Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

久安寺 其の二(2017年7月15日参拝)

2017年08月13日 | 関西花の寺二十五霊場
久安寺参拝も丁度折り返しで後半に突入です。


【朱雀池】


蓮は少しだけ咲いていました。


【両果の道】


この道の雰囲気が良いんだよなぁ。


【バン字池】



【舞台】




舞台の上から本堂裏手を望む。

ここから見る庭園はいいね~。(^^

気候が良かったらここで弁当でも食べたら美味さ倍増やね。


【修行大師像】



【愛宕地蔵尊】



【本堂】



【地蔵尊】



【三光社】







【薬師堂】


西国薬師霊場の札所であり、
葬儀法要等を行う仏教会館を兼ねている薬師堂。

またの名を瑠璃光殿と呼びます。




中心に阿閦薬師如来が祀られていますが、
月光、日光菩薩は絵でした。


【芳泉庭】





【仏足石】



【本堂】


摂津国三十三所霊場札所。




ようやく本堂に参拝です。






四天王に守られた御本尊は秘仏で、
御前立がいらっしゃいました。


【鐘楼堂】







【豊臣秀吉腰掛石】





【御朱印】


御朱印は四種類ありました。




こちらは関西花の寺札所の書置きの御朱印です。


予想以上に見所たっぷりで素晴らしいお寺でした。

大阪にこれほどの庭園と花の名所のお寺があるとは。

まだまだ見知らぬ寺社が大阪にもあるんだね。

久安寺 其の一(2017年7月15日参拝)

2017年08月12日 | 関西花の寺二十五霊場
高槻市の神峯山寺から池田市の久安寺へ移動。

お寺の前の423号線は何度か通った事があるので、
久安寺の存在は知っていましたが、
いろいろ他に行きたい寺社があり、今まで素通りしていましたけど、
今回はようやく参拝することにした。

大きな墓地が目立つので、観光寺院では無いと誤解してたよ。


所在地:大阪府池田市伏尾町697
宗派:高野山真言宗
御本尊:千手観音菩薩
創建:(伝)神亀2年(725)
開基:(伝)行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:摂津国八十八箇所、摂津国三十三箇所、関西花の寺二十五霊場、西国薬師四十九霊場


【縁起】
聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創。

弘法大師留錫し真言密教道場として栄えた安養院が前身。

保延6年(1140)安養院は灰塵に帰しましたが、
御本尊千手観音像や薬師如来像、阿弥陀菩薩像は損傷を免れ、
久安元年(1145)に桜門、堂塔伽藍、四十九院などが再興。

近衛天皇の勅願寺となり、久安寺と改称されました。

安土桃山時代には豊臣秀吉が参拝し三光神を祀り、
月見茶会を親しんだと伝わる。

江戸時代には歌人平間長雅が在住して観音信仰を広め、
衰退を繰り返す中で法灯を護持してきました。

昭和興隆事業により諸堂を造営し、
ア字山とバン字池からなる庭園「虚空園」の整備、
旧伽藍跡に霊園及び仏塔を造営。

現在は関西花の寺二十五霊場の札所となり、
四季折々の花を楽しむ事が出来る。


【境内】


蕎麦がメインの食堂の前に数十台の無料駐車場があり、
昼食は後回しにして参拝開始。


【紫陽花】


前庭の池には紫陽花と金魚。


【本坊】


右手に行くと拝観受付と伽藍、左手に行くと楼門があります。


【楼門】


楼門を境内の中から撮影したもの。

ここから外に出れなかったので、
外からは撮影していません。

暑い中、また外に出る気力が無いし、
423号線は交通量が多いので。(^^;

室町時代初期に再建されたと推測される重要文化財。

普通ならじっくり見るところだが無理やわ。
この暑さはアカン。


【紫陽花】






参拝して初めてしったけど、関西花の寺二十五霊場だったのね。

花の無い時期に花の寺に訪れるのがゴマラーですが、
紫陽花はまだ咲いていました。(^^


【御影堂】


境内左手にある御影堂。




御本尊は弘法大師、開祖の行基菩薩、中興の賢実上人の、
三祖師像が祀られているとのこと。


【三十三所堂】


単なる廊下にしか見えないが、
中は33メートルの須弥壇に西国観音霊場の観音さんが祀られ、
遺骨を安置する慰霊壇があるそうです。

ここは中に入れませんでしたが、
さすがに入ろうとは思わない。(^^;

三十三所堂の下から弥勒山めぐり入口に入ると、
四国八十八か所のお砂踏み巡拝霊場があり、
約1時間かかるそうです。

私は2番札所で終了。

こんな暑い時に鬱蒼とした寺の山を歩いてはいられない。(^^;


【石仏】





【虚空園】




なかなか見事な庭園ですね。

舞台まであるし。(^^


【両果の道】


奥に何か凄いのがある。(^^


【地蔵堂】


途中にあったお堂。

堂内は誰も居ないと思っていたら、
尼さんらしき女性が昼飯を食っていた。(笑)


【童地蔵】


私もいろいろ童地蔵と各地で見ているけど、
犬と一緒なのは初めて見たな。(笑)


【舎利殿涅槃堂】




納骨堂だったら嫌だなぁと思いつつ近寄る。




堂内に入れるみたい。

自動ドア完備でした。(^^






うお、大きな涅槃像が。

大正まで本堂がここにあった場所に、
釈尊の舎利と涅槃仏を祀っているのが舎利殿涅槃堂です。


【涅槃仏】




これはかなりデキの良い石仏です。

これだけ大きいとパーツ毎にくっつけたのが丸分かりの、
石仏が結構多いんですよね。


【十大弟子像】



【レリーフ】


お馴染みの釈迦の一生を表現したものです。
全部は撮影してません。


奥にも部屋があるようで、恐らく納骨堂だと思う。

勿論、その先には入っていません。


【修行大師】



【五輪塔】



【不動明王】



【供養塔】



【石塔】



【観音菩薩】



舎利殿涅槃堂の参拝終了。

これから本堂へ行ってお参りですが、
長くなりましたので続きはまた明日。

予想以上に見所の多いお寺です。

隆国寺(2016年11月13日参拝)

2016年12月12日 | 関西花の寺二十五霊場
高照寺の次は同じく関西花の寺の札所である隆国寺へ。

勿論目的は花では無く参拝であり、
伽藍を拝観することです。

というか、
参拝して初めて関西花の寺の札所であることを知った。(^^;


所在地:兵庫県豊岡市日高町荒川22
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:室町時代
開基:垣屋隆国
札所:関西花の寺二十五霊場、近畿楽寺寿観音三十三カ所霊場、
宝の寺七福神、但馬七花寺霊場


【縁起】
隆国寺は室町時代に創建され、
山名の四天王筆頭といわれた垣屋播磨守隆国公の菩提寺と伝わっています。

実質開基ともいわれる光成公は策彦周良和尚から、
天正4年(1576)に「悦岩」道号記を授かっています。

策彦和尚は遣明使節団の団長もつとめており、
中国から持ち帰った牡丹を和尚から道号記と共に贈られたのが、
隆国寺と牡丹の縁の始まりといわれています。

元和9年(1623)に金山より現在地に移され、
牡丹寺として親しまれています。


【総門】


門構えから既に格式の高さを感じられますね。

参拝が楽しみです。

道路を隔てた場所に大型の無料駐車場がありました。


【山門】




かっこいい山門です。

享和2年(1802)に再建されたもので、
楼上には釈迦三尊と十六羅漢が祀られているそうです。


【地蔵尊】



【狛犬】



【境内】


凄く良い雰囲気です。


【紅葉】


やっぱり紅葉はいいなぁ。(^^


【楽寿観音】



【石仏】



【鐘楼堂】





【本堂】


寛政4年(1792)に再建されたもので、
禅宗というか曹洞宗らしい本堂です。


【内陣】


嬉しいことに本堂に上がることが出来ました。(^^

やっぱりお寺は幾ら花で客を呼んだところで、
本堂に上がれないお寺はダメだと思います。




御本尊聖観世音菩薩を中心に、
不動明王や布袋尊等が祀られていました。


【幸のとり観音】


手に子宝と幸せの宝珠を乗せて、
いつでも飛んでいけるように羽衣を纏っている観音様です。


【岸派襖絵】




本堂には襖絵が三十六面あり、
弘化3年(1846)岸岱・岸徳の二人によって描かれたもの。





猛虎図が特に素晴らしかったです。


【境内】


本堂から山門を見た境内です。


【位牌堂】



【蔵】



【内庭園】




本堂の裏側には綺麗な庭園がありました。


【西苑】








西苑や内庭園は季節毎に花が咲くそうですが、
特に牡丹の頃は観光客が沢山訪れるようですね。


【紅葉】






やっぱ紅葉はええなぁ。(^^

東福寺や永観堂の紅葉もガラガラで観れたらな。


【楽寿観音】



【御朱印】


書置きをいただきました。


【護符】




御朱印をお願いしたら無料でいただけました。

ありがとうございます。(^^

高照寺(2016年11月13日参拝)

2016年12月11日 | 関西花の寺二十五霊場
何とか今滝寺の酷道から無事に生還し、
次なる参拝地である高照寺へ。

ここは関西花の寺の札所であるが、
花の無い時に訪れるのがゴマラーのセオリー通り、
恐らく花は何にも咲いていないだろう。(苦笑)


所在地:兵庫県養父市八鹿町高柳1156
宗派:高野山真言宗
御本尊:大日如来
創建:養老4年(720)
開基:行基菩薩
札所:関西花の寺二十五霊場、但馬七花寺霊場


【縁起】
承和年間、唐より密教を日本に持ち帰られた弘法大師が、
空海の住房の京都高雄の神護寺において伝法灌頂を開かれ、
比叡山の伝教大師最澄も弟子達と共に灌頂を受ける。

最澄の後継者と目されていた泰範上人は、
最澄と共に灌頂を受けたるも再び比叡山に帰らず空海上人の弟子となる。

その泰範上人が当山の住職として但馬と京都を往き来するうちに、
空海に但馬の寺名を栂尾山神護寺と呼稱することを許されたり、と古記に見ゆ。

その後 栂山の西北の庵坂に移り栂尾山蓮花寺と改稱して一時禅宗となる。
明暦元年(1655)観音堂屋敷に移り寺号を栂尾山高照寺と改め、
当時の住職宥尊法印をもって再々中興第一世とす。
観音堂屋敷にあること164年、その間住職の交代すること21人に及ぶ。
 
この地は豊臣秀吉の八木城攻略の際の古戦場で、死者累々地相悪しき故をもって、
第21世雄空法印は檀徒と相談の上、文政2年(1819)現在地に移築し今日に至る。

行基開基より1288年、四度目の現在地に移りし189年を経過せり。


【風景】


大型無料駐車場に車を停めると、
一本とても綺麗な紅葉が見れた。(^^

花が無くともこれで充分満足です。


【十三石塔】



【寺号標】


ちょっと小高い場所にお寺はあります。


【石仏】


どっかで見たような個性的なお顔をされています。


【境内】


なかなか良い雰囲気のようですね。


【鐘楼堂】



【厄除大師】


一番上の丸い部分に弘法大師像が刻まれていました。

横のポストのような箱に入山料300円を入れるシステムです。


【イチョウ】



【本堂】


田舎の農科の家のような本堂ですね。

御朱印をお願いすると本堂に入れていただいた。

別途拝観料は不要でした。(^^


【内陣】


本堂は三つの部屋に別れていて、
真ん中が本堂内陣でした。


【撫で弘法】


撫でるのはびんずるさんが多いけど、
ありそうで無かった撫でる弘法大師。

ありがたや ありがたや。


【天井画】



【地蔵菩薩絵図】



【大日如来絵図】



【境内】



【不動明王】



【観音堂】



【一笑尊者】



【花ことば色紙】


実際の花より絵の花の方が好きだと気付いた今日この頃。

色々な花ことばの色紙があり、
選ぶのに苦労したほど。(^^

御住職は絵心がかなりある方ですね。

一つ千円でした。


【御朱印】


但馬七花寺霊場の御朱印。




関西花の寺二十五霊場の御朱印で、
あえて書置きをいただきました。

子安地蔵寺<護国院 地蔵寺>(2016年7月24日参拝)

2016年08月10日 | 関西花の寺二十五霊場
人魚のミイラって実際に見ると強烈だったなぁ、
と思いながら子安地蔵寺に向かう。

子安地蔵寺という寺名とは裏腹に、
関西花の寺の札所なんですね。

和歌山にも札所があるなんて知りませんでした。(^^;


所在地:和歌山県橋本市菖蒲谷94
宗派:高野山真言宗
御本尊:地蔵菩薩
創建:天平9年(737)
開基:行基菩薩
札所:関西花の寺二十五霊場、紀伊之国十三佛霊場


【縁起】
和歌山県橋本市菖蒲谷にある高野山真言宗の寺院。
正式には易産山護国院 地蔵寺と称する。

伝承によれば天平9年(737)の春、行基の開基で、
本尊の地蔵菩薩も行基が自ら刻み、女人安産守護の為に安置したという。

天正9年(1581)織田信長、織田信孝による高野攻めの時兵火にあい、
地蔵堂は焼失したが、本尊は人里離れた山中に難をのがれたのを、
村人によって発見された。
その地を「かくれがた」と名づけられている。

その後、紀州徳川家の祖徳川頼宣によって
地蔵菩薩を安置する堂が建立され、
正保5年(1648)田園2町歩が本尊香花の費として供養され、
頼宣は11回に亘って参詣した。



【長屋門】


無料駐車場から境内へ。

およそ山門とは思えない豪壮な武家風の門ですね。
一階部分は寺務所となっていました。


藤の花が見頃になると拝観料300円が必要ですが、
今日は当然ながら境内拝観は無料でした。

つまり、花は期待すんなってことだ。(^^;


【本堂】


まずは本堂にお参り。




御本尊は秘仏で1月24日の初地蔵のみ御開帳されるとか。


【鐘楼堂】





【鎮守社】



【庭園】





【抜け殻】


ガキの頃を思い出すなぁ。(遠い目)


【花】






何の花かよく分からんが、
数少ない花だから撮っておこう。


【御朱印】


書置きタイプです。




こちらは通常いただける御朱印です。

石光寺(2016年7月18日参拝)

2016年08月06日 | 関西花の寺二十五霊場


當麻寺近くのお寺といえば石光寺。

折角ここまで来てるんだから帰るのは勿体無いので、
久しぶりに石光寺を参拝します。

ここは牡丹が有名なお寺です。


<2011年4月10日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/4d10b6b4ce270bda28193fe88688657a



所在地:奈良県葛城市染野387
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:飛鳥時代後期
開基:(伝)役小角
札所:関西花の寺二十五霊場


【山門】


山門横に5台分程の無料駐車場がありました。


【百日紅】



【境内】


花の時期では無いので拝観料は無料でした。


【白砂】



【阿弥陀堂】








堂内に入って拝めて良かった。(^^


【花】




花の寺の札所だから少しは花を撮っておかないとな。


【弥勒堂】


今回は閉まっていました。


【中将姫 染の井戸】





【観音像】



【塔の大心礎】





【境内】





【十三石塔】



【鐘楼堂】



【地蔵菩薩】



【蓮】



【御朱印】


この時期は書き手が御不在でしたので、
書置きをいただきました。

関西花の寺二十五霊場の天女が描かれた御朱印は元々書置きです。

四種類ありました。




確か期間限定だったはず。

残りものだったのかな。(失礼)
というのは冗談ですよ。(笑)

如意寺(2015年10月4日参拝)

2015年12月03日 | 関西花の寺二十五霊場




海が見たくて久美浜湾に来ました、というはずも無く、
道を間違えてしまったんです。(^^;

でも海を見てると落ち着く。

やっぱり海はええわ~。(^^

で、もっとええことがあった。

それは以前から訪れたかった如意寺の前を偶然通ったんですよ。

今回は完全に忘れていて参拝する予定はなかったのに。
こんなこともあるんですね。

これはきっと観音様が私を呼んでいるに違いない。(笑)



所在地:京都府京丹後市久美浜町1845
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:(伝)天平年間
開基:(伝)行基菩薩
札所:関西花の寺二十五霊場、丹波西国観音



【縁起】
当寺は天平の頃、行基菩薩が開基された行基ゆかりの寺です。

鎌倉時代、伏見天皇は如意寺に深く帰依され、
「如意寺」の墨書の勅額を下賜されたことからもわかるように、
古来、病気平癒・心願成就・厄災消除など、萬人帰依の祈願寺として、
今日に至っています。

日本で唯一の建築様式である「重層宝形造」の不動堂に祀られる
「日切不動尊」は特に有名で、所願成就のご利益で広く親しまれ、
終日香煙の絶えることがありません。

当寺はまた関西花の寺25霊場の第七番札所で、
一年を通して境内周辺に咲く数百種の四季折々の花木や草花を楽しめます。


【仁王門】


海に向かって堂々と建っている印象的な門です。

仁王門横と前に無料駐車場がありました。


【曼荼羅宝壺】



【境内】




花の無い時に訪れるゴマラーらしく、
今回も花は何も咲いていないようです。(笑)


【庫裏】


庫裏の前に拝観料を入れる集金箱があったけど、
あれでは拝観料の集金漏れもあるかと。(^^;




掛け軸を見ると、祀られているのは恵心僧都作の阿弥陀如来かな。


【手水舎】



【六体地蔵】



【子安地蔵】



【地蔵尊】





【本堂】




行基菩薩作と伝わる十一面観音菩薩は秘仏でした。


【閼伽井】



【不動堂】




一見、多宝塔に見えるが不動堂です。

こんな不動堂は初めて見ました。
これが日本で唯一の重層宝形造かぁ。

これはわざわざ見に行く甲斐があるというもの。

弘法大師爪彫りと伝わる日切不動尊が祀られていました。


それにしても弘法大師や行基菩薩、恵心僧都と、
錚々たる高僧の作と伝わる仏像ばかりだなぁ。

まぁ、あくまで「伝」ですから、
全てが真実とはいえないのでしょうけど。


【六角堂】





【宝篋印塔】



【鐘楼堂】





【御朱印】



【久美浜湾】


もう一度、海を堪能して但馬へ。

金剛寺(2015年2月14日参拝)

2015年03月22日 | 関西花の寺二十五霊場
吉野川を渡り次の参拝地である金剛寺を目指す。

金剛寺は関西花の寺、西国薬師四十九霊場の札所であります。
例の如く、花の咲いていない時期の参拝となってしまった。(^^;

初めての参拝となります。



所在地:奈良県五條市野原西3丁目2−14
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:承安3年(1173)
開基:平重盛
札所:関西花の寺二十五霊場、西国薬師四十九霊場



【縁起】
金剛寺は今から800年前、平安朝の文化人小松内大臣、
平重盛公の創建による古寺と伝えられています。

江戸時代初期から野原城主の畠山義春公の菩提寺として復興、
奈良朝の末期、 宇智の大野に流されてきた光仁天皇の皇后、
井上内親王とその子の他戸親王の怨霊を祀る宮寺として、
さらには元京都仁和寺、直末の中本寺としての歴史と信仰を有する名刹の古寺。

現在は高野山派に属する真言宗となっております。


【修行大師像】


大型の無料駐車場に車を停めて、まずはご挨拶。


【藁】


駐車場に置かれていた。


【藁葺屋根】


ありゃー、工事中や。

拝観は出来るのだろうか。


【山門】



【鐘楼】


まさかこんな高くない山門に鐘楼があるとは。

この鐘楼は宝暦12年(1763)に鋳造されたもの。


【庫裏】




絶賛工事中。

30年に一度、屋根を替えるそうです。




奥に見える建物は観音堂です。


【庫裏】


庫裏で拝観料を支払い、いざ参拝。




庫裏の屋根裏に藁を蓄えておくそうです。


【庭園】



【本堂内陣】




藤原時代作の御本尊薬師如来と日光、月光菩薩、
十二神将が祀られていました。

しかし照明が暗くお姿が良く見えませんでした。






鎌倉時代作の阿弥陀如来。
厳しい顔つきをされておりました。




弘法大師、地蔵菩薩像等が祀られていました。

隣の護摩堂へ移動。




不動明王、愛染明王等が祀られていました。
このお寺にはいろんな仏様達がいらっしゃいますね。

しかし、参拝客もいろんな人達が居て、
本堂の御本尊の前で立位礼拝を三回してから、
般若心経を唱えている男女がいた。

立位礼拝とは起立の状態から前に身を投げ出すようにして礼拝することで、
この特殊な立位礼拝を見てオウム真理教を思い出した。

いろんなお寺を参っていますが、
立位礼拝をする人は今まで見たことがありません。

これをやる人は相当宗教にのめり込んでいるのは間違いない。


この人達はもしかしてアレフかひかりの輪なんじゃないかと思ったら、
ちょっと怖くなったよ。

違っていたらごめんなさい。


【観音堂】




真ん中に小さい十一面観音、准胝観音が祀られています。






持国天。






多聞天。




役小角従者像。


【御朱印】


般若寺(2015年1月13日参拝)

2015年03月07日 | 関西花の寺二十五霊場
続きまして関西花の寺の札所でコスモスが有名な般若寺に到着。

以前、コスモスの時に訪れて駐車場代が高かったので、
華麗にスルーしていましたので、初めての参拝になります。

という訳で今回も花の無い時に、
関西花の寺の札所を訪れるゴマラーです、こんばんは。(笑)



所在地:奈良県奈良市般若寺町221
宗派:真言律宗
御本尊:文殊菩薩
創建:伝・舒明天皇元年(629)
開基:伝・慧灌
札所:関西花の寺二十五霊場、西国薬師四十九霊場、大和北部八十八ヶ所霊場


【縁起】
般若寺の創建事情や時期については正史に記載がなく、
創立者についても諸説あって、正確なところは不明である。

ただし般若寺の境内からは奈良時代の古瓦が出土しており、
奈良時代からこの地に寺院が存在していたことは確かである。

寺伝では舒明天皇元年(629)、高句麗の僧・慧灌の創建とされ、
天平7年(735)、聖武天皇が伽藍を建立し、十三重石塔を建てて、
天皇自筆の大般若経を安置したというが、これらを裏付ける史料はない。

別の伝承では白雉5年(654)、蘇我日向臣が孝徳天皇の病気平癒のため創建したともいう。

廃寺同然となっていた般若寺は、鎌倉時代に入って再興が進められた。
その後、西大寺の僧・叡尊によって本尊や伽藍の復興が行われた。
叡尊は西大寺を本山とする真言律宗の宗祖で、日本仏教における戒律の復興に努め、
貧者・病者救済などの社会事業を行ったことで知られる。

般若寺の位置する奈良市街北方地域は、中世には当時「」と呼ばれて
差別された病者・貧者などの住む地域であり、般若寺の近くには「北山十八間戸」という
ハンセン病などの不治の病の人を収容する施設もあった。

叡尊は建長7年(1255)から般若寺本尊文殊菩薩像の造立を始め、
文永4年(1267)に開眼供養が行われた。

この文殊像は獅子の上に乗った巨像で完成までに実に12年を要した。
延徳2年(1490)の火災、永禄10年(1567年)東大寺大仏殿の戦いでの
松永久秀の兵火によって主要伽藍を焼失。

江戸の復興後、明治初期の廃仏毀釈でも甚大な被害を受けた。
近代に入ってからは寺は荒れ果て無住となって、
本山の西大寺が管理していた時代もあったが、
第二次大戦後になって諸堂の修理が行われ境内が整備された。

近年、季節毎に花が咲き、特にコスモス寺と呼ばれている。


【楼門】


国宝。

渋い。
しかし残念ながら痛みも目立つ。

修復の浄財を募られていたので、
本堂で奮発しておきました。(笑)

これほど貴重なものは後世に残しておかないとダメですからね。


【境内入口】


コスモスの時期以外無料の駐車場に車を停めていざ。
拝観料500円はこちらで支払います。


【観音石仏】


まずは西国の観音さん達がお出迎えです。








石仏と可憐な花のコラボは思った以上に良いです。

癒されますね。


【鐘楼堂】



【鎮守社】



【境内】


この時期はさすがに殺風景です。(^^;

しかし、これはこれで本来のお寺の姿が見れていい。


【石仏】


薬師如来。




釈迦如来。




阿弥陀如来。


【楼門】







【まかばら石】


光明真言(不空大灌頂光真言)「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ
マニ  ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」に由来する石銘です。

いつの頃からか般若寺境内のこの場所にあり霊石として崇拝されてきました。
石を撫でて拝めば「運気上昇」の霊験があるとされています。


【平重衡公供養塔】


平清盛五男。

南都焼討を行って東大寺大仏や興福寺を焼失させ、
後に源氏に捉えられ、南都衆徒に引き渡されて斬首の刑に処された人物。

何故このような人物の供養塔があるんだろうか。


【中興上人良恵大徳供養塔】


荒廃した寺を立て直し、十三重石塔を建立した人物。


【大塔宮護良親王供養塔】


後醍醐天皇の皇子にして天台座主を務められた人物で、
法名を尊雲という。

般若寺に潜んでいたが、鎌倉幕府の追手が迫ったことで、自害を覚悟しつつ、
三つある大般若経の空櫃の一つに身を隠して危機をやり過ごしたとされています。


【藤原頼長公供養塔】


平安時代末期の公卿で兄は関白・藤原忠通。

保元の乱で敗死し遺骸は奈良の般若野に埋葬されたが、
雅仁親王の乳母の夫である信西の命によって墓が暴かれ検視された。


【一切経蔵】


鎌倉再興期の建立の重要文化財。

解体修理の結果、建立当初は経蔵ではなく、
土間床の建物であったことが判明しているが用途は不明。


【十三重石塔・相輪】




重要文化財。








顕教四仏(東方:薬師如来、南方:釈迦如来、西方:阿弥陀如来、北面:弥勒菩薩)


【三界万霊碑】





【相輪】





【かんまん石】





【石灯籠】


何気に鎌倉時代作。


【本堂】


ようやく本堂内参拝です。(^^

何と言っても後醍醐天皇勅願仏の文殊菩薩像が素晴らしい。
ずっと見惚れておりましたよ。




堂内は撮影不可でしたので、
画像は由緒書きから転写したものです。


【笠塔婆】





【観音石仏】





【鎮守社】




もはや朽ち果てたといった風情です。(^^;


【石仏】





【石塔部材群】





【水仙】





【御朱印】


三種類の内、二種類をいただきました。