七福神



【縁起】
奈良時代養老6年(722)に法相宗の行基菩薩を開祖として、
創建されたと伝えられています。

住古は菩提山長谷寺の本坊で松本寺と呼ばれており、
山内にも物部神社を勧請し大寺院であったようです。

その時、山の形が獅子が蹲踞するのに似ているので青獅子山と号し、
観道上人が大蔵経を五重の塔に納めたことにより、
松本寺から大蔵経寺に改めました。

その後旧松本寺の寺号を山号に変え、松本山大蔵経寺に変わりました。
この時より武田家祈願寺に、又戦国時代永禄11年(1568)信玄の越後攻めの際、
戦勝祈願寺として大蔵寺の寺名もあり、
武田家の守護尊である将軍地蔵尊も残っています。

天正年間に徳川家康公が武運長久の祈願寺と定め、
葵の紋を寺紋として戴御朱印地を拝領、
その後東照公の肖像を安置する権現堂を建て、
毎月17日甲府城代をして参拝せしめました。

江戸期は新義真言宗談林能撰寺格(学問所)を有し、
甲斐国真言宗七檀林の1寺とし寺運興隆の一途をたどりました。


【門】


この門は何の門か分かりませんが、
葵の紋があるので高貴な方しか通れない勅使門のような感じですね。

門の手前にも無料駐車場がありました。


【鐘楼堂】



【小坊主】



【仁王門】


これは門というべきか微妙ですが、
左右に仁王像が安置されていました。


【仁王像】



【庫裏】


拝観料300円を支払い本堂内陣と庭園を見せていただく。


【庭園】






なかなか見事な庭園でした。


【枯山水庭園】




真言宗にしては珍しい枯山水庭園です。


【本堂】


御本尊の不動明王は智証大師作と伝わっているそうです。

その他に重文の絹本著色涅槃図のレプリカや、
現代作家さんの不動明王の絵等が飾られていました。

堂内は全て撮影禁止でした。


【収蔵庫】


恐らく重文の絹本著色涅槃図がここに保管されていると思われ。


【寿老尊】



【御朱印】


二種類の内の不動明王をいただきました。

塩澤寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月15日 | 甲斐百八霊場
長禅寺から4キロ離れた塩澤寺へ参ります。

塩澤寺は湯村温泉近くにありました。

兵庫県にも湯村温泉があるんですが、
甲府にも同じ名前の温泉地があったんですね。

参拝がメインなんで温泉は華麗にスルーしたのは言うまでもない。



所在地:山梨県甲府市湯村3-17-2
宗派:真言宗智山派
御本尊:地蔵菩薩
創建:天暦9年(955)
開創:弘法大師
開基:空也上人
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
大同3年(808)弘法大師空海上人が諸国を衆生救済の行脚ををされたおり、
当地にて厄除地蔵菩薩の霊験を感ぜられ、大師自らが6寸あまりの坐像を彫刻され、
その尊像をご開眼されたのが当山の始まりです。

天暦9年(955)空也上人が全国遊行の途中、
その素晴らしい霊験著しきに6尺有余の開扉仏を彫刻安置し、
それより福田山塩澤寺といいます。

更に臨済宗建長寺派の祖である大覚禅師も霊験に驚嘆したといわれいいます。                                                         
時代は下って徳川家光の治世の1643年、湯村には京都から
御陽成天皇の第八皇子良純親王(知恩院初代門跡)が幽閉されて、
その住まいがありました。

天皇の怒りに触れて都を追われて甲斐の国に流されたのです。
その当時の湯村は湯島村と呼ばれていた湯村は、
島という字があると島流しのようであるから、良純親王を気遣って島をとって、
湯村に改名したといわれています。

良純親王は信仰深く地蔵尊を拝して、祭りを盛んにするなど、
当山の興隆に関わったといわれています。


【山門】


狭い境内に不釣り合いな程の見事な山門です。

これは本当に良いですね~。

この山門の横に3台分の無料駐車場がありましたが、
ちょっと停め難いです。

手前の道路はバスも通るし交通量も多いので、
駐車場から出す時は注意が必要です。


【羅漢地蔵尊】



【地蔵堂】




室町末期か江戸前期建立の重要文化財。




空也上人作とされる地蔵菩薩像が祀られていました。

もう一体の弘法大師作の御本尊は絶対秘仏だそうです。


【無縫塔】


説明板によると無縫塔とは大陸からもたらされた墓塔の一種で卵塔とも呼ばれ、
古くは僧侶の墓に限られていたが、後に広く一般に普及したそうです。


【山門】



【西堂】


新しいお堂です。


【鎮守社】



【御朱印】


御不在でしたが、書置きの御朱印が置かれていました。

有難い。(^^

長禅寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月14日 | 甲斐百八霊場
次なる参拝地は甲府五山筆頭である長禅寺。

こちらは信玄公の母親である大井夫人の菩提寺でありますが、
それよりも甲府というか山梨で一番の伽藍が整えられています。

それを見ることがとても楽しみです。



所在地:山梨県甲府市愛宕町208
宗派:臨済宗
創建:(伝)天文21年(1552)
開基:大井夫人
開山:岐秀元伯
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
長禅寺の前身は甲斐西郡の国人領主である大井氏の領する
巨摩郡相沢に建立された寺院で、大井氏の菩提寺であった。

古長禅寺は真言宗寺院であったが正和5年(1316)に甲斐国おいて
臨済宗を布教させた夢窓疎石により改宗されたという。

戦国時代には大井氏の娘である大井夫人が国斐守護武田信虎の正室となり、
晴信(信玄公)らを出産する。

大井夫人は信虎が駿河へ追放された後も館へ留まり、
没後に晴信は寺を二分して甲府へ移転する。

創建年代は甲斐国志によれば信玄生母が死去した天文21年で、
甲斐国社記・寺記によれば永禄年間(1558-1570)であるとする。

後に晴信が出家した時、岐秀和尚から機山信玄の法名を贈られたと言われます。

信玄公は大井夫人が亡くなった後、母を開基とし、岐秀元伯を開山に招いて、
現在の場所に新しく長禅寺を開かせました。

信玄公は臨済宗妙心寺派と強い関係を持ち、
後に臨済宗諸寺院である甲府五山を定めた際には第一位としている。

なお、旧地に残されたもう一つの寺は古長禅寺として現存している。


【岐秀和尚】
仏の道は己は何者なるやを問うところから始まる
御自身が何者なるかを問い続けられよ

さすればおのずから 答えをうることが出来るはず

己が見えずして 人は見えず
人見えなくば この世は見えません

何を考え いかなることをしてきたか よくよく考えられよ
さすればおのずから 己の姿見えるはずじゃ



大河ドラマ武田信玄での岐秀和尚のセリフが忘れられない。(一部略)


【惣門】




なんじゃこら~。
でけー。

こんな門は見たことが無い。

これだけでこのお寺の威容が分かるというもの。


惣門の下を車が通ってもいいのか不安であったが、
タイヤの跡があったので、この下を通りました。


【山門】


こちらもまた見事な門でした。

ここから右手に行けば無料駐車場がありました。


【三重塔】


甲府大空襲で伽藍は灰燼と化したので、
現在の伽藍は戦後に再建されたそうです。

三重塔は昭和53年(1978)のものですが、
かなり色褪せてますね。


【庭園】



【鐘楼堂】



【参道】


向こうに見えるのが山門です。


【大井夫人霊廟】



【五重塔】


平成2年(1990)に再建されたもの。

これは見事な五重塔ですね~。

ダークブラウンの色合いが渋くて、
完全にゴマラー好みです。(^^


【新塔】


新しく建てられています。

三重塔、五重塔があるから、
これは七重塔なんだろうか。

もともと現在の三重塔は七重塔にしようとしていたが、
建築技術の都合で三重塔になった経緯があるから、
七重塔かも知れないね。


それにしても庫裏もデカイし、
このお寺の資金力は凄いものがあるね。

檀家さんは大変だ。(^^;


【本堂】


これはまた大きな本堂ですが、
残念ながら見ることもままならない。


【大井夫人墓】




案内板はあるけど、最後の最後で大井夫人の墓です、
という案内板が無い。

だから参拝した時はこの墓が大井夫人の墓という確信が持てなかった。
大姉と刻まれていたので多分コレだろうと思ったけど。


【御朱印】
庫裏に行って玄関にいた方々に御朱印をお願いすると、
「うちは真言宗や天台宗と違ってそんなんしないしない」と、
オッサンに邪険に断られました。

あのオッサンは僧としての雰囲気、品格がまるで無いから、
恐らく檀家だと思うけど、
まるで御朱印をやる真言宗や天台宗をバカにしてるかのようでしたね。(怒)

臨済宗でも大本山を初め、沢山のお寺が御朱印をしていますが、
と言いたくなったけど、言ったところでしょうがないから言わなかったけど。

でも、時間が経てば経つほどムカムカしてました。

要は言い方なんだけどね~。

同じ言葉でも言い方が悪いと反感を買うだけ。
それでは人生において絶対損するよ。

能成護国禅寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月14日 | 甲斐百八霊場
東光寺の仏殿にとても感動した後は近くの能成寺へ。

この界隈に寺社が近くにたくさんあって、
参拝する側はとても助かりますね。



所在地:甲府市東光寺町2153
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:貞和年間(1345-1349)
開山:業海本淨禅師
開基:武田信守
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
武田家甲府五山の一つ。 
貞和年間、現在の八代町北に創建されました。
信玄公の時、府中西青沼に移され、さらに文禄年間(1592-1595)の
甲府城築城のおり現在地に遷されたと伝えられています。

嘉永4年(1851年)に焼失。
その後復興しましたが昭和20年(1945)の甲府大空襲で再び伽藍を焼失。
昭和25年、仮本堂兼庫裡建築、昭和61年春、本堂新築。
引き続き平成3年書院、平成9年庫裡を再建し現在に至る。


【山門】


駐車場が無いのかなと思い、
山門手前で車をわざわざ停めて、参道を歩いて確認。

すると無料駐車場がありました。(^^


【本堂】


甲府五山という割りには見所は本堂のみとなります。


【屏風】


庫裏の玄関に置いてあったものです。

心に響きました。

花も月も美しいと感じるので、
私の心もきっと美しいのでしょう。(^^


【御朱印】

東光寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月13日 | 甲斐百八霊場
大満足の甲斐善光寺の次は甲府五山の一つである東光寺。

こちらは諏訪頼重と武田義信の悲劇の地として知られています。


所在地:山梨県甲府市東光寺3-7-37
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
創建:不明
開基:不明
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
伝えによれば草創は平安時代末期、甲斐源氏の祖新羅三郎義光が保安二年(1121)、
国家鎮護仏法興隆の祈願所として諸堂を建立。

御本尊に釈迦如来を安置、興国院と名づけたことに始まるといわれる。

鎌倉五山建長寺開山、蘭渓道隆禅師は文永5年(1268)、
元国のスパイなど、根拠のないうわさから甲州に配流され当山に入山した。

その為臨済禅との繋がりが生じ、密教から禅宗寺院として七堂伽藍が整備された。
道隆禅師入寂後も、門弟・法孫により清規は維持され、
甲州禅文化の中心的存在となった。

幕府の禅宗官寺制度では五山十刹の諸山にその名をつらねた。
1320年代、寺号の興国院を東光寺と改めた。

東光寺の歴史には不明な部分が多い。
室町時代までは歴代住職すら不明で、永正8年(1511)にはじめて、
仁甫珠善禅師(歴代二世)の名が出てくる。

この頃には鎌倉建長寺派との縁もなくなり妙心寺派と変わった。

信玄は親今川派で義信の守り役飯豊虎昌を成敗、義信を当寺へ幽閉した。

永禄10年(1567)10月、義信は死んだが、
自殺・病死ともいわれ真相はわかっていない。

法名は東光寺殿籌山良公大禅定門で当寺に葬られている。


【惣門】


妙心寺派らしく品のあるお寺だと、
惣門を見てすぐに分かりました。

人間だったら品格は顔に出ますが、
お寺の場合は山門や惣門に現れるもんです。


【石祠】



【仏殿】


奥に見えるのが重要文化財の仏殿です。




渋いわ~。

完全に私の大好物です。(^^

日本が誇れる建築物といっても過言ではない。

素晴らしい。


【中門】



【前庭】


手入れが行き届いた見事な庭でした。


【心春昌池】



【鐘楼堂】



【本堂】




戦後に再建されたもの。

臨済宗らしい内陣でした。


【仏像】


何故かとても惹かれました。


【仏殿】




本堂から見てもいいですね~。

武田家滅亡後、織田信長の焼き討ちと、
第二次世界大戦の甲府大空襲でも焼け残るとは。

よくぞ残ってくれました。

堂内には薬師如来が祀られているそうです。


【禅堂】


近年建てられたようで、とても綺麗でした。


【東光寺庭園】






拝観料を支払い庭園見学。

蘭渓道隆の作庭とされていますが、
京都の庭園と違って石を多用した無骨な池泉鑑賞式庭園です。

中国黄河中流の伝説の滝門瀑の滝を登った鯉が、
滝に変化するさまを自然石の石組みで表現しているとか。

いや~すみません、
私の曇った目には全くそうは見えませんでした。(^^;


【中庭】



【御朱印】


書置きでした。


そういえば諏訪頼重と武田義信の墓のお参りを忘れてた。

仏殿が余りにも素晴らしく、
そればかりに気を取られていたからなぁ。

甲斐善光寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月12日 | 甲斐百八霊場
個人的には自宅から遠いだけあって全く縁が無いのが善光寺。

信濃善光寺ですら何の思い入れもない。

今年の御開帳の時ですらフーンって感じでしたが、
甲斐の国に来たからにはやはり善光寺は外せない。

伽藍好きとしてはね。


武田神社でもそうでしたが、
この甲斐善光寺の駐車場も無料でした。(^^



所在地:山梨県甲府市善光寺3-36-1
宗派:浄土宗
御本尊:善光寺如来
創建:永禄元年(1558)
開基:武田信玄
開山:鏡空上人
札所:甲斐百八霊場

 

【縁起】
甲斐国国主武田信玄によって山梨郡板垣郷に創建された。
開山は信濃善光寺大本願三十七世の鏡空上人。

信玄は信濃侵攻を行い越後の上杉謙信と衝突し、
現在の長野県長野市南郊において五次に渡る川中島の戦いを行うが、
弘治元年の第二回合戦では戦火が信濃善光寺に及び、
信玄は自分の領国である甲斐へ本尊などを移したといわれ、
以後、川中島合戦の戦火は善光寺方面へ及んでいない。

上杉謙信もまた領国の春日山城下に本尊以下を遷しており、
善光寺別当栗田氏も武田方と上杉方に分裂している。

最初の移転地は禰津村(現長野県東御市)であったが、
その後甲斐国内の法城寺を経て永禄元年に板垣郷へ移された。

この地が移転先に選ばれたのは、この附近に信濃善光寺の由来に関わりのある
本田善光についての伝説があるからだといわれており、
今でも甲斐善光寺の北1kmほどの場所には本田善光の墓とされる善光塚がある。

板垣郷は近世には板垣村となり明治8年には里垣村の大字名。
昭和12年には甲府市善光寺町となり現在に至る。



【善光寺如来】


画像はネットで拾ったものです。


善光寺如来については下記のHPで面白いことが書いてあったので、
興味がある方は見ていただきたい。


「戦国武将が奪い合った“善光寺如来像”の謎 」

http://www.rekishijin.jp/rekishijinblog/chiefeditor/14-0205/



【山門】


寛政8年(1796)に再建された重要文化財。

善光寺の名に恥じぬ山門で、その迫力に唸らされた。


【霊牛碑】



【お咳婆さんの石】



【地蔵堂】



【石仏】



【金堂】




重要文化財。

素晴らしい。
こちらも見事な建築物で見惚れておりました。

早速堂内に入ってみましょう。




金堂内は撮影禁止でしたのでネットで拾ったものです。

重厚感と威厳溢れる雰囲気でしたね。


また天井には二頭の鳴き龍が描かれており、
手を叩くと共鳴が起こり言葉では伝えられない音が鳴りました。

嬉しくてバンバン叩いちゃった。(^^


【吒枳尼真天】





【収蔵庫】


この中には重文の阿弥陀三尊像が左右に計6体安置されているそうです。


【鐘楼堂】



【金堂】


ここからも見事な建築が堪能出来ます。


【法然上人像】



【大仏】



【芭蕉翁月景塚】



【池】



【御朱印】



【御朱印帳】


武田菱と葵の御紋となれば購入せざるを得まい。(^^

1200円でした。


【感想】
仏像的には物足りないが、伽藍は見事でした。

また、何故この善光寺が篤い信仰を受けているのか、
参拝してみて何となくだが分かった気がした。

法泉禅寺(2015年9月22日参拝)

2015年11月11日 | 甲斐百八霊場
おはようございます。

武田信玄公所縁の寺社を巡る旅も最終日となりました。
本日も清々しい天気で何より。(^^

まずは甲府五山の一つである法泉寺へ。

無料駐車場は山門手前にありました。



所在地:甲府市和田町2595
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:弥勒菩薩
創建:元徳2年(1330)
開山:月舟周勲
開山:夢窓国師
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
後醍醐天皇の元徳2年(1330)当時甲斐国主であった武田家第七代の信武公が、
夢窓国師の高弟であった月舟禅師を招いて創建しました。
本来ならば月舟禅師が初祖となる訳ですが、禅師は自ら二世を称して、
恩師の夢窓国師を開山としました。

開山後は夢窓国師を中心とする五山派の官寺となり、
室町幕府の保護を受けていたものと思われますが、
応仁の乱以後幕府の勢力が衰えるとともに、五山派も著しく衰微し、
以後武田信玄公が甲斐国主となるまでの約200年間の当山の歴史は明らかではありません。

五山派の凋落にとってかわって新しく発展したのが、
妙心寺の関山慧玄(無相大師)らの流れを中心とする臨済禅でした。
五山派が公家との交流に比重を移していったのに対し、
関山派(妙心寺派)は伝統の修行を重んじ、武家の帰依するところが多かった為、
戦国大名の勃興とともに、五山派の寺院は次第に関山派に変わっていき、
当山もその例外ではありませんでした。

武田信玄公は祖先であり武田家中興の祖といわれた信武公が開いた
この寺の伝統を守るため大修理を施し、寺領を寄進した上、
甲府の東光寺、円光院、長禅寺、能成寺とともに「府中五山」のひとつに列しました。
この為寺運はたちまち隆盛となりました。

天目山で散った勝頼の首級は織田信長の命で京都六条河原にさらし首となり、
当山三世の快岳禅師は妙心寺の南化和尚の力を借りて、
勝頼公の首級(歯髪ともいわれている)をもらい受け、
当山に持ち帰り手厚く葬ったのです。

江戸時代の寛永10年(1633)に妙心寺が幕府に提出した寛永の末寺帳によれば、
当山は甲斐国において末寺26ケ寺を有していたとされています。
 
その後、今日に至る時代の中で伽藍の規模は縮小しましたが、
当山の歴史は脈々と続いています。


【山門】




鐘楼門のようですね。

寛永14年(1637)に再建されたもの。


【石仏】



【石祠】


丸い二つの石はなんだろうか。


【十六羅漢像】



【本堂】




残念ながら閉まっていました。

どうも甲府五山というのは一般の参拝者に対して愛想が無いな。(^^;

京都五山や鎌倉五山のような観光寺とまでいかなくても、
せめて本堂内陣ぐらいは見せてもらいたいものである。


【観音像】



【経蔵】






このお寺には勝頼の墓があるのですが、
朝から墓地には入りたくないので見ておりません。

御朱印は御不在でいただけませんでした。

大泉寺(2015年9月21日参拝)

2015年11月10日 | 甲斐百八霊場
本日最後の参拝となるのが武田信虎の墓がある大泉寺へ。

甲府市内って動脈の道からの逃げ道が無いからか、
予想以上に渋滞で悩まされる。

16時にはお寺に着きたいのに中々進まなくて焦るが、
普段の行いが良いせいか間に合いましたよ。(^^

お寺近くは結構細い道で山門手前で行き止まりかと思ったが、
思い切って行ったら無事に無料駐車場に到着しました。



所在地:山梨県甲府市古府中町5015
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:大永元年(1521)
開基:武田信虎
開山:天桂禅長
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
大泉寺は大永年間に巨摩郡島上条に創建され、後に甲府へ移転される。
甲斐国志に拠ればもとは密教寺院の大川寺であったが、
大永元年(1521)に信虎は武田信玄誕生の際に霊夢を見て、
改宗・改称させたとする信玄誕生説話がある。

信虎は天桂禅師を招いて曹洞宗に改宗開山し、
寺号も法名「大泉寺殿泰雲存康大庵主」に因み大泉寺に改称、
自らの菩提寺としました。

信虎期から晴信期にかけて中山光厳院や信濃国岩村田の龍雲寺とともに
甲斐国領国内の曹洞宗寺院を統括する僧録所となり、
信虎の弟である2世住職吸江英心ら武田一族からも住職を務めている。

父信虎を追放して国主となった晴信時代にも保護を受け、寺領の寄進を受けている。

永禄7年(1564)3月の火災では堂宇が焼失し再建されている。

1574年(天正2年)には武田信虎が流寓していた信濃国高遠で死去し、
同国岩村田の竜雲寺から大禅師北高全祝が招かれて信虎の葬儀を執り行っている。

武田家が滅ぶと徳川家から庇護され格式と寺領が安堵されましたが、
江戸時代には削減されています。
甲府藩主となった柳沢家は武田家の後裔を自称していた事から、
篤く帰依し武田家三代の御霊屋を造営、内部には3代の木像が安置され、
背後には3代の宝篋印塔が建立されています。

寺宝である絹本著色武田信虎像は信虎の死後、
遺子信廉が菩提を弔う為製作寄進したもので、
昭和10年(1935)に国指定重要文化財に指定されています。


【山門】


変わった山門ですね。

私も数々の山門を見てきていますが、
このような山門は非常に珍しい。

享保9年(1724)2代藩主柳沢吉里が大和郡山藩転封の際、
柳沢家の菩提寺である永慶寺から仏殿(焼失)とともに移築されたもの。


【石標】



【参道】


広い境内なのがよく分かりますね。




参道から山門方向。

ちょっと殺風景かな。




この辺りは良い雰囲気でした。


【水盤】



【鐘楼堂】



【中雀門】



【本堂】


ようやく本堂に到着。

空襲により焼失後、昭和40年に再建されたもの。

甲府も空襲されていたんですね。
てっきり疎開地だと思ってたけど。


【宝物殿】



【御霊殿】






この中に武田三代の木像が祀られているそうです。


【軍配】



【宝篋印塔】




これが墓らしい。

真ん中が武田信虎、左右が信玄、勝頼の墓。

南無阿弥陀仏。


【供養塔】


これはよく分かりませんでした。




浅野家一門眷属 高麗蔚山戦死精霊供羪塔。


【法性不動尊】





【鎮守社】






この辺りは夕方ということもあってか、
結構寂しい雰囲気でした。


【御朱印】



【ポストカード】


御住職にいただきました。(^^


今日も充実した参拝であった。

疲れた身体を癒しに今夜も温泉。(^^


【源泉湯 燈屋】


口コミサイトで評判が良かったから行ってみたものの、
完全にスーパー銭湯でした。

お湯も循環湯で普通の水のようで、
完全に期待ハズレでした。(泣)

あの程度なら私の地域でもスーパー銭湯がいくらでもあります。

積翠寺温泉に入っていればと後悔したよ。(^^;


【武田信玄像】




我が御屋形様。

甲府に来たならばこれを見ておかないとね。

甲府駅まで行って探して見つけた時は嬉しかったな。(^^

さすがに甲府駅周辺の駐車場は有料でした。


【小作】


甲府のグルメといえば「ほうとう」。

やっぱり地のものを食べないとね。

人気店らしくかなりの順番待ち。
でも回転が速く30分ぐらいで入店出来ました。(^^


【鴨肉ほうとう】


1600円。

あったかくて美味しかったです。

冬だと身体が暖かくなるだろうね。


【鳥手羽先】


こちらも美味かった。


今夜はホテルシーラックパル甲府で一泊。

安かったけど朝食付きで部屋も良かったです。(^^

積翠寺(2015年9月21日参拝)

2015年11月09日 | 甲斐百八霊場
信玄公の墓参りをした後は信玄公誕生寺である積翠寺へ。

要害と呼ばれる地だけあって、
結構な山道を走ります。

歩きだったら挫折してるな。(^^;



所在地:山梨県甲府市上積翠寺町984
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:不明
開基:行基菩薩
札所:甲斐百八霊場



【縁起】
当寺は臨済宗妙心寺派にして行基菩薩の開創による
鎌倉時代夢窓国師の弟子竺峯和尚中興開山なり。

大永元(1521)年福島兵庫乱入の節(飯田河原の合戦)
信虎夫人当寺に留り期に臨み一男子を産む。
これ即ち信玄なり。

境内に産湯の天神産湯の井戸あり堂西に磐石あり高さ八九尺泉
これに激して瀑となるよりて石水寺の寺名になり村名になると甲陽軍鑑に伝う。
積翠寺名園は夢窓国師の築庭なり。

寺宝に信玄像及び天文15年後奈良天皇の勅使として下向せられし
三條四辻ニ卿と拙寺にて催されし信玄公の和漢聯句一連並に良純王親王より
仰岩和尚に贈られし書簡等々現存す。


【コスモス】


無料駐車場がありました。

来た瞬間に素朴なお寺だと分かりました。


【本堂】


もっと観光地されているかと思っていたが、
信玄公の誕生寺なのに質素な本堂です。

残念ながら内陣を見ることは叶わず。




屋根には武田菱がありました。


【不動堂】


こちらに私が見たかった信玄公像があります。






御尊顔を拝する栄誉を得て誠に恐悦至極でござりまする。


【不動明王】



【鐘楼堂】


下にある白いモノは角餅かと思ったが、
ご近所のおばちゃんに聞いたら手作りの石鹸だとか。

手作りの石鹸なんて初めて見たよ。


【夢窓国師築庭】






なかなか豪壮で無骨な武田家のイメージによく似合う庭でした。


【御朱印】


信玄公誕生寺という墨書きがたまらない。

これをいただいた時は嬉しかったな。

しかし御朱印を対応してくれた方は、
ご近所のおっちゃんという風情。

お坊さんとはとても思えない。

そもそもこの素朴なお寺にお坊さんはいるのかなぁ?

無住だけどご近所の方々によって大切に守られている、
といったお寺のように感じた。

まぁ、御住職はいるんだろうけど。


それにしても、
信玄公産湯の井戸を見逃したのは痛かった。

またいずれの日に見たいと思う。

圓光禅院(2015年9月21日参拝)

2015年11月06日 | 甲斐百八霊場
ようやく武田信玄公の故郷甲府市に到着。

訪れることが出来て胸熱です。

この甲府には当然ながら信玄公所縁の神社仏閣が多く、
武田神社や鎌倉五山は行かなくてはならない。

MUSTです!(^^

まずは三条夫人の菩提寺である圓光禅院へ。



所在地:山梨県甲府市岩窪町500-1
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:永禄3年(1560)
開基:武田信玄
開山:説三和尚
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
円光院は元々、信玄公の先祖・逸見太郎清光の創建(保元年間)で、
清光院と号し小石和(現在の笛吹市石和町)にありました。

後に武田信守が父・信重の牌寺として成就院と改めました。

さらに信玄公が京都より説三和尚を迎えて開山とし当地に移しました。
信玄公は元より仏法信仰を重んじ臨済宗に帰依し、
京都妙心寺の開山である開山国師の遺風を崇敬しておりました。

その因縁により京五山、鎌倉五山にならい甲州の古刹の寺を城下に移しました。
そして何れも妙心寺派に改め、それぞれに土地を寄付し、
これらの寺を御城附御祈願所五山と号しました。

現在は甲府五山と称し円光院、東光寺、法泉寺、長禅寺、能成寺であり、
何れも武田親族の菩提寺になっています。

現在の寺号の起こりは信玄公正室三条夫人が元亀元年(1570)7月28日に逝去し、
当院に葬送された時の法名から、瑞巖山円光護持禅院と改称されました。


【寺号標】


当然のように無料駐車場がありました。


【本堂】




立派で品のある本堂です。


【内陣】


残念ながら堂内に入ることは出来ませんでしたが、
ガラス越しに見れることが出来て何より。


【三条夫人墓所】






三条夫人は信玄公の正室で左大臣・転法輪三条公頼の次女。
姉は細川晴元室、妹はあの顕如上人の妻である如春尼。

大河ドラマではきつい性格で信玄公とは不仲として描かれていましたが、
実際は大変美しく穏やかな性格で仲が良かったそうです。


【鐘楼堂】




法門無量誓願学とは菩薩が持つべき4つの誓願のことで、
法門は無量なれども誓って学ばんことを願います、という意味。




柱には仏様か高僧か分かりませんが、木彫りされていました。


【御朱印】


とても立派な庫裏でいただきました。