Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

補陀洛山寺(2016年12月24日参拝)

2017年01月25日 | 熊野曼荼羅三十三ヶ所...


阿弥陀寺参拝後、青岸渡寺の門前の店で昼食。

こういう観光地の飯はあんまり期待出来ないものだが、
さすがにマグロ丼は美味かったです。

この店でご飯を食べると駐車場代の400円は無料になります。(^^

腹を満たしてから補陀洛山寺を目指します。

補陀洛山寺と書いて「ふだらくさんじ」と読みます。


所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮348
宗派:天台宗
御本尊:三貌十一面千手千眼観音
創建:伝・仁徳天皇治世
開基:伝・裸形上人
札所:熊野曼陀羅三十三ヶ所霊場


【縁起】
補陀洛渡海とはうつぼ舟と呼ばれる小さな舟に僅かな食料と水を積み、
南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指すというもの。

補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られるお寺で、
仁徳天皇の時代にインドから熊野の海岸に漂着した
裸形上人によって開山されたと伝えられています。

江戸時代まで那智七本願の一角として大伽藍を有していたが、
文化5年(1808)の台風により主要な堂塔は全て滅失した。

その後長らく仮本堂であったが、平成2年(1990)に、
現在ある室町様式の高床式四方流宝形型の本堂が再建された。

平成16年(2004)ユネスコの世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道に登録。


【社頭】


本堂の裏手に無料駐車場がありました。

山門は無いようです。


【供養碑】


どなたかの墓のようでした。


【庚申】



【観音菩薩・地蔵菩薩】



【本堂】


嬉しいことに堂内に入れることが出来ます。


【内陣】


御本尊は秘仏で写真が展示されていました。

1月27日、5月17日、7月10日に御開帳されるとのこと。








近くに寄って見ることが出来ました。

これは本当に嬉しいですね。(^^


【渡海船】


平安時代から江戸時代にかけて、小さな船に30日分の脂と食糧を携えて、
南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指したとされる、
船が復元されていました。


【御朱印】

阿須賀神社(2016年12月23日参拝)

2017年01月16日 | 熊野曼荼羅三十三ヶ所...
神倉神社から阿須賀神社へ。
新宮川が太平洋に流れる河口付近に神社は鎮座しております。

この二社と熊野速玉大社とはトライアングルになっていますが、
特に神秘的な事は何もございません。(笑)

秦の始皇帝時代の徐福が上陸したという伝説はありますけど。



所在地:和歌山県新宮市阿須賀1-25-25
主祭神:事解男命、熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神
配祀神:黄泉道守神、建角美神
本地仏:大威徳明王
創建:孝昭天皇53年(238)
社格:村社
札所:熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場


【由緒】


当社は遠く第五代孝昭天皇53年(238)3月の創祀と申される。
伊邪那岐・伊邪那美2神の熊野に参られ御産みになった神々をお祀りしている。

熊野の地において熊野権現はまず神倉神社に降臨し、
それから61年後に阿須賀神社北側にある石淵谷勧請、
その時に初めて結早玉家津美御子と称したと伝えられている。

熊野権現の具体的な神名がはじめて現れた場所と見なされていたとされ、
熊野発祥地とも云われている。


境内からは弥生~古墳時代の集落遺跡や祭祀遺物が発見されており、
古代から蓬莱山に対する信仰があったと想像されます。

嘉永7年(1854)に将軍家定紀伊国主をして社殿の再建をなし、
其の結構偉麗でしたが戦災の為悉々烏有に帰したが、
昭和51年に銅板葺社殿が復興した。

近世の阿須賀神社には並宮・拝殿・御供所・鐘楼堂・四脚門・
鳥居・社僧行所などがあったという。

村社阿須賀神社として独立し、明治40年(1907)
熊野速玉大社の末社であった八咫烏社、宮戸社などを合祀。

平成28年(2016)世界遺産に追加登録され、現在に至っています。


【鳥居】


無料駐車場が数台分ありました。


【拝殿】


後ろにはこんもりとした蓬莱山があり、
その後ろには新宮川が流れています。

蓬莱山は山というより丘みたいな感じですが、
ここだけ盛り上がっていて人工的な匂いもしますね。




比較的新しい拝殿のようです。


【阿須賀稲荷神社】





【徐福宮】



【本殿】



【子安宮】



【母子像】


子安宮の横にこの像がありましたが、
こういう現代作家が造った像が安置されているのは珍しい。


【八咫烏】



【御朱印】



この後に熊野新宮念法寺に行ってみたが、
山門を車でくぐっただけで、そのままリターン。

やっぱり念法眞教は閉鎖的な雰囲気をバリバリ感じるので、
一般人は敷居が高いというか、ちょっと怖いです。(^^;

神倉神社(2016年12月23日参拝)

2017年01月15日 | 熊野曼荼羅三十三ヶ所...
今回の旅のメインの一つである神倉神社。
美しい社殿も好きだが、
磐座のような巨石信仰は神秘性があるんですよね。

正直、熊野速玉神社よりも参拝するのが楽しみでした。

ただし、神倉神社は今まで散々テレビで紹介されていましたが、
あの538段のデコボコした急な石段を登る必要があるんですよね。

覚悟を持って参拝開始。(苦笑)



所在地:和歌山県新宮市神倉1-13-8
主祭神:天照大神、高倉下命
創建:景行天皇58年(128)
社格:村社、熊野速玉大社摂社
札所:熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場


【由緒】



【朱橋】



【稲荷神社】



【滝】


登る前に滝を見て心を落ち着かせる。

滝の横には開いていない社務所がありました。


【鳥居】


うお~!

テレビで見るより石段が急やわ~。(^^;

鳥居前にはお年寄りや身体的に登れない方々ように、
遥拝する為の賽銭箱がありました。

杖もありましたので今回は持っていく。


【石段】


石段の横には女坂と呼ばれる優しい坂がありました。

しかし、男の私は当然のことながら石段を登る。




これはキツイ。

急なのもあるけど、石段の一つ一つが高さや大きさが違うので、
登り難いったらありゃしない。

ハァハァすること間違いなし。


【火神社・中ノ地蔵堂】


5分ほど登ると少し開けた場所があり、
そこに火神社と地蔵堂が祀られていました。

こういう祀り方は珍しい。

まさに神仏習合ですね。

女坂の終点もここになります。


【石段】


まだまだ登る必要があります。




ご覧のような石段です。


神倉神社の石段は建久4年(1193)源頼朝の寄進らしいけど、
もっと登りやすい整えた石段を寄進してくださいよ。(^^;


【鳥居】


上に行けば行くほど石段は楽に登れて助かる。

ここで鳥居が見えてきた。




右手の石段を少し登ると立入禁止だった。


【境内社】


立入禁止の横に鎮座。


【鳥居】


こちらに社殿があるようだ。

登り始めてから10分程で到着。

石段は急だったけど、思ってたより楽に登れました。

むしろ、もう終わり?って感じで拍子抜け。


個人的には500段ほどの京都豊国廟の方がしんどかったな。

あれは二度と登りたく無いと未だに思っている。(^^;

http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/1ebbb0b48430b89397690feb2416c769


【手水鉢】





【境内】


あれが御神体のゴトビキ岩と拝殿のようです。




左のゴトビキ岩には注連縄がされています。



【ゴトビキ岩・拝殿】




うお~~~!

これは凄い。

テレビで見るのと違って迫力が全然違うわ。(^^






そりゃこんな巨石を見たら神が宿ってると思うよなぁ。

現代人でもそう思うんだから、
古代人だったら尚更そう信じるだろう。


【風景】


天気が良くて最高。(^^


【石段】


帰りの方が圧倒的に怖い。

初めての方や雨の日は本当に注意が必要です。

登りは10分だったけど、帰りは15分かかりましたよ。(^^;


地元の母親と幼稚園児と小学生低学年の親子が、
元気に登って行きました。

ここのキッズはタフやね。(^^


【お燈まつり】




1400年以上前から勇壮な火祭りである「お燈まつり」が
毎年2月6日に行われていますが、
あの石段を走って下るなんて信じられない。(^^;

でも、先ほど会ったキッズ達のように小さい頃から
登り下りしていたら慣れてくるんでしょうね。

ちなみにこの火祭りは地元限定かと思っていたけど、
県外の方や観光客の方でも参加出来るそうです。

火を見てると燃えてくるので参加したい気持ちもあるけど、
走って下るのは断る。(^^;


【ゴトビキ岩・拝殿】


別の神社に参拝してから信号待ちをしてる時に、
ふと目を山に向けると見えました。

あそこで赤信号で無かったら、
停まった場所が一台ズレていたら見ることは出来ませんでした。

これは偶然なんだけど、
神に選ばれたような気がした。(^^


【御朱印】


熊野速玉神社でいただけます。

玉置神社 其の一(2016年12月23日参拝)

2017年01月11日 | 熊野曼荼羅三十三ヶ所...
今日から一泊二日で那智勝浦へ巡礼の旅に出ます。

一度行きたかった熊野古道が一番楽しみです。

車は交通費節約で阪和道は使用せず、
奈良の五條から168号線を走って十津川経由で那智勝浦を目指す。

相変わらず168号線はクネクネとした酷道ですが、
1台がやっと通れる道に比べると楽勝です。

そんな168号線を走り前回無念の参拝断念した玉置神社へ。


<2015年2月14日>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/e4f6ebfebaf8895ceb5a75620d926198

前回は玉置山の野菊街道でまさかの降雪で、
車がスリップして玉置神社まで辿り着けませんでした。

まさに神様に呼ばれていなかった訳ですが、
今回はその時のリベンジを果たしたく、
ようやくのことで訪れることにしました。

はたして今回は無事に辿りつけるのでしょうか?



所在地:奈良県吉野郡十津川村玉置川1
主祭神:国之常立神、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大神、神日本磐余彦命
創建:伝・紀元前37年
社格:郷社
札所:熊野曼荼羅三十三ヶ所霊場


【由緒】
玉置神社は大峰山脈の南端に位置する標高1,076メートルの
玉置山の山頂近くに鎮座し神武天皇御東征の途上として伝承されています。

創立は紀元前三十七年第十代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散の為、
早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています。

古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、
平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現、
または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えました。

江戸時代には別当寺高牟婁院が置かれていました。
その後、慶応4年の神仏分離により神仏混淆を廃し以後玉置三所大神、
更に玉置神社となり現在に至っています。


【野菊街道】


168号線から野菊街道を走り玉置神社を目指すが、
例の如く細い道路が10キロも続くんだから疲れる。

野菊という可愛らしい街道名が付いていますが、
そんな可愛らしさは全く無い街道です。(苦笑)

もうすぐ到着かという場所でガスってきました。

これ以上ガスって先が全く見えなくなったらどうしようと思う。

またしても断念かという思いが頭をよぎったが、
今回は神様のお許しを得たようで無事到着。

ほんまに疲れたよ。(^^;

先人達はよくぞこんな場所に神社を造ろうと思ったよな。

こんな所に造られたら困るわ~。(苦笑)


【風景】


山しか見えません。

鉄塔すら無いとかどんだけー。(苦笑)


【鳥居】


数十台は停めれる無料駐車場に車を停めていざ参拝。

小さいながらも土産モノとうどん等の軽食が食べれる店もありました。

こんな僻地で商売をやっているということは、
玉置神社は結構人気があるということやね。


【参道】




駐車場から暫く歩きます。

車の御祈祷や足の不自由な方は車で通れますが、
初めての人はこんな道は先に進んでいいのか不安になると思う。


【山之神】





【鳥居】


約8分でここまで到着。

行きはよいよい帰りはしんどいでした。

左手を進むと祈祷する場所がありますので、
車は左を進んでください。


【参道】




なかなか歩き難いです。




やっと社殿が見えてきました。


【神代杉】



【大杉】


写真ではそんなに凄くないように見えますが、
周囲11メートル高さ約50メートルの巨木でした。


【鳥居】




ようやく本殿に到着。

この辺りはまだまだ凄い神域感は感じず。

数多く参拝している私ですから、
他に物凄い神域感を知ってますからね。


【狛犬】



【本殿】




やっと参拝出来る喜び。

苦しみがあった方が達成感があるのは皮肉なもので。(^^;




さすがに本殿内は神々しいわ。(^^


【境内社】


若宮社・神武社。




向かって右が御神輿殿、左が大日社。


【本社】


本社裏手に回ると玉置神社を象徴とする神代杉があります。


【夫婦杉】






幹が太い見事な杉です。

これほどの夫婦杉は全国でも屈指ではないでしょうか。


【神代杉】




樹齢3千年だけあって、かろうじて生きてるといった樹勢ですが、
その姿は神々しい。

御神木というレベルを超越して、
神そのものと言っても過言では無い。


杉のことは詳しくないけど、
これほどの杉は他に屋久島、高知、岐阜など、
全国でも5本の指に入るほどの巨木ですね。


【三柱神社】




倉稲魂神・天御柱神・国御柱神の三柱が祀られています。


【狛狐】



【出雲大社玉置教会】




明治の廃仏毀釈の時、十津川郷にある全てのお寺が廃寺となり、
全村民が大社教に属したことから設立されたもの。


とりあえず長くなりましたので続きはまた明日。