Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

常楽寺(2015年5月30日参拝)

2015年06月30日 | びわ湖百八霊場
長寿寺を参拝し、拝観開始時間の10時を過ぎたので、
湖南三山の一つである常楽寺へ。

大型の無料駐車場があります。
滋賀県の古刹は無料駐車場が多くて助かります。(^^


参拝した時は知らなかったが、
常楽寺のHPを見ると拝観するには予約がいるらしい。

御住職は他のお寺と兼任らしく、
そのお寺の法要があると常楽寺は閉まるそうだ。(^^;

そんなこと何にも知らないで訪れたが、
予約なしで普通に拝観出来て良かった。(^^

12月20日から1月31日は確実に閉まるので御注意ください。



所在地:滋賀県湖南市西寺6丁目5-1
宗派:天台宗
御本尊:千手観音菩薩
創建:(伝)和銅年間(708-715)
開基:(伝)良弁僧正
勅願:聖武天皇
札所:びわ湖百八霊場、近江西国三十三箇所、湖南二十七名刹、湖南三山めぐり


【縁起】
阿星山の北麓にある当寺は和銅年間(708-715)元明天皇勅命により、
良弁が開基した阿星寺五千坊の中心寺院として、
また紫香楽宮(742-745)の鬼門鎮護として栄えた。

平安〜鎌倉時代には皇室の帰依を受けて寺運隆盛。
延暦年間(782-805)天台宗に改められたという。
延文5年(1360)火災で全焼したが、同年、観慶らによって再興された。



【入口】


このお寺には山門はありません。


【本堂】


明治31年国宝(旧法)に指定され、明治35~36年改修工事が行われ、
昭和16年には大規模修理の解体工事が行われる。
新法(文化財保護法)により昭和昭和28年国宝に再指定されたもの。

このお寺の本堂もまた国宝。
滋賀県のお寺の本堂は国宝が多いですね。

奥に見える三重塔とのコラボもいい。


【鐘楼堂】



【宝篋印塔】


破壊された宝篋印塔が痛々しい。


【行者堂】




中を見ると空っぽです。

何事かと驚いていると説明板があった。




寺社に放火したり、仏像を盗む連中の神経が分かりません。

手痛い罰が当たることを祈らざるをえない。


【普賢堂】



【薬師堂】


小さなお薬師さんが祀られていました。

顏がなんとなく篠山紀信の顔に見えた。(^^;


【石灯籠】


重要文化財。


【弁天堂】


水はありませんでした。

さて、本堂内陣に入ります。


【本堂内陣】
重厚な雰囲気の中、
少し高い場所に真ん中に秘仏が安置されている厨子があり、
その左右に重文の風神雷神、二十八部衆が所狭しと祀られていました。

しかし残念なことに昭和56年、無住職時代に風神、阿修羅王、
摩喉羅迦王の三体が盗難にあい、昭和60年に阿修羅王は見つかり戻りましたが、
他の二体は今なお戻っておりません。

こちらも撮影禁止でかなりセキュリティーが厳しいと感じました。
監視されているのが丸分かり。

まぁ、仏像が盗まれたらそうなりますわな。


本堂の後殿に回ることが出来、何体もの仏様が祀られていました。


【西国三十三観音ミニ霊場】


第1番。

あんまり歩く距離はないようですので、
三重塔を見つつ巡ってみよう。


【三重塔】




応年7年(1400)に再建された国宝。




秋の頃は紅葉とのコラボが美しいだろうなぁ。


【本堂】




三重塔付近から撮影したもの。
屋根が渋いですね。


内陣の撮影が不可だから、外から撮りまくってやった。(^^


【三重塔】



【西国三十三観音ミニ霊場】




ここはちょっとしんどい。


【三重塔】




いろんな角度から国宝の伽藍を見れて嬉しい。


【参道】



【境内】



【皐月】



【西国三十三観音ミニ霊場】


第33番。

ここのミニ霊場はそんなにしんどく無いし、
本堂や三重塔を見ながら歩けるので楽しい。


【御朱印】



【感想】
伽藍に二つも国宝がある古刹なのに、
専任の御住職がいないとは。

お寺を見て回ると分かりますが、
常楽寺には墓地がない。

墓地がないということは檀家がいないということ。

つまり観光収入でお寺の経営をしなくてはならない。
その収入もメジャーなお寺ではないので限界があるのだろう。

現にこの日も参拝客はとても少なかった。

国宝だから国の補助があるとはいえ、
いつまでもこの素晴らしい伽藍、仏像を守っていってほしいですね。

長寿寺(2015年5月30日参拝)

2015年06月29日 | 仏閣
大野神社から近い湖南三山の一つ常楽寺に行ったら、
御住職から拝観は10時からと言われたので、
同じく湖南三山の長寿寺へ。

知らないお寺に参拝するのは本当に楽しみ。

無料駐車場があります。


所在地:滋賀県湖南市東寺5-1-11
宗派:天台宗
御本尊:地蔵菩薩
創建:伝・天平年中(729~748)
開基:伝・良弁僧正
勅願:聖武天皇
札所:湖南三山めぐり



【歴史】
聖武天皇の天平年中(729~748)良弁僧正によって建立された勅願寺であり、
その昔、聖武天皇は大仏造営の為、一時信楽宮に遷都されたが、
世継ぎがなかったので良弁に祈請せしめたところ、
良弁は阿保星山中の瀑布に籠って祈った結果、間もなく降誕をみるに至った。

そこで天皇は信楽宮より鬼門に当る東寺に七堂伽藍を建立し、
皇女生誕にちなむ子安地蔵尊を行基菩薩に刻ませて本尊とし、
皇女の長寿を願い長寿寺という寺号をおくったことに始まる。

後貞観年中に焼失、同年間に復元。

中世に源頼朝、足利氏らの祈願所になっていたが、
天正の頃、信長の手によって三重塔は安土城へ、
楼門は栗東市の連台寺へ移築し、主要建物を失った。

現在、国宝の本堂、重文の弁天堂、阿弥陀如来、釈迦如来等が残されている。


【山門】


いいですね~。
雰囲気がとても好みで、このお寺に対しての期待感が高まる。(^^


【参道】


秋になると紅葉のトンネルで美しいでしょうね。


【子宝御石】


参道左手に御堂がありパワースポットと紹介されている。




そこの奥さん、アレですよ、ア・レ。(笑)


【石造多宝塔】


日本最大級の石造多宝塔で、
聖武天皇の菩提を弔う為に鎌倉時代に建立されたもの。


【鐘楼堂】



【本堂】




国宝。

実に渋いですね。

嬉しいことに堂内に入れるので入ってみましょう。

堂内は正堂と礼堂に分かれていて、
内陣には秘仏の御本尊が安置されている国宝の春日厨子が真ん中に。

重文の阿弥陀如来、釈迦如来等は拝見出来ましたが、
これがとても良い仏様でした。(^^

写真撮影が禁止のお寺は多いが、
このお寺は撮影に特に関しては厳しく感じました。


【収蔵庫】


本堂の上には収蔵庫があって、
重文の丈六阿弥陀如来坐像が祀られていました。

でっぷりとした見事な阿弥陀様でした。

こちらも写真撮影禁止でしたが、
注意書きがめっちゃ鬱陶しい。(^^;


【本堂】


収蔵庫から見た本堂。

天台宗では珍しい建築と言われていて、
ゆるやかな優しい屋根が何ともいえず、いい味が出てます。


【花】





【弁天堂】


重文。

発見された墨書には勧進の年号が塗りつぶされているが、
建物の様式、地中から発見された瓦に文明6年という銘があることから、
文明6年(1474)建立とみるべきと建築史家の結論であります。


【白山神社】





【拝殿】







【倉】



【本殿】


重要文化財。


【狛犬】



【三重塔址】


上に少し登っていくと織田信長によって総見寺に移築された、
三重塔址があった。

その三重塔は今も総見寺に健在しており、
今、我々は幸運にも見ることが出来る。

可能ならば長寿寺に返還することはできないものか。


ちなみに長寿寺近くの常楽寺にも三重塔はあるが、
信長は石垣に囲まれた狭い総見寺には建てられないと判断したのだろう。

不幸にもちょうどいい大きさの長寿寺の三重塔が選ばれてしまっただけ。


【拝殿】



【絵葉書】


参拝が終わって山門に着くと、
拝観受付のおば様が熱いコーヒーを接待してくださった。

とても美味しかったです。

その方に「先日放送されたテレビみました。」と言ったら、
絵葉書をくれました。(^^




中を見ると丈六の阿弥陀如来様でした。(^^


【御朱印】

大野神社(2015年5月30日参拝)

2015年06月28日 | 神社
今日のテーマは「湖南三山と甲賀三大佛を楽しむ」です。

という訳で高速を飛ばし滋賀県にやってきました。

まだお寺が開いていない時間に到着したので、
栗東のトレセン近くに鎮座する大野神社へ。

ここは嵐ファンの聖地らしく、
嘘か誠か多い時には1500人から2500人が訪れるそうだ。



所在地:滋賀県栗東市荒張896
御祭神:菅原道真公
創建:不明
社格:郷社


【由緒】
創祀年代不詳であるが社伝に天徳三年勧請とあり、
又古典、所伝によると元慶六年以前より社のあったことがうかがえる。

即ち三代実録に「元慶六年十月九日近江国授柏坂神従五位上」とあり、
この柏坂神の誤写と考えられる。

嵯峨天皇の勅願により僧願安が当地の金勝山連峰に狛坂寺を建立した時、
当社はその守護神となって狛坂天神と称された。
この狛坂寺は元亀の兵火に焼失、ただ二条余の巨岩に刻まれた磨崖佛が往時を物語っている。

寛平九年権大納言菅原道真が、全勝寺に勅使として参向の折、
当社に滞在された縁由をもって正一位於野宮天満宮と称され、
天満天神を祭神とするに至った。

このように古刹との関係が深かった名残りとして当社に十一面観音立像と不動尊、
毘沙門天の小像があり、木造の十一面観音立像は平安末から鎌倉時代の作と証され、
町文に指定されており、崇敬者により祭事を勤めている。

なお久邇宮家より御下賜、青地城主伊予守の寄進や、
近隣在郷より年々神輿を舁きでお礼参りのあった事等を伝えている。

明治九年村社に加列、昭和四年郷社に昇格、大正四年神饌幣帛料供進指定。


【鳥居】


無料駐車場に車を停めていざ参る。


【楼門】




お~、まさかこんな渋い楼門があるとは。

これは只者では無い雰囲気がただよう。
確認してみるとやっぱり重要文化財であった。(^^




屋根の色とか反りとかたまらないですね。


【拝殿】




これも立派な拝殿ですね~。

滋賀県の拝殿は大概正方形が多いですが、
こちらの拝殿は横長タイプですね。

見れば見るほど素晴らしい。

祈祷殿を兼ねているようです。


【狛犬】



【観音堂】


本殿へ向かっている途中でちょっと雰囲気の違うお堂が。






お~、まさかこんな仏様達に出会うとは。

楼門といい、観音堂といい、
この神社は予想以上の驚きを感じさせてくれる。


この仏様達は神仏習合時代の本地仏で、神主の屋敷内にあったが為に、
明治ニ年の神仏分離令や廃仏毀釈にも免れ、のちに現在地に移されたもの。


【三社殿】




御祭神:出雲大神・恵比寿大神・八幡大神


【水分社】


御祭神:天水分大神


【神牛】



【絵馬】


ちょっとだけ見ましたが、
ライブ当選しますようにという絵馬が本当に多い。

嵐ファン必死ですね。(笑)


【幣殿】



【本殿】



この本殿もまた渋くていい。


【拝殿】





【神馬】


これも神牛と同じく還暦記念に奉納されたもの。

さて、一通り参拝し終わったので社務所へ。


【グッズ】




他にも色々いっぱいありました。(^^;

めっちゃ商売に走っています。(苦笑)

まぁ、アイドルファンというものはグッズを欲しがりますからね、
このようなグッズがあったら嵐ファンも喜ぶでしょう。(^^


【御朱印】


こちらはノーマルタイプです。




こちらはおまけでいただいた書置きのものです。

ついでに大野君と同じ名前(漢字は別)の宮司さんの名刺もいただきました。
いや、別に名刺なんて要らないですから~。(^^;

日付を見ると何故か11月26日になっている。

この日は大野君の誕生日だそうで、
嵐ファンがノーマルの御朱印をいただく際、
「大野君の誕生日にして」という無茶なリクエストが多いもんだから、
神社も調子乗っちゃって、アホな「御朱印もどき」を配布するようになったとか。

申し訳ないが、私はこれを御朱印とは認めない。


とても良い神社なんですけどね~。
こんなことをしていたら神社の品格を落としちゃうよ。

長圓寺(2015年5月17日参拝)

2015年06月27日 | 仏閣
本日ラストの参拝となるのが淀競馬場近くの長圓寺というお寺です。

嵐山からわざわざ淀まで来た理由はズバリ御朱印です。

私が珍しく御朱印目当てで訪れただけあって、
そのアート朱印が欲しくてね。

mixiで情報を仕入れてから絶対訪れなければと思ってました。



所在地:京都府京都市伏見区淀新町681
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明



【縁起】


淀城第二代目の城主永井信濃守尚政が寛永14年(1637)、
淀城城下拡張の為、木津川を約200メートル南の今の川顔と美豆の間に
附帯へ新町を造成した。
それまで代官町にあった三軒寺(長円寺、高福寺、東運寺)を現在に移した。

この代官町に長円寺があった時代に既に閻魔堂はあったものと推定出来る。

この閻魔王は淀で唯一の閻魔王であり、
武家、町民の方々の信仰を集めた。


【新撰組】

(画像は長圓寺HPより拝借。)



【山門】


場所が分かりづらかったが、ナビを頼りに無事到着。
細い川沿いの道の前にお寺はあります。

車は境内に停めることが出来ました。


【本堂】


残念ながら閉まったままでした。

このお寺のHPを拝見すると閻魔王ばかりで、
御本尊の御紹介が全くない。

新撰組と閻魔王を売りにするのは理解出来るが、
お寺にとって一番大切なのは御本尊のはず。

私は閻魔王より御本尊の方が興味があります。


【観音堂】



【閻魔堂】




阪神大震災で御堂が半壊になったのを機会に、
御堂は改築され、三尊も修復されたそうです。


【石仏】



【アート朱印】


これ、これ、これが欲しかったのよ。

カッコいいよね~。
ありがたく頂戴しました。(^^

ちなみに現在は秋からのアート朱印製作の為、
長円寺での受け付けは終了、郵送のみ対応可能になっています。

御朱印2枚1組(千円)発送手数料(五百円)となっています。
受付けは7月31日までとなっているので、
欲しい方は急げ!(2千部限定)

個人的には参拝もしていないのに、
御朱印だけいただくのは邪道だと思います。

しかし御住職曰く、お参りに行けなくても遠くからでも、
長円寺の閻魔様を知っていただき手を合わしていただければ有難く思うとのこと。


秋のアート朱印は閻魔さん関係で地獄をイメージにした御朱印になるそうで、
10月か11月の予定です。

日本画家と打ち合わせしたとのことで、期待大ですね。(^^

鹿王院(2015年5月17日参拝)

2015年06月26日 | 仏閣
二尊院参拝後、通常なら天龍寺や常寂光寺となりますが、
今回はまだ参拝したことの無い鹿王院へ行くことにしました。

嵐山駅から二駅、車折神社駅から一駅の鹿王院駅近くにあるにも関わらず、
このお寺の存在は半年前に知ったばかり。

小さなお寺ではなく立派な伽藍を擁するのに、
何故にそんなに知られていないのか、
それを確かめに訪れることにしました。



所在地:京都府京都市右京区嵯峨北堀町24
宗派:臨済宗
御本尊:釈迦如来
創建:康暦2年(1380)
開基:足利義満
開山:春屋妙葩


【縁起】
足利義満が建立した宝幢寺という寺の塔頭であった。

宝幢寺は応仁の乱で廃絶し、
その後は塔頭であった鹿王院のみが残って寺籍を継いでいる。

足利義満は康暦元年(1379)のある夜、「そなたは今年中に大患をわずらうが、
宝幢菩薩を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びるであろう」との夢告を受けた。
その為、義満は自らの帰依する禅僧・春屋妙葩を開山として一寺を建立することとし、
康暦2年(1380)完成した。
当初の寺号を興聖寺といい、後に宝幢寺に改称したという。

宝幢寺は禅寺十刹の第5位に列せられる大寺であったが、
応仁の乱で廃絶、塔頭の鹿王院のみが残った。

鹿王院は寛文年間(1661-1673)、酒井忠知によって再興され、
忠知の子である虎岑玄竹が中興開山となった。


【総門】


渋い、渋すぎる。

京都の嵐山にあるとは思えない、
奈良のお寺のような渋さです。

南北朝時代の建立されたものとされています。

駐車場はこの総門前に最大8台は停めれます。


【参道】


これまたとても良い雰囲気の参道です。
紅葉の時は見事でしょうね。

これだけでここに来て良かったと思いました。


【鎮守社】




参道左手に立派な鎮守社。


【稲荷社】



【中門】


この辺りもとてもいい。


【石塔】



【庫裏】


立派な禅宗のお寺らしい庫裏です。

こちらで小さな鐘を3回連打し、お寺の方を呼んで拝観料を支払う。


【韋駄天像】





【本庭】


嵐山を借景とした平庭式枯山水庭園が見事。

向こうに見えるのが舎利殿です。

客殿にゆっくり座り眺めていると、
日頃のストレスが消えていくようです。

嵐山の喧騒が嘘のように静かなお寺です。




松の枝振りもとてもいいです。


【扁額】


足利義満筆。


【瓦敷歩廊】



【客殿】



【舎利殿】




嬉しいことに中に入れることが出来ました。

駄都殿とも呼ばれ宝暦13年(1763)に建立されたもの。


【厨子】




この厨子の中には源実朝将来と伝える仏舎利を納めた
多宝塔が安置されているそうです。

堂内は撮影不可ではありません。(^^


【四天王像】



【十六羅漢図】


狩野鶴嶺作。


【本堂】


およそ本堂らしくない建物です。

初めて訪れた方はもれなく、
え?これが本堂?と思うでしょう。

下手するとそのまま素通りしてしまう恐れあり。


【涅槃図】


鹿王院十三世松嶺和尚が堺より奉納せしめたもの。


【御本尊】






運慶作だとか。

ここで運慶作に出会えるとは思わなかった。
ただ、何故か運慶作と感じられなかったのは、ここだけの話し。


【足利義満像】



【弥勒菩薩・和尚像】




左から虎岑玄竹和尚、弥勒菩薩、賢渓玄倫和尚となります。


【普明国師(春屋妙葩)像】


これにて有料ゾーン終了。

総門に戻ります。


【参道】




この素晴らしい参道をゆっくり歩く。

癒されます。


【御朱印】



【感想】
観光客も少なくとても落ち着くお寺です。

まさに穴場的存在ですね。
また訪れたいと思う。

落柿舎(2015年5月17日拝観)

2015年06月25日 | 旅行、その他
二尊院から歩いて5分くらいの場所にあるのが、
嵯峨野の観光名所の一つである落柿舎です。

以前は前を素通りしただけであったが、
今回はどんなもんか観に来ました。




落柿舎前の風景。



【歴史】
京都嵯峨野にあった芭蕉の門人向井去来の別邸。
当時は現在とは少し離れた場所にあったと推定されている。

元禄4(1961)年4月18日から5月4日まで松尾芭蕉も逗留し、
滞在記嵯峨日記を執筆している。

去来は落柿舎制札を定め、俳諧道場として農夫・町民も自由に出入りしていた。
去来の没後は荒廃し場所もわからなくなっていたが、
明和7(1770)年、俳人の井上重厚が現在地に復興、
土地がもともと天龍寺の塔頭・弘源寺跡であったので、
弘源寺の寺僧の隠棲所となり捨庵と呼ばれた。

捨庵は明治時代になって落柿舎として再興、現在は保存会ができ、
破損がひどかったので、やや後方に建てかえられた。
当時、去来が庵にいることを知らせるためにしていたように、
今でも土間の壁には蓑と笠が掛けられてある。



【嵯峨天皇皇女有智子内親王墓】





【門】


これぞ京都といった風情があります。

アマチュアカメラマンも多し。


【本庵】


ゴマラー好みの茅葺屋根です。(^^




入口から入ると土間があります。




屋根はこんな感じ。




手前と奥に二帖の部屋があります。

お洒落です。






手前が四帖半、奥は三帖の部屋がありました。




手前の四帖半の部屋には去来像が祀られていました。


【庭園】


幾つもの句碑がありました。


【次庵】




こちらは句会席となっており、
句をやる方々らいらっしゃいました。


【俳人塔】


昭和45年、落柿舎十一世庵主の工藤芝蘭子が、
過去、現在、未来の俳人供養の為に建立されたもの。


【本庵】




やっぱり茅葺屋根はええなぁ~と思いつつ、
しばし見惚れておりました。(^^


【御朱印】


神社仏閣の御朱印とは意味合いが違いますが、
書置きが二種類あります。(各200円)

松本城や東大寺梵鐘の御朱印と同じく、
「御朱印」とは認めないという人もいるみたいですが。

ちなみにかなり小さいサイズの御朱印帳が売ってありました。
値段は700円です。

二尊院(2015年5月17日参拝)

2015年06月24日 | 法然上人二十五霊跡
久しぶりにあの超絶有名な御本尊を拝みに二尊院へ。

約3年半振りの参拝です。

総門前に無料駐車場があったのね。
知らなかった。(^^;



<2011年11月13日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/cc5c5e3cc76062162736e62600adae35



所在地:京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27
宗派:天台宗
御本尊:釈迦如来・阿弥陀如来
創建:承和年中(834-847)
開基:円仁上人
勅願:嵯峨天皇
札所:法然上人二十五霊跡


【総門】


拝観受付で本堂工事中と言われる。

ここに来て御本尊を拝めないのはキツイ。

しかし、折角ここまで来てるんだから拝観することに。


【西行法師庵の跡】



【紅葉の馬場】


ここも緑が濃くて良いです。

紅葉の時に訪れたいですが、
大混雑が簡単に予想されて行く気力が湧かないのですが。(^^;


【天皇陛下御手植えの楓】


木の幹が細いし葉っぱも少ない。

大丈夫か?

天皇陛下が御手植えした木を枯らしたら大変ですよ。(^^;


【黒門】


新緑がたまらない。


【本堂】


絶賛工事中。

まぁ、これは仕方ない。

しかし隣の建物を見て膝が崩れ落ちた。




二尊院ともあろうお寺がなんですか、
この粗末で簡単な仮本堂は!




しかも御本尊が写真とか泣けてくる。

ありえへんわ。
これで拝観料取ってはいけませんよ。

はぁ、
この状態が来年の秋まで続くので、
二尊院に参拝される方は御注意ください。


【九頭竜財才堂】





【扇塚】



【鐘楼堂】







【石段】


上には湛空上人廟があるんですが、
今日はさすがに登りませんでした。


【築地塀】



【八社宮】


表鬼門封じの為に建立されたもの。


【地蔵尊】



【勅使門】





【鎮守社】



【築地塀】



【カエデ】



【御朱印】

観音院(2015年5月17日参拝)

2015年06月24日 | 仏閣
久しぶりに二尊院に行こうと歩いていると、
数珠巡礼の手の看板を発見。

寺の名前は観音院という。

とりあえず寄ってみた。


所在地:京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前往生院町5-2
宗派:真言宗御室派
御本尊:准胝観音菩薩
創建:不明



【入口】


うーむ、ちょっとがっかり。(^^;

パッと見、お寺には見えません。


【護摩堂】


閉まってました~。(泣)


【手水鉢】



【西国三十三ヶ所巡り】


この奥にあるようなんで、
勇気を出して行ってみました。






うーむ、ちょっとがっかり。(^^;


【御朱印】


御朱印はあるかなぁ、と恐る恐る玄関をピンポン。

書置きですが御朱印はありました。(^^

宝筐院(2015年5月17日参拝)

2015年06月23日 | 仏閣
清涼寺から歩いてすぐにあるのが宝筐院。
ここは紅葉が美しいことで有名なお寺です。

有名といっても紅葉好きに限定されますが。



所在地:京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1
宗派:臨済宗
御本尊千手観世音菩薩
創建:平安時代


【縁起】


平安時代に白河天皇の勅願寺として建てられました。

建立当時から宝筐院と呼ばれていたわけではなく、元々の名は善入寺といいました。
平安の末から鎌倉時代にかけては、数代にわたって皇族が入寺し住持となりました。

南北朝時代になり貞和年間(1345~50)から夢窓国師の高弟である黙庵周諭禅師が入寺し、
衰退していた寺を復興させ、中興開山となりました。

これ以後は臨済宗のお寺となりました。

室町幕府の二代将軍足利義詮、貞治四年(1365)に母の法要の席において、
黙庵から経典の講義を聞き、更に参禅問答したことを契機に黙庵に帰依しました。
そして、師のために善入寺の伽藍整備に力をいれました。

貞治5年(1367)、義詮が没すると善入寺はその菩提寺となりました。
そして、八代将軍義政の代になって義詮の院号の宝筐院にちなみ、
寺名は宝筐院と改められました。

応仁の乱以後は幕府の衰えと共にお寺も衰微してゆきました。

江戸時代の宝筐院は天龍寺末寺の小院となり、
幕末には廃寺となりましたが、50数年を経て復興されました。


【山門】


いかにもといった感じの良い風情を感じます。

拝観料はこれに合わない自動販売機で支払います。
正直興醒めしますが、1万円札も使用出来るので助かります。(^^;


【境内】


入った瞬間、濃い緑が目に飛び込んでくる。






これは紅葉の時期は素晴らしいものだと、
すぐに分かりました。


【本堂】


これはいいですね~。










祇王寺や滝口寺などと同じ感じで、
別荘のような建物に申し訳程度に仏様が安置されてますね。


【境内】


枯山水庭園のようですね。


【彫刻】


こ、これは一体なに?

こんな場違いなオブジェはマジで要らんわ~。(苦笑)

異文化に惹かれるのは理解出来ますが、
これぞ京都といった風情の中に置く神経が分かりません。


【花】


何の花か分かりません。(^^;


【楠木正行・足利義詮墓所】






右の五輪塔は楠木正行の首を葬ってある首塚で、
左の三層石塔は足利義詮の墓だそうです。


【境内】




とにかく緑豊か。

清々しい時に行くと気持ちがいいです。

でも、夏に行くと蚊に悩まされそう。(^^;


【御朱印】

清涼寺(2015年5月17日参拝)

2015年06月22日 | 京都十三仏霊場


私が京都で最も好きな風景の一つです。

車を停めて暫し眺める。
日頃の嫌なことが忘れることが出来て癒されます。(^^


さて、これから妙光寺というお寺へ向かいます。

建仁寺が所有するあの風神雷神図屏風は元は妙光寺が所有していたとか。


【妙光寺】






山門が閉まっているのは事前確認済み。

もう一つの通用門を通り、庫裏でチャイムを鳴らせば、
本堂拝観と御朱印をいただけるのも事前確認済み。

しかし通用門が開かない。
仕方ないのでお寺に電話しました。

御不在でした。

御不在で御朱印をいただけないことは、
たまにあるしそんなに痛くはない。

しかし、参拝出来ると思っていたのに、
参拝出来ないのは本当に痛い。

いつか事前連絡をしてリベンジしたいと思います。


【村上天皇陵】


山門横に天皇陵があるようです。

これがまた天皇陵まで結構石段があって、
これ以上行くと膝が悪くなるので途中で断念。

今日はこの地に縁が無いようです。

気を取り直して清涼寺へ。
久しぶりの参拝となります。


<2011年11月30日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/0cc5c1c575daabdcc5f1741aad3df848

http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/d1d2a7ee3f35fe063fe6cfc56dd874d2



所在地:京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
宗派:浄土宗
御本尊:釈迦如来(国宝)
創建:寛和3年(987年)
開基:然上人
札所:京都十三仏霊場


【一切経蔵】




有料駐車場に停めて最初に見るのが一切経蔵です。










【弥勒多宝石仏】





【境内】


相変わらず広々とした境内に、立派な本堂です。

まずは仁王門へ。


【仁王門】




安永6年(1776)再建されたもの。


【本堂】




元禄14年(1701)に再建されたもの。

国宝の御本尊釈迦如来を祀る見事な宮殿は、
将軍綱吉好と生母桂昌院が寄進されたもの。

その他にも桂昌院所縁の品々が陳列されていました。

桂昌院が各地の寺社に寄進をしなければ、
現在我々が見ている見事な社殿等は無かったはず。

彼女に対して足を向けて寝れません。(笑)


拝観料を支払い堂内と庭園を見学。


本堂は撮影禁止でした。


【渡り廊下】





【本堂裏手】



【閼伽井】



【庭園】



【弁天堂】






江戸後期に建立されたもの。


【澄泉閣】



【の松の庭園】





【阿弥陀堂】




嵯峨天皇の第12皇子・源融公の没後、遺族が建立。
現在の建物は文久3年(1863)再建されたもの。

ここは特に撮影禁止ではありません。


【桂昌院遺愛の井戸】





【境内】



【豊臣秀頼公首塚】


昭和55年大阪城三の丸跡地の発掘現場から秀頼公の首が発見。
秀頼公再興の由緒を持つ清涼寺に納められたもの。

発見された首には介錯の跡があるそうですが、
本当に本物?


【然上人の墓】





【薬師寺】


弘仁9年(818)に嵯峨天皇の勅命により弘法大師空海が刻んだ
薬師如来像を祀る寺として創建。

寛永年間に大覚寺の宮である尊性親王によって再建。
明治時代に入るまで大覚寺派でしたが現在は浄土宗知恩院派に属します。

清涼寺の境内にありますが、
清涼寺とは別の独立した寺院だそうです。




薬師寺本堂。

8月24日の地蔵盆当日のみ開扉されます。


【鐘楼堂】


梵鐘には足利義政、日野富子、足利義尚等の銘があるとか。


【多宝塔】





【法然房源空 求道青年像】



【愛宕権現社】



【あぶり餅】


休憩がてら境内にある大文字屋さんでいただきました。

美味しゅうございました。(^^


【御朱印】


本堂でいただきました。

あと、霊宝館で国宝阿弥陀三尊像を見ました。

感動。

どれだけの長い時間見ていても全く飽きません。

清凉寺に来られたら霊宝館もお忘れなく。

真如寺(2015年5月17日参拝)

2015年06月21日 | 仏閣
2月に参拝した六請神社の隣にある真如寺に念願の参拝です。

普段は非公開のお寺ですが、
今日は年に一度の半僧坊大権現大法要で一般開放されるんです。

今日のような法要がなくても、
拝観は3人以上で予約すれば拝観受付けするとのこと。

運良く平日に団体さんの予約があった場合、
一人でも受け付けてくれるそうです。



所在地:京都府京都市北区等持院北町61
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:宝冠釈迦如来
創建:暦応5年(1342)
開山:無学祖元
開基:無外如大尼


【縁起】
無学の弟子で京都尼五山筆頭の景愛寺住職であった、
無外如大尼が無学の遺爪髪を祀るための塔所として正脈庵を築いたのが始まりである。

無外如大尼没後、正脈庵もまた崩壊に瀕していたが、
無学祖元の法孫である夢窓疎石が暦応5年(1342)4月15日に足利尊氏の執権高師直、
尊氏の弟の足利直義の外護を受け、庵を東側に移して寺院として整備し、
この際に無学祖元初住の中国浙江省台州真如寺(現在廃寺)に倣い寺号を真如寺とした。

そして無学祖元(仏光国師)を勧請開山に、無外如大尼を勧請開基とし、
夢窓自身は第二世として入寺した。

扶桑五山記二 日本諸寺次位によると真如寺は十刹次第の第八位に列挙され、
ついで翌康永2年(1343)の重沙汰により第六位、
康暦2年(1380)の重沙汰では第七位に数えられていた。

應永17年(1410)十刹位次では等持寺、臨川寺に次ぐ京都十刹の第三位となり、
塔頭を要するなど、室町幕府の手厚い保護を受けた。

だが、寛正2年(1461)に焼失後、応仁の乱の混乱もあり、寺は一時期廃寺状態となったが、
明應8年(1499)以降、方丈や仏殿が段階的に復興された。

天文4年(1535)に宝鏡寺門跡となった花屋尼長老は、
無学祖元、無外如大尼の深縁を慕い、天正4年(1576年)当寺を墓所として埋葬された。
これ以後宝鏡寺歴代の菩提所となる。

明暦2年(1656)には後水尾天皇によって本格的に法堂が再興された。

大正7年(1918)に鎮守として奥山半僧坊大権現を相国寺山内塔頭より、
境内に遷座するなどをして、現在に至る。


【南門】


関係者用の駐車場しかありませんので、
御注意ください。


【参道】


趣のある良い参道です。


【カキツバタ】



【山門】



【圓通殿】


11時頃から法要が始まり半僧坊大権現が御開帳。

残念ながら撮影禁止でした。


【法堂】




お~、いかにも禅宗のお堂ですね。

こういう普段入れないお寺に参拝出来るのが、
本当に嬉しい。




堂内も当然のように禅宗様式ですね。


【敷島辯才天】





【五輪塔】



【七重石塔】



【敷島辯才天】




こちらにも同じ辯才天が鎮座してました。


【稲荷社】



【表門】


500円を支払って客殿と書院を見学。


【書院前庭】







【扁額】





【屏風】





【西湖図】







【書院前庭】


とても落ち着くいいお庭です。


【備前焼】



【客殿】




こちらでお抹茶をいただくことが出来ます。


【客殿庭園】





【書院】



【書院前庭】


名残り惜しむかのように庭を散策。


【御朱印】


僧侶の方に御朱印帳に書いていただきました。

これにて真如寺の参拝終了。
参拝出来て本当に良かったです。

下鴨神社・越木岩神社 マンション建設問題

2015年06月20日 | 旅行、その他
今日は参拝ではなく有名神社のマンション建設問題について、
個人的な意見をあげていきたい。


まずは世界遺産下鴨神社の境内に建てられることになった件について。


「マンション・チラシの定点観測」というブログを読んでほしい。

http://1manken.hatenablog.com/entry/2015/06/08/061601

どうやら今回の遷宮に掛かる約30億円の費用が賄えず、
年間8000万円の借地料を得る為にマンションが建つことになったようだ。

最初は全くもってけしからんと思った。

だが、調べていくうちにそうでもないかなと思い始めた。




下鴨神社全景。

この境内の中のどこに建つのかと言えば、
下の画像を参照してもらいたい。




画像はマンション・チラシの定点観測から借用したもの。

あの駐車場に停めたことがある人は分かると思いますが、
結構殺風景な場所なんですよね。

道を隔てた糺の森とは雰囲気が全く違う。

そして駐車場側は世界遺産区域外です。

この場所にマンションを建てると貴重な原生林45本が伐採されるとか。

まぁ、貴重な原生林には見えないのは事実。


うーん、いろんな意見があると思いますが、
神社の事情も理解出来るし、あの場所なら別にいいかな、と思う。

糺の森の中だったら大反対だけど。


ただ、このマンションに中国人が住まないことを願う。



続きましては越木岩神社のマンション問題。

http://iwakura.main.jp/news/20150419_news/newst_20150419.html

神社のHPを見ると3つの磐座が破壊されるようです。




場所は神社の境内の横で神社とは関係無い土地です。

本来なら土地の売買やマンション計画は自由ですが、
さすがに磐座を破壊してまでマンションを造るのは反対です。

この神社を参拝したこともありますし、
他の場所にある磐座も幾つか見たことがあります。

その時に感じるのは「畏怖」の念です。

巨石に魂や神が宿るのは非科学的なことと思う方も多いだろう。

しかし、磐座というものは特別なものを感じて、
それを否定してしまう。


その磐座を破壊して造ったマンションは祟られる可能性は高い。

昔から「触らぬ神に祟りなし」って言うじゃない。
これがまさにそう。

そんないわくつき物件に住む気は全くないね。

業者の「創建」は即刻中止した方がいい。

倒産するかも知れませんよ。

宝塚神社(2015年5月10日参拝)

2015年06月19日 | 神社
本日ラストの参拝となるのはズバリ宝塚神社です。

宝塚歌劇団とは何の縁もございませんが、
ここは外す訳にはいくまい。

ちなみに平林寺から歩いて行けます。



所在地:兵庫県宝塚市社町4-8
主祭神:大山咋命
配祀神:菅原道真、火加具土神、素盞嗚尊、道祖神
創建:不明
社格等:村社


【由緒】
創立年代は不詳ですが、
隣接する武庫山平林寺の記録による承和4年(837)作の仏像安置から考察すれば、
同時代頃には神社存立は確かなものであったと思われます。

明治以前までは山王権現と称し広く衆庶に崇められていました。

凡らくは背面の岩倉山(489.9メートル)行者山譲葉山などの地形から見て、
日吉の神(山ノ神)を勧請せられ、田園地帯には素盞嗚の神(田ノ神)が、
鎮座されたことは当然の理でしょう。

昭和40年(1965)素盞嗚神社を合祀し、日吉神社を宝塚神社と改め現在に至る。


【鳥居】


ここは平林寺の弁財天の近くです。


【金毘羅社】




宝塚神社の境内とは線路を隔てた場所に鎮座する為、
当初は宝塚神社とは無関係かと思ったが、
後で看板が同じだと判明したので、宝塚神社の境内社となります。


【清明坂】


線路を超えてこの急な坂を登りきったところ。

安倍晴明所縁の神社かと思ったが、
単に先代宮司さんが清明が好きだったとか。(^^;

何でもありやな。(笑)


ここまで車で来て境内に車を停めることは可能です。


【風景】


宝塚市内から大阪方面です。


【拝殿】


いかにも歴史の長さを感じることが出来る拝殿です。

決して拝殿が古臭いという意味でなく、
拝殿から感じられる雰囲気がね。


【狛犬】



【境内社】


大神社、愛宕社。




三社(春日神社・伊勢神宮・住吉神社)。




塞神社、八幡社。


【夫婦和合・子授けの石】




今年はコレ系の石を良く見るなぁ。

溜まってるんかな。(苦笑)


【恵比須社】


元は村社であった素盞鳴神社の末社として創始されていましたが、
宝塚神社に合祀されたもの。

社殿は清荒神清澄寺の三宝大荒神の祀られていたものだそうです。






社殿にはこのような可愛らしい人形が置かれていました。

一体500円だったと思います。

自宅に持って帰ってもOKです。


【天満宮】



【旧鳥居】


阪神大震災で倒壊した鳥居を震災碑として残してありました。

後世に残しておく意義はとてもあると思いますね。


【鳥居】


この鳥居の先に小道があったので進むと両端に何体もの観音像が。

摂津国三十三所観音霊場の写しのようで、
どうやらここまで平林寺の境内だったようだ。

ここで気付くとは何たることか。(^^;


【鐘楼堂】


ここに鐘楼堂もありました。

一打20円とリーズナブルであったが、
既に参拝し終わっていたので断念。

参拝後に鐘を打つのはすこぶる具合がよろしくないので。


【御朱印】


寶之神と書いていただきました。

平林寺(2015年5月10日参拝)

2015年06月18日 | 摂津国八十八箇所霊場
次に参拝する宝塚神社に到着する手前で弁財天の社を発見。

これも宝塚神社の境内社と思い参拝。
でも、実際はお寺の弁財天のようだ。



所在地:兵庫県宝塚市社町4-7
宗派:真言宗単立
御本尊:釈迦如来
創建:伝・飛鳥時代
開基:伝・聖徳太子
勅願:用明天皇
札所:摂津国三十三箇所観音霊場、摂津国八十八箇所霊場



【縁起】
平林寺は伝承によると聖徳太子が摂津国七大寺の一つとして創建され、
平安時代に弘法大師の縁につらなる如一尼によって中興されたと伝えられています。

鎌倉時代のものと推定される石造露盤があることから、
鎌倉時代には建立されていたことがうかがわれます。

本尊釈迦如来座像は室町時代の作とされています。

時代は過ぎ戦国時代の末期、天正6年(1575)に、
有岡の城主荒木村重は織田信長を裏切って毛利氏に寝返ったが、
信長の来攻で平林寺がその砦に利用されるのを恐れて、
火を放ち一山寺院ことごとく灰燼に帰しました。

この時、平林寺山内の僧侶と檀信徒たちは力を合わせて十一面観音、
薬師如来、本尊釈迦如来、四天王の各ご仏像を密かに業火から持ち出し、
釈迦ヶ谷(現県立宝塚高校近くの谷)に安置して法難から逃れることができました。
この仏様が今に伝えられています。

やがて江戸時代、慶長から寛永にかけて、
現在見られる本堂、観音堂、薬師堂及び山内寺院の一部が再建されました。

塔中は長い間宝寿院、成就院、常福院、理性院、そして当西光院の五ヶ寺でしたが、
理性院は現神戸市東灘区に移転したため、現在は四ヶ寺となっています。


【弁財天】





【地蔵堂】




この地蔵堂の横にお寺が幾つかあるので、
行ってみましょう。


【成福院】


どうやら平林寺の塔頭のようですね。

塔頭にありがちな閉鎖的で入り難い雰囲気です。


【西光院】








こちらはオープンな雰囲気でいい。(^^


【成就院】



【宝寿院】


塔頭は4つありました。

線路を超えた場所に平林寺の本堂があるようです。


【修行大師像】


お大師さんがお出迎え。


【本堂】


こちらが平林寺の本堂になります。

車はここまで来れて停めることが可能です。
私は成福院の参拝者専用駐車場に停めさせていただきました。








御本尊、四天王像が祀られていました。

堂内に入ることは出来ませんでしたが、
中を見れただけでも良かったです。


【不動明王】



【地蔵尊】



【宝篋印塔】



【観音堂】



【薬師堂】



【御堂】




何故か南無妙法蓮華経の文字が。

中を見ても何が祀られているのか、よく分かりませんでした。


【石仏】


ここだけ寂しげな雰囲気。

夜見たら怖いぞ、みたいな。(^^;


【宝篋印塔】



【石造露盤】





【御朱印】
社務所が閉まっていて諦めていたらお知らせの案内板を発見。




塔頭でいただけるとは有り難い。(^^




一番入り易い雰囲気の西光院でいただきました。

お寺の雰囲気を表わすような、
人の好さそうな奥さんでした。(^^

伊和志津神社(2015年5月10日参拝)

2015年06月17日 | 神社
宝塚歌劇団の公演はまだまだ時間がかかりそうなんで、
伊和志津神社という神社へ。

時間は無駄にしない主義です。(笑)



所在地:兵庫県宝塚市伊孑志1-4-3
主祭神:須佐之男命
創建:不明
社格:式内大社


【由緒】


加藤清正が朝鮮出兵の際に虎を生け捕りにして連れて帰ったが、
大阪城内では危険で虎を飼うことが出来ないので、
広い境内を持つ伊和志津神社で飼われていたそうです。

それは知りませんでした。

当寺、虎のエサの肉が無く、犬を与えたところ、
猟犬だった犬に逆に噛まれたそうだ。(^^;


【鳥居】


無料駐車場は境内とは片側二車線の道路を隔てた所にありました。

最初は見逃して通り過ぎていたよ。(^^;


【境内】


昔は大社だった、という神社のようですね。
それでも雰囲気はいい。


【狛犬】



【拝殿】




かなり気品のある拝殿です。


【宝塚天満宮】


安徳天皇が祀られています。


【愛宕社】


火の神である加具土命が祀られています。


【遥拝所】




境内社と思ったが遥拝所でした。


【地蔵舎】




昔の神仏習合時代の名残りでしょうね。


【御朱印】